2003年07月27日(日) |
Factory16(樺地・跡部) |
どっか行きてぇなぁ
どっか・どこ・何処、どこかってどこだろう。お母さんの言う「どこか行きたいわねぇ」のどこかと同じ所だろうか。
あーあって欠伸をする、跡部さんはとても退屈そうです。
お前どっか行きたいとこねぇのか?樺地
ありますよと言う。
どこ?
宇宙
跡部さんは樺地も冗談を言えるようになったのかと笑います。
あとどっかねぇのかよ
砂漠
なんだそれ童謡かと跡部さんは言います。言った後で、お前本気なの?と目をパチパチさせる。
それはなかなか行けねぇなぁ。宇宙に行くのには何億何兆ももかかるんだぜ。それに宇宙は空気がないんだろ、身体がパンパンにはじけて死ぬんだ。それに砂漠はな、方位磁石を狂わせる砂嵐が起きて、道が分からなくなって迷って喉が渇いて死ぬんだ。
跡部さんの口からは死ぬことばっかり出てきます。死んじゃう人ばっかりじゃありませんよ。人は砂漠ばかりのシルクロードを旅したし、宇宙飛行士は帰ってきている人の方が多いのです。どんなところだか、テレビや写真でしか知りません。でもどちらもとても広くて静かな気がする。人の姿も見えなくて、声も聞こえなくて、きっととても静か。
もっとさぁ、行けそうなところ言えよ。具体的に
跡部さんが言います。具体的って言われても。何をどう答えればいいのか。
中学生が行けそうなところ
跡部さんが続けます。これは広すぎて難しい問題です。うーんと黙って考えていると、あぁもういいと叫びます。
お前の答え待ってると夏が終わる。俺が決めてやる
そんな風に言わなくてもちゃんと聞こえます。動物は大きな声で威嚇する。ここにいるんだと大きな声をあげて縄張りを主張するそうです。跡部さんが時々大きな声をあげるのは、跡部さんがここにいるぞって言いたいからかもしれません。そんな事しなくても、ライトが目に飛び込んでチカチカするみたいに、はっきりしているのに。
それにしても跡部さんが決めたところに行って、それで跡部さんは何が楽しいのか。そう訊くと跡部さんはぎろぎろとこちらを睨みました。
お前につきそってってやるんだよ
もう中学生なので大抵のところは一人で行けます。注意してあげようと思いましたが、どこがいいかなぁと言い出す跡部さんは退屈さがなくなってきて、たいへん楽しそうです。
いいですよ、ついてきても。でも荷物は俺が持つのかな、また。
☆どっかいきたいのは私だよ・・・☆
『「来ていたんですね」
ゆっくりと近づいてきた樺地は、小屋の戸口の椅子に腰掛けていた跡部に言った。
「あぁ」彼は男を見上げて言った。
「遅かったんだな」
男は森の方へ眼をやりながら頷いた。
彼は椅子を引いて立ち上がった。
「入るか?」
「あなたが毎晩ここへ来るのを他の者は変に思いませんか?」
男は厳しく、突き放すように彼を見下ろした。
「俺は来ると言っただろう」
彼は男の反応に戸惑いを覚えながら、その動揺を表には出さずに男を見上げた。
「それに誰にも分かりはしない」
「すぐ分かってしまいますよ」
男が答えた。
「そうしたらどうします?」
彼はどう答えたらいいのか分からなかった。
「分かってしまうものなんです」
男は重々しく呟いた。
「もし知られたら、あなたはひどく屈辱的な思いをします」
「俺の事はどうだって・・・」
「考えてもみてください。もし皆が知ったら・・・噂になったら・・・」
男は彼から目をそらし、森の中を見やった。
「もう来て欲しくないなら、そう言え」
彼が言うと男は黙って首を振った。
「じゃあどうして。俺は気にしない。何かあったらあの家を出ればいいんだ」
「今はそう思っていられても」
「お前は俺を疑うのか、樺地」
男はまっすぐに彼の眼を見た。
「あなたを疑ったりしません」
彼を見る男の目は黒々と深く、その穿たれた二つの闇の奥に灯る明かりがかすかに揺れるのを彼は感じ取った。このどこまでも泰然とした穏やかな男に火を灯し、動揺させているのはこの自分なのだ。彼は喜びを覚えた。
「あなたは気にかけなければいけないのに。後になってからではもう間に合いません」
男はなおも説得するような調子だった。
「俺は何も失いやしない。それがどんなものか分かればお前も俺がそれを捨てたがる気持ちが分かるだろう。俺は何も怖れていない。怖れているのはお前の方じゃないのか?」
男は黙って頷いた。
「何を怖れているんだ、お前」
男は両手を軽く広げた。
「いろいろな事、いろいろな人間、全て」
「俺も?」
「あなたは違います」
男は首を振って答えた。彼のこわばった顔がほんの少し安堵でやわらぐのを男は見た。そんな風に男の一言や行動で彼の心が騒ぐのを見るのは、男にとって新鮮で、驚くべき、不思議だった。なぜ自分なのか、男はこれまで何度も浮かべた問いを心の内に潜ませながら、彼の頬に指を添えた。
「分かりました。やってみましょう。他の事はどうだっていい。けれどもしあなたが悔いるような事に・・・」
「後悔?この俺が後悔などするものか」
彼は自分に触れる男の指先を掴んだ。
「悔いたり迷ったりするのなら、ここには来やしない。俺はもう決断したのだから」
彼がお前はどうなのかと問いかけるように投げかける眼差しに答える代わりに、男は彼の指に静かに自らの指を絡めた。』
☆「チャタレイ夫人の恋人」(D・H・ロレンス)って樺跡じゃねぇ!という雄闘Qの主張が生んだ妄想。その2。続けたい気持ちは山々。☆
『二人は闇の中を歩いていた。
「お前は後悔しているっていうのか?樺地」
「こういうものはもう済んでしまったと思ってました」
男は空を見上げた。
「けれどまたこうして始まってしまった」
「何が始まったんだ?」
「人生、です」
「人生か」
跡部は鸚鵡返しに呟いた。
「また始まってしまった。もう避けては通れない」
まるで一人ごとのように呟く男の手を跡部は握り締めた。
彼はそんな風に考えてはいなかった。
「これは恋愛だろう」
彼はことさら楽しげに呟いた。
「なんであったとしてもですね」
男が答えた。
二人は黙りこくって夕暮れの森を歩き、やがて森から庭園に続く木戸まで来た。
「後悔してるのか?」
彼はことさら軽やかに聞こえるようその言葉を口にしたつもりだが、哀願を帯びた甘い響きに気がつき、嫌悪のあまり男から顔を背けた。
「いいえ」
男はきっぱりと答えた。男は突然、その胸の奥からわく強い感情に駆られ、彼を抱きしめた。男にとってそれは思いがけない激情だった。
惜しむように彼の身を自分から引き離した男が言った。
「世の中にこんなに人間がいなかったら」
彼は笑った。男は庭園に出る木戸を開けてやった。
「ここから先は行きませんから」
男が握手するように差し出した手を彼は両手で握り締めた。
「また行くからな」
男はいつもの口数の少なさを取り戻したようで、どうぞと言うように頷いただけだった。
彼は片頬だけで微笑んでみせ、男と別れて庭園に入って行った。
男はそこに残り、彼が緑の間を縫う様にして歩き暗がりに消えてゆくのを見守りながら、今まで覚えたことのない刺す様な胸の痛みを感じていた。ただ一人でいることを願った男の前に現れた彼は、男の孤独を永遠に奪い去ったのだ。それは孤独を奪われぽっかりと空いた胸の虚がきしむ痛さなのか、その虚を埋める彼という存在を慕う痛さなのか、男にも分からなかった。』
☆「チャタレイ夫人の恋人」(D・H・ロレンス)って樺跡じゃねぇ!という雄闘Qの主張が生んだ妄想☆
2003年07月21日(月) |
Factory12(鳳・宍戸) |
たった1階分階段を上るだけなのに、その距離は遠く、目に見えない壁でもあるかのようで、鳳の足取りは重くなる。自分のいる階と同じように伸びる廊下と同じ教室の並びなのに、そこはどこか異なる世界。
昼休みも半ばをすぎ、せわしなく生徒が行き交う廊下を、鳳はなぜだか視線を下向きにして歩く。視線の先に入るのは自分の上履き。氷帝では学年ごとに上履きの靴紐の色が違う。この階にはないはずの靴紐の色というだけで、ますます気が重くなる。
運良くその教室の戸は開いていて、鳳には窓際に座ってるあの人の姿が見えたのだけれど、一番近い所にいた机をくっつけてしゃべっている女子のグループに声をかける。
「すいません。宍戸先輩、いますか?」
彼女達は互いの顔を見合わせる。鳳はいたたまれなくなる
「シシィー、お客さん」
