2013年02月28日(木) |
リレンザで死者。春のボーナス。 |
リレンザでショックを来し亡くなられた方がおられたとの報道があった。前からの持論だが、抗インフルエンザ薬は飲まなくてもインフルエンザは治るし、死亡率も改善しない。解熱するのが24時間ほど早くなるだけである。しかも経験上最も効果の高いのは、皮肉なことに副作用のほとんどない麻黄湯である。
正直言ってあまり意味のない薬だと思っているし、自分や自分の家族には絶対処方しないレベルだ。こんなどうでもよい薬で命が奪われてはたまらない。この報道で処方を求める人が減ることを祈っている。てめえは自分から処方したことはなく、強く求められて、自己責任であることを重々説明してからしか処方したことはない。
ようやく重い腰を上げて確定申告の書類作りをはじめた。やるまではどうにも気が重いが、はじめてしまうと結構楽しい部分もあり。税金が戻ってくるのが一番の楽しみなのだが、今年の「春のボーナス」は去年よりも多くなる見込みだ。やったー。
2013年02月26日(火) |
再検査。もう一度大学生に。 |
先日の健康診断の結果を受けて再検査を行ったところ、腎機能は正常だった。いやあよかった。多分一時的な脱水だったのだろう。
「還暦三度目の京都大学合格記-究極の脳トレは受験勉強」と言う本を購入し一気に読んでしまった。
実はてめえはひそかにもういちど大学生活を送りたいと言う願望を抱いている。それをしないのは、現在家庭のことなど制約が大きすぎることと、収入の問題、そして今後の生産性が極めて低いと思われるてめえが若者を押しのけて勉強してよいのだろうか、という3点が問題としてあるからである。
この著者の場合は、60歳手前でありお母さんの介護の問題があるが、基本的には特養に入所されており一つ目の問題はクリアされている。
収入もおそらく蓄えをお持ちで、しかも年金生活も目の前である。またいざとなればバイトをするという方法もある。
三つ目の問題についてはあまり深く追求されていなかった。友人の中にはこの理由から反対する人もいたらしいが、多数は賛成派であったとのこと。
そんなわけで受験され、無事合格された。著者が指摘しているように、今の大学受験のレベル自体が落ちているのだろうとは思う。大学受験生が最多だったのはてめえらの世代であり、そこから比べると高校卒業生の数自体が半減しているはずだ。
さててめえの場合だが、何か一発当てない限り一つ目と二つ目の問題はクリアできない。残念だ。もしかすると、親の介護は介護サービスを増やすことでクリアできるかもしれない。施設入所は金銭的にも制度的にも困難である。病院に入院させたまま引き取らないと言う裏の解決法もないことはないが、てめえがやれば専門知識を持った卑怯者である。
二つ目の問題は、多くを望まなければバイトだけで細々と生活できるかもしれない。まあ、お金の問題は何とかなるというのは経験上よく知っている。
しかしてめえの前に最も高くそびえたつ問題が三つ目の問題である。てめえが趣味の学問をするために、一人の若者が泣く。これはつらい。
この問題を回避する方法はいくつかある。一つは、社会人入学を認めている大学に行くということだ。これなら受験するのは趣味の学問のものばかりであり、良心は全く痛まない。しかし残念なことに、てめえが進学したい母校は社会人入試をしていない。老人は来るなと言うわかりやすいメッセージでもあるわけだな。
もうひとつは学士入学だ。こちらは受験するもの自体多くなく、受験する人も趣味の学問のためになる。問題は3年生からの開始なので、基礎的なプログラムは飛ばされることになる。また、趣味の学問であれば教養的な勉強もしたいので、3年からの入学ということですでに矛盾している。
というわけで、密かにいろんな人に相談してみたが「落ちる若者はそれだけのものだったということで、気にしなくても良いのではないか」といった意見が多かった。しかしひっかかるのだ。できれば母校が社会人枠を作ってくれると助かるのだが。
納豆が好きだ。もう間もなく地球が滅亡する、最後の晩餐は何かと問われれば「納豆ごはん」が選択肢に上るくらい好きだ。あとの選択肢は「鮨」かな。意外なことに二択だった。自分でももっと意外な事にラーメンが入ってこないのですね。じいちゃんのラーメンが食べられるのなら話は別だけどね。
納豆と炊き立てご飯があれば、他のおかずは何もいらない。それだけで幸せ。そんなわけでてめえの一人飯は納豆ごはんが多くなってしまいそうだが、残念なことに一人では飯は炊かないのだ。
関西では「あんな腐ったもの食べんでも、他に美味しいものあるやろに」と嫌われている。のでむかしてめえは変態扱いだったが旨いものは旨いのだ。
