speak like a...child

 

 

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オープンキャンパス - 2002年07月31日(水)

昨日、今日と大学のオープンキャンパスだった。
普段、あまり馴染みのない大学での研究を広く一般に公開するという催しだが、
ここ数年は主に高校2年生たちの進路学習の場という様相が強くなっている。
夏休みということもあり、東北地方の多くの高校が貸し切りバスで訪れる。
うちの高校からも昨年の教育実習のときの生徒が何人か来るというので、
何か役に立てればと思って、連絡をとって会いに行ってみた。

とりあえず初日は同期の連中を冷やかしに数学科に行ってみた。
M1の友人たちが案内役をやっている。
オレのことを珍しいものでも見るような目で言う。「何してんだい?」と。

受付に同期の女の子がいた。
うちらの同期は48人中、女子が2人で、
そのうち4年次の専攻が一緒だった子だ。
すげーおとなしい子なんだが、気を抜くとたまに毒舌を吐く子だった。
1年間一緒にやってみて、そこらへんのギャップがおもしろかった。

「久しぶり〜、仕事なの?」
「うん、院生がいろいろね〜。」

「マツは?」
「キャンパスツアーで外回ってるみたい。」

マジか。陽が照りつけてるってのにご苦労なこった。

「暑いっしょ。」
「うん、まあねぇ。しかもこのTシャツよ。」

見ると理学部と書かれた青いTシャツを着てた。
最近は大学でそんなことまでするのか。

「エイジは?」
「いや、知らない。ずっと見てないよ。またアメリカじゃない?」

エイジというのはうちらの担当だった教授である。
ヒゲがお茶目な若い先生だった。
ちょっと目を離すと日本からいなくなる困った人だった。

「ねえ、ちょっと変わった?」
「え、全然。」

いや、かなり変わったって。
昔に比べて笑顔が自然になってた。
磨けば絶対かわいくなるのに、あんまおしゃれとしかしない子なので
いつももったいないと思ってたんだが、少し表情が柔らかくなってる。
なんだろう、院生になって心境の変化でもあったのかな。

実は「かわいくなった?」と言いたかったのだが、
さすがにそれには抵抗力がない子なので自粛した。
公衆の面前で赤面させて喜ぶような鬼畜じゃあない。

他の連中はというと、ガリュが妹を連れてきてるというのだが、会えなかった。
イタリア帰りだとか。小マダムめ。

あと、シンさんにも会えなかったな。サッカーの話したかったのに。残念。


結局、肝心な生徒はみんなと会えて、
何人かは1時間ちょい話し込んできた。

オレも高2のときオープンキャンパスに刺激を受けて
受験意識が高まったのだった。

彼らにも何らかの刺激になったら幸いだと思う。


まだまだいろんな可能性を秘めている高校生、
彼らの未来はどこまでも広がっている。

飛べ。翔ろ。

たまに転んで、立ち上がれ。

素晴らしい仲間とともに。


NUTS 4U - 2002年07月30日(火)

午後10時。
一日も終わりに近づいたので酒を飲みながら
くつろいでいたら電話が鳴ってカラオケに誘われた。
先日のカラオケ行きてぇ!発言を知っているはずはないのだが、
こいつらはオレが暇そうな瞬間を見抜いてるので
断る由もない。つか、諸手を挙げて参加である。
ちょと眠かったけど、どーせ不眠症だし。(意味不明)

酒を飲んだあとだったから自転車で行った。
待ち合わせの時間より早く着いたので
水時計のシルクをのぞいてみたらやっぱりいた。
しばし、当たらないルーレットに興じる。

ソルファがやたら混んでたので31で時間を潰して12時過ぎにマンモスに入る。
余談だが、31アイスクリームに『ナッツフォーユー』ってのがあった。(^m^)
小学校のころ、クラスのアベ君が『あべとん』(阿部のとんかつ)を見て、
「みんな、オレを食うなよ。」と宣ったのに近いものを感じた。アホかと。

カラオケはホント久々だ。
ROSSOが補充されてた。
こいつらと来ると何でも気兼ねなく歌えるからいい。

EMINヨMの“without me”があったので入れた。
もう、あれだ。エミネム歌うのはあきらめようと思った。
F#$% YOU DEBBIE!

午前3時。
歌ってる最中に電話が鳴った。
飲んだくれて帰る途中で暇だからかけてみたとか。
あ、そーすか。
つか、コイツらは容赦ねぇ。
3時だぜ?
まるでオレが遊んでるのを見越してるような。
そうでなきゃ寝起きですげー機嫌悪いんだけどさ。

20分後、さらにメールが入った。

『からまれてる。助けて。』

全身の血がサーッとひいていく感じがした。

やべぇ。
行かなきゃ。

場所を聞いて自転車すっ飛ばす。
タクシー邪魔だ、ボケェッ!

