**Secret**..miho
「真に受ける」
2006年02月27日(月)
私は、真に受けやすい性格であると自覚しています。
他人の事を簡単に信じてしまうという意味だけど、
元々、私は「真に受ける」という言葉が大嫌いでした。

それは、同じ「本当だと思う」という意味である
「believe(信じる・信用する)」という言葉とは、
また違ったニュアンスを表していると思うから…

私が初めて「真に受ける」という言葉を覚えたのは、
高校3年生の時。今でも、鮮明に記憶に残っている。

夏季補習の真っ最中。
仲良しメンバーと一緒に帰宅している途中、
親友の一人が、次のように言った。
「暑いねぇーこういう時には泳ぎたい気分だ。
夏休みになったら、みんなでプールへ行こうか?!」
私は、大はしゃぎで「うん。行こう♪♪」と答えた。

それから、私は夏休みになるのが待ち遠しくて、
新しい水着まで買って、密かに準備をしていた。

でも、その親友の言葉は「本当」ではなかったの。

夏休みに入り、私は、待っていたかのように、
「ねぇーねぇー泳ぎに行こうよ♪♪
ほらっ。前に言ってたじゃない。」と、
早速、プールへ行くお誘いをした。

すると…
「えぇーあの言葉、真に受けてたのー??」と、
あっさりと返された。

「真に受ける??」
その言葉の意味は解らなかったけど、
その場の雰囲気で、私は、
あぁ、私は裏切られたんだなと、
大きなショックを受けた。

親友は平然として笑っていた。
私が、どんなに楽しみにしていたのかも知らずに…
平気でウソを付いておいて、どうして??

急に、一人で勝手に信じ込んでいた自分が
惨めに思えてきて、自己嫌悪に襲われた。
「真に受ける」って、けなされているみたい…

しばらく、私は、その親友とは口を利かなかった。
怒りというよりも、不信感で一杯になって、
とても苦しくて、どうしたら良いのか解らなかった。

信じていたのに…でも、解っていたの。
私が大人げなかっただけ。
親友に悪気がなかったという事も…
理由は簡単。ただ、その親友は、
自分の体型を気にして水着姿になりたくなかっただけ。
それを理解して、受け入れてあげられなかったの。

ただ、「真に受ける」と言われた事がショックで、
親友に対して心を開く事ができなかった。
信じちゃいけなかったの??悲しみは膨らんでいった。

結局、親友の方が、私を受け入れてくれて、
一緒にプールへ行く事になったんだけど、
嫌悪感で心のモヤモヤが晴れる事はなかった。
申し訳なくて居た堪れない気持ちで一杯…

なんで、あれほどまでに傷ついてしまったんだろう。
なんで、あの時、「あれ、ウソだったんだ?!
思いっきり信じちゃっていたよー」って、笑えなかったの??
そもそも、ウソって言うほどの大げさな事でもないでしょ…

それなのに、当時の私には、
「真に受ける」という言葉によって、
強烈な印象を叩き付けられた。

ただ、自分は、信じやすい性格なんだなぁって
思い知らされただけじゃなくて、その事で、
こんなにも心が傷んで苦しくなってしまうのは、
やっぱり、何でも信じ込んでしまう自分が愚かで、
相手に嫌な思いをさせている事にもなるから。

じゃなきゃ「真に受ける」なんて言葉、使わないよ。
普通に「信じる」って言えばいい事でしょ??

「信じる」という言葉には相手に対する信用も込められている。
相手に対して、「信じてくれていたんだね。」と言う時には、
少なくとも、最初から「信じてくれる」と自分も信じていた事になる。
逆に、「信じてくれていなかったんだね。」と言う場合には、
自分は相手の事を信じていたのに裏切られたという意味を含む。

でも、「真に受ける」という言葉には、
そのような意味合いはない。
単に、相手が「信じていた」という行為に対して、
一方的に言及しているだけ。
時と場合によって、それは、
非難したり咎めたりする言葉にもなり兼ねない。
まんまと相手を信じ込んで乗せられた自分がバカなだけだから…

実際に、親友は、まさか私が信じるとは
微塵も思っていなかったんだから。

私が「真に受ける」と言われてショックだったのは、
自分が親友を信じてしまった事に対する後悔ではなくて、
親友に信じてもらえていなかったという事と、同時に、
口先だけだった親友が信じられなくなってしまった事…

でも、結局は、鵜呑みにしてしまった
私が一番愚かで未熟なだけだったんだ。

今では、開き直って、
「私は真に受けやすい性格」って、
公言しているけどね。
そうやって、自分に言い聞かせておけば、
実際に、真に受けてしまった時に、
傷つかずに済むでしょ??

