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- 諸行無常 -

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2005年07月31日(日)

随分若い頃の自分は海に居た。

洛陽、セミの声を聞きながら海と空の境目を見る。

人の去った後の浜を見るのが好きだった。

波乗りに行った時も人気の引いた海を見ながらボーっとするのが好きだった。

今日いつの間にか、職場の周りにもセミの声が沢山する事に気付いた。

夕日が見える時間にはセミが大合唱している。

フランスの夏は短いと言われている。

先日もテレビを見ていると、セーヌ川のほとりに砂を敷き、仮設ビーチを作り、忙しくてビーチにいけない人を癒すのだと言う。

当地日本の夏も短い。

梅雨が終わり、暑くなったと思うと、気付いた頃にはもう秋になってしまう。

セミの声を聞くと夏の終わりを感じてしまう。

数年前は病室から聞こえるセミの声と暑い日ざしが夏だった。

今年もお盆がやってくる。

刹那な夏はあっという間に過ぎてしまう。

夏。

色々な意味を含んだ、オレの夏はもう終わりに近づいた気がする。


2005年07月30日(土) 某芸能人

オレは仕事柄もあって、結構芸能人に出くわすことが多い。

木曜日、仕事の関係で某メーカーにいると、どこかで見た顔がウロウロ。

恵まれたバストにTV上より遥かに細い足。

そして意外と小柄な女性。

その女性は衣装協力のためにでも来社していたのか、闊歩して出て行った。

その人は2人グループの片割れで、同僚を虐めにあわせパートナーをやめさせてしまったと言ううわさの有る女性。

流行語大賞もたしか受賞した気がする。

大衆の中に混ざれば芸能人もただの人。

そんな感じさえ受けるひと時だった。

同じように以前有楽町の西武の地下の靴売り場で

セーラー服を着た刑事役をしていた有名女優を見たが、取り巻きも誰も付かずに一人で靴を買っていた。

ただ、その女性の場合はTV上の印象とは全く反対の、すこしいいオンナ系のオーラが出ていた。

髪型もTVのときとは違い、所謂、アイドル系よりはセクシー系といった感じ。

実物を見てTVよりも印象が良くなった女優の一人だ。


2005年07月29日(金) 悔しさと晴れ間の出来事

オレには相続債務を始め様々な重荷がある。

今日、兼ねてから良い印象の無い某行職員とその上司たる人間が訪ねて来た。

今週多忙を極めていた自分にとって3日前からの連続する処務に加え

緊張感の連続に心も体も萎えていた、そんな上に、まさに招かれざる客だった。

資料に目を通したのか、某行員は人事が変わった後もしきりにオレへの配慮を忘れずにいたわりすら感じる程の接し方だった。

2年程前の人事前の行員はその清々しい顔とは裏腹に、死に直面していた起き上がることすら出来ぬ故人に対し

起き上がって署名を行使しようとした、まさに羊の顔をした狼の様な人間だった。

いや、そんな形容を遥かに超えた存在にさえ当時は見えた。

それを考えれば現在の担当行員はまさに行き届いた人間といえるだけに、またしてもその上司と言う人間性に腹が立った。

全てを熟知した上での発言ではなく、想像に過ぎない、行き過ぎた発言がオレの怒髪天をつく。

然しながら、社会的要素でオレの存在をゴミとも思わないその存在から見下された自分の立場を

再び冷静に取り戻し、改めて自分の感情をもう一人の自分が押さえつけた。

憤慨に値する出来事だった。

悔しさを抑えることを覚えて数十年の間、自分と言う人間の中にいつも別の自分を育ててきた。

そんなことが吹っ切れるには、晴れた空を見る事と、気の合う人とのたわいも無い会話をする事くらいだ。

こうして毎日の多忙を終えて行く。

忙殺される月、7月がすこしずつ終わりに近づいていく。

焦燥感と疲労感の間で。


2005年07月27日(水) 時に…

時に…強い心も打ちひしがれる時が有る。

強く前向きな心も鋼鉄の壁を打ち抜けない時が有る。

もっともっと、もっともっと、負けない強い心を持てと教えられる。

気持ちを折られる様な出来事は小さなものでは無く、大きな出来事が波になって押し寄せる。

それでも波間を抜けて強く抜け出さなくてはならない。

波間が無くても波間を見つけ出さなくてはならない。

不可能を可能にする事

時間が無ければ、作る事

苦しさを吐露できない自分

葛藤と闘う自分

天から、空から

くもの糸は垂れているか

垂れては来ない

そんなに甘く無い

娑婆を甘く見ては居ない

でも甘くすがりたい気持ちも心の底にはある

でもそれは出来ない

しない

くもの糸が垂れていなければ

探して手繰り寄せるのがオレ

それが自分

そうやって、やって来た

そうやって、やって来たんだよ

そう負けない心は折れない心

そう簡単に折れてはいけない

折れない心は鎧を着る事じゃない

心を硬くする事だ

きっと。


2005年07月24日(日) 強心

忍耐、そして前進する強い意志

志、そして実行する強さ

心に鎧を幾重にも重ね、何にも負けない強さを自分に着せて行く。