仕方がないという面持ちで、そのうちの一人が叫ぶと、なぜか教室中のそこかしこの人の輪から笑い声が一斉にあがる。
「んな風に呼ぶんじゃねぇよ」
席から立ち上がった宍戸が怒鳴っても、鳳が声をかけた女子たちは軽やかな笑い声をあげて、シシィー、シシィーと連呼する。
「うっせぇぞ、バカ」
鳳のほうへ向かいながら、わざわざその女子たちの前で足を止めて宍戸が言う。
「あんたにバカって言われる筋合ないもん」
先刻宍戸を呼んでくれた女子が答える。
「じゃあお前も俺のことそんな風に呼ぶんじゃねぇよ」
言いながらその脇を通り過ぎようとした宍戸の結わえた髪に、後ろからあの女子の手が伸びて、鳳が知らせる間もなく、宍戸は髪を引っ張られてわっと後ろによろける。
「なにすんだ凶暴女」
「いまどきロンゲなんて流行らないよ、シシィー」
何事もなかったかのようなしらりとした顔つきの女子を見て、鳳は思わず笑っていたようで。
「笑ってんじゃねぇよ、鳳」
宍戸が鳳の事を蹴る真似をすると、シシィー、下級生いじめちゃだめだよという言葉と笑い声が起こった。
話があるのだと鳳が切り出すと、それなら上に行くかと宍戸が言い出し、二人は連れ立って屋上へ向かった。昼休みの間だけ開放されている屋上だが、鳳たち2年や、教室が1階の1年生はわざわざ階段を上るのも面倒で、ほとんど3年専用のような場所だった。初夏の陽射しはコンクリートにそのまま落ちて熱く眩しく、昼休みも残すところわずかなせいか閑散としていた。
もう食べ終わっている頃だろうと時間を見計らって行ったつもりだったが、前の時間の教材を片付けるついでに教師にこき使われたとかで、屋上に設置されたプラスチックのベンチに座ると、宍戸はさっそく食べかけの弁当を広げはじめる。
「すいません。わざわざ」
「いや、別に。ここのほうが落ち着いてしゃべれっだろ。俺も廊下で飯はちょっとなぁ」
「俺も三年の教室入る勇気ないし」
そういうもんだよなと宍戸が答える。同じ学年の他のクラスに入るのも少しためらいを感じるのに、学年が違うともう他の国のようなものだ。そう思いながら鳳は横にいるよその国の住人を見守る。
「先輩、急いで食うの、身体に良くないって言いますよ」
「お前うちの母さんみたいだな」
口いっぱい頬張りながら宍戸が言う。実は同じ事を自分もよく親に言われているのだけれど。あらかた食い尽くされた宍戸の弁当を見て、宍戸の母親も作るときにあれこれ色合いだ、栄養だと言いながら作るのかなと、とりとめもないことを考える。
宍戸の事はまだよく知らない。先輩の誰もがおそろしく見えた1年の4月から顔は合わせているけれど。わりと親しく口をきくようになったのもあの冬以来だ。
「先輩」
鳳の声に宍戸が口を動かしながら顔をあげる。
「先輩、シシって呼ばれてるんですか?クラスで?」
「はぁ?あぁあれかシシィーな」
宍戸が苦々しげに呟く。
「俺んとこの英語の担任さ、生活指導のアイツでさ」
「あぁ、あの」
「この前授業中に俺に、お前はシシィードだからそんな髪形なのかとか言いやがって、あのバカ」
「へぇ」
「シシィーってのは女々しいってことなんだと」
「・・・ダジャレ攻撃」
「精一杯ダジャレ、あのバカが」
「切らないんですか、髪?」
「だーれが切るかよ」
宍戸は箸を振り回しながら言う。
「切る時は俺が決めんだ。だいたいうちの校則、本当はパーマだけだぜ禁止ってあんの」
宍戸の黒々とした長い髪は後ろで一つに結わえられている。なんで伸ばしているのか、注意や嫌味を言われても切らないのか。願掛けなんだという噂を聞いたが本当のところどうなのか鳳は知らない。
「先輩のクラスの女子相当こわそうですね。俺、先輩が髪ひっぱられたときビックリしました」
「だろぅ。あいつが一番凶悪なんだ」
人をバカにしてるぜと宍戸が呟く。バカにしているというよりは、親しい仲間の悪ふざけのように見えたのだけど。本当にバカにしていたら宍戸の怒りは凄まじいものになっていたに違いない。なんとなく分かる。鳳は宍戸があんな風に女子にからかわれたり、あんな風にクラスで過ごしていることを全く知らなかった。自分が知ってる先輩は部活の時だけだしな。部活ではこわい系で、でもわりと面白くて、話せば楽しい。
「あいつら平気で男子のことバンバン叩きやがって。ムカツク」
空になった弁当箱を布にくるみながら宍戸が呟いた。
「先輩、反撃しないんですか」
「バカ、女に手あげたら俺らのほうが悪者だぜ。男子は圧制に耐え忍ぶのみってやつ。鳳んとこは?」
「俺んところなんか、こないだ掃除の時間にサボってるって箒で殴りかかってましたよ」
「うわ〜コエェ。なんであいつらあんなに暴力的なんだろう」
「うちなんか家も女多いですから。もうヤバいですよ、ホント」
鳳は家での自分を思い出しながら言う。
「うぇえ、マジ?っていうかお前んち姉ちゃんとかいたんだ?」
頷く鳳に、へぇ〜そうだったっけと宍戸が呟く。宍戸が鳳の家の事を知らなければ、鳳も宍戸の家の事など知らない。ときおり、宍戸が話すことでなんとなく見えてくるものがあるけど、それだけにすぎない。部活の先輩、後輩。そんな関わりでしかない気がしたのだけど。
「で、話だけど」
宍戸が言う。膝に乗せた弁当箱の包みを軽く叩きながら。なにげなく視線を落としてこちらを見ないようにして。俺の答えを待っているんだと鳳は思う。軽く息を吸って、鳳は言う。
「俺、やりますよ、先輩」
宍戸は開きかけた口をまた閉じて、鳳の方に顔を向ける。鳳はそのまま言葉を続ける。
「その、俺のためにだってなるし。とにかく、俺、つきあいますよ。いや一緒に頑張ります、ホント」
「そうか」
一言いったあと、そうかぁ〜と深く息を吐きながら宍戸の肩が下がる。
「マジでいいの?」
「一度言ったこと取り消しませんよ、俺。」
「俺、ものすごい鳳に迷惑かけたりわがまま言ったりするかもしれないけど」
「そんな事言って俺のやる気、削がないでください」
「俺、絶対戻りたいんだ。なんだってやるって決めたんだ」
真っ直ぐ向けられた視線に鳳は少したじろいだ。
「あそこに戻らないと、取り返せない」
それは前にも聞いた言葉だった。この視線の先に見えるのは本当は俺ではなく、宍戸自身の中の何かなんだろうなと鳳は思う。本当は俺でなくてもいいのかもしれない。ちょうどそこに俺がいただけなのかもしれない。俺以外の誰であってもいいのに。
「こういう熱いのって流行んないよなぁ」
宍戸の瞳がふと和らぐ。
「俺も他のやつらみたいに投げちゃえば楽なんだ。でも」
「あんま弱音吐くと俺もシシィー先輩って言いますよ」
鳳はことさら大きく笑みを浮かべて言う。
「嫌でしょ、先輩」
「嫌だ。んなこと言ったらお前ぶっころす」
「俺も死にたくないから。言われないようにしてくださいよ、先輩」
「言わねぇよ。お前いなくなったら俺困るし」
鳳はどうしてか落ち着かなくなって立ち上がる。宍戸が怪訝な顔つきで見上げている。
「先輩、俺、次の授業移動なんですよ」
「あ、俺もだ」
勢い良く立ち上がった宍戸の膝から弁当箱がカラカラ落ちたのを、鳳は拾ってやる。
「あの、先輩」
手渡しながら鳳が言う。宍戸が問うように見る。どうして俺なんですか、と聞くはずだった。
「で、その特訓の計画ってのはいつ聞かせてもらえるんですか」
「部活の後な。今からまた練っとく」
「授業中に」
「当たり前だろ。授業なんて後でどうにでもなる」
「どうせ5時間目は眠いですしね」
「まぁな」
階段を駆け下りながらそんな事を話した。
「先輩、俺、特訓なんてテレビでしか見たことないですよ」
「へぇ、そうか」
「先輩まさかやったことあるんですか?」
「俺か?あるよ」
別れ際、宍戸がニヤニヤしながら叫んだ。
「受験前の塾の特訓ゼミ」
それ違うんじゃないですかと返す間もなく宍戸は走ってゆく。途中で廊下を走るなと言われているのが聞こえた。自分もこうしちゃおれない。二段抜かしで階段を下りながら、あの人も氷帝に入るために塾に行ったりしてたんだと鳳は思う。階段一階分、先に上ってるだけで、同じような事もいっぱいあるはずなのに想像もしてなかった。他にも自分と同じようなことや違うようなことがいっぱい分かるのだろうか。どうして俺なのかも分かるだろうか。
考えながら、自分と同じ靴紐の色をした世界に鳳は戻ってゆく。宍戸は知らない、鳳の日常に帰ってゆく。
