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- 諸行無常 -

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2005年08月19日(金) ホンの少しだけ・・・

ホンの少しだけ、自分を信じよう。

そんな気持ちになってきた。

前向きな自分を、余所見させる様な出来事には蓋をしよう。

見て見ぬ不利も必要だと、そんな風に思えるようになってきた。

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クルマの故障が起きた。

いつも修理を依頼してるWさんに連絡をした。

「いや〜忙しくて、受けられないんだよ〜」

そんな言葉がこの数回増えた。

どうして?

そんなに忙しい時期なのかな?

もう何度もそう言われてるけど・・・お宅はどうしてクルマを売っているの?

フォローアップしないの?

そう思いながら、もっと突っ込んで聞いてみた。

すると、、、

「いや〜○○君(オレの名前)の紹介で、修理何度か受けたKさんがさ、もう半年も修理代払ってくれないんだよ〜、だからさ〜○○君の修理はぁ〜(受けづらい)」

見たいな言葉が帰って来た。

なぜ?

どうして?

Kさんとは知人で、確かにオレが紹介したけど、オレと支払いとは関係無いでしょう?

それに、他に言い方あるでしょう?

例えば、「あ〜丁度良いところに連絡くれたね〜、Kさん、まだ支払ってもらえなくってさ、○○君から伝えてくれないかな〜?」とか、、、

余りにも子供じみた、Wさんの言い草にオレはあきれ返ると同時に怒りが込み上げた。

エンジンがもうダメな状況だったので、結果的に、Kさんとオレの関係が、今は凍結してる事を話し

とりあえず、今回の修理を受けて貰う事と引き換えに、オレはKさんに

催促の電話をする事を受ける事になった。

オレはWさんの電話を切った後、直ぐに怒りの心情のままKさんに連絡をした。

「理不尽だと思うかもしれないけど、オレの修理を受けられないって言われました。 直ぐに払うなんて無理だと思うから、一報だけ入れてもらえませんか・・・」と、オレ。

「すみません、、、オレがいっときます、、、」と、Kさんが声を強張らせ話す。

そして夕方、Wさんから代車手配の連絡が無いので、オレから連絡を入れた。

するとWさんは

「いや〜、ビシッと言ってくれた見たいだねぇ〜、連絡ありましたよ〜。 明日振り込んでくれるそうで〜。 くれぐれも○○君とKさんとは無関係(今回の件)だから、、、、って言われましたよ〜」

と、調子がいい。

オレの怒りに油を注ぐ、Wさんの言葉を、素直に受け入れられる訳も無く、翌日、代車を借りに行ったが

オレの仏頂面以上に、Wさんのそっけない態度。

なんだ?この態度は?

オレは、何人、お客さんを紹介したんだ?彼に?!

付き合いを得て何年になる?

こんな子供じみた一度の感情の犠牲に、オレはなるのか?

更なる怒りがオレを取り巻き、もうどうにも手におえない自分が居た。

オレも大人だからと、吐き溜の言葉を抑え、大人しく代車を借りて帰った。

数日後の今日、Wさんから、「加給機逝っちゃってるから、中古部品探して、もう6件目なんだけどね、無いんだよ〜なかなか〜。 どうしようかなあ?」

(・・・・・・ムカ・・・!)

それを何とかする事が仕事であって、今までもそうして来ただろ?

