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2001年08月28日(火) ようやく「天空の城ラピュタ」を観た!

 いやぁ。One of “観たいと当時から思っていたけど今まで観てない映画s“ の一つであった、「天空の城ラピュタ」を、やっと観た。これは、アニメファンだけでなく、多くの人が観ている作品だと思うので、ストーリーなどは書きませんね。何を書くかというと、主に、気に入ったセリフ。とか、シーン。

 最初に、シータが船に囚われの身となっているカットでは、思わず、「ラナーーーッ!」と、のび太、いえ、ファラ・フォーセットじゃなくて、コナンの小原さんの声で、心の中で叫んでました。(『未来少年コナン』も好きなので。つい・・・。)で、シータは、導かれるように、谷で働くパズーのもとに飛行石の力で舞い降りるのだけど、そのあとも何度もクロスオーバーし、「パズー!」って、叫んでるのに「コナーン!」って、思い出した。いつからかなぁ。慣れたよ。ちゃんと、田中真弓の声で「シータッ!」と叫び、横沢啓子さんの声で「パズー」と、ささやいたりしてました。

 悪いやつ、ムスカの声が俳優として主に活躍の寺田農さんで、びっくりしちゃった。あってたけど。軍を上手く操って実は自分もラピュタ帝国の末裔だったムスカ。それとは別に海賊(空なのに)ドーラ一家もお宝目当てにシータをねらってる。

 パズーの働く親方のもとに、二人で逃げ込んだ時、喧嘩が始まるかと思ったら、
親方「男ならゲンコツで通りな!」
 ドーラの息子は、上腕筋をムキムキさせて、シャツを破る。にやりと笑った親方、更に、ムキムキさせてシャツを破りまくる。君らは毎回Tシャツを破る、デビルマンか?!
おかみさんのセリフ「誰がそのシャツを縫うんだい?」いい間だねぇ。鷲尾真知子ぉ。

 そのすきに逃げるシータとパズー。謝るシータに
パズー「君が空から降りてきた時、ドキドキしたんだ。きっと素敵なことが始まったんだったって」
 地下の鉱山跡を通って逃げようとする二人にポムじいが出会う。(日本昔話の常田富士男)
ポムじい「子鬼じゃ、子鬼がおる。」いい味だよぉ。二人と気づかなかったんだね。二人と気づいてから、会話は進むのだが、二人の状況に
ポムじい「そりゃあ、豪儀だなぁ」
 いつも地下にいるの?って質問には、「石たちがさわぎおる。そういう時に下におるのが好きじゃ」、と答え、手持ちのランプを全て消す。じわーっと、地面が光りだす。光ごけのように。そして、天井壁も周囲も。まるで、満天の星のように。そして、手元の石をこつんと割りながら、
ポムじい「飛行石は空気に触れるとただの石にもどる。」
 恐る恐る、自分が先代から受け継いだペンダントにした飛行石を見せるシータ。これは、わしには強すぎるから、しまってくれという。飛行石を結晶化する方法を知っていたのはラピュタ人だけだと。そして
ポムじい「強い力のある石は、幸せにもするが、不幸にもする。」

 私が誰より気に入ったのは、ドーラ!!彼女は海賊だけど、三つ編みの痛快なばばぁ(愛情こめていってるのよ)だ。もう、アップのシーンの微妙な表情の変化は、さすがジブリ!よくぞここまで、っていうくらい、ドーラのいい表情を出してた。また、声を当ててたのが初井言榮という、テレビドラマや映画でもかなり強烈なばばぁ役の人。彼女達と行動をともにすることになるシータは叔母様、と呼び、パズーは叔母さんと呼ぶ、そうすると
ドーラ「船長とお呼び!!」って叫ぶのだ。ふふ。
 実は、手下のうち6人は息子で (ほんとの?)彼らからは「ママ」って呼ばれてるんだけどね。
シータが、ムスカに囚われた。帰ってきたパズーとの会話。
パズー「シータがそうしろって・・・」
ドーラ「それでのこのこ帰ってきたのかい?シータがそう言った?お前を助けるために脅かされてやったに違いないじゃないか?伊達に女を50年もやってんじゃないよ。泣かせるじゃないか。男を助けるためのつれない仕草。私の若い頃にそっくりだよ。」
平気で「当り前さね、海賊が財宝狙って、何故悪い?」って、いつも豪快で痛快なママ・ドーラ。息子の一人はつぶやく「ママのようになるの?あの子?」ならへん、ならへん・・・多分ね。
 シータを助けに戻る時も軍の要塞が、爆破されている。ラピュタから昔、降って来たロボットが、蘇り、シータを救おうとする。ぴこぴことしか物言わぬ彼の微妙な表情。最初は怖がっていたシータも身をまかせる。そこへ、ドーラ「女は度胸だ!お前達援護しな!」同乗していたパズーが、シータを抱きかかえる。

 ムスカの後を追い、ラピュタへ向かうドーラ一家と二人。
シータ「いいおまじないに力を与えるには、悪い言葉も必要だけど」それは言っちゃいけない、亡びの言葉とパズーに告げる。
 タイタニックがぱくったか?と思うシーンもありながら、ラピュタに着く。その時は乱気流のようなもので、二人だけで、屋上の庭園に着陸。飛ばされないようにくくった縄「うんときつく結んじゃったの」というシータを待ちきれずにそのまま抱きかかえ、庭園の見晴らしのいいところまで連れて行くパズー。そこには、園丁だった、ロボットの生き残りがまだ庭園やそこに住む小動物、鳥の世話をしていた。科学が進んでいた街が緑の楽園になっている、とつぶやくパズー。日渡早紀の漫画「ぼくの地球を守って」を思い出す。

 ムスカとの対峙シーン。
シータ「ラビュタが、何故滅んだのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の歌にあるのよ。土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては、生きられないのよ」 パズーの手に渡した飛行石をシータも握り、亡びのまじないを言う。ラピュタは崩れ落ちた。しかし、大きく根をはった、緑のラピュタが、二人を抱きかかえるように守ってくれた。二人は、グライダーで、そこを去る。最後の園丁が、仕事を忠実に守るのを見つめながら・・・。(10月オープンのジブリ美術館の屋上庭園には、彼が守り神としているらしい)

 そして、空の途中でドーラ達に会う。技師長が、飛行船が壊れたことを嘆くと(マシュー・カスバートの槐柳ニなの)ムスカに銃弾で、髪を切られたシータを抱きしめ
ドーラ「よく生きてたねぇ。(技師長に)めそめそするんじゃない。髪の毛を切られる方がよっぽどかわいそうだ。」でもちゃっかり、財宝は、身に持てる範囲で奪ってるんだけどね。あぁ、好きだったわ。ドーラ船長。いや、痛快ばばぁ。


2001年08月25日(土) 今日はアルフィーの誕生日

 今日は、アルフィー(今は、3人だけじゃないという意味もこめて THE ALFEE になってますけど)の今日と明日は、さいたまスーパーアリーナで恒例の夏イベントとともにお誕生日ライブでもあるわけです。

 めちゃめちゃマニアというわけではなく、一番アル中だったのは、(アルフィー中毒ね)高見沢さんが27歳の頃でしたか。そして、彼ら自身も、そんな日はまだ先だ、と思って作った曲に
「A.D.1999」という、歌がありました。
 ♪もしも この世に終わりが来て
  夢も語れない時代がきても
  おまえだけは 離さない
  愛する人は ただひとり Best Of My Love♪

 そういうサビの歌です。私は芝居やなんかに夢中になり、またアルフィーの音楽が、ぴったりしっくりこない、という時期でもあり、ちょっと離れてしまいました。でも、気にはしてたんだけどね。
 ところがあなた、気が付くと、西暦1999年が来てしまったじゃないですか?!しかも、春・秋とツアーがある中で、秋のツアーつまり、そのツアーのファイナルは、大阪で行われるのが、お決まりになっていたのです。あの頃あんなに好きだったのに、今、このツアーに参加しなきゃ、私の駆け抜けた熱い時代そのものが幻に終わってしまうんじゃないか?きっと後悔するに違いない!そう決意し、1999年、秋ツアーファイナルに参加。そして、結局それだけでは済まず、またアルフィー沼にはまって今に至るのでした。(もちろん、青春真っ只中!アルフィーしか見えてません!!)ていうときとは、はまり方、違うけど、「大人になったから」そういうのとは、また違う気がしています。(行ったら、我を忘れるし、高見沢のキーは何故か高くなってるし)

 99年の秋に発売されたアルバムに収録されている曲の幾つかは、私をあきらめるな!と、励ましてくれました。高見沢さんが、ほとんど全部の楽曲を作っていますが。その彼の言葉に『「あきらめる」と言うのは、何か負のイメージの、言葉のように思われがちだが、「明らかに見極める」という事です。』というのがある。道に迷っても、また選びなおせるほど、道は縦横無尽にあると。本当にやりたい事が見つかったら、続ける事が大切と。アルフィーも27年生。やりつづけて来たことが、今の自分たちの支えになっていると。

 そのアルバム「orb」に収録されている「希望の鐘が鳴る朝に」これは、再起した阪神タイガース
遠山投手のテーマソングに2年間使われました。
 ♪愚かなことは 目を伏せて何もしないこと
  傷つくのを恐れ 大切な愛を見失う♪
 ♪暗闇を手探りで夜明け求め彷徨う
  迷路のような毎日を抜け出す勇気が欲しい♪
 ♪負け続けた日々と泣き明かした夜を重ね
  素直に生きることは傷つくことだと知る♪

 ♪いつまでも君でいるため 明日をあきらめてはいけない
  変わらない君でいるため 孤独に負けないで 自分に勝つために!♪

 そして、彼ら自身の今まででもあると、語って歌いだす「From The Past To The Future」
 ♪もしもあの日に戻れたとしても 同じ道を辿ったことだろう♪
 ♪泣かないで現在を君はあきらめてはいけない
  どんなに辛くても 淋しくても♪

 もう1曲が「The Way」これを、ライブの最後にアカペラでサビの部分を歌い上げるんだよねぇ。
 ♪自分の道を信じて 幸せは側にある
  闘う君の胸にはいつも 明日への希望がある
 だから今日(いま)を・・・あきらめないで〜ぇ〜♪

