++ diary ++

- 諸行無常 -

日記の表紙に戻る過去の日記


2006年09月29日(金) 病院より

入院先の大学病院から母親が電話をしてきた。

思ったよりも重い病状を聞かされた。

ある程度の想像が付いていた。

それでも親父を励まそうと電話口に呼び

話をした。


気丈に振舞う親父に説教じみた言葉を並べた。

親父はオレが先日送った数十枚の手紙を読み返し

「おまえの言う通りだった」とやけに素直な素振を見せた。


3箇所同時の手術に応じれば手術時間は約20時間に及ぶとの事。

親父の身体がそれほどの体力が無く持つ事を考え辛いと

医師団から聞かされており

「もし同時に手術するのであれば

命の保証は出来ない…覚悟しておいて欲しい」

そう伝えられた。


沙汰の遠かった実兄も

病院に毎日の様に足を運んでいると聞いた。

遠く在るオレには出来る事が精一杯。

不安や気持の動揺も見せずに

来る客来る客に笑顔を絶やさず

目の前に置かれた仕事を黙々と進めるだけ。


同じ様に

病人や家族の面倒を見ている人たちは

オレの周りには沢山居る。

そして同じMIXI内にも。


そんな存在を意識しながらも

オレは日記と言う存在に弱音や本音を書きながら

人前で吐露できない事をここで吐露する。

そんな使い方だって在って良いよね。


心が穏やかになれる時間なんて

そう滅多に在る物じゃない。

年齢的にも

オレの人生の上でも。




2006年09月28日(木) 親爺

昨日再び親爺の顔を見に行ってきた。

今日が本番、朝8時からの手術となった。

数十時間の長丁場を体力が持つかが心配所とされていた物の

出来る検査結果のみの判断をすると

施せる手術だけでも先にして置かなければならない状況となった。

昨日、麻酔科の先生と話す事が出来た。

これまでの経験から得た物を先生に伝え

とにかく痛みと不安の無いよう施して欲しいと懇願した。


この2年程の近代手術では麻酔は必要以上に行わないのが主流であり

術中の麻酔切れを懸念するなど様々な理由による物だと言う事が解った。


今回は腎臓は触れずに放置、食道、胃上部、胃リンパ節、胆嚢の切除手術となった。

但し見解として腹膜やその他の転移や悪性腫瘍などについては

切腹手術をして見なければ全く解らないと言う

行き当たりばったりの手術になった。


腎臓を放置するのは体力的な側面から無理と判断されての事だが

腎臓は別の腫瘍であり、それも悪性と判断されている以上

すい臓やその近辺のリンパ節への転移が大きく懸念される。


今回の手術が行われれば、少なくとも1ヶ月以上向うに遅らせられてしまう2期的手術。

その間の化学療法も限界が有るだろうし、如何せん処置のしようの無い四面楚歌の状態。


生存確率は半々と予め聞かされていた事から

母は泣き崩れ我を忘れる始末。


その他、遺される事業的負担なども考えると

オレ自身も聊か頭が痛くなる。


ともあれ、どんなに苦労をさせられようと

裏切られようと

あれだけやせ細る親爺の顔を見せられては

やはりどんな親でも、親なのだなと認識させられてしまう。


術前と有って、普段顔を出さぬような身内が集まり騒がしかった。

皆が帰り静まった頃、親爺を励ました。

そして目が潤みかけた頃、親爺を院内の風呂に連れて行き

オレは帰途についた。


切腹手術をしてから6時間が経過している。

手の施しようが無ければ、直ぐに閉腹するだろう事を考えれば

恐らく切除が進んでいるのだろう。


今晩、親爺に会いに行こうと思っていたが

連日の疲れもあって、馬鹿な事に風邪を引いてしまった。

風邪は免疫力の衰えた親爺にとって命取りになる事を考えれば

会いに行く事は遠慮しなくてはならない物の

やはり親は親、子は子の心情。


今はひたすら、術後の回復が進み

2期手術へ進める事を神に祈りたい。



toto