**Secret**..miho
--鳥取--5月14日(土)のDiary
2005年05月22日(日)
週間天気予報での雨マークも外れ、当日は清々しい快晴でした。
連日の早起きで、ネムネムながらも何とか目を覚ます事ができ、
朝食におにぎりを1つ食べて、午前8時頃に無事に出発しました。
行き先は、鳥取県の米子市。
そこには、亡くなった千葉のおじいちゃんの弟さんが在住しており、
今回のプチ遠出の第一の名目は、おじいちゃんのお墓参りなのだ。
その弟さんも具合が悪いようで、お見舞いも兼ねて行って来ました。

高速道路に乗るのは久し振りだったよ(*^_^*)♪
山陽道の大阪方面と広島方面には何度か行った事があるけれど、
中国道、米子道を走るのは、2年前に彼氏と蒜山高原へ遊びに行った
時ぶりかなぁ…そのせいか、当時の事が懐かしく思い出されて、
何だか切なくなってしまいました。高速道路と言えば、いつも
彼氏が倉敷まで2時間半も掛けて会いに来てくれる事も思い出し、
改めて、その大変さと感謝の気持ちで一杯になりました。

いつもは後ろの座席に座るんだけど、今回は前の座席に座りました。
後ろの座席で、お母さんとおばあちゃんがお喋りをしやすいように…
前の座席の方が景色も見渡せるし、とっても快適だったよ☆ミ
シートベルトに慣れていなくて、締め付けられて苦しかったけど。。
今回はGWではなかったので、道路が空き空きだったよ。
時速100キロを越えても何の違和感もなく、マヒ状態でした。
それにしても、中国道、米子道は、山やトンネルばっかりで、
高速道路とは思えなかったよ(*・_・*)ゞでも、平地ではなく山間を
走行するので、怖いくらいに高度が高く、見晴らしも良かったです。
車の中では、ずっと自分のMDを聴いていました。

行き掛けの途中で、何度かアクシデントも発生!!
おばあちゃんが、親戚の人に渡すために買っておいたお土産を
家に置いて来ちゃったのです。。それで、仕方がなく、高梁の
サービスエリアで、似たようなお土産を買い直しました。
その場所で、お母さんはコーヒーを買ったんだけど、走行中に
飲んでいたら振動でこぼしてしまい、服がコーヒーのシミだらけ。。
お母さんは機嫌を損ね、車内が険悪な雰囲気になってしまったので、
真庭のサービスエリアへ寄り、トイレの水道で汚れを落とす事に…
それから、何とかペースを取り戻し、蒜山へ辿り着いたので、
そこのサービスエリアで一休み。大山が綺麗に見えて、とっても
懐かしい景色だったよ(*^▽^*)彼氏にも見せてあげたかったなぁ…
そこで軽くコロッケパンを食べて、いざ目的地へ突入しました☆ミ

溝口ICで下りた後、地図を見ながら下道をウロウロしていました。
お墓にお供えするためのお花を買わなくちゃという事で、
偶然に見つけたホームセンター(サンアイ)に寄る事にしました。
しかし、そこには植木しか売っていませんでした。。
ついでに親戚の家へ電話を掛けてみると、すぐ近所なので、
今から行きますよという事になり、しばらく待っていると、
後ろからいきなりオジサンが声を掛けてきてビックリしていたら、
その人が、おじいちゃんの弟さんの息子さんでした。

運良く再会できたので、そのまま、お父さんがおじさんの車の
後に付いて行きながら親戚の家まで行く事になりました。
本当にすぐの場所に親戚が住んでいる団地がありました。
何となく緑の丘が多い横浜の郊外のような雰囲気の場所でした。
それにしても、本当に人影の少ない閑静でのどかな場所だったよ。
時おり、道路で自衛隊の車を見かけて、何だかヘンテコな気分…
団地の入り口では、年老いた弟さん夫婦が待ち構えてくれており、
涙の再会でした。確か、3年前のおじいちゃんのお葬式ぶりかなぁ…
何だか私までもらい泣きをしてしまい、熱い絆を感じてしまいました。
私にとっては遠い親戚に当たるわけですが、それでも、
親戚イコール遠距離というイメージの強い私にとって、
車でほんの2時間程度で行けてしまう場所に親戚がいるなんて、
本当に夢のような不思議な感覚でした。初めての場所だったので、
余計に新鮮な気持ちに浸ってしまったよ(*'ー'*)♪

