日々是迷々之記
目次


2003年08月30日(土) ちょっと岐阜の温泉へ。そして焼肉ナイト

目が覚めるともう10時を過ぎていた。昨晩は焼酎と酎ハイプラステキーラまで飲んでしまったので効いたようだ。温泉に行かなければならないので、朝はコーヒーだけでクルマに飛び乗った。

が、すぐに温泉に着いてしまったのである。それもそのはずで片道40キロたらずしかないし、大阪よりも道が空いているので1時間ちょっとで着いてしまったのだ。

行ったのは「くしはら温泉ささゆりの湯」である。南知多のほうの海沿いの温泉に行こうかと思ったが、まだまだ海水浴シーズンなのであえて山の方にしたのだ。

ここは良い温泉だった。設備が新しいようで気持ちがよく、高台の露天風呂にはボンボンベッドがあり、そこに転がって涼むことができる。食堂も地元の特産品が味わえるようになっていて、「へぼちらし寿司」(クロスズメバチの蜂の子の佃煮の乗ったちらし寿司)と「五平餅」を食べた。んまかったのである。今回は混んでいたのでやってもらわなかったが、クィックマッサージがあるのもイイ感じである。次にまた来ようとココロに決めて2時頃温泉を出発した。

帰りに農産品の直売所で農作物を買った。赤じゃがいも、なすび、名古屋コーチンの卵、さしみこんにゃく、ラベンダーのドライフラワーなどなど。どれもこれも量が多いのに100円均一。特に、名古屋コーチンの卵は11個で100円だった。スーパーでは1個100円で売っているというのに。

大満足で家に帰るとまだ4時前だった。今度は徒歩で近所のショッピングセンターへ。近所と言っても1キロくらいはあるので遠いっちゃあ遠いが、こっちは大阪のように殺人的に暑くはないので、散歩にちょうどいい感じだ。

本屋でパソコン雑誌を買い、今日二つ目のイベント、焼肉屋に行った。ここはチェーン店なので実はあんまり期待していなかったのだが、なんのなんの、めちゃくちゃうまかったのでびっくりした。たれものは下処理がちゃんとしてあって、大ぶりのお肉でも柔らかい。塩ものもこれまたレモンだれが美味しくて、初めて食べた「塩レバー」280円にびっくりしてしまった。馬肉のユッケも身もだえするうまさで激しく感動。二人で大ジョッキ2杯づつと濁り酒を1本づつ飲んで、最後にプリンパフェまで食べて8000円くらいだったので安い方だと思う。

そして夜風の中をまた1キロ歩いて家に帰るとまだ8時である。そこからまたテキーラを飲み、知らない間に寝てしまった。何だかよく飲む週末なのだ。


2003年08月29日(金) そして今日も愛知

おとつい愛知に行って来たばかりだが、週末ということでまた行ってきた。今日で18切符は最後である。

今回は晩の9時15分に待ち合わせだったので、家を夕方の4時頃出た。一瞬カブで行こうかとも思ったが、暑苦しそうなのでやめた。いつもと同じパターンで電車を乗り継ぐ。米原から豊橋行の特別快速に乗ったが、私はボックス席でおばちゃん集団に囲まれて苦しかった。しゃべる声がでかいし、挙げ句の果てにせんべいを食べ始める。しかも一人はサマーセーターの透かし編み部分からベージュの下着が丸見えで見苦しいことこの上ない。

将来おじさんかおばさんにならなければならないのなら、私はおじさんの方がましだと思った。でも、群れたら同じくらい邪悪なんだろうけど。

いいタイミングでダンナさんが迎えに来てくれていて助かった。私はいつもの調子でビーチサンダルで家を出てしまい、歩いているときはいいんだけど、立ち止まっていると蚊に食われてかゆくなってしまうのだ。クルマで家に向かう。

家ではダンナさんが閉店直前のスーパーでゲットした半額商品が私たちを待ちかまえていた。中トロのおつくり、タラモサラダ、おからの煮付、ネギチャーシューサラダ、などなど。焼酎とチューハイで宴会であった。

明日は温泉に行くので早く寝た。


2003年08月28日(木) 自由研究のおもいで

夕方のニュースバラエティ番組でいまどきの夏休みの宿題事情を取り上げていた。昔のように「ドリル一冊」とか「はみがきカレンダー」のようなものは姿を消しつつあり、自由研究がメインとなりつつあるようだった。

街角の親子にインタビューをすると、「自由って言われたって何をしたらええかわかれへん。」という答えが多かったのにはちょっとびっくり。私は自由研究や植物の観察日記を書くのが一番好きだったからだ。

夏休みに入ると図書館でネタ探し。実験モノは実験の段取りを立て、研究モノは百科事典でネタを集める。そうやって大学ノート一冊分、びっしり埋めるのが好きだった。でも、今はそんな小学生はあまりいないようであった。

画用紙で作った「河原のいきもの図鑑」にはセルビンで採ったくちぼそ、ドジョウ、やご、ガガンボ、なんかのあんまりぱっとしない生き物を見開きをどーん使ってでっかく書いたりしていた。研究そのものよりも書いたり、描いたりするのが好きだったような気がする。

それが小学4年のとき、悲しくも屈辱的な出来事が起きた。先生は自由研究の用紙として女子にはうすいピンクのB4くらいの模造紙を2枚、男子には同じサイズでうすいブルーの用紙を2枚づつ配った。一人2つの研究をやれということだった。

私は女の子テイストのものが当時からキライで、習字道具入れの赤いカバンが嫌でスヌーピーの手提げに習字道具を入れていたくらいのへそ曲がりである。そんな子供にピンクの紙は屈辱的だった。

わたしは女の子テイストを払拭したいという思いもあり、その夏の自由研究の題材は「郵便の父・前島密氏について」にした。今はあまり見ないが1円切手のおっちゃんが前島密(まえじまひそか)氏である。当時、わたしは切手集めに凝っており、切手のデザインの由来を調べては天下をとったように親の前で解説していたりしたのだ。(痛いかも…。)

鼻息荒く平凡社の百科事典を調べたり、東京に住んでいたので大手町の逓信総合博物館に行き、前島氏の功績に激しく感心していた。夏休みの半分を前島密氏に費やし、その邪悪に思えたピンク色の模造紙を塗りつぶすように、研究の成果をまとめ、一円切手をプラバンにはさんで裏に木工用ボンドを付け模造紙に貼り付けた。

その時点で宿題は終わったも同然だった。あとは「歯磨きカレンダー」や「絵日記」をでっち上げ、計算ドリルは「一列計算し終わるまで息を止める」という早くできなきゃ死んじゃう方式で一日で終えた。ちなみに「一単位終わらせるまで息を止める」方式は今でも役に立つ。会議の資料をホッチキスで留めたりするときはこうやってやると早くできるのだ。

