日々是迷々之記
目次


2003年12月31日(水) 年末年始食べまくりの記

年末年始をだんなさんの出張先で過ごした私は何をしていたかというと、飲酒、飲食、スキー。それだけであった。5日もあったのにそれだけなんである。ということで12月31日から1月4日までをまとめて記そうと思う。

12月31日
昼過ぎに現地へ到着。肩すかしなほどに普通列車は空いていて、18切符でお得気分満喫だ。早速昼食。回転寿司の「プラザ丸忠」へ。ここは何と100円均一でも食べ放題でもない。一皿380円とかだったらどうしようとエビのように腰が引けたが意を決して入る。結果、大満足。ねたがでかいのと、巻物の分量が多いのと、かに汁(220円)がうまかったのだ。二人で2560円なら「あきんど」や「くら寿司」とあんまり変わらない。併設の巨大スーパーで買い物ををして、アパートに帰る。メニューは唐揚げ(大阪から持参)とかぶらの漬け物(これも大阪から)、野菜サラダ、中華のオードブルセットなどなど。酒は何と雪中梅(日本酒)、海童(焼酎)、瑞泉(泡盛)がいずれも一升瓶で床に置いてある。ビールはモルツスーパープレミアムを一本づつ。ボブサップが曙を倒したところまでは記憶があるが、その後は記憶が曖昧だ。が、しかし、しっかりと年越し蕎麦を食べてから寝たようだ。

1月1日
目覚めると強烈な腹痛だった。原因は分かっている。冷えだ。だんなさんの家にフトンは一組しかない。私はキャンプ用のマットに空気を入れてその上に寝ていたのだが、パジャマからハラが出てしまい、なおかつ寝返りをうったときにマットからはみ出し、ハラが木の床に設置。瞬間的に「冷たい!」と思いつつも眠いのでそのまま寝てしまったのである。と言うわけで朝から胃腸の中で、お坊さんがガンガン鐘を鳴らしつつ、ラップのリズムでヘイチェケラッチョ!というかんじであった。私はフトンから出ることもままならず、昼までフトンにくるまったまま「こち亀」のマンガを読みつつぼんやりしていた。

傍らでだんなさんがお雑煮を作っている。鶏ガラと昆布、鰹のだしに、鴨と大根、三つ葉、焼き餅を入れる。人生で一番うまいお雑煮だと思ったので、「将来は雑煮屋をやるのもいいねぇ。」と言うと、「…その店って雑煮しかないの?」と聞き返された。海苔で巻いた餅もあっても良いと思った。雑煮を食べると元気になったので散歩に出た。街が空いていて気持ちが良い。変な名前の店があったので、いちいち指摘すると、「そんなの気が付かなかった。」と言われた。「たこ焼きポニーテール」「磯ラーメン」とか私は目がいってしまうのだが。

散歩をしていると元気になってきたので夕食は近所の韓国料理屋「柳キムチ」へ。ここでは豚足、海苔巻き、豆腐サラダ、ソルロンタン(牛骨スープくずきり入り)、そして、壺入りのマッコリを注文した。マッコリはいわゆる濁り酒でここのモノは食事に合うちょっと辛口のものだった。向こう式の湯飲みで10杯以上あった。小皿のナムルもどんどん出てくるしで、もう朝にお腹の中でぼんさんが暴れ狂っていたことを忘れて飲み食いしまくってしまった。結局3時間も飲食してしまい、帰りにコンビニでホームランバーを買って帰った。

1月2日
今日は正月らしくおせちを食べた。初めて食べたが鯛のかまぼこはうまかった。そしてビール、日本酒、焼酎といつものペース。さすがに昼過ぎになってしんどくなってきたので、明日のスキーの準備をしてから仮眠した。

夕方クルマで出発して道の駅併設の「どんぐりの湯」という温泉に向かった。そこでこないだも行った「山武き(きは七が三つなのだがATOKで出て来ず)」が開いていたので温泉に入る前に食事にした。私は「とろろ御膳」ダンナさんは「あまごの塩焼御膳」これがうますぎた。クルマだってのに熱燗を2本。とろろは自然薯。ご飯はミネアサヒの新米でおかわりし放題。茶碗蒸しにはムカゴに名古屋コーチンまで入っている。あまごはでっかくて、きのこの赤だしはサイコーだった。ということで私はオロカにもどんぶり2杯のご飯を食べ、ふらふらしながら温泉に入った。

ダンナさんは酒を抜くためにサウナに10分以上入り続けたそうだ。わたしが露天風呂でうつろな目をしていたころにごくろうさんだと思った。そこからは「きそふくしまスキー場」に向けて走った。

1月3日
昨晩は9時過ぎにスキー場の駐車場に着いてしまい。軽く焼酎を飲んで、途中のコンビニで購入したつまみを食べつつクルマの中で寝た。しかし、最近のコンビニは生ハムや、クリームチーズを売っているのにびっくりした。

朝起きるとうっすら雪が降っている。それほど混んでないしサイコーの気分だった。が、気分はサイコー、スキーはトホホであった。私は今日でスキーをやるのが人生で5回目。20歳の時に1回。その後スノボに転向して3年でケガしてやめ。その後ブランクがあって去年いきなり3回行ったのである。ということでそこいらの幼児レベルの滑りである。ほらよくいるでしょう。ガニマタ直滑降でやたらと早い子供が。アノ滑りしか出来ないのである。が、私は30過ぎの女である。滑っている本人は気持ちが良いが、はたから見るとお笑いらしい。こけて立とうともがいていたら大汗かくし。筋肉痛であっという間に夕方を迎え、クルマで出発した。

が、国道19号線が事故で大渋滞。私たちは朝にパンを食べたきりだったので、殺気を感じるほどに空腹だった。渋滞から抜け出した午後6時半。無言で「とん太ラーメン」にクルマを寄せた。

そこでは瓶ビール、おつまみチャーシュー(ゆがいたもやしとチャーシューにニンニク醤油がかかっている)と餃子で小腹を押さえて、だんなさんは味噌ネギラーメンと大ライス、わたしはとん太ラーメンと普通ライスを食べた。お勘定は2780円。ラーメン屋でこれだけ食べたのは初めてである。食い過ぎ?家に帰っても全然お腹は減らず、焼酎を飲んで寝てしまった。

1月4日
今日は大阪に帰る日である。やることはお金の精算と掃除、スキーの手入れであった。お金の精算はめんどくさいのでいっしょくたにして、「正月の飲食10000円」とかメモしておいた。つじつまあわせが大変そうだけど、めんどくさいのでしょうがない。昼頃、駅まで送ってもらい、行きと同じで18切符で帰った。家に帰ると、年賀状をチェックしてから、会社の近所のスーパーへ買い物に行った。お正月の残り物ゲットに燃えていたのだ。結果、ニシンの北海漬などを購入し、帰りにさぬきうどんの「麦まる」できつねうどん300円を食べて帰った。

と言う感じでよく食べ、よく飲んだ正月だった。しかし年々正月らしさが薄れてゆく。子供の時は、洋服を新調したり、髪の毛をカットしたり、していた記憶があるが遠い昔のような気すらする。

それでは今年もよろしくです。


2003年12月30日(火) 静かな一日

目が覚めると電気はつきっぱなし、おなかの上には読みかけのパタリロのコミックスが乗っかっていた。まだ4時だった。たいしたことはやっていないのに、フトンに入るとすぐに寝てしまう。電気を消してもう一度寝た。

今度起きると8時だった。私は洗濯機をまわしつつ、ゴミ出しをして、今日やるべきことをぼんやりと考えた。まず通帳の書き込みと家計簿のつじつま合わせ。これは一週間以上ほったらかしていたので狂っている可能性大だ。気が重い。

次に明日から愛知県に行くことになったのでその準備。今回は休みが長いのでカブで行こうかとも思ったが、滋賀の関ヶ原か、三重の青山高原近辺のどちらかの積雪地帯を越えなきゃいけないので今回はパス。カブどころか、バイクなんてとんでもないらしい。そう言われるとよけいと行きたくなるのがちょっと複雑だ。

後は懸案の部屋の掃除。本当なら窓ふきとか、換気扇の掃除とかそういうことまでやらなければいけないようだが、私の場合は、古本を捨てるとか、空き瓶をリサイクルに出すとか、そういうレベルからやらなければならない。いかに平日何もやってないかということだ。

あとはカブのオイル交換。本来なら3000km走行ごとでいいようだが、結構とばしてることが多いので、まめに替えることを勧められた。ということで2000キロちょい走ったところで交換だ。

