今朝は布団の中まで忍び込んでくる冷気で眼が覚めた。昔はどちらかと言うと暑さの方に弱かったのだが、基礎代謝が落ちたせいか今は寒さにとても弱くなってしまった。なんてこった。
往診担当の先生が休まれたので、急遽てめえが往診に行くことになってしまった。あまり経験がないのでびびってしまったが、要は外来でやっていることをご自宅でやればいいだけの話だと思い直した。
結論から言うとこれは良い経験だった。いつもはてめえのホームで仕事をしているが、その方の家に出向くということは、その方のまさしくホームに行くということだ。それぞれの生活の背景を垣間見ることができてなかなか意義深かった。
しかも最近は京都の街中の建築物にも興味があるのでまさしく一石二鳥だ。いろんなご自宅にお邪魔して、いろんな家があることを勉強できた。そういう意味でもなかなか面白かった。
今後の医療は、病院から在宅加療へと向かっていくだろう。すでにそういう方向で動き始めているが、制度が整えばそちらの方がいいだろうということがより実感できた。てめえもできれば畳の上で死にたいからな。路上でもいいが、病院のベッドの上だけは勘弁してください。
朝起きると雪がうっすらと降り積もっていた。今朝は氷点下だったようで、まったく家から出る気がしない。なんとか気力を振り絞って出勤したが、ここ数日は厳しい日々が続くな。
iPhoneのカレンダーに決まった日程を入れていっているのだが、入力が面倒くさいことこの上ない。PC上でこれができないかどうか調べてみたら、これが簡単にできるのだな。
デフォルトはOutlookとの同期なのだが、てめえはoutlookは使わない。のでHotmailのカレンダーと同期することにした。実は今回調べるまで、hotmailにカレンダー機能があることを知らなかった。
ちょっと手間取ったが、なんとか設定終了。たちまち同期するようになったので感動した。これは素晴らしい。PC側で入力できるととても楽だ。細かい設定はできないがてめえはいまのところこれで十分。さらに機能が必要になったらその時に考えればよい。
hotmailのカレンダーが使えれば、どこでも入力することができる。人のPCからも可能だ。当面はこれで使ってみる。
iPhoneはてめえの脳みそ代わりになりつつある。思いついたことはすぐにメモできるし調べたいこともすぐに調べられる。もう元の生活に戻れないし戻るつもりもないわ。
例年あまりこういうことはしないのだが、書いておいた方が「ちゃんとやらなければいかん」感が出ると思うので、自分のために書き残しておこう。
・京都検定に合格する。
結果が先日返ってきた。3級は自己採点通り69点で、1点足らず不合格。試験に関してはいつもぎりぎりで合格してきた人生なのでとても悔しい。70点でも100点でも合格は合格だが、69点でも0点でも不合格は不合格だ。まあ何の実害もないのでいいのだが、この悔しさは忘れないでおこう。ちなみに同時に受験した2級は45点だった。全然あかんやん。
iPhoneアプリで京都検定のアプリを発見したのでさっそくゲットし日々勉強している。今年も2級と3級を受ける予定。もちろん両方とも合格するつもり。
・産業医の資格を取る。
講習を受ければ誰でもとれる資格なのだが、講習に参加するのが難しい。てめえの場合は父をどこかに預けなくてはならないわけだ。まあそれが何とかなったとして、本当の問題は講習の受付に間に合うかどうかだ。
実は去年も申し込みをしようと考えていたのだが、受付の日に速攻で定員が埋まって申し込みできなかった。今年はコンサートのチケットを取るが如く申し込み開始時間に速攻で申し込むしかない。
なぜ産業医の資格を取るのかだが、産業医や検診の仕事など幅が広がるからというのが一つ。
もう一つは、この仕事を続けてきた中で、結局健康な人間にアプローチしていくのが王道だと悟ったこと。いわゆる予防医学だが、医師にも医学教育にもその観点が驚くほど抜けている。極端な話、医師は誰も健康のことは知らない。病気を治すことではなく、健康でい続けることが医学の本質である気がするのだ。