話はそれたが、ふと気が付くと自由研究の用紙はもう一枚余っている。その時点で8月31日。私は家にころがっていたキルティングのはぎれで「ポケットティッシュ入れ」を作った。単に両端を三つ折りしてかがってから、ティッシュに合わせて折って、ミシンで縫うだけだ。これにてきとーに「ティッシュがぐちゃぐちゃにならないようにと考えてつくりました。」とか用紙に書いてセロハンテープでティッシュ入れを貼ってできあがり。

始業式の日に宿題を提出し、自由研究は先生に採点され、後日教室の後ろに張り出された。父兄参観日があるからだ。その張り出された自由研究を見てわたしは仰天した。スペースの都合だろうが一人一枚の自由研究が貼ってある。私の作品は「前島密氏について」ではなく、「てきとーに作ったティッシュケース」が貼ってあったのだ。詳しくは覚えてないけど、「女の子らしい発想ですね。」とか書かれていて花丸が付いていた。

一方、「前島密氏について」は「先生もしりませんでした。」とか赤で書かれて、手元に戻って来た。なんだかむなしかったのを今でも良く覚えている。親に、「先生のくせに生徒がどれほど一生懸命やったか分からないのはおかしい!」と口をとんがらかせて言ったような気もする。

しかし、大人になったらわかるんだけど、「先生」は「何でも知っている」わけではないのだ。何かすごい研究をしてその功績を努力を子供達に伝えるような先生ってのもいるんだろうけど少ないと思う。ぶっちゃけた話、教育大学なりを出て、教員試験に合格したら先生になれるのだ。大学出たって「前島密氏」を知らなくたっておかしくはない。

でも、私の理想はサリバン先生やシーボルト氏だったので、手抜きのティッシュケースを見抜けない先生は一段下の存在だった。

そんなこんなで私は大人になってほっとしている。ネットのおかげでこうやって好きなことを書き散らかせるし、何も分からない人間におざなりの評価を受けることもない。

が、今の子供たちは最初っからなんでもあって、「自由って言われても何していいかわからない。」ってなるらしい。それも何だかなんぎな話だ。


2003年08月27日(水) ザ・とんぼ返り

今日は職安に行こうかと思ったが突然用事が出来たので急遽予定変更した。

ダンナさんが出張先で持病の歯痛になり、歯医者から薬をもらって届けに行くことにしたのだ。宅急便で送っても良かったのだが、晩の10時ごろしかアパートに帰ってこないので受け取るのは難しそうだってことで18切符を使って日帰りで行くことにした。

まず11時ごろカブで歯医者へ。そこで薬を受け取って大阪駅へ。バイクは秘密の所へ駐車する。で、12時30分大阪発の新快速長浜行へ乗る。そこからは米原、大垣と乗り換えをして、15時頃、名古屋を通過。そして16:30にダンナさんの家に到着。まずまず順調である。

そこで薬を置き書き置きをして駅に戻る。そこから名鉄でJRの駅に向かう。ぼちぼち空は夕暮れだ。乗り換え駅で外へ出た。駅前はロータリーになっているが人が少なくのんびりしている。駅前のコンビニでビールを買って飲んだ。

ぷはっ。うまいのである。背の高いビルが少ないので空が広くて気持ちいい。木のベンチに腰掛けて空を眺めながらぼんやりする。こうやって全然縁もゆかりもない土地でビールを飲みながら空を見るのは悪くない。あっという間に30分が過ぎてしまい、乗る予定だった新快速米原行きは行ってしまった。

といっても18切符なので別にそれに乗らなくったって帰れるさ…。と気分が良くなってきたのでかなり楽天的である。が、次の新快速は1時間後だった。またコンビニでお茶とおにぎりを買い、ホームで待っておくことにした。

すっかり夜になったころ新快速はやってきて、私は車内で眠ってしまった。気が付いたらもうすぐ米原である。そこから新快速網干行に乗り換えて大阪まで。妹尾河童さん作の「河童のスケッチブック」を読んでいたらあっという間だった。

行きは下川裕治氏の「世界一周ビンボー大旅行」を読んでいたので、これもあっという間だった。

大阪駅からはカブで家まで帰った。帰り着いたのはちょうど23時。結局12時間くらいかかった計算になる。

昼からで大阪名古屋の日帰り、しかも普通列車でというとなんとモノ好きなと思われるかもしれないが、行って帰ることだけでなく、本を読んだり、知らない空の下でビールを飲んだりできるのだから、とっても私は得をした気分だ。

しかし、結構つかれたみたいでその日の晩にこの日記をしたためることはできなかったが…。


2003年08月26日(火) 海の見える高台のマンションで暮らす夢

今日の18時のMBSニュースで面白いネタがあった。

和歌山県の白浜という海辺リゾート地にバブル期に立てられた企業の保養所が手放されて放置されている。そこに東京の企業が移転してきているらしい。テレビに映っていたのはIT関連企業のようで、まさしく海の真っ正面の高台の邸宅にパソコンやサーバを並べ、Tシャツ短パンで仕事をしている。

社員の人はインタビューに答えて、「あーつかれたって時に、海が見えるっていいですね。」とか、「ハワイで仕事をしているようだ。」とか何だかとても幸せそうだった。

その番組でふと、白浜の不動産屋が映ったのだが、その店舗の壁にちらっと中古マンションの広告が写った。なんと200万円とか書いてある。ホンマかいなと私は鼻息荒くネットを検索してみた。

検索結果。

「プール温泉有り。480万円」

「温泉付き。一人の隠れ家。180万円」

「ゴールドコーストあたりのチープなコテージ風。300万円」

てな感じで出てきた。私は最後の物件に激しく惹かれる。

見た感じリゾートマンションというよりは、釣りやレジャーの拠点にする感じだ。部屋数が多い物件はあまりなく、一気に一戸建ての別荘になるかんじだ。それでも1000万円台だけど。

しかも白浜は「南紀白浜空港」があるので東京(羽田)から片道1時間あまりらしい。大阪から特急で2時間かそこらかかるのでかなり行きやすい。(カブだと大阪から半日くらいかかるけど。)

ゴールデンウィークあたりにここへ行って、冷蔵庫にはビールをケースで買って入れておき、昼間はウェットスーツを着てまだ誰もいない海でスノーケルで遊んで、夜は温泉に入って海を見ながらビールを飲む。次の日はバイクで山の方へツーリング。温泉をハシゴして夜には帰ってこれる。う〜たまらん。こんな生活をしてみたいもんである。

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話は変わって、昨日の派遣の話の続きだ。結局こっちから断ってしまった。延長するかどうか全くの白紙なのに春以降の予定を入れられないってのがどうも気にくわなかったからだ。その旨を申し出たら、「あくまで決算の時期の関係だと思うので、仕事さえちゃんとできてれば、延長は確実だと思うんですけどね〜。」と言われた。

