みかんのつぶつぶ
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2003年11月24日(月)


仕事の忙しさに集中している脳は、いつもは気になる些細なことを排除してくれる。でも、忙しいからこそその些細なことが、起爆剤になったりすることもありで。


SさんがYさんを怒鳴り散らした。あれは助言でも苦言でもなく、感情にまかせて怒鳴っていたとしか思えない。理由は些細なことだ。


職場の同僚を感情まかせに怒鳴る権利など誰にも無いはずではないか?多勢の人間がいる前で、娘を叱るように。あまりにも理不尽なその行動に私はいつも腹が立つ。Yさんは、いつものことだからと笑っていたが、笑うしかないよなあ・・・。怒鳴られる方にも原因はあるのだからと処理されてきたようだから。


Yさん、理不尽なことをされて黙っていてはダメですよ。そういう暴力的な行為は突っぱねないと。ますますエスカレートしてしまい、結局はご自分が辛くなるだけだもの。





2003年11月23日(日) 命日


父が空へ旅立ってから三年目という日。

仕事へ向かう私。健康な身体を作ってくれた父へ感謝の気持ち。おかげさまで私は、まだまだ自分で稼いで生きていけそうですよ、お父さん。


ゴルフという趣味を持ちながら、ネットという愉しみを味わいつつ、娘はより逞しく人生を歩んでいきます。


この写真は、18日の朝、ゴルフ場へ向かう車内から撮影したもの。
父の容態が悪化し、永遠のお別れがもう、じきに来るだろうという午前7時の空。
あの日も太陽は、こんな風に東から昇っていたのだなあと。







2003年11月13日(木) 三回忌


あれからそれから、私達はなんとかここまで回復してきた。子ども達の淡々とした様子に救われることが多かった私だが、また逆に、言い知れぬ悲しみを抱える苦しみを感じずにはいられず、三人でいても、この家の中には寂しさの吹き溜まりが出来ていた。


一人でも寂しいのに、三人でいると、もっと辛くなってしまうんだ。


臨終の時、通夜葬儀、そしてこの法要、いずれもどんなに人が集っていても、寂しいものだ。いくら言葉を紡いでも、埋まらぬ心の風穴。それならばいっそのこと、そっとそっと過ごし、死者との時間を共有することに没頭したいと思ったりする。


あなたは強いから。
占い師の口から何度となく出たこの言葉の意味。これは、気が強いとか、運が強いとか、そういうことではなくて。
何者にもどんなことにも、理不尽なことだと突っぱねることができる私の性格を意味するのだと悟った。破綻的で破壊性に満ちた性格だと理解されることもある。


悲しいけど、みんなそれとなく元気に過ごしているんだ。
キミも元気で、いつかまた、そう、いつか。




2003年11月12日(水)

今年は横浜も、木々が綺麗に色づいているような気がする。最近の雨と冷えこみで、枯葉は渇きから救われ、色を深く深くさせているような。


最後の日々を過ごした病棟。看護をしてくださった看護士さんのお一人に花束を渡せた。様々な複雑な想いを抱えていたこの病棟だったが、訪れてみれば、ここは私と彼の大切な時を共に過ごした場所だという感情、気持ちのなかに広がる温かい・・・そう、なぜか胸の中にほんのりと、柔らかい温度が蘇えるような感覚があった。彼が死んでから閉ざしていた忘れていた何かが・・・。


私の顔を見て、すぐに名前を呼んでくれた看護士さん。ついこの間のことのようですね、と。
やっと、お礼に伺うことができましたと頭を下げることができた私。自然に、全てのことに、人に、感謝の気持ちを込めて。


18年という結婚生活を凝縮するように密着して過ごした入院生活。


子ども達が独立し二人年老いたら、一緒に日本全国を旅したいなあと言っていた彼の言葉を思い出す。
旅をするには、いい季節だね。


だから逝ってしまったの?



