日々是迷々之記
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2004年05月20日(木) 輸入CD規制ふたたび

先日の輸入CD規制問題の日記を書いた後、とてもくらい気持ちになってしまった。私はアメリカのシンプソンズというアニメが好きで、カナダに住んでいたときはとにかく見つけたらビデオを買っていた。帰国後はせこせこと大型ショップで見かけたら買うようにしていた。DVDだけでなく、本、まんが、サウンドトラックも持っている。

が、サウンドトラックは日本盤がないようで、たいていアマゾンで購入している。もし、悪夢が正夢になってしまえば、こういう一般受けしないようなモノは手に入りにくくなるだろう。

そこで、ふと考えたのだが、日本に住んでいる外国人のひとたちはどう思っているのだろうか。おそらく食料品店兼よろづ屋のようなところで、お店の人が自国で買ってきたCDを買ったりしているような気がする。(海外の日本人がそうやって日本人歌手のCDを買っているように。)今の輸入CD規制の方針のままならそういう音楽も日本にやってこれなくなるだろう。

これはある意味文化の鎖国ではないだろうか。こういう法規制を思いつく人はきっと音楽なんかどうでもいいと思う種類の人だと感じる。車椅子の人のためのトイレが和式だったりと、世の中のいろんなものが、本当にそれを必要な人のために作られていないのと同じように、音楽なんかどうでもいい人たちが音楽を規制しようとしている。

鬱だ。
これが現実にならないことを祈る。


2004年05月18日(火) 輸入CD規制って…

朝の番組で言っていたが、輸入CDが規制されるとかされないとか。

調べてみたらこんな感じであった。いやはや。↓
http://sound.jp/stop-rev-crlaw/index.html

最初はアジア諸国で生産され販売されている日本の歌手のCDを輸入販売するのを規制するつもりだったらしいが、具体的に「○○(国名)からの輸入販売を禁じる」とは書きにくいらしい。で、輸入CDはぜーんぶ禁止にすればいいじゃん!という流れが現在のところのようだ。

救いは、規制されるのは日本版が発売されているものだけらしいので、日本語の歌詞カードとライナーノーツを1500円とかで買っていると思えばいいのかもしれない。(別にいらんけど)でも、だからといって輸入CDショップが今以上に日本で市販されていないけどいいアルバムを発掘するのにがんばるとも思えない。結果、輸入CDは風前の灯火になってしまうと想像する。

目的は日本で正規に販売しているアルバムの売り上げが落ちているからで、その原因はアジアからの輸入盤が安くで売っているからだ!というのが言い分だ。

でも、本当にそうなんだろうか。アルバムの売り上げが落ちているのは、やっぱレンタルCDのせいだと思うのだけれど。近所の某ツ○ヤに土曜日の昼なんかに行くと、若者達がマキシシングルを大量に抱えて貸し出し手続きの列に並んでいる。

ふと思ったのだが、極端かもしれないがノートパソコンにiTunesをインストールして、ツ○ヤに出向き、当日返却でCDを借り、店を出たところでそのへんにしゃがみこんでパソコンを起動させ、借りたCDを全部読み込ませればそれで事は足りるのではないだろうか。

確かに思い入れが無ければそれで十分なんだと思う。でもやっぱり好きなら買うと思う。思い入れを持って聴いてもらえるような音楽、アルバムを作ることに注力する方がいいのではないか。ファイル交換を規制して、輸入CDを規制して、そしてレンタルCDを規制すれば、一昔前みたいにミリオン連発となると思ったらそれは甘すぎるのではないか。

というわけでどうも気持ちが暗い。自分が全然関心のない歌手の人ら(CCCDで出すようなせっぱ詰まってる方々)を守るために、好きな音楽を聴けなくなるのは面白くない。日本で封切りされていない(されても全然だめだった)映画のサントラ、テレビアニメのイメージアルバムなんかはかなり買いにくくなるだろう。

もっとも、私がこのことでどよんとしていても、世間は長者番付(高額納税者発表)の話題で持ちきりだったので、世の中の大多数の人にとって輸入CD規制なんてどうでもいいのかもしれない。


2004年05月15日(土) 女が男に望むもの、男が女に望むもの

それらは根本的に食い違ってるのではないかと強く思った。

夕方、近所の店でタコヤキを買い、家に帰るとテレビではバレーボールと野球ばっかりで私の好きな関西風味こてこての番組はやっていなかった。(もともとゴールデンではあまりやっていないのだが。)