 応援歌というのかなぁ。どうなんだろう。アルフィーのファンはそのままずーっとファンでいる人と、そうでない人がいるけど、中には、親が聴いていてという子や、自分から聴き始めた分岐点にさしかかってる高校生や大学生も多い。だから、こういう歌がちょっと多くなってしまっているのかもしれない。ぎりぎり頑張ってる時に、「まだ頑張れって?」「もうダメだよ」と、かえって辛くなる事もあるけれど、若者には、こういうメッセージ色のある歌がやっぱり、今でも必要なんじゃないかと思ったりもする。若者ではないけど、私にも要る。

 そうして迎えた、お誕生日。イベントは盛況だったろうか。シングルを発表した。「Juliet」アニメの主題歌らしいけど、これがまた、アレンジと歌詞の内容が、バラバラなのまで可愛い。
 スッゴイストレート♪君が好きさ 大好きさ 世界中の誰よりも君が好きさ♪こういうふうに、素直に好き好き、言う歌もいいかもしれないね。アルフィーさん。高見沢さんの剥離骨折もようやくよくなったのか、間奏では、はりきっています。9月にはアルバムも出るそうで・・・。運がよければ、もっちゃんは10月中にライブに行けます。また、パワーもらいにいかなくっちゃ。(さださんとはまた別の種類のネ。でも、この二組(?)は、仲良くて、ミュージックフェアに加山雄三さんと、さだまさしさんとアルフィーという、もっちゃん、予想だにしなかった、夢の共演もしているのさ)


2001年08月23日(木) 「氷点01」/「ストレートニュース」/ケリー・ウィーバー

 何の繋がりが?それより何?誰?→ 「氷点01」は、原作三浦綾子のドラマのリメイク。「ストレートニュース」は、三上博史主演の報道を問う形となった、去年のドラマ(関西では再放送中)。ケリー・ウィーバーは、ERという海外緊急救命ドラマのER部長の名前。

 「氷点01」の私としての見所は、「で、最後はどないなんねん」というのと、バイプレイヤー、戸田恵子、益岡徹。ただ、「昔はどうやったっけ?確か新珠三千代が出てたような・・・」という、家族揃って曖昧なため、見ているのを、つい一緒に見ている状態。つい、なのに、見ていて、私は、考えてしまうのですよ。親子って?
そして、特異な状況で養子をもらった三上の「S.N.」と、養子として育ったERのウィーバーを思い出してしまう。

 「氷点01」は、15年前、浅野ゆう子、三浦友和夫妻の愛娘ルリコ(役名)が、行方不明となり、死体で発見される事から始まる。「女の子が欲しい」と、泣く妻に、夫は、女の子を乳児員から養子にもらう。15年間、彼女、陽子(役名)は、愛情に包まれ(リッチな病院一家だし)何の苦労も知らず、太陽のように明るく育つ。しかし、封印されるべき真相を、三浦が、不注意から、もう一人の真相を知る益岡に未送信メールという形で、院長室に残したことが、悲劇の幕をきる。妻の不倫を疑う相手、吉田栄作を、何も知らない前院長が病院に呼び戻した為、三浦は動揺したようだ。実は、陽子は、当時、益岡にルリコ殺害犯には女児がいた、と告げられたことで、ひきとったのだ。未送信メールには三浦の思いが綴られていた。「私は陽子を愛するためにひきとったわけではない。犯人の子とも知らず陽子を育てた妻が、真実を知ったときの顔が見たかった」なんという恐ろしい復讐だろう。妻への疑い(ルリコが行方不明になったのは、妻が吉田と会っていたから)は今も消えない。許すこともない。だが、彼は真実を知りながら陽子と接し、父としての愛情が生まれているように思われる。
 そのメールを吉田が、送信する。吉田も、愛する人を本当に守れるのは自分だと屈折した思いを浅野に抱き続けてきたのだ。浅野はそのメールを見る。そして、その一瞬から陽子を愛する事が出来なくなるのだ。憎しみが勝ち、階段から突き落としたこともある。
 1話のはじめだかに、浅野が言う、「私の心の中には氷点がある。それは、沸点と同じ事だ。」愛情の深さが憎しみに変わった時・・・。しかし、いくら3歳の娘の命を奪った男の娘だとしても、それまでの15年間の愛情は?全く、ルリコの替わりの人形をあてがわれたように、愛情を注ぐ親子ごっこをしていたのか?現実を知れば、確かに正気ではいられない真実だ。何故我が子を殺した男の娘を?と。だが、それに、打ち勝つべき15年はないのか?もちろん、これは、ただ、現実を知ったというよりは、不義を疑う夫の愛情への猜疑心。夫をまだ愛するが故の、憎しみが、陽子に向けられているのかもしれないが・・・。実子でない、という事実は、知ってしまった陽子。「本当の親にも捨てられ、陽子にはもうみんなしかいない。今、またお母様に捨てられたら陽子は・・・」

 「S.N.」は、若かった頃、スクープ欲しさに、三上が報道で煽ったばかりに、実は無罪だった男を獄中で自殺させてしまった。男の家族は過剰な報道とそれを真実と信じる周囲の冷たい視線に耐え切れず、一家心中を図る。三上が、これは冤罪かも、と思った時には遅かった。その時、一人生き残った赤ん坊を、子供のできない妻と相談し、養子にもらって育てる事、守る事、そして、報道とは?本当の真実を伝える事とは?それを、任されたニュース番組をつくりながら、強引に見つけていくというストーリーだ。黒沢優が、娘役であったが、もちろん彼女は何も知らない。しかし、海外戦線の報道にいた三上は母の死に目にも間に合わなかった。彼女の中で、父は家族より、つまり自分より報道のほうが大切なのではという疑心暗鬼にとらわれている。色々な事件の報道を重ねるごとに、視聴率低迷で、うちきられるはずだった番組が生き返る。そしてスタッフの真実を追いかける姿勢も生き返る。そして、事件の関連で、優が実子でなく、殺人犯の娘を何故か、それをスクープした三上が引き取っている事が暴かれていく。
 うまく愛情を表わせなかっただけで、三上は優を本当に娘と思い愛していた。責任感からだけではない。それだけの歳月が親子にしていたのだ。そして優が、殺人犯の娘でいることがいつかわかった日の為に冤罪事件に仕立て上げた検察などを追うために、日本に帰ってきたのだ。本当の父が別にいたことがわかったとして、彼が、死に追いやってしまった憎むべき相手になるかもしれないのを承知で、彼女を殺人犯の娘にしておかないために。しかし、優には、実はどちらでもよかった。知った時にはショックだったが、実は、彼女にとって必要だったのは、亡くなった、実父が冤罪かどうか、自殺させるほど追い詰めたのが今の父であるかどうか、それよりも今、目の前にいる三上という男が、いつまでも自分の父でいてくれるかどうか、事件が解決したら捨てられるのか?今までどおり父でいてくれるのかどうか、それが一大事だったのだ。(もちろん二人は親子でい続ける)

 ERのウィーバーは、上昇志向の強い、しかも技術も高く、スタッフを律する力もある、強い、時には嫌味な上司として描かれている。しかし、彼女にも悩みがあった。育ての親が亡くなった時から、彼女は本当の親探しをしていた。彼女は知りたかったのだ。彼女の足が不自由でなかったら、自分は捨てられずに済んだのかを。実は、全てのエピソードを見ていないので、彼女がその後それを突き止めたのかどうか、私は知らない。規律や規則に厳しいウィーバーは、子供の命を守るためにそれを破る小児ERのダグの、敵のような存在だった。彼女は、相変わらず、規則や法律に沿う医療現場を守るために、非情な決断を下す。その彼女が、あるケースで養子の親権は得られないが、その子供と数年暮らし、心から愛している親の希望で、自分では気持ちを他人には伝えられない状態になっているその子供のために、親権を管理している人間と連絡をつける。高額医療は必要ないと、その子供に会った事もない管理者に断られたが、延命処置をした。結果、自宅謹慎になるのだが。

 養子、といういキーワードで、私の頭の中でこの3つがリンクしたのかもしれない。誰かに捨てられる。特に、親に捨てられたと思って生きなければならない子供は、その時点で希望が足りない気がする。その後、別の親に「捨てられない」、愛する人にめぐり合って「捨てられない」自信が持てるまで。彼らはいったい幾つの葛藤を乗り越えなければならないのか。


2001年08月22日(水) 飛ぶ夢をしばらく見ない〜希望が失速したら・・・

 時々、この言葉が口を突いて出る。「飛ぶ夢をしばらく見ない」
  
 それは、たいてい、心にエアポケットができたときだ。

 「飛ぶ夢をしばらく見ない」
 これは、原作:山田太一 脚本・監督:須川栄三 出演:細川俊之・石田えり他
 90年公開の映画のタイトル。原作は、85年に小説新潮で発表。

もう11年前か。不思議な映画だった。観るつもりは全然なかった。映画の日で、シュワちゃんの映画を観るはずだった。ところが、スゴク並んでいて、並ぶの嫌いな私はさっさとあきらめた。並んでる間に2本観れるやん!と。せっかく映画の日で半額やねんで!と。なぜこういう口調かと言うと、そう言って確か友達に違う映画を観る気にさせたのだ。「そうやな」ということで、本屋へ行って、情報誌で、上映時間と場所の都合のいいものを探した。3本ほど候補があった中で、タイトルに興味を惹かれ、これにしたのだ。2本観る勢いだったのが、観終った後、友達が、「気持ち悪い気がする」と言ったので、よく知らない映画を、幾ら半額の日だからといって2本、観ないと損!という関西人にありがちな気持ちにしがみつくこともないだろうと、お茶をした。そういう記憶がある映画だ。
何故、彼女が気持ち悪がったのか、少しわかる気がする。とにかく不思議な映画だった。そして、私はというと、とても切なくなったのだ。家に帰っても、それから数日も、なんだか、その映画のことを考えると、切なくて仕方がなかった。そして、未だに、ふと、やりきれないような思いになったり、ぽっかり心に穴ができてしまったような気持ちになったりした時に、ふと「飛ぶ夢をしばらく見ない」と、思ってしまう。