負ける事の無い、折れることの無い、心を培って行く。


2005年07月17日(日) 人の器を量る秤は無い

とある人のつづりを見ていて思ったことがある。

背景の無い場所から、一心不乱に努力をするその姿がそこには見える。

言葉だけではなく、その裏側に見えるものを想像させてしまう、その人間力がそこにはある。

人は表面に表さなくては意思の疎通が出来ない生き物。

テレパシーを持っているのでは無いので、言葉、身振り手振り、表現力によって自己をアピールする。

殊にこれを苦手とする人もいる。

苦手なその人は表面に自己を表現することが上手くない。

不得手は誰にでもあるもので、そんな表現力で損をする局面を持つ者も居ると思う。

全てがそうとは言わないが、多かれ少なかれ、人と接する事に慣れない環境に居る場合などはそうだろうと思わせる。

人は心の中身を見ることが出来ない。

それはMRIでもCTでも覗く事が出来ない。

でも、日記、Blog、Webなどにそれを表現の場として、見る事が可能になった現代のこの文明は

相互理解の上で役に立っていると思われる。

文明の生んだ物は何でもそうだが、使う人間の人格やモラルが問われる所。

良きに扱われれば、それはまたとない益材となる。

人は量る事が出来ない。

体重は量れても、その心の中身や器を計る秤は無い。

仕事を終え夜半過ぎ、タバコに火を付け誰も居ない公園に座り、何も無い真っ暗な空を見る。

空は黒くないことを気付けるだろう。

空が黒くないことに気付けている人はどれだけ居るだろうか。


2005年07月16日(土) ターミナル

トムハンクス主演のこの映画は公開時から見たかった映画。

昨日ようやくビデオを借りて見る事ができた。

トムハンクスの映画を見てあまり外れた事が無いが、どうも不遇な役割が多いのでトムハンクスを見ると少し偏った見方になってしまう。

本編は実話を元にした映画だそうだ。

勿論この映画上は着色されているだろうが、最近見た映画の中で一番良かった。

人の持つ大事な感情の中で、何が一番必要たるかを考えさせられるメッセージ性のある映画だった。

それは人と強固なつながりを持つ者の利益はその人格でありその性格であるという事。

そして何より大切なのが『諦めない』と言う一つの決意。

その志や目標の高さが値では無く、その諦めないという意志をもち続ける事、意する心の決意の固さこそが真意であり、人への施しや愛情がやがてその人徳を

鎖よりも硬く強固にガッチリと結びつけてくれる、そんな当たり前のようで当たり前に行えない

現代の人間像の裏側にも見えるような物を感じた。

この映画はそういう意味で見ていてホッとするような場面は少ないが心温まる映画だった。

※この映画でもキャサリン・ゼタ・ジョーンズが競演しているが、とてもはまり役で、相変わらずの美人が際立った。


2005年07月15日(金) セミの声

早いもので、もうセミの声が聞こえる。

まだ梅雨も覚めやらんばかりの陽気にセミの声は聊か不思議な感じ。

夕立が良く降る。

夕立でモワッとした空気の中、陽が沈んで行き、街灯や店の灯りだけが光り始め

やがて綺麗に夕焼けに変わって行く。

セミの声は夕焼け空によく似合う。

でもそれは夏の終わりを感じさせてしまう寂しい声でもある。

日本の夏はあっという間に過ぎてしまう。

何もせずに居ると、何も出来ないまま、取り戻せない時間として過ぎていく。

もう自分くらいの年になると、毎年の夏がもったいないと感じるようになる。

あっという間に過ぎてしまう夏と、老いて行く自分。

切ないかなそれが加齢であり、大人として季節を感じられるひとつのファクターでもある。

セミの声

少し耳を傾けながらボーっとタバコを吸う一瞬だけがほんのり今年初めての夏を感じさせた一瞬だった。

早く入道雲を見たいな。

モクモクとあがる大きな入道雲。

沢山あがる入道雲を。

もうかれこれどれ位夏を感じなくなったんだろう。

少なくとも3年は夏と言う感じを味わえていない。

幼少以来、夏を楽しいと思えた3年前以来は。


2005年07月11日(月) 年とともに

理由無く悲しいときがある。

いや、理由はあるのかもしれない。

仕事中に突然涙がつたう時がある。

強がる自分の内側が急に表に出てくる事がある。

毎日の中に様々な事を考え大きく口に出す事無く

ただただルーティーンをこなし

次の一歩、次の一手に、足を、手を踏み出すだけ。

弱い自分を見せたり露呈する場面を嫌い

常に状況を客観的に見る自分が

男としての自分に挿げ替える。

年とともに変わりつつある自分の本来の姿が

むなしく寂しい哀れな気持ちになっていく。


2005年07月10日(日) 独り言

お人よしが直らない。

結局いつもこうなる自分の性格。

仕方ないか。

そんなに急に直せない。

でもまあ気付けてる時はまだいいや。

地道にいこう。


2005年07月09日(土) 生きる力

昨晩深夜、先日亡くなった彼の弟さんから故人の携帯からメールが入った。

故人の力となって下さりありがとうございます、お近くにお越しの際はお寄り下さいと、そんな内容のメールをわざわざくれた。