まず、オイル交換からとりかかった。小さなプラスチックの入れ物で古いオイルを受け、古いオイルが抜けきったら、栓をして上から新しいオイルを入れる。たったそれだけのことなんだが、知らない人にはたいそうに見えるようで、知らないおばさんに「アラ、えらいわね。」などと言われて困惑してしまう。

次にオイルをリフレッシュしたカブで青春18切符を買いに行った。この18切符とは5枚綴りで11500円で販売されており、一枚で最大24時間JRの普通列車が乗り放題という一見お得な切符である。私は中学生くらいのときにこの切符を知ってしまい、それから自腹では一切特急や急行に乗らないというとんでもないドケチになってしまった。

大阪から四国の高松に行ってうどんを食べ歩いて、帰りに神戸の中華街で中華を食べ倒して帰ってくるなんてもの可能で、今まで何度も行っている。往復の交通費だけなら2300円で済むのだ。が、それなりにつらいのも確かで、高松までふつうに5時間くらいかかる。「将来ビッグになったら特急乗ったるねん。」と何度思ったことか。(そういうこと考えてるからビッグへの道はほど遠いような気がするが。)

話はそれたがこの切符で愛知県へ行くのだ。この路線は比較的本数が多く、しかも110キロをたった81分で駆け抜ける鬼のような普通列車「新快速長浜行き」が使えるので全行程240キロあまりが4時間程度で行けるのだ。

この切符を買いにJRの駅へ向かった。帰り道に商店街をうろうろし、激安のターボドライヤーがあったので購入。旦那さんへのおみやげなのだ。愛知県は大阪と比べると物価が異常に高い感じがする。「カップヌードルが100円」って高いと思ってしまうのはおかしいだろうか?行くところへ行けば、メジャーなインスタントラーメンが29円で売っているのが大阪という町なのだ。(なんかアジアのどっかの国みたいな物価だなぁと思うこともしばしばあるし)

家に帰るともう夕方だ。もう今年は乗らないだろうカブにごくろうさんでした。来年もよろしくと、声をかけ、部屋にあがった。パソコンを起動して家計簿のつじつま合わせなどをやる。しかし、この家計簿というのは本当のところ意味があるのかわからない。確かにお金の流れを知ることが出来るという意味では優れているのかもしれないが、流れが理解できていなくても、払うモノは払わないといけないし、なくなったら使えないのは変わらない。

家計簿をつけ始めてから、「運命の分かれ道」みたいなことをよく考えるようになった。たとえば、ここでエビスビール220円を買うのと特売の極生108円を買うのとこれから先どんな違いがあるのか考えてしまう。その差額が積み重なればゴージャスな車に乗れたり、家を買ったり出来るのだろうか?

主婦雑誌的切り口では「そういう積み重ねがお金を残す。」という考え方のようだが、わたしにはよくわからない。頭がバクハツしそうなときに、食事もせず、冷えた発泡酒をゴキュっと飲み、ばさっと焼酎を飲んで寝てしまいたいこともあるし、今日はいいお魚が手に入ったからたたきにして、残りのすり身で鍋をしてと、わくわくしているときは、モルツかエビスが買いたくなる。そう考えるとそれぞれ意味のある選択のようにも思えるのだが、こういう甘さがいまいちお金が貯まらない原因かもしれない。

私は釈然としないまま家計簿をつけ終わった。相変わらず「副食費」(おかずやおかしのこと。食費全体からお米などの主食を引いた項目)と「酒代」が激しいデッドヒートを繰り広げている。毎月ほぼ同額なのだ。

さて、と一段落ついたところでホームページのトップの画像を何かに替えようかと思ったが止めた。最近はこういう自分が望んでやる作業にとりかかると、とりつかれたように没頭してしまうようになってしまった。年賀状を作ったときも1パターンしか要らないのに、ごはんも食べずに10時間くらいマックにへばりついて3パターンくらい作って、厚紙に印刷してはニヒニヒとうすら笑いを浮かべてしまった。なので画像いじりみたいな楽しい作業だと、気がついたら朝でしたとうのも十分ありえる訳で今日は止めておいた。

そんなこんなで本年最後の日記はとりとめもなく、意味もなく、ただだらだらと長いだけでした。読んでくださった皆様、来年もお暇なときにお立ち寄りくださればうれしいです。

よいお年を。


2003年12月29日(月) もちがまずい/映画を見た

今日は夕方から年末用の買い物に行った。といって正月はだんなさんの家にゆくので、ちょっとした正月気分を味わうモノを買うだけだ。

まず、近所の食料品店へ行き、するめの足のみともちを購入。ここは昔ながらの食料品店で、売っている品物も昔風だ。するめの足は10パイ分で250円。もちは1キロ280円。何か安すぎるなぁと思いつつ、餅屋で買うと1キロ1000円くらいしてしまうのでまぁいいやと購入。りんごや、みかんを別の店で買い家に帰った。本当なら野菜類も欲しかったのだが、年末相場で異常に高い。

家に帰ってからツタヤにビデオを借りに行った。借りたのは「ストレイトストーリー」という作品。アメリカの片田舎が舞台で、体の弱りかけたじいさんが、600キロ離れた土地に住む、これまた体の弱った兄さんに会いに行くという話。目が悪くて、免許を持っていないじいさんは、トラクター(作品中では乗用草刈り機だったけど。)に乗ってそこを目指す、いわゆるロードムービーだ。

これがめちゃくちゃよかった。わたしも将来はこのじいさんのようにゆっくりとベタな旅がしてみたいと思った。途中でトラクターが壊れたり、家出中の妊娠少女と野宿したり、いろんな人との出会いがあるのだが、年齢を積むことの良さのようなものを感じた。大金は持っていないが、たかるわけでもなく、かといって意地を張って周りの人間によけいと気を遣わせるようなことはない。こういうじいさんってかっこいいなぁ。

映画が終わって小腹が空いたので早速もちを焼いた。砂糖醤油に浸して、海苔を巻く。うん、何だかうまくない。率直に言ってまずいのだ。水っぽくて妙に柔らかい。袋を見ると「餅米50%、餅粉50%」とある。これはもちというより餅と白玉だんごのあいのこのようなものであることが判明。

フランスとかでは「フランスパン」として売るにはたくさんの決まりがあると何かのテレビで見たことがある。それなら日本も「もち」として売るなら餅米100%と水のみしか使ってはいけないとか決めて欲しい。一体どうすればいいのか、この水っぽい餅を。安物買いの銭失いとはまさにこのことである。「近所に安い店がない。」と言って「生協のきねつき餅」などという高級品を食べているというだんなさんが今ほどにくいと思ったことはない。値段3倍くらいするらしいけど。

ということで年の瀬はこんなふうにショボく暮れてゆきそうである。とほほ。


2003年12月28日(日) 何だかテレビがうっとうしいんですが

会社も終わり、テレビを見る時間が増えた。が、テレビを見ると何だか不愉快なんである。

まず、歌番組。なんかよくわからない集団が楽しそうに画面の中で暴れてるのが目立つ。ラップ風に韻を踏んでいるが、全体で意味を成してないの、こいつら一体何が言いたいねんと感じてしまう。あとおきまりのモーニング娘系の人たち。「派手に行くべ!」ってハイハイどうぞとしか思えない。ついでにこのヒラメちゃん似の人は紅白歌合戦で「オリビアを聴きながら」を歌うらしい。何でもオーディションの時に歌った思い出の曲なんだそうな。

紅白は「夜もヒッパレ」ではない。とりあえず、自分のアルバムに入ってる曲を歌えよと思う。

次にテレビCMがやたらとうっとうしい。年末恒例どんべぇCMは年々その鼻につき度が高くなっていると思う。だいたい「どんべぇ」なんか定番なんだからCMなんかしなくていいと思うのだが。

武田鉄矢も雨上がりも何だかなぁと思ったが、今年の女は最強だ。目つきも悪いし食べ物のCMに出るようなタマじゃないと感じる。この女は「損保ジャパン」「ザ・テレビジョン」のCMにも出ているようだが、まさにマーケティング先導で選ばれたのだろう。芸もないし、はやりのモテる顔なだけである。(美人とかかわいいというわけではない。)ジャスコのティーン向け衣料品売り場に並んでいる安物のペラペラ服を着て、マクドでブタみたいにふくらんだプリクラ手帳をテーブルの上に置きながら、ケバイ携帯電話でメールを打つが、財布はルイビトンみたいなタイプだ。