ここに書くのには、あまりに曖昧な記憶なのでサーチしたけど、検索ベタな私には、上記の情報しか得られなかった。改めて、へぇ、山田太一さんの小説なんだ・・・。だからと言って、多分読まないだろうけれど。鮮烈に覚えているのは、石田えりの演技と細川俊之の虚しい表情だ(これも演技だけど)。

(私の覚えている)物語は、細川演じる男が、勤めていた会社からも、家族からも見捨てられたような状態であったこと。偶然、彼は、入院先で隣のカーテンの向こうに寝ていた初老の未亡人と、カーテン越しに、不思議な会話だけで、悦楽に至るという、経験をする。その後、彼は、住宅展示場の勤務になり、そこに寝泊りする。そして、そこで、女に会う。年齢は覚えていない。既に男より若かったか、男くらいであったか。どの時点で、彼に彼女が、この信じがたい現実を話したのかも、どの年齢の彼女と、彼は愛し合うようになるのかも、忘れてしまった。男が出会った初老の女、その後会う女、それは全て同一人物、石田えりだったのだ。どんどん、会うたびに若返っている彼女。石田えりの、丁度彼女と実年齢の頃を、確か赤いドレスか何かを翻しまわってみせる姿が美しかった。これから、どんどん逆に歳を取っていく、取られていくと言うのだろうか、そういう状況を抱えている人には見えなかった。
ついに子供になった。(いくらなんでも石田えりでは無理やね)男が、少女をお風呂に入れてやるシーンがある。一種ロリコンともとれる。しかし、私には、イヤラシク映らなかった。親子にも見えないのだが、彼はあくまでも愛する女を慈しむように風呂に入れてやっているように、見えた。原因はなんだったかも、原因不明だったかも忘れてしまった。最後は細胞に戻ることを承知した彼女。最初は恐れていただろうか。ある時から、潔くなった気がする。姿を若返らせて登場する女を、同一と信じ、とてつもない真実を受け入れる男。そして、最後は、赤ん坊になった女を、彼は、ベビーカーの中に入れるのだ。最期まで見ている、それを望んだ男に、それを望まなかった女の意思を尊重したのだ。つまり、誰にも気づかれず、彼女は細胞に戻り、どうなったのか?彼女との非現実的な日々にこそ生きがいを感じた男は、その後どうしたのか?

ファンタスティックなタッチの映像でもなく、友達が気持ち悪くなったのもだから、わからないでもない。でも、私は、「時は止まってくれない」がゆえ、カップルが別れなければならなかったり、一時は引き裂かれ、再会を果たしても、時を取り戻す事ができなかったりする物語を映画や、ドラマで観たことはある。時を逆行する女を失う男。そして、記憶を失っていきながら、細胞に戻っていく女。この不可思議な物語を、時々思い出さずにはいられない。

確か、物語の始めか、最後に男が言うのだ「そういえば、飛ぶ夢をしばらく見ない・・・」私は、飛ぶ夢が見たいわけではない。そう頻繁に見るわけでもない。気持ちいいい飛行の夢を見た記憶もない。たいていは、それは一瞬で、じたばた飛び、誰かに追いかけられ、追いつかれそうになる夢を見ていたからだ。だけど、こんな気分の時には、ふと思う。「飛ぶ夢をしばらく見ない」・・・。

この場合、私にとって「飛ぶ夢」というのは、何か、期待や希望を意味するのかもしれない。このたび、そう思った。人生は、思い通りにはいかない。人が関わるとなお更だ。誰も誰の人生も思い通りにはできない。社会で生きていて、自分だけの人生と言うのはありえない。誰かと交錯している。
時に、悪意に満ちた言葉に傷つけられもする。そして、失望する。ひどい時は絶望に近い。自分の選んだ道を生きながら、良かれと思ったことが、時として、他者の反感を買うこともある。そして、直接ではなく、間接的に中傷されることもある。直接より痛い。襲ってくる猜疑心。なかなか、ウタレヤスイ私は、ひきずってしまう。「人は人、私は私」そうは、考えても落ち込むものだ。そしてまた思う。同じようにして、私も誰かを傷つけてはいないか?

人生はままならない。ただ仕合せな気持ちでいたいだけなのに…。でも、落ち込んだ私を救い上げてくれるのも、また、人なのだ。そして、ゆっくり、また、自分の希望という「飛ぶ夢」を、この胸に、歩けるようになる。有り難い事。

 


2001年08月21日(火) 寺尾関〜さんまのまんまゲスト〜

 あぁ、寺尾関のスマイルが見れて、私は嬉しかったよ。

 彼は花の38トリオ(サンパチトリオ/昭和38年生まれの力士が、ちょうど仲良しで、同じくらいの成績だったので、28トリオにあわせてそう呼ばれていたの)のうちの一人。どっちがさきだったかしら?益荒男関が引退して、親方になって(そこの弟子の子緑くんを応援している)琴ヶ梅関も引退して親方になった。寂しいなぁ。と、思ってたら、まぁ、小兵力士同士で、旭道山と仲良くしていたけど、彼も引退しちゃったし。ただ、小兵力士と言われるほど小さかった印象はないけれど、寺尾関と同じ、井筒部屋の霧島関が、大関から陥落しても、取りつづけた。だいたい、それまでの力士は、三役から陥落したら、引退していたんじゃないだろうか?

 私は相撲に詳しくないし、少し詳しくなりたかった時期も熱病のように過ぎていったので、その頃色々知ってたこともかなり記憶の彼方に行ってしまった。なんせ、記憶層が浅いもので。恐らく、三役に昇り詰めると上には横綱しかないわけで、その地位から陥落するってことは、ピークの時を過ぎた、というのを意味するに近いと思う。もちろん、相撲を取っていて怪我をした場合、公傷と認められるが、そうでない私傷、や、私病の場合、場所を休むと全部黒星と数えられるから、怪我や故障(一緒か?)で泣かされて、落ちていった関取衆もいるだろう。しかも、それが長かったり、内蔵の病だったりすると、なかなか、幕内で取り続ける事も難しく、十両に落ちる頃には、精神的にも体力的にも限界を迎え、引退、もしくは、廃業していくのではないだろうか。もちろん、中には、一番いいときに辞めたいという考えの関取もいるだろう。

 霧島関の勇気が、相撲への執着でなく、愛着が、「先輩達もそうだし、辞める時期なんだろうか?」と、考える力士達の心にまた勇気を与えたのではないか、少なからず影響しているだろう、と私は思っている。今の寺尾関もそうであるが、ずっと相撲を見ていない私にとって、「なんて読むんだ?」という人もいる、若手の伸び盛りの力士と取り組みを続ける姿は、時として痛々しい。しかし、「お願い、もう1勝」と、願わずにはいられない。(できれば、8勝欲しいんだ)

 寺尾関は、現役力士最年長38歳である。しかも、十両に一度落ちて、勝ち越し、勝ち越し、ようやく帰り入幕して、幕内力士として、自分の父親の幕内38歳2ヶ月を更新した。幕の下のほうにいると、十両と当たったり、同じくらいの人とあたるから、幕に残れる可能性は高い。しかし、寺尾関は、相撲が好きで、取れる限り、自分がもう辞めたいと思うまで真面目に相撲をとりつづける男のようだ。めっちゃ勝ち越して、幕内上位に上がってしまった。そうすると、当たるんだよ、上の関取と・・・。勢い負けが込んで、あっさりと十両へ。でも、寺尾関はやめない。先場所勝ち越して、次の場所で、幕に帰れるか、ギリギリのラインらしい。希望としては、幕内で引退してもらいたいが、怪我もなく、彼がやりたいとこまでやれれば、ファン冥利につきるなあと、「さんまのまんま」の素顔を見て思った。

 もちろん、他の関取も力士も頑張ってる。私、幕内より、十両とか、幕下に知ってる名前一杯あったりするもん。北勝鬨が、北海道の関取誕生までガンバルって言ってたけど、待てなくて辞めてしまった。残念である。北海道出身力士頑張れ!!それから、今ではモンゴルの関取もいるけど、アルゼンチン出身力士がいることをご存知でしょうか?星誕期(ほしたんご)は、今、幕下上位?一時は幕入りまできたんだけど、もう辞めてるよね、って、思ってたのに、久しぶりに見て、まだ取ってた時には、涙が出たね。星安出寿(ほしあんです)については、今、確信がない。

 あ、寺尾関が、さんまのまんまに出て、松方弘樹さんみたいに、額から汗を噴出したり、さんまさんに(羨ましい)寺尾関のゆかたをプレゼントしたり、来てた奥さんが美人で、子どもも大きくなってた。まんまちゃんの「寺尾関に突っ張りたい」を叶えたり。そんなことを書くはずが、また横道にそれました。(ちなみに、力士同士で、ライブなどでもあるように、客席に綺麗な女性がいると「お、西の花道の上、めがねついた」っていう風に、教えあうそうです。隠語ですね。
怪我が続いて、幕内から落ちた最初の時はどうだったんだろう?それまでも、連続出場とかの記録がかかっていたし、相当プレッシャーだったと思う。でも、体、小さいし。相当の、筋トレ、稽古、メンタル的には個人としてもだけど家族の支え、早くに亡くなった母への思い無しには、ここまでこれなかっただろうなぁ、と思うと、こういうトーク番組に出て、めちゃリラックスしてる寺尾関が見れたのは、本当に嬉しかった。

 寺尾関はねぇ、ほんとにいい人で、努力家なんだよ。(絶対そう思うね)男前だからっていうだけで、あんなに人気は出ないよね。9月、幕内での土俵入りが見れるといいなぁ。


2001年08月19日(日) 「少年たち2」 大人も迷子2

 「少年たち2」では、広川(上川)は家事担当になる。ここの裁判官が、山崎努で、変わり者で通っている。思うようにやってみろ、と、着任早々の広川に暴行罪の少年。器物破損の少女。離婚。幼児虐待。この4つの担当にする。規則、規則、堅物の主任(加納幸和)と、裁判官と、広川の中を取り持つのが、書記官(木野花)。なんて、豪華なんだ!!
 <余談だけど、加納さんは劇団「花組芝居」の主催者で、女形したら、ぴか一なのよ。(この役どころでも、嫌われ役を買って出ているようなところがあって、その微妙さが、うまく出ていました。・・・スゴク上手いんだけど、深刻なドラマなのに笑っちゃう)木野花さんは「元・劇団青い鳥」こっちは女性ばっかりの劇団でしたね。パワフルなんだよ。素敵な女優さんだわ、この方も。この二人の間が、絶妙やね。>
 