ので、「セルマ&ルイーズ」のDVDを見ることにした。私はこの映画が何故か好きで、時折見ている。1991年の作品なので初めて見たのは二十歳前後の頃だと思うが、三十歳過ぎて見るとまた感じが違う。リアルなのだ。

日常生活にどっぷりの中年主婦。だんなが遅刻したらあかんと思い、キッチンから「遅れるわよー。」と声をかける。すると機嫌の悪そうなダンナがぶつくさ言いながら起きてくる。「朝から叫ぶな。」と言う。彼女は黙ってコーヒーを入れるがダンナにノーサンキューと言われ自分で飲む。

どっちも悪気があるわけではないのだが、いまいち噛み合わない。リアルだ。そして彼女は親友(未婚)と一緒に2泊の予定で山荘にドライブに行く。その道中になんだかんだと起こるのだが、ねたばれになってしまうので大まかな物語は記さない。

親友の運転する66年型サンダーバード・コンバーチブルでドライブ。トイレ休憩でバーに行き、注文するのは彼女がワイルドターキーをストレートで、親友がマルガリータとチェイサーにクエルボ(テキーラ)のストレート。

日本的に考えれば、非常識な中年女が調子に乗ってるってことになるんだろうが、しつこく声をかけてくる男に「大事な話をしてるから、放っておいて。」と鼻先にタバコのけむりを吹きかけるシーンはかっこいい。まぁ、これは主婦をジーナ・ディヴィス、親友をスーザン・サランドンが演じているのでよく見えるというのもあるだろう。

そこからある事件が起き、芋蔓式に二人は犯罪を重ねてしまうのだが、この二人は本当に悪いのかなぁと思ってしまう。よろよろとバカな男が出てきて余計なことをするから…ではないのか。この映画に出てくる男はみな単純だ。その場のことしか考えていない。その反面、表には出さないが、女達はもっと深いモノを求めているようだった。そして最後は自分の生き方を貫くために、究極の選択をせざるを得なくなってしまうのだ。

この映画はキャスティングもつぼにはまっている。先述のバーのシーンでは懐かしのチャーリー・セクストンが生でライブをやっているし(今彼はどうしているのだろう)、バカ男の一人はブラッド・ピットである。あの顔であの体、んで女たらしでせこい犯罪を重ねているという設定なのだが、とてもツボにはまっている。10分くらいしか出て来ないのだが、印象は強烈で、この映画をきっかけにブレイクして、この映画の次は「リバー・ランズ・スルー・イット」に抜擢されたようだ。

そんなわけでリドリー・スコット監督のうらばなしを含む映像特典まで見てしまって、3時間以上、この「セルマ&ルイーズ」の世界にどっぷりとはまりこんでしまった土曜日の夜なのであった。


2004年05月13日(木) 大阪バイク生活

朝からぽつりぽつりと雨が降っていたので、今日は自転車でなくカブで会社に行くことにした。

会社まで約9kmほど。自転車なら40分、カブなら25分くらいで行くことができる。これだけ見るとカブの方が楽じゃんと感じるが、現実は自転車の方がずっと楽なのである。その理由は「ここが大阪だから。」それに尽きると思う。

今朝も危うくタクシーに突っ込みかけた。青になったのでぷるるると走り出したら、後ろからタクシーが怒濤の勢いで私を抜き去る。私はさほど気に留めず、向こう岸目指して走るわけだが、テキは私を抜き去った瞬間停車しようとする。ブレーキを踏む。私はホーンをならしたら、「あれ、あんなとこに原付いたよ。ハイハイ」といったかんじでハザードランプを点滅させる。

多分、「運ちゃん、信号渡ったところで下ろしてよ。」とでも言われたのだろう。片側3車線両面通行で6車線。それだけ分歩くのが嫌な客だったのだろう。

でもさ、こっち側って一方通行の1車線なわけで、そんなところで「信号渡ったところで停車」ってものごっつい迷惑ってことがわかんないんだろうか。しかも、すぐに停車するんだったら、カブをぶっちぎらなくてもいいんでないかと思うが。

日本が銃社会だったら一発撃ってやりたいと思うのはこんなときだ。(その前に私が撃たれるんだろうけど。)

同じ道で、こんなこともあった。停止線があるから減速したら後ろの4トン車がぶおーっと警笛を鳴らす。私は突っ込まれたらいややなぁと思い、左端に寄って停止した。すると4トン車は停止線で止まらず、私を抜き去る。が、停止線があるということは、クロスしている車道が優先ということなので、当たり前のようにクロスしている車線から車が出てきた。交差点の真ん中で両車は止まった。4トン車の運ちゃん、逆ギレして運転席で大声でぼやいている。あやしい薬物でもやっているのだろうか?

