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題名に、「日記と言うよりメモ」の言葉が含まれた場合は、 母の様子や入院等についての内容が書かれています。 ここに、ガンのコトが少し書いてあります。


2002年09月26日(木)

朝、下を向いて歩いていた。
足元に真っ赤な実が落ちていた。

コーヒー豆みたいだな。
実の正体を確かめたくて、あたりを見上げた。

花水木の実だった。
木に実がなって、また来年花を咲かせるんだ
自然とそう思った自分の気持ちが
母を忘れたようで突然悲しくなった。

また少しうつむいて歩き出した。


2002年09月18日(水) 友達へ

一雨毎に気温が下がっていくようで
随分過ごしやすくなってきましたね。
そっちはどうですか?

私は、まだ体調があまり良くありません。
理由の判らない耳の痛さとめまいがあります。
先日病院へ行きましたが、簡単に言うと
『気にしすぎ』だそうです(笑)
母の病気が病気だったので、女の子は母親の体質を
強く受け継ぐからと母からも何度も言われていたので
いい加減な私も、さすがに少し心配性になったみたいね。

仕事一色なのは相変わらずなので、この不調もなんとかなるでしょう。

メールしようかと思ったんだけど長いのは無理あるしさ(笑)
色んなコトがあった。きっと貴方にも色んなコトがあったね。
誰かに言うだけで気が楽になるなら、私にもメールしてね。
私も自分以外のコトを考える時間が必要だと思ってるんだ。
だから、ね。


2002年09月15日(日) 四十九日−2

お坊さんが来て四十九日のお経をあげていった。

叔母も来てくれた。やっぱりご夫婦で礼服だった。
もちろん小姑達だって黒のブラウスとスカート。
従兄弟も黒い服だった。
父だけが黒じゃなかった。
茶色いポロシャツにベージュの綿パン。

自分が心の喪主だと思っている。
だからもう良い。

お食事会を一駅離れたすし屋で行い
全員一緒に戻ってきた。
やがて叔母達は帰っていった。


確か17時位だったと思う。

小姑が突然
どこかに行きたいわね
いっつも東京に来てもどこにも行けないから。

『私達が記憶にある限り、あっちに帰った時は
ひとっことも自分達から言わせてもらえなかったわよ
アレ食べたいとも言えなかったわよ?』と思いつつ
黙っていたら
父が
ん?どこに行きたいんだ?箱根か?横浜か?

『なにいっちゃってんの?バカか?
お母さんの四十九日できてんのに、観光かよ?』
また黙ってたら
小姑が
いいわね、箱根。大きいお風呂に入りたいわね。
おい、お前ら探せ。
『出た』
箱根に泊まるの?今からじゃ無理だと思うけど?

そう返事をしたが、父と小姑達は談笑中。
『へいへい』
一通り検索して、箱根の観光協会にA子が電話
あのー今日って、泊ま…
あ〜ないです。無理ですね。
あ、そーですか。はい
やっぱり無理だって〜。
あら残念ねぇ〜。と小姑。
ため息が出た。

結局父が、中華街でもちょろっと歩くか?と言うコトで、繰り出した。
19時過ぎにこっちを出た。大人8人に1才半の赤ちゃん連れて。


観覧車を見て、笑顔の小姑が私に言った。
テレビのニュースと同じモノが目の前で見れてホントに嬉しいわ、
お母さんに感謝だわね。
私は無言で微笑み返しただけだった。


中華街で食事をし
帰宅は全員24時を回っていた。
くたびれた。


2002年09月14日(土) 四十九日−1

小姑達がやってきた。
確か四十九日の為。

今日は父が仕事の為に夜は不在だ。
私に小姑達を食事に連れて行けと
父から指示が出ている。

今は親元
総勢大人が7人赤ちゃん1人
ここから離れると移動が難しいし
帰りも大変だし、万が一父が合流となった場合は?

すっごく悩んで近所の洋食屋に予約を入れた。
すんなり予約は出来たが、店員が少なかったようで
全ての手際が遅かった。

不満はあったが指摘をして次から来難くなるのも
なんかなぁだったし、
こんな席で苦情を言うのもやっぱなぁと思ったので
なにも言わなかった。
ここは父と母が月に1回程度来ていた母のお気に入りの店
それが頭にあって何も言えなかったのかもしれない。

小姑達は料理を出すのが遅いと笑顔で
お互いに不満を言い合っていた。
横では私が聞いている。
接客業やってる(た)のになんで同業者の大変さを
理解できないんだろう?私には疑問しか浮かばなかった。
料理が出るのが遅かったので赤ちゃんを抱いて
外に出たりして時間を潰していた。

支払を私がする時に小姑がこう言った
おばちゃんらしいことさせて。
えっでもお父さんに言われてるし。
良いのよ、ね。
『レジ横で長居するのも迷惑だろうし
大人ならもう1回断るのが筋だろうけど
親戚だし父に後で言えば良いか・・・』
うん。じゃお願いしちゃおうっと。

支払は小姑に頼んで、父にメールした。

おばちゃんが支払ったからお父さん返してね。
料理が遅くて皆イライラしたみたいよ。

料金のコトは判ったが、お店には文句言ったのか?

『なんだよ、めんどくせーなぁ』
言わない。

なんでだ、ちゃんとお前が言わなきゃだめじゃないか。

『あんたはいつも文句しか言わないからだよ。
だから私らが絶対文句を言わないんじゃん』
注意をして、伸びていく為のコトをする筋合いがないからしなかった。

そんな感じの返事をしただけだった。
もう全部めんどくさかった。父の望むコトはしたくない。


2002年09月10日(火) 四十九日

喪主は礼服でと書いてあるのに、
服装はどうするか確認した私に
父はこうメールしてきた。

ハデじゃなければTシャツでも構わない。

苛立ちを覚える。
自分だけが恥をかく分には構わないが
母のコトを悪く言われるのはイヤだ。

返信した。
喪主の参加する法事は1年間、喪服が普通だってよ。
私達は喪服を持っていくからね。
叔母ちゃんも来るならなおさらそうだよ。

また返ってきた。
小姑達は遠くから来るから、そうもいかんだろう。
だからこっちは普通でいいんだ。

この人はどこを心配してるんだろう。
ムキになって返信した。
違うよ。喪主は来てくれる人達より
簡単な服装じゃいけないんだよ。

このコトに関してメールは終わった。
当日のコトはまた改めて。


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