以前試しに書いた鳳宍。凡庸ゆえお蔵入り。昔レ.ディ.オ.ヘ.ッ.ドの兄弟がシシィーって呼ばれてたそうです
2003年07月20日(日) |
Factory11(樺地・跡部) |
俺を乗せろと跡部さんが言いました。
俺は少し考えて、鍵を渡すと違うだろうと言われる。
運転すんのお前だよ、俺はこっちに乗るだけ
自転車の荷台を跡部さんが叩きます。跡部さんが乗っていきたいのかなと思ったけど、そういうことではなかったようです。
俺は自転車置き場から自転車を出し、前のカゴに跡部さんの荷物を置いて、その上に自分のを置いたら、俺のを下敷きにするのかと跡部さんに言われたので、逆にしてあげました。
早く乗れよ
跡部さんは俺を急がせます。俺が乗ると、跡部さんは自転車のスタンドの支柱のあたりに片足をかけて、俺の肩に手を乗せるので、そういう姿勢じゃ危ないですよと俺は言った。
危なくねぇよ。みんなやってるだろ
みんなはやってても俺は怖いので、嫌ですと言ったら、俺の肩をばしっと叩いて、だったらいいよと、跡部さんは座って、俺の制服の両脇を掴みました。これで安心して出発できます。俺は安心したい。跡部さんも安心すればいい。
荷物も跡部さんも重いので自転車はとてもゆっくり進みます。跡部さんは鈍いなぁと大きな声で言う。でもこれ以上早くはならないので何も言わないでいると、背中に跡部さんの頭がぶつかってきました。それでも黙っていると、今度はぎゅっと手を身体に回されました。手はどんどん俺をしめつけてゆきます。ぎりぎりしめられて、どんどん力が増えてゆく。
苦しいけど我慢していたら、ぱっと手が離されてそのまま後ろの重みがなくなりました。驚いて自転車を止めて後ろを見たら、跡部さんが降りていました。
もう、いい。歩く
跡部さんは俺を抜かして歩いていきます。俺も自転車から降りて歩きました。最初からこうしていれば良かった。危なくないし、重くないし、さっきより早くに進みます。
お前、二人乗りもっと練習しろ
跡部さんの横に並ぶと、そう言って背中を叩かれました。練習と言っても一人ではできません。跡部さんは時々無理な事を平気で言う。
ほら、もう一回頑張れ
跡部さんは俺の腕を掴んで止めると、後ろに乗ります。俺もまた自転車に乗りました。
重いペダルを踏んでも自転車はよろよろしてゆっくりにしか進みません。
でも跡部さんは今度は何も言いませんでした。背中に跡部さんの頭がよっかかってきて、息をしているのが分かりました。耳が押し付けられるのも分かりました。跡部さんの手にはあまり力が入らなかったので苦しくありません。これはいい。
だんだん慣れてきたので自転車のスピードが速くなっていきました。そうすると今度は速過ぎる、俺を振り落とすのかと後から大きな声が聞こえました。
跡部さんは時々言う事がこんがらがります。さっきみたいにつかまればいいのに。俺は跡部さんが掴んでいる手をひっぱってひっぱって、手を回させて、ちゃんとつかまらせてあげます。跡部さんは不機嫌な犬みたいな声を出しましたが、ちゃんとつかまってくれました。さっきみたいに苦しくもありません。これでいい。
俺は安心して自転車に乗れます。跡部さんも安心すればいい。
樺地の描き方練習
2003年07月19日(土) |
Factory10(Unknown Pleasures) |
抑える事ができなかった。
気がつくと靴を背中に向かってなげつけていた。もう着替えていた相手の制服に笑えるぐらいきれいに靴底の跡がつく。残った片足分も投げつける。足が何本もあったら、その履いていた分の靴を投げつけていただろう。くだらない想像。
「拾え」
彼の言う事に相手は従順に従い、転がっている靴を拾う。こんな事をしたところで相手の表情に小波一つ起こす事はできない。分かりきった事なのに、そんな事が彼の心に消えない影を落とす。自分は相手に何の関心も持たれず、何の力も及ぼしてないのだ。そう思いそうになる。こんな風に考える自分が嫌だった。そんな弱さはなかったはずなんだ、今までは。
彼は近づいてくる相手を睨みつける。ほんの数歩が長く感じられる。自分の唇がかすかに開いて、呼吸が早まるのを感じる。
彼の足元に相手が靴を置く。屈みこんだ相手の髪の毛のうずに彼は目を向ける。おかしな具合に二つ、互いを巻き込むようにして描かれた渦に彼はこれまで何度指を這わせた事だろう。そうしながらいつかこんな事は終わってしまうに違いないとも思っていた。
相手は屈んだまま彼を見上げる。彼が足元を歪ませたのは、その目に惹きこまれたせいからかもしれないし、相手が彼に手を伸ばしたのが先かもしれない。
彼は相手の手の中にもたれこむ。安らいではいけない気がする。優しさや憐れみにつけこんでいる気がする。この喜びから遠ざからなければいけない。それでも身が離せない。
2人はじっとしていた。まるで何か怖ろしいものから身を守るように堅く腕を回しあい、身を隠すようにじっと息を潜め、互いを抱きしめていた。
☆一幕☆
2003年07月16日(水) |
Factory09(樺地・跡部) |
その唇をわり、こじあけ、ねじこむように舌を入れて、絡み合い、触れ合う一点から全身に熱を帯びてゆく。従順に、ただ従順に応えるだけの彼の頬に、肩に、腕に、手を滑らせて。
嫌だったらそう言え
つかのま彼から離れ跡部は呟く。
俺を拒みたいのなら、ちゃんとこの口で、言葉にして、言うんだ。そうでないと
彼の頬に這わした手に力を入れ、無理矢理笑いを浮かべさせるように口角を引っ張り上げる。そんな表情を、本当だったら浮かべていてもいいはずだ。歪んだ、嘲りの笑いを浴びせてもいいのに。
夜の闇が二つだけ取り残されているみたいに黒々した深い瞳が、またたきながら、まっすぐにそそがれ、それぞれに跡部の鏡像が映っている。
みずみずしく、いまにも滑り落ちそうな己の像。
☆Is It Really So Strange?☆
2003年07月15日(火) |
Factory08(樺地・跡部) |
「弱ぇやつばっかだったな」
背を向けたまま俺は言う。何の返事もないけど、奴がちゃんと聞いていることは分かっている。
寄り道の上にまた寄り道を重ねたらおかしな所に出くわした。
ストリートテニス場だとさ。
テニス好きって奴等、腕に自信がないわけでもない奴等、うだうだ溜まって、お互いの世界でいきがって。
ちょっと不愉快でムカついて、捻ってやるのもいいかなって思った俺も、浅はかでいきがった子供そのもの。馬鹿馬鹿しいことをしたものだ。
「最後のあいつ、お前の球を返せるなんて」
振り返って奴を見る。正視する黒々とした瞳。
「青学の2年とか言ってたな。お前と同じ学年か」
奴は何も言わない。
「青学か。去年よりは楽しませてくれるといいけどな、樺地」
「ウッス」
短い返答。言葉がないことには慣れている。
「練習にもならなかったな。物足りねぇの」
俺は腕を伸ばして伸びをする。奴が何を言おうが言うまいが俺は奴に語りかける。
「うちのコートで続きだ。お前も来い」
返事の代わりに奴は背負っていた俺のバッグを手渡してくる。
俺は携帯を取り出し、うちのマンションの管理事務所に電話して、コートが空いてるかどうか尋ねる。いつもは聞きもしないで勝手に使ってるのに。
「空いてるってよ。まぁあそこに住んでるやつでテニスやってるのなんて、俺ぐらいなもんだけど」
手渡した俺のバッグをすぐさま肩にかける奴。自然に。
俺はこの手があることに、いつの間にか慣れている。
「行くぞ、樺地」
「ウッス」
かわり映えのしねぇ返事だ、それにだってもう慣れた。
俺は歩き出す。奴は後からついてくる。俺たちは黙ったまま。
言葉もなく、約束もなく、目にも見えないけど流れている安らかな何かに、俺は慣れてしまっていいのだろうか。
☆初登場あたり。
跡部はマンション住まい希望・・・でかくて高級なマンション。樺地は戸建がいいな☆
2003年07月14日(月) |
Factory07(2年生) |
気がつくと樺っさんはもう着替えてカバンまで持って後ろに立っていた。
早いなぁ樺っさん
声をかけても返事がないのはいつものことで。
俺はあせって、ロッカーの扉の裏についた小さい鏡にうつるネクタイの結び目と格闘している。もうこのネクタイ人生が始まって2年目なのに俺はいまだにきれいに結べない。朝なんか見かねた母親に結んでもらうことも度々だ。
悪ぃな。もうちょっと待ってくれる?
