今日はクリスマスイヴだ。
日ごろの行いにより、当然のように今日は授業とバイトという何もない一日で過ぎ去ってゆくのだ。 唯一心休まるのは、今はなぜか二人いるメル友からのメールだけだ。
だが、携帯を通じてのコミュニケーションはたとえそこで会話が成立していても、そこにはボク一人しかいないのだ。ボクはただ液晶に表示された文字を見てニヤけているだけなのだ。 そこにあたかも可愛い女の子がいるかのように妄想しながら。 ウテナのサントラを聞きながら、一人悦に入っているのだ。 つまり、一人なのだ。 むしろ一人の方がいいのだ。 現実の女の子は面倒だから、たまになら相手にしてもいいけど、たまにしか相手にする気にならないのだ。 現実の女の子は現実だから、ボクが一方的に求めても拒絶されるかもしれないのだ。 だから機械を相手にしている方がいいのだ。 だからバイクをたくさん買うのかもしれない。
消費することはコミュニケーションである。 コミュニケーションの困難さから逃げ出した現代は、消費によってコミュニケーションを代替しようとしてきた。 消費さえしていれば、誰かとコミュニケーションを取りたいという欲求は満たされるのだ。 他人と嫌でも接触しなければならない場面を避け、好きなときに好きなように接することができるのだ。 そして、ボクのコミュニケーションの欲求は携帯メールを消費することで満たされる。
などと、クリスマスイヴに一人身でいる寂しさを小難しい言葉で分析してみました。 どーよ? どーせ、こんな日記がいいんだろ。 もっとグダグだな方がお気に召しますかな?
今日、いよいよ卒論の題目提出なので目下思索中です。 昨日からずっと考えているのですが、どーも考えがあちこちに飛んでしまってまとまりません。
前回の日記で物語が云々とか言ってたのですが、結局は「萌え」に戻ってきました。まぁ、ただ純粋に「萌え」というより、東浩紀が引用するスーパーフラットやデータベース型消費と言う観点を導入したいと思っているところです。この部分は実経験を通して実感できると思っているので。
ただ、いろいろと考えれば考えるほど、ボードリヤールの記号的消費のお話しと同じ事を言ってるのではないかと思えてくる。つまり、「萌え」は別に新たな概念ではなく、既存の概念の一部、その言い換えでしかないような気がしてきたのです。この点はボードリヤール、東浩紀ともどももっと読み込んでいかなければならないでしょうが。
となると、自分の中で「萌え」の消費理論におけるポジションを明確に定義できるまでは迂闊に使えない、と言うことになります。なので、卒論は「大学生の消費行動におけるモード、ブランドの重要性の再検討」みたいな感じで行こうかと。
まず、現代の大学生が消費に求めているものは「差異化」なのか「同質化」なのか。あるいはもっと別の要因として「萌え」を想定する事が出来るのか。そして、既存の消費理論において差異化を与える要因であるモード(流行)、ブランドの影響力を調査。
希望的観測を述べるなら、大学生が消費行動に求める事は差異、同質化の他に何かあるはずだ、と言いたいわけです。その何かが「萌え」であるなら、ボクの卒論は大成功ということになるのですが・・・。
卒論の題目提出の期限が迫ってきたので、にわかに卒論について考えています。
最初はとにかく「アニメ」を対象にしようと思っていたのですが、今は「物語」をその対象としようかと思っております。 アニメの物語性に着目。 いい年した大人にどーしてアニメが必要なのか。 一つ真面目に考えてみたいと思います。
が、ボクがいるのは心理学の課程。 なので心理学的手法を用いる必要があるのです。 おそらく、臨床心理学的な分析がボクの中ではメインになるのでは、と思ってしまいます。 それに、先生方を納得させるためのデータ取りに分析を付属させて。 今のところ、物語の認知過程などを調べてみるのが最も現実的かと…。 もちろん、いい年した大人の、ね。 それはそれで大学院へ繋がりそうなのでよいのですが。
やはり、成熟しきっていない大人が「物語る」事は重要だと。 ここで垂れ流すボクは思うわけです。 重要というか、必要なのだと。
と言うわけで、丸田君ありがとう。
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