走りながらカラオケ組に電話した。
たまたま今日は自転車で良かったと思った。
なんか、何が冷静なんだか分からないが、
どの道を通ったかは全然覚えていない。

人気のないコンビニで一人たたずむキミを見つける。
なんとか逃げおおせたらしい。
世の中のクズどもに怒っているふりをしているが
その実、どこか怯えてる風だった。

何もなくて良かった。
それで十分なのだ。

狼狽えるキミを優しく包む。

キミが何でオレを呼んだのか分からない。
それだけがとても不思議だった。

夏になって、薄着になったキミの腕に
深く刻まれた傷跡を見つけた。

ただただ悲しくなった。

オレはキミを抱きしめてみても
キミの心までは救えないのだ。

懐にそう突き付けられている。


スキマカゼ - 2002年07月29日(月)

“Love is blind”
とはよく言ったものだ。

バランスと冷静が取り柄だったのに
気付いたら焦っていた。
むやみに視野を狭くしてしまっていたのだ。

自分のこととなるといつもこうだ。
ドラえもんのスペアポケットじゃないが、
スペアなオレがいたら少しは楽なのに。

非道くもがいていたようにも思うが、
救いの声をかけてくれた友人には感謝する。

とりあえず腹が減った。
今日はよく眠れる気がする。


We can go - 2002年07月28日(日)

私は非道くもがいてたから 救いの声さえ聞こえなかったの
誰かの唇が動く度 この肌は色を変えて行く
吐き気に潰れて行く中で 柔らかな手の平に触れる
どうか完全なものたちが そこら中に溢れないように

We can go to the place where we're forgiven
耳を塞いでも 叫び続けるから
We can go to the place where we get freedom
羽根を失くしても 私は飛べるから

盲目の日々に呑まれながら 私を呼ぶ声が怖かった
どうか光り輝くものたちが 二人を侵してしまう前に

We can go to the place where we're forgiven
失くしたものを 探しに行くから
We can go to the place where we get freedom
肌が熱いのを 覚えておくから

We can go to the place where we're forgiven
耳を塞いでも 叫び続けるから
We can go to the place where we get freedom
羽根を失くしても 私は飛べるから

We can go to the place where we get freedom
We can go to the place where we get freedom

私は飛べるから


【鬼束ちひろ / We can go】


受話器 no 向こう de... - 2002年07月27日(土)

昨日は暑い一日だった。
面接は昼で終わったので帰ってきてから
部屋の掃除をして布団を干した。
久々に家事らしいことをした。

試験も一段落したので貴方にメールを送ってみる。
ちょっとした近況報告。
最後に付け加える。

『そちらはいかがお過ごしですか?』

送った直後に電話が鳴った。

「もしもし〜♪」

元気だ。
というより陽気だ。
街の喧噪が溢れ出す。

どうやらもうできあがってるようだ。
週末は一週間の鬱積を発散するいい機会なのだろうけど、
会社の飲み会というのはいつも僕を不安にさせる。
見えない世界に嫉妬しても無意味なことは分かっているが、
こればっかりは仕方ない。

会話をしたのは10秒か20秒だったろう。
それでもメールでは見えにくい貴方の様子がよく分かる。
ちょっと声を聞けただけでも十分満足なのだ。

「うん、そんじゃーね。」

そう言って切ろうとした瞬間、向こうで男性の声がする。

「オイー、彼氏かよー。」

会社の同僚か、先輩か。

僕は彼氏じゃない。
それは事実だ。

電話を切った後で貴方はちょっとふくれて愛嬌混じりに

「違います〜♪」

と答えるのだろう。


ここのところ、貴方の顔を見たいという激情は鳴りを潜めている。
それは何故かは分からない。
貴方の笑顔もうまく思い出せなくなった。

ただ今は、貴方と会って話がしたい。

貴方に対して、悲しかったことと
苛立っていることが一つずつある。

それが解消されたら僕は再び貴方を求めるのだろうか。
再び貴方の笑顔に逢って、素直に幸せだと感じられるだろうか。

僕の中で何かが変わろうとしている。

とにかくちゃんと会って話がしたい。


変革は悲しくも寂しくもない。
ただ、どう移り変わりゆくのか、
それをしかと見届けたい。

心と体、啐啄の機会はいつも難しい。


「当たります。」 - 2002年07月26日(金)

いつものようにスーパーで買い物をしていたら、
綿棒の横でパッケージに「当たります!」の文字が見えた。
懸賞付きのコンドームだった。(以下、ゴムね。)

いや、そんなんむやみに当たられても困るダロ、と
つっこみを入れたくなるのはオレだけだろうか。
友人はゴムを着けてて大当たりを叩き出した。
「ある意味オレの勝ちだ。」なんて悲壮な面持ちで言ってたが、
勝負に勝って試合に負けるというのは常にそういうものだ。

先日、女友達とSEXの話をしたときはたいそう驚いていた。
ゴムを着けてても100%じゃないということを知らなかったらしい。
無知を責めるつもりはないが、立派な大人の女性にとって
そのことが常識じゃない現代社会はどこかに欠陥があると思う。