病気というのは結局のところ、感染症や遺伝病など一部の病気を除くと、その人の生活習慣で生じるのだ。たばこを吸っていれば肺にあらぬ負荷がかかるため肺がんや肺気腫になる。アルコールを多飲すれば肝臓や胃や食道にあらぬ負荷がかかる。正しく油を取らなければ血管の病気、つまり脳梗塞や心筋梗塞になる。朝食を食べれば胃に負荷がかかり胃がんになる。動物性たんぱくをとれば悪性腫瘍をはじめとするいろんな病気になりやすくなる。
ただしそういう仕事に需要がないのも真実だ。病気になる前から正しく問題意識が持てる人がどれだけいるかということだよな。てめえはさんざん病気になった人を見てきたので気付くことができたが。
今日は一日時間ができたのでしこしこと作業した。「春のボーナス」と期待していたのだが、意外と副業収入があり、例年と異なり今年はなんと黒字になってしまった。なんてこった。
すわ追加で税金払わなくてはならないのかと身構えてしまったが、父の医療費が昨年は結構あったため、医療費控除まで含めると何とか還付金が発生した。ただし微々たる額で「春のボーナス」どころの話ではなかった。とほほ。
e-taxは使わなくてよかった。青色申告のソフトも去年は使用したが、国税庁のサイトで作成したもので十分だった。来年以降も同じ方法でやろうと思う。
配当所得は今年は申告しなかった。去年は知らなかったのだが基本的には申告しなくてもいいらしい。てめえの場合は帰ってこないことが明らかなので今後も申告しないでおこうと思う。というわけで、証券会社からの書類の取り寄せもしなくていいということだ。つまりエコではないか。
反省点。
副業に関して。思った以上の収入が誤算であった。これは本来は喜ばしいことなのだ。かつ収入が増えるというのは対策としてはどうしようもないので反省のしようがない。
問題は経費があまり出せなかったことだな。これは今年は何とかしようと思う。
今年は問題なければ、父の医療費は昨年ほどには発生しないはずなので、今回のように医療費で帳消しというわけにはいかない。まあトータルでとんとんであればいいか。
トータルでの収入がドカンと減ったので、納める税金もドカンと減った。まあええわ。あとは2月16日以降に提出するだけだ。
さて、確定申告に際してふと考えてみたが、税金対策としては、さらに別の副業を始めるというのも一つの手ではある。例えば、ノンフィクションライター。なんでもいいからよくわからんテーマの本を書いて出版する。これは自費でよい。自費出版なので大きく売れることは期待できず、間違いなく赤字となる。これはこれでいいのだ。
本を書くということで、取材目的として、書籍代や旅行費が経費で出せる。取材に必要だからとバイクも買える。さらに赤字が出る。これらの赤字は確定申告にて本業と相殺され、その分税金が返ってくる。税金をたいして払っていない人は税金は帰ってこないが、それなりに払っていればそれなりに帰ってくる。本や旅行やバイクは自分のものとしてその後も使うことができる。ノンフィクションライターが本業の人は必ず黒字を出さないと食べていけないが、副業にしている人は赤字になっても税金対策にしてよいのだ。
もしくは友里氏のように、毎晩食べ歩いてレストラン評論をやってもよい。夕食代は取材費として経費で出せる。これも上記と同様に、赤字でよい。その分本業で払った税金が還付される。彼の場合本業は社長さんなので、それなりの税金対策効果はあるはずである。てめえの場合は同じことをしても彼ほどのメリットはないが。まあそこまでやる気もないが。
税金を納めるのは国民の義務なので、本来は喜んで納税するのだろうが、この国の政府を見ていると「税金を返せ」と言いたくなることばかりだ。どちらにせよ、いずれは破たんするのは明らかなので自分のできる対策を考えておかないとそのうち泣くことになるわけだ。年金も破たんするのは明らかやし、もうどうでもええわ。
確定申告の時期が近付いてきた。まあ面倒くさいことこの上ないが、ある程度まとまった還付金があるので「春のボーナス」と思いしこしこと作業するしかない。毎年やっていても慣れないものは慣れないな。
毎年のように「今年はe-taxでもしてみようか」と思い、調べてみると前年と制度がさほど変わっておらず余計に面倒くさいだけだと思いなおしてやめている。