まぁ、そういうファン層に受ける人なんだろうからそれはそれでいいんだろうけど。私のような流行モノにきゃーきゃー言う世代をとっくに超えた人間からしたら滑稽に見えてしまう。

CMといえばAUのアレもどうにかして欲しい。茶室で着信音は平井堅だろうが何だろうがマナー違反だろう。それに松下由樹にああいう役をやらせるってのはちょっとアレじゃあないだろうか?30歳以上の女性には割とあの人は人気があると思うのだが。仲間由紀恵が第三世代で、松下由樹が時代遅れってあんたそりゃやりすぎだよ。松下由樹じゃなくて泉ピン子とか柴田理恵系の汚れキャラな人にしときゃよかったのに。

ドコモの「無料通話が持ち越し出来るから、彼氏に振られても大丈夫。」とか、ボーダフォンのテレビとかデジカメとかの機能ばかりを押し出したCMもうざいが、その中でもAUはまじめというようなイメージを持っていた。が、これである。ちょっとくらい新規加入者数が増えたからって調子に乗るのもいかがなもんか。ツーカーにはつぶれないようにがんばって欲しいものである。(@ツーカーユーザー)

んで、ごたくもこれで最後だが、こないだの「ねるとんクリスマススペシャル」を見ての感想だ。半分くらいまでこれに出ている人が有名人だとわからなかったのは私がおかしいのだろうか?マギー審司、高見盛、さとう珠緒、くらいは芸能人というか、有名人であることはわかったが、その他は一体誰なのさ?と思ってしまった。M字開脚が売りの女はハンパじゃなく肌が荒れて、張りがないのでそこいらのねーちゃんかと思ったくらいだ。(だいたい、M字開脚が売りってどんなんだ?)

ということで私はビデオを借りてきた。年末はテレビガイドでチェックした番組だけを見て、その他はビデオやDVDを見るつもりだ。その方がココロ安らかに過ごせそうな気がするがどんなもんだろうか。


2003年12月26日(金) 仕事納めの最後っ屁

朝から電話対応に追われつつ、佐川急便のにいちゃんを待っていた。先日ついにBフレッツ対応のルーターを通販で購入したのだ。

思い起こせば12月18日。我が社にBフレッツが導入されてから、ネットにつなぐ人間がLANケーブルをBフレッツのモデムに差し込むというものすごくアナログな方法でネットにアクセスしていたのだ。何度か専務は買いに行ったがそのたんびに、「雨でクルマを置くところがなかった。」とか、「ヨドバシ梅田にはなかった。」とかいろんな理由で手に入れることは出来なかった。

しびれを切らした私が、昨日、「ネット通販で購入すること。」を必死にプレゼンしてその場で注文するのにこぎ着けたのである。

なんか、めちゃくちゃ保守的なもんで、会社創立以来、通販での買い物はアスクル(文房具)以外初めてなんだそうな。領収書を会社の名前で発行してもらえるのかとか、いろいろと心配だそうだけど、一番心配なのは「安すぎるし、送料無料って、それって怪しい店なんじゃないの?」ということらしい。

私は押し切って強引にやっても良かったけど、店舗を持たないで営業することで、どれだけ経費がかからないかを説明した。どうも社長を初めとする会社の人たちは「店舗を持たない=それだけの力量がない」と考えていたようだ。…古いよ。

何だかんだで昨日25日の13時50分に注文をし、17時過ぎに発送完了のメールが来た。配達は26日の午前中指定だったが、佐川のにいちゃんてんてこまいで26日の13時過ぎにルーターは到着した。代引きでもちろん社名の領収書ももらえるし、早いしで、みんなびっくりしていた。

セットアップは簡単で、ファイヤーウォールの設定はややこしいが、とりあえず基本的な設定だけならマニュアルどおりでいいので10分くらいで完了した。みんな感動の嵐だった。とにかく当たり前だけど早いのだ。ルーター無しで80Mbps、ルーターを入れても50Mbpsは出ているように感じた。フレッツISDNからしたらものすごく早いのだ。(当たり前?)

で、次なる目標はルータに付いているIP電話機能をみんなに納得させて導入することだ。マイラインさえ何も登録していない会社なので、電話代は劇的に減ると思われる。が、IP電話だと携帯にかけたときに、番号が出ないのがネックらしい。んー、どうにかならんだろうか。社内の人間に関しては「番号が出なかったら会社から。」って思ってくれればいいと思うんだけど。小さな会社なんだから、出るところをきっちり締めないと、なんぼ儲かってもじゃじゃ漏れだとどうにもならないのに。

と、こんな感じで週明けの月曜日29日はルーターを導入したので模様替えと30日は大掃除。そうやって私の中で年末はくれてゆくはずだった。しかし、社長は大胆な一言を言い放った。

「あ、なおぞうさん、どうもご苦労様。今年はもうええわ。月曜日は内輪で掃除だけやから。年始も5日は挨拶だけだから仕事ないし。6日から出勤でかめへんで。」とのこと。

…。それだったら今日からスキーに行くんやったのに。ダンナさんは今日から休みなので夕方から新潟に行ってしまった。私が休みだったら今日の夜中に愛知へ行けば一緒に行けたのに。うがー!

確かに直接社長に「年末年始の休みはいつからいつまでですか?」と確認を取ったわけではなかったが、例年30日が大掃除で31日と三が日は休みとのことを専務や、経理のねぇさんから聞いており、お客さんからの問い合わせにもそう答えていた。なのに何なのさと言う感じである。

専務や、経理のねぇさんも聞かされていなかったようで、「え?お得意さんたちに30日までは出社してますよって言ってますけど?」と言った。が、どうせモノは動かせないんやから、休んだらええねん、わしも出張続きでちょっと疲れたし…とあっさりと言い放った。

…。家族経営の会社ってこんなもんだろうか。ついでだから言うが年始の5日にしても一族の交歓会とでもいうのだろうか?社長と奥さん、専務とヨメと子供達などが、晴れ着を着て会社に集まって宴会をするらしい。そこにお得意さんたちが挨拶をしにくるとのことだ。それって全然会社じゃないじゃんと思ってしまうのは私だけだろうか?

まぁ、今どき給料は現金手渡し、しかも全てピン札という会社なので何もかも体制が古いってことなんだろうけど。ちなみに社長は皮の長財布にいつもピン札で10万円入れている。外出から帰ってくると経理のねぇさんが財布をチェックして小銭を出し、おつりなどで返ってきた折り目の付いた札をピン札に換えているのだ。めんどくさー。

私はそういう習慣にどういう意味があるのかわからない。極道の人とかだったら見栄張ってナンボだろうけど、普通の会社じゃあんまり意味がないのではないか?誰も他人の財布の中身なんか見ていないと思うが。ピン札なんて一枚一枚出しにくいし、余計とめんどくさいと私は思ってしまう。

とまぁ、話は逸れたが、この会社はこんなふうで私は意味無く疲れている。そして、こんなふうに私のさえない会社生活は年の瀬を迎えたわけである。来年はぜひ別の会社で年末を迎えたいものである。


2003年12月24日(水) 息づまり

年末とは思えないほどぽかぽかとした昼下がり、オババは突然やってきた。今日は社長と専務は一日出張。社長夫人がせこせこと大掃除の前哨戦のようなことをやっていた時だ。まぁ、ほこりっぽいのは分かるけど、観葉植物をボロぞうきんで水ぶきしたり、ああ、忙しい忙しいと独り言を言いながらどかどか歩き回るのは止めて欲しかった。

そこにもひとつ輪をかけたようなオババがやってきたのだ。話から推測するに社長のお兄さんの奥さんらしい。で、息子は30代後半で未婚。大手ゼネコン勤務だが、父親のコネがなければとても就職できなかったほど、道楽三昧のボンボンだったらしい。別にそんな情報知りたくないが、オババ達の声が大きすぎてまる聞こえなんである。

しかし、オバサンはいろんな側面で他人より優位に立ちたがる。例えば、「私は北海道の出身だから、美味しい鮭を知っている。いくら大阪で高価なモノをいただいたとしても、舌が肥えているので美味しいとは思えない。」「北海道では天然の無着色のたらこを生で食べるのが当たり前だと思ってたけど、大阪では焼いて食べるのでびっくりした。まぁ、焼かなきゃ食べられないレベルよね…。」そんな会話をエンドレスで楽しそうに交わしている。例の息子についてすら、猫なで声で「コーちゃんはお仕事忙しいから、私がしっかり相手のお嬢さんを捜してあげなきゃいけないのよ。」とかのたまっている。自分で探させろ。

こんな話を私の真後ろで3時間もされてたまったもんじゃなかった。全然仕事が進まなかったです。ハイ。

やっと5時前になりババァ達は帰ったが、わたしは残業覚悟で書類を作る。私の向かいに座っている経理のねぇさんも仕事が残っているようでもくもくとやっている。

私は、ふと、「コーちゃんってどんな人か会ったことあります?」と聞いてみた。するとねぇさんはニヤリと笑って、「(アラレちゃんに出てくる)ドクターマシリトと小泉首相を足しっぱなしにして、12時間眠らせて思っくそ寝ぐせつけたような男やで。」と言った。どんな男やねんと思いつつ私はヒーヒーと笑ってしまった。39歳マシリト寝ぐせ男と天然たらこ生食命オババ。そんな家族に嫁入りする人なんているんだろうか?

