2011年12月25日(日)
Happy Christmas
クリスマスソングは巷に溢れているが、てめえが好きなのはこの曲だけ。オノヨーコとのコラボレーションの中で好きな曲もこの曲だけ。そう考えると奇跡のような曲だな。 初めは普通のクリスマスを祝う歌として始まるが、徐々に「戦争が終わった」というメッセージが入ってきて、最後には「戦争が終わった」の大合唱で終了する。 戦争が終わっていなければ、クリスマスは祝えない。新年もやってこないのだ。今もいろんな原因で戦争している国や地域がある。てめえらの国はもう長いこと戦争の惨禍に巻き込まれず、今年も平和な冬となった。
以前に書いた 「燃えたパン屋」が復活した。さっそくパンを求めに行ったが、速攻で売り切れていた。再開を待ち望んでいた人がこんなにたくさんいたわけですね。また出直すことにしよう。 プチメックも金土日営業その他休みというわがままな店で今日は休みだし、他のパン屋に行く気も起きず、家で父の朝食用の食パンを焼いてオリーブオイルをたっぷり浸していただいた。 海老芋という芋がある。海老のような外観をしている里芋のような芋なのだが、これがまたねっとりとしていて大変美味い。お値段がそれなりにすることが唯一の欠点だ。だが美味いので、安くで売っている時を見計らって購入し、鰹出汁で炊くのが楽しみだ。 数日前に海老芋を購入していたので、一昨日は下ゆでをしてから味噌味の鍋に放り込み、昨日は鰹出汁で炊いた。いずれもとてもおいしかった。昨日はそれに加えて、縞ホッケの干物を焼き、キャベツとカイワレ大根とミックスビーンズに塩とオリーブオイルだけのシンプルなサラダ。てめえはオリーブオイルとごま油を多用するので、両方とも大量に買いだめしている。ちなみにオリーブオイルはこれ で、ごま油はこれ 。両方とも美味すぎて何の変哲もない料理がとたんに豪勢な味になる。食事のうまみ成分の多くは油が占めているので、良い油を使うのがよいだろう。肉や野菜は安物でよい。 海老芋は、棒だらと炊いた「いも棒」が有名だが、てめえは一度も食べたことがない。エセ京都人であることがばれてしまう。まあ味を知りたければ平野屋 に食べに行けばいいのだろうがええお値段しはるしねぇ。 味も知らないのでつくるのもどうかなあ、と思っていた。棒だらもええ値段しはるし。京都では正月料理なのだそうで、この時期になると店先には海老芋と棒だらが山積みされているわけだ。去年はもんもんと考え続けた挙句、やっぱり一度は作ってみようぜ京都料理だし! と一大決心をし、正月明けに材料を買いに行ったが、なんと正月を過ぎるとどの店からも棒だらが消えていた。なんてこった。正月過ぎたら誰も買わないわけね。なんとなくやる気をそがれてしまい、今年も店先に棒だらが並んでいるが買う気が起きないのだ。
普段通りに仕事をしていると、とある看護婦さんが患者さんに「今日限りで辞めます」と挨拶しているのを聞いて仰天した。全く知らなかったからだ。てめえのところにも挨拶に来られた。子供さんが病気を持っておられ、仕事を辞めて子供さんの世話をするとのことだった。家族のことが一番です。しかし仕事のできる方だったのでてめえだけではなくみんなが困るだろう。 挨拶に来られた時にお菓子をいただいた。本来であればこちらが「今までお世話になりました」とお菓子を持っていく立場なのだろうが、ありがたくいただくこととした。 患者さんからも、お菓子や場合によってはお金をもらうことがある。この仕事を始めた当初は頑なにもらうことを拒んでいたが、その後の残念そうな表情を見ていてなんだか気持ちまで拒否したような気になってしまい、今ではありがたくいただくことにしている。 お菓子は同僚たちとわけあい、お金はてめえの手持ちからいくらかを加えてすべて寄付することにしている。いただいたお金は浄財として社会に還元できればよい。