「思うんですけど。」とか言われても派遣は水モノ。てきとうに、でも丁重にお断り申し上げた。ちょっと疲れてしまったがまぁいい。

明日はちょっと職安にでも行って来るとしよう。(あ、今風にはハローワークって言うんやったっけ。)


2003年08月25日(月) 派遣労働者のユーウツ

朝起きて、ここんとこずっと世話になっている派遣会社のサイトにアクセスして仕事探しをした。ぼちぼち9月開始の仕事が出そろうころなのだ。

私は条件的に申し分のない仕事を見つけたので早速応募。ネットで応募できるのが便利だ。お昼ゴハンを食べた頃、派遣会社から電話がかかってきた。が、対応が早いのはいいけれど、いくつか「それってどーよ?」とという条件が隠されていた。

・期間は来年の3月31日までだけど、契約は一ヶ月更新。

・現時点では延長があるかどうかはまったく白紙だけれども、4月以降に留学するとか予定が入っていて延長に対応できない人はダメ。

・顔合わせは9月1日。この日に都合の悪い人は今回はダメ。(仕事始めは9月2日)

しかも担当者は前の前の仕事で担当していたぼんさんである。去年の春頃捨てぜりふを吐かれた記憶がある。

話を進めてもらうことにはしたが、今はほんとに企業側が強いなぁと思わざるを得ない。3月いっぱいまで来て欲しいけど、不測の事態があるといけないから契約は一ヶ月。それ以降もホントは仕事があるんだけど、今からそんな先まで確約できない。でも4月から新しい人を入れて教育しなおすのはメンドーなので続けて来れる暇な人希望ってことだ。

どうせ他社と競合なので、このまますんなりいくとは思えないが、ぼちぼち派遣も旬を過ぎたなとつくづく思う。派遣会社が中立を保っていないのが一番の問題だと感じる。企業寄りであり得ないような条件を平気で受けてくる。

私がオファーされた中でもばかげたのがいっぱいあった。「20歳台、秘書経験3年以上、日本と外国で大学を卒業、英語、日本語ともう一カ国語が実務で使えて、パソコンのスキルがある日本人。」「英検1級で貿易の交渉経験があり、繁忙期にはフォークリフトの作業を手伝える人。20代希望。」とか、絵空事も甚だしい。面接に言ってひとこと、「あれ、募集の条件に未婚の人って入れるの忘れちゃってた。ゴメンね。君いいわ。」と手のひらでぱっぱと追い払うような仕草をされたこともある。さすがにこのときはマジ切れしたので、派遣会社の同行担当者から面接の交通費を搾り取った。

世の中が景気よくなってきたら今度は登録スタッフに寄ってくるかと思うとどうでもいいけどバカバカしい。

バカついでに傍らのテレビでは「エバラすき焼きのたれ」のCMをやっていた。面接の会場で女の子が「得意なことは、英会話、パソコン、それと…。肉じゃが!」(ニコっ♪)ってやつだ。肉じゃがで結婚したり、就職したり、次は肉じゃがで何をする気だこのオンナは。

ということで今日はこのへんで。


2003年08月24日(日) 心静かな生活のために

うちの家のベランダの前は川があって、向こう岸は空き地が広がっている。その道路沿いは営業のサラリーマンとおぼしき車がよく駐車されている。この時期、エアコンをかけたまま、エンジンをかけたままのようで川をはさんだ向こう岸で、ぶろろろ、ぶろろろ、と聞こえてくる。

そして、夜中の2時。わたしは必死こいて「お気に入り」の整理をしている。547個かなんかあって、リンク切れを探して、デッドリンクを捨てて、と、汗まみれになって作業をしていたのだ。(別に仕事じゃないんだからいやならやめればいいんだけど、珍しくやる気になったので。)

相変わらずトラックはぶろろろ、ぶろろろ、と音を立てている。一瞬、窓を閉めてクーラーをかけようかと思ったけど、それもなんだか無駄な気がした。ブーンと時折、コンプレッサーが回る音もする。私はむかむか!としてきたので、地元の警察署に電話をしてしまった。

「あの〜、夜分遅く申し訳ないんですけど、エンジンかけっぱなしのトラックがうるさいんで注意してもらえませんか?」

「はいはい、どこですか?○○△丁目の川沿い?川を越えても聞こえますか?ほう、そらいけませんね。はいはい、言うておきます。」

そんな感じで簡単に済んでしまった。で、約15分後、エンジン音は止まり、トラックはどっかに走り去っていってしまった。

静寂は戻ってきた。

が、あーよかった、よかったと思う反面、トラックの人は寝てたやろし、かわいそうなことをしてしまったとも思うのも事実。どないせっちゅうねん。注意しないならしないで、うるさくていらいらするくせに、注意したらしたで、小さな罪悪感?で少しだけ後悔してしまう。どっか悪いんだろうか?

なにをどうするのが一番いいのか?30年以上生きていてもわからない。うっすらと「言うたもん勝ち」ではないかと思うけれども、それも殺伐としすぎていて嫌だ。本当にみんながにこにこと普通に生きていくことはできないもんだろうか?

なんか宗教じみてきたのでこのへんで。


2003年08月20日(水) 目がさめるとハライタ

朝起きるとおなかが痛かった。傍らを見ると扇風機がぶんぶん回っている。昨晩は熱帯夜で、扇風機にタイマーを仕掛けても、切れると起きてまたセットの繰り返しで、結局一晩中扇風機は回っていたようだ。

それにわたしは異常に寝相が悪い。朝起きると壁に対して直角になっており、足を壁にもたせかけて寝ていたこともある。当然足には血液がまわっておらず、下ろすとサ〜っという独特の感じが味わえた。(別に味わいたくないけど。)

今日は息苦しくて目がさめた。最初はタオルケットが顔に巻きついているのかと思ったら、パジャマがめくれて顔を覆っていたのだ。ちなみにタオルケットはバレーボールのように丸められて、腰の下にあった。最近腰が痛いので無意識にそうしたのだろうか。とにかくパジャマは顔の上にあったので、おなかは露出している。

で、ハライタ。扇風機のつけっぱなしに、ハラの露出。冷えたのである。食欲もなく、布団から出るとお茶を飲み、水を飲む。そしてぼーっとする。これで午前中はほとんど終わった。

昼からは汗にまみれながら履歴書をパソコンで作成。面接に行くことになったのだ。そうこうしているうちに夕方だ。私は外に行く気持ちになってきたのでお風呂に入って身を清め、自転車で近所のスーパーへ行った。そこでなぜか冷凍の小龍包とアクエリアス、インクジェットプリンタのインクの黄色を購入して家に帰った。

小龍包はうまかった。今日はビールでなくてアクエリアスだが、わたしは体調が悪くなるとこれが飲みたくなる。「燃焼系アミノ式」とか、「ダカラ」なんかを飲んでみようかと思ったが、どうも得体がしれない気がしてやめた。まぁ、アクエリアスも似たようなもんなんだろうけど。なんとなくアクエリアス。なのだ。(古っ)

