Sun Set Days
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2003年05月30日(金) 『めぐりあう時間たち』+風邪

 3日ほど前からどうやら風邪気味で、昨日から本格的に風邪を引いてしまった。
 熱があるのと(38度前後をいったりきたり)、咳がとまらないのと、昨日からは鼻水まで出てくるようになってしまっている。
 幸い、今日も休日だったのでゆっくり休もうと思っていたのだけれど、このDaysを書いている21時過ぎ現在、熱はまだ引いていない。

 今日は7時過ぎに起きて、午前中ちょっと会社に顔を出してくる。昨日帰りが遅くなってできなかった引き継ぎをするのと、上司とちょっと直接話しておきたかったことがあったためだ。そうして1時間ほどそこにいて「風邪だな、それは」とか「すごい鼻声ですよ」とか言われたりする。

 そのまままっすぐ帰ればよかったのに、帰りにせっかくの休日を1日中眠っているのも残念なことのような気がして、バスで映画館に行く。それから前から見たかった『めぐりあう時間たち』を観る。平日の午前中最初の上映は1200円なので重宝する回だ。

 ストーリーは、チラシから引用するとこんな感じ。


 誰の人生にもやってくる普通の朝が、また始まろうとしていた……
 1923年ロンドン郊外、作家ヴァージニア・ウルフは「ダロウェイ夫人」を執筆している。1951年ロサンジェルス、妊娠している主婦ローラ・ブラウンは夫のために蒸すことバースデイ・ケーキをつくり始める。2001年ニューヨーク、編集者クラリッサ・ヴォーンはエイズに罹っている友人の作家の受賞パーティ準備に奔走する。朝の後は昼になり、そして夜がやってくる。三つの時代の、三人の女たちの一日は、それぞれの終わりへと向かっていた……。


 体調が悪く、周囲にできるだけ迷惑が掛からないように咳を押し殺しながらの約2時間弱だったのだけれど、3つの時代が交互に移り変わり、少しずつ関連性が紐解かれていく様は見応えがあった。他人の心の傷や思いのようなものには、結局どこまでも触れることのできない部分があって、けれども一緒にいることやその人のために何かをしようとすることで、少しでも近づいていくことができるのだということ、それが結果として報われないとしてもそこに意味はないということはないのだというようなことをぼんやりとした頭で思っていた。
 それでも、それすらも自己満足や思いこみでしかないのかもしれないということを考えさせられたし、言葉を尽くしても気持ちを尽くしても届かなかったりすれ違ったりしてしまう致命的な何かが、物語に深い彩りと重厚で陰鬱なトーンを投げかけているのはリアルではあるけれどもやっぱり悲しいことのように思えた。クラリッサの娘が「お母さんの友達はみんな悲しげだわ」というような台詞を言うシーンがあるのだけれど、まさにそんな映画だった。繊細であることと、その上に意志の洋服を着ることがうまい人ばかりではないということを、朝から夜、そして三つの時代の関連性という短い時間軸と長い時間軸を最後に重ね合わせることで見事に表している。
 そして、それでもまた朝は訪れるのだ。


 平日の午前中ということもあって、主婦っぽい人の姿がとても多かった。40人くらいが観ていた。


 映画が終わってから、すぐ近くにある公園を少し散歩する。大きな公園で前にも訪れたことがあったのだけれど、風が涼しくて気持ちよかったのと、具合が悪いので緑の中で太陽の光を浴びることは大切かもしれないと思ったのだ。
 そんなことしていないで早く部屋に帰って眠れよとは思うのだけれど、それでも1時間ほどその公園をゆっくりと散歩して、小高い丘から景色を見たり(ベイブリッジなんかが遠くに見えた)、涼しい風に大きく体を伸ばしてみたりしていた。
 ウォークマンで音楽を聴きながらの散歩は気持ちよかったのだけれど、体調はやっぱり悪いままだった。
 平日ということもあってか、小学校に上がる前の子供たちを連れた主婦の姿と、老人たちの姿ばかりが目についた。20代の男性が1人でというのにはその一時間に1人しかすれ違わなかった。ゆるやかな緑の斜面にビニールシートを敷いてお弁当を食べている友人同士と思われる母親2人と子供たちや、遊具にしがみついて遊んでいる子供たち。並んで散歩をしている初老の夫婦。みはらし山からカメラで遠くの景色を写している老人。デジタルカメラを持ってくればよかったなと思いながら、その公園で見ることができる動物たちという看板を見たり(絵付きの看板。ヒヨドリやカワラヒワ、キタテハなど)、昔は牧場だったのだという公園の由来を読んだりする。

 それから、バスを乗り換え、途中で汗をかいた方がいいかなとラーメンを食べてから部屋まで戻ってきた。
 熱はそのときも下がってはいなくて(当然だろうといま書いていて思うのだけれど)、それからはずっとさっきまで眠っていた。途中、後輩(結婚一年目)から夜ご飯を食べに来ませんかという誘いの電話があったのだけれど、それも泣く泣く断りを入れるしかなかった。行きたいのはやまやまだけれど、他の人にうつすわけにはいかないし。

 あんまり眠り続けることもできないので、いま起きてDaysを書いているのだけれど、またすぐに眠ろう。明日明後日と稼ぎ時の週末だし。
 確かに最近は仕事も遊びもとちょっと睡眠時間が短かったり、朝まで起きていたという日も数日あったりと生活のリズムが崩れていたから、その結果としてこうなるのは目に見えていたような気はする。いずれにしても、休息するときにはちゃんとしないとなと、あらためて思った。


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 お知らせ

『めぐりあう時間たち』は映像がとてもきれいでした。


2003年05月27日(火) 横濱カレーミュージアム+『ジェーン・バーキン』

 14時過ぎに部屋で26日のDaysを書いてから出掛けてきた。行き先は関内。横浜駅から3つ目の駅で、横浜スタジアムのある駅だ。

 以前にも書いたことがあると思うのだけれど、僕は休みが平日でしかも一ヶ月毎にシフトを作っているので、必ず何曜日が休みということがない。ある週には月曜日と金曜日が休日で、他の週には金曜日が木曜日に変わったりする。友人に言わせれば土日が休みじゃないのは困るとのことなのだけれど、個人的にはそうは思わなくて、業種を選んだ時点からそんなことはわかりきっていることだし、とりあえず平日の休日はどこも空いているので個人的にはかなり重宝しているのだけれど(採用を担当している時期には週末が休日だったけれど、どこも混んでいて辟易してしまったし)。
 ただ、一つだけ困ることがあって、それはコンサートとかライブとかの予約をしづらいことだ。

