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もてる女
DiaryINDEX過去未来


2005年09月28日(水) 祝 新記録樹立!

チビの一ヶ月健診に行ってきました。

病院には他に赤ちゃんが一人いて、あまりに小さかったので
生まれたてかと思いきや、同じ一ヶ月。
明らか違うサイズにショック!

チビちゃんこの一ヶ月で体重が1500グラム増えてました。
普通一ヶ月1000グラム、一日平均30グラムなんですが、
うちのチビちゃんの場合、一日平均55グラム。

「新記録です」(先生)

病院の記録を塗り替えてしまいました・・・(汗


母乳だけで育ててるのになぜ???


2005年09月27日(火) いいおっぱい

入院中に婦長さんに褒められました。

「あら〜いいおっぱい」

褒められてる意味がよくわかりませんが、赤ちゃんが飲みやすい
おっぱいってことでしょうか?

いいおっぱいのおかげで妊娠中からやった方がいいと言われてる
おっぱいマッサージはとうとう最後までやりませんでしたが、順調
に乳が出て、おかげでチビはぷくぷくです。


でもね、婦長さんに褒められる今のいいおっぱいより、男に褒められた
以前の美乳の方がいい・・・。


2005年09月25日(日) 不倫経験って

お久しぶりに男友達からお電話かかってきました。
「そろそろかと思って」
というのは私のご出産のお話。
産んじゃってますよ。
もうぷくぷく太ってきてますよ。

後で写メールしたらうちのチビちゃんは今日から彼の子供って
ことになったらしいです。
やった覚えはありませんが、あなたが父親でしたか。


「彼女はその後どうなの?」
この彼なかなかモテるタイプで、今度はどんな恋愛をしてるの
だろうと聞いてみました。

「いや、俺のこと好き好きって言ってくれる子いるんだけど
それが・・・」

それが既婚者、いわゆる人妻らしいのです。

「(エッチ)やっちゃったな?」
思わずお下品につっこんじゃいました。

そりゃぁお互いはまりますわね。
彼女は離婚する気もなくて、彼も結婚なんて今誰ともかんがえてない
らしいからいいんでないかと。
今のご時世自己責任の時代ですから。

でも、なんでみんな不倫とかするのに結婚するんでしょうね?
最近女の人で不倫て結構一般的にあるみたいですね。
私の周りで不倫したの聞いたのって一人しか知らないですが・・・。

しっかしなんで私の周りにはこうも普通の恋愛とか結婚とかしない
人が多いんでしょう?
類は友を呼んでるの?
まじめに普通に生きてきたつもりなんだけどなぁ。



まったく別のお話ですが、数ヶ月前嫌いな奴から電話かかってきました。
こいつと話するといらいらするんだ。
機種変更前までは出なくて済むように番号登録しておいたんですが、
うっかり消しちゃったみたいで、見たことのない番号で何度もかかって
来てたんで、こりゃぁ間違いとかじゃなく私への電話だろうってでて
みたら奴でした。

しまった!!

何の用なのかよくわかんなかったです。

「そろそろ結婚するの?」
聞かれたんで適当に「あぁそろそろするんじゃないかな?」今の状況
話す気もなかったんで答えたら、
「そうか〜、はなもそろそろ落ち着くのか〜」だと。
落ち着くって状況はともかく私は昔から落ち着いてますよ。
こりゃ聞いて欲しいんだな?

「あなたは?」
「彼女はしたいしたいって言ってるんだけど」
彼は今は結婚願望なくていくら言っても聞いてくれないんだって。
どういうこっちゃ。

「じゃぁ別れたら?」
「そうなんだけど、別れてくれないんだ」

んも〜!!いらいらする!!!っていうかむかつく!!!
あんたみたいなデブで不細工彼女がいるだけでもありがたいと思え!!
それが、結婚したくないの別れてくれないなどとほざくな!!!
性格もうじうじしてて彼女もよくこんなやつと付き合うよ、よく
結婚したいなどというよ。