今はハラマキをしてパソコンの前に座っている。履歴書を作っていた関係でマックではなくウィンドウズの前だ。は、もしかしたらこのハライタはマックのたたりかもしれない。

いやはや、早く寝よう。


2003年08月17日(日) Go Go 愛知県「第四日目・18切符で帰阪」

とうとう愛知県旅行記もこれで最後です。長いのでつまんなかったら適当に読み飛ばしてください。

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目が覚めると相変わらず雨だった。駅まで歩くと15分。クルマにいらいらさせられながらの15分だから気が重い。晴れ間を見計らってダンナさんにバイクで送ってもらった。駅に着くと、他の乗客の人がじろじろ見ていた。大型バイクが珍しいようだ。

そこから最寄りのJRの駅までは約30分。2両編成のちいさな列車がかわいい。が、値段はかわいくない。ホンの15キロほどしかないのに390円である。わたしはぼんやりと車窓の景色を眺めた。大阪は雨なんだろうかと考えつつ。

うとうとし始めたころ、JRの駅に着いた。すると、タイミングのいいことに「豊橋発米原行」が来た。米原というのは滋賀県で、コレに乗れば私の家の最寄り駅まで、米原、大阪の2回の乗り換えで帰れるのだ。わたしは「ヨシヨシ」とつぶやきつつその「特別快速米原行」に乗り込んだ。

乗り込むと私はウトウトと眠ってしまった。で、名古屋を過ぎ、岐阜駅を過ぎた頃にアナウンスがあった。「え〜、この列車は大垣で後ろ4両を切り離し、前2両のみが米原行きとなります。米原駅方面にお越しのお客様は前2両にお移りください。」

私は電車の中程に乗っていたので、いそいそと前方へ動いた。が、座れなさそうだったので3両目の空いた席に腰掛け、大垣の手前で映ることにした。が、しかし、しかし、である。どんどん前2両は混んできて、通勤時間の大阪市営地下鉄もびっくりという感じに混み合っている。地獄だ。私は大垣駅で駅員さんに背中を押されつつドアを閉められた。まるで押し寿司のごはんにでもなった気分だった。

私がほげ〜と思いつつ満員電車に身をまかせていると、左手首が痛い。腕時計の時計部分が外を向いているので圧迫されて手首が痛いのだ。私はもごもご動いてどうにか時計を内側に回した。ふーっ。

今度は後ろの女性がゆらゆら動いて私のザックにヘッドバッキングをかましてくる。わたしはむむむ!と思いつつも彼女を観察していた。すると、彼女の向こうはお母さんに抱かれた幼児がいる。その幼児は異常にハイテンションで手を振り回して、お母さんの顔をつかんだり、私の背後の見知らぬ女性をたたいたりしている。それで女性はその子から逃げるため、私のザックに頭突きを繰り返していたのだ。むっとしてごめんよ。

が、こんな混むって分かってる列車に幼児を乗せるってのはどんなもんだろうか?確かに青春18切符とはいえ、「大人一人に付き中学生未満の子供を二人同行できる。」というルールは適用される。でもさぁ。青春18切符は使うのが楽しいと思える人が使うもんであって、「お得命」の子育てママが帰省に使うモンじゃないと思う。そんなことどこにも書いてないけど、大人ならそんくらい分かれ。

案の定、米原に到着すると私の背後の女性がその子連れ夫婦に文句を言っていた。そりゃそうだ。メイクをした顔を約30分の間、叩かれたりなでられたりしてて、身動きすらできないんだから。痴漢のほうが本気でやり返せるだけマシだと思う。その母親は平謝りしてたけど、ココロの中では「青春18切符で得したんだから、これくらいは何でもないわ。」とでも思ってるんだろう。確かに特急や急行で指定席を取れば子供でも指定料金はいるわけだから。小銭で常識失うバカがここに一人である。

米原では接続の網干(兵庫県)行きが待っており、みんな乗り込んでいたが、私はほとほと疲れ果てていたので北陸線に乗り、3つ北にある長浜駅へ向かった。

長浜は以前だんなさんが単身赴任をしていたので、なつかしい。琵琶湖もあるし、広々した空がなんだかカナダ西部みたいで気持ちのいい所だ。私は人っ子一人いないベンチでお茶を飲み、しばしぼんやりした。

そして長浜発網干行の新快速列車に乗り込む。さっきの殺人的混みようが嘘のようで申し訳ないほど空いている。わたしは30分ほどボックス席を占領してのんびり小説を読んだ。

近江八幡の駅で私の前に女性が座った。年の頃は60くらいか。スーツを着てお洒落をしており、静かにバッグから取り出した週刊誌を読んでいる。わたしも、読書を続けた。京都駅で私の斜め前に着物の女性が座った。着物といっても、一般的にイメージする絹の着物ではなく、和風創作居酒屋なんかの制服でありそうなポリエステルの着物である。模様は白黒の市松模様。黄色の帯を締めている。びっくりするのは足下だ。小学生女子の履くようなファンシーなソックスに着物の草履で何だかミスマッチだ。が、「冷え性なんやろか?」とさほど気にせず、その藤山直美を地味にしたような女性をちらりと見た。

京都から大阪までは途中高槻と新大阪しか止まらないので30分もかからないと思う。その間に信じられない話を聞いてしまった。(ハイ、いつもの変な人が出てくるパターンです。)

その着物の女性は手提げから手芸用具のようなものを取り出して小物を作り始めた。それを見た、正面の初老の女性が、「まぁ、何を作ってらっしゃるの?」と聞いたのだ。それが始まりである。

すると着物の女性は「ええ、家にこもっていることが多かったので自然とこういう趣味を身につけたんです。」と言った。続けて、「私、こう見えても足が不自由なんです。先天的なもので軟骨が普通の人と違うんです。これがね、軟骨でなくて骨だったら障害者2級を頂けるとお医者さんはおっしゃるんですけどね。今の日本の医療制度ではカバーできない障害なんです。これがね、原因で子供のころから運動障害が出て、いじめられてたんです。だからあんまり外にも出なくて。お医者さんから薬を頂いてたりするんですけど、やっぱり親がね、私が子供の時にちゃんとしてくれなかったのが、悪いと思うんです。」

と、これくらい一気にしゃべった。私の前の初老の女性は「…、あら、たいへんね。」ととりあえず相づちをうった。着物の女性はまたもまくしたてる。

「私ね、女の子一人だったから、祖母に嫌われてたんです。男の子が欲しかったみたいで。ほら、昔は家を継ぐために男のが必要って考え方あったでしょ。で、子供の頃、やかんのお湯を足にかけられたりしたんです。」