 大抵の場合、人気のあるアーティストのライブなどは、数ヶ月前にチケットが発売され、あっという間に売り切れてしまう。つまり、上記の僕の状況では、チケットを取るときにはある種の賭けをしなくてはならないのだ。その日が休日かどうかわからなくても、とりあえず予約をするしかないという賭けを。うまくいけばその日が休日で、目当てのコンサートやライブを観ることができるのだけれど、うまくいかなければ残念ながらチケットは誰かに売るしかなくなってしまう。仕事の日に早く終わらせて行けばいいのにという意見もあるかもしれないけれど、たとえばいまなら仕事の日は早くても22時まではかかるので、コンサートは終わってしまうというわけだ。

 だから、必然的にコンサート関係は躊躇してしまうことが多い。ただ、結構利用しているサービスがあって、それは「e-plus」というチケットサイトのサービスのひとつ「得チケ」だ。以前にもちょっと書いたけれど、これは、公演が直前に迫っているにもかかわらず売れ残っている演目について、ハーフプライスとか○円引きなどでチケットを販売しているもので、本当に直前(来週などに公演)のものが多くて、重宝するのだ。

 翌週の公演などの「得チケ」だと、休日のシフトがわかっているので予約できるかどうかすぐに判断がつくし、ハーフプライスなどでは、定価だとちょっと……というようなものでも、観てみようかなという気にもなるし。CDのジャケット買いにも似た感覚でコンサートやライブを観に行くことができるというものだ。

 それで、今日は神奈川県民ホールで行われたジェーン・バーキンのコンサートをハーフプライスで観てきたのだ。

 まずは関内に着いてから、伊勢佐木町モールへ。時間に余裕があったので、まずは前から行ってみたかった「横濱カレーミュージアム」に行ってきたのだ。最近改装を終えてリニューアルしたカレーミュージアムは、雨の平日だったせいかそれほど混んではいなくて並んだりすることもなかった。新横浜にあるラーメンの方と比べると入館料が無料なところは良心的で、結局2つの店で食べた。
 大阪せんば自由軒の「インディアンカレー」と、博多伽哩本舗の「やきカレー」。どちらもちょっと風変わりなカレーといった風でそれぞれおいしかったのだけれど、ストレートないわゆる普通のカレーでおいしい店もあればいいのにとちょっと思ってみたり。他にもうどんとかスープカリーとか、やや特殊というか変わり種の店が多かったし。
 ただ、近いし、カレーは好きなのでまた来たいなとは思ったのだけれど。


 カレーミュージアムのホームページのURLです。

 http://www.currymuseum.com/


 それから、神奈川県民ホールまで傘を差しててくてくと歩く。ジェーン・バーキンが神奈川県民ホールに来てもいいのだろうか? とちょっとだけ思いながら。

 ジェーン・バーキンはイギリス生まれの女優・シンガーで、フランスの鬼才セルジュ・ゲンスブールの元妻で、女優のシャルロット・ゲンスブールの母親でもある。昔ミニシアターで『ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ』と『スローガン』を観たことがあって、その60年代フランスの独特の雰囲気を体現しているような様に映画自体はそれほど好きではなくても見惚れてしまったことを思い出したりもして、それで今回せっかくだから行ってこようと思ったのだった。

 座席は5分の3ほどしか埋まってはいなくて、そういうものなのかもしれないと思いはしたのだけれど、それでもステージに立つジェーン・バーキンはとても魅力的で美しかった。1946年生まれだからすでに50代だというのに、きれいに年をとるというのはああいうことなのかと思ってしまうくらいに。赤いドレスも似合っていたし。
 座席は前から10列目で、端の方ではあったのだけれど、それでも目を凝らせばジェーン・バーキンの姿を見ることができた。フランス語と英語(それからカタコトの日本語)を織り交ぜたMCはほとんど理解できなかったけれど、それでも繊細な雰囲気のようなものが感じられるステージだった。
 ちなみに、観客の8割は女性で、年代は見事にバラバラ。学生くらいから老婦人まで。

 歌の方はほとんどが知らない曲だったということもあってそれほど入り込めなかったりはしたのだけれど、かつての伝説的な人物を間近で見ることができるなんてすごいなと思いつつ、見ていた。リアルということには、やっぱりパワーがあるよなとも思いつつ。


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 お知らせ

『スローガン』でのジェーン・バーキンはかなり魅力的なのです。


2003年05月26日(月) 『サラマンダー』+『トゥー・ウィークス・ノーティス』

 27日は午前4時少し過ぎに帰ってきた。1次会約60人、2次会約25人が参加した職場の飲み会に参加していて、近くに住んでいる後輩たちと一緒にタクシーで帰ってきたのだ。眠りについたのは午前5時少し過ぎで、昼間まで眠っていた。7時間の睡眠なのだけれど、午前中の眠りは夜眠るよりも熟睡したような気分になるから少し不思議だ。

 飲み会はアルバイトもたくさん来ていて平均年齢が低かったせいか、ほとんどの人のペースが異様に早く、全部で5人くらいの人が吐いていた。なんだか学生の飲み会みたいなノリだなあと途中で思いながら、ほとんどお酒が飲めないのはこういうときには得なのだかそうじゃないのだかとぼんやりと考えてみたり。千鳥足になっている人を久しぶりに見た。ろれつが回っていない人も。高すぎるテンションの人も。