怪しげな団体に渡るのも悲しいし、なによりこれからの社会は子供たちを大切にすることで成り立つと思っているので、寄付先はすべて"Save the children Japan" にしている。 貧困な大人にはいろんな事情があるのだろうが、貧困な子供には本人の事情などまるでない。てめえも貧困な子供だった。だからというわけでもないが、貧困な子供たちに手を差し伸べるのがよいと思うのだ。 てめえは仕事を始めて給料をもらうようになってから、同様の考えで"Save the children Japan"に毎月の定期的な寄付をすることにして、それは今も継続している。これは、学生の時にベトナムに行き、ベトナムの無医村の状況をつぶさに見てきたときに密かに決めたことだ。 この団体は、定期的にレポートを送ってきてくれる。それを読むのも一つの楽しみ。 寄付を行うことには利点もある。まず、確定申告の際に寄付金控除ができることだ(もちろん全額ではなく上限も決まっている)。まともな使い方をされていない税金を払うより、その分がきちんと仕事をしているNPOに行った方がよいに決まっている。 もう一つは、クレジットカードでの支払いができるのでマイルを貯めることができる。 というわけで、今後も寄付を続けていこうと考えている。
2011年12月19日(月)
北朝鮮の指導者が死亡
金正日氏が亡くなったそうだ。朝、列車の中で心筋梗塞という話にはやけにリアルさがある。きっと本当の話なのだろう。作り話にしてはあまりに加工されていないし、作り話にしてはタイミング的にも「誰得」感が大きい。 三代目が跡目を継承するみたいだが、あまりにも若すぎる。国家の崩壊はこれで加速するだろう。 三代目が賢明な人間であれば、しばらくは沈黙を守るだろう。少なくとも3年は「喪に服す」と言って、表舞台に出てこないだろう。 まだ若かった堤義明氏が西武グループを引き継いだとき、10年は新しいことをしないと決めたそうだ。父からの指示とも言われている。その間にグループの隅々までを掌握し、10年たってから、満を持して動き出した。 正日氏も同様の指示を息子に出している可能性があるが、死ぬまで働いていた人なのでおそらくそういった指示は出してないだろう。あとは三代目がそこに気づくかどうかだが、どうだろう。 二代目の正日氏は、権力を掌握してから3年は喪に服すといって沈黙を守った。初代の死後3年を超えて初めて、総書記に上る。彼は初代の生前からある程度の権力を掌握していたため3年の沈黙だったが、三代目はまったく権力の掌握をしていない。 周りの人間が陰謀をめぐらしたり、彼自身が暗愚であれば、3年以内に何らかの動きを見せるだろう。そうなれば、あとは勝手に国家体制は崩壊するだろう。 可能性としては、崩壊に向かう可能性が高いだろう。そうなれば中国は体制を守るため(王朝を守るためではなく、現在の体制崩壊を防ぐため)干渉をおこなうだろう。もろに影響を受けるのは韓国で、日本は韓国の手助けをせざるをえなくなるだろう。そのときに日本国民の支持があるかどうか? 日本が手助けをしなければ南北ともに崩壊するだろう。 アメリカは韓国に対して経済的な手助けをするとは思えない。ただ軍隊は駐留させているので、戦争になれば動くだろう。 そのためにも、本来であれば韓国はある程度譲歩してでも日本と友好的にしておくべきだが、その点では先日の日韓首脳会談はお粗末だった(結果的にだが)。この時点で金正日氏はすでに死亡していたわけだが、その情報を韓国が掴んでいたならば、あれほどまでに従軍慰安婦問題に固執することはなかっただろう。あれで日本政府の心証を著しく悪くしている(もっとも民主党政権はそんなに心証を害していない可能性はある)。正日氏の死亡を知って一番驚きかつ唇を噛んだのは韓国の大統領だろう。 日韓首脳会談時の京都は今までになく厳戒態勢だった。御所で国際会議だの何かあるときは御所周辺の警備が厳重になるのだが、今回はてめえの家の近くの辻まで警備に当たる警官がいた。別に悪いことなど何もしてはいないが、曲がり角を曲がると警官がいるのはほんまに心臓に悪いのでやめてほしい。