多分端っこに寄って止まらなかったら、私は確実に突っ込まれていただろう。こんなことはよくある。それに、路上のパーキングメーターに10トンダンプが停めてあって(しかも金は入れていない)、みんなが警笛を鳴らしまくったり、右折車線から真横に走って客を拾うタクシーもいる。

前の材木問屋に勤めていたときに、遠方に材木を運んでもらうために来てもらったドライバーのにいちゃんが酒臭かったのはさすがに引いた。しかし、その港湾地区の大型トラックは8割方飲酒運転らしい。フェリーターミナルに着いたら仮眠するので、それまで飲んでおこうという寸法らしい。んなもん、フェリーターミナルに着いてから飲めばいいと思うのだが。とにかくドリンクホルダーに発泡酒の缶がさしてあるのはめずらしくもないというのが事実なのだ。

そんな中でバイクに乗るというのはリスクが高いとしみじみ思う。それでも乗るのはバイクが好きだからだし、できるだけリスクを減らすためには、変な運転をしている車を察知する能力、危険を回避できるテクニック、そして能力の高いバイク(加速力、ストッピングパワーの面で)、それより何よりそんなバイクを扱える自分の能力が必要だと思う。

「カブでてくてく走る。」というのは簡単そうで難しい。中型以上に乗り換えるか、やっぱりバイクはやめるか、そんなことを考えた今日のできごとだった。


2004年05月12日(水) 意味があってもなくても

買い物をして帰ってきた。背中にザックを背負い、右手に卓上扇風機の入った箱、左手に本日開店した好日山荘でのお買い物をぶら下げて、マンションのエレベーターホールの大きな鏡に映った自分にふと目がいく。いやー、りっぱなオバサンだ。(涙)

部屋に入り、テレビをつけるとNHKの「クローズアップ現代」という番組がやっていた。そこに映った若い男性は、「働くことの意味がわかんないんですよね。そんな自分を犠牲にしてまでしなきゃいけないことなんですかね。」と活力のない目で言うのだった。私はああ、ひきこもりの人のドキュメンタリーかぁ…。合わない仕事って確かに追いつめられるよね、と思ったらそこにテロップが出た。有名な大学の4回生である。どうして就職活動をしないのか、という問いに対してであった。

私は一気にばっかじゃねーのと心の中で毒づいた。そんなもん、メシ食うために決まってるじゃないか。やりたいことが見つからないとか、自分に何ができるかわからないとか、迷うより前に、ゴハンを食べないといけないし、ケータイ電話の料金だって払わないといけない。今、世話してくれている保護者たちはかなりの高確率で自分より早くいなくなってしまうし、それまでに一人で生きていけるようになっていなければならない。それだけのことだと思う。

だいたい、意味がないとできないんだろうか。私は基本的にやりたいこと、楽しいことしかしないが、そのためのつらいこともやっぱりする。バイクに乗りたかったら地獄の教習があったし、欲しいモノがあれば守銭奴と呼ばれようとも節約の鬼になる。

意味が分からないと先に進めない人はぜぇったい結婚とかこのままだったらできないだろう。結婚の意味は仕事よりもずっと曖昧だからだ。仕事はどんな仕事にせよ、達成感もあれば、続けることによって何かをやり遂げたような気もするし、お金も手元に入る。が、結婚はどんなもんだろうか?同じ苗字になって、一緒に住み、一つの家計を持ち、運営するといったところか。男性の場合はほぼ確実に自由になる金額は減るだろう。

が、そこで「意味ないじゃん。」と判断するのは早計だと感じる。一人ではわからなかった楽しみもあるし、血縁がないからこそ努力しないとつながりは保てないので、努力をすることになる。まぁ、努力なんてたいそうなものではなく、一緒に楽しもう、充実させようとすることか。それで初めて意味を感じるようになるわけであって、最初っから「むむ!結婚の意味とは!」などと小難しく考えても、徒労に終わるだけである。