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 昼間眠っていると、いかに周囲が様々な音で溢れているのだということに改めて気がつかされる。僕がいま住んでいるのは静かな住宅地の一角にある3階建ての建物なのでかなり静かではあるのだけれど、それでも車の音や、子供の声、それから近くの家を建て替えている一画から聞こえてくる工事の音などが断続的に響いてくる。それで何度か目を覚まされた。電話も二度鳴った。一つは午前9時の間違い電話で、「岩崎さんのお宅ですか?」「違います」ガチャ。もうひとつは11時。「失礼ですがご主人様ですか?」「違います」「息子様ですか?」「違います。一人暮らしなんで」「そうですか失礼しましたお墓のご紹介の電話だったので……」ガチャ。

 ああいう、お墓やマンションの営業の電話って、名簿をどこから取り寄せているのだろうということと、実際に話が展開することがあるのだろうかということの両方をいつも不思議に思う。少なくとも僕は突然電話がかかってきたところから自分のお墓は買わないと思っているのだけれど。

 いまは14時過ぎで、久しぶりに午後のんびりとパソコンの前に座っている(月火と久しぶりの連休なのだ)。昨日買った鬼束ちひろのマキシシングルとマドンナを聴きながら、ぱちぱちとキーボードを叩いている。窓の外は随分と灰色の曇り空で、そういえば今朝変えてきた頃には小雨が降っていた。それがどういうものであれ朝帰るときには隙間に入り込んでしまったような感覚があって、あと2時間もすれば動き始める路地や通りが、その時間だけまったく別物のように見えてしまうのは少しだけ愉しみになるようなことだと思う。いつも見知った道路のはずなのに、曲がってみるとどんな景色が広がっているのだろうと想像してしまうのは、夕方とか夜明けとかのやっぱり境目の時間だ。

 タクシーはコンビニの前で降ろしてもらったのだけれど、コンビニがまだなかった頃の午前5時のことを、いまではちゃんと想像することができなくなってきているのだから不思議な感じはする。

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『サラマンダー』と『トゥー・ウィークス・ノーティス』を観た。
 日中にシネマコンプレックスで。
『サラマンダー』はひさしぶりにパンフレットを買わなかった映画。僕は以前にも書いたのだけれど基本的には観た映画のパンフレットはできるだけ買うようにしている。いつか、遠いいつかぱらぱらとめくったりすることがないとも言えないし。そしてそういう気分になったときに手に入れることがとても難しいものだという気がするし。
 けれども、やっぱりそこにはある程度の基準のようなものがあって、それを超えないとさすがに手が伸びないときもあるのだ。
 で、『サラマンダー』はそういう映画のひとつだった。映像はすごいし、迫力もあったのだけれど、それでも、やっぱり……。

『トゥー・ウィークス・ノーティス』はサンドラ・ブロックとヒュー・グラントが主演の映画で、それに惹かれて。『フォー・ウェディング』以来、ヒュー・グラントが出てくる作品はなんだかんだで観に行ってしまっている。『ノッティングヒルの恋人』も『アバウト・ア・ボーイ』も。どれもすごく好きというわけではないのだけれど、それでもやっぱり観に行ってしまう。
 こちらの方は普通に面白かった。月曜日の昼からの回を観に行ってきたのだけれど、シネマコンプレックスの中でも小さなスクリーンはそれなりに埋まっていて、ほとんどが主婦っぽい二人連ればかりだった。平日の昼間の客層。僕の斜め後ろに座っていた二人組は、笑えるシーンで声を上げ、ロマンティックなシーンでは「まあ……」とか言っていたけれど、そういうのもトータルで面白かったりもして。

 それにしても、先日の『マトリックス リローデッド』の午前1時30分からの回にも大半の若者に混じって50代くらいの男女の姿があったりもしたのだけれど、映画を好きな人は老若男女問わずに多いのだよなとあらためて思う。才能ある人たちが何億もを費やして作りあげたものを1800円で観ることができるなんて、やっぱりよいことだ。とても。


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 お知らせ

 今日はこれから出掛けてくるのです。夜にも更新(予定)。


2003年05月24日(土) 『マトリックス リローデッド』

 久しぶりの更新。
 ここ数日連日14時間〜15時間くらい働いていて、その後食事やらドライブやらに行ったりもしていて、ほとんどホームページを見る暇もDaysを書く時間もなかった。
 数日前にちょっとBbsを覗いたときにツヨシさんからリンクについてメッセージが入っているのを見たのだけれど、時間のあるときにちゃんとページを見てからレスをしようと思っている間にメッセージ自体が消えていたりして、申し訳ないことをしたものです。もしよかったらもう一度書き込みかメールをくださいね(アドレスがわからないので)。

 そしてこの文章を書いているいまは25日の午前5時少し前。ついさっき帰ってきたところ。昨晩も23時前まで働いていたにも関わらず、後輩と3人で川崎のチネチッタで上映されていた『マトリックスリローデッド』の先々行ロードショーを観てきたのだ。
 0時少し前にチネチッタに着いたのだけれど、そのときにはすでに最終回である午前1時30分からの回しか席がなくて、しかも僕らが購入したすぐ後にその時間も満席になっていたから、ギリギリセーフというところだった。そして『トゥームレイダー2』や『チャーリーズエンジェルフルスロットル』の予告からはじまり、本編上映後エンドロールの最後に挿入される『マトリックスレボリューション』の予告を観終わったのが午前4時5分。400名以上の人たちが、午前1時過ぎから映画を観ているという状況がおもしろくて、つい何度か劇場内を見回してしまったりもした。

 映画はもうお腹いっぱいという感じで、かなり見応えがあった。頭がもっとしっかり働いているときにもう一度観たいなと思ったのだけれど、それでも予告編で観た魅力的なシーンの数々は、やっぱり見惚れてしまうような出来。

 もちろん今日も8時頃から仕事があるので、睡眠時間はかなり削られてしまっているのだけれど、個人的にはかなり満足だったりする。体力的には結構きついものがあるとは思うけれど、栄養ドリンクとかを飲んで(ちょっと高いやつ?)、1日頑張ろう。

 昨晩、先輩には『マトリックス』を観に行くという話をすると、「タフだなぁ」と話していた。
 たぶんその通りのところはあるのだろうなと思う。
 ちょっと無茶が入ってはいるけれど、そういうのがまったくないのもちょっと寂しいような気もするし。