もう面倒だからほどいたまま持って帰ろうか、こんな時間じゃ風紀委員の校門チェックだってないだろうし。諦めて変な風にゆがむ結び目をほどいていたら、肩を叩かれた。
なに?
振り向くと、樺っさんが両手を伸ばしてくるところで。呆然としているうちに樺っさんはするすると俺の曲がったネクタイをほどいてきれいに結んでくれた。結んだ後にはまるで母親みたいに、結び目の上を長い指でとんとん叩いた。
あ、ありがとう
樺っさんは黙って頷いた。
三分の一も生徒がいなくなると学校も静かなものだ。三年生が秋の修学旅行に行っている一週間(実際4泊5日だけど。土日を入れて連休ってわけだ)俺たち二年は来年の予行練習みたいに学校や部活を仕切ることになる。 うちの部は俺と日吉が協力して一、二年の面倒をみることになった。今日は俺が部室の鍵をかけ最終点検して帰る番で、用具入れの片付けや部室の窓ガラスの鍵なんかを確認して行く間も、後ろにずっと樺っさんは付いて来ていた。
なんだ鳳。樺地にやらせてばっかりかよ
まだ居残ってた日吉の奴が言う。
そんなんじゃねぇよ。樺っさんは協力してくれてんの
へぇ
樺っさんが日吉を見つめる。黒々とした眼でじっと見つめるので、日吉の奴はなんだよぉとうろたえてしまう。しまいにはテメェ笑うなと俺に当り散らす。
笑ってねぇよ
じゃあ生まれつき笑い顔なんだな、バカ面だ
日吉の憎まれ口も慣れっこになってきていた。こいつはこういう事しかいえない口を持って生まれてきた奴なんだ。
お前みたいな仏頂面よりマシだよ。能面。
なんだって?
俺と日吉の間に樺っさんがそっと割り込む。そして俺と日吉を代わる代わる見据える。樺っさんがしたのはそれだけなのだが、何よりも雄弁な行為なので。
分かったよ、樺っさん。
俺が言うと、日吉の奴もなんだか不満げだけどとりあえず頷いている。樺っさんは何にも言わず、何にも言わないのはいつものことだけど、俺たちの間から身を引く。
じゃ俺、帰るから。ちゃんと鍵、事務に戻しとけよ、鳳。
はいはい
もう持って帰んなよ
この前の朝練、俺が鍵をうっかりそのまま持ち帰ったばっかりに部室を開けるのが遅れた事を日吉は根に持っている。次に俺が何か失敗するまで忘れないつもりなのかもしれない。
あぁもう分かってるよ。樺っさんいるし、大丈夫だよ
ふん。じゃあ樺地に頼もう。鳳はあてになんねぇから
樺っさんは日吉に向かって手を上げ、すぐ下ろす。日吉が微笑む。あぁこいつも笑うんだと俺は思う。
じゃぁな樺地
俺にはねぇのかよと叫んだが日吉はあっさり無視。樺っさんにだけ手を上げて部室を出て行く。
樺っさん、あいつムカつかねぇ?
俺の言葉に樺っさんは目をぱちぱち瞬かせるだけ。
そうか。俺、心が狭いのかなぁ
そう言った俺の肩を樺っさんはポンと叩き、まだ見ていない点検箇所に向かう。樺っさんの歩みにはためらいがなく、手馴れている様子だ。
樺っさん、いつも跡部さんと見てまわってるの?
俺が尋ねても、樺っさんは頷きもせず、首も振らず、つかのま俺の顔をちらりと見ただけだった。
樺っさんは俺たちの中でも特別な存在だ。
まず、俺たちはほとんど樺っさんの声を聞いたことがない。試合中や、跡部さんへ返事をしている以外、俺たちが樺っさんの声を耳にしたことはほとんどない。部活にも樺っさんと同じクラスの奴が何人かいたが、樺っさんは授業中も発言や輪読もしないし、音楽の時間でさえ口を閉ざしているという。
それに樺っさんは最強だ。パワーでもテクニックでも部活で勝るものはほとんどいなかった。なぜなら樺っさんは大抵の技を見ただけで再現できるからだ。それでも樺っさんが負けるのは試合を構築していく能力、駆け引きが下手だからだというのは跡部さんの言葉。
「こいつは長所も短所も表裏一体なんだ」
な、樺地と跡部さんが言うと、樺っさんはウッスと答えた。
そう、樺っさんは跡部さんのお気に入りだった。贔屓であり舎弟であり下僕でありお気に入り。
俺たちが一年の頃、樺っさんは跡部さんがリーダーで指導してゆく班にいた。テニス部は部員が多いので、新入生は何人かずつに分けられて上級生の元で基礎的な体力づくりや、用具の片付けから部のしきたりから何から教わることになっている。その頃から跡部さんは樺っさんを気に入っていて、俺たちが入学したばかりの頃、樺っさんのことで当時の樺っさんのクラスでやらかしたことは、別のクラスだった俺のところにも噂で伝わった。とにかく樺っさんはそれからずっと跡部さんの後ろを付いて歩いている。
以前、樺っさんのファン(樺っさんは意外にも、いや意外と?人気があるらしい)の女子が跡部さんに、先輩だからってひどいですと言いに行ったこともあったそうだ。その時樺っさんは珍しく、貴重な一言を放ったらしい。よく知らないが好きでやってることだとか言ったようで、もうそれからは誰も何も言わなくなった。
樺っさんが跡部さんといる風景は当たり前のものになった。でも来年、跡部さんがいなくなったらどうなるんだろう。俺は横を歩く樺っさんを見る。落ちてくる太陽で空がぎらぎら赤く染まる中、俺たちは帰り道を一緒に歩いている。
お前、俺らが修学旅行でいない間、樺地と一緒に帰れ。
俺は跡部さんから言われた事を思い出していた。
俺がっすか?