しばらく、家の中に上がらせてもらい、雑談を交わしました。
弟さんは、顔も喋り口調も全ておじいちゃんにソックリ!!
それだからか、一緒に話していると、まるでおじいちゃんと
会話をしているような気分になり、胸がグッと熱くなったよ…
弟さんのお部屋には、おじいちゃんのお仏壇も飾られており、
お葬式の時に使用された写真を見ると、とても感慨深くなりました。
ほぼ寝たきり状態という事で、足が痩せ細って見るに耐えられない
状態でしたが、それでも達者で生き続けている事に勇気をもらったよ。
私の闘病生活の事も知っており、「よく頑張ったね。」と励まされた
時には涙が出ました。本当に会えて良かったなぁって思います。

その後、近所のお寺までお墓参りに出掛けました。
結局、お花は、お寺の前のお花屋さんで買ったよ。
車の中では、弟さんの奥さんが米子市のガイドをしてくれました。
本当に元気で明朗でしっかり者なおばあさんで感心しちゃったよ☆
お寺が立派でビックリ!!お位牌を置く場所が、ひな壇みたいに
一人一人仕切られていて、故人の湯飲みや花瓶が飾られていました。
お墓もビッシリ並んでいて、清水のお墓よりも狭く感じたくらい…
2000年、私が入院中に起こった鳥取地震(?)の時には、お墓の灯篭が
崩れてしまったみたいです。おじいちゃんが亡くなって3年目にして
ようやく分骨されたお墓を参る事ができて、ホッと一安心でした。

全て用事が済んだ後、息子さんが車で境港まで案内してくれて、
そこのお魚天国というお店で、みんなで昼食を食べました。
念願の日本海のお魚料理だぁ♪♪ヾ(*^。^*)ノ
とにかく、本場という事もあって、どれも量が多くて安い!!
私は、地元では高くて手の届かない「いくら丼」を食べました。
たっぷりのいくらで、たったの1000円にはビックリ(゜O゜*)
もっとビックリだったのは、蟹小鍋汁が800円だったのだ!!
あまりの安さに1人1つ頼んだんだけど、テーブルに置き切れない
くらいに大きくて驚いていたら、実は1つが2人前だったんだって。。
みんな、あまりの美味しさに意地でも全部お腹に入れていたけど、
さすがに私は半分くらい残しちゃったよ(*-.-)=зもったいない…

昼食後、しばらく日本海沿岸の景色を眺めながらドライブをし、
息子さんの家まで息子さんの奥さんを拾いに行きました。
その途中で「観音寺」という場所を通過しました。
実は、そこは、おじいちゃんのお母さん、つまり、
私の、ひいおばあちゃんに当たる人が亡くなった場所なのです。
私は一度も会った事がなくて、何が何やらでしたが、
お母さんやお父さんは覚えていて、すごく懐かしがっていたよ。
車の中では昔の話で盛り上がっていましたが、私だけ付いて行けず、
やっぱり遠い遠い親戚なんだなぁって再確認してしまいました。。

息子さんの家へ着き、息子さんの奥さんと初めての対面(*^_^*)
めっちゃ若々しい雰囲気の女性でビックリ!!
今年で50歳にもなるのに、格好が私と同世代くらいだもん。。
私も、50歳くらいになっても、格好次第で若々しく見られるかも?!
それから、思いも掛けず「とっとり花回廊」へ連れて行ってもらえる
事になりました。5月という事で、お花や植物が最高に見頃だったよ♪
その名前の通り、園内が1キロにも及ぶ巨大な回廊で囲まれており、
そこを歩きながら園内の様々な自然を見渡す事ができるのです。
一番の見所は、お花畑のバックに大山を一望できる「花の丘」です。
鳥取の富士山とも思われるほど、大山は美麗に映えていたよ(*-.-*)
とても人工の庭園だけでは味わう事のできない絶景でした。
中央のフラワードームで、鳥取名産の20世紀梨のソフトクリームを
食べたよ♪♪それから、そこで、お土産も買って帰りました☆ミ