「そうなんだ、じゃ頑張れ」
用事の件は意味よくわかんなかったけど、とにかく私にはわかんない
ことだから。って電話切った。
もうかかって来ませんように。
ちゃんと番号登録しときました。


2005年09月24日(土) ちくっと胸が痛んだり

Bのうちにチビの写真を送ってあげたら大変喜ばれたらしくチビのおば
あちゃまからお手紙を頂きました。
また写真送ってねってことだったのでまた送ります。


Aと話がかなり煮詰まってきました。
ご両親とお会いして近いうちに一緒に住んだり入籍したりしそうです。
マリッジブルーなのかなんなのかかなり複雑な気分です。
チビが産まれてしまって実家でじじばばとか弟とかに可愛がられて
今のところ経済的にこまったことがなく、母子家庭ということで
扶養手当がもらえるというこの状態、世間体悪いって言ったら悪い
けど、そういうのもう気にしなくなってチビと二人で生きていても
いいかなって思ったり。

それと前も書いたかな?Bに対する罪悪感がちょっとあってね。
お互いが決めたことだからって言えばいいんだけど、Bが私に
対してひどいこと言ったのはそりゃぁ許せないって思う面は
大いにあるけど、過去数年振り返ればそれなりにBの気持ちが
こじれるようなことしてきたかもしれない。
ちょっと反省モードなのだ。

Aがいなければ普通にBとやっていってたんだろうな。


2005年09月22日(木) LDR室 いよいよカキョウ

とある日記作家さんとメッセでお話できました。
日記読む限りとても興味深いお人で、私の好きなタイプの人なので
たくさんお話したかったのですが、チビちゃんが泣き出したので
終了してしまいました。
今度はいつ会えるのでしょう?
会えない間は日記を拝見して状況を見守りたいと思います。
エロ全開で頑張ってください!(私信で失礼)


**********************************

8センチ開いてもまだいきませてくれない。
苦しみにひたすら耐える。
痛さで自然に涙がちょちょぎれてくる。

Aと母親と助産婦さん2人の4人がかりで私の汗や涙を拭いたり
励ましたり息を促したりいろんなところさすってくれたり。
4人に囲まれながらひたすら波に耐える。
ひと時の無痛の間に休憩。次の波が来るのが恐ろしい。
すぐに次の波が襲ってくる。
毎回ビッグウェーブだ。


「だいぶ開いてきましたね、次の陣痛で押し上げてみましょう」

何をされたのかわかんない。
助産婦さんが手を入れて陣痛の波と同時に子宮口を開けたんだと思う。
そんな芸当できるのかは知らないけど。ていうかそんな芸当できるなら
はやいうちからして欲しかった。

「全開しました!」

急に辺りがあわただしくなった。
看護婦さんや助産婦さんがいっぱいはいってきた。
いろんな機材が用意され、ベッドが分娩台に早変わり。
足をのせる台が取り付けられた。

多分一瞬の間に用意されたんだと思う。
でも用意してる間にもビッグウェーブが容赦なく押し寄せる。
はやく!はやく!のんびりしないで!

「何かと思ったらお弁当の話だった」
「もうお昼か」
看護士さん同士話してるのが聞こえた。
そんな話いいから早く準備!!!
どうやら必死なのは私一人みたい。

「ここに足をのせて」
のせた足に何か布のようなものがつけられた。
その間も陣痛がやってくる。

もう我慢しなくていいんだよねぇ!
いきんでいいんだよねぇ!!!
準備完了まで待たずに陣痛来たら思いっきりいきんだ。
一気に産んでやる!
いきむの我慢しなくっていいってなんて幸せ。


うーーーうーーー

先生がやってきた。
「よく我慢しましたねぇ。あと少しですよ」

陣痛の波が去ったら一時休憩。
「はい、普通に息してください」

きた!
うーーーーーー
「長めにいきんで!はい、一旦また息吸って、はい、またいきんで〜!」

この時は本当に頑張った。すごく気合いれた。
助産婦さんの言うこともよく聞いた。
あと少し!あと少しで終わるんだ!!
この頃になると陣痛の痛さなんて感じなかった。
大きな塊が降りてくる感覚が気持ち悪い。