そう
えっどうして・・・
樺っさん一人で家帰れないんじゃないすよね、と俺が笑っても跡部さんは笑わない。まさか、もしかして?俺、地雷踏んだのかとビクビクしていると、そんなわけねぇだろうと跡部さんが馬鹿にしたように言った。
ちっと変わってるけど、別に頭が悪ィわけじゃないんだ、あいつは
はぁ
樺っさんはとても“ちっと変わってる”部類ではないように、レギュラー中の二年同士としてわりと一緒に練習する俺でさえもそう思ったが、口に出すほど俺も馬鹿じゃない。
なぁ鳳。お前どうして樺地のことさん付けなんだ
思いがけない質問に俺は即答できない。まだ数え切れないほどの新入部員がいた頃、樺っさんはあの性格とあのガタイなのでずいぶんなアダナで呼ばれたこともあったらしいが、それを全部跡部さんがやめさせたらしいと俺は前に聞いたことがあった。それにどこかしら樺っさんには俺たちと相容れない何かが備わっているようで、呼び捨てで名前を呼ぶような気安さは無いようにも思えた。
いや、まぁなんとなく・・・さん付けっていうか言いやすい感じっていうか・・・
そうか。ならいい
跡部さんは言った。
来年この部を支えるのはお前らだ
はい
あいつだってその一員なんだ
まるでそれじゃあ俺たち二年が樺っさんをのけ者にでもしているようだ。そんなことしてないと言うと、もちろんそれは分かっていると跡部さんは答えた。
いつだって何でもズバズバ言ってのける跡部さんなのにあの時はなにか言いよどんでいる風だった。
とにかく俺はそうしますって言ったけど、いったいどうやって樺っさんに言い出したらいいのか分からなかった。突然一緒に帰ろう何て言われても樺っさんはどうなのかと迷っていたら、どうやら跡部さんが樺っさんに鳳の手伝いをしてやれとでも言ったらしい。なので三年が旅立った月曜以来、樺っさんはずっと俺のサポートをしてくれている。相変わらず一言もしゃべらないけれど。
不思議なことに、言葉を交わさなくても、居心地の悪さがなかった。樺っさんが何も言わないことに最初だけ少しイライラしたけれど、樺っさんは口を開く変わりに、その首や腕、無表情と思われる顔の動きで意志を表していた。しゃべれないわけじゃないなら、そんなまわりくどくて、誤解を受けそうで、面倒な事をどうしてするんだろう。そんな疑問を直接ぶつけられるほどには、まだ、なっていない気がする。
俺がとりとめなくいろんな事を考えながら、樺っさんはいつものように黙りこくりながら、バス停のある大通り着く。氷帝には珍しい徒歩通学組の俺たちだけど、樺っさんと俺とはここから行く方向が別れる。樺っさんにじゃあまたと言おうとしたとき、制服のパンツの後ろポケットに入れていた携帯が鳴った。
俺だ!
あぁはい
なんだ、普通の反応だな
驚くことなんてないですもん、宍戸さん
電話の向こうの声は近くて、声の後ろからざわざわした雰囲気が伝わってくる。
今、どこですか
バスの中、うるせ〜めちゃめちゃ
宍戸さんもうるさいうちの一人なんじゃないですかと言ってもゲラゲラ笑うだけ。テンション高いよ、この人。
なぁそっち何時だ、長太郎。
宍戸さん、国内でしょ、行く先。
そうなんだよなぁ、俺らから海外って噂だったのによぉと、何度も聞かされた同じ愚痴をまた宍戸さんが繰り返す。
で、ちゃんとやってっか
はい、ちゃんとやってますよ、俺らも1年も
そう返事をしている間に、何か言う声と、ガチャガチャと音が聞こえて
あ、もしもし宍戸さん?
なんだ、お前、鳳としゃべってたのか?
向こう側で会話してる声が飛び込んでくる。俺は携帯を握ったまま思わず樺っさんを見る。
鳳か
あらためて俺に話しかける声がして、あわてて携帯を持ち直す。
あ、どうも跡部さん
お前今しゃべりながら頭下げただろう
はぁ?
いるよなぁ、そういうオヤヂ
確かに。反射って怖い。そして電話の向こうの人はずいぶん機嫌が良さそうだ
楽しいですか修学旅行
普通
普通なんですか
こいつがいなきゃなぁ・・・
うるせぇとか叫んでる宍戸さんの声が聞こえる。同じクラスな上に同じ班になったって、そういえば言ってたっけ。
部は?
あ、はい、変わりないです。頑張ってます。
変わりがあったら困んだよ
あの片頬だけの笑みを浮かべているんだろうか。先輩だ、先輩だって怖れていた頃は、あの皮肉っぽい笑い方にもビクビクしていたと思い出す。
新人戦近いからな、お前ら。
はい。
返事いいよなぁ、鳳は
返事だけじゃねぇのとまた聞こえてくる声。そんなことないですよと言うと、横のバカはほっとけと跡部さんが言う。俺は返事を返しながら樺っさんを見る。樺っさんにだって俺が誰と話しているかは分かるだろう。でも樺っさんはいつもと変わらず、監督の言葉通り“悠然自若”たるありさま。
ま、せいぜいしっかりやっとけ
はい。ちゃんと留守守っときます。俺と、日吉と、樺っさんで
・・・あぁ
一瞬、跡部さんの返答が遅れた気がした。
樺っさん、俺らのサポートしてくれて
そうか
あの今俺ら帰りで、隣にいるけど、変わります?
必要ない
そのままプチっと電話が途切れた。
なんか、向こうの電波の調子悪くて切れちゃった
俺がそう言ったのに、樺っさんは首を振った。そうじゃないだろうと言っているのか、ただ俺が言ったことの相槌なのかよく分からない。ただ樺っさんの黒々とした瞳が、どこか困惑しているように思えたので。
どうかしたの、樺っさん
俺は言う。言ったところで返事なんて返ってきやしないものだと思っていたのに。
分かりません
俺は驚く。樺っさんの言葉がきちんと返ってきたのは久々だから。
分からないって、何が?
樺っさんはもう何も言わなかった。俺が聞いても何も答えず、何もなかったような、いつもと変わらないありようで。俺に一礼するとすたすたと歩き去ってしまった。
樺っさん
俺が呼ぶと止まって振り向く。俺は何を言おうか迷ったが結局、また明日と手を振るしかなかった。樺っさんは頷くと、また向きを変えて行ってしまった。
一人で歩いて行く樺っさんは、あんなに大きいのに、どこか悄然と寂しそうに見えた。それが見慣れない光景だったから、俺はそう思ったのだろうか。
樺っさんにはまだまだ謎が多い。
☆今年の三月に書いていたらしい・・・ネクタイは重要アイテムだね!というので思い出して発掘。この頃修学旅行は国内でいいやって思ってましたが今は是非上海に行かせたい(趣味)2年生をもっと書きたいもんですが・・・☆
2003年07月13日(日) |
Factory06(樺地・跡部) |
向こうの角まで。もう一本先まで。ずっと一緒に歩きたい。そういう気持ちになる時もあるのに。
もういい、かえせよ
跡部さんの伸ばした手に、背中の荷物を渡す。触れあった手ごと抓りあげるようにして、力をこめられ、でも何もしていないかのように跡部さんは平然としている。
時々、意地が悪い。気まぐれで、いきなり勝手な事を言う。苛立ちをぶつけられる。力をふるう。どこへでも連れて行こうとする。
たった1年生まれたのが違うだけで、先輩というのはこういうものなのかなと思ったりするけれど。
嫌なら嫌と言えばいいと、手を振り払って逃げ出せばいいと、跡部さんは言う。
そうして欲しいみたいに言うので、そうしないでおく事に決めたのだ。
なんとか言えって、樺地
片方だけ唇をゆがめるようにして言う。
その声は涼しい風みたいに吹き付けてくるので、いつまでも黙り続ける。黙っていれば、また風が起こるだろう。
その風を待ってみる。
それを失くしたんだと言う人の制服シャツの片袖がだらりと力なく垂れ下がっている。
なぁ失くしちまったんだ、どこかに。お前探して来い、樺地
片頬を引き攣らせるように浮かべた意地の悪い微笑み。
あぁやれやれ。困ったものだ。
そんなもの見つかるわけない。だいたい右腕なんてどこにどうすれば落とせるんだ。言い返そうにも喉笛が目に見えない何かにぎりぎりと締め付けられて、うまく声がだせない。浮かんできた言葉をうまく拾えない。だから黙って頷いた。
街の隅々を歩き、探して
街を越えて、探して
街を出て、探して
