康夫っぽい感じでタイトル付けてみました。
それはともかく、停滞しているようです。 ゲーム作りを続けてて進んでるような気がしてたけど、根底では何も進んでなかったのではないかと思う今日この頃。 なので、日記に間が空いてみてもタイトルはほぼ変わらず。みたいな。
もちろん、僕は時間が進んでいるのを認識しているんだから、停滞は原理上有り得ない。 必ず何かが変化している。
けれど、今の僕には先が見えない。 せいぜい、数週間分くらいの先しか見えない。 いや、むしろ見えないのは自分かもしれない。
最近、再び自己同一性が認識できなくなる瞬間を体験するようになりました。 自分が何者であるかについての認識。 それが霧散してしまうときがある。 というか、最近は何かにつけて境界が曖昧に感じられる。 分別が出来ない。 なので、どうしたらいいのか分からない。
まぁ、要するにわからないのだ。 停滞というより煮詰まってるといった方が適切になのかにゃぁ? こんなんだから、学部六ヵ年計画とかが浮上してくるわけで。 何事も何となくやる気がないのだ。
停滞しているような気がする。 こんなこと、某おねがいティーチャーに感化されているようで書きたくなかったのだが。
たぶん、毎日同じ事ばかりしているからだろうと思う。ゲーム製作と卒論と。たまにある変化がビデオを借りてくること。あれは繰り返しの日常に投げ込む変化という石なのだろう。
だから、それが切れると停滞してしまう。何をやっても何もしていないような気分になって、そして本当に何も出来なくなってしまう。僕はせっかちなのだろうか?働きかけに対して、すぐに何かしらの変化が欲しい。それが見えないと信じられない。ずっと続けていればいつか・・・なんて信じられない。
進みたい。 けれど、今は進めない。 今は耐えて続けるべき時なのだけど。 停滞しているように感じられてしかたない。
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