みかんのつぶつぶ DiaryINDEX|past|will
夏の陽射しがつくる影にそっと身を寄せ、照らし出されることを避けるようになった私がいる。もしかしたらこれはトラウマではないかと分析している自分に疲れる。 何か不満があるわけでもなく、 何も不安が無いわけでもなく。 残してゆく辛さを感じるんだよ、海を見るとね。 なぜだろうねえ。ねえ。 子ども達を抱く彼の姿を、ふっと思い出し、 そっとシャッターを押して涙をひとつ封印する。
飽きもせず、空を撮る。誰の頭の上にも平等に広がる空間。 夢を見た。しゃっきりと立つ彼の姿。隣りに立つ私。 元気になったんだね、こんなにも背が高かったんだねえと思う私がいた。 夢から覚めれば窓の外には、風にちぎれた雲が散らばる空だったんだ。 彼が空に旅立ってから、何度となくここで夕日を見つめた。 一日が終わることを確認して、 終わったことを確認して、 朝を迎えるために夜を過ごし。 ただ時を食いつぶすだけの日々を過ごし、 何も埋まることのない心を抱え膝を抱え日中を過ごし、 また夕暮れに空を眺め、 一日をただ、終わらせていた。 どうして心なんてあるのだろう。 苦しみを思い出して苦しむことの愚かさをわかっていながらも、 また懐かしむように痛みを感じるまま空を見る。 解放せない命の重みに、ただ遠くを見つめるしかなく。 ちっぽけな自分を戒めて、戒めて。 いまはもういない人たちが残した愛を抱きしめて、 胸いっぱいに空気を吸い込む。 明日も、笑えるといいね。
先日、横須賀へ行ってきた。梅雨の晴れ間で30分弱の電車の旅。途中の北鎌倉では紫陽花を見るための人々が連なり歩いている様子を、車窓から眺めてプチ観光気分。 私のルーツ、横須賀。階段のない駅、海に浮かぶ船の仰々しさに戦争の匂いを感じる場所。祖母の兄弟も、戦争で散っていったのだという。 その祖母も、もういない横須賀。 祖父が、アルバムを数冊私の前に持ってきて、一枚一枚めくりながら語りかける。祖母の同窓会の写真、兄弟の軍服姿、母や叔父たちの幼い頃の様子、そして、私たち姉妹が無邪気に笑う幼い頃の写真。 祖父と母には二十年ぶりに会った。叔父とは私が10歳のときから会っていなかった。とっても近くにいるのに、長い空白を作っている。いつでも会いにいけるという安心感がそうさせていたのだろう。母は新しい家庭を築き平和に暮らしている。私も家族を作り、それぞれがそれぞれの場所で役割を果たしているのだ。 横須賀は、祖母が迎えてくれる街だった。 会いにいきたくて、横須賀という地名を聞くだけで切なくなっていた。 祖母の家まであと数段という階段の、一段一段がとっても高くて高くて、なかなか昇れず必死になっているという夢を何度も見ていた小学生の頃。夢のなかでも、祖母に会うことは叶わなかったのだ。 甘えていい場所だった。私たち姉妹を全ての人々が愛で包んでくれていた。 いつか私に孫ができたら、同じようにしてあげようと思うんだ、おばあちゃん。
毎日、何気なく昇り降りしているこの階段が、病院からの外泊を困難にしたんだったなと思い出す。元気な頃は、車の鍵をチャラチャラと鳴らしながらトントントンと、かけ昇っていたのにね。 窓を開けていると、部屋のなかでも彼が帰ってくるのがすぐわかるほど。 出かけるときも元気な足取りで、 スタスタスタっと、かけ降りていたのにね。 いま、こうして過ぎた日にいる私には、 そんなことも、遠い遠い日になってゆく。 どんなことも、遠く遠く終わったこと。 遠く遠く、笑顔も翳み、 残るこの胸の痛みに耐えるしかなく。 ただただ、忍ぶしかなく。
みかん
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