寒い。寒すぎる。そろそろ限界を感じてきた。 昔は寒くても平気だった。寒さが急にひどくなったということはないので、同じ寒さなのに耐えられなくなってきたということだろう。昔は若かったから、代謝も活発だったから寒くても平気だった。もう年だな。 何がつらいと言って、移動がつらい。てめえは二輪の免許しか持っていないので、通勤や買い物はバイクになる。これが寒い。 あまりに寒いので、とうとうヒートテックのパッチを買ってしまった。さっそく試してみたがそれでも寒く、かつ不快感が強くやめた。 今後もこの寒さに耐えられるとは思えないので、いつかまた南の島に戻ってやる。車の免許も考え中だが…。あれだけ四輪を否定してきたがそろそろ厳しいな。問題は金ですわ。いやあ寒い。
「なか房」というラーメン屋が京都市の北の方にある。麺は太麺と細麺から選ぶことができ、スープもこってりとあっさりがある。チャーシューは非常に珍しく皮付きでとても美味い。非常に良い仕事をしているラーメン屋なわけだ。 店はおっちゃん一人で切り盛りされている。噂によるとおばちゃんもいるとのことだが、てめえが訪れた時はいつもおっちゃん一人だった。バイトもおらず、昼の忙しい時間帯にはかなりてんぱっている。 ラーメンは並が一杯550円。だった。だった、というのは、去年の秋くらいから「ラーメン400円キャンペーン」を始めたからだ。ひと月限定だったはずのそのキャンペーンは翌月も継続され、気が付くと400円で定着していた。どんな価格破壊やねん。味も劣化せず非常にありがたかった。並ばかり食べていた。 今年の9月に「並も中盛りも大盛りもすべて500円」に突然変わった。もちろんてめえは大盛りばかり食べた。ばかりは言い過ぎやな9月は1回しか行ってないし。 10月になか房を訪れると「営業時間変更のお知らせ:10月より営業時間は午後6時から12時になります」との張り紙があった。もともとは11時30分から午後12時までだった。てめえは「とうとうおっちゃんの体力の限界が来たのだ」と勝手に思った。夜に食べに行くことができないてめえは、これでなか房に食べにくる機会はほとんどなくなったなと一人さびしく思いを馳せた。 10月も中旬のころだったか。風の噂で「なか房2号店が伏見稲荷に出店したらしい」と聞いた。おっちゃん一人でやっていて弟子どころかバイトもいなかったなか房が2号店とはこれまた面妖な。いったい誰が店を開いたのだろうか。噂の「おばちゃん」は実は弟子だったのか。 ネットで調べるとすぐに真相が判明した。なんと伏見稲荷にある2号店は昼間だけの営業で、「おっちゃん」が営業していたのだ。 これはすごい。一人で2号店を出店。どうやら昼前から16時くらいまで伏見稲荷の店をバイトも雇わず一人で切り盛りし、店を閉めて1号店にやってきて18時から24時まで店を開ける。正直まったく意味が分からない。両方とも賃貸だろうし賃料も倍かかる。1号店だって昼間も常連も多くけっこう賑わっていたのに、あえて新しい地で店を開くメリットはあるのだろうか。夕方はスープなど一式担いで移動か。 場所も結構離れている。Google mapでは9.2km離れていた。東京でいえば池袋と浅草くらいの距離だ。 謎すぎてよくわからない。おっちゃんに直接聞いてみたいが昼間に伏見稲荷に行くのは無理があるし夜は訪問できない。なんてこった。
自己採点してみた。もちろん解答はもらえないので、大変面倒だが一問ずつネットで調べていく。これがなかなかおもしろく、関連項目も勉強できるうえに、寺院などの写真もいたるところにあるので実際に参拝したような気分になれる。ご丁寧にもGoogle mapでは境内に入れるところもある。便利な時代になったものだとあらためて思う。今度は実際に行ってみよう。 時間がかかったが3級の自己採点が終了。合格は非常に微妙なところだと思っていたが、自己採点結果はなんと69点で、1点差で不合格になりそうだ。なんてこった。来年リベンジしてやる。
