2004年08月19日(木) |
Factory47(樺地・跡部) |
いつもと同じ場所で彼は電車を待っている。
じりじりとホームを焼く陽射しが、額に汗をにじませる。前に並ぶサラリーマンがあおぐ扇子をぼんやり見たり、足元に落ちる影を見たり、一人でいることが小さな頃より退屈に思えてきたのはどうしてだろうと思ったり。向こうの方から大きな音を立てて電車が滑り込むまで、とりとめもなくそんなことをする。
降りる人は少ないが乗る人は多い。いつものように乗り込もうとしたが、途中で列が動かなくなる。ちょうど扉の近くに大きなスーツケースがいくつか置かれていた。急かすように発車のベルは鳴り、彼は仕方がなくもう一つ隣のドアから乗り込んだ。
気がつくかな
背中を曲げるようにしてドアの窓から通り過ぎる風景をのぞく。同じ時間、同じ車両の同じドア、それが朝の決まりだ。もう何年もそうしている。どちらかが休んだりしなければ、いつも同じだ。乗るはずのドアの傍にいけないものかと人々の頭越しに車内を見渡す。身じろぎするたびに、周囲の乗客が目を向けてくる。そんな視線にもだいぶ慣れてきたが、なんとなく居心地が悪くて、彼は身を竦める様にして立つ。
電車のスピードが落ち、ホームに居並ぶ人々の顔がガラスの向こうを流れてゆく。すぐに列の中に並ぶあの人の姿を見つけたが、彼の小さく挙げた手は目に入らなかったようだ。あの人の並ぶ列からドア一つ、離れたところで電車が止まる。一旦降りて向こうから乗ろうかと迷ううちに、降りたり乗ったりする人々の腕や肩や荷物が当たり、彼は動けなくなる。
その人は瞳を左右に動かしながら乗り込んでくる。いつものように気持ちの強さがにじみでているような余裕をたたえた表情がほんの少し硬くなる。彼は声をあげようとするが、距離も離れているし、その人だって呼ばれたりしたら恥ずかしいだろうと、軽く手を挙げるだけにする。
それでも気がつかない。まるであの人の目には自分の姿が見えないようだ。きょろきょろと辺りを見回していた頭が止まり、瞳が下を向き、唇を結んだあの人が人々の中に埋もれていった。
電車が動き出す。彼の目にはあのとても柔らかい髪だけが人々の頭の間に見えた。
背中から下ろしていたバッグを彼は取り上げ、小さな声ですいませんと呟きながら、人々の間を縫って歩き出す。沢山の人に見られ、睨まれ、電車を待っていた時よりも汗がにじむが、何度も何度も同じ言葉を呟きながら進んだ。あと少しというところで、彼はその人の頭に手を伸ばす。
上を向いたその人の瞳が広がる。
「なんだ、いたのか、樺地」
彼の触れた髪に、その人は指を走らせ、強い視線を返してくる。向こうのドアの傍にいたのだと、その人の前にようやく辿り着いてから言う。
「あんなとこからこっちまで来たのか。迷惑な奴だな、お前って」
その人が呟いた時、電車がガタンと大きく揺れた。
「何年、電車通学してんだ。気をつけろ」
ほんの少しだけ身体が傾いだ彼の腕を、その人が掴む。
「ちゃんと掴まってろよ、俺に」
彼はいつものような短い返事をして肩に手をかけると、その人は彼の手の甲につかのま頬を寄せ、唇の片端を曲げるようにして笑った。
★暑い中イベントに来てくれた皆さんに感謝をこめて・・・念!念!念よ届け!本当にありがとうございました!★
ちゅうか朝の通勤電車でこんな子供らがおったら萌えより先に暑苦しいんじゃと指導が入りそうですけどな
2004年08月03日(火) |
Factory46(樺地・跡部) |
でかいってのは損だな。どこにいたってすぐに目につく。探してるわけじゃないのに。
跡部の目は、購買のパン売り場の前に群がる生徒からすくっと飛び出している見慣れた後頭部を映す。その後姿はいつまでも窓口から離れない。
迷う性質じゃねぇのに。何、トロトロしてるんだ。
「樺地、わたしもー」
どこかから上がる声に振り向いた樺地がぬっと腕を伸ばして、突き出された小さな拳からこぼれる小銭を受け取る。
「チョココロネとねぇ、ツナとねぇ」
うんうん頷く樺地に、「お前、ずるするなよ」とどこからか、声。
「ずるじゃない、頼んでるだけじゃん」
そうだよねぇ樺地、なんて言われている樺地の背中がちょっと曲がって右肩が下がる。
あぁ困ってる、困ってる。
でも表情はちっとも変わらないから。だから誰も気づかない。損だなぁ、お前。
跡部は並んでいる生徒たちの列の後ろにつく。
別に声もかけないし、止めさせたりしない。あいつにはあいつの付き合い方があるんだし、俺には関係がない。
跡部は素知らぬ顔をして、樺地が頼まれるままにその近くにいる女子の代わりにパンを買ってやるのを目の端で見る。
おひとよし。