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 お知らせ

 チネチッタの座席はとても座りやすかったのでした。


2003年05月17日(土) 焼き肉(食べ放題)

 今日は異動が決まっていた後輩のプチ送別会。
 ちゃんとした送別会は前回すでに行っていて、今回は若いメンバー(かろうじて僕も入るのです)だけで焼き肉屋へ行く。食べ放題の店で、ケーキやカレーなんかもなぜか置いてあるような郊外店。全員で7名。

 いつものように、わけのわからないことを2時間以上話していた。真面目な話ももちろん大切だということはわかるし、それはもちろん嫌いではないのだけれど、それでも笑い話はより求められている部分があるのかもしれないと思う。一人の時間とみんなと過ごす時間とのバランスの取り方はきっと人それぞれに違うのだけれど(個人的には一人の時間の方がずっと好きなのだけれど)、それでもみんなと笑いあっている時間はやっぱりたのしい。

 そんなふうにあらためて思ってみたり。

 そしてもちろん、焼き肉のあとに、ケーキと、アイスクリームはちゃんと食べて。


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 お知らせ

 焼き肉食べ放題の店にあるケーキは、スポンジがぱさぱさしてやけに粉っぽいのでした。


2003年05月15日(木) たくさんのごはん

 先日、仕事が終わってから後輩3人と一緒にファミリーレストランに行って、気がつくと午前2時過ぎまで話していた。
 他愛のない話と仕事の話とで何時間も。
 考えてみると、異動の多い会社だけあっていままで沢山の人と一緒に仕事をしてきたけれど、そのときそのときの同僚たちとそんなふうにしてご飯を食べてきている。他愛のない話と、仕事の話を織り交ぜながら。
 どの街や町でもそうで、そのときに交わした会話なんて覚えていなくても、たくさんのごはんをたくさんの人たちと一緒に食べてきた。環境はきっと大きな要素で、そういった環境にいたからこそ出会えた人も多いのだろうし、ひとところで同じ人たちと時を重ねていくというのももちろん素晴らしいし味わい深いことだと思うけれど、それでも個人的にはこれでよかったとも思う。

 いろいろな人がいて、いろいろな話を聞いてきた。
 これからはどうなのかはよくわからないけれど(一年先にどうなっているのかなんてわからないし)、それでも誰かとごはんは食べているのだろうなと思う。


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 お知らせ

 最近の関東地方は天気が不安定なのです。


2003年05月13日(火) ホーム・パーティ

 今日は7時過ぎに部屋を出て、帰ってきたのは0時少し前。基本的には平穏な1日だったのだけれど、帰り際にアクシデントが発生したために急遽帰りが遅れてしまった。順調そうに見えて最後にこうなるのかという感じ。けれども割合スピーディーな対応で何とか終了。

 昨日の夜には、パートさんの部屋に招待され6人で手作りの料理をごちそうになってきた。
 ホームパーティというやつ。
 手巻き寿司とか、手作りのサラダとか、中華街にあるおいしいと評判の店のシュウマイとか、いろいろ。お酒も本当にたくさんの種類があって、普通のビールから富良野や岩手の地ビール、それにシャブリやブランデー等々普段の食生活とは全然遠いものばかり(マック好きだからね……)。そのパートさんは料理やお菓子教室の先生もやっているという多才な人で、もちろんどれも最高においしかった(今回はなかったけれど、手作りピザとかもう絶品とのこと)。

 お酒を片手に様々な話で盛り上がり、深夜2時過ぎまでみんなで喋り、笑い続ける(そのパートさんは機知に富んだ会話をする人なので、おもしろいよなあとあらためて思う)。世間的にはもちろん非常識な時間だけれど、むしろもっと飲みましょうよというような感じで。けれどもさすがに翌日に仕事を控えていたため、午前3時頃においとまする。
 旦那さん(出張でその場にはいなかった)の話などもいろいろ聞き、やはり趣味があることはすばらしいことであるのかもしれない、とあらためて思ってみたり。

 細部にこだわることはきっと大切なことでけれどもなかなかできないことでもあって、でもたとえばそのパートさんの淹れてくれたアイスティーにはコアントローとオリゴ糖が入っていたりして、とても甘くおいしかったりしたのだけれど(しかもそれを35年使っているというとてもシンプルなデザインのコップに淹れてくれるのだ)。
 そして、彼女の持論である「おいしい食事を家で食べる習慣さえあれば、子供はまっとうに育つ」というのも、なるほど納得できることだよなと思ってみたり。

 ということで最初に戻るのだけれど、6人と別れてから深夜に帰ってきて3時間弱くらいしか眠っていなくても、不思議といまもそれほど眠たくはなくてDaysを書いたりしているので、体力があるのと体の中のネジが一本くらい変なふうになっているのではないかなと思うのは相変わらずで。

 明日も早いのでもう眠るつもりなのだけれど。


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 お知らせ

 家庭の味にうえているんだよなーと参加者たちで話してみたり。


2003年05月10日(土) ラーメン

 仕事帰り、アルバイトの男(地元)と一緒にラーメンを食べに行く。
 車で連れて行ってもらったのは、地元で有名な店。確かに人気店らしく、22時を過ぎていたのに、店の外に置かれたコの字型の椅子に座りきることのできないくらいの客が外で待っていた。あんまり詳しくはないのだけれど、有名な流派で学んだ店なのだそうだ。最近はラーメンもご当地ものだけでなく様々なバックボーンやストーリーがあって驚いてしまう。

 結構待って食べた印象は、個人的にはちょっと……という感じ。味が濃すぎるのと、チャーシューの食感がちょっと変わっているところが個人的にはうーんという感じだったのだ。アルバイトに訊いたところ、確かにそのチャーシューははまるかどうかがわかれるところとのこと。いずれにしても、ちょっと期待しすぎてしまったかもしれない。