2011年12月12日(月)
学生時代の友人と飲む予定
学生時代の友人から連絡があり、正月にでも久し振りに飲まないかとのこと。仲の良い友人で2年前にも正月に飲み会をしたが、主催していた友人が転勤となったため昨年は開催しなかった。今年はわざわざこっちまで出てきてくれるようだ。 夜の飲み会に参加するためには、父をショートステイに預けなくてはならず、手配をしてその日にあずかっていただけることを確認してから再度友人に出席の連絡をした。 みんな元気にしてるかな。久し振りに羽目をはずして来よう。
京都検定を受験してきた。会場は市内の某大学で、てめえの家からはバスは乗り換えが必要で電車は通っておらず、主催者からは自家用車はおろか自転車やバイクでは来ないでくれとのことだったので、必然的に徒歩となった。グーグルマップでは約29分とのことだったが、実際には約20分で到着。 午前10時より3級の試験。はじめ15分は諸注意などで、10時15分より開始。試験時間は90分で、30分たったら退室可。終了10分前からは退室不可とまるで大学受験の時を思い出した。 3級は結構難しかった。まるで勉強せずに受験したので、特に寺院や国宝関連でかなり落としているはず。解答はもらえないので本やネットを使って自分で答え合わせしているが時間がかかる。7割の正解は非常に微妙なところ。 午後からは2級。2級は難しすぎて、多くの問題はもはや問題文を読んでも何が書いてあるのか意味がわからなかった。適当に解答したので30分以内で終了。合格は絶対にないな。また来年や。 対策としては、弱点ははっきりしているので多くの寺院巡りをするしかないだろう。受験の時のように丸暗記しても全く意味はないからな。
いつも夕食を作りながら音楽を聴いていることは以前にも書いたが、吉田拓郎の「落陽」も「大釈迦」と並んでほぼ毎日聴いている。岡本おさみ最高。VIDEO 上は「つま恋2006」での演奏だが、てめえのiPodに入っているのは下のバージョン。ドラムのかっこよさが半端ない。ギターは高中正義、ドラムは田中清司。VIDEO
京都から出るまではただの故郷だったこの街だが、いったん出て戻ってくるととても魅力的な街だったことに気がついた。近所の風景と化している町屋や通勤通学途中の寺院や学校の講義をさぼって寝ていた場所である御所や普段食べている京野菜とか寒くなると出回るすぐきなどは、実はどこにでもあるものではなかった。極めて当たり前のことだがこの街をいったん外から眺めてみないと気がつかなかったわけだ。 てめえがまだ学生の頃、一足先に卒業して東京に就職した友人が、帰ってくるたびに清水寺とか銀閣寺などの名所巡りを始めたのを見て不思議に思ったが、今はその気持ちはよくわかる。沖縄には清水寺は当然あるわけもなく、ていうか寺や神社自体がほとんどなかった。台風対策も兼ねているのはわかるが、沖縄の家は頑強で無機質なコンクリート造りの上が多い。まあピンク色の家もあったりしてなかなかそれも楽しいのだが、やはり京都の街並みのようにほっとするわけではない。 そんなわけで、寺院巡りはさすがにしていないが京都のことを勉強したりしてみた。御所の一般公開にも初めて足を運んだ。それが高じて今回京都検定を受けてみることとした。 いちおう問題集なぞ買ってみたがなぜかやる気がしない。まあ生きていくのに必要な資格でも何でもないので気軽に受けて来よう。何年先かわからないが1級が取れたらボランティアガイドでもしようかな。