「髪の毛見えてきましたよ」
どういう風になっているのかわかんないが、もうすぐってことなんだろう。

うーーーーー うーーーーーー

「頭でますよ、もういきまなくていいですよ」
「はっはっはっはって息をして」

はっはっはっは・・・・
あと少しあと少し・・・

母親が足元をちょこっと覗きに行くのが見えた。
なんてデリカシーのない・・・。この母親そのまま授乳の度に赤ちゃん
覗き込む母親になった。それあまり気分のよいものではない。
何度か怒ったら覗き込みにこなくなったけど。

すぐ出口に何かあるのがよくわかった。
気持ち悪い。早くそれなんとかして。
出産前”エイン切開”しないで産みたいなんて思ってたけど、切っても
なんでもいいからさっさと終わらせたい。そう思うようになっていた。


「もう一回ひねって」
先生が助産婦さんにアドバイスしているのが聞こえた。
  *赤ちゃんは体をひねりながらでてくるのでその手助けをしていたもの
  と思われる。


つるっ!

「でましたよぉ。大きい子だねぇ」

最後はつるっていうか、にゅるって感じで赤いというか
青白いというかそういうふにゃふにゃの物体が出た。

やっと終わった・・・疲れた。
出産終わっての感想は素直にこれだった。
感動したなんて話きくけど、私にはそんなのあり得なかった。

終わった・・・疲れた・・・痛かった・・・次は無痛分娩にしよう・・・











2005年09月21日(水) LDR室にて まだまだ我慢我慢

LDR室はナースステーションのすぐ隣にあり、真ん中に斜めに
ベッドが一台置いてあった。
そのベッドに横になる。
頭の方を少し上げた状態にしてくれた。

「よく歩けましたね」
助産婦さんに誉められた。
って歩けって言われたからそういうもんかと思って歩いたよ。
歩けなかったら運んでもらえたのかなぁ?

この部屋に移ったらお産が終わるのももうすぐだ!

「あとどれくらい?」
再度聞く元気が出た。

「今で半分くらい」

A曰くこの言葉を聞いたとき私はなんとも言えない表情をしたらしい。
そりゃぁそうだ。時計を見たら分娩室で5時間近く耐えていたことになる。
それなのにまだ半分?!
出産て信じられないくらい苦しまないといけないんだ・・・。
あと2,30分と思ってたのに。
気合がいっきに消えた。
陣痛の波は容赦なく襲ってくる。
痛くてたまらないのに気を失えない。
なるべく意識を朦朧としようと心がける。はっきり覚醒してたらやって
らんない。

「目がうつろですよ。大丈夫ですか?」助産婦さんに呼びかけられる。
覚醒させないで頂戴。

いたたたたた!!!
いた〜い!いた〜い!
うううううう・・・・
痛さで息がつまる。力が入る。

「息を止めないで!ふーーふーーふーーふーー」
助産婦さんに促されなんとか息を吐いてみる。
はっはっはっはっ

母親が力入る私の手を取って長い息を促す。
え?母親ここまで入ってきてるの?
予定外のことで驚いたが追い出す元気がない。もう誰がいても同じ。
もうどうでもいいや!

いたーい いたーい!
「帝王切開にして〜」またわけの分からないことを叫んでみる。

うううううう・・・
どうしても陣痛の波が来るたびに息が止まる。

「赤ちゃんの心拍さがってるよ!赤ちゃん苦しいよ!かわいそうよ!」

そんなこと言われたって心拍あるんでしょ?苦しいって私が苦しいし
私がかわいそうだよ!
まだ見ぬ赤ちゃんのこと言われても実感もなく、だから頑張って息を
しようなんて気になれなかった。

かろうじて はっはっはっは 息を止めるたびに助産婦さんに
パンパンと肩をたたかれ、なんとか短い息をしてみる。

「そうそう、もう少し長い息をしてみようか ふーーふーー」
波が落ち着いてくる、少し息ができる。
そして痛みが去りひと時の無痛の時間がやってきて、その一瞬に
眠りに入る。

きた!!
また陣痛の波がやってくる。
今度はAが私の手を握ってくれた。
手に力が入る。お産が終わったらAの腕は傷だらけだった。

「あぐらかいてみます?」
無理!もう動けない!