 少女は実は妊娠していた。黙秘を続けていた少年の事が、そこからときほぐされる。少年の暴行の相手が少女の父(中村育ニ!)だったのだ。少年は、「心を無にする。心を殺す訓練をしないと、大人の社会で生きていけない」と広川に話す。広川は「それは違う。君は、大人の心は既に死んでいると思っているが、それは誤解だ。大人だって弱い。でも、何故強くなれるか、それは、心が汚れているわけでも、殺しているわけでもない。愛する人がいて、その人を守りたいと思うから強くなるんだ。」

 実は、少年の父は市の有力者で、(妻に逃げられてから自暴自棄になっている)少女の父に、交際を止めさせるようにと、お金を渡していたのだ。でも、父をかばう気持ちも強く、少女に頼りきりの不甲斐ない、金を受け取ってしまう少女の父に暴行を加えたのだ。少女は少女で、誰にも言えない、妊娠を、一人で抱えきれず、誰かに知って欲しくてわざとつかまるように、コンビニで暴れたのだ。まず、少女の父が広川の説得で折れる。
 
 一方、離婚調停中、子供の目の前で、財産分与だ、お互いに異性がいるだろう、となじりあう夫婦を、子供が、広川に「パパとママを訴えます」と言ってくる。その内容は、求めるものは「ただ自分達への愛、4人の生活」そう言われて、夫も財産目当てで結婚したわけじゃなし、妻も夫の浮気が止まればいいと、親子4人帰っていく。しかし、数日後、家にいても、生きている実感がないと、夫は自分の経営するパブ(?)に寝泊りするようになる。(この夫、缶コーヒーBOSSで、困ってた人だよ!)
 
 幼児虐待は、近所に住む聾唖の女性(中本奈奈)から、家庭裁判所の広川に相談がいく。子供同士が同じ保育所なのだ。しかし、妻に突然逃げられて、自分も親を知らない若い父は、一生懸命働いて育てようとするのだが、娘の愛し方、伝え方がわからなくて、やけになっているだけで、実は、娘のやけどの跡は、逃げた妻がしつけにと、つけた跡だったのだ。それを止められなかった自分も同罪だと、広川に責められても、実際、病院からの通報で警察に行くまでは黙っていたのだ。暴力から何も言えなくなっていた娘が、連行される父の足元にすがり、泣きながら、「これは、母ちゃんがやったんだ。父ちゃんは悪くない」と叫ぶ。

 延期申請していた少年の審判の前日、これは、職務を離れて、ということで、山崎(裁判長)が、飲み屋に、少年と少女の父、自分探しで、抜け殻になっているBOSSの人。そして、広川を呼ぶ。少女の父は、随分改心ししているが、問題は、少年の父だ。山崎は自分も子育てに失敗したと話し出す。二人の息子に自分と同じ裁判官になって欲しかった。しかし、一人は反発し、事業を始め、もう20年音信普通。お互い、必要とし合っているときに、交流できなかった、と。そして、もう一人は死を選んだ。「なぜ、あなたのような人が二人目にまで」思わず、少年の父が問う。山崎は「あなたにそれを気づいて欲しかったんです」
 
 BOSSの人から、「そんなあなたの生きがいは?」と聞かれ、山崎は、「私と同じ失敗を繰り返さない人が少しでも減るように、指導できる仕事があることかな」と答える。こんな裁判官いるのか?っていう風情なんだけど、そういう事情の前は、普通の裁判官だったんだろうね。
 広川は、逆に子供の頃、両親とうまく心の交流がはかれなかった子供。1では、母との曖昧な記憶が少し蘇り、2では、父との記憶を思い出しかけるが、それは、夢だった。彼が、必死になるのは、自分も親子関係をうまく構築できずにいた子供だったからだろうか?
 そして、山崎のいう通り、大人も弱い。2では、どちらかというと、「少年たち」というタイトルのままではあるが、その親にスポットが当たっているような気がして、とてもいいと思った。
 いい親になんて、最初からなれない。子供に親にしてもらうんだ。失敗したけど、子供を育てたことはよかったと思っている。大人も迷っている。大人が「背中を見て育つ」という子供に、その背中をみせてやれないんだから。子供はもっと迷うよね。でも、子供も、いつまでも子供じゃない。自分で、本当になりたい自分の気持ちを決めていく。自分で決めるってのは、一番しんどいことだけど、それをしていくしかないんだ、とも山崎の台詞にはあった。「自分で決められないんでどうするんだ?」決められないまま、大人になった大人が、自分の本当の心の奥の観察をないがしろにした大人が、迷っているのかもしれないね。

 幼児虐待というよりは、麻薬に関係していないかと、取り調べられていた若い父は釈放される。そこには、児童相談所から、近所に二人を見守ってくれる親子がいるので安心だと、帰された娘がまっていた。「段々、父親にならせてもらうんです」という、広川の言葉も後押しに、二人は仲良く帰っていく。
 また、子供側から、パパに会いにきたBOSSの人も、実は妻も一緒に来ていて、「ここにいても心ここにあらず、なら、家に帰ろう」そう言われて、帰る事になる。

 保護観察の処分になった少女を、少年(彼も保護観察処分)が迎えに来ていた。彼が連れて行った場所は、あの子供達の通う保育所。そこでは、二人の結婚パーティが準備されていた。保育園の園長(高泉?)が、場所を提供してくれた。園の前まで来ていた少年の父は、結局かえってしまったが、そこには、ベールを花嫁に渡す、笑顔の(幼児虐待沼に陥りそうだった)娘の顔が。そして、聾唖のダンスグループによるブームの♪風になりたい♪が、余興として披露される。少年はあの日父に言ったのだ、父の望む僕の将来は、僕が望むものとは違う。愛する人を守る事だ。それが実現へと一歩進んだ。

 1が、3年前の設定で、上川は、沖縄転勤になった麻生に、必ず会いにいく!ってとこで終わってたのね。一番気になってたのはこれだったりして。最後は、事の顛末を書いた手紙を読むシーンで終わる。「はじめから親を愛さない子供はいない。子供を愛さない親も。そして、海を渡って、必ず会いに行くと言った約束は、必ず果たします。待っていてください。」始まる前に、お別れが来ちゃった恋愛だったけど、広川(上川)には、それを続けていて欲しかった。キャラ的に。だから、安心して、見終わりましたとさ。


2001年08月18日(土) 「少年たち2」 大人も迷子1

 NHKのドラマ「少年たち」が3夜連続で再放送された。それは、「少年たち2」3夜連続放送の、復習みたいな感じ?私は前作を見逃しているので助かりました。(全部見れなかったけど)

 家庭裁判所で取り扱う事件というか、訴えがあったものに対して、調査を担当する調査員が主人公のドラマ。それは、事件や訴えの背景や真実を調査し、裁判官の審判の目安となるものであるようだ。上川隆也は、この調査員、しかも寝食も忘れてしまうほどのめり込んでしまう広川調査員の役。

 前作では、理解のある先輩(麻生祐未)上司(地井武男)らに見守られ、というか、その二人を巻き込み、少年たちの、更生のために必要なのは、少年院と、保護観察のどっちか、を裁判官が結審するための資料の調査書をつくるのだが、4つの少年事件を担当した彼は、親子の絆を取り戻すことが、彼らの心を開放し、更生への道につながっていくと信じ、親子合宿を提案し、まず、保護観察をとりつける。
 
 本音を本人も忘れたんじゃないかと思う、型どおりの検察官(萩原流行)の息子(相葉雅紀・ムコ殿りょうちゃん)は父に反発し、仲間をかばい。その仲間もつかまる。彼の実際やった罪は重く、しかも前科があり、父親はヤクザの組長(黒沢さん)。母親(歌手の岩崎宏美)に新しい男ができ、いずらくなった少女(吉野紗香)は、自分は、間違えて生まれてきた人間だと、生きている意味を考えられず、ドラッグに走り、その費用のために「売り」をする。14歳の少年(山下智久・弟@カバチタレの常盤)は父を殺す。
 しかし、実は、母(これが烏丸せつこだったりして)が殺していた。帰宅し、その光景を見た少年は、ナイフで父の死体を何箇所も刺す。「自分がやったんだと、言い聞かせるように」。数日後、母が、真実を告白する。このことが、離れ離れになっても、母の愛情を信じる希望を確信し、心を開放する。
  
 やっとこぎつけた親子合宿は、意外な展開を見せる。普段一緒にいても、会話のすすまない親子が、環境を変えること、奉仕活動、心理ゲームなどで「話し合う」ということを導き出したいわけだ。ところが、この心理ゲーム。カナダのレスキュー隊の実際にあった事件をもとに作られたものだが、常に極限状態で生きている、しかもスッゴク昔かたぎのヤクザの組長には、通じない。正解されてしまうのだ。このくだりは、なるほど、でした。
 
 さしたるレクリエーションもなかった親子合宿に事件が起こる。しかし、それにより、実は、それぞれの親が不器用なりに子供を大切に思っていたことがわかる。検察官の息子は、父とは同じ人生はもう生きられない。でも「他人にも厳しいが、自分にも厳しい、その点だけは、尊敬しつづける」と、最終審判で保護観察になり親元を離れ、働く。組長息子は、父に嫌悪と憧れを抱いていたが、自分への愛情を信じる事が出来、潔く、少年院を務め上げようと決心する。少女もまた、その彼から「売り専」と言われた悔しさから、生きることを考え、また、母と心は通じている事をわかり、母の下での保護観察の審判を受ける。彼から、謝罪の手紙が届く。心からの謝罪と「間違って生まれてきたなんて思わないで欲しい」。
 
 1では、自分が誰かに必要とされていること、それが信じられたら、子供は、自分に自信を持って生きていく道を選択していけるのではないか、というようなことが、描きたかった事なのかな?と、思った。そして誰かをかばうということは、大切だからだけど、それは本当にその人を救うのか?真実を明らかにして一緒に苦しみをわかちあうことが、立ち向かう事が、救う事なのではないか?広川は、救いたがり症候群と、他の調査官からばかにされるように言われている。でも、実は、彼自身がそのことで救われていたのだ。人の心は複雑だね。