断酒はまだ続いている。これでいろいろと生活が変わった。まず、自然と禁煙することになった。今までも、すっかり酔っぱらった後に寝る前に1本だけ煙を楽しんでいたが、酔っぱらっていないので喫煙する気にもならない。
就寝時間も遅くなった。今までは酔っぱらったら何もする気が起きなかったためさっさと眠っていたが、今は読書したりなんだかんだしている。明らかに生活の質は上がったと思われる。
また、今までもただ飲むだけではなくいろいろつまみながらだらだら飲んでいたのだが、飲まないのでつまむこともなく、したがって摂取カロリーも減っているはずだ。しばらくこの生活を続けてみよう。なんだか酒をほしいとも思わないが、なんでだろうか。
正月休みが明けてから、ばったり酒を飲まなくなってしまった。こんなことはてめえが成人してから初めてだ。
大学生の時に一度、意識的に酒を抜いたことがあった。どうしてそんなことになったのかは忘れてしまったが、たちまち甘いものに目がなくなってしまったことは覚えている。ただし続いたのはほんの2-3日で、その後はそれまで通りの酒浸りにあっさり戻ってしまった。
てめえが常に飲酒するようになったのは中学1年生のころだった。母が家を追い出され、妹がそのあとを追いかけて子供はてめえ一人になってしまい、なんだかどうでもよくなっていろんなことに手を出した。他のことは続かなかった(続かなくてよかった)が飲酒だけは続いた理由は、単純に酔い加減がよかったことと、美味かったことにあると思う。
思えば最初に手を出したのは、台所に置いてあった祖母用の「赤玉」だった。ただしこれは甘いのですぐに飽きてしまった。そのころてめえは家業の手伝いとか中学生の分際で新聞配達のバイトなどをしていたので小金があったため、自分で自分の飲む分を買うことにした。
ビールは苦いしアルコール分も低く、また冷蔵庫での保管が必要となるので手を出さなかった。この苦味がよいと思えるようになるまでまだ年月がかかった。
日本酒は不味いうえに悪酔いするのでこれもまたすぐにやめた。なんでそんなことになるのだろうといろいろ調べて、それが日本酒に添加されている「醸造用アルコール」及び「糖類」に起因するものだと知るのはもう少し後のことである。それ以降てめえは純米酒しか飲まない。そもそも純米酒以外は日本酒と認めたくない。たとえそれが大吟醸であってもだ。アルコール添加したワインなど存在しないのと同じ理由である。
結局当時入れ込んだのは焼酎だった。当時は芋焼酎がとても安かったので、いつも芋焼酎ばかり飲んでいた。一部のマニアや金のないプロレタリアート以外は好んで芋焼酎を飲んでいなかったのだろう。気が付くと芋焼酎のブームが到来しいい値段で取引されるようになったが、てめえは今でも芋焼酎を飲むと、あの何とも言えない悲しい中学生時代を思い出す。
仕事を始めても、飲酒量は減るどころかストレスに比例して増加した。皆がよく飲む地域であったことに加え、あまり知られていないことだがかの南の島は日本本土と酒税制度が違うらしく安くで酒が手に入った(泡盛の新酒であれば1升1000円以下である)。当直の日以外は毎日よく飲んだ。当直明けは浴びるように飲んだ。
アルコール中毒患者が体調を崩す時は、「酒がのめなくなった」という訴えでやって来る。その場合、黄疸が出ていることも多く予後も悪い。てめえもそろそろ年貢の納め時なのかもしれないとふと思ったが、黄疸もなく手も震えない。今回は意識的に断酒したわけではなく、気が付くと飲まなくなっていた。なぜか欲しいとも思わないのが自分でも不気味だ。なんてこった。
今日でひとつ仕事の区切りがついた。とても解放された気分だ。例えて言うならば夏休みに入る前日の夜のような気分だ。
橋下大阪市長が知事を退任した次の日に、ツイッターで「普通の生活の寝起きって言うのがどれだけ最高のことなのか。痛感しました。」とつぶやいていたが非常によく理解できる。いつも職場からの緊急連絡を気にして携帯電話を枕元に置いて眠りにつき、少しの物音でもすぐに目を覚ます。という風に24時間緊張を強いられているわけだ。
心の底からリラックスできるのは、絶対に連絡が来ない休暇中、および学会出張中だけだった。皆が面白くもない学会にこぞって参加するのはこういう理由があるからだろうと思う。以前の勤務先では学会参加は自費だったが、それでも皆こぞって参加していた。
