amatelasuの日記

2004年12月31日(金) 今年最後の目玉企画。

T野氏が自身のホームページで面白い企画をやっていたのでパクる。

ということで、今年中にこの日記を見て、私のホームページの掲示板に書き込みをしてくれた方にはもれなくメロンブックス岡山店にあるお好きな同人誌、または同人ソフトを一つプレゼント!

掲示板の方にはプレゼント希望の旨と希望の商品名をお書きください。
なお、希望の商品名が明確に分からない場合、「○○な感じのもの」などのファジーなリクエストにもお答えします。

数に限りはございませんが、時間が迫っておりますのでお急ぎください。



2004年12月30日(木) 今年を振り返って。

「ギャルゲー製作」でググると1ページ目にこの日記が出てくる。
まぁ、今年はそんな年だった。


29日、30日と冬コミだったわけだが、店長が冬コミへ営業に駆り出されてしまったため、同人誌の棚を任されたのは入社四ヶ月目の私だったわけだが。
冬コミ新刊を"全て"自分の思う通りに並べた。
ちょっと楽しかった。
私が好きなように並べた同人誌を、いい年こいたオタクどもが買っていった。

東方のカクゲーやラグナロクバトルオフラインなどに群がるオタクどもを、私の掛け声で列に並ばせた。
ちょっと快感だった。
まぁ、そんな年の瀬だった。


今年一年を振り返って、学校ではない世界を学んだので、良しとする。
語りたいことはいろいろあるのだが、正直仕事が忙しくて疲れたので、今年はこのくらいにしておく。



2004年12月26日(日) すごく近況っぽい感じで今日の出来事を書いてみよう。

今日は某メロンでバイト。

すると、店内で客から声をかけられる。
「おお、さっきん!」(注:さっきん、とは私の中学時代のあだ名である)
そんな呼び方をするのは中学時代の知り合いだけなので、内心「誰やねん!?」と思ったら案の定、中学時代の友人でした。

その友人とは中学時代、当時から家にLDがあって、LDでプリティーサミーを全巻持っていたり。
中学生にして月刊自家用車(今もあるのか?)を毎月購入していたりするような奴でした。

そして思ったこと。
「お互い成長したなぁ」、と。

中学を卒業してから会っていないので、かれこれ七年以上のブランクが。
そして、再会の地が某メロンブックスとは・・・。
出会うべくして出会ったのだろうか。
と思った日のこと。



2004年12月20日(月) 創作とは。

創作とは何か?
同人活動をしている全ての人間に考えてほしい。
何のために創作するか、ではなく。
創作とは何か、を考えてほしい。
そうすれば著作権などという資本主義の産物にとらわれる必要などなくなるはずなのに。

著作権と創作は直接的関係がない。
著作権は創作物のオリジナリティを少しも保証してくれない。
著作権が保証してくれるのは、著作物の商用にまつわる権利である。
著作権を主張することは、自らがクリエイターであることを主張することではない。
著作権を主張することは、自らの労働に対する対価を主張することである。
労働の対価が金銭であり、著作物の不当な利用によって権利保有者に不利益が及ばないように保護するのが著作権保護法である。
それらは全て、相対的な指標によって評価され、つまり相対的な指標とは貨幣である。

だから、同人活動をしている全ての人に考えてほしい。
いったい、創作活動のどこに価値を見出すべきなのか。
貨幣と交換不可能なこととは何なのか。
貨幣と交換可能であれば、それは創作ではなく労働である。
つまり、本来、同人誌の対価として支払われるべきは材料代と会場を設置するための場所代のみである。

よく考えてほしい。
いったい、創作活動のどこに喜びを見出せばいいのか。
なぜ同人の創作活動は商業活動とは違うのか。
同人と商業の何が違うのか。
私は同人は創作に近く、商業は労働であると考える。