というわけで、「意味が分からないからやらない」人は、とにかくやってみるといいかもしれない。就職にせよ、結婚にせよ、ほんまにアカンかったらやりなおしはできるのだから。

こんな感じで、若い人達が私の予想だにできないところで悩んだりしているのを感じると、あー年とったなぁと思う。まぁ、両手に買い物袋を食い込ませてる時点でりっぱにオバサンなんだけども。


2004年05月11日(火) 眠りボケダメ会社員の日常

毎日、とても眠い。朝起きるのは6時半ごろにすっと目が覚めるのだが、いろいろやって自転車を小一時間こいで会社に着く。すると眠りの足音が聞こえてくる。午前中の作業は単調なルーティンワークが多いのでそのせいかとも思うのだが。昨日は書類をチェックして日付印をいれるのに、日曜日の日付を入れてしまい、往生した。しかも100枚以上。それを消して押し直すのに1時間。消して押し、消して押し…、不謹慎なことにこれがまた眠い。まばたきでもしようがものなら「どっか別の世界」に行ってしまいそうだ。

そんなこんなで午前中が終わり、弁当を食べて午後の仕事が始まる。これがまた輪をかけて眠い。主に書類を読んで、内容に応じていろんなことをするのだが、この読む作業がヒジョーにつまらんのである。英語で書かれた法律の話。いや、日本語で書かれていても5秒でうつらうつら来るだろう。読んだら死ぬ!とまで言い切れるほど眠くなる。

で、どうするかというと机から離れるに限る。お茶を入れに行ったり、顔を洗ったり、歩くのが効くような気がする。眠り欲の頂点は2時半ごろか。それからはだんだんまともになってゆき、さぁ、がんばるぞ!となったころには5時である。世の中とはあまりうまくいかないもんであるとしみじみ思う。

やる気にあふれた私は会社を出るとちょっと遠回りして公園の中を抜けるルートを取る。散歩中の犬を眺めたり、バラ園でゆっくりこいだり、のんびりたのしい。それから、気分に応じて99ショップや、アウトドアの店、酒屋、魚屋などに寄ったりして、夕焼けを見てから家に帰るのだ。

家に帰るとこれまたやる気十分で、昨日はバナナブレッドまで焼いてしまった。今日は食後に大量のアイロンがけ。この活力をぜひ仕事に生かしたいものである。そうすればきっともっと真人間になれそうな気がするのだが。


2004年05月10日(月) 大掃除の極意

日曜日は天気が悪かったのでパソコン部屋の掃除をした。やることは床からモノをどかすこと。これに尽きる。

古雑誌をくくり、印刷に失敗した紙をリサイクル箱に入れ、家計簿に記入し終わったレシートをゴミバコに入れ、苦節半日。やっと部屋は歩いてもつまづかないようになった。

パソコン関係の片づけをするといつも感じるのだが、ソフトの箱や、パソコンの箱、雑誌の付録のディスク類はどういうタイミングで捨てるべきなのだろうか。いらんやろうと思いつつも、箱は何かを送るときに使えそうだし、大昔のフロッピーディスクだってフォーマットすれば使えるし、と思うとなかなか捨てられない。が、そんなことを言っているとゴミ屋敷必死なので、いつかは捨てないといけないのだろうが。

今回、痛感したのが「掃除中に雑誌類や、写真に見入ってはいけない。」ということだ。大昔の雑誌やら、旅行に行った時に撮影して現像したっきりあんまり見ていない写真、それに大昔のCD。そんなものに気を取られて半日もかかってしまったのだ。とほほ。

何だかんだで部屋は妙にすっきりしてしまった。結局出したモノを戻さない、横のモノを縦にもしないのが問題だったようである。まだ交換していない当たりの宝くじ(100円&300円)も発掘できたし、まぁよかった。

問題はくくった古雑誌をどうやってマンションのリサイクル置き場に持っていくかである。雑誌3種類が4年分…。


2004年05月09日(日) 正しさの意味

部屋の片づけをしながら、「情熱大陸」→「世界遺産」を続けて見た。「世界遺産」ではレッドウッドの森をアメリカの高度成長期にばっさばっさと切り倒していたが、今はその尊さに気づき、保存に力を入れているようなことを言っていた。一本の大木から20軒家が建ち、その幹は水に浸っても腐敗しないらしい。