いつの間にか足の間に枕みたいなものが挟まれていたことに気が付いた。
「それのけて下さい!!」

「やっぱり戻して!!!」
わがまま放題。一体どうしたいんだよって周りは言いたくなっただろう。
でも、こっちが教えて欲しい。一体どうしたらいいんだよ!!!

「8センチですよ」
この頃もう痛さのピーク。
10センチ開かないといけないということだけど、あと2センチくらい
おまけしてくれていいんじゃないのって気持ちになっていたが、まだ
いきませてくれない。ひたすら我慢。


時計を見る。すでに30分は経過していた。


まだつづく






2005年09月18日(日) 陣痛室にて2 苦しみはまだまだつづく

触診をしたらまたAと母親と私だけにされた。

はじめは陣痛の波が来るたびなんとなく張りの機械を見ていたが
あまりのグラフの振れ様に見ていたらもっと痛い気分になるので
目を瞑って過ごすことにした。

ますます間隔が短くなり痛さが強くなる。
いきんじゃいけないと知りつつも思わず力が入る。
うううううう・・・
ドパっとナプキンに破水がしたのが分かった。
2度ほど大量に破水してナプキンも出産衣もびしょびしょになった。

この頃ショーツは産褥ショーツにいつのまにか着替えていてナプキンは
ナイト用よりさらに大きい特大ナプキンをあてられていた。

もうかなり子宮口開いてるんじゃないの〜?
はやく分娩室に連れて行ってよ。はやく産ませてよ。
早くどれだけ開いてるか見に来てよ。

「もういい!!もういややぁ!!!」
叫んでも出産が終わるまでこの苦しみをだれが終わらせてくれるものか。
わかりつつも叫ぶと、横から母親が。
「何言ってんの!」と私を一喝した。
これには苦しみながらかなりむかついたが、「わかってるよ!」などと
いつもの小競り合いをする余裕も無く怒られるがまま。

どれくらい経ったかまた助産婦さんが子宮口の開き具合を確認しに来た。
はっはっはっは、もう第二段階に行ってるからかなり開いてるはず。

「4.5センチですね。」

ってことはさっきとほとんど変わってないじゃない。

「腰の辺りが痛くなってます?」
どのあたりが痛かったのだろう?多分骨盤の辺りと答えた気がする。

「じゃぁまだかなぁ?力入れたら陣痛来ても赤ちゃん降りて来にくい
んですよ。」

ちょっとぉ!それ早く言ってよ!
痛みだけ味わってお産が進まないなんて最悪だよ。
もしかして無駄に苦しむ時間を過ごしてしまったの???

陣痛というのは子宮の収縮運動でその収縮に合わせて赤ちゃんが降りて
来るらしい。そこで力を入れたら降りてこないんだって。
こうなったら意地でも力入れないようにしてお産を進ませないと。

「あぐらかいて座ったら赤ちゃん降りて来やすいですよ」

あぐらをかく姿勢が楽だとは到底思えなかったが、お産が早く進むと
聞いて背に腹はかえられないとあぐらをかいてみる。
するとまぁ、意外なことに横になってるより幾分ましな気がする。
でも容赦なく襲ってくる陣痛の波。
Aにしがみつく。
しがみつきながら変な姿勢になる私を支えながら腰をさすってくれるA。
これって結構助かった。

ふーーはーーふーーはーー

溺れかけた鯉みたいになりながら変な呼吸を繰り返す。

「上手ですよぉ〜、赤ちゃんも心拍しっかりしてますよ〜」
この呼吸が上手なわけないが、助産婦さんが励ましてくれる。
意識が朦朧としながらこの状態でしばらく過ごした。


「じゃぁ、処置がしやすいのでそろそろLDRに移りましょうか?」
LDRというのは陣痛、分娩、産後をひとつの部屋で過ごせる部屋で
ベッドが分娩台にはやがわりする部屋なのだ。


お!?
分娩室に移れる?
先輩産婦の多くから分娩室に入ったら20〜30分で産めたと聞いていたので
俄然やる気が出てきた。

「歩いて行こうか?」

てっきり車椅子に乗せてもらえるもんだと思っていたが、すぐはす向かいの
部屋。あの部屋に行けばすぐこの苦しみから解放されるんだ!