そんなこんなでやっとこさ仕事を終えたのは6時を回っていた。世間はクリスマスイブだっちゅうのに、何かぱっとしない。私は家に帰るなりビールを飲みながらまんがを読み、ゴハンも食べずに寝てしまった。


2003年12月21日(日) 零細企業事件簿・誘拐と臓器売買疑惑

先日に引き続き小さな事件をご紹介しようと思う。

ある日、社長婦人が聞いて、聞いてと話しかけてきた。
なんでもユニバーサルスタジオジャパンに行かないほうがいいという話であった。どういうことかというと「子捕り」(いわゆる人さらい)が多いとのこと。状況はこんなかんじ。

「近所の奥さんのお孫さんが行ってる幼稚園の友達のお母さんから聞いた話やねんけど、USJでさらわれそうになったんやて。娘さんがトイレ行きたいいうから、行っといでって行かせたんやて。そしたら戻ってけーへんねん。友達一家と3家族合同で行っとったから、家族ごとに3つの出入り口に分かれて、出口に娘さんが来ないかどうか待っといたんやて。そしたらな、その子のお母さんが待ってる出入り口にな、お父さんとお母さんと思われる男女に抱えられるようにして、ざんぎり頭の女の子が出てきたんやて。待ってたお母さんは直感で「あの子や!」ってわかったからそこで止めたんやて。」

ふむふむ、それで。

「でな、そこからや。確かにその女の子は娘やったんやけど、髪の毛切られて、服も着替えさせられて、薬かなんかでぐったりさされとったらしいねん。
で、USJの人に「警察呼んでください。」って言ったら、奥の部屋に連れて行かれて、風評が悪くなるからどうぞそれだけは勘弁してください。って言われて100万円を口止め料としてもらったんやて。」

ほうほう。

「後で幼稚園の仲良しのお母さんと話してみたら、USJでは某国とつながりがあって、栄養状態のよい日本の子供をさらって大阪湾に停泊した船の中で臓器を取り出して臓器売買に利用してるねんて。臓器抜いたら残りは大阪湾にセメント漬けにして放りこんでるらしいわ。そんでも騒ぎにならへんのは、ややこしい国が相手やからUSJと警察で結託してるかららしいわ。」

んなアホな。と、思いつつも相手は社長夫人なのではぁ、それは怖いですねと
適当に相槌を打っていた。するとその話を聞いていた専務もさすがにアホらしと思ったようで、いきなり2ちゃんねるを検索しだした。

すると、「USJ 誘拐 臓器」でずばり出てきたのでびっくり。いわゆる都市伝説だったようだ。USJ側も相手にしていないようで、そういう問い合わせがあったら、どこの誰からそういう話を聞いたのかと尋ねるそうだ。すると、子供の友達のお母さんの知り合いとか、マンションのうわさでとか、そんな程度で結局出所はわからないらしい。まぁ、USJもえらい迷惑だろう。

今までもこの手のうわさはいろいろあったわけだが、ネットのおかげでうわさの広まる速度は異常に早い気がする。ネットのニュースで夕方見た記事が、翌朝の朝刊にも載ってなかったりするわけで。

そんな中でうわさを鵜呑みにして、人に言いまくると思わぬ醜態をさらしてしまいそうだ。先日の偽札疑惑にしても、ちょっと調べれば裏づけに足るソースは見つかるだろうに。まぁ、そのソース自体の信憑性をどこまで信じるかという問題はついてまわるが。

ともあれ、そんなこんなで午前中が終わっていったりする。平和な会社だ。


2003年12月20日(土) 零細企業事件簿「偽札騒動」

年末も押し迫っており、経理のねぇさんは大忙しだ。毎日銀行に行っている。今日も何に使うか知らないが、百万円単位の一万円札をおろしてきたようだ。

そのお金を帳面に付けて、封筒に分けている。その作業をしているねぇさんが、あっと小さくつぶやいた。「なおぞうさん、見てみ。これ。偽札ちゃうか?」私はねぇさんのデスクに行って見た。確かにちょっと違う。私は瞬時に「ネタになる!」と思い、とりあえず神妙な面持ちを装い、スキャンニングした。(お札ってスキャンニングしたらあかんかもしれへんけど、全体じゃないから多分大丈夫だろうとも思うのでとりあえず。)

以下、表と裏です。ものすごく小さな文字なので画像をでかくしなくてはならず、重たかったらごめんなさい。幅もでかいし。



↑10000の下の波線状の文字「NIPPON GINKO」が下のものは一本の線になっている。マイクロ文字というらしい。



↑裏も同じく左下の波線状の部分が文字のモノと線のものがある。

果たしてこれは本当に偽札なのか?

こんなことはネットで調べればすぐにわかることだが、我が社はISDN。実は光も先日開通したのだが、忙しい、忙しいが口癖の某氏が「雨でクルマを止められなかった。」とか訳のわからない理由でルーターを買ってこないので某氏のパソコンしか光接続を使えない。しかも直つなぎでファイヤーウォールはオフだ。ただの踏み台にでもどうぞなってくださいって感じだ。

これらのことは後日詳しく書くとして、とりあえず、偽札である。結局とろい回線で調べモノをするヒマもなく、私はUSBのメモリにスキャンニングした画像を入れて家に持って帰って調べた。

奇しくも我が家はADSLの接続業者を変更する日だったのでネットは使えず、やっと土曜日に開通し、ネタを調べることができた。

結果。偽札ではありませんでした。

ある程度予想してたけど、やっぱりなという感じである。100枚のうち4枚も偽札がATMから出てきたら大問題やろし。

理由は「偽札防止のために平成五年から線を文字に変えました。」とのこと。(国立印刷局)

でも、偽札や!と言ったねぇさんの気持ちも分かる気がする。家にネットもない、普通の生活をしていたら、「違う絵柄の札→偽札」を疑うのも当然の心理だと思う。もしかしたら平成五年当時、「線から文字に変わりました。」とかテレビのニュースでやったのかもしれないが、そんなもの、万人が見ているわけではないと思うし。

まぁ、ネットのねたも中にはトンデモないのもあって「事実を事実と判断する目がないと難しい」というのは事実で、やたらと鵜呑みにするとちょっとイタイ人になってしまうこともよくある。

ネタか?「偽一万円札は某国で…。」

明日は引き続き、零細企業事件簿をお送りしようと思う。(例によって、くだらない内容です。事件簿だけど事件なんか起きてないし。(^^;)


2003年12月17日(水) 雨に降られて

今日は雨の確率10%だったにもかかわらず、夕方から雷雨だった。夕方からの銀行周りはつらい。しかも修理したはずのままちゃりがまたもパンクしている。が、歩いていくと間に合わないので、ロードレーサーの方の自転車を出した。

これがまた路面が濡れていると走るのが怖い。スピードは確かに出るんだけど、止まらない。必殺靴底ブレーキで止まるのだ。私は6時5分前に滑り込み、どうにか出金に成功した。さっさと帰ろうかと思ったが、雨は止んでいる。

ついでに本屋に行ってアウトルックのマニュアル本を見にゆこうと思って走り出した。すると、突然のいなびかり。どわわ〜っと雨が降ってきた。とほほと私はつぶやきながらもしょうがないので家に帰ることにした。

が、降りすぎである。雨が。もうなんか水滴が当たると痛い。ギャグマンガのようにびしょぬれで、もう自転車に乗るどころではなくなってきた。私はずるずると自転車を引きながら家に帰ることにした。

