みかんのつぶつぶ
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2005年01月30日(日) 夢の意味





帰りたい帰らせて

返して返らせて
この娘に父親を
返してあげて



私は、そう叫びたかったんだと思った。


2005年01月29日(土) grief



帰りたい
帰らせてと
泣き叫ぶ夢をみた。

暴動が起こっている街で
娘をかばいながら逃げ歩き
あまりの人の波に戸惑い
途方に暮れて
帰らせてくれと泣き叫ぶしかない私がいた。

その前の場面では
ある病院にいる私。
なぜか、病院にいる私。
治療のためにそぞろ歩く病人の列・列・列

死がいつも、
隣りにいることを知っていながらも生きていることや
死を迎えたほうが、
きっと楽なのだろうということを感じながらも生きることや
そんなもろもろなことを感じとりながら
呆然と眺める私の姿があり。



2005年01月23日(日) grief



死んでしまいたいと強く念じると、
本当に死んでしまうこともあるってどこかで聞いた。


悲しすぎて、涙を流すことを忘れてしまった経験はした。
苦しみを全て内側に飲み込み嗚咽しながらも、
涙は流せなかった。
現実は、壮絶なる闘いだった。



閉じた瞼は二度と開かず
閉じた唇に二度と言葉はなく
それでも横たわるその顔に、
この世の光は燦燦と降り注ぎ、
死して戻った自室で眠る彼の、
その瞼が眩しかろうと気遣い、
息子は窓辺のカーテンをそっと
閉めた。







2005年01月18日(火)



棺に横たわる姑の顔は、彼と同じ顔だった。義姉も同じことを言っていた。入院し点滴を入れた姑の浮腫んだ顔が、弟である彼もそうであった入院中のその顔とそっくりで驚いたと。そんな短い会話に、悲しみが悲しみを呼び起こしていることを察して義姉と二人黙りこむ。

彼が死んだあと、姑はしきりに「死ぬほど悪いなんて知らなかった。誰も教えてくれなかった」という言葉を口にし、私はそのたびに癇に障ったものだった。そんなことを葬儀の最中お経を聞きながら思い返しているうちにふと、姑は自分の息子が死ぬような悪い病気になっているなんて信じたくなかったのではないかと気づいた。頑固な性格だったうえに老齢でもあったから、誰が何と言おうと息子がそうであるはずがないと思って思いこんでいたのではないのだろうか。母親としての姑の気持ちになり察してみることがやっとできた私は、またひとつ大きな悔いを残すことになった。


みんな必死に生きていたんだ
みんなみんな、生きていたのに
どうして生きているという時間が限られているということを忘れてしまうのだろう


2005年01月14日(金) 旅立ち

父の骨を拾い
夫の骨を拾い
姑の骨を、拾い

私を囲んでいた三本の柱がなくなってしまった。
子供達を無償の愛で迎えてくれる人達がいなくなってしまった。

姑の死に、自分がこんなにも深く動揺するなんて。




ご縁をいただき、
多くの慈しみを受け、
心から感謝しています。

おかあさん・・・




2005年01月11日(火) 永遠の別れ

「あのね、おふくろが死んだって連絡がありました」
電話で聞く義弟の発する声は、どこか懐かしいトーンを含んでいる。やはり兄弟だから似ているのかも知れない。新年の挨拶をしたあとに出てきたこの言葉に義弟の動揺はなく、淡々としたいつもと変わらぬ響きだった。

姑は肺炎で入院して三日目、元気に話しもしていたのに突然呼吸をしなくなってしまったと、義姉が電話口で泣いていた。義姉の心中を感じた瞬間、全身に倦怠感を覚えるほどの悲しい反応が出てきた私がいた。
そう、もろもろの、あの日あの時あの日々、これまでのこれまでに至るまでのことが一気に、なんともいえない感覚で蘇えってきたのだった。



色々な感情が混ざり合う嫁姑の関係。
そう、色んなことがあって。
だから、
とても寂しい。
寂しいよ、お義母さん・・・
あなたが可愛がってくれた私の息子は、
今日で二十歳になりましたよ。
空の上で、タダシくんと一緒に祝ってやってください。


お義母さん、ありがとう。





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