陣痛の波がおさまるのを待ってさっさとLDR室へ移動した。

つづく








2005年09月17日(土) 陣痛にて 本当に大変なのはこれからだった

陣痛室に入ると痛みはさらにエスカレートしていた。

気が付くと母親が来ていた。
私が食べ物と飲み物いるらしいよって言っていたんで母親も食べ物を
用意してきたらしい。

「なにか食べる?」

痛みに耐えてる私に言われたって食欲なんてない。

「Aちゃん食べる?」

今度は腰をさすってくれているAに向かって聞いている。
くっそ〜私が痛みと戦っているこんなときに食べてみろ、後で覚えて
おけ!!!言葉にはしなかったけど・・・
どうせそういったら母親に「また、あんた何言ってんの!!」と
怒られるだけ。この苦しい状況で怒られたんじゃたまんない。
さすがのAもこの修羅場にいる私の状況を見て食べようとしなかった。

陣痛の間隔が短くなるにつれ痛みの程度が強くなる。
お腹の張りを診る数値が始め40〜50くらいだったのが80を越している。
グラフも振り切るくらいの勢いだ。
陣痛の始めの痛みの倍以上の痛みがくるようになってる。
イタイイタイ・・・思わずのけぞる。ベッドにしがみついてみる。

フーーフーーフーーフーー

一生懸命息を吐いて痛みを逃そうと努力。
波が去る。一安心。また波が来る。

「いたーーーい!いたーーーい!!」

言っても仕方ないのは分かりつつ大声でわめきまくる。
そんなことじゃ痛みは和らいでくれない。

「手がしびれてきた〜」私の訴えを聞いて母親がナースステーションに
伝えに言った。

「酸素を吸いすぎたらなるんです。吸わずにはくことを意識して!」
助産婦さんが来てアドバイスしてくれた。
呼吸なんてもう意識してられないよ。出産前練習していたラマーズ法
のヒッヒッフーなんてしてる余裕なかった。
ひたすらフーーフーーフーーフーー。
手はずっとしびれていた気がするけど、もう気にしないことにした。

後日Aによるとフーーフーーフーーでなくハーーフーーハーーフーー
でやっぱり息を吸うほうがメインになっていたらしい。


Aは一生懸命腰をさすってくれている。
「私の呼吸と合わせてさすって・・・」リズムが合わないとなんか痛い。

ふーふーふーふー
呼吸に合わせて腰をさすってくれるようになり幾分かましっぽい。

先生が来た。
「どれくらい開いたか診てみましょう」
陣痛の波がひくのをまってから触診。
4センチくらいだった。はじめから3センチ開いてたはずだから
これだけ苦しんでもまだ1センチ。ありえない・・・。本当に一日
かかるんだ。もう気を失ってしまいたい。

「(陣痛)2.3分に一回になってます。」(助産婦さん)
「第二段階だね」(先生)
多分察するに陣痛とは第一段階(10分間に一回の陣痛、これが約10時間と言われている)、第二段階(2.3分に一回の陣痛。このとき子宮口5〜10センチ開く)、第三段階(子宮口が10センチ全開、いよいよ分娩)の第二段階に
もうすでになってしまっているということだろう。

やっぱ出産早いんじゃないの?そう思いつつも今度は聞く余裕が無かった。
ひたすら痛い。
先生がオルゴールのCDをセットしてくれているのが見えた。
ちょっと聞こえたけど、途中からCDがなっていたのかさえ覚えていない。
結局必死でなんの気休めにもならなかった。


