「ねぇ、先生… 私、5年前の今日、手術をしたよ。」
1棟だけ高くそびえ立つ外科病棟。 その6階の西側が呼吸器外科病棟だった。 5年前の今日、そこで手術を受け、 2週間後に神経内科病棟へ転科したっきり、 二度と足を踏み入れる事はなかった。
そして、あれから丸5年間が経過した今日、 外来の待ち時間中に、ふらりと足が向いた。 いつもは通り過ぎていたエレベーターに乗り、 今まで見向きもしなかった思い出の場所へ… 記憶が5年前という過去にさかのぼっていった。
手術の事で頭が一杯だった当時よりも 手術から遠ざかった現在の方が、 目の前の現実を鮮明に直視する事ができた。
でも、傷みに対する反応は、 当時の方が敏感だったような気がする。
エレベーターホールの隅っこにある電話ボックス。 刻々と迫り来る手術に対する恐怖に怯えながら、 「目を覚まさなかったらどうしよう…。」 そう、密かに想いを寄せていた大学の先生に、 毎日のように弱音を吐いていた。まだ、その頃は、 先生が居るから頑張れる…大丈夫だと信じられていた。
シャワー室。手術の数日後に、1度だけ使用した。 傷口を見るのが怖くて、目をつぶって洗い流した。 その後、処置室で傷口を消毒してもらった時に、 触れられた感覚で、初めて傷の大きさを知った。 それよりも、胸骨を継いだ針金の方が恐怖だった。 現在も、時おり感じる傷みと共に消える事はない。
手すり付きの廊下。まだ当時は全身脱力がひどく、 歩く事もままならなかった。転科前、少しだけ お母さんに支えられながら、1歩ずつ歩いてみた。 エレベーターに乗って1階までは行けなかったけど、 それだけで「手術を乗り越えられた」気がした。 廊下に置いてあった体重計に乗ると、36kgだった。
休憩室から見える景色も、掲示板の貼り紙も、 ナースステーションに置いてある置き物も、 全て、当時の面影を残していて懐かしかった。
そして、2週間だけ私が入院していた15号室の入り口も、 当時、転科してきた時の第一印象と同じままだった。 自分の手でドアを開け閉めした覚えは一度もないけど、 ベッドから左側に見えたドアの様子まで思い出される。 主治医、看護婦さん、両親、おじいちゃん、おばあちゃん… みんなが見守って支えてくれていたから、心強かった。
あの頃の私には、「病気を克服する」意志があった。 まだ完全に負けてはいなかった。病魔に侵されたショック 以上に病気の自分を憎く思い、必ず病魔をやっつけて、 本来の元気な自分を取り戻し、新たなスタートを切るんだ!! そう毎日願い続けて、1日1日を根気強く通り過ぎて行った。 1日たりとも無駄な日はなかった。毎日が闘いだった。
それが、呼吸器外科で見受けられる私の姿だった。 それが、私の闘病生活における原点だったはずなのに… 今の私には、相応しくない場所のように思えてしまう…
どこで、道を逸脱してしまったんだろう…
今だに、神経内科病棟にだけは行けない。 そこでは、必死で、死にたがっている私の姿しか 思い浮かんでこないから…早く封印してあげたい。 早く幸せを掴んで全ての忘れ物を取りに行きたい。
まだまだ、それまで時間が掛かるかもしれないね。 それでも、いつかは必ず心から笑える日が来るよ。
そう、信じているから… そう、願っているから…
「ねぇ、先生… 私、5年前の今日、手術をしたよ。」
そう、先生に伝えたかった。 思い出して欲しかった。 あの頃の私が存在していた事を…
でも、言えなかった。
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