そう思った。

どうにも気分の上下が、Wさんの行動を左右する事など、初めから解っていた事で

警戒だってその都度していたけど、いい加減、怒髪天も頂点を突く。

そう思った瞬間だった。

どこの社会にも居る、こう言う困った大人。

それもいい年をした、、、。

久しぶりの屈辱を味わう気分だ。

怒り心頭の長い一日だった。



2005年08月13日(土) 禁掟

有ってはならないが「死」の文字が頭をよぎる。

「死」はあってはならない。

死を考える誰しもが憑りつかれたように死へ加速する。

この数日そんな事ばかりを考える。

虚勢をはり続けると疲れる。

疲れはやがて絶つ事を考える。

もう疲れたと

そうこぼすだけでは足らずに

真っ暗な淵へ落ちて行く。

疲れた

暗い洞窟を歩きすぎたのか

目が暗闇に慣れ

やがて見えないものが見え始め

外の光を拒みはじめる。

もう

そろそろ。


2005年08月12日(金) 応援

近所の仲良くしている社長が、取引先に告訴された。

取引先が倒産し、その売掛残への請求権についての案件だった。

おれより7〜8歳ほど上の社長だが、オレによく色々な事を聞きに来る彼。

彼は初めての出来事に驚きを隠せない様子だった。

数週前から聞かされていた事で、相談にのり、対処方法を色々と提示していた。

オレは苦い経験が多いせいか、法律に触れる事が多く、結果的に相談に乗る事が増えた。

彼は最北の地の裁判所から送られてきた書類に吃驚し、そのままオレに相談に来た。

段取りを教えた。

遠い地の案件だと、当地弁護士会館などで紹介を受けると旅費までも賄わなくてはならず

彼が直接応じ、現地に行くにも旅費やら様々な経費が付きまとう事になるため

電話での応対をする事になった。

出廷しない場合、意思ありとの受け取り方をされるため、

何らかの意思表示、または通達が必要になる。

分納を見込んだ電話での会話の末、若干回数による案件金額の返済を余儀なくされた。

今日、改め、その結果を聞き、もっと細かく指示すべきだったと反省。

管轄の当事者は集金できる事が目的。

そして弁護人、管財人も集金できる見込み、そして法的執行で縛る事が目的なので

分納には当然応じるし、回数も無理を言えば泣く泣く応じてくれるケースが多い。

その為、回数を増やす事をもっと伝えれば良かったと思った。

結果的に、彼はいい経験になったとこぼしていたが

初めて見る彼の元気のない顔には、うっすらと目が充血しているのが見えた。

一昨日、昨日、そして今日と、オレは彼に、オレがついてるから大丈夫です!

頑張りましょう!

と、脈絡も理由も無い、空元気を彼に与えた。

そんな事でも人は勇気付けられる物だから。

それはオレが一番感じている事だから。




2005年08月11日(木) 自分

今朝、職場の前に、幼児が足を三輪車に絡めてしまっている親子が居た。

泣きながら叫ぶ親子。

完全にわれを忘れている状態で冷静に物事が見えていない様子。

オレはドライバーを持ってきて部品をはずし、靴が絡まっているだけの状況に気付き

靴を脱がして!といい、足をはずしてやった。

オレは事が終わると直ぐに職場に入ってしまった。

母親は周囲の野次馬にお礼を言いつつ、そのまま立ち去った。

朝から騒がしい一面だった。

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人を過信して自分が没して行く、その様は情けないの一言に他ならない。