なんかほんとにろくなもんじゃないのだ。必死こいて時間をやりくりして銀行に行けば、雨に降られるし。この自転車だって家に帰ったらオイルを差さないとさびてしまうし。

とか、ぶつぶつ言いながら歩いていると、ふと、ふわりとした柔らかい香りが鼻先にふわふわとやってきた。公園の椿の木の植え込みに、椿の花が満開なのである。風雨が強かったのにぽとりと落ちることもなく、しっかり木に咲いていたのでなんとなく大したもんだ!と思った。こういうことでもないと、この植え込みには気づかなかっただろう。いつもならバイクでびゅんと通り過ぎる道だ。

雨足は弱まってきたが、通りに人はいない。たまに車が通るくらいで、夕方ラッシュの時間とは思えない様子だった。雨でもいいことはあるもんだ。

家に帰ってシャワーを浴びた頃、やっと雨が止んだ。私はまたもあんまり空腹でないけれど、カレーを作って食べた。これが結構邪道というか、いいかげんなもんだったが、うまかったのでちょっとだけご紹介。

「やっつけ邪道カレー」
材料・ウィンナー適量/じゃがいも1個/にんじん半分/たまねぎ1個/にんにく1かけ/ブイヨン(今回は鶏はむのゆで汁)500ccくらい/カレーのルー2かけら
作り方
1.ウインナーは一口に切り、みじんぎりのニンニクとともに圧力鍋でぱりっと炒める。
2.ウィンナーを取り出した圧力鍋に4つに割ったじゃがいも、一口に切ったにんじん、適当に切ったたまねぎを入れて軽く炒め、ブイヨンを入れて蓋をして加熱する。
3.高圧で3分。火を止めて圧力が下がるのを待つ。
4.圧力が下がったらルーを入れて適当なとろみがつくまでちょっとかきまわす。
5.食べ頃になったら先のウィンナーを入れ、適当にかき混ぜる。
6.ごはんにかけて、いただきます。

全部で20分程度で出来るが、100円均一のカレーよりうまいし安い。この量で2〜3食分くらいだった。じゃがいもでとろみがつくのでルーは少なめでよいようだ。ルーを入れてからは、圧力をかけないのが唯一の注意点か。我が家の圧力鍋はとても密封性がよいようで、パスタなどちょっとでも粘性があるものを加熱すると、結構吹きこぼれる。今まで何度ガス台を外して掃除をしたものか。

雨に打たれてなんだかな〜という一日で終わりそうだったが、ウィンナーカレーはなかなかの実力者で私はちょっと満足だった。


2003年12月16日(火) 今どきの安売り

私はモノの値段に興味津々だ。わかりやすく言えば、安いモノを買うのが好きだが、好きなモノは高くてもいい。例えばウィンドウズのパソコンが30万円だとハァ?と首をかしげてしまうが、パワーブックが30万円でも安くなったなぁと思う。

が、食料品の値段というのはどうなってるんだ!と激しく感じることが多々ある。今日は帰りに隣の区のスーパーに寄った。ここは激安系だが、素材系はイマイチでお菓子、調味料などが安い。オイスターソースを切らしていたのでふらりと立ち寄ったのだ。

すると入り口右手のインスタントラーメンの棚がすごかった。とにかく特価。袋の「日清やきそば」なんて28円だし。「昔ながらの中華そば」も同じく。でも、賞味期限が切れているわけではない。キューピーマヨネーズが私の中の底値からまだ3割は安い。なんつー店だ。

これが「わらびもち5円」で冷蔵庫にも入れず通路に平積みで売っている某スーパーなら、「ああ、どっかあやしいやつだな。」とも感じるが、このスーパーに怪しさはなかった。ただ、客もレジのおばちゃんも妙に押し黙って黙々と作業をこなしてゆく。夕方に価格がダンピングされた総菜を買いあさるオババのような浮かれたところは全くない。皆、無駄口をたたかずに黙々としている。鼻ピアスの近所の高校の男子ですら、「100円未満の菓子パン全品58円」の山から、「ハムチーズロール」と「サンミー」なんかを手に静かにレジに並んでいる。

しかもここは袋をくれない。どうしても欲しかったら10円で購入するしくみだ。この仕組みはわたしも賛成だ。家が袋だらけにならないし、カバンも何も持たずに買い物に行くことはまず考えられないからだ。トートバックからサトウの切り餅がはみ出していても私は気にしない。

わたしはここでオイスターソース、「日清焼そば」、パン、「ゴールデンカレー辛口」、たらこスパゲティのもと、餅を焼くフッ素加工の網などを購入した。

餅網は愛用の布でできたバケツ型バッグに入らず、自転車のかごに入れ、がちゃがちゃと鳴らしながら渡船場へ向かった。

家に帰って買い物を整理しつつ、食事をしようとしたが余り空腹でない。昨日に引き続きなのだ。少しでも空腹になるようにと自転車で通勤したのに。

わたしはまぁいいやと、焼酎をロックにしてぐびりと飲みながら、セットアップはしてあるけれども電源の入ってないコタツにもぐりこんだ。


2003年12月15日(月) まさに迷々之日

朝から洗濯物を干し、いつもより3分だけ遅く家を出た。というのも、今まで7時59分に出勤しても会社のドアが開いてないことが多々あり、ちょうど誰かが出勤したタイミングを狙おうというわけだ。うちの会社は寒風潮風吹きすさぶ、大阪の港湾地帯のがけっぷちにある。ぼろい一軒家を改造した我が社は雨の中通勤しても鍵が閉まっていると、ヘルメットをかぶったまま雨の中突っ立って誰かがくるのを待たなければならない。それが最近苦痛だったのだ。

が、今日は専務が早く来たようで明かりが見えた。が、どっかに行っているようでドアは閉まっている。やられたって感じだ。派遣社員に鍵を渡せないのは分かるけど、待つのも給料のウチと思えということだろうか?

幸い経理のねぇさんがすぐにやってきて鍵を開けてくれた。

私はこのねぇさんがいなかったらとっくにこの会社を辞めていると思う。9時過ぎに社長が出勤してきたが、大風邪をひいているようでとてもしょぼんとしている。イヤミの一つも出ない。が、今日は倉庫で作業をする日だ。これはフォークリフトの作業がいるので社長か専務がやることになっている。社長は肩で息をしつつ、コートも脱がずにストーブの前でちいさく丸くなっている。67歳のおじいさんだ。

そこに登場したのが能天気な専務だ。当然フォークリフトの作業は専務がやるもんだと思っていたら、社長が電話しているすきを狙ったかどうか分からないが、じゃ、行ってくるわとあっさりどこかに出て行ってしまった。

昼になっても専務は戻らず、社長はコートの下にフリースのベストを着込んで倉庫へ行った。私はねぇさんと、ちょっと今日の専務は問題や、というようなことを話した。風邪をひいてぐったりとした初老の父親に、倉庫の作業を任せて自分はどっかにいってしまうなんてと。すると、なんかわかんないんだよね、あの家族。表向きは円満そうだけど、お互い気持ちを見せるようなことはなくて、裏で第三者にぶつくさ言ってばかりいるんだよと、ねぇさんは言った。

一代でこの会社を創った社長。(今は零細企業だが、10年くらいまえまでは従業員が何人もおり、年商○億とかだったようだ。)そして明るく社交的な奥さんと子供達。私にとってはテレビドラマのように平和そうな気がするが…。

家族はいつかこんなふうになってしまうのかもしれない。生まれたときからいくらなんでもお互いをないがしろにはしないだろうし。まぁ、私の育った家族も問題だらけだったもんで、偉そうなことは言えないけれども。

結局社長は、つめたいみぞれが止みだしたころ、倉庫から戻ってくるとねぇさんの入れたココアを飲みながらソファでうとうとしだした。専務が帰ってこないので、無言で空気が重い。嫌な意味での存在感。そして何だか社長が可哀想な気持ちになってきた。

私は結露したガラス戸を丸めた新聞紙で拭いてから、家に帰る準備をした。出しなに、お疲れ様です。社長、お大事にしてください。と一言言うと、社長は目を開けて「ありがとう、ご苦労さん。」と言った。何だか日記で悪口ばかり書いていたのを一瞬で反省してしまった。

きっと社長には社長の世界があって、私の世界とは全然違うのだ。当たり前といえば、当たり前だけど、一瞬でアタマが沸騰してしまうとそういうことは忘れてしまう。30年も生きてもそんなこととも折り合えないのはやっぱりちょっと実力不足だ。