 今度は、別のおいしいと評判の店に連れて行ってねと頼む。
 部屋まで送ってもらい、気がつくとすぐに0時になってしまう。
 明日も早いので、今日はもう眠ろう。


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 お知らせ

 先日購入した小泉今日子のアルバム『厚木I.C.』の2曲目「モクレンの花」はいい曲だと思うのです。
 作詞作曲が宮沢和史で、編曲が高野寛。


2003年05月08日(木) 送別会

 今日は送別会という名の飲み会。この一ヶ月ほどの間に数人の異動があって、何度か送別会が開かれるうちの一回目。
 今日は25人くらいの参加。
 社員からパートさんまで、年齢にも結構幅があって、様々な話が出てきて面白かった。
 仕事柄はじまる時間が遅いせいか出席できない人も結構多かったのだけれど、それでも楽しかった(全員入れたら百人くらいにはなるので、さすがにそれは難しい)。

 比較的若い会社なためか、28歳の僕はもう全然年上の方で、今日も新入社員のパワーにかなり笑う。スケベでバカっぽくて、でも素直で憎めないというのは、なかなかにいい感じだと思ってみたり。
 ナンパに行くとか叫んでいたけれど。

 1時少し前にお開きになってから、家が近い後輩2人と一緒にタクシーに乗って帰ってくる。そして、その内の一人とかなり部屋が近いことが判明して驚く。路地一本手前か奥かというくらい。歩いたら3分くらいで着くくらいの距離。
 お互いに驚く。ち、近すぎるよ……生活範囲が一緒すぎる……

 偶然っておそろしいねとちょっとだけ思う。

 いずれにしても、明日は早起きをしなければならないのにもうこんな時間(9日の午前2時10分過ぎ)だけれど、まあ頑張ろう。


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 お知らせ・1

 二次会に流れていったメンバーが明日ちゃんと出勤できるのか、ちょっと心配な今日この頃です。

 お知らせ・2

『マトリックス・リローテッド』が本当に最高に楽しみなのです。予告編を見ただけで、しびれてしまうのです。


2003年05月07日(水) ロング・サイクリングあるいは不思議な午前中の話(後編)

 山登りは新鮮だった。神社の脇の登山道に入っても、しばらくはそれほど急な傾斜にもならずに快調に歩いていくことができた。その内に周囲はどんどんと白んできて、もうほとんど朝と呼んでもいいような雰囲気になっていた。僕は歌でもうたうような心持ちで、まずは軽快に歩きはじめた(徹夜明けなのに)。

 名前を知らない木と、名前を知らない草があって、名前を知らない鳥の鳴き声がした。途中、木々の合間から眼下を見ると、いつの間にそんなに高いところまで来ていたのか、山間に点在する小さな家々の明かりが見えたりもするのだった。その明かりは随分と小さくて、ロールプレイングゲームの実写版のような雰囲気ってこんな感じなのだろうかとか考えたりした。風は涼しくて、汗をかいてもすぐに冷やされてしまうようだった。木々に囲まれたアップダウンが続き、他の誰ともすれ違わなかった。

 僕は早朝の山道を一人で黙々と歩いていたのだ。

 様々なことを考えていた。自分の二十代がどんなものになるのだろう、ということに思いを馳せたりもしたし、たとえば五年後にはどうなっているのだろうと考えたりもした。他にも他愛のない様々なことを考えた。それから、周囲の自然を注視するように見回したりもした。考えはすべて突き詰めたものにはならずに、漠然とした淡いものであり続けた。基本的には体を動かし続けていたから、熟考することはとてもできなかったのだ。

 だから、浅い眠りのときに見る夢のように、繰り返し他愛のないことをぼんやりと思いつつ山を登り続けた。関節が痛むような気がしたけれど、それでも歩き続けた。

 しばらく経つにつれて、傾斜は徐々に厳しいものへとなりはじめる。僕は先輩の話していた「登山道が結構しっかりしているから」という言葉はどのような意味合いだったのだろう……と思いながら、一生懸命に歩いた。それは十月はじめのことだったから、気温だってそれほど高くはなかったのに、それでも汗がでてきていた。
 
 途中、岩肌を露出する急な勾配があったり、細長い楕円のような形をした小さな泉がある場所を通り抜けたりもした。湧き水が沸いているところがあって、その湧き水がとてもおいしいのだということを先輩から聞いていたから、僕は喜んでそれを飲んだ。両手を合わせてつくったくぼみに水を受けると、そのまま口元に運んで水を飲んだ。味はほとんどなかったけれど、生々しい感じはした。

 気がつくと、4時間ほど登り続けていた。ようやく山頂が近づいていて、岩肌が目立つようになっていた。山頂付近が視界に入ってからが意外と長くて、そこからもうひとふんばりが必要だった。やっと山頂にたどり着くと、そこにはちょっとした広場のようになっていて、何人かの人たちの姿があった。

 とりあえず近くの人に「こんにちはー」と挨拶をした。山登りなんか全然したことがなかったのだけれど、なんとなくそういった場所ですれ違う場合には挨拶を交わすべきものといったイメージがあったからだ。山頂にいたのは、若い4人組の女性のグループと、三十代くらいの痩せた男性だった。

 4人組の女性は、僕よりも年上に見えた。「どこから登ってきたの?」と訪ねられ、神社の横からだと答えた。
「神社のところから? その格好で?」
 4人組のひとり、ショートカットの女の人がそう言って驚いていた。
「ラフな格好しているから、ロープウエイのところから登ってきたのかと思った」
 確かに、他に山頂にいる人たちと比べると、いくら動きやすそうとは言っても僕の格好はちょっとラフ過ぎるところがあったのかもしれない。カバンだってナイロン地のリュックサックとかではなく、普通の学校にしていくような肩掛けカバンだったし(しかも地図と神社の前で買ったジュースしか入っていない)。いくら登山道があるとはいえそれなりの高さの山を登るには、準備がなさ過ぎるというところだった。
「神社のところってね、一番距離が長いのよ」
 女の人はそう説明してくれた。僕の格好から山登りに精通しているようには見えなかったのだろう。僕は「そうなんですか」と答えた。なんでも、僕が登っていたのと反対側に、車である程度の高さまで行くことのできる道路があって、その先にロープウエイがあるのだそうだ。そして、そこからだと結構すぐに山頂にたどり着く距離になるのだという。
 全然知らなかった。先輩の話から、神社の横から登るものだと思いこんでいたのだ。
 それから、ちょっと話をした後(どんな話をしたのかはもう忘れてしまった)、その4人組は山頂から降りていった。リュックサックには寝袋とかもt積んであって、かなり本格的な感じだった。