よく、考えてほしい。
自分たちはいったい何をしているのか。



2004年12月12日(日) シナリオ量について。

最近、シナリオ量が3MBを越えるという超大作ノベルゲームが同人から出た。
意味がわからない。

だいたい200KBで原稿用紙換算200枚弱。
適当な長編小説なら、400KBもあれば十分だと思う。
それより長くなるのは作者の力不足だと思っている。
3MBもあったら、小説が十冊近く入る計算になる。
意味がわからない。

シナリオ量が3MBということは、純粋に文字が3MBあるということだと思う。
それは有り得ない。
なぜなら、ゲームは小説に比べて文字数が激減するからだ。
全てを文字で表現する小説と違って、ゲームではグラッフィクや音楽などの各種演出がユーザーに与える情報量が加わる。
このため、文字による情報量は減るのが必然である。
単純に、小説では必要なト書き(「」以外の文。つまり、会話以外の文章ですね)がゲームではほとんど必要なくなる。
それはキャラクターの表情変化や、背景の変化、効果音などでほとんどが代用されるからだ。
つまり、文字のほとんどが会話文になるはずのゲームで、シナリオ量が3MBもあるということは、おそろしく長く、ユーザーにとって苦痛を伴う作品であると予想されてしまう。

ゲームでは文字を用いずにストーリーを進めることが可能である。
たった一言で1シーンを終わらせることも簡単だ。
そして、それで十分にユーザーには伝わる。
そのようなメディアにおいて、小説何冊分にも及ぶ文字をユーザーに与えるのは不親切極まりない、と個人的に思うのだ。

おそらく、シナリオライターがいないのだろう、と思う。
小説家はいてもシナリオライターはいない。
あるいは、企画職もいないのではないだろうか。
元来、シナリオは200字詰め原稿用紙を使って書く。
それだけ文字数は少ないのだ。
文字数は少なくとも、ストーリーは進む。


シナリオの肝はいかにストーリーを構成するか、にある。
それをシナリオ量3MBなどという、意味不明な謳い文句で汚さないでほしい。



2004年12月01日(水) 年について。

最近、自分の年を意識することが多くなってきました。
たぶん、学校にいたころよりも「年相応」を意識するようになったと思います。

つまり、自分は今、23歳フリーターだと言うことですね。
今の職場は学歴や年齢はバラバラ。
年下が先輩だったりすることは日常茶飯事。
ってか、わたしゃかなり下っ端です。

職場での立場はともかく、やっぱり年相応に出来なければいけない事もあると思うのです。
たとえばスーツを着て仕事に行ったり。
その時に社会人として、サラリーマンと同じような態度や対応が出来たり。
言葉遣いや気配り。
そういった社会常識が身についているか。
特に僕のように自由業を目指そうとしている人間には必要なことだと思います。
普段はフリーターでも許されるけれど、いざという時は社会人としての対応を求められる。
その時に「経験がないから」と言って逃げられない年になってしまった。

だから、普段は別にテキトーでいいけれど、いざという時に大人の対応が出来るように訓練しておく必要がある。
ということで、最近の問題は「どんな服装をするか?」です。

例えば、僕の例でいうと家庭教師に行くとき。
毎回スーツで行く必要はないけれど、23歳大卒として相応しい格好をする必要があると思う。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、それが礼儀だと思うし、それを実際に実行できる必要があると思う。

通勤するときの格好。
家庭教師に行くときの格好。
オフの日の格好。

年とともに環境が変わっていくことも、年を意識するようになった原因だと思う。
新しいバイトに行って、教習所に行って、家庭教師に行って・・・
新しい環境に入る機会が多くなってきた。
本格的に自由業(つまりシナリオライターね)を始めれば、初めて会う人は増える。
そうなった時、年や場面に相応しい格好、立ち振る舞いが出来る必要があると思う。
初対面の人に対して、自分を示せる必要がある。

つまり、それが社会人になることな気がする。


 < 過去  INDEX  未来 >


amatelasu [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加