他人を信じる事って、
とっても勇気の必要な事なんだよ。
ただ信じていられるだけで、
不思議とホッと安心できてしまう。

でも、最近では、怖くて、
戸惑ってばかりだよ。
本当は信じていたいのに、
なかなか難しいよ…




『A Song for XX』
2006年02月20日(月)
私は、昔からミーハーな女の子ではありませんでした。
どちらかと言うと、自分の好きなモノを大っぴらにするのではなく、
自分の中だけで密かに大切に想い続けるタイプでした。
誰かに知られてしまうと、それだけ価値がなくなってしまうような、
そんなワケの解らない恐怖や不安を感じてしまうんだ。
単に、好きなモノを独り占めしていたかっただけなのかもしれない。

簡単には、「これが好き」と言えなくなってしまったのも、
そういう素直じゃなくて捻くれた性格だったからなのかな…
嫌いなモノに対しては、しきりに好きになろうとしていた。
そのうち、どんどん、嫌いなモノを嫌いと言うだけでなく、
好きなモノさえ好きと断言できなくなっていってしまった。
好きなモノと嫌いなモノとの区別が曖昧になっていったの。

最終的には、自分自身の事でさえ、解らなくなっていった。
嫌な部分ばかり浮き彫りになっていって大嫌いになる一方…
自分の好きな部分が解っている人は本当に幸せ者だと思う。


そんな私にもいくつか大好きだと信じられるモノがあり、
その一つは、20歳の時からずっと聴き続けている曲。
私は、浜崎あゆみ作詞の曲が大好きです。
今でも毎日のように聴いているよ。いつも聴く曲は一緒。
何度聴いても飽きないし、何度聴いても元気づけられる。
彼女の曲と共に苦悩を乗り越えてきたようなものだから。

最初のきっかけは、入院中、呼吸器外科病棟の看護婦さんが、
「何か音楽を聴く?娘は浜崎あゆみの曲ばかり聴いてるわ。」
と勧められて、私も親に彼女の曲を買って来てもらいました。
初めて彼女の曲を聴いたのは、高校3年生の大学受験の時。
たまたま本屋さんで『Depend on you』が流れているのを聴いて、
力強さの中に切なさが込められた曲という印象を抱いていた。
そして、入院中、独学の合間に彼女の曲を聴くようになった。

最初は、まだ、気分転換に聴いていた程度だったけど、
その後、更に、私にとって大きな存在となっていった。

入院半年目の3月、ずっと信じて頑張り続けてきた事が否定された。
病気が良くなって復学できて遅れを取り戻せると信じてきたのに…
病気は一向に良くならず、復学どころか退院さえも絶望的になり、
半年間の努力は全て無駄に終わり、大学の遅れは無情に遠ざかった。

信じていた大学の先生に見捨てられ、
信頼していた主治医にも裏切られた。

それまで背を向けてきた病気の私だけが
残されて、独りぼっちになった。
大嫌いな自分と向き合わされた。

もう何もかもが信じられなくなってしまっていた時に、
ちょうど彼女のベストアルバムが発売されて、
それ以来ずっと、毎日、何度も何度も聴き入っていた。
それ以外に、信じられるモノなんて見当たらなかった。
それだけが、私を理解してくれている同士だったから。

その中でも、私の気持ちに最も近くて、
いつも慰めてくれる曲が『A Song for XX』。
他にも、たくさんお気に入りの曲はあるけど、
この曲は、当時の孤独と重なっていて、
今でもずっと支え続けてくれているよ。

今の私の原点にある曲だよ。

今だに未熟で大人になり切れていない
私の心の中で、ずっと鳴り響いている。




どうして泣いているの
どうして迷ってるの
どうして立ち止まるの
ねえ教えて
いつから大人になる
いつまで子供でいいの
どこから走ってきて
ねえどこまで走るの

居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待出来るのか分からずに

いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな言葉ひとつも望んでなかった
だから解らないフリをしていた

どうして笑ってるの
どうしてそばにいるの
どうして離れてくの
ねえ教えて
いつから強くなった
いつから弱さ感じた
いつまで待っていれば
解り合える日が来る

もう陽が昇るね そろそろ行かなきゃ
いつまでも同じ所には いられない

人を信じる事って いつか裏切られ
はねつけられる事と同じと思っていたよ
あの頃そんな力どこにもなかった
きっと 色んなこと知り過ぎてた

いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな風に周りが言えば言う程に
笑うことさえ苦痛になってた

一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く
きっとそんな毎日が当たり前と思ってた


          (『A Song for XX』by. Ayumi Hamasaki)


m a i l



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