木洩れ日の中で…

2006年03月30日(木) 久しぶりのコンサート

今日はさだまさしのコンサート
何年ぶりになるのだろう?
昔は毎年のように出掛けていたが最近は行ってなかった。

友人のふとした言葉からチケットをギリギリで購入でき、友人と家族(旦那さんと娘)で出掛けることにした。

6時開演なので少し早めに出掛けたが市民会館には停めることが出来ず仕方なく芸文館へ停め、少し歩いて会場へ出掛けた。

それから約3時間に及ぶコンサート、途中休憩もあったがとても充実した楽しいコンサートだった。歌の内容もよく来て良かったと思った。

帰りに遅い夕食をとり、友人を送り届け帰宅。

たまにはこんな時間があっても良いなぁと思った。



2006年03月20日(月) やっぱり駄目だったか…

今日はこの前の入試の発表日
10時からだというので、会社でも落ち着かない
10時前からHPを立ち上げては下に隠しながら仕事
少し過ぎたくらいの時間に覗いてみた。

何度も何度も見直したが結局駄目だったようだった。

それから落ち着いた後、旦那さんに電話をした。
残念だったが仕方がない。



2006年03月12日(日) 国公立後期試験

センター試験が良くなかった娘は、3年次入ったばかりの頃に考えていた国公立大学にはまったく受験できる状態ではなく、どうしようかと思っていたが後期のみで頑張ってみようかと担任の先生の言葉で、1校だけ受けることにした。
その学校の今日は受験日。

前日から1泊予定で県外へ
ホテルに行く前に大学の下見をして、チェックインした。
その後、夕食を食べ早めに就寝した。

朝は早めに出掛け9時まで入室完了

その後、私と旦那さんは車で出掛け街中をウロウロ
今頃は受験中だなぁ〜と思いながら話をしながら…

試験終了時間くらいに合わせて大学へ迎えに
雨が降って駐車場の足元はベトベトになっていた。
メールをするが、娘は見ていないらしく足元の悪い駐車場に入ってきた。
慌てて近くまで車を移動しさっそく帰途につく。


やっと長かった受験が終わった。
たぶん公立は駄目だろうが、高校としては駄目もとでも受けさせて一人でも国公立に合格させたいのだろう…と思う。

合格発表の日、たぶんガッカリすることになるだろうが私立は決めているので気持ちは違う。
これからの人生、また同じ思いをしないために少しずつ親離れして欲しいと願う。



2006年03月07日(火) 戻ってきた損害賠償請求書

郵便局の郵便物追跡調査を見ていたが、やはり戻ってきてしまった。
配達は1回のみ
やはり差出人をみて受け取りにもいかずそのまま戻ってきてしまった。

少額の請求のうちの息子の場合、弁護士を頼んでも勿体無いような気がして仕方がない。
尺に触るがこのまま諦める方が良いのかもしれない。



2006年03月01日(水) 卒業式

やっとの思いで卒業式まで漕ぎ着けたという感じ

だけど、卒業式では感激すると思っていたのだけれど反対に腹が立つばかりで泣けてきた。

卒業式の祝辞で…『倉○南高校は面倒見の良い学校です。』『とても思いやりのある生徒ばかりです。』という言葉を聞く事にそれは違うじゃないかという気持ちがあふれてきた。

式が終わり娘のクラスに行くと、あちこちで写真を撮ったりはしゃいだり、それから寄せ書きをしているといった様子。
だけど、それはまるで…クラスの一番後ろの廊下側にいる娘にとっては関係ないかのような雰囲気。
誰一人として声をかけるわけでもなく、写真を撮っている本当に横に居ても無視といった雰囲気。
親としてはいたたまれない気持ちになった。

確かに6月末から学校には登校できない状態にあったが、1度としてもクラスメイトから電話が来るわけでもなく、手紙が届くわけでもなかった。

クラスで、最後に担任の先生から言葉があった。
涙を流しながら『君たちは僕にとってとても良い生徒たちだった』『思いやりがあり、まとまりのあるクラスだった』としきりに言っていた。

それを聞きながら…私の心境はとても複雑だった。

確かに娘の卒業に関してはいろいろ面倒をかけたが、1度も家庭に訪問してくれたわけでもなく、娘が学校に行きやすいように配慮して友人に声をかけてくれた訳でもなく…勉強のために宿題を出し、提出だけでもしなさいと指導してくれることもなかった。

そんな中、勉強をする意欲も失い、学校にも行けず、本当にどん底の自宅での生活の中、あと1週間出席をすれば(席に座ってさえ居たら)なんとか卒業できると聞き、頑張って学校に送り迎えをしたが…
クラスの雰囲気を見ると本当によく頑張って行ってくれたものだと涙が出てきた。

卒業式に、娘は2年の時に同じクラスだった人に、スヌーピーのかざりを貰っていた。

式の後、16時まで自由解放のクラスの中で…娘は逃げるかのように帰宅した。

娘の不登校の原因は分からないと思っていたが、最後の卒業式でなんとなくわかったような気がした。
虐めではないと言っていた娘だったが、クラスに入りきれない娘に対して『無視』に近い精神的な虐めのような気がした。

2年の時のクラスはよかったのだと思う。
生き生きしていた娘が思い出される。
クラス替えの中でもっと配慮があったなら…日本史専攻のクラスと世界史専攻のクラスと分ける時に、3クラス編成の中どうして混合の日本史、世界史半々の中に『大人しい』といつも性格欄に記入していた娘を入れたのかがとても疑問でならない。
2年次の娘の様子をはっきり把握していてくれたら違った学生生活になったのではないかと今でも悔やまれる。

人生の中での大切な岐路に立ち、学校にも行けなくなりやる気まで失って(失わされて)しまい人生が変わってしまったような悔しさがいつまでも残って仕方がない。

卒業式、それは…学校が娘に対して(^。^;)ホッとした時間だったのかもしれない。


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