心の中で呟く言葉。実際に口にしたこともある。そう言うと、樺地は首を傾けるようにして、そうですかね、って問い返すように跡部を見たものだ。
あぁそうだとも。お前はおひとよしで、誰にでも優しい。昔からそうだ。優しいというか、気が弱いというか。
だから俺と一緒にいられるんじゃねーの。
その言葉は口にしていない。何が返ってくるか、跡部には分からないから。
「ありがとう樺地」
パタパタと駆けてゆく女子たちを跡部は何気なく見送る。
なんだ、ブスじゃん。
だからってそれに何の意味もないし、そんなことを思うのは心が狭い。醜い。馬鹿馬鹿しい。
前を向くと、買い終わって、歩いてくる樺地とちょうど目が合った。
樺地が頭を下げる。
そう、俺は先輩だからな。
「お前菓子パンばっかりじゃん」
樺地がどっさり抱えている甘そうなパンを指差す。
「みんなで食べるんです」
樺地が小さな声で言う。
「みんな?」
うんうんと樺地が頷く。
「なんだぁ、パシらされてんのか」
「じゃんけんで」
負けたから買いにきたのだと言う。
「お前のおごり?たかられてんのか?」
まさか、と樺地が肩をすくめる。
「樺地〜、買えたかぁ」
大きな声に振り向くと、両手に紙パックのジュースの入ったビニール袋を持っている男子が立っている。跡部にあっと気づいたような顔をするが、跡部はその生徒を知らない。テニス部では見ない顔だ。たぶん樺地と同じクラスなのだろう。樺地ほどじゃないが向こうもずいぶん背が高い。
やっぱり大きな奴は大きな奴とつるむのかな、似たもの同士、なんて思う。
「失礼します」
跡部はあぁと樺地に頷き返す。樺地は跡部の知らない男子生徒と肩を並べて歩き出す。甘ったるいパンとジュースを食べてダラダラと昼休みを過ごす、あれがあいつのいう「みんな」の一人なのか。
普段どうしているのかなんて、俺は知らない。あいつのいう「みんな」に俺は入ってないんだから、ま、知る必要もないんだ。
「なぁ、あれ、樺地の言ってる先輩だろ?」
大きな声に振り返ると、ちょうど樺地が隣の男子に肩ごとぶつかってるところだった。黙れ、と言わんばかりに。
なんだよ。
樺地の奴、何、喋ってんだよ。俺のこと。俺のいないところで。人のいないところで喋ることなんて、ろくでもないことに決まってる。
跡部はムッとして唇を結び、列にしたがって前へ進む。
なんとなく首の後ろにちりちりと視線を感じたけれど、きっと気のせいだろう。
★拍手用に書いたけど長くなった気がしたので。樺地がクラスでどう過ごしているか考えるのが楽しい。バスケ部とかバレーボール部とか柔道部とか野球部と仲が良いと良い・・・体育の時間でバスケでダンクなどを決めてしまい「お前うちの部こいよ!」とか言われると良い。しばらくあだ名がNBAに行った中国のでっかい選手(名前忘れた)などと呼ばれると良い。
仲のいい子は全員でかいのでクラスではその一角をガリバー王国などと呼びます。
景吾の知らない樺地は結構楽しく暮らしています★
2004年08月02日(月) |
Factory45(榊・芥川) |
準備室に先生はいない。職員室だとヤバイな。あそこは嫌い。俺の事を嫌う教師より、心配してますよって顔してるやつの方が苦手。元気とか大丈夫とか、言えば気が済むみたいに簡単に口にする。
あんたたちなんていらないよ、先生は一人でいい。
もしかしてここかな、って音楽室を開けてゆく。第一には誰もいない。第二を開けたらバイオリンとか持ってる女子が何人かいた。オケ部の練習だろう。でっかくて大人みたい、靴を見なくても三年だって分かった。さっさと戸を閉めようとしたら、ちょっと待って、って声をかけられた。
「タロウちゃんとこにいつもいる子じゃん」
扉の影から顔だけ出すと誰かが言った。俺は何か用?って言う。
「タロウちゃんなら第一のベランダにいたよ、さっき」
高い声。どっと笑う。本当に、バラエティの効果音みたいに笑うのがおかしい。
「ちょっとそんなことこの子の前で言ったらダメだって」
「別に言いつけたりしないよね」
ね、って言葉が俺に向けられたって気がついてびっくりして、俺は顔を引っ込めてパッと後ろに下がる。
「あ、いなくなった」
「驚いたんじゃない?」
「だめじゃん、脅かしたら」
俺はするする扉を閉める。かわいいのにねぇ、なんて言ってるのが最後に聞こえた。
女って無責任だ。かわいいかわいいって、なんでも「かわいい」に収めておけば安心みたいに言うんだ。
俺はかわいくなんてないし、かわいくなりたくないし、そんなのってもうたくさんだ。
それにタロウちゃんとか気安く呼ぶなバーカバーカバーカ。
俺がここでブスって言わないのは、先生が前に「人の美醜を見た目だけで軽々しく判断するような奴は、薄っぺらい人間だ」とちょっと怖い顔をして言ったからだ。俺はかっこいい人間になりたいので、じゃあ言うのは止めようと思った。