その時は正しいと思ってやるけども、後に、やっぱ間違ってました。アハハハハ!という感じで手のひらを返したように反対のことをする。何だかとてもアメリカンな感じがした。多分、今やっていることだって、私がババアになるころには「2004年当時、アメリカ合衆国は民主主義という名の下に…」というように批判されているような気がする。

国家と個人というのはどういう関係なのだろうか?一昨年、カヌーつながりでカリフォルニアに住むカヌー好きの人を訪ねた。行ってみると小綺麗な家に大きなガレージ。ガレージの中には車に、バイクにカヌーにと、ちょぼくさいウサギ小屋にごっつい家賃を払ってモノを押し込んでいる日本人にはよだれものだった。彼らはドイツから移民してきたとのことで、いわゆるアメリカンな感じはしない。家のインテリアもドイツ風、食事もドイツ風なようで招かれた私たちは、彼らがドイツから購入したというドイツの地ビールをふるまわれ、カリフォルニアなのにドイツ風のもてなしを受けた。そのビールは、バドワイザーやクアーズなどの水のように飲めてしまうビールとは明らかに違っていた。

話ついでに例の911テロについてさりげなく聞いてみた。すると、「あれは国家がやっていることだから。」というような感じであまり実感として何かを感じているというような雰囲気はなかった。実際にそんなものかもしれない。カリフォルニアとニューヨークはあまりにも遠く、彼らは合衆国国民でありながらも、家族内ではドイツ語で会話をしている。

「国民」っていう人は本当はいないのかもしれない。「みんな」という人がいないのと同様に。子供の時のよくある言い訳で「だってみんなやってるもん!」というと、親や先生に「みんなって誰よ?」と突っ込まれて口ごもった、そんな記憶が蘇る。

もう20年近く前のアルバムだが、ジョン・クーガー・メレンキャンプという人の「スケアクロウ」というアルバムを今日、久しぶりに聴いた。私が洋楽を聴き始めたのは中学生になったころで、そのころ買ったCDである。当時は英語なんか全然分からなかったので、多分ノリで聞いていたと思うが、今聞くと重い。「正義と独立/Justice and Independence」、「フェイスオブザネイション/Face of the Nation」など、20年前からアメリカはこういう国やったんやと思わせるものがある。

Face of the Nation より
「国家はくるくると顔を変え、どれが本当の顔なのかわからない。たくさんの人がやりきれない気持ちを抱えながら、破れた希望に言葉を失う。次はきっと今よりましさと何につけても言われるが…。」

いやー、今日は何だか真面目だなぁ。


2004年05月08日(土) 生まれ出づる悩み

先日、自分でアロハシャツを作れる本を購入した。その本はハワイのちょっとゆるめな空気が伝わってくるわくわくする本だった。あっちのビーチガール(サーフィンとか海方面の遊びが好きな女の子)は、自分の着たい服を自分で作ってしまう、それをご紹介します!という本だ。

ご丁寧に型紙も付いていて、私は半ば本当に作ろうかなぁと思いつつ読み進めていった。が、予想はしていたが、ショックを受けた。できあがりの寸法が記載されているのだが、ものによっては「Mサイズ バスト80センチ」とか書いてある。できあがりで80センチって、体そのものは75センチとかなんだろうか?いくらなんでもそんなに細くないと思うのだが。

手元にあるリーバイスのアロハの寸法を測ってみるとバスト部分は110センチくらいあった。これくらい余裕がないと風が通らなくて暑苦しいのだが、本に付いている型紙を1.4倍に拡大コピーして作ればそれでいいんだろうか?いや、多分よくない。首周りとか、袖丈は別に1.4倍でなくてもいいのでまずいだろう。

最近の洋服は同じブランドでも年々小さくなっているような気がする。気をつけして立っている時ならまだしも、日常生活では自転車に乗ることもしゃがむことも腕を上にあげることもあるのに、そういうふうに動くと、背中やら、下着やら、お腹の脇部分やらが露出してしまう。まぁ、そういうものがはみでていても、全く気にせずしゃがみ込んでいる女の子もけっこういるのでこれも時代の流れか。

