CDTVを見た。 番組の最後、今週の恋愛運。 「突然気になる異性が現れるかも」。 ネタが無かったので日記に書いてみた。 特に深い意味はなし。
2002年01月23日(水) |
衝動買いにみる精神不安定度 |
最近、衝動買いしたもの。
コムサデモード、真っ白のジップアップジャケット。 APC、ジップアップジャケット。 5351(プールオム)、半袖ニット。 5351(プールオム)、ラメ入りのハイネックセーター。 アバハウスのニットカットソー。 プーマ、レザーのスカイハイ。 どこのかよく分からん、定価32000円らしいコットンカバーオール。 あと、どっかのスリムなベージュのパンツ。 アニエスbのシャツにマフラー。 ミッシェルクランのフェイクレザージャケット。 メガネ。 Boycottのトートバック。 ブリーチ剤二本。 あと、本を三冊。(←三冊で5400円也)
あと、ついでにミクニ、フラットキャブレター。
この一ヶ月以上は、バイクに金をつぎ込んでいないので、全てこの衝動買いに費やされました。総額は十万円にはさすがに届いていません。もうすぐ、バイク生活が復活するけれど、どうなることやら。
この間、バイクの調子を見るのに少しだけ乗った時、あの一瞬の感覚。あれがあればボクは、普通に戻れるかもしれないと思った。 駐車場の中をゆっくりと、ほんの短い時間を回っただけなのに、すごい気持ちよかった。あの快感があればボクは、普段は普通でいられるかもしれないと思った。
とりあえず、確かのなのは今のボクが普通ではないといことです。それは、以前のボクとは違う、なのか単に「異常」なのかはわからないけれど、それもわからないくらいに混乱している事も確かです。
人間、追い詰められると笑うらしいです。 最近、笑うことが多いです。 テンションが高くなってくると何もないのに笑います。 人間って面白いですね。
自己責任ってやつですか? 自分でやったことの始末は自分で付けましょうというやつ。 以前、ボクがよく言ってたことですな。
でもねぇ、ボクは今、見るからに弱ってるんですよ。 弱ってるでしょ? けど、自分でした事の始末はつけなきゃならんでしょや。 だから、弱いやつは弱いなりにケジメは付けます。 自分の始末は自分で付けようと試みてみます。
という事で、しばらくは一人で頑張ってみようと思います。
2002年01月13日(日) |
残るものは確かにある。 |
あの夏以降、この半年で得たものは確かにある。 それを日記を読み返して実感した。
今日、一人でアメ村へ行った。 メガネを買いに。 で、メガネの仕上がりを待っている間にブラブラ歩いて、BoyCottでセールをやってたのでトートバックを買った。帰りにはちょっと、トランスコンチネンツにもよってみた。所持金の関係で財布は断念したけど(泣
もともと、ボクはオタクだからオシャレをするような人間じゃない。そんなボクがメンズノンノを読んだり、ショップのバーゲンに喜んだり、単車に乗るのに不便な格好でもしてみようと思うようになった。 昔、実は恋愛話になると身構えていた。すごく苦手だった。今はその手の話に抵抗はない。ボクはただの狭いオタクじゃなくなった。以前のボクなら、髪にブリーチをかけるなんて有り得なかったのに。ボクの世界は今までにない方向へ広がったと思う。
それともう一つ。 日記の日付と関連して考えると、ボクはTZRに乗ってから二ヶ月ほどでタイアを際まで使えるようになったらしい。 なんだ。上達速いじゃん。 けっこう、いける方じゃん。 得たもの、あるじゃん。
今日ほど出会い系サイトに拒絶反応を起こした事はない。
ボクにはなにもない。 慰めてくれる人も。 気を紛らわせられるほど熱中できる趣味も。 何もボクを支えてはくれない。 もはやこの日記を書く力さえも消えてしまいそうだ。 それでも気持ちはいくらでも溢れて来るから、ボクが書くのをやめるはずはないけれど。 こういう時、本当に想いの強い人は死にたい、とか想うのだろうか。 ボクはそれさえも出来ない。 駅前で自転車を蹴飛ばすことすら出来ない。 ボクは何もない男だ。
免許さえあれば。 いや、別にボクにその気があるのなら、免許なんて無くても走り出せるのに。ボクにはそれも出来ない。 でも、ボクにはそれしか残っていない。 友達の少ない中高生時代を送り、入試にも落ちた。 井の中の蛙をわかっていながら自分は優秀だと密かに思い続ける日々。 オールマイティーであり器用貧乏。 その実は全てに中途半端なだけの男。 それをわかっていても、何一つ本気になれない男。 こんなボクでも、この手に何かを掴めると信じていた。 今まで、何度となく寸手のところで逃してきたチャンスたち。 いつかは掴めると信じていたのに。 これまで二十年間をかけて鍛え上げてきたはずの、ボクの信じる力は、もはやその力を完全に失いかけている。 結局は望んだものは何も掴めないじゃないか。 ボクが望んでしまったものは必ず、ボクの前から遠ざかる。 必ず。 必ず。