2003年11月10日(月)


冷たい雨で、入っていたキャディの仕事がキャンセルになった。百貨店は繁忙期モード、いよいよ始まるギフトセンター立ち上げへ向けての準備で大忙しだったので、休みになってホッとした。
キャディの仕事は、百貨店の休みの合間、派遣キャディとしての勤務なので、家を出る前に必ずスタート室へ電話を入れることになっている。今日のこの雨じゃ出ることがないだろうと、すっかりキャンセルモードで電話をすると来てくれとのことで(汗)泣く泣く家を出て、クラブバスの待つ駅前まで到着して電話を入れると予約にキャンセルが出たので休んでよいとのこと(嬉
せっかく出てきたのなら仕事をした方がいいと思うけどねえー、という有難いお言葉を丁重にお断りし、Uターンとなった。こういう時、派遣は気楽でいい。ゴルフ場お抱えのキャディでは、そうもいかないものね。雨だから帰ります、出たい人に出てもらって下さいなんて。そのかわり、晴天でも予約にキャンセルが出れば仕事が無いわけで、立場は五分五分でということで。勝手です。


帰り道、地下鉄を途中下車して初めての駅で降りた。いつもこの駅を通過するとき、ここからバスで、あの病院まで行けるのだと思っていたことを実行することにしたのだ。
見慣れた表示のバスへ乗り、プチ旅行気分で車窓からの景色を眺める。途中、閉鎖された遊園地で停車することになった。とっても懐かしい景色、家族で何度となく訪れた場所。私は、涙がこぼれ落ちそうになるのを抑えるのに必死になった。園内へのゲートも観覧車も、全て無くなっていた。夢の跡となった場所は、ただただ雨に濡れて。


そこからバス停三つ目か四つ目、病院前に到着する。そう、遊園地への往復にはいつもこの道を通り、この病院前を通りすぎるだけの家族だったのだ。


雨が、ひとしきり強くなった病院の敷地内、見慣れた景色。
二年前の今日という日、やっぱりこんな風に冷たい雨が降りしきる日、父の一周忌法要で朝から私は病室を空けていた。そして、私と、娘と、私の妹が、自ら目を開けた彼の顔を見た最後の日。臨終四日前。


今日の脳外科外来は休診。手術日だ。外来前の長椅子に座り診察を待つ彼を映し出す。廊下から見る外には、二人で過ごしたベンチが雨に濡れて。そんな様子を見ていたら、看護士さん達へお礼をしに行かないと、という意識で、背中を押されるように私は花屋へ足を運んでいた。





2003年11月07日(金)



二年前の私。
吐き気を感じるほどの心の痛みを知った。
夕焼け、赤い富士山、冷たい風でちぎれる雲。
独りを好む私が初めて味わった孤独という挫折感。
真冬の昼下がり、温もりを求めるように私は、
日だまりのソファーで膝を抱えて眠る習慣をつけた。
エンヤの透明で神憑りな歌声と、太陽の陽射しに包まれて眠る。


そんな日々を過ごし、季節を見送り、いまの私がある。






2003年11月03日(月)


月は、欠けてもまた満ちてくるのに。
命は、短いと感じたその日から欠けてゆくばかりで。
しなやかなススキの穂が毛羽立ち始めた様子や、
柿木の実がカラスにつつかれ落ちている景色や、
稲を刈られた田んぼが眠りにつこうとするような感じや、
街路樹から散り落ちる枯葉が虚空に舞う寂しさや、
そんなことなどなどがどれ一つをとっても涙に変わる季節となった。


この、実りある秋の日に、
その生涯を閉じようとしていた。
期は熟し、見送る私達は、ただただ涙するしかなかった。


人には皆平等に120歳という寿命が与えられていると誰かが言っていた。
その120年をどこで終えるのかは、その人の生き方で早くなり遅くもなるという。


生き急いでいるようでもあったような、彼等は。


父が、あとの一年という寿命を彼に与えてくれたのではないだろうか。
「退院しても無理はさせるな」という父の言葉、私への最後のお説教。


彼は、無理をしたかった。したがった。
短い社会復帰、でも、喜びに満ち溢れた姿だった。


無声音の映像が頭のなかを静かにコマ送りされるように、
出勤するその後姿を見送る私自身を思い出す。


人は、なんて儚いものなのでしょう。







2003年11月02日(日)


カサコソと、落ち葉転がる道を歩む季節となった。
本当に、季節は誰にでもどんな時にでも平等に変化するものだと感心する。


10年後、彼の歳を超えた時、
私は何を想うのだろう。


27年後、父の歳を超えても元気だった時、
私にはどんな出来事が起きているのだろうか。


青々としていた街路樹が、深く深く紅い色になるように、
私は、いつ舞い落ちてもいいような、そんな人生を歩んでいることを願い、
空ゆく雲へ、祈りと感謝を込めて、そっと見上げる。


お父さん、
あなたの生まれた日は、とてもとても悲しく深い季節ですね。
お父さん、
お父さん。




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