明日は8時何分に会社に到着しよう。


2003年12月14日(日) 人生血まみれ劇場

土曜日は久しぶりに飲み会だった。

かにしゃぶ、かに刺し、かにの天ぷら、造り盛り合わせ、それらの宴会メニューに加えてフォアグラ刺し、ワニの串焼き、芋焼酎に鏡月ウーロン、ウイスキーのソーダ割りをぐぶぐぶと4時間も飲んでしまった。

帰りは電車がなかったので歩いて帰る。歩き出してどうも無謀だなぁと思いつつも2時間かけて歩いた。あーしんど。

日曜日は10時ごろ起きたが、微妙にハラが痛かった。見覚えのある痛みだ。また来たかっていう感じだ。案の定、大腸から出血しているようだった。(セーリではないのだ。)覚えのある、と書いたのは、以前にも同じような症状で入院したこともあったから。

その時は今よりひどくて、尻から血の滝って感じだった。さすがにやばいと思って病院に行くと、内視鏡検査をされ、「アメーバー赤痢かも。」と言われて速効入院させられた。そして2日間絶食をさせられ、3日後に尻カメラで内視鏡検査をしたら何もなくなっていた。3日前は腸壁から血がしたたっていたのに。もちろん、アメーバー赤痢の菌もでなかった。

医者ははっきり言わなかったが、胃炎の仲間の腸炎(何だそりゃ?)なので、のんびり過ごしてくださいとのことだった。その後も何年かに一度、同じような症状が出た。

転職してろくでもないことがつづいたりすると、何故か腸が疲れてしまうようだった。それは今回も一緒。実は先週は社長の機嫌がめちゃくちゃ悪く、私は無視されるくらいだけど、経理のねぇさんが銀行に行く段取りがあるので、お昼からお客さんは来ますか?と尋ねただけで、「銀行でもなんでも行きたきゃ行け!お前なんぞに客が来るかどうか言う必要ないわ!」と怒鳴りつけたりしていた。何だかとても生きた心地がしない。

ただの老人性躁鬱のようなものに、専務の能天気さが拍車をかけているのだと頭では分かっているのだが、いつもそういう社長や専務をさらりとかわしている経理のねぇさんは実はすごい人なのかもしれない。

来週末は中学校の同級生たちと温泉に行こうと約束をしているのだが、このままハラが痛かったら断ったほうがいいような。カニとかたらふく食べて、たくさんしゃべってというのは魅力的だけど、私のテンションが低すぎる。

派遣社員人生が今で多分6年くらい。多分10社くらいは行ったと思う。毎年夏休みは10日から2週間。土日にきっちり休めるのが魅力だった。が、それとは引き替えに、行く先々で変な人と出会い、翻弄されて、失望して。もちろんいい人は沢山いたけれど、変な人の悪い思い出はココロの「クソ壺」のような所にバックアップされてゆく。

それでもまだ、「期待に応えたい。」とか、「雇われているからにはお役に立ちたい。」とか思うのは、やはりわたしがバカもんだからだろうか?

こういうときはボタン一つで人生を早送りできればいいなぁと思う。


2003年12月12日(金) 何だか空回りで徒労なわけだが

昨日の続きで会社にブロードバンド環境を導入する話です。

私は出勤するやいなやフレッツADSLの24Mbpsと加入する予定のOCNについて調べた。ん〜なんかめっちゃ高い(合計4000円くらい)なぁと思いつつ、とにかくさっさと引きたかったので9時になると速攻NTTの担当者さんに電話し、その旨を告げた。快く来週の中頃開通させますのでと言ってもらい、すぐにOCNの申込書をファックスでもらった。

私は、ああ、すごく簡単なんだなぁと思いつつ、申込書を記入し、ファックスで送った。個人で申込むよりもこうやってつながりのある人に頼むほうがすんなり行くのがめっちゃ日本っぽいなぁと思いつつ。

私は、ブロードバンド環境になったらどうするか?というのを企画書にまとめていた。どうも社長は私のことを「毎日パソコンいじってるけど何やってんねん?」と思っているようだ。ということでとりあえずよそゆきな企画書を書いた。

とりあえず業務の進捗管理表と、顧客の電話番号などのデータ、現在進行中の物件の図面などをみんなで共有しようという考えはあったのだが、考え出すとwebサーバーを立てて、海外出張のときなどでも大阪の会社にいるときと同じようにデータの閲覧が出来るようになれば理想的だなぁと思った。

それにOCNではドットフォンというIP電話サービスが最初っからくっついている。中国や北米に電話やファックスをすることが多い我が社ではかなりの経費削減が期待できそうだった。(なんとマイラインを契約していないので市内、県内市外、その他、全てデフォルトのNTT西日本のままだったのだ。いやはや。)

そうこうするうちにお昼が過ぎ、夕方に出先の専務から電話が入った。「あのなー、なおぞうさん、今、NTTのBフレッツのおっさんから電話があってなー、許可降りたから18日に工事するって言ってたで。ADSLは断らなアカンなー。はははは!」とのたまうではないか。

…。もう激しく…である。何がはははは!やねん。それにBフレッツ担当者!「年内はまずムリ」と言った舌先も乾かぬうちに、「18日(6日後)に工事が決まりました。」とは腑に落ちない。昨日、ボロカス言ったからプッシュしたんだろうか?

私はマジ切れしつつもしゃあないのでADSLの取り次ぎをお願いした営業さんに電話をしつつ、OCNのカスタマーセンターにありのままを話して、申し込みを取りやめてもらった。私は平謝りだが、BフレッツもOCNもよく考えれば全部NTTである。うーん、何に対して不義理をはたらいて、何に対して怒っているのか?どっちも同じというのが哲学的ですらある。(ただのイヤミです。)

まぁ、とにかくせっついてお願いしたことを一存で翻すのは人間としてかなり問題のある行動なのでそのへんの責任は感じているのだが。

かくして激動の一日は終わり、私はさめたコーヒーをすすりながら企画書のADSLの部分をBフレッツに書き直すのだった。

ああ、眠い。


2003年12月11日(木) アホーのつくだ煮

10月の後半から取り組んでいる、会社へのBフレッツの導入だが事実上ダメダメになった。工事日の確認のため、担当者に電話をしたところ、電信柱の使用許可が下りないそうである。光ケーブルはそこまで来ているのに何だかくやしい。私は、とりあえずぼやいておいた。すると本来なら工事費無料は年内に工事が完了した場合だけだが、来年以降も無料にしてくれるとのこと。言ってみるもんである。

「こんなに時間ってかかるもんなんですか?ADSLが10日前後で開通することを考えると、苦情とか出ませんか?」とはっきり聞いてみた。すると、苦情は多いそうである。隣の会社もその人が担当したそうだが、導入されるまでに11か月かかったそうである。11か月。今から妊娠しても赤ちゃんの方が先に出てきてしまうではないか。

私はあまりにもバカバカしくなり、もし仮に今のISDNを解約してADSLにした場合のかかる時間と費用などを聞いてみた。すると約4営業日。費用は、工事費無料で、3ヶ月間プロバイダ料金のみとのこと。で、速度もおそるおそる尋ねてみた。以前、うちの専務がADSLにしようと思って問い合わせたら500kも出ないと聞かされたのであきらめたと言っていたからだ。

すると約2キロの距離で、実績ではフレッツADSL24MBの契約で8Mbpsから9Mbpsくらいとのこと。内心私は結構出るんやなぁと思いつつ、来週そうそうにも連絡することを告げて電話を切った。

このことを専務に話した。「おとなりさんもBフレッツをひくのにすごく時間がかかったらしいですよ。」と言うと、「ああ、11ヶ月やろ?知ってたで。」とのたもうた。…。知ってたんなら言ってくれよって感じだ。で、ADSLの代替え案については、その500kというのはADSL初期の1.5Mbpsのころだったらしい。…。もう数年経っており、その間8メガやら12メガやら出てきているではないか。その間放りっぱなしだったようだ。

前も書いたが、WindowsUpdateなんかしていない。もちろんファイヤーウォールも入れていない。ノートンアンチウィルスは購読期限が思いっきり切れている。それらの理由は常時接続じゃないからとか、通信速度が遅いからとかそういう怠慢な理由だ。ここで怠慢と書いたのはそのうちのどれもが、自分から行動を起こせば対処できるからだ。

そこで私はちょっとキツイかもしれないが、「500Kしか出ないって昔の話じゃないんですか?フレッツADSlの24Mbpsだと実績で8Mbps程度は出るらしいですよ。」と言った。すると、「へ〜、そんなに出るの?5Mbps出れば十分やろ?じゃあ、それでええやん。Bフレッツなんかやめ、やめ。」とあっさり言われてしまった。…。

「5Mbps出ればそれでいい。」んなら最初っからそう言ってくれよって思った。なんかムダ多いよ。

なんやかんや思うところはあるが、明日にでも早速前出の担当の人に言ってADSLをお願いしようと思う。乗りかかった仕事なので途中で降りるわけにはいかないのだ。まぁ、専務に任せるのもちょっとコワイというのが本音でもあるのだが。パスワードを会社名そのままに設定したりするもんで。私は他の人がどんなパスワードを使っているのか知らないが、みんながそんな風だったら、不正アクセスとかし放題じゃんと思うがどんなもんだろうか?