分割・・・


2001年08月17日(金) 「甲子園」〜何故か、泣けてしまうの

 暑いねぇ。甲子園。熱いよぉ。甲子園。なんてったって、ダイジェストが熱湯甲子園だから。ウソです。熱闘甲子園です。サッカーに押されているとはいえ、やっぱり、高校野球は別物です。
 ってね、やっぱり、社会人になると、そうそう、朝からずーっとやってる高校野球を観戦することは難しくなるね。それに、ショックだったのは、片岡健二さんが歌ってらした♪また巡り来る夏の日に、心ふるわす人がいる♪という、名曲がかからなくなったのも、遠ざかった1つの原因かもね、もっちゃんの場合。今年は、開幕2戦目をちらりと見ることが出来た。そして、泣いた。別に、試合見てなかったのに、もっちゃんは泣いていた。
 そう、引き続きさだまさしで申し訳ないけど、彼の歌に「甲子園」という、そのままズバリの曲がる。コンサートでもそう聴かなかったんだけど、ここ数年は、夏が近づくと、この曲を歌ってくれる。やっぱり、リクエストが増えるんだって。

 今では少なくなったけど、喫茶店にテレビを置いている店があった。一組のカップルが、夏のある日、喫茶店に入ると、そこのテレビは夏の高校野球、準決勝。昨日と同じく、引用しか出来ませんが、この引用部分も、ほんと、曲つきで聴いて欲しい!泣くよ!甲子園に思い入れのある人。

 ♪喫茶店のテレビでは夏の甲子園♪
歌はシンプルにこう始まる。続いて、そのカップルが高校野球の映っているテレビをネタに会話する。そして、サビ!

 ♪ホームラン!と、突然、テレビが叫ぶ♪
当時のアナウンサーの「叫ぶ」は、最近のアナウンサーより静だと思うが、一瞬にして喫茶店にいる頭が、テレビが見える位置に動くのが想像できる。それぞれの客の気持ちはそれぞれだ。この間、「ミスタームーンライト」で、映画「ゴースト」を逆の立場から見たら、ということを書いたが、この場合もそういう感じかも。続いて
 ♪また誰かの夢がこわれる音がする♪
と、彼は歌う。

 2番のサビ以降がまた素晴らしい。もう、歌詞を書いてるだけで、泣けてくるね。2番の最初は淡々とこう始まる。
 ♪青春のドラマですねと解説者♪
しかも、文字だけのニュースが海辺の事故を伝えたりする。カップルの彼は思う。
 ♪3000幾つの参加チームの中で、たったの一度も負けないチームはひとつだけ♪
トーナメント制だからね。(その後参加チームが増え、彼の歌は4000幾つの、に変わって、歌われてる)
♪でも多分君は知ってる。敗れて消えたチームも負けた回数はたったの一度だけだって事をね♪

 ♪「あと一人」と突然テレビが叫ぶ♪
 ♪背番号14の白いユニフォームが
  彼の青春の最初で 最后の打席に入ったところ♪

 実は、後日談のようなものがある。ライナーノーツに記されているのだが、この年、昭和58年。徳島の池田高校は、夏−春−夏の連覇を期待されながら、準決勝で敗れた。そして奇しくも最后のバッタ−は背番号14だった。

 一度も勝てなかった。と思うより、負けたのはどのチームも一つ、という、発想の転換のようなものに、当時驚かされた。
 そして、今大会。開会式後の2回戦。宇部商の9回。私は突然そこだけ見た。裏の攻撃か表なのかも覚えていない。0−12のスコア。代打が告げられる。背番号16の3年生。ネクストバッターズサークルにいるのも、そしてラストバッターも、代打の背番号10以降の3年生だった。16番の彼がバッターボックスに入ったときから、バカみたいに泣けてきた。それまで、その試合見てないのにだよ。プロならば、たとえ0−12でも、1点を取りにいくだろう。明日につなげるため。しかし、夏の高校野球は特別だ。引退していく彼らのせめてものはなむけに監督は代打を指名したのだろう。
 勝たなければ、スポーツは意味がないのかもしれない。でも、決してそれだけじゃないはずだ。「勝たせてやりたかった」サポートする側と、そして青春の最後に夢に見た甲子園のバッターボックスに入る彼らの気持ちを思うと、それを見送る下級生の気持ちを思うと、泣けてくる。捨てたもんじゃないな、というような気持ちにすらなる。
 もちろん、ベンチ入りできない多数の選手がいるし、どちらにしても、彼らは甲子園までやってきたのだ。甲子園にたどりついただけで、みんなを誉めてあげたいし、甲子園の切符をとれなかった全ての高校球児たちを誉めたくなる。

 いい面ばかりじゃないけどね。スポ根、基本的に、実は、私、嫌いだし。
 でも、私の中学時代の夏は、高校野球ばかり見ていた。結構、大阪が強かった事もある。同級生の兄が、ライトのレギュラーで、出たこともある。A高を応援する友達と、B高を応援する私が、「今から始まるねぇ」って、結局試合終了まで電話して一喜一憂したこともあった。(自転車飛ばして、どっちかの家に行けばよかったのにね)その頃の思い出と重なる。自分の歳は、いつか球児と並んで、今では随分越したけど。
 校歌が聞けるチームの「ホームラン!」、「あと一人!」は、胸がドキドキと嬉しい。でも、そうじゃない側で聞く、その二つは胸がしめつけられるようで、つらいです。

 「甲子園」は、「祈り」と同じ「風のおもかげ」というアルバムの4曲目に入っています。


2001年08月16日(木) 「ミスタームーンライト」3と4大幅修正〜木星食記念

 「ミスタームーンライト〜月光旅人〜」の2の、ごく一部の言い回しと、3,4、を修正しました。修正しようがないから、タイトル「3と4を読む前に」って別のにして書きたかったんです。最初のは、ややこしすぎたから。でも、ごちゃごちゃした文章を既に、読んでくださっている人には申し訳ないので「改訂版」にしました。

 って、書き出したらね。同じくらいの分量にはなってしまった。既に3と4をお読みの方、ほとんど分からんかったと思います。私が芝居を観ながら、感じていたのは、本当に、ラストの部分なんです。そこが書きたいばかりに、焦って、スゴイ物語そのものを語ってしまいました。「わかりにくすぎる!」書いた本人がそう思うんですから。
 でも、そのラストの部分に、どうしても必要な気がして、最低限けずったり、役名や役者名(ファンの方ごめんなさい)けずったりしての修正しかできなかったので、やっぱり、3と4自体を修正します。
 もしよければ、お付き合いくだされば幸い。それで、読んでも、わけわからんで、どこかわってんねん!という方、ごめんなさい。   
 シンプルな文章を心がけてはいるもっちゃんでした。

 で、木星食記念の、木星食って?読売新聞夕刊に、木星食のことが載っていました。木星食?聞いた事ないよ、私!そっか、日本で広範囲に観測できたのは57年ぶりらしいよ。木星が月の後ろ側に隠れることをいうらしく、大阪市内ではマイナス2等級の明るい木星が午前3時2分頃、東の空に輝く三日月の左ふちに吸い込まれるように見えなくなって、53分後に、月の欠けたところからまた現れたらしい。肉眼でも見えたんだってさ。ちなみに次の木星食は2034年10月らしいです。
 カラーで、載っているその三日月のさきっぽに、吸い込まれるように見える木星は、あたかも万葉の昔、死者の魂が三日月に積み込まれ、天界へ運ばれたという、「ミスタームーンライト」のラストに書いたことを思い出させるに充分な写真でした。


2001年08月15日(水) 祈り (「夏・長崎から」というコンサートについて)

 今日は先の戦争の終戦記念日でした。戦争の犠牲になって亡くなられた方のご冥福を祈ります。そして、今もその犠牲の延長上にある人々の、心の平安、病ならば少しでも癒えることを祈ります。大切な人を失った人々の悲しみが、癒えることを祈ります。誰もが戦争があった事実を忘れることなく、二度とくり返さない将来を願います。今、日本は、現実の戦争は起きてはいませんが、みんなの心は平和でしょうか?今、現実に紛争が起きている国々や、地域、そしてその傷跡(地雷など物質的なものから、心の問題まで)に悩む国々や、地域がたくさんあることを忘れないでいたいと願います。

 シンガーソングライターのさだまさしさんが、毎年、8月6日、広島に原爆が投下された日、同じ被爆の地である長崎から、平和を祈ってコンサートをしています。今年は15回目でした。私は残念ながら、稲佐山でのコンサートに参加できずに15年もたってしまいましたが、放送されることがある年は、必ずテレビ参加しています。さださんは、自分が声高に平和について語りはしないそうです。数名の歌手が参加し、それぞれが持ち歌などを歌う。特別意識的に、平和を歌ったものを選曲するように歌手に依頼する事もないと思います。ただ、さださんは、玄関口になりたい、そうおっしゃいます。自分がここで言えることはいつも一つです、と、

「自分の一番大切な人の笑顔を思い浮かべてください。その笑顔を守ることを考えてください。」

そう言われます。それが、戦争なんかしない道につながっていくのではないかということです。そこから先は、戦争について、平和について、各々が考えていく問題であると。ただ、普段、今、戦争が無い日本という国にいて、つい、忘れてしまいがちになる、平和は当り前ではないということに、ふと考える日が、あってもいいじゃないか?そういう、思い出してもらう日があっていいじゃないか。そんな思いで8月6日のコンサートを続けていらっしゃるのではないかと、思います。

 その日がすぎて、何故このコンサート「夏・長崎から」のことを書いているかというと、今日、終戦記念日だということをテレビのニュースで、改めて気付いた自分がいたからです。昨日も終戦記念日だなぁ、明日。とか思ってたのに、今日、朝から忘れてたんです、私。で、ニュースを見て、そうだった、と思った瞬間に、またいつものフレーズが頭をよぎりました。戦争について、今も起こっている各地の紛争について、テレビで見たり、自分で考えたりする時に、思い出す歌。戦争ではなくて、人と人との間のいさかい。ぎすぎすしてくるだけでも、思い出す歌。それは、さだまさしさんの「祈り」という歌です。この歌は、「夏・長崎から」のエンディング近くで必ず歌われます。そして、コンサートがはじまって、93年に「広島の空」という歌が作られてからは、この曲もともに、歌われます。著作権の問題があるので、全歌詞は掲載できませんので、引用します。

