**Secret**..miho
不思議な魔力
2006年06月24日(土)
ブログって、面白い事を書くためにあるのかな??
読む人たちの興味や関心を惹き付けるような…
私が書く文章のように、暗くて重くて抽象的で
意味不明な内容でも、ちゃんと成り立つのかな。。

普段の私を知っている人にとっては、
こんな私は意外でビックリだと思います。
天然で子供っぽくいつもニコニコ笑顔で
無邪気な雰囲気に見られているから…

そのギャップが、私の不思議な魔力なのかもしれないな…

別に、二重人格というわけではないよ。

でもね、本当の私は、あくまでも心の中の私。
どんなにほほ笑んでいても、心の中では
泣いていたり絶望的な事を考えていたりする。
昔から、神経が繊細で傷つきやすいから…

ありのままの自分で居られない事を、
今までは不器用だからって考えていたけど、
本当は自分でもちゃんと解っているの。

素の自分を出せないのは
相手に迷惑を掛けるからだと
心得るようになったから…

難しい性格の持ち主である私を、すべて
受け止められる人は、相当のキャパシティーを
持っていないと潰されてしまうでしょう。

実際に、そんな包容力のある寛大な人なんて
恐らく、私の周りには一人も存在しません。
みんな、モヤモヤを除去して綺麗に繕っている
上辺の私を「私」だと思い違えているからね。


数年前の過去のお話・・・
その人も私の不思議な魔力に惑わされた一人…
私が気を許して素の自分を曝け出してしまい、
彼の方も身を滅ぼして自滅していってしまった。


その人とは、以前から「お友達」同士でした。
主にネット上で毎日のように会話を交わしていた。
バーチャルの世界でも自分を偽ったりする事なく、
お互いに素直な自分で接して仲良くしていた。

その人は、「いい人」そうだけど個性が強く、
自意識過剰であったり不器用だったりで、
必ずと言って良いほど、親しくなった人とは
絶縁する事になるという癖のある人だった。

私は、そういう偏屈な人ほど放っておけない
お節介な性格なので、彼の事を理解したくて
お互いの関係を大切に思い遣るようになった。

普段は離れていたけど、何度か会う機会もあり、
ある時を境にその人と親密な仲になっていった。

あの頃はまだ、今みたいに異性との友達関係に
それほど恐怖を感じる事もなく、無防備だった。
「恋人」と「友達」の区別も曖昧だったからね。

その人は本気で私に恋心を抱いていった。
そして、強引に私の中に入り込んできた。
そこで、私は大きな過ちを犯してしまった。

恋愛感情さえあれば相手に心を開いている
という事を意味しているのではないという事。
恋愛感情さえあれば必ずしも相手の全てを
受け止められるというわけではないという事。

「恋人同士」という関係にある者たちが完全に
お互いに解り合えているとは言い切れない事実。

私は、徐々に、ありのままの自分を曝け出していった。
当然ながら、彼には、それを受け止められるだけの
キャパシティーなんてなくどんどん丸裸になっていった。

時と共に彼を覆っていたメッキが剥がされていき、
次々と彼の脆い部分が浮き彫りになっていった。
私はそれに対して特に嫌悪は感じなかったけど、
プライドが高くてナルシストだった彼にとって、
これ以上に惨めで格好悪くて辛い事はなかった。
頼りなくて臆病な自分を見られたくなかったみたい…

「みほと一緒に居ると
 自分の弱い部分が出て苦しい…」

そう言われて、罪悪感でいっぱいになった。
彼に嫌な思いをさせてしまった事を悔やんだ。
ありのままの自分で接する事によって、私も
全てを理解して受け止めてあげたかったのに、
逆に、本人が敢えて隠していた嫌な部分まで
無意識のうちに引き出してしまったみたい…

でも、私の考える理想、「隠し隔てなく解り合える関係」は、
良い部分だけでなく、むしろ、そのような弱くて脆い部分を
受け容れ合って支え合えるような関係の事だから、
私は彼にそのような関係を拒まれたのだと解釈した。

もともと解り切っていた事なのにね…
過去の過ちです。若気の至り?!