今日の夜は一段と眠たい。


2003年12月09日(火) ありがとう10000

今日も4時間ほど飲酒をしてしまい、とても眠たいがメールチェックを一日に一度はしないどドワワ〜っとメールの洪水になってしまう。私はよろよろとマックの電源を入れた。

一通りメールをななめよみして、私のサイトにアクセスしてみた。するとびっくり。アクセス数が10000を越えている。この日記を書きはじめたのが2001年の8月21日。骨折して、退院した年の夏である。今拾い読みしてみると、一日の分量が今より短い。こんなんだったら数分で書けるやろなぁと思った。大体今の分量で30分くらい書く時間が必要だ。

最初は「骨折、入院生活からの復活と再生」について自身をみつめなおすことが目的だった、ような気がするが、いつしか同僚の観察記になり果ててしまった。

久しぶりに会った友人などに、「あの、会社にいた酢豚の肉しか食べない人ってさぁ、」とか、「ノバに80万円つっこんだ子は英語しゃべれるようになった?」とか聞かれるとびっくりしてしまう。何でも以前読んで、あまりにも強烈だったので覚えているとのことだった。

私は派遣社員が本職?なので半年から一年くらいで転職してしまう。なので、酢豚の人とか、ノバに金つっこんだ子とは今は同僚でも何でもなく、「ああ、そんな人おったなぁ。」くらいの感じしかない。それを他の人が覚えているというのは何だか不思議な感じだ。

が、ちょっとむむむと思ってしまうのは、「で、あの『好みのタイプは年収一千万円の坂口憲二』とかって言ってる女ってネタでしょ?」とか言われてしまうことだ。私は今まで、この日記に完全な創作お笑いを書いたことはない。全て観察した実際に存在する人たちなのだ。

しかし、こうやってネタじゃないって言うと今度は、「こないだ派遣の仕事を紹介されたから、どんな変な人がいるんだろうと思ってわくわくして仕事を受けたら、普通の人ばっかりで拍子抜けしてん。めっちゃがっかりやわ。」とか言われてしまう。

そして、挙げ句の果てに、「なんでなおぞうさんの職場には、ネタみたいな人ばっかりおるの?」と言われてしまう。こればかりは私にも分からない。なんでだろう〜♪

そんなこんなで2年と4ヶ月。こんなアホ日記におつきあいありがとうございます。これからもよろしくです。


2003年12月08日(月) よく食べ、よく飲む

今日のお昼は家から持って行ったおにぎりと、机の引き出しに備蓄してあるインスタントみそ汁の予定だった。が、同僚の女性が、「チキン南蛮がウマイ」お弁当屋さんに買い物に行くというので、思わずチキン南蛮をお願いした。そして私は、チキン南蛮とおにぎりとおみそ汁をきれいにいただいた。満腹のごちそうさまだった。チキン南蛮は噂通り激しくうまかった。

すると昼から眠くてしょうがなかった。昼からは私が一番苦手な作業である訂正、しかも図面をやることになっていたので、パソコンの画面で頭を打ちそうなくらい眠たかった。外は木枯らしでストーブをがんがんにたいており、酸素が足りなかったのかもしれないが。

夕方頃、やっと目が覚めて来たらもう4時を過ぎている。私はダッシュで図面を清書して定時に家路に着くことができた。

家に帰ったらちょうど6時ごろだった。が、まだ胃袋が重たい。わたしはバイクを置き、歩いて近くの商店街まで散歩がてら行くことにした。1時間半ほどうろついて、やっとふつうに戻ってきたので家に帰ることにした。何をやってることやら。

今日の大阪は木枯らしがピューピュー吹いており、とても寒く感じた。まぁ、この2週間くらいかなり暖かかったからよけいそう感じるのかもしれないが。

家につくと、手がかじかんでいた。わたしはやかんにお湯を沸かし、グラスに黒白波をそそぎ、お湯割りを呑んだ。暖まる。二杯目を作り、冷蔵庫に一ヶ月くらい入りっぱなしのボイルした豚タンを取り出し、タンシチューを作り始めた。でもこれは明日の分なのだ。

今日のごはんは豆腐のみそ漬け、白菜の浅漬け、高野豆腐と切り干し大根の炊いたん。これで終わり。週末に仕込んだものと、昨日の晩の残りである。豆腐のみそ漬けは毎日味が変わっておもしろい。漬けた日の晩は上品な和食風だったのに、今日は「一口でコップ一杯くらい芋焼酎が飲める」ような味になっていた。

浅漬けは絞って皿に入れ、上からオリーブオイルをホンの少し垂らしてみた。ちょっとすっぱい感じの浅漬けと妙に合う。私は冷凍庫から丸い田舎パンとチーズを出し、トースターでチーズトーストを作った。焼く間、昨日作った鶏はむとフレッシュのバジルを用意し、焼けたチーズトーストに乗せて、上からちょんちょんとケチャップを乗せてみた。

これが大成功だった。鶏はむは生バジルとよく合うようだ。オリーブオイルを垂らした浅漬けはピクルスみたいでなかなか酒が進む。途中からロックに変えて、焼酎も赤いボトルの海童(かいどう)にチェンジ。安いのになかなかうまいのだ。

そうこうしているうちにあっという間に11時である。どうも毎日こんなパターンだ。気がつくと3時間くらい飲んでいて、茶碗を片づけたり、家計簿をつけたりするのがごっついおっくうになる。

土日も映画を見に行ったり、自転車のサドルをパクられたり、いろいろ日記に書きたいことはあったのだが、飲んでいると書くのを忘れてしまうのだ。いやはや。


2003年12月04日(木) 軽く敗北

ぼちぼち会社にBフレッツがやってくるということで、プロバイダからアカウント設定のお知らせが来た。それを見てびっくり。法人契約にはWebスペースが一切含まれておらず、必要なら月に2800円とかを払って申し込んでねと書いてあった。

私はぬわわ〜んでや〜と憤り、早速プロバイダのHPを確認した。すると。うん、確かに、ないんだよ、ゴラァ!と言われればそうかもしれない。が、厳密に「含まれません。」と書いているわけではない。「個人会員の方も法人会員の方もほぼ同じサービス内容となります。※」と書いてあって、メールボックスがどうのこうのと書いてあって、下の方に「※個人会員の方は100MBのウェブスペースが含まれます。」と書いてあるのだ。

これはどう理解するのが正しいのだろうか?やっぱし「法人会員にはWebスペースは用意されない。」と解釈した方がいいんだろうか?こういうとき、読解力が無いとつらい。でも、ひねた考えをすれば個人会員には100MBかもしれないが、法人会員には500MB!出血大サービス!もう鼻血もでまへんわ!ということもありえるかもしれないじゃぁないか。

焼肉食べ放題で言えば「メニュー内ほとんど食べ放題!」の店で「じゃあタン刺しと上ミノ湯引き。赤センとハチノスをタレで。」とオーダーし、「お客様、食べ放題は焼肉メニューのみとなっておりますが、よろしかったでしょうか?」と言われ、イマイチ納得できないと思いつつも、「じゃあ、タン刺しだけでええわ。焼肉のレバーも追加したってや。」と告げる。すると「お客様、ホルモン類は料金別途頂きますがよろしかったでしょうか?」と言われる。

そこで逆上して、「ねぇちゃん、ほんだら一体何を食べたらええねん!」と聞くと、「地鶏の炭火焼きと、焼き野菜、ウィンナーソーセージ、とうもろこし、えのきのホイル焼きがございます。」「それだけかい。」「はい。」「(ぶちっ!)おぬし焼肉屋とちゃうんかい!何で肉食いに来て野菜食って帰らないかんねん!」

いかん、書いていたらお腹が空いてきた。が、簡潔にまとめると、申し込んでみたらWebスペースがなかったというのは、食べ放題の店で食べたかったものがことごとく追加料金アイテムだったことを知るのと同じくらいの悲しみではないか。と言いたいのである。

まぁ、今回の件は直接私が損したわけではないが、読解力のなさを痛感したのがとてもくやしい。根拠もなく、こういうところで読解力がある人が高学歴なのではないかと感じた。

と、まぁこんな感じで憤っていたわけであるが、それを本来の責任者である社長の息子さんに告げると、「それやったら俺の名前で申し込んで、個人会員にしたらよかったやんか。」とさらっと言われて参った。会社だから法人会員と思いこんだ私がアレだったんだろうか?