いたいいたいいたいいた〜い!!!
病院中に響き渡ったんじゃないだろうか?
とても迷惑だろうけど、もう周りのことかまってられなかった。

つぎへつづく






2005年09月16日(金) 陣痛室へ

Aの運転する車で病院に向かった。
横になりたかったので後部座席に乗り込み時々来る痛さに耐えながら。

「コンビニ寄るよ〜」

初産は10時間以上かかるからはじめの食べられるときに食べて体力を
備えてください。母親教室でそう聞いていたのでAにはあらかじめ
そう伝えておいた。Aは忠実にそれを守ってくれたみたい。
私のリクエストのパンとスポーツドリンク。
Aがコンビニから戻ってきたとき私は痛さと戦っていた。
やっぱり5分間隔だぁ〜。なんか短くない?

再び病院へ出発。とAがコンビニから道路にでるのに手間取っている。
ちょうど朝の通勤ラッシュが始まる時間。どうでもいいけど変なところで
手間取らないでくれ〜。
ついつい責めたくなったが今は喧嘩してる余裕ない。

病院に到着。腰を抱えながら夜間出入り口かのインターフォンを押した。
「正面の玄関あいてるのでそちらからお入りください」
歩けるんだけど、ここから入れてくれたらいいのに。やっぱりお産は
のんきなものなのかな?

中待合で待たされ、しばらくして先生到着。
内診室へ。内診台に座るとまた水がチョロっとでる感覚がした。
なんかやだなぁ。内診台がぐーと上がって足が開かれる。お腹痛い。
早くしてくれ〜。足開くのもつらい。
内診の間もチョロチョロと破水がする感覚があった。
「破水してますね〜。ちょっと処置しますね」
細菌に感染しないよう消毒?をしたらしい。

「旦那さんもこちらへ」
旦那じゃないんだけど、病院にそんなややこしい話しても仕方ないか。
旦那さんってことでAと一緒に診察室に通されて先生の説明を
聞いた。腰の辺りというか骨盤のあたりがかなり痛い。説明なんて
いいから早く陣痛室に連れて行って早く生ませて欲しい〜・・・。
この頃結構な痛みが来ていた様に思う。
耐えられなくはないけど、もう普通にしてるのつらい。

「(お産)どれくらいかかりますか?」
「う〜ん、今日中には行けるとは思いますよ」

えぇ!!!今日中って・・・。その時朝7時過ぎ。
今日中って何時間かかるんだよぉ。
一週間ほど前の検診で子宮口3センチ開いてるっていわれてたし、柔らかくなってるってことだったからすぐじゃないの???
(お産は子宮口10センチ開かないといけない)
先生こないだ30%開いてるって言ってたじゃない。
てっきり普通の三分の一の時間でいけるんだろうと思い込んでた私は
その言葉を聞いて愕然とした。
そりゃぁご飯食べて体力そなえないといけないわ。

「朝ごはんどうします?」
どうやら自分で用意しなくても病院が用意してくれたらしい。

「いえ、買って来ましたから」
「じゃぁ昼ごはんからでいいわね」
う〜ん、やっぱり長期戦?

「じゃぁ陣痛室へ移動してください」
二階の陣痛室へ連れて行かれた。
陣痛室には陣痛用のベッドが二台あり、奥のベッドに通された。

横になってAに腰をさすってもらいながら痛みに耐えていると、
助産婦さんが分娩衣を持ってきた。
「これに着替えてください」着ていたワンピースもブラジャー
も取って分娩衣に着替え、お腹の張りを診る機械と赤ちゃんの
心音を診る機械をお腹に貼り付けられた。
スタンバイOK。

助産婦さんにまた聞いてみた。

「どれくらいかかります?」
「う〜ん、今日中には・・・」

先生も助産婦さんも明言は避ける。
こればっかりはわかんないものなのか・・・。
でも、陣痛の時間はどんどん短くなる。
このときもう3分に一回くらいは来ていた気がする。

ちょっとぉ聞いていたのと全然ちがう〜!!!