 「私は祈る以外に、知恵も力も持たないけれど」

 私がいつも思い出す、というのは、このフレーズです。「祈り」という曲。83年11月30日発売の「風のおもかげ」というアルバムのラストに入っています。この歌詞の前が

 「命を心を奪い去ってゆく
  ちからも言い訳も総て許せない」

ラストはこうです。

 「短い花の命を、ささやかなこの愛で染めたい」

 人の命や心を奪ったり、壊したりするための言い訳などあるはずがない。どうして人は、人の命について粗末に考えたり、人の心を、傷つけたりしてしまうんだろうか。本当に、私は、「祈る」以外に、知恵も力も何も持たないんだなぁ、と思うけれど、祈る事だけでも、できる命が、心がある限り、祈りつづけていかなくてはいけない。そう、考えます。
 さださんが、広島の原爆投下の日に、このコンサートを長崎から発信しようと決意したのは「広島の空」という、93年10月25日発売の「逢ひみての」というアルバムの11曲目に入っている曲に描かれています。1番で、「もう、うらんでいないと彼女は言った。武器だけを憎んでも仕方がないと。むしろ悪魔を産み出す自分の心をうらむべきだから」と歌われる彼女とは、彼の叔母です。彼女のこの言葉を受け止めた時、さださんは「広島の空に向かって唄おう」と心に決めたそうです。もう彼女はこの世にはいません。この歌はこう続きます。

 「どうか、くり返さないで。くり返さないで」

 今日、終戦の日、各地でこの言葉がくり返されたと思います。戦争という、大きな悪魔だけではなく、小さな悪魔も産み出す心を自分も持っている。どんな痛みも、苦しみも、悲しみも「どうか、くり返さないで」そう、祈ります。

 重くなりましたかね。「夏・長崎から」絶対、いつか行きますよ。行って「長崎小夜曲」を現地で聞くんです。「お帰り僕の愛しいかもめ」と歌ってもらうんです。そこだけ切り取ると笑えますね。かもめですからね、私も。さださんは、このライブの皮切りに必ず笑顔で言います。
 「みんな、おかえり〜!」って。行って、そう言ってもらうんです。絶対に。


2001年08月14日(火) ミスタームーンライト〜月光旅人〜4

 結城は鹿島の家へ行き、彼の妹を人質に、ナイフをむける。妹を守るという気持ちがあれば、何故、都のたくらみに荷担する?!とばかりに。「違うんだ、ナイフを買ったお前が心配で、かすみちゃん自身が憑依したんだ。信じてくれ!」
「もし俺が妹を殺したら、お前は俺が許せるか?」まだ信じない結城。「違う、あれは事故だった。殺人じゃない」。結城は「妹を守る」のは、子供の頃自分のせいで1歳未満のかすみに、12針縫うけがをさせた時、決意した事だ。と、一種、トラウマのような話を鹿島に話す。そして、逃走する。妹を守るため、ナイフで傷を負ったが、そのまま結城を追う、鹿島。


 病院で、間一髪のところ、鹿島が石岡に叫ぶ「僕を殴ってください!」。失神した鹿島にかすみが憑依する。色々な思い出話を語っても、「誰かに聞いたんだろう」と信じない兄。しかし、盲腸で入院した時、欲しかったディスクマンをもらい、それで聴いていた曲が兄の好きだったビートルズの「ミスタ-ムーンライト」だった。それをきっかけに、「20歳まで守ってくれたから、これからは自分の人生を生きて欲しい。幸せだった。」魂の抜け落ちたようになる、結城。初めて、妹だったんだと、信じる。
 

 オチがあって、実は、こういう時に限って石岡の殴りが、弱く、彼は鹿島でしかいられなかった。「ミスタームーンライト」の話は、電車でかすみが葉月に、葉月が鹿島にしたものだった。鹿島は必死に考えた。「かすみちゃんならどういうだろう。僕はかすみちゃんの力になれただろうか」
 その答えは・・・ラストシーン、39度の熱がある鹿島が図書館に来る。3通目の手紙が届いたのだ。「兄を止めるどころか火をつけてしまった。」「本気であなたが兄を助けようとしてくれたからです。」「あなたに頼んでよかった。これで安心して旅立つ事が出来ます。」「兄を許してあげてください。兄はとても強いけれど、兄は、多分とても寂しかったのです。さようなら」。
 そしてまた、鹿島のPCを勝手に興味本位で開けた、バイトが、スゴイ物を見つける。鹿島の小説かと思ったら「お兄さんへ」というかすみの何十頁にもわたる、幼稚園から二十歳までの思い出。それを夜中に書いていたのだ。(憑依タイム以外にもそのため、鹿島はひどい寝不足になったのだった。)ちなみに2日で鹿島の労働時間は述べ12分。


 かすみだけ、役者名を書いてないのにはわけがある。観客がそうだったの?と気づいた時には、舞台上にはいない。作品中、図書館のシーンで、訪れている人たちの中に実はかすみはいた。
 それは、ふと館長(西川)が写真を持っていた刑事に見せてもらってわかる。バイトが叫ぶ(霊感があるらしい)。そこにいるお客さんに聞く 「あなた、この子と、いつもいっしょに来て、今も、ここに座ってたよね。さっき先に帰ったよね?」客を含めみんなが、誰もいなかったよ、と答える。
 ・・・きっと、それは・・・鹿島が「かすみちゃん、さようなら!!」叫ぶ。(叫んで、咳こむから、さまになるんだか、ならないんだか)そして、「お兄さんへ」のプリントアウトにかかる。それを、警察にいる結城に、手紙とともに届けようというのだ。
 ガラスの向こうの満月の下。かすみの影が浮かび上がる。

 
 実は、私は、こういう物語に出会うといつも考えてしまう事がある。
 謝らないと気がすみませんと、よく言うが、謝れば、気が楽になる。一生、消えなくても、謝れれば、少しは救われる。でも、許した方がどうか?「謝りにも来ないヤツは最低だ」「謝りにきても、心がこもってないヤツはもっと最低だ」そう思う。心の底から謝りたいと願う相手を受け入れれば、被害者も少しは救われるのだろうか?それとも、帰ってこない人のことは、ただ、自分がどう整理をつけるか(ちょっと嫌な言い方だね、思いつかなくて)、思い出に変えていくか。それしかないのだろうか?謝られても、許しても、その人はもう、帰らない。

 「ミスタームーンライト」の場合。兄が許せなかったのは、まず、自分自身が妹を守れなかった事。彼女の将来が奪われた事。そして、その事故の原因は、友人の居眠り運転で、ハンドルをキリさえしなければ、助手席の妹は助かったはず。彼が殺したも同然だということ。しかも、その、卑怯者と思う彼を、実は妹は愛していて、その気持ちを知りながら、彼は大切な妹の気持ちを受け入れなかった事。

 妹は、霊になり、兄が彼を殺そうと思っていることに気づく。猜疑心にとらわれた兄は、信じてくれなかったけど、彼女が兄に伝えたかった事は次のような事。お兄ちゃんは、充分守ってくれたよ、今まで。だから、これからは自分のことを考えていってほしい。彼の居眠りが原因だけど、実は、最終的にハンドルをきったのは、彼に死んで欲しくなかった自分なんだ。彼はハンドルをきって自分だけ助かろうとしたわけじゃない。そして、命をかけて守りたかったほど愛していた彼が、気持ちを知りながら受け入れてもらえなかったとしても、それは、恋愛の事、仕方のないことだと、わかっている。だから、彼を憎まないで。お兄ちゃんには罪を犯して欲しくない。

 妹は、兄にむけて鹿島のPCを使って、20年分の思い出を書き連ねた。どれだけ、幸せだったかを。

 もし、死んでいった人の気持ち、それまでの気持ちも、死んでからの気持ちもわかれば、特にそれが、「もういいのよ、お兄ちゃん、残念だけど、仕方のないこと。生きている間、私はとても幸せだった」というものだったら、はじめて、全てを受け入れる事ができるだろうか?


 満月の夜。満月は死者の魂が一杯になって、ふくらんでいるのだという。天界に魂を送り届けた月は、また小さくなり、段々と三日月型の船となり、死者の魂をそっと集め、天界に運ぶ準備を始めるという。魂は光のもとへ帰るという。万葉の昔には、そのように考えられていたらしい。
 今や月は、太陽の光を反射しているだけだと知っているが、そうやって、誰かの心を反射する事で、その人が亡くなっても、生き続ける。語り継がれる事によって、生きるのかもしれない。

 私には祖母がいる。彼女が死んだら、って、考えただけで涙が出てくる。彼女は、突然、時々、私が生まれる前に亡くなった、血族の話をする。私はそれを、できれば覚えていて、また、誰かに語りたい。そうすることで、その人は、まだ私たちの心の中で、生きている、そんな気がするからだ。昔の事なので、悲しかった話が多いが、できれば祖母に、楽しかった話を思い出してもらって、できるだけたくさん聞きたいと考えている。そして、機会をつくり、語っていきたいと。


2001年08月13日(月) ミスタームーンライト〜月光旅人〜3

 寝不足ぎみの鹿島は、図書館を早退する。家で、寝ているはずだった。誰もいない舞台に、突然、上手奥から走りこむ。「お兄ちゃん、お義姉ちゃん、いないの?」鹿島は既にかすみに憑依されている!!!アタタタタタタッ・・・(古) 彼が眠る機会は、かすみが体に憑依する機会だったのだ。この登場シーン、鹿島が訪ねたことも無い結城の家に場所が変わっている(セットは図書館よ)当然、妻の都が帰ってくる。おりしも、連続窃盗事件が起きている。「見た目は30男に見えるけど、かすみなの」って、うまーい!上川、うまーい!でも、かすみがいるかのように上手に演じられても、物語の上でにわかに都に信じろって方が無理、速攻、110番!!しかも、都を説得しようと近づくかすみ(姿は上川)は、都にはじかれ、気絶。鹿島に戻ってしまう。