山も海も空も探したけどありませんでした。
そもそもないのかもしれない。なにもかも。あの人だっていなかったのかも。太陽がのぼっておちて、月がみちてかけて、どこをさまよっても戻れるように地球は丸くなっているので、やがて辿り着いたそこに、幻でもなんでもなくある姿。
なんだ見つけられなかったのか、役に立たねぇなぁお前は
もうずっと前から欠けて、損なわれていた人が投げつけた言葉の石つぶてが転がってゆく。
仕方がない、貰うぜ
残った左手に腕をつかまれる。強くしびれるように握られて、引っ張られて、その場に張り付いたように足も身体も動かず、みしみしと腕だけが引っ張られ、痛みもなく叫びもなく、めりめりと肩から腕が裂ける。身体をつたい足の上を滑り、したたり落ちる紅だけがこの世界に残された色。
あぁこれだ、これだ
欠けた腕の跡に押し当てて言う人の口がへんに曲がる
これは俺のものだ。そもそもがそうだった。それなのに
瞳から目を背けられない。暗い色。黒く、黒く、底の知れない深い淵。
それなのにお前は
深い淵の底で誰かが火を灯している。そうでなければこんなにも輝くものか。その眼球の上に盛り上がってゆく水分がぐんぐん広がる紅に滴り落ち混じり合う瞬間を黙って見つめる。
目を覚ます。薄墨のような暗がりが周囲に漂う。
まだそんな時刻であるらしい。身体の下に敷いていた腕を解放すると圧迫されていた血流がじわじわとひろがりしびれが拡散する。夢の中で引きちぎられた腕を動かす。俺が引きちぎった、俺の姿をした者に壊された腕。
俺の姿をした者を見つめる俺が内にいるあいつ。
あんな風に見えているのだろうか。俺は。
たかが夢。だからなんだっていうんだ。夢が物語るものなど信じるものか、この俺が。
2003年07月11日(金) |
Factory04(鳳・日吉) |
眉間にシワをよせた鳳は、昔、上の兄が隣の家で飼っていた真っ白な紀州犬に太いマジックで眉毛を落書きしたような、あんな感じ。
面白すぎる。
面白すぎて俺は笑ってやりたい。似合わねぇと言ってやりたい。でも笑わないし言ってもやらない。
「高校ってさ、ベストの色が一色増えるんだって」
俺は声に出さず、でも聞いてやってるんだって風に曖昧に頷いてやる。
「高校ってさ、ネクタイが三つあって好きなの選べるんだって」
俺はまたふーんと聞き流す。そうしているように見せる。
「ずっとそんな事ばっかり俺に話すんだ、あの人」
あぁそうですかと俺は心の中で返す。
「なぁ、そんなに高校って楽しいものなのかなぁ、日吉」
俺に聞くな。そんなおかしな顔つきで俺を見下ろすな。
俺の名前を取ってつけたみたいに最後に呟くな。
「俺さぁ、どうしてもっと早く生まれられなかったのかなぁ」
保健体育の授業で寝てたのか。理科の授業も寝てたのか。
夢みたいなことばっかり口に出して、答えようもない事を言う。
答えなんかいらないからそういう事を言うんだろうか。
求められていない答えを考えてやるほど俺は親切じゃない。
こいつにそんなことしてやる筋合いだってないのに。
「どうしよう、俺」
そうして鳳が俺を見る。俺じゃない誰かに本当なら向けられる目。
そんな風に見んな。俺じゃないものを今ここに見るな。
鳳、お前、悩んだフリすればするほど間抜け面だな
俺は馬鹿にしたように聞こえるだろう声で鳳の眉間を指でぐりぐり押して伸ばす。
「やめろよぉ」
鳳が俺の手を払う。
「真面目に聞けよ」
なんで俺が?
「だって」
口ごもるなよ。目を背けるな。途方にくれてるみたいになるな。
「だってさぁ、お前は」
俺は次に出てくる言葉が何か知っている。
それでも肩に少しだけ力が入り、身構えてしまう。
早く言えよ。分かってるんだ。イライラする。
2003年07月10日(木) |
Factory03(樺地・跡部) |
備品の点検に日誌の記入に戸締り。跡部がいつものような部長としての雑用を終える頃には、部室に残っているのは彼と樺地だけになっていた。秋の陽射しは傾くのが早く、ほの暗さを増してゆく部屋で帰り支度をしていると、明かりを付けようと樺地が壁のスイッチに手をかけるのが見えた。
必要ない、樺地。もう終わるから
跡部の言葉に、樺地はいつものような短い返事をして従う。
お前いつも早いな、着替えんの
ロッカーの扉の裏についているフックにひっかけていたネクタイを手に取り、跡部は後ろを向く。ずらりと並ぶロッカーとロッカーの間におかれたベンチに腰掛けている樺地は小さく頭を動かす。彼の言葉に頷くでも頭を振るでもない曖昧さで。その膝の上に、跡部はネクタイを落とした。
やってくれ
跡部は昂然と頭をそらす。樺地は躊躇いもせず、その手に持ったネクタイを彼の首に巻き、彼が開け放していたシャツの第一ボタンを丁寧にかけ、彼の方へかがみこむようにしてネクタイを結ぶ。その手つきは手早く無駄がなく手馴れたものだった。
最後に跡部のシャツの襟を整え、後ろに下がろうとした樺地のネクタイを、跡部はいきなり強く引っ張る。引き寄せた唇を、そのまま捕らえた。
よろけた樺地が彼の開け放したままのロッカーの扉に片手をつき、大きな金属音があたりに響く。
樺地の頭を押さえつけるようにして両手で挟み、乾いた唇を吸い、離れ、またその唇を塞ぐ。跡部の耳に聞こえるのは、樺地が手を置いた扉のたてる音、彼が樺地に触れる音、彼の息が乱れる音、それだけだ。
跡部の腕が樺地をようやく解放する。彼の前で姿勢を真っ直ぐにした樺地の唇は彼の蹂躙でぬめぬめと忌まわしく光っている。
なぁこれっておかしいだろ
跡部は樺地の瞳をさぐるように見ながら呟く。
そう思うだろ、樺地
しかし彼の前に立つ人は、その言葉を否定も肯定もせず、返答もせず、ただ穏やかな海のような眼差しを彼に注ぐだけだ。
俺は
言いかけて、跡部は口を閉ざす。何を言えばいいのか、何が言いたいのか、言ったら何が起こるのか。
彼は唇をぎりぎりと噛み締め、後ろ手に回した手でロッカーの中のバッグを取り、樺地の足元に無造作に投げる。
拾え、樺地
樺地はいつものように、何事もなかったかのように、返事をすると彼のバッグを手に取る。いつものように、なにごともなかったかのように、跡部はシャツの上からセーターを着て、上着を羽織ると、ロッカーを叩きつけるように閉めた。いつもと違うのは、樺地の手から自分のバッグを奪うようにもぎ取り、自分の肩にかけたこと。
ここ閉めて、鍵、預けに行ってこい
そう言って跡部は部室を先に出る。後ろを振り返らないように、前ばかり見つめて歩く。
畜生
吐き出した言葉は、声が裏返って、他人の口から出たような幼い響きに苛立ちを覚える。
俺だって訳分かんねぇよ
跡部は丸めた拳で唇を塞ぐ。あふれてくる何かをそこで堰き止めるように。
☆シンコちゃん(@飲酒)の一冊目の本のゲストに書いたら郵便が間に合わなかったという事の顛末のあった話。そのままお蔵入りにして良かったかも・・・まだ一定していない樺跡観☆
2003年07月09日(水) |
Factory02(鳳・宍戸) |
黒と白の絵の具をよく混ぜないまま塗りたくったような空から、あとからあとから降り注いでくる雨の雫は半ば凍り、風に舞って、停留所の屋根に遮られているはずの宍戸の頭や制服にも容赦なく落ちてくる。
その一滴一滴のかけらがシャーベットのようで、屋根の下から外に出て、マフラーにうずめていた顔をあげて空に向かって口を開けると、止めた方がいいですよと傍らの鳳が言った。
「だって、宍戸さん、雨水飲みます?同じことですよ、それ」
あわてて閉じた口の中に舞いこんだ冷たい破片はもう溶けてしまっている。
「東京の空気からできた雲ですよ、ヤバイですって。授業でやりませんでした?汚染された雨とかなんとか。」
そう言って面白がっている姿も腹立たしく、鳳に向かってゲーゲー吐く真似をしてみせると、うわっと叫んで後ろに退った鳳の身体が変に傾いで、次の瞬間ストン滑って地に沈んでいた。
「うわ、バカだバカ」
宍戸は手を叩いて笑う。滑った拍子に打った尻の辺りを押さえながら恨めしそうに見上げている鳳の姿に、宍戸の笑いはますます止まらない。