やかんのお湯と手芸とどういう関係があるのかは分からないが、彼女を止めることは出来ない。なんとなく目がいっちゃってる感じだったからだ。初老の女性は「まぁ、良くないおばあさんねぇ。」と相づちを打つ。

「でも、やはり長生きはしませんでしたね。孫に殺されましたから。階段の上から突き落とされたんです。え?私じゃありませんよ。二つ年上のいとこです。彼女も女の子で祖母には嫌われてましたから。親戚も私の親もこのことは内密にってことで、祖母が自分から足を滑らして階段から落ちたことにしたんです。でも、2年後、突き落とした彼女は自殺しちゃいました。」

…。あのー、そこまで訊いてないんですけど。私は本を読んでるふりをしながらヒヤアセをかいていた。高槻から乗ってきた私の隣の女子高生風の女の子も携帯メールを打つ手が止まっている。隣のボックス席でビールを飲んできたおっさん4人組もしーんとしている。みんな耳ダンボなのだ。

「あらまぁ。」初老の女性がどうにか相づちを打った。まだも話は続く。

「結局ね、祖母の育て方自体がおかしいんですよ。私の両親も著作がたくさんあって、教育の評論をしたりしてるくせに、あれは仮面なんですよ。」

「で、今からはどこに行かれるの?」と初老の女性が話を振った。えらい!ここで話の流れを変えてくれとそこにいる皆が願っていたに違いない。が、それが深みにはまっていった。

「ええ、今から友人を訪ねるんです。もう20年も会ってないんですけど。いきなりね、昨日の深夜に「死にたい。」って何通も何通もメールが来るんです。それではるばる3時間かけて来たんです。彼女の顔を見て安心したいなと思って。彼女ね、同じ職場の同僚だったんですけど、セクシャルハラスメント、アレで調子をおかしくしちゃって田舎に帰ってずっと薬を飲んでるんです。メールだけのつきあいの私になんで助けを求めに来るのかちょっとわかんないですけどね。痛みが分かる人って思われてるのかな。」

ここまで来て、電車は新大阪である。あと2分で大阪駅に着く。乗客は網棚から荷物を下ろしたりいそがしい。私の隣の女子高生も席を立って出口へ向かった。わたしも本をしまい、出口に向かった。

本当なら18切符を生かして神戸あたりまで行って美味しいものでも食べようかと思ったが、変な話を聞いてしまったのでとてもそんな気になれず、さっさと家に帰った。

その日の晩、ダンナさんにこういうことがあったと伝えると、ひとこと、「それ、その人のネタやで。ぶはは。」と一笑に付された。そうなんかな〜。「で、なんのためにそんなネタを電車の中で振るんかな?」と訊いてみた。すると、「そんなん知らん。言いたかったんちゃう。」いいなぁ、こういう考えのできる人は。

前回みたいに、むりやりおかずを押しつけられたり、現地人と間違えられて道を聞かれたりするだけならまぁいいんだけど、こんなアタマがおかしくなりそうな話を訥々と聞かされると気分がどんよりしてしまうのは、わたしが考えすぎだからだろうか?

今年のお盆は雨つづきでついでにこんな変な話でフィニッシュした。何だかほんとにいまいちな休日だった。


2003年08月16日(土) Go Go 愛知県「第三日目・大須の町」

土曜日はかろうじて晴れそうなので「大須」という町に行くことにした。私の中で「大須」とは東京の秋葉、大阪の日本橋と並ぶ電気屋街だと認識していたからだ。ダンナさんの住む町から電車で1時間ほど。片道890円を費やして行ってみた。

地下鉄から地上に上がってびっくりした。ただのビルが立ち並んでいるだけなのだ。大阪だと、地上に出るやいなや、チラシ配り攻撃に遭ったり、たこ焼き屋台がどーんと控えていたりするのだが、ぜんぜんそんなこともなく、ただの休日のビル街なのだ。いきなり途方に暮れてしまった。なんせ下調べは一切していなかったので。とりあえず、ちょっと歩いて大きな中華料理屋さんで早めの昼食を取ることにした。結構混んでいたので味には期待していたのだが…。

私は台湾ラーメンとごはん、ダンナさんはばりばり焼きそばを注文。なぜかごはんはだんなさんの方に置かれてしまったがまぁそれは良いとしよう。問題は味なのだ。まずいわけでは決してない。濃いのである。ばりばり焼きそばのあんかけ部分は醤油の色で真っ茶色。ダンナさん曰く、「この一皿でどんぶり飯2杯はいけるで。」とのことだった。台湾ラーメンもスープを飲むことは出来なかった。スーパーの総菜とかからも感じたが総じてこの辺の味というのは、油モノは濃いようだ。(でも煮物はそうでもない。)余談だが、スーパーの「豚天の炒めもの」は豚なのに天ぷら、しかもそれを甘辛いタレで絡めてあるという、ごっついシロモノだった。まずくはないんだけどツラい味、とでも表現したらいいのか。

その後、どうにか歩き回ってパソコンショップの集落を見つけた。そこには「Apple Park」というマック専門店などがあり、結構楽しめた。でも、想像していたより規模は小さいようだった。そこからてくてくと歩くと大きなアーケードに出た。そこは大阪・ミナミのように若者向けのでろでろの洋服屋、人混みの中のオープンカフェなどが立ち並んでいて、にぎわっていた。そこで目を引いたのが「コメヒョウ」というファッションビルのようなものだった。

ダンナさんがトイレに行くというのでその賑わっている「コメヒョウ」というビルに入った。ダンナさんが用を足している間、私はその辺をうろちょろして回った。そして分かったこと。この「コメヒョウ」とは「質屋」だったのだ。質屋で中古なのに店員さんがうやうやしく白手袋で商品を出してくる。それを品定めする子連れのお母さん。傍らのダンナさんは茶髪のアイパーでスゥエットの上下を着てポーチを小脇に抱えている。

私はすっきりした表情のダンナさんにその旨を素早く伝えた。すると、「ふーん、質流れやねんなぁ。」とショウウィンドウのバックを眺めて感想を述べていた。その後、あまりにも蒸し暑いので喫茶店に入り、アイスカプチーノを頼むと、コーヒー牛乳に氷を入れてカプチーノの泡を乗せた飲み物が出てきた。喫茶店のくせにシロップはメロディアンミニみたいなやつである。それで450円なんだから、儲かっちゃってしょうがないような喫茶店である。

「都会はなんかつまんないね。」と私はひとことダンナさんに告げ、帰りの電車は熟睡してしまった。往復で二人で4000円近くかかったわけだが、もう2度と行かなきゃいいやということで、高い授業料だと思うことにした。