さてニュースを見ていると、「第18回 全国納豆鑑評会」なるものが開かれていたという記事を見てしまった。どうせ東日本のものばかりが入賞しているのだろうと思いきや、驚いたことにてめえの地元の「森口食品加工」が優秀賞に輝いていたではないか。いつもおいしくいただいている納豆が出てきて驚いた次第である。
そんなわけで、何気なく森口食品加工のweb siteをみてみたところ、なんと社長が「納豆の発祥地は京都。歴史の中で西から東に伝わったものはあるがその逆はあり得ない」と言いきっていたので驚いた。てめえも納豆は東から伝わったものだと理由もなく信じ切っていたからだ。
そんなわけで、納豆の歴史をいろいろ調べてみた。調べてみると、秋田県をはじめ「納豆発祥の地」を自称する土地が東日本を中心に多くあることを知った。発祥を競うことはまあよくある話なのだが、奇妙な共通点がある。
それは「源義家」である。その多くは「源義家」がその地で発見したとのことだった。
似たような話がいろんなところであると言うことは、実際の話がいろんな地に持ち込まれたのかもしれない。が、普通に考えると、源義家が各地に納豆を持ち込んだと言うのが正解ではないだろうか。
とすると「京都発祥説」もあながちあり得ない話ではなさそうだ。というか俄然有力な気がする。
同じように考えた方のサイトも発見。
http://finedays.org/natto/nattohistory.html
この方は「馬」の共通性についても言及されていたが、確かに何故馬なのでしょうか。
先日健康診断を受けた。もちろんてめえの施設で受けるわけなので、その気になれば結果はすぐにわかる。
この仕事をはじめてから、健康診断では中性脂肪とコレステロール、及び尿酸がいつも高めであった。原因は不規則な食事にあることはわかっていたが、正直どうしようもなかった。昼食も取れるかどうかわからず、夜も遅くまでの激務であったので、空いた時間に出来合いのものを詰め込むしかなかった。さらに時間が余れば仮眠。
仕事をセーブして、ご飯も自分で作るようになってから上記の数値は改善した。
さて今回の結果だが、全くどこも異常がないだろうとたかをくくっていたところなんと「腎機能低下」+「貧血」! なんてこった。
「自分の科の病気になる」とはよく言われることで、たとえばうつ病になる精神科医や骨折する整形外科医がよくいるわけだ。なんでか知らんけど。まさかてめえまでそんな羽目になるとは。とほほ。正直頭真っ白じゃ。冷静に考えると、まずは再検査なのだが・・・。とほほ。
2013年02月17日(日) |
原付復活/人生やり直すのならば |
最悪だった体調も、家に帰ってきてからはすっかり復調した。今はもりもりいろんなものを食べている。
爆音を発してからぴくりとも動かなくなった原付だが、勤務先に放置してあったのを今朝持ち帰った。実は結構な距離があるので、体調を整えてしっかり睡眠をとった上で、父の支度も整えてから原付を取りに行った。
行きはバスで行き、そこからひたすら押した。ただの鉄の塊となった原付は思っていた以上に重かった。しかも洛中は北に向かって緩やかな上り坂となっており、腰も膝も悲鳴を上げじわじわとてめえを苦しめた。
これではただの苦行なので、どうでもいい妄想でもしようかと考えた。今日の妄想は「今の脳みそを持ったまま人生をやり直せるのであればやり直すか? するのであればいつからか?」である。
これは以前からちょくちょく考えることがあった。もし人生をやり直せるのであれば。自分でその時間を台無しにした中学生後半からだろうな。
中学2年の自分はいわゆる「中二病」なのか、何事にも絶望して何事にも反抗する季節であり、ついには学校にも行かなくなってしまった。それはそれで貴重な体験だったが、今思うと友人関係など失ったものも多い。読んでおきたかった本もたくさんある。
しかし中学からやり直したとしてもしんどいだろうと思う。今と違ってインターネットもなく。お金もないので勉強もできなかっただろう。
もしやり直せたとして、高校はどうするのだろうか。その後大学は? 違う学部に行くのだろうか、などとぼーっと考えていて、思わずはっとしてしまった。もし今やり直せたとしても、やっぱり同じ大学の同じ学部に行くような気がした。
などとどうでもよい妄想に耽っていると家の近くであった。なんとか家に持ち帰った頃には汗だくになっていた。
一息入れて修理を開始。おかしいところは分かっているのだが、問題はホンダさんの設計で、正直素人には難問すぎた。