つぎへつづく



2005年09月15日(木) それは破水からはじまった。

朝6時過ぎ、尿意で目が覚めた。
妊娠してからというもの眠りが浅く、トイレも近くなっていて臨月に
入ったらなおさらその傾向が強かったのでまたかって感じだった。
しばらく布団の中で我慢してみたが、水っぽいものが二回出た気が
したので慌ててトイレへ。

案の定パンツとパジャマのズボンがぬれていました。
「お漏らししちゃったか〜?」
まだこの時点でおしっこか破水か見分けつかず、とりあえずバスルーム
で脱いでバスタオルを腰に巻いた。
その途端ポタポタポタ血が混ざった水が滴り落ち、お腹がきゅーぅと
痛くなりその場に座り込んだ。
いててて・・・こりゃ多分破水だ・・・はじまった・・・

こんなところに座り込んでいられない、部屋に戻ってパンツを履き替え
ナイト用の生理用ナプキンをあてながら、お産の立会い待機で泊まって
くれていたAに言った。

「ねぇ、破水したかも・・・おにゃかいだい(お腹痛い)」

Aは寝ぼけた声で「ん〜?そうなの?しばらく寝るね〜」
私の気の抜けた言い方では伝わらなかったらしい、冗談だと思った
らしくまた夢の中に入りそうだった。

う〜ん・・・お腹痛いけど、陣痛おさまるって話もあるから時間はかって
それからでも遅くないわ。再び布団の中に入り寝ているAの横に寝転がった。
そういえば破水したらすぐに連絡くださいと母親教室でも習い病院
からも言われていたのに変に余裕な気分になってしまっていた。

「はじめの10分間隔のときはまだまだ余裕あるから」一年前出産した
友達の言葉が頭に残ってたからかもしれない。

それにしてもお腹痛い・・・生理痛のきつい感じ。
う〜ん、う〜んでも耐えられなくはない。陣痛ってこんなものか、なら
乗り切れるな・・・。
時計を見ると10分間隔で痛くなっているようだった。

「やっぱり陣痛きたよぉ。病院に電話するから電話とって〜」
Aに電話を取ってもらい病院に電話した。

「あの〜陣痛始まったみたいです。あと破水もあったみたいです」
「先生に連絡取ってみて、折り返しご連絡するのでそちらの電話番号
教えてください」電話の向こうの看護婦らしき人が応えた。
破水したらすぐに病院いかないといけないんじゃないの?お産って
考えたよりゆったりしてるもんだなぁ。
ふぅんこんなものか〜。またまたのんきになる私。
このあとあの苦しみが待っているとも知らず。
しばらくして病院から折り返し電話かかってきた。
「では、入院準備してすぐ病院に来てください。」
そりゃそうだ破水までしてるんだからね。

「病院行くの?用意したほうがいいよね?何がいる?ちょっと身支度
してくるから」
陣痛がきてお腹痛がりながらものんきな私に戸惑いながら入院準備を
はじめるA。

「あれ?なに余裕なことしてるの?」
顔を洗って戻ってきたAの目に飛び込んだのは友達にメールを打つ私
の姿。だって陣痛来たら連絡するって友達(数名)に約束してたん
だも〜ん。
再び時計を見たら5分間隔で痛みが来ているみたいだった。
あれ?聞いていたのと違うなぁ。。。はかり間違い?気のせい?
10分てただの目安でこういうこともあるのかな?
取り急ぎメールを打ち終わり、服を着替えいざ病院へ。

「陣痛来たみたいだから病院行ってくる」
両親に声をかけてAに連れられいざ病院へ。

「そんなに急いで歩かずゆっくり歩いていきなさいよ〜」
玄関へ向かう私の背中から母親が声をかけた。
お腹痛いよ痛いんだけどまだ耐えられるくらいなんだ・・・
とりあえず車に乗ってからゆっくりするから。

つぎへつづく


2005年09月14日(水) Bからの電話

どきどきしました。
何の話か。

夜携帯みたらBからメールが来てました。

「今写真みてみんなでわーわー言ってる」
というのは、一応Bのご両親も子供に会いたいってことで
でも、しばらくお出かけはできないんで写真だけ現像して
送ってあげたんです。
別に会わせるのが嫌ってわけでもないし、可愛がってもらえる
方がベビーも幸せかとも思うんで。