「早く立て、バカトリ」
「ひどいよなぁ宍戸さん」
言いながら鳳の腕を取って起こしてやろうとすると、鳳の手の方が素早く宍戸の手を捉えていた。
「うわ、すっげぇ冷たい手」
「うるせぇ。じゃ、一人で立てよ」
鳳の手を振り払い、宍戸は両手を丸めて上着のポケットに入れる。
「冷たいなぁ宍戸さん、手も心も」
転んだ拍子についた手を揉みながら鳳が呟く。
「ボヤくなバカ」
「なんでそういちいちバカって言うんですか」
「本当のことだろ」
ひどいなぁと鳳が口を曲げる。その様子もおかしくて緩む口元を宍戸はマフラーにうずめる。
「寒いですか?」
宍戸の顔をのぞきこむようにして鳳が尋ねる。
「当たり前のこと聞くなよバカ」
「バカはもういいですから」
何かを企んでいるような笑みを浮かべて鳳が言う。
「ちょっ、こうやって、手出してみてください」
「はぁ?」
宍戸は不審な面持ちで鳳を見上げる。
「なんもしませんよ。ちょっとだけ」
宍戸はしぶしぶとポケットに入れても一向に温まらない、冷えた手を出して前にかざす。その手を鳳の手がいきなり包み込む。
「人間手袋」
どうですか、温かいでしょ俺の手、と悪びれもせず笑う鳳の足を踏みつける。熱帯の鳥の鳴き声みたいな叫びをあげて、鳳は足を押さえてうずくまる。
「痛いじゃないですか」
「ふざけるからだ」
「わぁ足折れた、足折れた」
「じゃあそこでくたばれ」
吐き捨てるように言って、もう一度ポケットに両手を戻す。ひとしきりうめいた後で、うずくまった姿勢のまま、鳳が宍戸さんと呼びかける。
「なんだよ」
「絶対これ以上なんにもしませんから」
「あったりまえだろ」
「誰か他に人来たら、即行やめますから」
「だから」
鳳が両手を伸ばす。宍戸は深くため息をついて片手を差し出してやる。その手を取って鳳が立ち上がる。
「片手だけでいいっすか」
「その口、こうしてやろうか」
空いてる手で鳳の頬をつねると、もう分かりましたというような事をフガフガと喚いた。離した手を宍戸はポケットに滑り込ませる。もう一方の手は鳳の手の中にあって奇妙に温かく、身体の片側だけに覚えている違和感が苦しくて、その居心地の悪さから目をそらす。
「早くバス来ねぇかなぁ」
「宍戸さん、どうしてそういうこと言うんですか」
「本心だから」
つめたいなぁと鳳が呟いている。宍戸は耳も貸さない。鳳の方も見ない。見たら負けだと思うから。何に負けるのか分からないけど、負けるのは大嫌いだ。
片手を預けたまま屋根の下から顔を出す。宍戸さん、何してるんですかと声がする。バスの姿はまだ見えない。舞い散る霙が顔に当たり、宍戸は唇に触れたそれを舌で絡め取る。無味無臭の毒、かもしれないものを口に含む。この汚染された冷たいものが、片側から伝わる熱も、胸に宿る熱も、全部冷やしてしまえばいいのに。
バスの姿はまだ見えず、宍戸はじりじりしながらこの全てから逃れるのを待っている。
☆当時、生まれて始めて書いた鳳宍☆
2003年07月08日(火) |
Factory01(不二・跡部 キリリク) |
「久しぶりだね」
跡部よりも小柄な少年は穏やか笑顔を浮かべている。その笑顔が彼の心をそのまま映すものでなく、それほど内面が柔和でない事も、跡部は知っていた。
「そう久しぶりでもないと思うが」
この夏、跡部の学校はこの少年の学校、青学と都大会の決勝で対戦していた。
「ここで、は久しぶりだから」
不二は掌を上にむけて周囲を差すように示す。
確かに跡部も図書館に来るのは久しぶりだった。しかし、それまでも頻繁に来ていたわけではない。どこの誰が触っているか分からない本よりは、自分で買う方を跡部は好んでいた。
「本を読む余裕ができたってわけ?」
「それぐらいの余裕はいつだってある」
「あぁ、そう」
君ならそう言うと思ったといわんばかりに、不二はわざとらしく肩を竦めて見せた。
小学生の頃から不二とは10歳以下のジュニアの試合でよく顔を合わせていた。跡部も認めざるを得ないほどの実力があるのに、あの頃の不二には試合の途中でラケットを放り出して「帰る」と言い出す気まぐれさがあった。しかも負け試合ならともかく、勝ち試合の途中で、だ。
勝負を途中で投げ出すその気性が、跡部には子供っぽく見えて内心軽蔑していたものだった。
ある時そんな不二と、とうとう対戦する事になった。
「逃げ出すなら今のうちだぜ」
試合前に跡部が言うと、不二はきょとんと目を丸くして、小首を傾げ「逃げるって?」と訊き返した。
「お前よく試合の途中で帰っちまうだろう。だったら今のうちに棄権しとけ。どうせ泣いて帰る事になるんだしな」
跡部の言葉に挑発されるでもなく、不二はへぇと声をあげてクスクス笑い出した。
「僕ってそういうイメージなんだ。ふーん」
手にしたラケットの柄を掌の上でくるくる滑らしながら、彼はますます目を細める。
「認めるのか」
「僕は退屈なのが嫌いなだけ。飽きっぽいしね、わりと。まぁ人が何を思おうが関係ないけど」
不二が跡部をまっすぐ見上げる。見開かれた瞳は、冬の空に浮かぶ星のように凍てつく光に満ちていた。
「馬鹿にされるのはあまり好きじゃない」
「されて当然の事をしてるんじゃねぇの、試合放棄なんて」
溜息のように不二が深い息を吐く。
「君とは退屈しない試合ができるかもね」
「安心しろ、そんな暇ねぇから」
不二が笑う。さっきとはうって変わった敵意の塊みたいな冷たい微笑みで。そうでなくては。跡部も心から湧き上がる楽しさを押し隠すようにニヤリと笑って見せた。
「今日は何を借りに来たの?」
不二はそう言うと、跡部が脇に抱えた本を覗き込んできた。跡部は読んでいる本を知られるのが好きではない。読みたい本、好きな本、読んでいる本を知られるのは、自分の内面を知られるのと同じような気がしてならないからだ。
けれど、不二相手にムキになるのもバカバカしく、跡部は背表紙が見えるように本をかざして見せた。
「『剣と絵筆』?」
タイトルを読んだ不二は、跡部の手から自然に本を奪い取る。自然すぎて抵抗する暇もなかった。
「児童文学?ファンタジー?」
パラパラとページをめくりながら不二が訊ねる。
「14世紀のイングランドの話」
ムッとした気持ちそのままに、ぶっきらぼうに跡部は答える。
「古い本だね」
「あぁ」
「前にも読んでなかった?」
跡部は曖昧に頷く。
武門の家に生まれながら生来の気弱さで僧院に送られた少年が、騎士を志して脱走することから始まる波乱に富んだこの物語は、ごく小さい頃、祖母が跡部に与えてくれた本でもあった。大事にしていたはずなのに、持っていた本はその後の転居の際にどこかに失われ、この図書館にあると分かって以来、読みたくなると跡部はここに来ていた。今もこの本を読んでいると、それを読み上げてくれる祖母の声が跡部の耳にくっきりと甦ってくるようだった。
不二とこの図書館で再会した時も、もしかしたら自分はこの本を抱えていたのかもしれない。どうでもいい事を覚えていやがると跡部は口に出さず、心の中で呟いた。
「よっぽど面白いんだね」
跡部に返しながら不二が言った。
「お前は」
不二の問うような言葉を避けるように跡部は質問し返す。不二はためらいもなく、跡部に手に持った本を見せる。
「『狼が来た、城へ逃げろ』?」
「ここの図書館の閉架図書にあったんだ。いいね、ここは。蔵書が多くて」
それこそが不二の足をこの図書館に向けさせる原因らしい。うちの近所の図書館は僕が読みたいものはあまり入らないんだと以前ここで会った時に言っていた。生まれるよりずっと前に発行された古い本を跡部は返す。
「面白いよ」
不二は踵を返して、並ぶ本棚の列へ入っていった。
最初で、今のところ最後の対戦となっているあの時の試合は、雨のために途中で中止となってしまった。周囲の大人が彼らの両手を押さえつけるようにして止めさせなければ、雨だろうが雷がなろうが、跡部は止めなかっただろう。たぶん不二も。