でも先生はうつくしいものが好きだって言ってたのにな。
そこには人は入らないのかな。入ったら大変だ。俺も跡部みたいにきらきらしなきゃいけないのかな、美技とか言って。
そんな自分を想像すると、ありえなくて面白くなる。笑っちゃいそうになりながら、さっき覗いたはずの第一音楽室に戻る。ガラガラ扉を開けて「先生」って呼んだ。
「せんせーせんせー」
言ってる間に節がついてきて、先生先生って歌いながら、ベランダに続くガラス戸を開ける。
先生は音楽室にある椅子を一つベランダに置いて座ってた。
「先生、なんで返事してくれないの」
振り向いた顔を見て、俺の声が聞こえていたことが分かった。
「返事をする前に芥川が来た」
本当はちょっと面白がってたんじゃないかなって思う。だって口元が笑ってる。
「先生、なにしてんの?」
先生はぱっと掌を上に向けて両手をちょっとあげてみせる。こういうことをするから先生はキザだとか気取ってるとか思われるんだ。でも俺は全然かまわない。
並んでる椅子を持ってきて先生の横に並べる。先生は手伝ってくれないし何も言わなかったけど、席をずらして場所を空けてくれた。
空が高い。じりじり日差しが照りつけて、半そでの俺でもけっこう暑いのに、先生はきっちり上着を着て、いつも持ってる銀のライターを掌の中で転がすようにしてもてあそんでいる。
「吸わないの?」
たまにここで、先生が一服していることを俺は知っている。いちいち決められた場所に行くのが面倒なのかな。
「吸わない」
「俺がいるから?」
先生は俺の前ではタバコを吸わない。でもいつも吸うのは、俺には読めない文字の書いてある青いパッケージのタバコだって知ってる。たまに準備室の机に置きっぱなしにしてるから。いっぱい吸うわけじゃないみたいだけど、先生の上着からはいつも、何かいい香りのする木を燃やした後みたいな匂いがする。俺は結構その匂いはいいなって思う。
「止めたんだ」
「へぇ」
なんでって聞いたほうがいいのかもしれないけど。
「良かったね」
俺の口から出た言葉はそれ。
「良かったって、なにが」
「たばこって肺が真っ黒になるんだよ、この前テレビでやってた」
「だから?」
「まだ灰色ぐらいですむよ、先生。良かったね、長生きできるじゃん」
先生が俺をじっと見る。
「なに、先生」
ライターを握った手を口元に押し当てるようにして、先生の背中が曲がる。
「なんでそこで笑うの」
先生は顔を隠すようにして、声を出さずに笑う。揺れる肩に手を触れようとして俺は止める。なんとなく。どうしてかな。
「今、止めたところで遅いかもしれないけどな」
ようやく顔を上げて先生が言う。
「遅くない」
「そうか」
「でも、ホントに止めんの?」
「あぁ」
「じゃ、それどうするの?」
先生が持っているライターを指差す。
「これは・・・」
「俺、預かってあげるよ」
だって持ってたら“ゆうわく”されるでしょ、って言ってやった。先生はライターに視線を落とし、ちょっと考えるようにしてから「いや、だめだ」と答えた。
「なんで」
「子供に持たせるわけにいかない」
またこれだ。先生は子供、子供ってちょっと俺のことをなめてると思う。
「俺、子供じゃない」
先生が首を振る。
「子供じゃないから」
「子供でいなさい」
先生は上着のポケットにライターを落とす。
「芥川は子供でいいんだよ、もっと」
なんだ、それ。ムッとして頬が膨れる。どうせ俺は子供だ、先生とはいっぱい歳の差があっていつまでも追いつけない。
「いいよ、十分、子供だから」
「十分、子供か」
組んだ手を胸元に当てるようにして、先生が俺を見る。
「じゃあ子供を楽しみなさい」
どうせすぐに大きくなるんだから、と先生が言う。
「すぐに大きくなれる?」
「嫌でもな」
嫌なんかじゃない。俺は早く大きくなりたいんだ。
「先生はそう言うけど、俺は全然“すぐ”って気がしないよ」
「大人の時間と子供の時間は違うからな。芥川は長く感じるだろうが」
「いいなー大人って」
「そうかな」
「一日あっという間じゃん。授業もすぐ終わりそう」
最後は余計だったらしい。先生は腕時計を見て「時間だぞ」と言った。
「大丈夫。走れば間に合う」
「廊下は走っちゃいけない決まりだろう」
これだから、先生は先生なんだよなぁ。俺は立ち上がって椅子を片付けて、先生に「失礼します」と叫んだ。“先生”にはこういう言葉を言わなきゃいけないから。
「またな、芥川」
先生が軽く手を上げる。俺は走るように歩きながら、歩くように走りながら、「またな」って口に出して言ってみる。
また来ていいってさ。そういうことだ、きっと。
★拍手用に書いたら長くなったので★