先日の父の連宅保証人の件で、弁護士に会ってきた。 どの弁護士さんに相談すればいいのか皆目見当もつかなかったので、何も考えずにてめえの病院の顧問弁護士のいる法律事務所に連絡を取り、アポを取った。30分で3150円。他の法律事務所のHPも参考のために見てみたが相場は大体それくらいらしい。 法律事務所につくと、相談室に案内された。てめえの住所やら勤務先やら相談内容やらを詳しく書かされて、しばらく待つと弁護士さんが現れた。以下相談内容について。 「父の連帯保証について」 これはその時点で父は正常な判断能力があったため、連帯保証は免れない。が、息子が肩代わりする義務はない。息子が支払いに応じるかどうかは「任意」である。今回支払ったからと言って今後も支払う義務はない。今回は借金の額も大きくなく、役所が相手なので、支払い能力がなければそれで終わりになる可能性があると。 父が死亡した場合は、これらの負債を相続することになり支払い義務が生じる。この場合、相続放棄も可能で、死亡を知った時から3か月以内に家庭裁判所に申し出る。申し出なかったら自然に相続することになる。 今後同様の問題が出てきたとして、巨額で相手が何としてでも回収する気になった場合は、実家が競売にかけられる可能性がある。 「成年後見人制度について」 今後同様の問題を起こす可能性は低いと考えられるので、後見人を選定する必要はないのではないか。結局実際に後見人を選定する必要があるのは、財産管理をする必要がある場合で、問題がややこしくなるので後見人には第三者、ほとんどの場合は弁護士が選ばれることになる。これは裁判所が選定する。報酬も生じて、一般的には月2万円くらいとなる。 …まあ、乱暴に言うと「ほっといてもいいんちゃう?」ということか。後見人制度にメリットがないことはよくわかった。面倒なことをしなくて済むようだ。 弁護士に相談してよかった。敷居が高そうな気がしていたが実際はそんなこともなく、いろいろと相談に乗っていただき、教えていただいた。 振り返っててめえはきちんと健康の相談相手になれているだろうか、とふと思った。思いがけず我が身を振り返るいい機会になってしまった。 さて、相談内容を書く紙に馬鹿正直にてめえの勤務先を書いたおかげで「顧問先の職員なので」と無料になってしまった。全然業務内容とは関係のない、個人的な相談だったのだが、それでもかまわないとのことだった。全くありがたい。と同時に、貴重な時間を無料で使わせてしまった弁護士さんに申し訳ない。本当にありがとうございました。
買い物に行ったら、すぐき が出ていた。京都の冬到来や。もちろん購入し、薄切りにして葉は細かく刻んでさっそくいただいた。まだ味は浅かったな。 すぐきはしば漬けや千枚漬けと並んで「京都三大漬物」の一つとされているが、他の二つはすでに化学調味料まみれになっておりまったく買う気がしない。しば漬けは大原の方に行けば昔ながらの漬け方で漬けたしば漬けがあったが、そこまで買いに行く気がしない。そういう意味ではすぐきは昔ながらの地域で昔ながらの方法で漬けられているガラパゴスのような存在だが、これからもずっと伝統を守ってほしい。ヨーロッパでは伝統食品は法律で厳しく作り方などを規制されているが、日本もそうなってほしい。もう遅いとは思うが、やらないよりましだ。 夕食は、高野豆腐をかつお出汁で煮たもの、ピーマンと油揚げの和え物。ピーマンと油揚げの和え物の作り方は二つあって、ピーマンをよく焼いたものと油揚げをカリカリに焼いたものを和える場合と、ピーマンおよび油揚げを湯通ししたものを和える場合があるが、本日は後者。共に同じ幅に切って、鰹節をたっぷりかけて醤油で和える。ピーマンはよく火を通すととても甘くなり、焼いた方がより甘くなるが、その分手間もかかる。しっかりと焼いたピーマンを食べていればピーマン嫌いの子供も少なくなるだろうなどと勝手に思っている。
2011年12月05日(月)
海老芋とかアポとか父のテレビとか。