というわけで、今日は起きるまでぐっすりと眠る。
大学時代の友人たちと飲み会をした。久しぶりに楽しい時間を過ごしたわけだが、驚いたことがあった。それは、彼らの中には大学院生がおり、そうでないものもてめえを除いて皆大学院への進学を予定していたことだ。
もともととても優秀な方々なので、今までの経験をもとに大学院に進んで研究を行い、さらに世界へ貢献されるだろう。それはそれで素晴らしいことなのだが、話を聞いていた感じではそんな積極的な理由ではないらしい。どうやら「臨床に疲れた」ので一休み、といった印象を受けた。
てめえは大学院に進む気は全くないが、その理由を挙げてみる。まず第一に、研究する気がない。これでほとんど詰んでいる。研究に没頭するのは優秀な人たちでよい。凡人はただ時間を浪費するだけであるし、そもそも研究好きでないとやってられない。一体どれだけの研究が、最終的に人々の役に立っているのだろうか。もちろん裾野が広くないと良い研究は生まれないが、大変申し訳ないがてめえは研究に没頭する気は全くない。テーマすら思いつかない。
医学系の研究というと、基礎医学と臨床医学に分かれる。前者は医学の土台を調べるもので、基本的には全く臨床から離れる。医学部でない理系のラボと基本的には同じである。後者は臨床を行いながらの研究となる。多くの人が進むのはこっちである。
大学院に入学するのはとても簡単で、基本的に手を挙げるだけでよい。特にその大学の卒業生であればまず落ちることはない。なぜならば、(てめえの出身校の場合)募集定員が学部生より多いからである。
入学したら学生なので授業料を払う。といっても、大した授業があるわけではない。多くの教室では、大学院のはじめの1-2年は病棟での仕事をすることになる。学生なので恐ろしいことにただである。さらに恐ろしいことに外来を持たされることもある。しかも当然だが大学病院の。
これでは食べていけないので、休日や夜間にアルバイトをすることになる。もちろんコンビニバイトをするわけではなく、当直や外来のバイトをする。夜中に病院を受診すると、日中には見たこともない、その病院のこともよく理解していない医師が出てくることがあるがあれはバイトの大学院生である。
結構悲惨な生活ではあるが、それをわかっていても大学院生になるものが減らないのは、それほど日常勤務がつらいからだと思っている。要は一時期のモラトリアムを得るために大学院に行く。大学院生活にはまって立派な研究者になるものもいるし、研究では食っていけないことをあらためて理解して過酷な現場に戻ってくる者もいるということだ。
仕事に疲れたのであれば、仕事を減らしてはどうか、とてめえは至極当たり前の提案をした。が、みなさん真面目なのかやっている以上は全力を尽くすのだろう、てめえの提案を受け入れる友人はいなかった。てめえがおかしいのだろうか。よくわからんが、世間一般的な考えとしてはてめえの方が近いと思うがいかがでしょうか。
「心にナイフをしのばせて」
1969年春に横浜の高校で起きた、同級生による殺害・首切り事件。被害者の家族の視点から描いたノンフィクションである。被害者の母は事件後寝たきりになり記憶も失い、妹も人格が変わり、父はじっと一人で耐えた。加害者は少年に入った後は少年法に守られてその後を追うことが難しかったが、著者により、少年院を退院した後大学に入り、現在は弁護士として活躍されていることが判明する。
最後まで一気に読んでしまったが、本当に事実とは奇なるものだと感じた。加害者家族は被害者家族に賠償金も払わず、加害者本人も払う気がなさそうだった。
「更生」とはなんなのだろうかと思う。少年法の理念に照らせば、この加害者は見事に更生した例になるだろう。だがなんだろうこの割り切れなさは。この本を読んだ多くの人もこの割り切れなさを抱えざるを得なかったようで、amazonのレビューにはいろんな意見が書かれている。
では、どうすればよかったのか? 少年院を退院した後はそれこそひっそりと世間の片隅で出家でもして生きていればいいのか。
もしくは、罪に見合った刑罰がなされていないからか。懲役15年くらって出た後に弁護士になれば誰も文句言わないのか?