日本は何でも手に入る豊かな国だと言われているが、嗜好の関わる部分に関しては選択の幅が無いに等しいと思う。流行っていないものが好きな人にはかなりつらい。ローライズのGパンが流行れば全部それ。黒の美脚パンツブームでパンツは全部ストレッチで脚のラインを意識したモノばかり。「普通のチノパン」のようなものは見かけない。

ついでに、ミニバンが流行るとそこら中ミニバンだらけになり、折りたたみ自転車が流行ると交差点はギア無しの廉価版折りたたみ自転車ばかり。小径車ほどギアは必須だと思うのだが。

音楽にしても洋楽のアルバムで店頭を飾っているのはラップ系ばかりだ。ネットラジオでいいなぁと思った曲をiTunesStoreで探して試聴していざ買う段になってレコード屋に行ってもまず見つからない。結局Amazon.co.jpで買うか、30秒の試聴でうううっと身もだえしてお茶を濁している。

そんなこんなで、ちょっとへたったアロハを着て、よたよたのジーンズを履き、昔の音楽を聴いている。みんなそんなに好きなモノが他人と一致するのかなとギモンに思いつつ。


2004年05月07日(金) 大阪脱力ホッピー物語

会社から帰ると、酒屋に電話をした。連休前に「黒ホッピー2ケース」を注文していたのだ。店員さんに電話番号を告げ、いつごろ入荷になるか確認したところ、5月に入ったらすぐに入ると思いますとのことだったのだ。

連休中は私も家にいたりいなかったりだったので、電話がかかってきたかどうかもわからない。そこで、電話いただいてたらすみません。と一言。すると脱力度満点の返事が返ってきた。

「いえ、こちらこそスミマセン。7ケース注文したんですが、2ケースしか入荷しなかったので、ちょっとお客さんとこには電話できなかったみたいですわ。今、売り場を確認したら1ケースと2本くらい残ってますけど、取りにこられます?」とのたまうではないか。

注文してるんだから入荷したら電話せーよ!といつもならちょっと憤ってみるのだが、モノは黒ホッピーである。ここで「あんたの店なんかもう行かんわ!」とでも言おうがものなら二度と黒ホッピーが手に入らなくなってしまうかもしれない。通信販売なら手にはいるけれどそれだと高いし。結局今回の注文はなかったことにして、電話を切った。

私はジャケットを着てヘルメットを持ち家を出た。連休最初の日に買い出しに出かけた店に黒ホッピーがあるのを見たからだ。しかも1本100円(税込)。ここで買ってしまおうかと思ったが、2ケースも注文しているのに、ここで買うのもあれやなぁと思い、止めておいたのだ。

ちきしょー、あんとき買っときゃ良かったやんけ!と静かにつぶやきながらカブでその店に向かう。すると黒ホッピーは店頭にあるぶんしかないという。その数7本。うわー、700円分。それをわざわざバイクで買いにくる私は一体なんなんだか。まぁ、カブだからガソリン代は20円くらいだが。それだけしか買わないのもナンなので平行モノのゴードンジンと目についたオーストラリア産のワンカップを何故か買う。

買い物に行って、目的のブツがないと何故かちょっと違う別のモノを買ってしまう。これは節約的生活においては背徳的行為だと思うが、何故かやめられない。駅のキオスクでひまつぶし用の文庫本にいいのがなかったらチェルシーヨーグルト味なんかを買ってしまったり。とにかく買わなきゃ気が済まないという意味ではちょっとビョーキなのかもしれない。

かくして我が家の冷凍庫にはホッピージョッキ、ちいさなショットグラス、ジン1本が入っており、食品はその片隅でひっそりとしている。大阪でもホッピーがもっとポピュラーになればいいのになぁと思いつつ、凍ったショットグラスに凍りかけでどろっとしたジンを注ぎ、ぎゅっと飲んだ。


2004年05月05日(水) 青空に導かれて読書

青空に導かれて、私は颯爽と自転車をこぎ出した、とでも書くことができればいいのだが、現実は青空に導かれて洗濯をした。それもたんまりと。外出&嵐でろくに洗濯をしていなかったのである。

よたよたと洗濯物を干し終えると今度はパソコンを起動して各種作業に取りかかる。久しぶりにサイトを更新したりして。ついでに書こう書こうと思っていて放置していたネタを書き留める。昼からやっと外出できそうな気配だ。

