amatelasuの日記

2003年04月20日(日) 選ばない自由。

最近、お金が出来ていろいろと欲しいものが買えるようになったのですが、あまり大きい買い物が出来ない。

例えば、今ちょうどヘルメットを買おうと思っているのですが、さぁ買うぞ!と意気込んでお店へ行っても、実物をいろいろと見たり触ったりしているうちにどれもこれも微妙に思えてきて、なかなか「これだ!」という品物に出会えません。

確かにお金はあるのですが、お金は使ってしまうとなくなります。物を買うという行為は、その品物を手に入れるためにお金を失うだけでなく、同時に何かを買える可能性をも失ってしまうのです。

だから、何か一つメットを買うと他のメットは買えなくなる。そう考えると易々と衝動買いするわけにもいきません。

ということで今日の格言。
「何かを選ぶということは、それ以外の可能性を切り捨てることだ。」
なので、何も選ばない状態にあれば、選ぶ自由を手にし続けられるのです。ま、ようするにその自由を手放してまで欲しいと思えるものがない、と結論付けるといいわけですね。



2003年04月18日(金) 極悪

日記のネタはいろいろとあるのだが、頭がうまく働かないので何となく去年の日記を読み返してみた。

醜悪で極悪であまりにも稚拙な文章がそこにはあったが、あのとき確かに俺は垂れ流していた。あふれ出す感情が俺という入れ物の中に溜まっていた。

おそらく、今の俺が捻り出す高尚な言葉よりも重いのだ。なぜなら、今の俺には念のこもった言葉を吐き出すだけのバックボーンがないからだ。俺の言葉は年月を重ねて上手くなったが、軽くなった。鶏の卵のようにルーティーンの作業で簡単に生み出される。

やむにやまれぬ、書かずにはいられないやり場の無い感情はもうない。あるいは、あれが十代の煌きだったのだろうか。

しかし、まだ可能なはずなのだ。やりさえすれば可能なはずなのだ。それが何なのか未だ解らずとも、求める何かがあるのならやり続けなければならないのだ。

だから、俺は単車に乗る。



2003年04月08日(火) 想い出。

ボクは想い出を永遠のものにしたい。
そして、過ちを若さのせいにしたい。

想い出とは美しいものだ。現実に犯されることのない、ボクが考えうる中で最も美しく完璧なものだ。だから、ボクは想い出を永遠にしたいと願う。想い出の中では過ちさえも美しいものとなる。あの頃のボクは若かった、と感傷に浸ることができる。

想い出に浸りながら訳知り顔で過去の自分を語る。そして、あたかもそれをキチンと糧にしているかのように未来の自分を空想する。今、ボクの手元にはninjaがある。けれど、ボクの頭にあるのは、数ヵ月後にはninjaを乗りこなしているだろうという甘美な空想だ。

「俺は、醒めない夢を見ているだけさ」と、スパイクは言った。彼は片方の目で過去を見ながら、もう片方の目で未来を見ていると言った。ボクも同じように「現在」を生きられない人間なのかもしれない。

若さに頼っていては、若さに復讐される。そして、「現在」に何もしない自分は想い出にまで復讐される。現在と現実から乖離した自己に用意されているのは、達成されることのない自己実現。しかし、空想が求めるのは理想の自分であり、理想とは程遠い現在という現実は常に攻撃され続ける。攻撃されればされるほど、弱い自己は想い出と空想の世界に逃げ込むのだ。

それにしても、何でこんなに現実が怖くなったのだろうか?


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