いろいろ考えているが、まったく答えが出ない。
「A3」
ようやく読み終えた。読む前と後で、かなり教祖に対する意識が変わってしまった。それまでは「教祖の皮をかぶった俗物」と考えていたが、そんな単純な人物ではなかったようだ。
かくれんBOXにお湯入れて 3分たったらはい出来上がり 私はケッサク宗教家 メロンが大好き教祖様
てめえが学生の時に作った恥ずかしい曲である。歌い出しだけ覚えていてあとは忘れてしまったが、正直上記のような認識だったわけだ。
裁判の様子を新聞で読んでいても、とてもじゃないが最終解脱者とは思えないものだった。そもそも第6サティアンの隠れ部屋に隠れていただけでも解脱者ではないとわかるわけだ。ただしこれらの報道はどこまで正しいのだろうかとふと思う。
彼は監獄の中で本当に最終解脱してしまったのかもしれない。解脱するということは、この俗なる世界からアナザーワールドに導かれることだと勝手に解釈しているだが、まさしく彼はアナザーワールドの住人になってしまった。概して宗教家とはそんなものかもしれんが。彼とか彼とかも、現代社会に生きていれば間違いなく統合失調症と診断され治療されていただろうし、治療されていたら宗教家ではなかったはずだ。
もう少しまじめな話をしてみよう。医学的には、明らかに放置していけない病態ではないだろうかと思う。鑑定を行った医師はクズである。最終的には吊るされることになるのだろうが、それまでのプロセスはどうでもいいのか。
奇しくもマンジュシュリー・ミトラ村井氏を殺害した徐氏のブログでは、拘禁反応ではないかと書かれていた。きっと通ってきたものにしかわからないものがあるのだろう。
いろいろ思ったことがあるが、全くまとめられず今日はこの辺で。
2012年01月18日(水) |
友人のこととか仕事のこととか。 |
以前に自殺未遂した友人から恐ろしく久しぶりにメールが来た。なんとこの度結婚を考えているそうな。まあ人生の墓場に望んで片足を突っ込むのはその人の勝手というか好き好きだが、そんなあなたはついこないだモバゲーで出会った女性に振られて自殺未遂してなかったか。一体それがいつのことだったかいなと考えた。こんなときに日記はとても便利で、辿ってみると彼が大騒ぎしていたのは昨年の10月だった。まあどうでもええわ。
正直なところ、良い人を見つけて落ち着いていただくのが一番いいのだが、下手すると結婚が「終わりの始まり」になる可能性も秘めているわけだな。まあてめえも相手の人もどんな方か全く知らんわけだ。そんなこんなをなんぞてめえに相談したいそうで、てめえも多少の興味はあるので一度話を聞きに行ってこようと思う。
仕事にうんざりしてしばらく経つ。どうしてこうなったのかは、いつか落ち着いてからまとめようと思う。とにかく廃人になる前に廃業しようと思い立ち、職場にもその旨話していたのだが、このご時世でもちろん引き留めにあい、信じられないくらいに便宜を図っていただき、なんとなく辞められなくなりずるずると仕事を続けている。仕事量は驚くほど減った。5時には家に帰れるなんて、数年前には全く考えたこともなかった。そんな仕事ではないと固く信じていた。
そんなところに別の職場での大きな仕事の話が入ってきた。だからやめたいって言っているはずなのに、などと思いながら(もう言わなくなってしまった)、いろんな経緯やいろんな人の想いなどを思い出してまた断れず。なんてこった。
どうでもいいが給料も激減した。時間外が全くなくなったためで、年収で200-300万は減ったな。仕事量が減ったのは年度途中からなので、このままいけば来年はさらに給料が減るだろう。そのかわりストレスや肉体的精神的負担も激減した。どちらがいいのかって、そりゃあ今の状態の方がいいに決まっているでしょう。当直なんてお金払ってでもやりたくないと思っていたし、今もその気持ちは変わらない。
2012年01月17日(火) |
サマータイムブルース |
bluetoothイヤホンを購入した。てめえが音楽を聴くときと言えばバイク運転しながらのことが多いので、ヘルメットと干渉しないようなものを探して結局これにした。
使い勝手はと言えば、思っていた以上に音質も良く、音も途切れない。ためしに家でiPhoneを机の上に置きっぱなしにしてうろうろしてみたが、全く途切れなかった。これは素晴らしい。どんどん新しい技術がてめえの周りにやってきている今日この頃。