海老芋が出回り始めたのでさっそく手に入れて夕食にした。棒だらと合わせた「芋ぼう」が有名だが、今回は芋だけをカツオのだしでゆっくり煮た。あとは菜の花の芥子和えと、豚の冷しゃぶ。ソースはニンニクとショウガとねぎのみじん切りに、醤油と酢とごま油を合わせて作った中華風。 父の件で弁護士にアポを取った。こういった経験は初めてなので、いろいろと勉強してこようと思う。まあ結局は成年後見人やれという話になるような気がするが、今の父は完全に管理されている状態にあるので今後そういった問題を起こすことはないだろう。携帯電話も持っていたが、いろんなところに電話しては電話したことすら忘れるという状態が続いたので申し訳ないが取り上げた。幸いなことなのかどうかわからんが、そういった状態について父自身はストレスには感じていないようだ。 父用のテレビも届いたので設置した。アンテナは室内設置のものにしたが、フジテレビ以外はきれいに映るので問題なし。フジテレビは映らなくても全く問題ない。こんなにかんたんに設置できるのであれば、もっと早くに設置しておけばよかった。今はニュース番組を中心にテレビを楽しんでいるようだ。
高野さんのところで知った「ウハー(Уха)」が大変おいしそうだったので作ってみようと思い立ったのはいいが、「ディル」をどう手に入れるかが問題となった。高野さんのところのように代わりにパセリを使用してもいいのだが、いろんなレシピは圧倒的にディルを使用している。実際にこのスープを飲んだことのないてめえとしては初めから代替品を使うのはまずいだろう。 というわけで、なんだか上等そうなスーパーを何件かめぐってみたがどこにもディルは売っていなかった。乾燥ハーブにもない。おそらく生でしか使用しないのだろう。もしくは塩漬けか。 どこにも見つからなかったのでまたいつかめぐり逢う日まであきらめることにして、いつものスーパーに買い物に向かった。 すると、あったのだ。いつも買い物をするスーパーの棚に、ネギとかパセリとか香菜(これも普通のスーパーにはないわな)と並んで普通に陳列されていたのだ。いやー驚いて笑ってしまった。 というわけで、一束100円にて生のディル購入。さっそく魚売り場に行くと鮭のアラが安くで大量に売っていたので一緒に購入した。きっとアラから良い出汁が出るだろう。 玉ねぎは皮をむいてぶつ切りにし、馬鈴薯と金時人参は皮をむかずにぶつ切りにして鍋に入れ、鮭のアラを敷き詰めて水から調理する。てめえは芋やニンジンや大根は、基本的には皮をむかずに使用する。皮にも栄養があるからである。客に出すとき以外は面取りもしない。業務用の大量調理ならともかく、家庭では面取りしなくても煮崩れない。以前は面取りした大根やニンジンできんぴらを作ったりしていたが今はやらなくなった。 しばらくことことと煮て、塩で味付けして最後にディルをどっさり放り込んでウハーの出来上がり。もちろんてめえは酒を飲みながらちみちみ頂いた。鮭が安いうちにまたやろうと思う。
2011年12月03日(土)
父が連帯保証人になっていた
困ったことになってしまった。 仕事を終え自宅に戻ると、役所から父宛ての手紙が来ていた。てめえの実家のある役所からの便りだったのではじめから嫌な予感しかしない。 さっそく開けてみた。それによると、以前に父は誰かが役所からお金を借りるにあたり、連帯保証人になっていたようだ。なったのは呆ける少し前だった。手紙は、お金を借りた人が一向に返さないのでお前が何とかしろという内容だった。要は、本人に督促するかてめえが返せということだ。 デイケアから帰った父にさっそく手紙の内容を尋ねた。 「誰やこれ? 知らん人や。連帯保証人になった記憶もない」と、彼は予想通りの反応をした。 「覚えてないかもしらんが、現実として手紙が来ているだろ? ということは連帯保証人にはなっているはずや」 「そうか。(手紙を熟読し)この内容だったらわしがお金払わなあかんな」 「この人(借金している債務者)に聞き覚えは?」 「まったくないわ」 実はこういったことは初めてではない。