死後、落ち着きを得たのだろうか、丁寧なご様子でメールを頂いた。

昨晩は故妻の仏前に2本線香を燈し、共に供養をした。

オレの知り合いに家庭のために身を削り頑張っている親が居る。

オレと年齢もそれほど変わらない。

その人は家庭のために、家族のために、身を削る。

削り尽くしても、削り尽くしても、また削る場所の無い身を削る。

その人は慈愛に満ちた人。

人の苦痛や苦労を見過ごせないやさしい心の持ち主。

愚痴をこぼす事も多くなく、ただ無言に体に鞭を打ち続ける。

感心以外の何物でもない。

人に施す慈愛を持っている人間を数人知っているけれど

本当に心から慈愛を尽くし、与え続けられる人が、この世の中に居るのだなと

考えるだけで、まぶたが熱くなる思いがした。

そうした人たちを見て、自分の愚かさや不甲斐なさを知り、偽善的な過剰行動に釘を刺し、もっと自分への驕りを削いでいかなくてはならないと

改めて思わされる。

人は様々。

オレの様に人に迷惑しか掛けられない様な人間が、人のためになりたいとさえ思う矛盾もまた驕りだろうと、自責に止まない。

生きる力を持つ人間らしい人間がオレの周りにも居ることを忘れない。


2005年07月08日(金) 昼飯

近所に店を経営している小○さんと久しぶりに昼飯を食いに行った。

結構美味しい昔ながらの定食屋さんで昼間からビールを半分づつ飲んでハンバーグ定食を食べた。

雨続きの中にあって今日だけスッポリ晴れた。

そんな天気の中を公園で一服しているだけとか、缶コーヒーを飲むだけとか

風に当たっているだけで、気持ちいい

そんな一日だった。

混沌とした月を時間と戦いつつやり過ごす毎日にあって

そんなちょっとした事が心の薬になったりした。

疲れがたまっているのかな。

休みたいな。

そろそろ。


2005年07月07日(木) 訃報

亡き友の訃報を聞いた。

過日7月1日13:35永眠。

第三者を通じてオレを兄のように慕ってくれたと聞かされ続けた彼に逢えたのはたった一度。

オレは何も施せず何も思いやれず彼は孤独に釈迦道へ発った。

故妻死後様々な訃報を背に聞き、感じる事、思う事が多い数年間、身の程を知る自分の愚かさ、偽善的な施し、情けなさを感じる事が多かった。

彼は医師の通告よりも長生きできただろうか。

彼は心残りが多かった。

きっと。

死を間近に恐怖と対峙する毎日の中で恵まれないその置かれた家庭環境をうらんだりしただろうか。

人にはそれぞれ置かれた切ない出来事があるもの。

彼にも例外なくそれがあっただろう。

彼の事について知っている事は少ない。

しかしながら彼がオレにくれた言葉は数多い。

彼は故妻同様、死の直前まで気遣う心を忘れない人だったように思う。

先月から数回彼の携帯に一方通行なメールを送り続けたが、その返事が無い事で体調を窺い知ることが出来た。

彼は見えていた。

きっと見守る周囲の人たちの励ましの声や言葉を。

体が言うことを聞いてくれないと人伝いに聞いた。

彼は家族に看取られ発っただろうか。

いまから残りの42日は現世に居る。

彼の亡骸から彼の魂が色々な人に挨拶に行くだろうか。

おれは良くない出来事の前ぶれには必ず、スズの音や線香の匂いがどこからともなくする。

霊感の一種だと思う。

今までもそれを感じてきた。

今朝訃報を聞くホンの数分前に、密閉された車の中に線香の匂いがした。

虫の予感だった。

彼が当地に来たいとずっと言っていた。

彼は美味しい蕎麦を食べたいと言っていた。

釣りがしたいと言っていた。

山の空気が吸いたいと言っていた。

彼との最初の出会いはオレの貰い事故による過失説明からだった。

彼はそれ以来、オレに尊敬と言う言葉をよくくれた。

そんな器ではないオレに彼は敬意をくれたんだ。

彼は孤独だったに違い無い。

彼と同じ病を患う、当地の友達はかれこれ3年以上現状維持を続け社会復帰も果たしている。

彼にもその話をよくしていたせいで、彼はその友達への気遣いも忘れずにメールがよく来たものだった。

彼はほぼ不治のままこの世を去った。

故妻と同じくして、死を宣告された後に何を思っただろう。

「生きたい」その気持ちをどこに表していただろう。

そんな気力すらもう霞んでしまっただろうか。

彼の目を落とす瞬間、彼には何が浮かんだだろうか。

彼のし忘れた事は何だっただろうか。

彼は釈迦の道に修行に出るまでの間、オレの夢枕に立ってくれるだろうか。

彼にオレのわずかな勢いは届いただろうか。

手を合わせる事しか出来ない愚かな自分に幻滅する今と言う時間。

せわしく進むこの月、時間を頭の中を雑踏で荒らされた脳の中を彼の事を弔う気持ちで白くした一瞬。

死とは人に衝撃を与えるのではなく、戒めと改めの心を授けてくれる。

死が無駄に過ぎ去らない理由を見出すことの出来る大きく寛容な人へ昇華していかなければならない。

身近な人、「あきら」と言う人間の死に、オレは思う所がある。

今日と言う日に訃報をくれた友へも感謝しつつ、また彼の訃報に対しても心から冥福を祈り、手を併せ、彼の天界への浄化を先ず祈ろう。

痛みを感じない世界へ発ち、少しは楽になれたかい?