そんなわけで、最近のお気に入りは清志郎の「サマータイムブルース」。イヤホンで聴いていると、女性コーラスが耳元で囁いているようだ。スピーカーで聴いているときは全く気にならなかったのだが、このコーラスを歌っているのは誰なのだろうと気になって調べてみたら、高井麻巳子だったので驚いた。
v
原発がとても危険だなんてことは、ずっと昔からわかっていたことだ。当たり前すぎる。どんなものでも完璧なものはないが、万が一何かが起きた時に取り返しのつかないものほど危ないものはない。チェルノブイリでそれがわかっていたはずなのに、それでも原発を受け入れる自治体があったわけだ。それ以前に建てていたとしても、チェルノブイリの時点で自治体は操業停止を申し入れるべきだった。
原発を受け入れた自治体には、大量のお金がわたっている。京都府の日本海側の自治体にも原発を作るという話があり、かなり関電がお金をばらまいた(その自治体に住む友人たちによると、相当なものだったようだ)が、最終的には反対が多く原発はできなかった。当時も今もとても正しい判断だった。
言い方は悪いかもしれないが、そういうわけで福島の原発付近の自治体の方々に関しては自己責任ではないかと思っている。東電は保険代わりにたくさんのお金をばらまいた。自治体は危険性よりもbenefitをとった。原発はあり得ないと考えられた条件が起こってしまいメルトダウンした。周辺の街はだれも住めなくなった。チェルノブイリを教訓とできなかったし、原発の運用を続ける限り同様の事故が起こる可能性はあるだろう。
てめえの街に原発ができるという話がもしも出たとしたら(福島以前でも)、てめえは全力で阻止する方向に働いただろう。それでも多数意見でてめえの街に原発が作られたなら、てめえはその街に住むことをあきらめただろう。そこには大きな絶望しかない。たとえ持家があったとしても未練はなかっただろう。
2012年01月16日(月) |
iPhoneにはまる |
iPhoneにはまってしまった。仕事用のアプリや読み物系のアプリを次々に入れた。なんて便利なのだろうか。もはや以前の携帯電話に戻ることは不可能だ。
以前に何らかのキャンペーンで、auショップでBiblio leafをゲットした。父の携帯電話の機種変更の時だったと思う。電子ブックに興味があったし、キンドルとか購入しようかな、などとちらっと考えていたときでもあったので、お試しに使ってみることとした。たしかに質感は「本」だった。電子インクでの読み物は本と変わらず目も疲れない。
ただし欠点はたくさんあった。まず、これは決定的だと思ったがコンテンツが圧倒的に少ない。まあそれは予想されていたので青空文庫だけ楽しめればいいやと思っていたが、青空文庫も全部利用できるわけではなかった。大きさも結構とるので、次第に読まなくなっていた。また、当たり前だが暗いところでは読めない。これは本と一緒だな。
ところでiPhoneに戻るが、こっちでも青空文庫が読めるアプリを入れた。これがとても使い勝手がよく、片手でサクサク読める。意外に目も疲れない。さらに決定的なのは、暗いところでも読めることだ。
布団に入って電気消してから、なんだか眠れないまま読むのには圧倒的にiPhoneの方がよい。Biblio leafでは本と同じなので電気をつけなければいけない。内容が同じであれば、暗闇でも読めて片手でサクサク読めるiPhoneに余裕で軍配が上がる。
iPhoneすごいわ。電池の減りが早すぎるのさえなんとかできれば本当に最高。
というわけで(どういうわけだ)、てめえの家もWifi飛ばすことにした。無線LAN内臓のノートパソコン持っていたがネット環境にないことに不満を抱かず、DSも持っていたが上記と同じで今まで来たが、まさかiPhoneで無線LAN構築することになるとは思わなかった。なんてこった。
2012年01月10日(火) |
iPhone購入その2 |
iPhoneを購入してから、パソコンの前に座る時間が圧倒的に少なくなった。ちょっとした調べ物ならiPhoneで済むからだ。ベッドにごろりと横になってニュースをチェックし、その後はミニスピーカーにつないでBGMにする。天気や株価もたちまちチェックできる。なんてこった。
iTunesの音楽も入れたので、今まで使っていたiPodが用無しになってしまった。これも随分前に買ったもので、もう充分に楽しませていただいた。今後はバックアップ要員と言うかiPhoneが壊れたときに使用することになるだろう。