以前にも他の人の連帯保証人になっており何とかしろという連絡がきたが、放置した。それ以降督促は来ていない。もしかすると他にも保証人になっているかもしれない。なっていても今回のケースのように本人は覚えていないだろう。 呆ける前の父は、税金だの法律だのに少し詳しい人だったのでほとんど趣味でいろんな人の相談に乗っていた。なのでこういったケースがあってもおかしくない。以前実家を掃除していたときに、父宛てに「現在刑務所で服役しているが、家族の面倒を見てくれており安心しています」という手紙も発見した。ちなみに父はこの人のことも「覚えてない」と言った。 困ったことになってしまった。てめえは法律に詳しい知り合いがいないので、とりあえず母に相談してみたが、てめえでもいない法律に詳しい知人が母にいるはずもなかった。とりあえず、こういうことは法律に詳しいプロに相談するしかないのでは、と母は言った。 というわけで、今回は放置せずに弁護士に相談に行くことにする。いったいどうなることやら。
いつもiPodに入れた音楽を聴きながら、夕食を作り皿を洗う。 だいたい自分で選曲した「お気に入り」を聴いている。毎日とまではいかないが、何回か聴くと飽きてくる曲もあるので「お気に入り」の中身は頻回に入れ替えているが、ずっと変わらず入っている曲がある。その一つが筋肉少女帯の「大釈迦」。VIDEO 丘の上でひとりすわって 古ぼけた娘が 丘の上でひとりすわって 街を見降ろす その横で忙しげに アンテナ売りが 娘がたのむ 仕事のために商品の組み立て けっこう イイ人だったから恋してあげてもよかった けっこう イイ人だったから好きになってもよかった ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ アンテナはその街の博物館の屋根に 娘はそこの持ち主の成金の孫で 年は十四でおしゃべりすぎて だけど かわいくって アンテナ売りが落ちてきたら 受けとめてあげるよ けっこう イイ人だったから恋してあげてもよかった けっこう イイ人だったから好きになってもよかった ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ 釈迦はイイ人だったから ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ 足が滑り アンテナ売りは屋根から落ちる 待ちかまえてた娘の上に音を立てて落ちる 月の光あびてアンテナがさびる 屋根の上の アンテナから 飛び出る電波が シャララ シャカ シャカ けっこう イイ人だったから 恋してあげてもよかった けっこう イイ人だったから 好きになってもよかった ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ ドロロのノウズイ 元々の歌詞は「ドロロのノウズイ」ではなく「トロロのノウズイ」で、「月の光あびて アンテナがさびる」ではなく「割れた娘の頭から はじける脳髄」だった。いずれもメジャーデビューするに当たりやむを得なく変更したとまだ中学生だったたてめえは聞いた。 上記のライブでは、ちゃんとインディーズバージョンで歌われている。これ以上なく楽しそうなみのすけは「トロロのノウズイ」と叫ぶ。てめえのiPodに入っているのは「筋少の大車輪」バージョンで、ギターの競演がすごい。大槻ケンジがギターソロの前に一人ひとり名前を呼ぶのだが、横関敦のときだけ「横関っ! さん(小声)」とさん付けなのが笑える。