4時を過ぎたので、弟さんの待っている団地に戻る事にしました。
あまりにも夢中になり過ぎていたので、ここが遠い場所だなんて、
すっかり忘れていたよ(*・_・*)ゞ団地で涙のお別れの挨拶をして、
「また来るからね」と約束を交わしてから、米子を後にしました。
たったの5時間程度の滞在時間だったけど、とても長く感じたよ…
あまりにもたくさんの思い出が凝縮し過ぎていて、儚いようで、
きっと一生忘れられない、貴重な1日となりました。

帰りは、1時間半で倉敷に着いちゃいました。
その途端に、気が抜けたせいか、どっと疲れが出てきて、
左目が開かなくなって涙がボロボロ止まらなくなったよ(>_<)
コンタクトのせい??それとも、病気の症状なのかな…??
夕食は、イオンで冷やし月見ソバを食べました☆ミ

しばらくずっと、疲労のせいか、ふわふわ宙ぶらりんな感覚が
続いていました。でも、疲労よりも充足感の方が大きかったよ。
また行けるといいなぁ…ううん、必ず行けるような気がするよ。




真の幸せ
2005年05月05日(木)
今日は楽しかったよ。
その至福が自分の首を絞めている事も解っているよ。
いつだって、その場凌ぎの幸せだから、
後ろめたさから解放される事はないの。

今は更に両親の夫婦喧嘩で精神が麻痺しているから、
通常よりも彼氏に反動が伸し掛かってしまったのかもしれない。
素直と言うよりも、諸に感情をぶつけてしまったよ…

甘えてみたりワガママを言ってみたり…
こういうのを幸せって言うのかなって、
こういうのをラブラブって言うのかなって、
色々と試してみたけど解らなかったよ。
いつかは消えちゃう儚いものなんだって、
決め付けているからなのかもしれないね。

「誰にも嫌われたくない」って、
自己愛のニュアンスがあるけど、私はそうじゃないよ。
「誰をも傷つけたくない」。
無理な事くらい解っているよ。
所詮、表面的にしか行き届かない事だらけなんだから…

その事が何よりも自分自身を
苦しめている事も思い知っているよ。
不器用でなければ、残酷な結末には
ならないだろうという事もね…

これでも、いつだって天秤の兼ね合いで
物事を処理しようと心掛けているんだよ。
どうやったら、相手を傷つけずに済むのかなぁって。
自分の幸せは、相手の幸せだから…

でも、私の事を想ってくれている、
私の事を必要としてくれている、
私の事を求めてくれている場合などは、
相手のために、自分を押し殺してまで
犠牲にする事もあり得ると思うから…
きっと、それが私の悪いところなんだろうね。

そうやっているうちに、真の幸せからも遠ざかっていき、
自分らしさを見失って、寂しさしか残らなくなってしまうんだ。
どんなに不幸を感じても、故意に犯した自分の仕業だと思えば
辛くはない…そんな自虐的な思想が根本にあるから、
真の幸せも、訪れる事はないんだろうね。

私の中では、自分の幸せなんて、
相手が幸せだと思う度合でしか
計り知れないようなものだから…

だから、今、自分が幸せだと感じられていないのも、
大切な人を誰一人として幸せにしてあげられていないから…
その事が自分の仕業であるという事も解っているよ。

でも、決して辛くはないなんて思えないのは、
結局は、大切な人の全てを表面的のみならず、
ちっとも守り切れていないからなんだろうね…

でも、いつか、そんな私でも、
自分の幸せのために、
頑張れるようになれる事を願っているよ…




m a i l



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