カブで堂島アバンザのジュンク堂へ向かった。特に用事があったわけではないが、旅に飢えていたので。旅に出ればいいんだけれど、明日会社に行ったら魔のように忙しいのが分かっているので、体力を温存しておくのだ。ということでいろんな本を見てまわることにした。

ワンボックスカーに原付スクーターを積み込んで日本一周をしているおじさんの本にちょっと感動しつつ、折りたたみ自転車の本にわくわくする。先日階段から落っこちてからというもの、自転車を持って階段を上るのがちょっと怖くなってしまい、していない。でも、折りたたみ自転車ならサイズが小さいので大丈夫な気がする。これを新幹線に積んで東京とか行ってみたいなぁ。

結局アロハシャツを作る本と、とある料理人のエッセイを買った。全然旅とは関係ないけれど。その料理人のエッセイ本がかなりツボにはまって面白い。好き嫌いはあるとは思うが私は好みだった。朝から冷やしかき揚げうどんとカレーライスを食べる話ってそれだけで楽しい。包丁についての本も探していたのだが、結局良さそうなのは見つからなかった。

何故包丁かというと、最近巻き寿司作りに凝っているからなのだ。切れない包丁だと上手に巻き寿司が切れない。ということで研いでみたわけだが、私が持っているのはステンレスの両刃の洋包丁、一般的な研ぎ方の指南書というのは鋼の片刃包丁。ということで研ぐことは可能なんだけれども…といった感じで思うような切れ味にはなっていない。

目下、欲しいものは鋼のちゃんとした包丁と折りたたみ自転車。もちろんiPodや食器洗い乾燥機もいいけれど、どっかそれより先に何かがつながってそうなモノに今は惹かれてしまう。よく切れる包丁でナイスな巻き寿司、折りたたみ自転車で知らない土地でも地元気分。何だか楽しげだと思う。

2冊の本を抱えてビルのとなりのカフェでコーヒーとビーフシチューパンなるものを購入して長い木のベンチに腰掛ける。エッセイ本を開いてコーヒーを口にするとまもなくすずめがちょこちょことやってきた。私はパンくずを投げてみた。するとすずめはチョンチョンと小さく跳ねながらパンくずを取りに来る。座っているベンチのすぐ横に置いてみた。まだ来る。だいぶ人に慣れているようだ。手におおきめのパンくずを持ってみた。すると、手からパンをついばむではないか。うう、かわいい…。

結局ビーフシチューの部分は食べたけれど、パンの部分はほとんどすずめ達にあげてしまった。現金なすずめはパンが無くなったことを知ると、どっかに行ってしまった。うーん、カワイイ顔してドライなのねとつぶやいてみる。あなどれない。

かくして連休最後の日は何となく過ぎていったのだった。


2004年05月04日(火) しょぼい連休

ゴールデンウィークだが、今年はどうも気合いが入らなかった。

当初の予定では愛知県のだんなさんの家を拠点に伊豆あたりにカヤックを持っていって遊ぼうかと思っていたのだが、先週、だんなさんの住むアパートが火事になりだんなさんはホテル暮らしになってしまった。

ついでにクルマも修理の見積もりは50万円ほどに。ボンネット周りのプラスチック部分が派手に溶けている。何だか痛々しい。

そんなこんなで大阪をベースにせざるを得なくなり、31日早朝、満身創痍のクルマで潮岬に向かって出発した。渋滞を避けるために高速を使う。すると予想外に早く着いてしまってヒマをもてあましてしまう。なので早々に七輪に炭を入れ食事にする。

するとだんだん風が強くなってきた。向かいのテントはフライシートが張れずに四苦八苦している。風速5mくらいか。結局七輪は早々に火を落とし、テント内にそそくさと引っ込み、21時頃に寝てしまった。

夜中、風の音で何度か目が覚めたが6時過ぎに起きた。外は相変わらずの風で灰色の空。どちらともなく帰ろうということになり、速攻で撤収して帰路につく。いやはや、一体何をしに行ったんだか。

翌日も、そして今日も風が強く自転車でのんびりポタリングをしようかと思っていたがまるっきりやる気が出ずに何もせず過ぎていった。

明日こそはやる気のでる天気だといいのだが…。


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