それ以来、私は確かなモノが感じられない限り、
絶対に、ありのままの素の自分を曝け出さないように
意識的かつ無意識に心掛けるようになりました。

自分を出さない事。
それが相手に対する思い遣りなのだと…
できる限り相手を傷つけたくないから。

私の不思議な魔力はとても厄介なものだから、
本当に相手を大切に想う気持ちがあるのなら、
封印し続ける事に意義があるのかもしれない。

そう自分に理由づけて解り合えない孤独に耐えて
生きていっているけれど、いつか、こんな私でも
ありのままで接し合える人と巡り会えるといいな…




バラード
2006年06月07日(水)
バラード第1番ト短調 作品23

私にとって、思い出の忘れられない曲。
もう二度と、弾く事はできないだろう。


小さい頃からクラシックの身近な家庭で育った。
世間にCDが普及し始めた頃から、なぜか両親は
クラシックやジャズのCDばかり買い集めていた。
週末の朝食タイムには必ずクラシックが流れていて、
曲名よりも先にメロディーが記憶に刻まれていった。

特に、両親が音楽家だったというわけでもなく、
兄も幼い頃にオルガンでバイエルを弾いていたくらい。
音楽が好きだった私は自らピアノを習いたいと
両親に頼み、おばあちゃんにピアノを買ってもらった。
本格的に習い始めたのは、小学1年生の頃から…

最初は近所の音楽教室で好きな曲を弾いていた程度。
楽しく好きなように弾ければ良いと思っていた。
それから2年目くらいに個人のピアノの先生に変わり、
バイエル、ブルグミュラーなど、基本的な練習曲を
弾きこなし、小学校でも教室のオルガンで遊んでいた。

私の運命を変えたのは、小学校高学年の頃。
たまたま通っていた歯医者さんの近所でピアノの音が聴こえて、
その音色の美しさに惹かれ、私もその先生に習いたいと思った。
偶然に、兄の親友の妹さんや私の同級生の男の子も生徒だった。
その先生に指導してもらった8年間こそが、私の最盛期だった。

先生は私の才能を認めて下さり、ハノン、ツェルニーから、
バッハインヴェンションとシンフォニア、ソナチネアルバム、
ソナタアルバムなど、ピアノ曲における基礎に力を入れた。
有名なピアノ曲は発表会の時くらいしか弾く事はなかった。
不満もあったけど、めきめきと上達していって夢中になった。

その頃から、私の中はピアノの事で一色になってピアノ漬けだった。
「好きな音楽は?」というプロフィールに「クラシック」と書いて、
周りから不思議がられていた。それ以外の音楽には興味がなかった。
音楽の時間や合唱コンクールの伴奏、そして、吹奏楽部の演奏会で、
『愛のコンチェルト』という曲のピアノ伴奏にも抜擢された。

私からピアノを取ったら何も残らないだろうと信じ込んでいた。
高校に入り、本格的に音大志望の夢に向かって歩み出した。
毎日2〜3時間は練習し、ソルフェージュや音楽通論も学んだ。
音楽の専門店へ行って、五線譜や色々な楽譜を買い漁った。
夜でもピアノが弾けるように電子ピアノも買ってもらった。

しかし、受験が近づくにつれて、厳しい現実に突き付けられた。
結局、両親は、調子に乗って私に夢を見させていただけなんだ。
県外かつ私立の音大になんて行かすお金なんてないと言われた。
仕方なく、ピアノを活かせる国立大学を片っ端から探してみた。
幸いにも勉強も優秀な方で模試でも上位ランクで問題なかった。

高3の頃から、受験に向けて声楽やコールユーブンゲンも習い始めた。
受験勉強と並行して、受験用のピアノの課題曲と自由曲の練習もした。
初めてコンクールにも出場した。今やピアニストとなった1つ年上の
松本和将さんも出場しており、お疲れ様と挨拶をしたのを覚えている。
もはや、ピアノとは道楽ではなく、自分と同化して一体となっていた。