 鹿島自身、わからないまま、警察へ。そこには石岡(岡田達也)という図書館に、職員あかり(坂口理恵)を慕い、通っている刑事がいた。人相が似ている上、早退の日が窃盗事件と重なるので、彼は犯人と決め付ける。鹿島は「夢遊病説」「記憶喪失説」「宇宙人誘拐説」で、きりぬけようとするが信じてもらえない。(当り前な気がする)そこへ、結城自身が学生時代の同級生を、妻が誤報したと、告訴はしないと、迎えに来てくれる。その夜、二人で深酒した鹿島、またも泥のように眠る。

 朝がきて鹿島は、かすみの手紙を発見する。「私は結城かすみです」彼にもまだ信じがたいこと。出勤し、子供に絵本を読むお話広場の途中で、彼はまた眠ってしまう。かすみに憑依される。彼女が最初に行ったのは、家。そこには兄はいなかった。この時、謝りに来てた葉月に出会う。最初にかすみを信じたのはこの葉月だった。「彼の事は知らないけど、私を呼ぶ様子は、かすみだった」
 
 次に兄の研究室へ向かう。「お兄ちゃん、信じて」かすみの思いは届かない。「鹿島!お前まで、何故こんなまねをする?」火に油を注ぐようだった。
その後、避けていた古河と会ってしまった結城はある質問をした。「今なくしてしまうと生きていけない、それは何だ?」「俺には妹だった」(よくも妻の前で、そこまでいいきるか?)「普段はこんな人じゃないのよ」と、妻は古河に言うけれどさ。

 鹿島は、研究室で刑事石岡に殴られ、気絶し、また警察へ行った。鹿島自身、信じがたい出来事である。記憶もないのだから。でも、その日、2通目の手紙が部屋に届いていた。「もう一度だけ、体を貸してください。かすみ」。鹿島は、これは、本当にかすみの霊かもしれないと、ようやく信じ始める。

 刑事・石岡に手紙を見せても、多重人格&連続窃盗犯を疑われたまま。お話広場をまかされた鹿島は、眠くてたまらず洗面所に行く。帰ってこない。鹿島は、そこで突っ伏して、寝ていた。もちろん、かすみが憑依している。かすみは、なりゆきで絵本を読むことに。自分が子供の頃、盲腸で入院した時の、兄とのエピソードが重なる。泣き出し、その場を去る。追う、葉月。それを追う、石岡とあかり。

 かすみは実家を訪ねようとしていた。追いついた葉月に兄との思い出など、色々なことを電車の中で語る(台詞の無い演技が、ガラスの向こう、満月の下で行われている)。

 実家のある町で、お墓参りをしていた都と出会う。「かすみちゃんが何を言いたいのか知りたくてきたの」。目の前の、見た目鹿島をかすみと信じる。「まさか本当にかすみちゃんと話せるなんてね」

 一方、あかりや、連続窃盗犯も逮捕され、執拗だった刑事の石岡までが、かすみの霊の存在を信じ始める。一番信じて欲しかった、話がしたかった兄だけに、信じてもらえない。かえって、刺激して、古河への恨みを募らせることになってしまった。

 その頃、かすみの存在を信じている全員が、不在の状態で古河は、結城と会う。「答えに来ました」。前日「バイオリンが弾けなくなるのがつらい」と言った彼に「その手をくれ」と言った結城に。
「100%僕の責任ですが、謝罪する権利もないんですか?僕も友人でした。僕も悲しいんです。」という古河に「謝罪を拒否する権利もあるはずだ。君を避けているのでなく、君に避けて欲しい。悲しむのも君の勝手だ。」そこに、石岡に手配された、刑事が。しかし、彼らはまだ、「鹿島が結城をねらっている」いう情報しか、知らない。石岡からの携帯電話で結城確保の連絡だけを受けて、帰ろうとした直後、それは、起きた。

  古河が、「答えを出しに来たといったでしょう?」「でも、自分の手を切り落とす事は出来ない」「そのかわり、一生バイオリンは弾きません」と伝える。しかし、理性を欠いた兄がそれで許すわけが無い、出来ないなら俺が切ってやると、彼にナイフを、かすみが一番阻止したかった、ナイフを振りかざす。古河の右手を切る。刑事が気づき古河は軽症で済むが、結城は逃げる。

 つづくの、よ・・・


2001年08月12日(日) 大変!×3

こちらもっちゃん@i-mode、PCのオンライン接続ができません!
とっても困ってしまってます。
復旧するまで『ミスタームーンライト〜月光旅人3』お待ち下さい。
見捨てないでね、なんとかするから。
は〜


2001年08月10日(金) ミスタームーンライト〜月光旅人〜2

 テレビの印象が悪かったのもあり、まぁ「う、その、語りは・・・」と思う場面もあったけど(それが、ナレーション役もかぶってるから、第1声だったけど)、役者たちは、それぞれの持ち味を生かしつつ、いい感じに仕上がってたと思う。やっぱり、どうしても西川と上川の上手さが目立つけど。
 あと、演出的に、固定セットを、別の空間に見立てるというのは、テクニックがいると思う。図書館がばーん!とあるのに、そこを茶の間、大学の研究室、警察、病院、などと思わせなくてはならないのだから。でも、ちょっと、出入りが煩雑というか、右へ左へ「走ったもん勝ち」的印象を受けた。もちろん、こないだの「Vamp Show」も、出入りは激しい。でも、そこは「駅舎」という空間設定が変化することなく、必要があって人物は上手へ下手へ、奥へ、と動く。「テキサス」もそうか。(ま、なんで、みんなマサルの家なんだっつーのは考えどころかもしれないけどね。)心理劇のようなもの以外、大抵は、人の出入りによって、出来事があって、物語は進行する。その出入りがどれくらい不自然でないか、目障りでないか。難しいね。作る人。

 上川は、TVでは役柄が固定されてきてるのでもったいないなぁ、と思う。「TVでも、こういうところを見せて〜!もったいないよぉ。」というような、ダメダメ、ふにゃら〜って、毎日、夢見がちに生きる(SF小説の懸賞応募をねらっている)、図書館司書、鹿島役。ぼさぼさ頭で、遅刻・早退、多し。その彼が巻き込まれていくように物語は進む。中心にいる彼は、ぼさっとしていて、でもひきしまる。躍動感、間合い、自然さ…。鹿島という役になっていて、TVとは違う上川が見れて、お得でした。

 そうそう、その肝心の物語。主役は「月」かも。月は、あんなに美しく人を魅了しつづけて光っている。だけど、あれは太陽の光を反射しているだけ。作家の成井豊は、自分のリスペクトする人を、自分が語り継ぐこと、反射することで、そのリスペクトする人の光を、別の誰かに届けられたらいいんではなかろうか、と考えていて、それを頭において、この作品を書いたらしい。真夏にふさわしい(?)幽霊が出てくる話だけど、少しもおどろおどろしくはない。映画「ゴースト」の、デミ・ムーアやウーピー・ゴールドバークの側から見たら、どうなるのかな?って考えたらしい。なるほど。

 東京公演はこれからなので、行く人はネタバレ注意で、読んでいきたくなった人は、必死でチケットゲットしてください。アンケートに「今、友人に観劇後すぐの感想を一言伝えるなら?」という設問に、私は「なんか、泣いちまったよぉ」と書いて帰ってきた。そんな作品。

 え、だから、ストーリーね。
 物語の主軸はシンプルだ。(私が語るのでなければ・・・)半年前、大学の友人とスキーに出かけた結城かすみが、事故で亡くなった。彼女には兄(大内厚雄)がいた。兄は、運転していた古河(佐藤仁志)が許せなかった。かすみは霊になり、兄が、昏睡状態の古河の機械を止めようとするのを目撃する。いずれ兄は彼を殺すかもしれない。そう思ったかすみは、兄を見守る。そして半年が経ち、古河が、同乗者で、スキーツアーを計画した葉月(岡内美喜子)と、「許されなくても、とにかく謝りたい」と、結城との面会を申し出る。結城の妻で、かすみの義姉・都(岡田さつき)は、とりつごうとする。しかし、結城は二人には会わずにナイフを購入する。それを見て、かすみは、もう時間がない!と察する。まず、都に憑依し、自分の思いを伝えようとする。しかし、着実に現実の階段を昇ってきた、若き建築科の助教授、妹の死に執着している結城にはそれが信じられない。都が、古河と葉月を許すためにしくんだ芝居だと思い込む。なんとかしなければ、焦るかすみにふと、幼い頃の記憶が蘇る。兄は何でも一人で出来る人だった。だから、友人らしい人はいなかった。逆の意味でういていた鹿島(上川)が、唯一の友人で、子供だったかすみにピアノを弾くきっかけを与えてくれた人。そして、ただ一人、事故の記事を頼りに、彼女達の田舎まで、兄を励ましに、自分の死を悼みに来てくれた人。・・・彼のいうことなら、兄も信じてくれるかもしれない。かすみは、鹿島の体を借りることにする。

残念ながら、続きはまた明日。(どうしてコンパクトに書けないかしら?)


