みかんのつぶつぶ DiaryINDEX|past|will
土曜の昼下がり、冷房が効いた病棟の廊下、閉め切りの窓の外は炎天下。昼食が終わりお箸を洗いに流しへ行くと、フルーツを切っている女性の後姿。こんにちは、と声をかけると振り向いたその顔の目には涙があふれてあふれて、いたっけ。 新婚さんでご主人が闘病中。抗がん剤の副作用に苦しむ姿も度々見かけていた。若く可愛らしい奥さん、看護婦さんに励まされたその言葉に涙が出てしまってと、包丁を持つ右手の甲で涙をぬぐっていた。ぬぐってもあふれてくる涙・・・ 私もこんな風に泣けたらいいのにと思った。私はこんなに泣けるほど辛くはないのだろうかと思った。私は冷たい人間で、やっぱりどこか欠けていると思ったり。 一階へ車椅子を押していくと、玄関横にある自動演奏のピアノの横に同じ病棟のご夫婦が見えた。脳腫瘍の奥さんは車椅子、そばに佇むご主人、二人が聴き入っていた曲はサザンのいとしのエリー。静かに時間を共有していた。大切な残りわずかな時間。 厳かに、みんな生きていた。 そんなことを感じたある夏の土曜日、昼下がりだった。 いろんな場面を思い出し、こうしてPCの前で過ごす土曜の昼下がり。夏。
これ可愛いねとほめてもらったブルーのワンピースを着て江ノ島へ、二人ではじめて行った夏は二十二年前。
土日や祝日の病院は、ひっそりとする。シーンとした、という表現はここのためにあるのではないかと思うくらいの廊下に車椅子の車輪がまわる音と押し歩く私の足音だけが響く。 ひっそりと、静かに。命の重みを感じながら押す車椅子。 大袈裟な表現だと笑われるかも知れないが、いつも毎日こんな重みを感じ考えながら過ごしているのだ。 誰もわからなくてもいいと思う。 誰も知らなくてもいいと思う。 だけど、吐き出してしまいたい。 青い空白い雲、生き続ける私。 無機質な廊下の冷たい温度が心地良くなる夏の日。 抗がん剤の投与が終わると必ず寝たままになってしまう数日を経て、 彼はいつも蘇えった。 生きて生きて、まだまだ頑張れると、目を開け何かを食べたいという。 そして車椅子に乗り、病室から出ていきたいと要求するのだ。 いま、感動している。何を今さらという月日の経過があるけれど、 私のなかでは残った闘いは続いているのだ。 病状は静かに身体を衰えさせていったけれど、 蘇えった彼の笑顔が、深刻さを隠してしまっていた。 彼が、 見えないようにしていたんだ。 優しい優しい強い人だった。
みかん
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