あとひとつ部品をはめればおしまいというところまでたどり着いたが、その部品が全然はまらない。その気配もない。途中から様子を見に来た母が「さっさとバイク屋に診てもらえ」と言いだしたが、ここまで来てバイク屋はないだろう。「すんませんがこの部品だけはめてもらえますか?」と持っていくんかい、と意地を張ったが、できないものはできず、先に進まない。もうええわとあきらめかけたその瞬間に、その部品は今までの奮闘が何だったのだろうと思うほどあっけなくすぽりとはまった。
さっそく始動したが軽快に動く。いやあよかった。
2013年02月13日(水) |
体調不良/北朝鮮の核実験 |
今回の出張中からだいぶ体調が悪い。具体的には倦怠感と嘔気、軟便なので、診断を付けるとすれば軽い胃腸炎なのだろうと思う。
まあ良くあることなのだが、原因として思い当たる節は二つだ。
一つ目は、外食が続いたこと。ここ数年で、これだけ外食したのは記憶にない。昨年夏に娘も含めた家族旅行をしたが、この時も台所付きの貸別荘を借りて、1食を除き全て自炊した。自分の好きなものを好きな味付けで食べられるので全くストレスもなかったし、しかも旅行先での買い物もまた楽しいものだった。
今回は二日目くらいから体調がおかしくなりだした。昼食は配布される弁当でしのいだのだが、これもまた普段食べない揚げ物もあり。まあ残せばいいのだろうが、どうも食事を残すことに罪悪感がつよいのですべていただいた。
二つ目は新幹線での移動。ほんまに新幹線に乗るたびに思うのだが、JRは旅行者の移動と言うことを考えていないだろ。大きな荷物を置く場所もないしシートも快適性からは程遠くしかも狭い。
ビジネスマンの移動しか想定してないのではないか。たしかに新幹線が開通した1969年はそうだったかもしれんが、そろそろ考え直した方がよいと思うぞ。
以前に大きな荷物を持って新幹線で移動したことがあるが、頭上の荷物置きには入らず、足元にも置けず。車掌に訪ねると、乗降口に置くしかないのではないかと言われ。目の届かないところだし乗り降りする人の迷惑でもあるので、駅で止まるたびに荷物のところに行かなければならなかった。
これ以降、出来るだけ新幹線での移動を避けるようになった。しかし今回は京都から栃木への移動であり、空路が大変面倒くさくて列車での移動が容易だったので、できるだけ荷物を減らして行った。
しかしど真ん中の通路側の席しかあいておらず、隣の席のねーちゃんは爆睡しており頭上の荷物置きにアプローチできず。しかも上着を置く場所もなく。
仕方がないので自分の席に荷物を置いて、てめえは乗降口付近をぶらぶらしていた。あほかほんま。移動するだけで疲労困憊ですわ。
対応として考えたのは、今後は金銭に糸目を付けずにグリーン車にするということ。これなら席も広いし足元にも荷物が置けそうだ。しかも空いてるし。あああほくさ。JRの思うつぼやんけ。
急激に話が変わるが、北朝鮮の核実験のニュースがあった。正直非常にびっくり。核実験そのものは何の驚きもないが、何に驚いたかと言うと旧正月にぶつけてきたことだ。これまで北朝鮮の保護者だった中国こそさぞ驚いているだろう。
なぜならば、日本で例えると三が日に大きな軍事行動を起こされたようなものだ。政府機関はおおむね閉まっており、首脳もさすがに休み態勢に入っている。友好国に対しては普通配慮するはずだが。
その反対はあったが。ベトナム戦争時のテト攻勢とか。
小中学の時の同級生たちと再会した。約20年ぶりにあった彼らはほとんど変わっていなかった。
「最近血圧が高めやねんけどどうしたらいい?」 と、旧友の一人はてめえに尋ねた。 「運動と減塩や」 と答えると爆笑された。お前の口から運動と減塩だなんて、昔は口を開けば放送禁止用語や下ネタばかりだったのに。覚えてるか、学校の帰り道や教室でもお○こ(関西ですのでご察し下さい)! って叫んでたやろ。
そんなこともあったか。そういえば、これを聞きつけた妹が、母親に「おかあさん、お○こって何?」と聞いてしこたまてめえが殴られたことがあったな。まあどうでもよいわ。
どうでもいい話で盛り上がり、新幹線は最終になってしまった。
小学校の時の友人関係と言うものは、人間関係になんの計算もなく家柄も人種も関係なかった。高校生くらいになってから、友人たちの中に外国籍の人がそれなりにいることに気が付いたが、外国籍だと知る前からの友人なので何も変わらなかった。関西には韓国・朝鮮籍の人間が多い。中国人もいるが、彼らは国籍を隠そうとしない。
歳を重ねるごとに表層ばかりの付き合いが増え、しかし昔ながらの友人との共通話題もなくなり。てめえは大学を卒業した後に新たな友人と呼べる人はまだできていないし、多分無理だろうと思う。立場を持った付き合いになるからで、そういったもののなかった大学生までが限界だろうと思う。あるいはすべてを捨てて外国に行くなどすれば可能かもしれないが。