携帯で音楽を聴くなんて正直意味がわからなかったが、このiPhoneなら意味がわかる。というわけで、さっそく付属していた純正のイヤホンを使って、通勤時に音楽を聴いてみたが、なかなかよいではないか。操作性がいまいちなのと、ケーブルがうざいのが気になる。加えて、てめえはバイク通勤なのでヘルメットをかぶるときにこのイヤホンは外れやすいことに気がついた。数日前まではそもそもiPhone自体を意識していなかったというのに、人間とは欲深いものだ。
というわけで、iPhoneで音楽を聴くためにイヤホンを探すことにした。そこで、てめえが驚くべき時代遅れの人間であるということを知った。bluetoothを初めて知ったのだ。てめえが連日の激務で命をすり減らしていた間に、世間はこんなに進歩していた。
そんなわけで、さっそく「Bluetoothステレオイヤホン」をAmazonで購入。今から届くのが楽しみ。たったひとつの電気機器でてめえの生活が激変しそうだな。
そういえば、iPhone購入してから電話としての使用を1回もしていない。そのうち電話であることを忘れてしまいそうだ。なんてこった。
先日、衝動的にiPhoneを購入してしまった。
もともと携帯電話はあまり使わない。電話はめったにしないし、簡単な連絡でメールを使うくらい。写真も撮らない。携帯で音楽を聞くとか正直意味がわからない。
現在持っている携帯はいつ購入したかも忘れてしまったくらいの古い型で、買い替えする気もなかった。とすれば携帯電話を持っていなくてもいいようなものだが、職業柄緊急の連絡が入ることがあるので持ち続けていたと言ってもいいかもしれない。
そんなわけで、スマートフォンにも全く興味がなく、そもそもどんなものなのかもよく知らんかった。
そんなてめえが一気にiPhone購入に至った理由はいたって真面目で、UpToDateがiPhoneで使えることを知ったからだ。
UpToDateとは簡単に言うとwebで使用できる医学教科書で、ありとあらゆる分野が網羅されている。1年に4回改訂され、執筆陣はバリバリ(死語)の一流医師が執筆している。
医学の教科書なんて、基本的には出版された時点でもう内容が古いことが多い。だがUpTodateは常に一流のprofessionalにより書き加えられており、内容に間違いがない。治療方針で議論になった時にも「UpToDateにはこう書いてあった」と言えば皆納得する。
多くの場合は病院で購入している(使わない病院など考えられん)してめえの病院ももちろん購入しているが、てめえはずっと個人で購入している。1年に495ドル。何年かまとめて支払うといくらかディスカウントされる。結構いいお値段だが、これのおかげでクソ高い他の教科書を買うことがなくなった。個人で購入している理由は、必要な時にてめえの家でも使用できるからである。
しかし密かな不満があった。外来中に調べたいことがあっても、そこにはwebにつながったパソコンがないので使用できない。外に出ている時も調べることができない。まあいいや、と思っていたが、これがiPhoneなら、なんということでしょう。いつでも携帯して、調べたいときに調べることができる。
そう思うと、いてもたってもいられなくなった。仕事を辞めたい辞めたいと言っているが、続けるうちはずっとUpToDateのお世話になるわけで、逆にUpToDateで最新の知識を勉強するのはてめえにとっての楽しみでもあった。
しかも件のiPhoneは、てめえが関西セルラー時代から愛してやまないauからも発売されているではないか。ソフトバンクに浮気する気はさらさらなかったので、これも追い風になった。
しかし風の噂では、iPhone4Sは(特にauで)入荷が困難で、予約して入荷待ちらしい。というわけで、本当に何も考えずに近くのauショップに行った。
iPhoneに機種変更したいのですけど、と店員に告げると、あっさりと店員は現物を持ってきたので驚いた。心の準備もない状態で、てめえは「ここ掘れわんわん状態」で店員の言うがままに設定を行い、晴れてiPhoneをゲットすることができた。
さて、実際に触ってみたがこれがすごい。もちろんすぐにUpToDateアプリを入れた。ブラウジングはパソコンよりサクサクできるし、操作は面白すぎるしなんだこれは。まさしく「ネ申」だ。
もちろんiTunesの数千曲も入れた。これ一台で何でもできるではないか。電子機器にこれほど感動したことが今までにあっただろうか。いやあこれはすごい。もっと早くゲットしておけばよかったと思っている今日この頃。
2012年01月08日(日) |