長い間頑張ったね。

辛かったね。

孤独だったね。

人は魂を持って生きるもの。

彼に、彼の魂に心から穏やかな時間が与えられる事を祈る。

お疲れ様。

そして頑張った君にはきっと恵まれた転生が待っている。

そして今度こそ共に毎日を楽しめるよう願う。

7月7日、奇しくも七夕。

当地は雨。

彼を想う弔いの涙と共に。


2005年07月06日(水) 若貴の行方

若貴騒動に決着をつけようと花田(兄)が遺産放棄を公式に発表したと新聞で読んだ。

貴乃花に纏わるニュースは以前から雲がかかる様な物が多かった様に思える。

今回も寝耳に水な状況だったそうで、兄・花田の行動に「不可解」とのコメントをしたそうだ。

貴乃花は部屋を守っていかなけばならない立場であり、なかなか強い力士が育たない事からも

部屋の存続を考え、金銭面の不安にさらされているようにオレには思えた。

そこで推定5億とも7億とも言われている、その遺産を手放すと伝えた兄の意思を金目当てと思われる事を面白くないと思ったのだろうか

どうしても貴乃花は後手に回ることが多く、イメージを相撲道の為にと威風を露わにしても、やはり雲がかり的に見えてしまう。

兄、花田はTV露出が多く、タレントとしての今後を確立しつつある今、自らを相撲に関わり、人生を相撲にとらわれる事から兄への嫉妬や

羨望の様にもオレには映る。

兄弟とも親譲りの相撲という一種世界観の違う場所で帝王学を刷り込まれて来たおかげで

今、こうして一般的な世界を生き抜く術を学び始め、世界観から遅れがちな世界に生きる者たちの葛藤を感じ見る。

彼ら以外にも医者や政治、様々に存在する帝王学による刷り込みの影響を受ける子供たちに慈悲さえ感じる。












2005年07月05日(火) 心の密度

先日御節介を止めようと思った切欠になった人間が居る。

彼がオレの行動にようやく理解を示し、自分の中で咀嚼した様子でオレに語ってきた。

経営方針をオレの様にしなければならないと言ってきた。

オレの方針が正しいとは言い切れない。

ただ本末転倒にならない為の杭を打ち続けて来た事への理解が彼の中で彼なりに咀嚼された様だ。

人は心の中に余裕が無いと、全てに貧しい考え方や発想をしてしまう。

心のキャパシティを計る所はそんな時に露呈される。

彼の中には少し気持ちに余裕が出来る出来事が有ったと想像するに容易かった。

人と言うのは心と体が連動された生き物である事を痛感させられ改めさせられる瞬間の出来事だった。


2005年07月03日(日) 御節介を止めるには

数年前に製造業から同業経営者になった友達が居る。

彼にはキャリアが少なく、経営、方針設定、内装、小回り等が上手く出来ない。

彼にオレの持つノウハウや様々な物を教えようと、しばらく懇親的に御節介をしてきた。

取引先の紹介から商売の方法まで、常に知っている事を情報として提供してきた。

人には性格と言うものがあり

幾ら教えられようと、壁にぶつかる回数が少ない人間ほど、這い上がる切欠が少ない人間ほど

普段、楽観的に見るものが全てと捉える事が多い。

オレには元来の御節介があり、結果的に彼に費やしてきた時間は多かった。

彼の中に、まだ芽生えない世の中に対しての空腹感や、優先順位を考えられない心の矛先が見えてこない限り