何度、自分の環境、自分自身を恨んだ事か解らない。

責めて始まるものでも無いけれど、自分自身が萎れて行くのが解る。

何をしても力が入らず、苦痛と孤独に苛まれ

ただ空気に漂っているだけの様な自分。

心が死んでいる。

年を取るごとに自分から自信や体力が無くなり、涙もろくなり、過去を振り返るようになる。

情けないかな自分のその姿こそが、自分の一番嫌いな姿だった。


2005年08月10日(水) 涙するとき

誰にでも涙するときはある。

色んな思いに駆られ

溢れ出そうなその思いに耐えられず

思わず涙が溢れ出る。

感情のコントロールが出来ぬまま。


2005年08月09日(火) 耐えるという気持ち

屈辱に耐える。

己に耐える。

闘いに耐える。

仕組みに耐える。

色んな事に耐える事を覚えてきて、これから先を耐える事を更に続けて生きていくのだろうか。

耐える事が美徳なのか。

我慢を強いる事が美徳としてきたオヤジに育てられた。

我慢は根性が要る事なのだと教えられて来た気がした。

耐える事

耐える事はどこがボーダーラインなのか解らない。

どこからどこまでが耐える部分なのだろう。


2005年08月08日(月) キャパシティ

久しぶりに精神的なキャパシティを越えてしまった。

ドッと精神疲労が押し寄せた。

疲労感でいっぱいだ。

疲れてしまった。

ゆっくり休みたい。

休憩がしたい。

休息が欲しい。

頭の中が一杯一杯で。

はちきれそうな自分の頭の中がパンク寸前だ。

そろそろ止まりたい。

歩きたい。

走るのをやめて。

全ては出来ない事の心の弱さの愚痴ばかり。

でも休みたいんだ。

立ち止まれない苦しさから開放されたい。


2005年08月07日(日) 思うこと

どこもかしこもお祭り騒ぎな日々。

当地もお祭りに囲まれて、仕事をする毎日。

街中に居る以上仕方の無い環境。

訪れる人や周囲の人が、たまには休んでお祭り楽しめば?なんて声をかけてくれる。

でも、昔から思うこと、「人が楽しむ時間こそ、自分が働く時間」。

実家の失敗や色々な経験をした後に、オレが独立する時に強く思ったこと。

人よりも楽をしたければ、人の何倍も努力しなくてはならないし、人の寝る間も惜しんで努力する。

そう、ずっと思ってきた。

途中足踏みしたりした時期も有ったけど、こうして周りが楽しむ時間こそ、自分が努力すべき時間だと思っている。

これは間違った捉え方と笑う人も居ると思うし、嘲笑もされると思う。

でも、スタート地点は人それぞれで、感じ方、動き方、感情も人それぞれ。

きちんと時間を管理して、遊ぶときは遊び、働くときは働く、そう思うのが普通だろうね。

オレはそういう事が下手な人間かもしれない。

羨む気持ちも勿論ありながら、楽しみながら往来を行く人々を見て、また夜がふけるのを待つ。

近所には同じく仕事をしている人も居れば、途中で切り上げ、お祭りに行く人、家族を持っている人は家族サービスをする人、それぞれ様々だ。

こうしてお祭りが一つづつ過ぎて行くごとに、夏の終りを感じる。

短い夏。

また今年も日焼けも無く終わりそうだ。


2005年08月06日(土) ニヤリ

オレの日記を、タレントの松田純が訪ねてくれた。

なんとなく嬉しかった。

男って単純。

はぁ。

今日は当地お祭りの最終日。

夕方から雨が降った。

昨年もお祭り当日に雨が降った。

誰かが悪さしてるんだね。

あぁ〜ぁ。

この数週間モチベーションを切らさずに頑張り続けている。

一人で仕事をしていると、モチベーション維持が難しい。

困難に困難が重なると、ため息しか出なくなる。


2005年08月05日(金) 恋をする女性

お祭りシーズンにちなみ当地でも様々なイベントが繰り返され

今週も沢山のイベントが続いている。

近所の知り合いの会社のスタッフ達が、お目当ての男の子を目指して右往左往。

年も若く、恋愛だけに熱中する姿が、とても羨ましくも清々しくも見える。

皆着飾り思い思いの場所でアルコール片手に公園で繰り返されるLIVE音楽に

酔いしれる楽しそうな笑顔がこのあたりには沢山見る事ができる。

イベントが終り、路上には祭りの後だけが残り、寂しさを感じる程の空しさ。

恋に一途になれる、そんな時代がある事が、羨ましく映る。

若さの一番素晴らしい所って、そんな所だろうか。

今日も青春の1ベージが記される。


2005年08月03日(水) 頼られるべきは男の常

オレは物心が付き、やがて成人してからと言うもの、親から金銭的に相談をされることが多かった。

それは過去にも触れている通りで、オレは商売をしてから大口の相談をされるようになったりした。

当然ながら親には出来る時には出来る事はして来た。

それに育ててもらった自分から親への当たり前の気持ちがあればこそ尚更。

今日、事業の連絡とは別に親から連絡が来た。

今日用立てないと親の事業が止まってしまうと言う。

何とかしてやりたかった。

でもそれが出来ない理由があった。

オレ自身にも降り掛かる今の状況があり、早朝からウンザリするほどの屈辱を受けたばかりだった。

親に対し何も施せない自分が腹立たしく、苛立ち、何も出来ない自分を責め続けた。

世の中を見渡せば、不遇などと言う言葉とは無縁な人間たちが山ほど居るというのに

幸せボケした人間ばかりが目に入るのは、オレ自身の嫌な心の裏面から見える羨望や嫉妬。

幸せな時間なんて待っていても来ない。

幸せな時間なんて作るもんだ。

そう思い続けて来た事が何か自分に生んだとしたら

それは人の見方を厳しく見てしまう、高飛車な視線だけだ。

頼るべきものが無い存在、自分が頼られ、何かをすべき存在、

そんな存在に立った事がある人は、何人もいるだろうし、その環境の中でキチンと毎日を過ごしている人だって居る。

オレには今、裏側の人を羨む気持ちしか持てて居ない。

ネガティブでじめじめした嫌な自分だ。

然しながら現実はそうそう変わるものでは無い。

男と言うものを、男らしいと形容されるように

男は「男」で無ければならない。


2005年08月02日(火) 夕立

湿気が多く蒸し暑い8月がやって来た。

セミの声の替わりに夕立が降る。

タライに溜まった水をひっくり返したようなすごい雨。

タイル状の道の隙間に詰まった土を掘り返すほどの雨。

降り止んだあと、また蒸し暑さが残る。

掘り返された土は小さな苔と共に路上に転ぶ。

良いような悪いようなこの陽気。

今自分が置かれている状況も蒸し暑い夏の様。

苦渋に歪む自分の顔がそこには有る。


toto