帰り道はぽつぽつと雨が降っている。私はのそのそと歩きながら傍らのクルマがうっとおしかった。歩道がないような道で両面通行。そして前が赤って分かってるのにぶんぶん飛ばして走る。もっとも道を歩いているのは私たちだけで、子供すら歩いていない。完全な車社会なのだ。私は水しぶきを上げながら能天気にぶんぶん走る自動車を横目で見ながら、「どうせなら歩行者通行禁止にして、『危険!道路を歩くな!歩行者は自動車を利用しましょう。』って書いておけばいいのに。」と言った。するとだんなさんはニガ笑いをしていた。

こういう話になるといつも同じぼやきを繰り返すことになるが、クルマで移動を繰り返す生活って私はあんまり面白くないと思う。いくら田んぼや畑があって、虫が鳴いたり花が咲いたりしていても、クーラーの効いた車内でボンボンマフラーを鳴らしながら走っても何も感じることはできないからだ。

近い将来、この町に引っ越してくることになるかもしれないが、私はクルマには乗らないつもりだ。確かに坂道で信号のなくて見通しの悪い交差点でうちのMT車を右折させることはできないほど運転はヘタクソだが、(音で判断して何も来ないと思ったら思いっきり加速して曲がればいいらしいが怖くてできないのだ。)、歩行者に恐怖感を抱かせるような狭い道を能天気に運転するようなバカ者にはなりたくないのだ。

晴れた日は自転車で、雨の日はカッパを着てカブに乗ろうと決めた。町を見たところ、バイクは少なく、ツーリング中のバイクは見たが、新聞屋と農業の人以外でカブに乗っている人はいなかった。大阪ではたくさん走っている黄色やシルバーのお洒落なカブもこっちにはいなかった。

ちょっとこの町は不思議な町だ。続きはまた明日。


2003年08月15日(金) Go Go 愛知県「第二日目・T市うろちょろ見聞録」

朝からとにかく雨だった。雨足が弱まったかと思ったら、どばーんと降り出す。そんな繰り返しで遠出はあきらめた。そこで行き当たりばったりに市内を散策することにした。まずは近所のホームセンターへ。やはり地方都市。品揃えが興味深い。どぶさらいのスコップだとか、はえ取り紙、大きなカエルの置物(口が噴水になっている。庭用か?)など、大阪のホームセンターにはないものがたくさんあって楽しい。

併設のペットショップで動物を見た後は駅ビルに行った。このT市自体はそんなに人口が多いわけではないが、駅ビルの規模はすごいもんがる。デパートに無印良品、スターバックスに、タリーズコーヒー。ミナミの町と品揃えは変わらない。ただひとつ違うのは、店が空いていることと、子供連れの多いことだ。二家族で大人4人、子供5人なんて大所帯でタリーズコーヒーの一角を陣取っている。高く付くやろなーなどと余計なお世話だが思ってしまった。

お茶でほっと一息ついたところで、次は図書館に行ってみた。これが圧巻だった。近代的高層ビルの3階から6階が図書館でカラオケボックスのようなAV視聴室、パソコンを持ち込める自習室、壁沿いにはソファがあってゆっくりと本が読める。蔵書もなかなかマニアックで、自動車関連の洋書がたくさん揃っている。当たり前だがこれで無料である。しかも3時間の駐車は無料らしい。

駅のまわりも駐車場が多く、どこかの店を利用すると2時間から3時間無料で駐車できるようだった。これはすばらしいことだと思う。この辺は大阪もどうにかして欲しいと思った。

その日の晩はまんが喫茶へ行った。だんなさんは「B.B.」を、わたしは「天然コケッコー」と「ジョジョの奇妙な冒険」を読む。「天然…」の方は終わり方があっけなくちょっとがっかりだったが、「ジョジョ」は昔読むのと今読むのとでは全然違って、はまりこんでしまった。全80冊もあるなんて嬉しいやら悲しいやら。結局ジョジョは7巻までしか読めなかった。

明日につづく。


2003年08月14日(木) Go Go 愛知県「第一日目・青春18きっぷのひと」

このお盆はだんなさんの単身赴任先である愛知県のT市へ行ってきた。その旅の記録をしたためてみようと思う。

まず、木曜日8月14日は雨だった。本当なら電車で帰ってきてバイクに乗って帰るダンナさんの後ろに乗って一緒に行くつもりだったが雨なのでやめ。私は青春18切符でゆくことにした。

家を出たのが9時15分くらい。横殴りの雨の中、20分歩いたら膝から下はびしょぬれである。何だか先が思いやられる。10時ちょうど発の「新快速長浜行」に大阪駅で乗り込む。お盆の前夜祭?かどうか分からないがかなり混んでいて京都を過ぎてもまだ座れない。結局その先の近江八幡でやっと座れた。私はザックからお茶とパンを取り出し、ほっと一息ついた。

この列車を米原で降りて大垣行きへ乗り換える。これはホンの35キロほどのローカル線なのだがJR東海とJR西日本が相手を牽制しているというわけでもないだろうが、いつもバカみたいに混んでいるのに2両編成である。特にこの時期は私のように青春18切符を片手に西日本から名古屋方面に抜ける人間が多い。新快速は12両でその大半が流れてくるので混んで当たり前なのだ。

私は通勤の地下鉄のような混みように参ってしまい、大垣駅で2分の乗り継ぎで接続する列車を見送った。ベンチでぼんやりとお茶を飲んだ。大垣からはスムースに豊橋行きを捕まえることができて、のんびりと車窓の景色を楽しむことができた。13時過ぎに目的の駅につき、名鉄線へと乗り換えた。

名鉄線に乗り換えてから30分ほどで目的の駅に着いた。そのころ、雨はざざ降りで駅前のタクシーも出払っている。一度クルマで来たことがあるのでまぁ行けるやろと駅から歩き出したのがアホだった。道に迷ったのである。

「そういえばこんな田んぼあったよな。」とか、「こんな感じの道だったよな。」とか半ば無理矢理納得しながら歩くこと30分。ダンナさんから電話がかかってきた。まわりの景色を説明すると、全然違うとのこと。もっともクルマで確かにそこを通ったがめちゃくちゃ遠回りで、徒歩なら15分くらいで来れるはずだと言われた。

そのときはふーん、そうなんかと単純に思ったけど、その後この町の「クルマ社会度」の高さを痛感することとなった。

とにかくその場で待って、だんなさんにバイクで迎えに来てもらった。そして、夕方近所のスーパーに買い出しに行く。牛肉が国産しか売っていないとか、とんかつに味噌ソースがかかっているとか、ギネスの缶ビールが1本352円もするとか、どうでもいいことにびっくりしつつ家に帰った。物価は大体大阪の下町の倍くらいか。そこにみんなクルマで買い物をしに来ているのでブルジョアなんだろうか。