父と旅をする夢を見た |
父と旅をする夢を見た。行先は沖縄だった。野郎二人で車での旅だった。もちろん、夢の中の父は正気だった。
詳細は忘れたが、途中から父が姿を消した。必死で探したが行方は知れず、携帯電話も繋がらない。夢の中では二日ほど探し回っていた。
探し回って、ある場所でふらふらと彷徨う父を見つけた。本当であれば、てめえは怒り狂っていたはずだが、その場面でてめえは自分でも驚くほど冷静だった。きっと父は、息子に迷惑をかけたくないという理由で消えたのだろうとなぜか確信していた。
「どないしてたんや」 「お金が無くなったんや。携帯電話も切れてしまって、どうしていいかわからんかった」 「そうか、お金やったらわしが持ってる。心配せんでええ。…ところでご飯食べてへんやろ、おなかすいてないか」 「せやな、おなかはすいてるけど、とりあえず水族館に行きたいわ」 「水族館は飯食ってから行こうや。まずは腹ごしらえやろ。何か食べたいものはないか」
しばらく考えて彼は、パンが食べたいと言った。本当に食べたいものを言っているのではなく、とりあえず浮かんだ安いものを思い付きに口にした、という感じだった。
「パンはどこでも食べられるやろ、せっかく沖縄に来たんやし沖縄のものを食べようや。沖縄そばにしようか」 夢の中で、なぜか金を持たず安いものにこだわる彼に、単価の安い沖縄そばを提案した。我ながら良い案かと思ったが、彼は日本(ヤマト)で育った同世代の人間同様沖縄そばを知らないようで、あまり乗り気ではなさそうだった。
まあ、ラーメンみたいなもんや、とてめえは父に言った。きしもと食堂にするか、それとも八重善にしようか。そう呟きながら、てめえは夢から覚めた。
行先はやっぱりやんばるやったんや、とてめえは半分眠りながら思った。そして、やっぱり宮里そばでもよかったな、と思った。でも本当にやんばるに帰ったら真っ先に行くのは間違いなく前田食堂やな。豚肉を食べてはいけないイスラム教徒も足しげく通ったあの店や。
年末年始、父はずっと眠っていた。たまには起きるまで寝かしておこうと思い放置していたら、早くても昼過ぎ、さらに放置していたら夜まで眠っていた日もあった。声かけにも反応はなく、もしかしたら・・・と思わないでもなかったが、それはそれで運命なので放っておいたらトイレにだけは起きてきた。
マラソンが趣味の人なので「箱根駅伝やってるで」と先日購入したばかりのテレビをつけておいたが覚醒せず。やはり生活のリズムという点からも、無理やりにでも起こしておいた方がよいのだろうか。今回はだれも損していないのでまあいいかと思っているが。
年末からはいろんな店も正月モードになり、普段見ないような野菜などが売られていた。棒だらと海老芋については前にも書いたが、他にも頭芋や祝い大根、クワイ、筍の水煮、などなど。
どうしようか、と考えているうちに大晦日の日を迎えてしまい、夕方にスーパーに行ったところ棒だらや頭芋や海老芋などが特価で投げ売りされていたのであるだけ購入した。
さっそくいもぼうを作ってみた。初めてで、しかも食べたことすらなかったが、レシピサイトの通りに作ったところ意外と美味しくできた。まともに購入したらええ値段するので正月くらいの楽しみでちょうどいいのだろう。
正月近い街を歩いていると、街の餅屋に「餅は餅屋で!」とののぼりがはためいていた。正月に餅を食う習慣がなかったので横目で見ているだけだったが、大晦日の日に「やっぱ世間並の正月を送るためには餅がいるかも」と思い、餅屋に行った。家の近くの餅屋は、すでに近所の予約でいっぱいだった。来年は予約しておこう。2番目に近い餅屋はすでに売り切れていた。3番目の餅屋で餅をゲットした。しかし京都以外の都市でこんなに餅屋はあるのだろうか。
正月に、さっそく雑煮を作ってみた。てめえの育った家は雑煮を食べない家だったので、どう作っていいものか悩んだ末、作ったことも食べたこともない京都風の白みそではなく関東風の醤油味にしてみた。普段よく作っている煮物風なわけだが、これが思っていた以上に美味かった。ので、三が日は毎日具や出汁を少しずつ変えて雑煮三昧。あっという間に餅を食べきってしまった。醤油と出汁と餅ってこんなに合うものだとは知らなかった。来年は京都風に白みそに挑戦してみよう。
いもぼうと雑煮で幸せな正月だった。食事以外は眠り続けた父からは感想はなかったが、まあええわ。
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