恐ろしいくらいにピアノに依存する毎日だった。
体育で球技の時には、突き指するを恐れて休んでいた。
ほんの数時間でもピアノに触れていなかったら不安で、
学校でも、許可を頂いて、音楽室や体育館のピアノで
休憩時間を利用して弾いていた。私の好きな曲…

ショパンの『バラード第1番ト短調 作品23』。

それを、某国立大学受験用の自由曲に選んだ。

私の得意技は、アレグロくらいの速い曲。
そして、短調であるほど心を込められる。

コンクールではショパンの『幻想即興曲』を弾き、
受験用の自由曲では敢えて違う曲にしてみた。
ずっと憧れていた、しっとりとした大人の曲。

10分間もの長い曲だったけど、ほんの2,3ヶ月で
暗譜でマスターし、自信と磨きを付けていった。
受験が終わるまで一刻も気を緩められなかった。

18歳の冬、受験前の慌しい時期に発表会が行われ、
そこで弾いた『バラード』が、私の弾いた最後の曲となった。
冬の補習をサボってまで出席した発表会。
補習を終えて親友が会場まで掛け付けて
私の最後の演奏を聴いて見届けてくれた。

私にとって精一杯の精神力で仕上げたメロディーだった。
もう、あれ以上には綺麗に思うように弾く事はできない。

その頃には、ピアノを弾けば弾くほど上手に弾けなくなっていった。
必死で練習すればするほど腕が重くなり指が動かなくなっていった。

早すぎる限界を感じた。
諦めなければならない時が来たのだと、
身を以って知らされた。

まだまだこれからという時だったのに…
まさか病気のせいだとも思いも知らず、
ピアノという実力の世界に屈せられた私は、
全てを諦めて引き下がるしかなかった。

まだ、病気が原因だと判明していたら、
病気を治して再び取り戻そうと頑張れたかな??
今みたいに宙ぶらりんな私じゃなかったかな??

あまりにもショックで、なぜ急に
ピアノが弾けなくなっていったのか、
不思議に思う事さえできなかった。

ピアノの先生にも声楽の先生にも学校の先生にも、
一切、弁解や言い訳はしなかった。
「ピアノを弾けなくなった」という事実が全てだから…
それまでの私が上出来すぎただけ。
自分を信じる事もできなくなった。

ずっと、続いてきた糸が突然プツンと切れて、
まるで、自分じゃなくなったようで戸惑った。
まるで、私という人格が否定されたみたいで…

私の居場所がなくなってしまった。
それ以来、私の人生は一変して、
同じ視界が違って見えるようになった。

これほどまでの絶望と失望はない。

長年に渡って一心で積み重ねてきた夢が
一気に崩れ落ちて一瞬にして消え去った。
信じてきたものが一瞬にして奪われた。
築いてきた自分が一瞬にして殺された。

この先、何を信じて生きていけば良いのか、
この先、何のために生きていけば良いのか、
何を頑張る事で自分を見出していけるのか、
全てを見失って、真っ暗闇に堕ちて行った。

その延長線上に、今の私が居る。
ピアノに触れなくなって、早8年目…
今では、もうピアノと向き合えない。
聴くのも弾くのも苦しくなるだけ。

私にとって、ピアノを諦めるという事は、
あまりにも大きな悲しすぎる代償だった。
いったん閉ざされた心は、
もう二度と蘇る事はない。

過去の栄光は決して消えないだろう。
いつまでも儚く眩く輝き続けている。
手が届かないから美しいままなんだ。
思い出す事はできるけど時間は止まったきり。

いつまでも、ずっと…


今だに解らないままだよ。
私は今、何のために生きているんだろう…
どこに向かって歩いているんだろう。
どこに喜びを見出せば良いんだろう。
一体、どこで何を置き忘れてきたのかな…

私らしさって、何だろう??

あの時の楽譜は、もう手元にはないよ。
捨ててしまったのか、隠してしまったのか、
全く記憶に残っていないの。

空っぽなのは変わりないよ。




m a i l



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