その日は疲れたのですぐに寝てしまった。

明日に続く。


2003年08月10日(日) ビールを美味しく飲む方法

目が覚めると両足が焦げて熱い。私の家の寝室は午前中にバキっと朝日が差し込むようになっているので夏場は足が焦げて目が覚めるのだ。私は「うぉー、しんどい。」とつぶやきつつ、洗濯機を回し、コーヒーを沸かす。コーヒーが出来ると氷を山ほど突っ込んだグラスにコーヒーを注ぎ、冷蔵庫から取り出した「まるごとバナナ」を持ってパソコンの前へ。

HPのリンク集を拡充するためにサイトを見て、アドレスをコピペして回収して行くのだが、これが案外面白くてはまってしまった。ミュージシャンの人のHPは人によってものすごく出し惜しみしたり、大盤振る舞いだったりいろいろだけど、「大物」ほど大盤振る舞いなのが笑ってしまった。あっちのミュージシャンは公式サイトからquicktime形式、real形式、windows media形式でフルに視聴できるのが当たり前。コピーコントロールCDなんていかさま臭いCDを作るヤツは見習えって感じである。ナンボTSUTAYAで借りてコピーできるって言っても、欲しけりゃ買うって。

洗濯物を干し終わり、自転車で外出する。家に溜まっているビール瓶を酒屋に持っていくのが第一目標。が、どこも酒屋は閉まっている。日曜日だからだろう。買った店に返すのが筋なんだろうが、百貨店で購入したギネスビールのボトルを百貨店に返しに行くのはちとしんどい。結局となりの区の酒屋さんで無料で引き取ってもらった。うまいビールは飲んだ後一苦労なのだ。

その時午後2時過ぎだった。私は帽子をかぶっていたが、頭がガンガンする。日中、35度前後とのことだったので熱射病かもと思い、近所の公園の日陰で休んだ。そこの公園は神社が隣接し、人も少なくとても落ち着いた雰囲気だ。私はその木陰でほっと一息ついた。案外涼しくてびっくりである。

大阪の都会が気が狂うほどに暑苦しいのは緑がないからだと感じる。いくら気温が35度でも、日陰に入れば蒸し殺されるような熱気からは逃げることができる。わずかな風でざわざわと揺れる葉っぱの音で私は頭痛が和らぐ気がした。

ちょっと間休憩してなじみのバイク屋さんへ。ひさしぶりなのでたくさんしゃべった上、「ガリガリ君」までごちそうしてもらった。ありがとう。私はそこで夕暮れを待ち、日が暮れると家路についた。

家に帰るともう8時前である。汗くさいわ、家は熱気でむわんとしてるわで不快指数200%である。私はおもむろに豆腐と手羽先を冷蔵庫から取り出し、豆腐は水切り、手羽先は中華風のたれで照り焼き風に仕立てた。鶏を煮込む間、半身浴でほっと一息。冷蔵庫ではビールがばきばきに冷えつつ私を待っている。

風呂からでると、私は豆腐の上にザーサイ、ラー油、ごま油をあえたものを載せ、すっかり味のしみた手羽先をキャベツのぶつ切りと共に別の皿に盛った。テーブルにセッティングすると、待ってましたとばかりに冷蔵庫からビールを取り出し栓を抜いた。

ぐわはっ!旨い。胃袋が砂漠の砂のようにビールを吸い込んでゆく。こってりとした手羽先にごまをふってがぶっとかじる。これまた旨い。5本で100円のバリューはすごいもんがある。ザーサイ豆腐も濃いが酒が進む、進む。結局、食事だけでビールを1本とイモ焼酎ロックを2杯も飲んでしまった。

ビール、酒のうまさはその日流した汗の量に比例すると感じる。それが「仕事の汗」なら文句ないのだが、「道楽の汗」でもそれはそれで。

そんなこんなでイモ焼酎ロックは5杯目に突入なのである。


2003年08月09日(土) 今日のうまい酒

台風が過ぎ去ったころを見計らい、夕方から買い物に出た。となりの区までわしわしとママチャリをこぐ。となりの区の100円均一の店には「クイックルワイパー」のぱちもんが売っているのだ。家にあったものはだんなさんにあげてしまったので買いに行ったというわけである。

その店に着くと、なんと「95円均一」の店に変わっていた。もちろんぱちもんワイパーも健在。わたしはふふふと笑いながらぱちもんワイパーを籠に入れた。そのほかに1階のスーパーで無添加系のポン酢、卵、まるごとバナナ、納豆、トマトジュース、ポッカレモン、ザーサイなどを購入。ポン酢が550円だったにも関わらず、総額1300円となんぼかだった。しかも最後に総額から10%オフしてくれる。日曜日が休みなので売り尽くしってことで土曜日は10%オフとのことだった。しかし太っ腹である。卵も一パック50円だし。さくら卵のくせに。

帰り道でおとうふを購入し家路についた。余談だが先日ママチャリのフロントブレーキワイヤーが切れたのでホームセンターでワイヤーを買ってなおした。なんとそのワイヤーは128円だったのだ。チャリンコ屋で修理すると1000円くらいはかかると思う。原価は128円なのね…。

家に帰ると冷凍庫から鶏肉を出して焼いて食べた。いつもの「クレイジーソルト焼」にタバスコとケチャップを混ぜたものをつけて食べる。ピリ辛でビールがうまい。とりあえず満足したのでわたしはおもむろに小ジョッキを取り出した。そこに「氷結21」を注ぐ。そして、氷、トマトジュース、ポッカレモンを加え、好みの分量のタバスコ、黒胡椒、そしてクレイジーソルトを振りかけてまぜまぜする。これがうまいのだ。

ブラッディマリーのスパイシーなやつで、カナダやアメリカでブラッディシーザーとか、シーザーとかいうカクテルに限りなく近い。本場モノはグラスの口にセロリソルトという塩をつけて、セロリの軸でかき混ぜながら飲むのだが、これはこれでおいしいと思った。

気を良くした私はなべに湯を沸かし、温泉卵を作った。ネットで温泉卵のレシピを見たのでそれを試したくなったのだ。所要時間25分くらい。30分ほど冷やして恐る恐る中を割ってみると、神々しいまでの温泉卵がフルフルとこぼれ落ちた。「イェーイ!」などと高嶋忠雄のおたけびを上げ、私はだしを注ぎ食べてみた。「これが1個あたり5円の卵だなんて信じられるかい?マイク」「すごいじゃないか!デイブ。これで市販の温泉卵はもう必要ないよね。」と一人で海外通販ごっこをしてしまった。飲みすぎか?しっかし誰やねん、マイク&デイブ。

こんな日は酒がうまい。

仕事をしていたころは、酒を飲むと偏頭痛がしたり、寝起きにおたけびをあげそうになったり、会社に行く途中にふとこのままどっかに自転車をこいでいきたくなったりちょっとやばげだった。実は「セントジョーンズワート」(暗闇に光を与えるハーブらしい)なるハーブ系のサプリメントを飲んだりしていた。