しかしいろんな話が聞けて面白かった。小中高の同級生が高校卒業後にとあるスポーツのプロ選手になっていたのが一番驚いた。帰りの新幹線の中で調べたら現在も活躍中であった。がんばれー。
産業医講習会は無事終了した。久し振りの座学は大学時代を思い出したが、退屈であれば抜けだしても良かった大学時代と異なり途中退席は許されず(当たり前だ)、おかげで腰痛が悪化した。
今回の講習会では、講師は主に大学の先生と現場の先生に二分された。大学の先生は概念的な話が多くて正直退屈であったが、現場の先生の話は具体的であり非常に面白かった。
産業医になるには講習を受ける必要があり、実地も含め合計で50時間必要となる。これらの講習会の受け方は2通りあって、
1.都道府県医師会の主催する講習会を地道に受ける 2.産業医大もしくは自治医大の行う集中講座に出席する
の二つである。あまり地元を離れることのできないてめえは1の方法をまず考えたが、地元医師会の講習会は講義の順番もばらばらで月にせいぜい数時間であり、これでは毎回出続けたとしても何年かかることやら。しかも開催は平日のデイタイムであり、仕事を休む必要がある。
上記の理由より、1は断念した。一般的に考えても、この方法で産業医を取るのは至難の技で、まずあり得ないだろう。5年ごとの更新の場合は20時間でよいので、5年かけて20時間であれば可能と思われる。ので、更新以外の使い道はないと思われる。
とすると2の方法しかない。いずれも1週間くらいで50時間の詰め込みである。
自治医大は2回に分けて1週間であり、2回とも土日を挟んでいたので参加しやすかった。産業医大は夏休み集中講座なので、てめえはそもそも家庭の事情で不可能である。
しかし産業医大にしなくて良かった、と終わってから思った。産業医大の講習会はすべて大学の教員である。
あとは申請するだけなので、早めに申請を行おうと思う。
ところで自治医大は清潔で整った学校であった。資金は使いきれないくらい潤沢とのことだが本当なのだろう(毎年47都道府県が拠出している資金が使いきれず、どんどん箱モノを建てているという噂である)。全寮制だが寮もホテル並みであり、構内も広い。授業料も基本的に免除であり理想的な大学生活が送れるだろうなあと、少し羨ましくなった。
2013年02月05日(火) |
インフルエンザの季節 |
インフルエンザの季節がまたやって来た。正直うんざりであり、若いころはまじめにいろいろと闘っていたがもうそんな気力もなくなってしまった。ので惰性でタミフルを処方している。リレンザ含む他の薬の処方しないことで何とか理性を保っている。
個人的には、インフルエンザが疑われるようであれば病院を受診しない方が良いと考えている。てめえも40度の熱を何度か出したことがあるが、受診するなんて狂気の沙汰だ。まず動けない。しかもしんどい体であるにもかかわらず予約がないために何時間も待たされる。こんなのが体によいはずがない。
ようやくインフルエンザと診断されたとして、出される処方薬はタミフルなどのノイラミダーゼ阻害薬である。この薬は重症化を防がず、発熱期間を短縮するのみである。死亡率も下げない。たったこれだけの効用にもかかわらず、異常行動を来すという副作用がある。てめえは恐ろしくて飲む気にはならないレベルだし、家族にまず処方することもない。
もし自分が飲むことがあるとすれば、それは死亡率の異様に高い新型インフルエンザがやってきたときのみだろう。そう考えると、耐性の問題もありやはり処方する気になれない。
にもかかわらず処方を求める人の多いこと。はじめは上記の考えをまじめに語っていたが、それでも処方を求める人の多さにうんざりして何も言わなくなった。
疑問を持っている方は初めからこちらに質問してくるので、その時には上記の説明を行い、了解を得れば麻黄湯を処方する。実感としてはもっともよく効く薬であり副作用もほとんどない。「漢方薬だったら効果も遅いのでは」という誤解を受けている薬だと思う。麻黄湯の即効性はタミフルをずっと上回る。
しかし、インフルエンザになりたくないのであれば予防接種受けなさい。予防接種していない人は保険治療できないようにしたほうが良いと思うぞ。
タミフルの7割は日本で消費されているらしい。これがどれだけ異常なことか、日本人はもっと考えた方が良いと思う。
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