父の受診日だったので、一日仕事を休むことにした。 受診時間は午後、昼からなので本当なら午前中は仕事に行き、午後から休みをもらってデイケアに父を迎えに行き、そのまま受診してもよかったのだが、面倒なのだ。であれば父も一日休みにしてしまえばヘルパーさんもこの日は休みになるし、デイケアの送迎も必要ない。父には起きるまで眠ってもらい、朝食を食べた後自室でゆっくりしてもらい、昼から一緒に出かければよい。てめえの職場には迷惑がかかるが有給休暇なのでてめえの権利でもあるし、受診日はいつも休みをもらっている。 朝。ヘルパーさんも来ず、父も起きてこず、てめえもゆっくりできた。9時くらいに朝食を運ぶ。食べた後に外に出ようとしている音が聞こえたので玄関に向かうと、一式用意を済ませて出かけようとする父がいた。どこへ行くの、と聞くと、いつものところや、と言う。デイケア、とか、場所とかそういうのも覚えられないようだ。今日は病院の受診なので休みですよと言うと、そうかと小さくつぶやいて自室に戻った。 ちなみに、てめえの家は彼がひとりで外出できないようにバリアを設けている。家の四方は隣家に囲まれており、出入り口には2mを超える門扉を付けた。ので、彼が脱出するには隣家の壁を乗り越え屋根伝いに行くか、門扉を超人的なジャンプを行い飛び越えるしかない。前に立つ家の中を通り抜けるという手もあるが、さらに困難である。 昼前に支度をして出かけた。彼は障害者1級を二つ所持しているのでバスが乗り放題である。付き添いも無料。なのでバスで移動する。 バス停まで野郎二人で並んで歩く。目を離すと違うところに行ったり、通行人に飛びついたりするのだ。一昔前なら間違いなく彼は閉鎖病棟の中だろう。ていうか昨年は閉鎖病棟の中だった。 こういった人を外に出すことは、家族の熱意だけでは不可能である。日中を見てくれる施設があり、通所を支えてくれる介護者がおり、その他のサービスを提供してくれる人々や制度がないと難しい。一昔前はそれがなかったわけで、選択肢としては座敷牢か閉鎖病棟(どちらも同じようなものだが)しかなかった。父はありがたいことにすべてを満たして今家にいるわけだ。 バス停に着く。周りの人から2,3mは離れてバスを待つ。気がつくと人々のほうにじりじりと近付いていたりするので油断ならない。そんな時は腕を引っ張ると素直にこちらに戻ってくる。 実際のところ、こういう人の移動はバスは危険である。中は密室だし、なにかあると大変なので、ヘルパーさんなどは決してバスを使わない。てめえだけだ。なんでそんな危険を知りながらそんなことしているのかと言えば、そういった状況を経験させておきたいし、てめえも経験しておきたいからだ。危険だからと言ってすべてを行わなければ、結局何もできなくなる。もしかしたらバスの中ではおとなしいかもしれない。実際バスの中では彼はおとなしく車窓の風景を眺めていた。 病院の近くにある台湾料理の店で昼食をとる。最初この提案をしたときは父はかなり乗り気だったが、着くころにはそんなことも忘れていた。 父は焼き豚、てめえは野菜とイカの炒め物を注文した。ランチはこの日はこの2種類のみだった。他にごはん、冬瓜のスープ、バンバンジー、ザーサイの炒め物と杏仁豆腐と熱いジャスミンティーが付いて一人800円。ご飯とスープはおかわり可だった。父が焼き豚を選択したのでてめえは違う方にしたのだが、正直焼き豚のほうがよかった気がする。 食事を終えて病院へ。この日は特別混雑していて、診察まで2時間半待った。父には「待つ」という言葉がないので落ち着かず、椅子から立ち上がったり突然どこかへ行こうとしたり、かと思えば隣に座る人にじりじりと近付いたりして困った。他の人が呼ばれるたびに診察室に突入しようとするので、廊下の端の誰もいないところまで移動しずっと父の腕を握っていた。ようやく観念しておとなしくなったかと思ったら、またもぞもぞと動き出す。 ようやく名前を呼ばれ、診察室に入ったが、椅子に座った途端に立ち上がり「はい、ありがとうございました!」と帰ろうとする。まだ診察始まってませんよ。 帰りもバス。バスの中ではおとなしく車窓の風景を眺めていた。 家から少し離れたバス停で降り、彼の気分転換も兼ねて少しだけ散歩して帰った。帰ると夜だった。いやー疲れた。