みかんのつぶつぶ
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2004年07月24日(土) ある夏の日



土曜の昼下がり、冷房が効いた病棟の廊下、閉め切りの窓の外は炎天下。昼食が終わりお箸を洗いに流しへ行くと、フルーツを切っている女性の後姿。こんにちは、と声をかけると振り向いたその顔の目には涙があふれてあふれて、いたっけ。
新婚さんでご主人が闘病中。抗がん剤の副作用に苦しむ姿も度々見かけていた。若く可愛らしい奥さん、看護婦さんに励まされたその言葉に涙が出てしまってと、包丁を持つ右手の甲で涙をぬぐっていた。ぬぐってもあふれてくる涙・・・


私もこんな風に泣けたらいいのにと思った。私はこんなに泣けるほど辛くはないのだろうかと思った。私は冷たい人間で、やっぱりどこか欠けていると思ったり。




一階へ車椅子を押していくと、玄関横にある自動演奏のピアノの横に同じ病棟のご夫婦が見えた。脳腫瘍の奥さんは車椅子、そばに佇むご主人、二人が聴き入っていた曲はサザンのいとしのエリー。静かに時間を共有していた。大切な残りわずかな時間。




厳かに、みんな生きていた。
そんなことを感じたある夏の土曜日、昼下がりだった。



いろんな場面を思い出し、こうしてPCの前で過ごす土曜の昼下がり。夏。


2004年07月20日(火)

これ可愛いねとほめてもらったブルーのワンピースを着て江ノ島へ、二人ではじめて行った夏は二十二年前。


毎日毎日暑くて暑くて。こんなに暑い夏は今までなかったと感じた夏が四年前。
花火の音が聞こえるよと、元気を出して欲しくて家のベランダで声をかけた夏は四年前。



こんな日は海に行きたいねえと、病室にいることを忘れて欲しくて声をかけた夏は三年前。
抗がん剤が終わったらウイスキーを飲みたいなと言った彼の、最後の夏だった三年前。



ただ、暑くて。カラッからに乾いた土が悲しい墓参りの夏が今年で。
焼けた墓石に刻まれた名前に、水をかけて。




水を、かけて。












2004年07月13日(火) 心のケア


新聞に連載されていた記事は、がん患者への心のケアについてだった。手術はできない範囲に転移し告知されている女性を取材していた。


完治しないとわかっていながらも抗がん剤による治療、そして強い副作用。残りわずかな大切な時間を副作用で苦しむことに費やさず、平穏な日常を暮らすのもまた人生の選択ではないかと。
でも、少しでも効果があるならば、少しでもがんの進行を遅らせる手段となるならば、治療はやめないでいたいと願う気持ちも。



私には、もう全て終わってしまったことだという気持ちがあって。
終わってしまったと閉じ切ることのできない重い重い問題だと痛感したり。


患者は、専門的な知識で納得させてくれることも望んでいる。
難しい話しはわからないだろうと、医者が勝手にはしょらないで説明して欲しい。
患者にとっては、命に、人生に関わる重要なことなんだから。


そして、こちらが感じている以上に、まわりに気を遣い、人の態度や顔色にとても敏感になっていることもわかっていて欲しい。
少しでも拒否の色が見えたら、患者の口は貝になり、心は深い海の底になる。日の射さない、暗く重く音のない世界になるだろう。


そんなことを、ちょっと思った朝。


2004年07月11日(日)



7月。
彼を迎えるために盆の準備をする。



こんなことになるなんて、
こんなことになるなんて。
と、
想うことの悲しさ。




2004年07月03日(土)



土日や祝日の病院は、ひっそりとする。シーンとした、という表現はここのためにあるのではないかと思うくらいの廊下に車椅子の車輪がまわる音と押し歩く私の足音だけが響く。


ひっそりと、静かに。命の重みを感じながら押す車椅子。
大袈裟な表現だと笑われるかも知れないが、いつも毎日こんな重みを感じ考えながら過ごしているのだ。


誰もわからなくてもいいと思う。
誰も知らなくてもいいと思う。
だけど、吐き出してしまいたい。
青い空白い雲、生き続ける私。





無機質な廊下の冷たい温度が心地良くなる夏の日。
抗がん剤の投与が終わると必ず寝たままになってしまう数日を経て、
彼はいつも蘇えった。
生きて生きて、まだまだ頑張れると、目を開け何かを食べたいという。
そして車椅子に乗り、病室から出ていきたいと要求するのだ。


いま、感動している。何を今さらという月日の経過があるけれど、
私のなかでは残った闘いは続いているのだ。
病状は静かに身体を衰えさせていったけれど、
蘇えった彼の笑顔が、深刻さを隠してしまっていた。
彼が、
見えないようにしていたんだ。


優しい優しい強い人だった。


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