コートから引き剥がされるように腕をつかまれて去りながら、跡部は不二の顔から笑顔が消え、あの目だけが冴え冴えと瞬くのを見て、きっと自分も今あんな顔をしているのだろうと思った。隙を見せた方が食いつかれ、切り裂かれ、命を絶たれる、そんな試合を同じ歳の少年とできるとは思わなかった。
いずれ彼とは戦えるだろう、そう思っていたのに機会はなかなか巡ってこなかった。
「君の試合、僕も見たよ。うちの学校の対戦相手だったから」
中一だった去年、この図書館で不二と出会ったのも都大会の後のことだった。
「お前、なんで出てなかった」
思わず詰問めいた口調になる。
「いろいろあってね、うちの部には」
不二の通う学校のテニス部は、1年の夏までどんなに実力があってもレギュラーになれない決まりがあると聞いた。実力より年功序列が横行する、そんなことだから、あんなつまらない試合しかできない奴が出てきたのだろう。
「くだらねぇ」
不快さを吐き捨てるように口にした言葉は、嘲りの色が強く映る。息の根を止めるように叩きのめした相手など、最初から跡部の目に入ってなかった。今、目の前に立つこの少年、そうでなければ、観客席で静まり返る相手校の応援の輪の中にたたずみ、一際冷静な視線を向けていた眼鏡の少年こそが、目の前にいるはずだったのに。
「くだらないね、本当に」
不二が肩を竦める。
「なんで無理にそんな部にいるんだ」
不二のような人間はむしろスクールで好きなようにやりながらランキングでも目指せばいい。跡部はそう思いながら、自分も同じような事を他人に言われた事を思い出した。部活という狭い枠組みや奇妙な規律が支配する世界より、スクールで練習を積み、ランキング上位を目指したほうが、世界へ近づくと言われたことがあった。
「ちょっと面白い事があるから」
不二はそれ以上何も言わなかったが、彼が何を面白いと思っているのか、分かったような気がした。
いまだ跡部が対戦した事のない、天才とうたわれる少年、そんな存在が近くにいるのは、楽しいのだろうか。楽しいだろう、きっと。
戦うに値する存在がすぐ近くにある、その喜びに飽きることなどないかもしれない。
帰ろうとした間際に、不二が文庫の棚の前に立っているのを跡部は目にした。避けようにも、もうその通路に足を踏み入れていて、引くわけには行かずそのまま歩みを進める。人の気配に気がついたのか、振り向いた不二と目が合った。
「これ、読んだことある?」
気やすい口ぶりで、不二が手に持った本を跡部に見せる。
こんな風に言葉を交わすのも不思議な事だ。彼のような人間が自分の世界に介入してくるのは大会や試合の最中だけであるはずだ。こんな風に日常の中に滑り込んでくるなんて、どこか奇妙だ。なんて奇妙な事が起こっているんだろう。
「あぁ87分署シリーズか」
「あるの?」
不二の思いがけないといった反応が、跡部には少し楽しい。
「へぇ」
不二はパラパラとページをめくる。
「『警官嫌い』」
「え?」
「それが一作目」
跡部が指差した本を不二は手に取る。
「一作目から読まなきゃだめ?」
「シリーズってそういうもんじゃねぇの」
自分も全部読んでいるわけじゃないが、跡部はそう言ってみせた。
「長いんだよね、これ」
「生まれる前から続いているからな」
不二は軽く息を吐き、本を手挟む。
「勧められたのか?」
「いや。僕の知ってる奴が、エド・マクベインを好きなんだ」
「へぇ、それが理由か」
跡部の答えに不二がほんの少しだけ眉を寄せる。自分が何を言ったというのか。分からないが、不二もこんな顔をするのかと、跡部は愉快になる。
「エヴァン・ハンター名義のは読んでたから。こっちもね」
不二は元の穏やかな表情を取り戻すとそんな事を言った。少し言い訳めいて聞こえたのは気のせいだろうか。
「ところで、今日はいないんだ」
不二が話の流れを変えるように話し出す。
「ハァ?」
「さっきここでは久しぶりって言ったけど。僕、君たちの事はわりと見かけたんだ。目立つからね」
「何が」
「都大会の時にも一緒にいたね、あの大きい子。去年いなかったから、一年?」
樺地のことらしい。何を突然言い出すのだろう。跡部は内心首を捻りながら頷く。
「へぇ、もうあんなに大きいんだ。すごいね」
「あんまり言うな」
即座にそんな言葉を口にしていた。
「何が?」
何がと問われ、跡部は言わなければ良かったと思う。樺地の背の高さばかり言われる事が好きじゃない。そればかりどうして気にするのか、まず目に入る印象でしか判断しない周囲が分からない、ムカつく。たとえ樺地本人が気にしなくとも。
でもこの相手には言わなくてもいい事だった。
「いつも一緒にいるんじゃないの?」
跡部の言葉など気にする素振りもなく不二が言葉を続ける。
「いるわけねぇだろ」
「ふーん、そう。僕が君を見かけるときはいつも傍にいるようだけど」
「そんな訳ねぇだろ」
せいぜい部活の帰りや、試合の行き帰りぐらいだ。それ以外、樺地と顔をあわせる事などありえない。
「残念だね」
「何が?」
今度も不二は跡部の言葉を気にも留めず、目の前の本棚に視線を戻し、何かを探すようにさまよわせ、歩みを進めて、あぁあったと一冊の本を手に取ると、また跡部の前に戻ってきた。
「これ」
不二は有無を言わさぬ態度で、跡部に文庫本を手渡した。
「読んだことある?」
跡部は不二の思いがけない強引さに眉をひそめながら首を振る。
「スタインベックは、ねぇ」
「『二十日鼠と人間』、面白いよ。特に君には」
何かを企んでいるような笑顔を不二は浮かべる。
「何だ、それ」
「読むといい。じゃあ、また。関東大会で」
不二はひらひらと手を振るとさっさと貸し出しカウンターの方に歩いて行ってしまった。
「わけわからねぇ」
跡部は呆れたように呟き、押し付けられるように渡された本を棚に返そうとしたが、なぜか気が変わり、その場でページを開いた。
『サリダッドの南、二、三マイルのあたりで、サリーナス川は山の斜面のごく近くまで接近し、流れは深く、緑色をしている。流れが狭い淵に届くまでに、黄色い砂床の上を太陽の光を浴びながらきらきら輝いてすべっていくので、川の水も暖かい。』
切々と進む物語を追ううちに、跡部は不二がなぜ自分にこの物語を渡したのかが分かり、ムッとしたが、その頃にはもう、カリフォルニアの過酷な日常と友情の物語に心を離せなくなっていた。
「不二の奴・・・」
跡部は苦々しさに口を曲げながら貸し出しカウンターへ向かった。
全く、ムカつく奴だ、本当に。
☆いつもお世話になっているまえりさんのキリ番リクエスト「不二と図書館」に答えて☆
登場した作品は以下のものです。
『剣と絵筆』バーバラ・レオニ・ピカード(すぐ書房)
『狼が来た、城へ逃げろ』ジャン=パトリック・マンシェット(早川書房)
『警官嫌い』エド・マクベイン(早川書房)
(エド・マクベインとエヴァン・ハンターは同一人物)
『二十日鼠と人間』ジョン・スタインベック(新潮)
私の趣味が爆発してますがどれも面白いのでお勧め。
不二はノワール好きだといい。跡部はクリスティーとクイーンから入門。今はエリザベス・ジョージとレジナルド・ヒルが好きだといい。二人の話はコナン・ドイルと乱歩(少年探偵団のみ)と少年探偵ブラウン、そしてズッコケ三人組(子供は基本)あたりがリンク。
「二十日鼠と人間」に何故ムッとしたのかは読めば分かります・・・大きな人と小さな人の美しくも痛ましい物語。映画も最高
2003年07月07日(月) |
Factory00(開始案内) |
妄想工場始めました(まえりさんいつもありがとう)
NOVELとどう違うんだといえば、こちらは日々考えた事がそのまま投影される・・・かなというもので。
わりと話を書く時に自分の中の妄想時間軸にそって今までは書いていたりもしたんですが、そういうのがない事とか、ちょっと風合いがおかしなものだとか、まぁ自由にやろまいという案配・・・つまりなところは妄想工場ですよ!
なんだか自分で自分の首をギュッと抑えてしまった気もしないでもないが、「考えるな感じるんだ」「観る前に飛べ」アティチュードで邁進したい次第。
ではよろしくお願いします(NOVELも頑張るYO!)