 景色はさすがに圧巻だった。雲の塊のようなものや霧のようなものが随所に見えてはいたけれど、それでも基本的にはよく晴れていた。山頂だけあって東西南北どの方向も見ることができて、そしてそれぞれの方向には様々な光景が広がっていたのだった。遠くまで続く山並みや、海、それから遥か眼下に町が見えた。普段、町を自転車で走っているときや歩いているときに、見上げるといつもこの山が見えていた。
 自分がその山に登っているなんて不思議な感じがした。それでも今日山に行こうと部屋で思ってから数時間後に、ちゃんと山頂に立っているのだ。正直、途中ちょっと辛いなあと思うところもあったのだけれど、ある程度まで進んでしまったら、後はもう引き返す方が面倒だったし、そのまま登り続けた。それに山頂まで行く途中に辛いことも、ちょっと大げさに人生みたいなものだと考えていたのだった。いろいろと大変なことがあっても、とりあえず登り続けてさえいればいつか山頂に着くだろうし、到着するまで頑張れるのであれば、自分の二十代も頑張れるはずだと根拠もなく思いこんでいたのだった。

 風は随分と涼しかった。眠気は奥の方にはあったが、それでも不思議と気持ちは冴えていた。山頂からの景色は気持ちのよいものだった。

 山頂の遠くの方にいた三十代の男性が近づいてきたので、今度は彼に挨拶をした。僕らは別々の石の上に腰を下ろし、「気持ちよいねえ」「そうですね」といったよくある挨拶を交わしていた。さっきの4人組同様、全然縁もゆかりもない人だ。
 その男性は、自分が山登りが好きで、これまでいくつかの山を登ってきたのだということを話した。それらの山の名前には僕も知っているものがあったし、全然聞いたことのない山の名前もあった。それから、自分はパラグライダーをするのだという話もしてきた。そうなんですかと僕は答えた。
 そして、その男性はパラグライダーのすばらしさを一通り語った後、僕に一緒にパラグライダーをやらないかと声をかけてきた。おもしろいんだよ、と。
 その申し出については曖昧に答えておいた。いくら自然が気持ちを開放的にすると言っても、山頂でついさっき出逢ったばかりの人にパラグライダーを一緒にしようと勧めるのはちょっと変わっていると言えば言える。別にパラグライダーに興味がないわけではなかったのだけれど、その話題についてはフェード・アウトさせるように別の話題を選んだ。
 それから、その男性と10分ほど話し、僕は立ち上がった。
「それじゃあ」
「ああ」
 そして、山頂の景色をもう一度ぐるっと見回してから、登ってきた登山道を今度は下り始めた。

 下るときには、少し急いで下った。かかった時間は登りの四分の三ほどで済んだから、それが下りであることを差し引いてもハイペースだったのだと思う。正午に近づいていたから、今度は登山をしている人たちとすれ違うことも多くって、そのたびに「こんにちは」と挨拶を交わした。気温は少し上がり、霧のようなものはいつの間にかどこかへ去っていた。

 ようやく神社に近づくと、何かの行事をやっていて、着物姿の小さな子供たちや大人たちがいた。山菜採りの老人たちの姿も見え隠れしていた。早朝にはがらがらだった駐車場には何台もの車が停まっていて、脇に停めてある僕の自転車はなんだかやけに端の方に押しやられているように見えた。神社の境内付近には出店も出ていて、道路を挟んだところにある商店や食堂も店を開けていた。

 僕はもう一度振り返った。その場所からでも、山頂は随分と高いところにあるように見えた。時間をかけて登り、下りてきたにしても、それでもあんな場所につい数時間前まで自分がいたのだとはあんまり信じることができなかった。不思議な感覚だった。けれども目を凝らすと、あの辺りは確かにさっき通ったと思えるような光景が見えていたりもするのだった。
 駐車場で、僕はジュースを飲んだ。飲みながら、どこか達成感のような、充実感のような気持ちを感じていた。二十歳の誕生日を一週間程過ぎた、二十代を頑張ることができますようにという願掛け的な山登りが無事終了したのだ。

 もちろん、実際にはそれで終わりではなく、今度は自転車で神社から部屋まで戻らなくてはならないのだった。体はもちろんそのときにはほっとしたのかかなり疲れていたのだけれど、迷わなかったと言えば嘘になるけれど、それでも僕はもう一度自転車に乗りペダルを漕いでいくことにした。タクシーで帰るとか友人に迎えに来てもらうという選択肢も、もちろん魅力的ではあったのだけれど。

 帰りの道は数時間前とは随分と印象を違えていた。来るときには、町はまだ目覚めてはいなかった。けれども、帰りは午後で、すっかり活動している町へ変わっていたのだ。車通りは増え、人の姿も多く、いくつかの郊外店や商店街は店を開けていた。進んで行くにつれて、見知らぬ町は見知った町へと変わり、普段の行動範囲へと近づいていく。

 帰り道の途中に、当時の恋人の部屋に寄っていった。恋人は部屋にいて(だからたぶん土曜日か日曜日だったのだと思う)、飲み物を飲ませてもらった。そして、バイトが終わってから、自転車で山に行って、神社のところから山頂にまで登ってきたのだという話をした。恋人は驚いて、それからちょっと呆れていた。無茶をしているように思えたみたいだった。
 もちろん、客観的に考えたら無事に帰ってこれたからよかったものの、やっぱりそれは無茶な行動だった。

 恋人の部屋を出て部屋に帰ってから、2時間ほど眠って、それからまたアルバイトに行った。寝て起きると半端じゃない筋肉痛が僕を襲い、その日のアルバイト(午後6時から深夜1時まで)は散々だった。いくら散歩をしているといっても、いきなりの山登りには足もびっくりしてしまったみたいだった。最後には先輩が、見るに見かねたのか部屋の掃除の大方を変わってくれ、その日のアルバイトはフロント業務が中心になったのだった。