2001年08月09日(木) ミスタームーンライト〜月光旅人〜1

 手元に届いたチケットには、主演クラスの男優が爽やかに笑っている。今時、きちんと劇団が
作っているチケットを手にする事は難しい。(ぴあとかローソンて、どれも同じでアイソないもんね?)どんな物語かと想像した。タイムトラベルものかな?(劇団員の中には、作家からタイトルを聞いて「正義の味方もの」かと思った人も居たらしい。)

 劇場に着く。緞帳は既に上がっており、舞台はアンティークな感じの図書館。私の予想は外れた。タイムトラベルではない。思い出がキーポイントになるとはいえ、これは、幽霊ものだった。ある意味、「誰かのために!」という点で、「(正義の)味方もの」の方が近いかも・・・。

 観て来たのは劇団キャラメルボックス。劇団広報誌にも書かれた「あの人」こと、上川隆也が、
2年ぶりに立つキャラメルの舞台。チケット入手、か〜なり激戦みたいだったよ。

 キャラメルといえばサポーター制度(ファンクラブ)を二段構えでもってたり、オリジナルサントラをいつも作ったり、スカパーで、チャンネル持って、半生中継やったり、多角的経営をしている。でも、観るのは初めて。今まで二の足踏んでたのは、作品名、忘れたけど、以前、テレビで録画中継やってて、劇団名だけは知ってたので興味があって見た。見て驚いた。脚本もシンプルさに欠け、わかりずらく、何よりも「台詞読んでます!」感の強い、俳優陣の下手さにびびってしまった。心には西川浩幸は上手いかも、としか残らなかった。だから、「大地の子」で、上川が有名になってどんどんテレビの人になって、「キャラメルの人」って知って、何で覚えてないんだろ?陸一心、こんなに上手なのに・・・。

 このたびは、前情報、劇団内恋愛を成就して、西川と大森美紀子が9月に結婚!というめでたい情報以外は、なーんもなしで観に行った。(だいたい大森ってどんな人だっけ?だったし)だから、結構ドキドキして劇場に行った。

 なーんも知らないから、面白かった。まず、前説が。
 制作の加藤昌史が、若手役者を引き連れ登場。観劇の注意と、入り・出待ち禁止について、それからグッズのCM。これが、下手な漫才より面白いトーク。特にお気に入りだったのは、「携帯電話は切ってください。」のくだりで、実際にお客に携帯を取り出して確認しましょうタイムを設ける。これはいいと思う。私が行く芝居やコンサート、だいたい9割、1回は鳴るからね。これって「自分は切ったつもりになって忘れてる人」だと善意に解釈したい。ルール守ってない人とは思いたくない。でも、実際はメイワクだし、本人一番バツ悪いと思う。いいと思うよ、だから。
 しかも、何が気に入ったって、BGMに♪携帯電話はやめって〜♪って、曲が流れたんだよ。加藤は音楽監督でもあるんだけど、またこれを500円で販売してたんだ。あぁ、これを買わなかったことを今も悔やんでいるもっちゃん。
 
 で、アンコールも、座長格の人が、「本日はご来場ありがとうございました」って挨拶するのには出会う。例えば「七人ぐらいの兵士」の時の生瀬勝久のように「さんまさんとの冗談がえらいことになりました」と、エピソードを紹介してくれる場合もある。キャラメルは、日直制らしい。お礼と、もう
一度、連絡事項(出待ち禁止)を話すほか、まるで1分間トークみたいに個性あるトークをしてた。本編のムードに浸れなーい、と言う人もいるかもしれない。でも、中々、面白いから、キャラメル色として続けてって欲しい。なんだか、本当にアットホームな感じのする劇団で、だから、上川もキャラメルに帰ってきて、伸び伸び芝居できるのかもしれない。若手を育てながら、ベテランもいつ帰ってきてもやれるっていうのが、いい感じなんじゃないかと思う。だから、キャラメルは固定ファンが、本当の意味で固定しているのかもしれない、と思った。

 そして、キャラメルボックスは、実は「天空の城ラピュタ」をやりたくて作られた劇団だったのでした。
 ふーん、そうか、それでちょっとファンタジックなつくりになっているのか・・・。図書館の舞台美術も、よくつくったなぁ、でも、下手、3階まであるってのは、やりすぎちゃうかぁ、役者しんどいんちゃう?という感じの、ちょっと「インディアナジョーンズ」のヴェネツィアの図書館を思い出させる、固定セット(どんなんや)。中央には大きな床から天井までのガラス。そこに大きな満月がうかびあがる。とても美しいファンタジックな舞台美術・・・。よかった。

 ストーリーにはほぼ触れないまま、またもや、つづく・・・・


2001年08月08日(水) パチパチの日

 みなさん、もっちゃんのページが、新しいところへ間借りする事になりました。

 でも、内容は、今までと変わらないと思います。(←進歩はしたいと思ってるねん)今日が1日目で使い勝手とか、さっぱりわかりません。実は、これ書くのは、3回目だったりするし。1回目、一歩手前まで行ったのになぁ。2回目はランタイムエラーとやら。全然わからん。(←自慢か?!)ということなので、まぁ、いちばん簡単な、ページを使ってるけど、色くらいは変えられるみたいだから、「変」とか思ったら、またアドバイスしてください。

 うーーん、でもこれ、いつアップできるんだろうなぁ。
 そして、それは、以前の「ドラマ!×3」の引越しとどっちが早いんだろうなぁ。

 とにもかくにも、みなさんには、これからも、それいゆともどもよろしくお願いします。どうぞ、ごひいきに。もっちゃんが、時々爆走して、もっちゃんワールドに入って、帰ってこないようだったら、誰か引き戻してね。

 そして、今日は8月8日、パチパチの日。拍手ぅ〜〜〜!!!
 (ドラマに関係無いやん、と思うでしょ?私にはすごくドラマティックなんだぜ)


2001年08月01日(水) 長塚JESUS テキサス 2

 しかし、これも物語のベースでしかなかった。借金は返したのに、帰らない四ツ星。マサルの家の窓から見えていた草の中に、ドラッグに似たものを見つけ、それを東京の上司、桂(長塚)に送っていたのだ。その効果は、「いいものあげようか」と、四ツ星が、なにげに伶菜に与えてみる事から、わかる。そしてある日、伶菜は、マサルの姉(中坪由起子)と同棲しているマサルの同級生・沼田(政岡泰志)の首つり自殺を見つける。しかし、その後もマサルは姉たちの世話を焼く。伶菜のドラッグによる幻覚か?マサルの現実逃避か?そして、そんな中、流行だと整形していた人々の顔が崩れ始める・・・。

 現れたナゾの外国人(リン・ホブディ)。こいつが持ち込んだ菌に違いない!探せ!消毒しろ!血清の何となくの話を知ってた者がいたために、殺害した彼女の血を飲む。「これで助かるはずだ」安堵するのん気な人々。(充分、殺人罪なんだけど、駐在さんまで混じってやってる、この辺も「テキサス」なの?)
 草は枯れ始め、役たたずになった四ツ星を始末に来る桂。それを目撃し、実は比呂島先生は、犯罪人の逃亡用に、この村(町?)の人間の顔を犯罪者に売っていた事を知るマサル。だから、格安で適当に住人の顔を整形していた。いいかげんな手術のために顔が崩れたのだ。そして、ナゾの外国人と思われたのは、外国人に整形してもらった、東京へ出たマサルを待ちつづけた、ウルトラ不思議女・千鶴子(新井友香)だった。

 誰がスゴイって、この人スゴイ。マサルに無視され続けながら、「聞いて!マサル!」って、アコーディオンを弾いて歌い始めるんだから。そのそばには満彦(伊達暁)が、子供の太鼓みたいのを持ってて、ぽんぽこたたく。彼にとってもまた、千鶴子は絶対の存在だった。だから、マサルの彼女が髪を金髪に染めてるからって、「外人がいいのね?」と、誤解した千鶴子は外国人に整形してもらい、そして、満彦は・・・。あぁ、悲恋・・・。

 総代河原が、比呂島先生。確かに、「H・Jの女優陣は役者心あるんだぜ。男優陣もそうだぜ。脱ぐだけじゃないとこみせましょ。」と、言っていただけあって、なかなかどうして、特に新井スゴイし、中坪もいい線いってたし、沼田役だからなのか政岡もある意味、味あるし。阿佐スパの中山、伊達、かなりいい感じだし、やっぱり、長塚出てきて、お父さんと同じ声で、結構こわいこと、むっちゃスゴマズに言ってるのに、なんだかスゴンデルとこなんか、いい。でもね、河原、ちょっとしか出てこないんだけど、きっちり台詞あるのか、全部アドリブなのかわからんくらいの、ちょっとしたシーンを、長々と。さっさとやられておしまい、今、あんた後ろから頭、どつかれたでしょ、ってシーンを悠々と、演じている総代河原。この人が出てくると、舞台、華やかになるねぇ。なっちゃいけないのか、このストーリーでは?でも、歯科医みたいな、上だけの白衣に血のあといっぱいつけた衣装で、事実を知ったみんなにもみくちゃ状態でマサルの家に連れ込まれて、最後は倒れてるのを運ばれてハケルんだけど、絵になる男だわ。

 なんかね、ありえないでしょ、普通?ってことが、ありえるのが、横溝正史的(つまり「テキサス」ってこと?)な世界。極端な話、なんでもあり。つじつまとか、知ったこっちゃない。結局、どうだったのよ、って答え、半分くらいわかる(姉たちの自殺とか)けど、ドラッグ中毒、どこいったの?禁断症状の女に、とりあえず!みたいな勢いで与えた葉っぱ、それで治ったの?逆にマサル、それで、現実見るの?「東京帰ろうか?」それでいいの?田舎の事は、田舎の事、ナイトメアーだった?コトの始末は?え?つまり、テーマは?・・・って、そういうこと、考えなくていいのかもね。なんか
わからんかったけど、面白かった。それでいいいのかも。そういう風に思った。
 
 例えば、四ツ星、もうすぐ子供できるの、東京に奥さん置いてきてて。だから帰らせてくれ、借金取り立てたら帰してくれるって言ったでしょ。って、桂に言うの。そしたら、桂「言った事は絶対なのか?そしたらお前の子供の名前、今、決める。四ツ星あきびん。」とか、適当な、名前じゃないよそれ、っていうの色々言って、「言った事だから、つけるんだな?」ってしかもすごむ。忘れたのが残念だ。四ツ星とりもなおさず。みたいな、変な名前、よく笑わずに言えるなぁ。なんだっけ。なかんずく、じゃないし・・・。
 ただね、「でじゃ・びゅ01」でも、長塚は、Unknownというドラッグ売買する人物やってたし。血、吸う、とか、Vampと重なるなぁ、って、ちょっともったいなかった気がします。ま、「あの外国人にしてくれっていう整形もすごかったけどさ、連れがまたスゴイのたのんできてさ・・・」で、終わってた比呂島先生の答え。満彦が、なんと千鶴子に整形してもらってたんだよねぇ。そしてマサルを愛しつづける事で千鶴子を愛すのね、って思わせてしまう終わりは、よかった。哀しくもあり・・・かなり、怖くもあり。

 H・J、阿佐スパ、両方、これからもチェックでしょう。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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