でも、最近は飲んでいない。やっぱり会社がいやだったんだろうか?ま、とにかく酒がうまいのはいいことである。


2003年08月07日(木) 夏の日の再インストール

以前からやらねばならないと思っていたウィンドウズパソコンの再インストールを決行した。このマシンは一昨年の正月に組んだ自作機である。もっとも私は横からわーわー言っていただけで実際に組んだのはだんなさんだが。

スペックはAMD Duron850Mhzにメモリ128MB、HDは40GB。ドライブ類はDVDのコンボドライブと、家にあった未使用ドライブ類のフロッピードライブ、CD-Rドライブ、外付けMOドライブをばらしたモノも入っている。割とゼータクなスペックだ。

が、私はマック偏愛者なので雑誌のフリーウェアを試したり、家でしぶしぶエクセルを起動しないといけないときとか、ウィンドウズしか対応していないサイトを見るときくらいしか使っていなかった。で、2年の歳月が流れたのである。

いくらWindows2000でも、2年も再インストールもせずフリーウェアを突っ込んだりしていたらおかしくなるのも当たり前。こないだ購入した「エヴァネセンス」というバンドのアルバム(CDエクストラ仕様)の動画の部分がコマ送り状態で見れたもんじゃない。

ビデオボードがオンボードだったのでそのせいかと思い、ビデオボードを先日増設した。が、状況変わらず。ということでやはり再インストールをした。

結果。ちゃんと動画が見られるようになりました。が、不思議なことにドライブ内を見てみると、前にインストールしていたものやデータが全部残っていた。ちゃんと「全部消してインストール」を選んだつもりだったのに。

マックの再インストールは残すようにって思ってやっても消えてしまうのに不思議なものです。ハイ(^_^;)

パソコンの道は奥が深い。(単にあんまり分かってないだけかも。)


2003年08月04日(月) なおぞうvs変なおばさん

気が付いてみれば前回日記を書いたのは一週間以上前である。その間は派遣の仕事が終わりになったり、管理人のおっちゃんが朝の7時台に家に来てふてくされまくったりといろいろ動きがあった。が、ここに是非知らしめたいのは「変なおばさん」との出来事である。

コトのはじまりは1日の朝。私は会社に行かなくていいということは朝から市場に行けるということなのね、ラララ〜♪などとアロハにビーチサンダル、Gパンと奥田民生のパチモンみたいな格好で歩いて近所の市場へ向かった。その日はだんなさんも帰ってきていたので、かき氷アイスを買おうと、家の裏手の酒屋コンビニに立ち寄った。私は両手にゴーヤやキャベツなどの戦利品を抱えている。

「早く家に帰って冷凍庫に入れよう。」と思いつつ早足で家に向かう。すると、右手前方から初老のおばちゃんが私に向かって歩いてくる。そしてこう言った。「あなた、子供さんいてはるの?」私は咄嗟のことでよく分からなかったが、「ハァ、いません。」と答えた。すると、彼女は「近所の子供達にでもあげてね。」と言って、右手に握ったモノを私に受け取れというふうに手を出した。

セミである。しかも2匹。私は何故か、はぁわかりましたと言って受け取ってしまった。「じゃあね。」とおばちゃんはその場を去っていった。私は道路の真ん中で、ジージーと鳴くセミ右手でつかみながら、左手にかき氷アイスをぶらさげ、肩に買い物袋に入れた野菜類の重みが食い込んでいた。

「何でおばちゃんはセミなんか取ったんやろ?」「で、何で要らんからって私にくれるんだろう?」とアタマの中は疑問符だらけでとにかくマンションへ帰ってどっかの子供にあげようとした。が、ちょうどお昼時だったのでいつもは佃煮にするぐらいウロチョロしている子供達もマンションのまわりにいなかった。

わたしは植え込みの木の枝にセミを乗せた。すると「ケッ!」というふうにジジッと鳴き、ひゅんと飛んで行って見えなくなった。

その「セミおばちゃん」との戦いの後、次なるおばさんバトルはすぐに勃発した。

本日4日月曜日のことだ。私はダンナさんの今月からの転勤先の愛知県に遊びに行き、帰りは名古屋駅からハイウェイバスに乗った。私は運転席と反対側の一番前の席に陣取り、車窓の景色を満喫しようとわくわくしていた。私はデパ地下で購入したミニおにぎり弁当を広げて食べる準備をした。7割くらいの乗車率で今まさにドアが閉まろうとしているそのとき、両手に名古屋松坂屋のポリ袋を鈴なりにぶらさげ、チューリップハットをかぶったおばちゃんがどどどと駆け込んできた。
私はやばいと思い、さっと目をそらしたがおばちゃんは「ちょうどいいところが空いてるワ。」といった感じで私の横に座った。そして座るやいなやバリバリと音を立ててポリ袋からデパ地下で購入した「中華おそうざい5点セット」のようなものを取り出して食べ出すではないか。お弁当ではなくお総菜セットをである。一瞥したところ、ご飯は入っておらず、オカズのみである。開けた瞬間に中華特有のニンニク、油のニオイがどはーんと車内に広がってゆく。

わたしがあっけにとられて見ているのに気が付いたおばちゃんは、「あんたさん、おにぎりだけやないの。オカズあげるわ。」とかなんとか言い、私の弁当の隙間に厚揚げを甘辛く炒めたものを載せた。私はこれまた「ハァ、どうも。」と言って頂くことにした。

それを半分くらい食べるとおばちゃんはがさがさと袋に総菜セットを戻し、今度は車内のパンフレット類を物色している。その次はこれまたパンフや小冊子、チラシが押し込まれてパンパンになったおばちゃん特有のかばんから怪しげな健康パンフのようなものを取り出し、独り言を言いながら読んでいる。「マイナスイオン」、「健脳食」、「磁化水」。怪しいキーワードのオンパレードだ。そのうち彼女は寝てしまった。

私はやれやれと車窓の景色に目をやると、もう滋賀県に入っている。私はのんびりと景色をながめつつ、うとうとしていた。すると「もう、明るくて眠れないわ。」という声とともにおばちゃんは立ち上がり、私のアタマの上にその大根のような腕を伸ばしカーテンを閉めようとしている。「アンタ、さっきまで寝息まで立てて寝てたやんけ。」と思いつつ、私は寝ているふりをした。

大阪府内にバスが入ると道路はみっちり混んでいて、定刻の30分遅れでバスは大阪に到着した。おばちゃんは到着の15分前にもう一度中華総菜を広げ、残りを食べ尽くし、弁当箱とビニール袋を目の前のネットにぎゅうと押し込むと、持参のペットボトルの水をごくりと飲み干してご満悦だった。

しかし疲れるおばさんである。他にも空いている席はあったのに、何故か隣に座られてしまう私が嫌になってしまった。私の持つ何かが変なおばさんの波長にシンクロするモノがあったのだろうか。考えただけでウツである。

疲れたので休むことにしよう。


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