幾らノウハウを分けたとしても、糠に釘だと言うことに遅くも気づいた。

だからと言って、急に手を離すことは無いが、少し考え直すのは自分のほうだと言うことにもオレが気づいた。

性格はなかなか直す事は出来ないが、気づいた時だけ修正しようと「思う事」はできる。

だから御節介もほどほどにしようと思う。


2005年07月02日(土) 許容矛盾な苛立

オレが当地に引っ越して来てからの事業後、良く訪ねてきていた知人がいた。

その人は頭がきれて、言葉も両刃の剣な、所謂秀才タイプ。

グサグサと人を刺し抉る事が多い人。

家庭環境も相まってそうなったのだろうと推測できる。

昨年のある日、とある小さな事が原因で縁を断とうと誓った。

無論、先方もそう思っていたであろう。

今年に入るまで音沙汰も訪ねて来る事も無く、縁は切れたと思っていた。

3月に入り、一通のメールが届いた。

その人の知人が店を開業するので、色々なノウハウのイロハを教えてやってくれないか、と言う事だった。

オレは金輪際その人とは縁を作りたく無かったのでメールを返す事が無かった。

オレが縁を切る時は相当な時だと自分では思っている。

自分の中で許せる部分と許せない部分の間の距離が結構広い方だと思うのだが

一度縁を切ると決めた時は揺るがない。

そして昨日、今度は電話の着信があった。

折り返す事は無かった。

矛盾を口にされ、一方的な言葉で見下され、その後一方的な頼み事だけを懇願してくるその態度に

オレは大人になり切れない自分がいた。

一時の仏心で再た同じ苦痛を味合うのなら縁を切り通した方が良いに決まっている。

一時の事とは言え瞬間的に気持ちを抑えるのに必死な瞬間の出来事だった。



2005年07月01日(金) 打破すべき心の壁の高さは

打破すべき心の壁の高さは人それぞれ。

先般から俺の下へ様々な人生相談をしてくるやつがいる。

さすがに37年も生きてきて色んな経験してれば

大概の事は「たいした事ない」なんて思えてしまう。

それでも相談をしてくる人にとっては大きな問題であって、誰もがそれを乗り越えたいという先の目的があって相談してくるのだと思っている。

いましきりに相談をしに来ているやつは、自分のしている行動を肯定する為の言い訳探しをしてしまう悪い癖がある。

誰でも自分のしている事に間違いが無いと信じたい。

でも誰が見てもそれが間違いだと気づく事に関しては自らの力で打破して行かなければ、その先へ進むことが出来ない。

やつに同じ文言を何度伝えただろう。

やつには友達が多かった。

でも周囲が見えず、やがて周りを変えようとばかり考え、己が変わらなかった事で、友達が減って行った。

誰でも一度は体験する、自分の行動と向き合い葛藤する時間。

やつの友達にも話を聞いてみると、同じ行動をかれこれ1年近く続けているという。

今のままで、壁を乗り越えられるのだろうか。

心療内科に通い始め、薬を処方されていると言う。

今や国民の半数は精神を病んでいると言っても過言では無いと思うほど潜在的精神弱者は多いと思う。

飽食の世の中が、「何とか適当に生きていける」という図式を作ってしまったが故の文化病だとオレは考える。

他人は自分には成り代われない事をもっと知ってほしい。

幾ら回り道をしても目指すゴールは加齢と共に死という自然浄化への道ひとつなのだから。


toto