 もちろん、その日のアルバイトを終えた後には、僕は本当にぐっすりと眠り続けた。10時間以上眠ったのだと思う。ほとんど眠っていない上に、長いサイクリングと山登りまでをしていたのだから、体はかなり疲れていた。

 それでも、そんなふうに突発的に体を酷使するようなことができたのだから、やっぱりあの頃には時間だけはたくさんあったのだろうと思う。
 そして、それってとても幸せなことだ。

 いまは28歳で、もうじき20代も終わる。30代のときには、今度はどうしようかなとぼんやりと考えてみる。
 また別の山に登ろうか(今度はもうちょっとちゃんと準備をして)。
 それとも、別のことをしようか。


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 お知らせ

 山頂で出逢った4人組の女の人たちが、数日後に偶然アルバイト先のカラオケボックスに歌いに来て、実は大学の先輩で、アルバイト先の山登りの話をしていた先輩の友人たちだったということがわかったのでした。
 世間は狭いと、思ったりしたのでした。


2003年05月06日(火) チャンピョンズ・リーグの日は休日

(ロング・サイクリング後編は次回に)

 いまは、7日の午前5時30分。

 今年はTBSでのヨーロッパ・チャンピョンズリーグの放映日が休日のことが多くて、今日もこの時間までレアル・マドリードVSユベントスの第一戦を見ていた。試合の前に、午前1時50分から準々決勝のダイジェストを放映していたのだけれど、それがまたとてもおもしろかった。バレンシアやアヤックス、そしてマンチェスター・Uなどベスト8で消えていったクラブチームの名シーンが再現されていて。
 特に、レアル対マンチェスターの第2戦、ベッカムの直接フリーキックのシーンは何度見てもすごいと思わされた(ベッカムの活躍のシーンだけあって、テレビ的にも繰り返し放映されていたし)。決めるべきときに決めることができるというのはやっぱり、スーパースターの証なのだなとしみじみと実感。そうそう。第2戦のファーガソン監督の采配に(?)という人はきっと多いのだろうと思う。

 それにしても、レアルは強い。今日だって、ラウルがいない、ロナウド後半に怪我(?)でも、しっかりと勝ちを拾っている。レアル自体は好きなチームだけれど、それでも今回の大会では日本人的な考えかもしれないけれど、相手チームをいつも応援している。劣勢と言われている方に頑張ってもらいたいと思うのだ。
 ユベントスは、熟練のチーム力でレアルにいつもの仕事をさせなかった。それは見ていていい感じだったのだけれど、結局はそれでもレアルが勝ってしまう……見ていると決めるべき人(ロナウドとかロベカルとか)がしっかりと得点を決めて、しっかりと勝利してしまうので感心してしまうやら悔しいやら。スーパースターたちの個人技の高さに、抜群のコンビネーション。世界No.1クラブチームの称号はやっぱり伊達じゃないのだと思う。このチームの試合をまだ見てみたいと思うのだけれど、このチームをさっくりと負かすチームが現れればいいのにと思ってしまう。
 複雑。

 けれども、ユベントスは貴重なアウエーゴールを取っていたので、第2戦が楽しみだったりはする。出場停止だったダーヴィッツも戻ってくるし。


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 お知らせ

 さて、これから少し眠ります。


2003年05月05日(月) ロング・サイクリングあるいは不思議な午前中の話(前編)

 普段山に登る習慣なんて全然ないのに、20歳になったらとりあえず山に登ろうと思っていた。
 当時僕は大学2年生で、小さなカラオケボックスでアルバイトをしていた。そこで仲の良かった2つ上の先輩がたまに山に登ると結構面白いという話をしていて、ちょっと興味を抱いたのだ。「本格的な装備とかは必要ないんですか?」という質問にも、「○○山なら登山道が結構しっかりしているから、歩きやすい服装であれば問題ないよ」という答えが返ってきて、それで俄然興味が増した。また、各地に成人の儀式として残る逸話のなかに霊山登りをするものがあったりすることを聞いたりもしていて、ちょうど20歳になる少し前で、そういう時期的なこともあって、山に登ることにしたのだった。

 山に登るときの動きやすい服装も用意して、あとはいつ行くかということだけだった。誕生日当日には約束があったし、その後で都合の良い日に行こうと思っていたのだけれど、そうしてみるとなかなか行く機会は訪れなかった。でも近いうちに絶対に行こうとは考えていて、普段はほとんどみない天気予報なんかを見たりしてはあさってがいいかなとか、それとも週末かなとか考えていた。

 そして、ある日アルバイトが終わって帰ってきてから(アルバイトは午後6時から午前1時までの7時間)、部屋で音楽を聴いているうちに、どうしてかいまから行こうと思ってしまったのだ。それがどうしてなのかいまだによくわからないのだけれど、それでもふといまから行こうと思って、その思いつきが大きな塊になってしまって、どうすることもできなくなってしまったのだ。
 そのときにはすでに、午前3時近くになっていた。

 もちろんちょっと迷った。午前3時過ぎなんて深夜だし、アルバイトを終えた後で眠ってもいなかったのだ。つまり、体調的にはあんまり、というかかなりよくない状態ということになる。けれども、いまから行きたいという衝動のようなものは思いがけず強く、いまでないとまた何かと理由をつけて行かなくなるとか、計画倒れになってしまうとか、そんなふうに自分を納得させたりもしていた。

 それで、午前3時過ぎに自転車に乗ったのだ。
 当時僕が乗っていた自転車は無印良品で購入したシャフトドライブの折りたたみ式のシルバーの自転車で、アルバイト代を貯めて購入したものだった。結構コンパクトで、けれども走りやすい自転車。
 僕はアパートの自転車置き場に降りると、後輪に付けてあるチェーン式の鍵を取り外した。肩には地図だけを入れたカバンを斜めがけしておく。

 登る山は決めていた。晴れた日には遠くによく見えていた山で、先輩が話していた山だ。標高は1500メートルを少し超えるくらい。まずはその山のふもとまで自転車で向かう必要がある。