夜電話を待たずに寝付こうとしてたらBから電話がありました。

「あ、もういいんだけど、親があかちゃんに会いたがってるから
そのこと聞こうと思って」
手紙に「また時期を見て会ってやってください」って書たからね。

「もし嫌なら適当に言ってあきらめさせようと思ってたんだけど」

B自身が赤ちゃんを見に来るときも「いいの?」って遠慮がちに
聞いてきていましたが、私はやっていこうという言葉さえでなけ
れば、Bやご両親がベビーに会ってくれるのは大歓迎です。

「それともうひとつ養育費とかの件だけど、気になっててどこに
振り込めばいい?」

これはまた微妙な問題です。
出産費用はいただくとして、Aとやっていくなら養育費はもらわない
でおこうと思ってるんですけど、今のところ私は一人でやっていく
ことになってるもんですから。
とりあえず子供の口座をつくってからということで先に延ばしました。
養育費は子供のお金だからね。


それにしても、ベビーが生まれてからBのことが可愛そうに思って
来ました。不細工でも何でも我が子は可愛いし、Bも会いたいとか
写真送ってくれとかすごく喜んでいる様子。
それが自分の子供として育てられないんだものね。

実際Bがどう考えてるかわかんないし、彼の気持ちを考えても
しかたないんだけどね。




2005年09月13日(火) 何の話でしょうか?

出産のお祝いの書き込み、メールありがとうございます。
なんだかんだ悩みに悩んだ出産ですが、産まれてしまうと可愛らしく
意外にのんびりと育児を楽しんでいます。


*******


今日出生届けに父親のこと書かないといけないので、Bにお誕生日など
問い合わせるメールしました。
少ししてお返事くれたんですが、その後のメールで
「今晩電話する」とありました。
何のお話でしょうか?

養育費、出産費用のお話だけだったらいいのですが、出産二日目に
子供に会いに来て、やはり自分の子供はかわいいらしく、その後も
写真を送ってとかまた会いたいなんて言って来るのでどういう
話がでるのか不安です・・・。

別にもうBに対して何らかの禍根を残してるわけでもないのですが
私はAとやっていくためにもう進み始めてるので、今頃なんらかの
こといわれても困るなぁと。

Aがやっていこうと言ってくれて、出産も立ち会ってくれたんですね。
Aとやっていくのすごく不安だったのですが、立会いのときも腰
さすってくれたり、励ましてくれたりで思いのほか助けになってくれ
て、子供が生まれたらすごく可愛がってくれていて、名前まで真剣
に考えて決めてくれて、父親以上に父親になってくれている感じで
彼が実際どう思ってそうしてくれてるのかわかんないですけど、
すごくAには感謝です。

杞憂に終わったらいいのですが、Bが変な気を起こしませんように・・・


2005年09月09日(金) 出産報告

長らく日記放置していました。
というのもとうとうご出産しちゃったからなんですよね。
陣痛の痛いのなんのって言葉で言い表せないくらいでした。
出産編はまた後日詳しく書いていこうかな。

とりあえず、無事3100グラムちょっとで元気な男の子が
生まれました。
今はおっぱい飲んでぐっすり眠ってます。
新生児っておっぱい飲んでうんちしておしっこする他は
ほとんど寝てるのでお世話は気が抜けるほど楽。
ま、おっぱいがよく出てよく飲んでくれるから楽なんで
しょうけどね。ネット見てたら結構悩んでるママが多い
みたいですね。

あ、心配してた”えいん切開”ですけど、やっぱり切られました...
傷跡がまだちょっと痛みます。
でもね、聞いていた通り切られたのって気が付かなかったです。
かなり必死だったんですよね。
しっかし切られたの気が付かないってすごい話ですよねぇ。
硬いうん○でお尻切れるのでもかなり痛いのに。

で、入院中あかちゃん見に来てくれたお友達に聞かれた質問ですけど、

「陣痛と産む瞬間どっちがいたい?」






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ま、とりあえず、母子ともに健康。
ご報告まで。



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