常識は常識に過ぎず、それが現実かどうかと言えば、必ずしもそうではないと気づくことが多い毎日である。ああ、眠い。


2003年12月03日(水) 足の爪、万事休す。パソコンの魔法使い。

朝起きると電話帳で皮膚科を探して行ってきた。すると医者はぷらぷらの爪を指でつまみ、びしっと外した。い、イタイ…と思ったが、実際はさかむけをひっぱって取ったときと同じ感じでそんなに痛くない。が、いきなり引っこ抜かなくてもええやんけ…。

原因は靴が合っていないことなどの外傷的要因とのこと。梅毒ではなかった。あと、たくさん歩いたり、血行が悪かったりするとつま先に負担がかかるし、血が行き届かないので爪には厳しいとのこと。どないすればええねん。

最近思うのだけれど、こっちを立てればあっちが立たずというのがよくある。私は交通事故の後遺症で膝があまり曲がらなのに体重が重いので、膝の負担を減らすために体重を減らす必要がある。が、走ることは出来ないので運動と言えば自転車と歩き、夏場は水泳くらいのものである。

そこで、大阪市内は自転車で、5キロ(1時間)くらいまでなら歩くようにしている。結果、爪が痛んでしまったのか。うむむ。病院の話ではそのうち薬指に加えて人差し指も取れそうとのことだ。ちゃんと元通り生えてくるのは約半年後だそうな。夏前かよ、スキーは出来るのかちょっと心配だ。

晩はボイスチャットに挑戦である。今日は相手がだんなさん@ウィンドウズユーザーなのでウィンドウズでやってみた。結果、惨敗。MSNメッセンジャー同士だったのだが、ウチのファイアーウォールが悪いのか、だんなさんからの声がポートスキャンされたと判断されている。とほほ。こういうことはあまりよく分からないので頭が痛い。ので、明日以降に持ち越し。

会社も含めて毎日パソコンのことばかり考えている。会社ではイラストレーターで引き続きロゴの入ったステッカーを作っている。私が作ったのを版下として使うというのでおいおい、ちょっと待てよと止めた。ウィンドウズでMS Pゴシックとかのフォントで版下にできないと思うんですけどと、言ってみた。出来ない確信はないけど、出来ると言い切れる自信も全然ない。じゃあ、どうすればいいと聞かれるのが困ったもんだ。フォントを買うくらいなら、本当のデザイナーさんに発注したほうがきれいで早くて安いと思うが…。結局私が作ったものをPDFにして、知り合いの印刷会社の人に見せて相談することになってほっとした。

毎日ちゃんとわかってないことが一杯出てくる。ネットワークの設定、イラストレーターの使い方、エクセルのマクロ、さすがにSQL Serverの設定って簡単?って聞かれたときはさすがにわかりませんと答えたが。パソコンは魔法の箱だと思っていて、誰もが魔法使いになってなんでも出来ると思っている感じがする。魔法使いになるには、素質と努力が必要なのに。

ということで最近、死ぬほど眠い。まともに覚醒しているときは、バイクに乗っているときと、せっぱ詰まった仕事があるときだけだ。あとは何だかボーっとしている。

週末は晴れますように。


2003年12月02日(火) 大きいようで小さな手足

やっと雨が上がり、かっぱを持たずに通勤できるようになった。湿度が下がるとそれなりに寒く感じられる一日だった。が、相変わらず長袖Tシャツに防寒コートという訳のわからない格好で通勤している。会社ではコートを脱ぎ、ユニクロのフリース(柿のようなオレンジ色)に着替えるのだ。

今日は一日イラストレーターと奮闘した。会社のはウィンドウズでバージョンは10。私がやっていたのはマックでバージョン5.5。素人も同然である。既存のロゴをトレースして、指定の寸法で作り直すのにほぼ3時間。使えね〜、自分。このソフトは、ウィンドウズとマックで一番使用感が違うような気がする。「バウンティングボックス」とか、必要性が分からない。アートワークじゃない方の表示にしたときに、円の中心にへそのようなばってんが出ないのも使いづらかった。マニュアル読んでないのもあるが。が、出来たのでとりあえずヨシとしよう。これがシールになって中国から日本へやってくるかとおもうと不思議なかんじだ。

家に帰って座布団に座って例の旅行番組を見た。ピーター氏は男湯に入るのだそうな。男性なんだから当たり前だけど、微妙に不思議だ。男性の方にはメイク用のドレッサースペースとかないだろうから、湯上がりに化粧するのが大変そうだ。

で、ふと自分の足を見た。すると、薬指の爪がプラプラしている。甘皮部分2ミリくらいは存在しているのだが、そこから上がとれかけで、ほんの一ミリつながっている状態。別に痛くはない。今まで気づかなかったくらいだ。よく見ると、左足の他の爪も全部2ミリくらいのところで横に深くすじが入っていた。一ミリくらいの深さでへこんでいる。一体なんだろうと思ってネットで調べてみたが、いまいまちよく分からなかった。爪白癬がポピュラーみたいだったが、それでもなさそうやし。

どこを見ても「爪の異常はとりあえずどっかが悪い証拠」みたいに書いてあってびびってしまう。因みに横線は梅毒だそうな。なんでやねん、と思ったが、黒い線がくっきり入る場合はそうかもということであった。やっぱり病院に行った方が良さそうだ。最近はそこそこ体調も良く、会社に敵もおらず、のほほんとした日々を送っている。なのでどっか悪かったらちょっとびっくりだ。

手は大丈夫やろかとじっと手を見ると、爪は大丈夫だが、爪の周りがささくれだっている。右手が特にひどく、親指は指紋に沿って指が地割れしかけていた。コレも痛いわけではなく、会社勤めをするとこうなる。洗剤が苦手なのでどうしても割れてしまうのだ。家では白い純粋な石けんでなんでも洗っている。クレンザーや、カビキラーのお世話になるときはゴム手袋だ。が、会社は除菌のできる某なので手がガビガビになってしまう。

いやはや30年以上も毎日休み無く使っている手足はちょっと疲れているのかもしれない。手も足も大きくて分厚いが、(指輪なんか21号らしいし。一度お店で測ってもらい、店の人にびっくりされた経験がある。ちなみにだんなさんと同じサイズである。)これまで私の体験した面白いことや、トホホなことにつきあい続けたのもこの手足なのだ。(手は指の骨折1回、両手首骨折、足は右膝と太股の骨折、ついでに右肩は2回くらい外れたことがある。)

まぁ、いろいろとおつかれさんと言いたい気持ちだ。プラプラした爪は一気に引っ張ってはがしてしまいたい衝動に駆られるが、そんなことをすると化膿して痛くなるのが目に見えているので止めておこう。


2003年12月01日(月) たのしい夜に

今日は離れたところに住む友人達とチャットをした。マックのiChatである。みんな実はiChatを試したかったが、相手がいないというのでやっていなかったようである。確かにOSX以上でないとダメなのでかなりスィートスポットが狭いと思う。

これはかなりいいなぁというのが正直な感想。機能的には平凡だけど、フォントや、色、自分の写真まで会話中に好きに変えられるのが楽しい。遊び心がうれしいのだ。いきなり自画像を大仏の写真に変えたり、マンガのキャラに変えたり、そんなんでわーわー言ったりする。面白いサイトがあったら、URLを貼り付けて即送って見てもらうことができる。

iTunesの次はこれをWindowsに移植してほしいと思う。そしたらカメラのiSightももっと広まって楽しくなると思うのだが。現時点ではMSNメッセンジャーより使い勝手も良いし、やってて楽しいし、素直にウィンドウズの人たちも体験して欲しいと思う。

が、チャットに付き物だが、はまりこんでしまってめちゃくちゃ眠い。明日は6時に起きて洗濯しないとトホホなのに。


nao-zo |MAIL

My追加