ボクの二十年間が試される。 ボクが積み上げてきたものは今、何か残っているのか。 ボクを一人でも歩かせてくれる何かが、ボクの二十年間の人生の中で得ることが出来ているのか。 ボク自身に少しでも力があるのか。
とりあえず、少しだけボクと言う人間が変わったのは確かだろうな。
2002年01月10日(木) |
ヌルイ生活はもう十分だ。 |
ヌルイ生活はもう十分だ。 休憩は終了した。 早く走り出したい。
バイクの無い生活はあまりにも無駄が多い。 電車に乗ることがその最たるものだが、それ以外でも無駄が多い。 無駄が多い、と言うよりも耐える時間が長い、と言ったほうがいいかもしれない。 ボクのあらゆる衝動とか欲求とかを解消するのに、どうしても走る方へ心が向かってしまう。 トボトボと一人歩いている時間など、ボクには必要ない。 物思いに耽るのは授業中だけいい。 ボクはもっと速く、もっと先へ行きたい。 ボクにまだ若さがあるのなら、生き急ぐ。 人生を急ぐ天才のように、ボクもその高みへと、いけるなら速く行きたい。 だから、こんな充電期間としか言えないヌルイ生活はもう十分だ。
ただ、ちょっとだけ免停でよかったことがあった。 それは、Kさんと駅までだけど、二人で歩けた事だ。 けど、緊張してしてしまって、主に話をするのがKさん、という状態。 相変わらずの不甲斐なさ。 でも、とりあえず凹まずにはいれたので良しとしませう。
それにしても、時間と蓄積は比例しないものだと実感する。 薄いのならばいくら時間を重ねようと、濃密な一瞬の出来事にはかなわない。 そういう意味でボクの二年間はある意味であまりにも薄かった。 ボクはKさんの事をあまりにも知らない。 この二三ヶ月あまりで、ボクはそれまでの百倍くらい、Kさんの事を知った。 それまでの一年半はあまりにも薄かった。 あの人と出会ってもうすぐ二年になるけれど、ボクが積み重ねてきた時間はほとんど積もってなどいないとわかった。 けれど、時間と蓄積は比例しない。 ならば、一瞬で全てを越えられるほど積むことが出来るかもしれない。 その瞬間が来ることを願って、ボクは走ろう。
2002年01月04日(金) |
勝負の年が始まった。 |
明けましておめでとうございます。 新しい年が始まります。ボクにとって、勝負の年が始まります。
今、ボクは人生の節目を迎えている。 明日、後方排気がボクの元にやってくる。 ボクの生きている意味の半分くらいを形成しているはずの機械と、本格的に向き合うときが来た。ボクが果たして、向こう側に行ける人間なのかどうか、その答えを求めることが、やっと出来る。 もし、後方排気に「乗れ」なければ、ボクは「速さ」を求める事をキッパリ止めるだろう。そうなれば、今のボクが拒否を示しているアメリカンなんかに乗るかもしれない。或いはBMWとかに憧れるだろう。 この一時が勝負だろう。本当の本気でやれば、それなりの手応えを機械は返してくれるはずだ。そこでNoを言い渡されたなら、ボクはたぶん、降りるだろう。なんにせよ、後方排気に乗ったなら、本当の本気にならなければ、意味が無いだろうな。
それと、進学の事も本格的に考え始める必要がある、と思う。ボクは基本的に天才肌ではないから、密かに長い時間をかけて計画を練って、他人を出し抜く事をしないと勝てない場合が多い。それはともかく、進学するなら、自分が何をやりたいのかをハッキリさせる必要がある。
「速さ」を求めて走り続けるのか、降りるのか。何を専門として進む、つまり将来的にどういう職業なり肩書きを選択するのか。この二つがどうなるのかで、人生の方向性は大きく変わってしまうし、ここで捨てた選択肢は二度と取り戻せないとも思う。
この一瞬の決断が、後に長く延びるボクの人生の方向性を、修正不可能なほどに、決めてしまうのではないかと思える。だから、ボクは今がターニングポイントだと意識している。
それに、Kさんの事もあるしね。ボクは自分しか愛せない男だ。今は、それを意識するようになっただけだ。けれど、こんなボクでも、あの人を意識する事ですごく変わったと思う。Kさんの事をハッキリと意識した、あの夏合宿以降、ボクはすごい速さで変わっていった。今まで誰も成し得なかったくらいの速さで、Kさんはボクを変えた。あの人はボクに色々なものをくれる。
あの人との関係によっては、或いは本気になる勇気をくれるかもしれない、と密かに期待してたりする。
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