 アパートから登山道の入り口まで向かうのもまた一苦労だった。当時から僕は散歩や自転車での散策が好きでアパートの周辺をぐるぐる回ったり、あるいはちょっとした遠出まで結構していたのだけれど、それでもその山の麓まではさすがに行ったことがなかった。友人の車に乗せてもらったときの記憶や、地図を見ていたから進むべき方角や道路はわかっていたけれど、それでも実際にそこまで自転車で訪れるのははじめてだったのだ。

 深夜の町は随分と暗く静けさに包まれていた。まだ開店していない商店街を抜け、大きな公園の脇の坂道を下り、比較的新しくできたバイパスのような道路を越えていく。山に近づくにつれ町外れの雰囲気が増し、郊外型のファミリーレストランや専門店が続く辺りを超えると、今度は昔ながらの町並が続くようになりはじめる。
 ゆるやかな弧を描く道路沿いに何かの印のように電灯が続き、トラックががらがらに空いた道路を通り過ぎていく。その道路の端を、自転車でゆっくりと進んでいった。歩道はあったりなかったりで、車道を走っている間は、妙にとばしている車に追い越されるたびに、風の音がやけに大きく響いた。
 途中、何度かやっぱり引き返そうかなと思った。何度かは実際に振り返りさえした。あまりにも遠くまで来すぎてしまっているように思えたし、日中明るくなってからでも遅くはないんじゃないかと思ったのだ。

 けれども、僕はペダルを漕いだ。引き返すにはもう随分と遠くまで来てしまっていたし、正直なところ引き返すのもすでに面倒だった。なるようになれというわけではないけれど、もうダメだと思ったらそこで引き返すか自転車を置いてタクシーででも帰ってくればいい。そんなふうに思ってさえいたのだ(もし自転車を放置したなら、友人の車で回収に来ればいい)。それに、道路看板を見る限りでは、少しずつ目的地に近づいていることが、方向が間違っていないことがわかったからでもある。だからこそ僕は繰り返しペダルを漕いだ。果てなく続くように感じられるアップダウンを超え、どんどん細くなり片側二車線から一車線になる道路を進んでいった。電灯の明かりが届かない場所を漕いでいるときなんかは、結構心細かったりもした。

 途中、何度か振り返ると、先ほど進んでいた地域が随分と遠く離れていて、自分の高度が上がっていくことがわかった。山に登ろうとしているのだ。実際問題かなりの坂道を登っていたし、左右の景色はすでに山の中のものへと変わっていっていた。

 しばらく進むと、ようやくその山の麓にある神社に到着した。もちろん、麓と言っても実際には山の中腹ほどではあるのだけれど、それでも山登りの観点から考えると、そこがスタートだったのだ。
 神社の前には土産物屋などが軒を連ね、ただしまだどの店も開いてはいなかった。立ち並ぶ自動販売機の人工的な明かりだけが、場違いな眩しさで目の前の細い道路を照らし出していた。僕は自転車を小さな駐車場の片隅に停め、それからゆっくりと大きくのびをした。そして欠伸をしながら、車のほとんど停まっていない駐車場を斜めに横切る。

 周囲はようやく少しずつ朝に近づきつつあった。夜闇はまだ頭上を覆っていたけれど、東の方の空が少しずつ明るくなっているのが見えていた。その神社の脇を抜けると登山道があることは調べていて、そこから登ることに決めていた。つまり僕は結構な時間をかけて、ようやくその入り口までたどり着いたことになる。

 ふう。
 というのが率直なところだった。目的地の入口まで来るのにもう随分と消耗していたのだ。眠っていないせいか頭は少しだけぼんやりとしていたし、体力的にもちょっと疲れているような気もした。けれどもそういったものはすべて気の持ちようだと思ったし、徹夜特有の妙なハイテンションでもあった。だから僕は「よしっ」と心の中でだけ思って、細い道路を渡ったところにある自動販売機でジュースを二本購入して、それを砂漠の旅人が持つお弁当や水筒のように感じつつ肩からかけていたカバンの中に入れて、駐車場で十分ほど空が明るくなるのを待ってから、いよいよ登山道に入ることにしたのだった。

 それから数時間かけて僕はその山を登ることになるのだけれど、それは後編に続く。


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 お知らせ

 Days初(?)の前後編なのです。


2003年05月02日(金) 歌詞データ

 著作権等の問題で難しい部分もあるのだろうけど、CDをパソコンのハードディスクにダウンロードして聴くことはかなり重宝している。
 お気に入りのCDをたくさんダウンロードして、それをシャッフルして聴いたりするのだ。まったく系統の異なるアーティストたちのランダムな順番に嬉しい誤算のようなものを感じたりする。

 もしこの類のソフト(僕がよく使用しているのはVAIOに最初からついてきたSonicStageというやつ)に機能が追加されるとしたら、歌詞が現れるウィンドウが欲しいなと思う。
 そのときデータが再生されている楽曲の歌詞が、別のウィンドウ(あるいは同じウィンドウ内)に表示されているのだ。
 曲を聴いているときには基本的にはメロディーを聴いていることが多いので、歌詞は別になんでもいいのだけれど、それでもたまには歌詞を知りたいなと思うときはある。そんなときに、ウィンドウをクリックするだけで、カラオケみたいにいま歌詞のどのあたりなのかということがわかるのだ。
 そういうのって、便利だと思う。

 現在は、インターネットに繋げば、パソコンに入っているCDのアーティスト名やそれぞれの曲名が一瞬のうちに表示されたりもするので、それに歌詞を付け加えるくらいは簡単にできそうな気もするのだけれど。

 まあ、技術的には簡単なのだろうけれど、使用料云々でやっていないということなのだろうか?

 それにしても、音楽をデータで聴くことが当たり前になっているなんてなんだか不思議な感じだ。十年前にはまだMDすらちゃんと普及はしていなかったのに。


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 お知らせ

 パソコンのフォルダの中にある昔作成したファイルの日付を見ると、ちょっとだけそのときっていったいどんな時期だっけ? って思ったりします。
 日記(のようなもの)をつけていてよかったと思うのはそういうときです。
 そのときの日記(のようなもの)をひもといていけばいいのですから。


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