ゴムが100%信頼できないというのは仕方ない。
元から穴が空いてたとか劣化していたというのは論外だが、
製造の過程でゴム繊維が均一にならない場合がある。
そこが何らかの拍子に破れることもあれば、
精子がその繊維の間を普通に通過してしまうこともある。
とにかく微細な世界であるから普段の常識じゃはかれない。
どっかのメーカーが保険(補償金)をかけるようなことをぬかしていたが、
デキちまったら元も子もないのだ。もう前には戻れないのだ。

幸い、その子の彼氏はしっかりしたヤツで、着けてても中で
果てることはないそうだ。ある程度の危機管理はできてるらしい。
そこまで言ってて何が“しっかりしたヤツ”なのか分からなくなった。
正しく避妊をすることがしっかりしてるのか、
養っていける社会的地位に就くまでSEXしないのが偉いのか、
はたまた結婚するまで一切しないのがよろしいのか。
分からない。

オレは生物学的に雄だから、いかんともしがたい衝動というのはある。
生理的欲求をこらえるのが美徳なのか、素直に従うのが正常なのか。
人間は日常の至る所で問題に直面する。
それに気付かないで素通りする気楽さが欲しい。

人生の様々な局面において勇敢と無謀は紙一重であるという。
それは結果のみによって左右されるからだ。
なんとも浅ましい決定因子だが、この(3+1)次元の世界において
人間は時間軸に働きかける能力を持ち得ないから当然と言えば当然だ。

無謀ばかり繰り返す者は愚かだと罵られ、
一度でも勇敢に成功を修めた者は英雄と讃えられる。
しかし、いずれもその本質には大差はない。

人生が終わるころ、
オレは幸せな愚者であろうか、
それとも不幸な賢者であろうか。


ところで、ゴムの懸賞でいったい何が当たるんだろう。
最低でも15万円くらいの懸賞がつかないと割に合わないぞ。
経済的な問題だけじゃなくて精神的、肉体的なダメージは計り知れないんだから。


旋律 (未完成) - 2002年07月25日(木)

君の体を引き寄せて

近くなるほど切なくなるから

強く強く抱きしめて

いっそこの境界線がなくなればいいのに

いつもそう願ってる


体と体の境目が溶けだして

一つになれないかな

心もいっそ一つになれたなら

君に嫉妬しなくてすむし

君とすれ違うこともないでしょ


そう言った僕を君はバカねと笑うけれど

君は僕の想いも

つらさも

さみしさも

何にも分かっちゃいないんだ


だから僕は

君をいっそうきつく抱きしめる

強く 強く 抱きしめる



by the way... - 2002年07月24日(水)

【不定期休載】とか言ったわりには毎日カいてるわけで。
なぜか忙しいときの方がネタが湧いてくるわけで。
そんで、お客さんもこりずに見に来てくれるわけで。

普段はお客さんは全然意識してないんだ。
思い浮かんだことを書きたいように書いてるだけ。
その名の通り徒然なるままに書き綴ってる。

公序良俗や公共の利益に反するってんなら
やり方を変えないといけないなとも思うだろうけど、
とりあえず今のところは気ままにやらせてもらってる。

忙しくなったとは言ってもチャットしなくなった時間を充てると
けっこうサラッと書けてしまう。これは慣れかな。
最初のころに比べて自分の考えをまとめる時間が
短縮されたように思う。けど、推敲の時間は長い。
似たような文章ばかり並べているせいかもな。

その一方で、my登録している日記が30件を超えてしまった。
これでは一つ一つにかける比重が減ってしまう。
じっくり読んで書き手の感性に触れるという作業ができなくなってしまう。
それでは本末転倒なわけで。
仕方ないからこれ以上は増やさないようにしようか。
それともちょっと減らそうか。

−僕は欲張りだ。

「ええ、そうよ、今更言うことじゃないでしょ?」
「ごもっとも。」

「変な人。」
「変かな?」

「変よ。」
「さようですか。」

「さようですよ。」
「・・・チッ。」

「なによ、それ。」
「別に。」

「はいはい。」
「・・・。」



−連絡事項−
あまり期待しないでください。

というか、日記が更新されてる日は
「あ、コイツまた勉強さぼってんだな。」と思ってやってください。
明らかに逃避行動だと思われます。例外は・・・、ないでしょうね。


カラオケ行きてぇ! - 2002年07月23日(火)

7月20日の日記で椎名林檎について触れたところ、
林檎ファンなのですか?という質問を多数いただきました。
率直に言いますと特にファンというわけではなく、
我が家の数あるCDの中で彼女の位置づけは中の上から、
上の下といったところでしょうか。
ムーディーズもびっくりです。
才能は素晴らしいと思いますし、なによりGRETCH弾いてるあたりは好きです。
GIBSONやFENDER弾いてる矢井田さんとはヒトアジ違います。

んで、カラオケの話。
今すごいカラオケ行きたいんですよ。
昔はカラオケなんて全然好きじゃなかったのに
最近はしばらく行かないと行きたいなぁと思うようになりました。

カラオケ苦手な人っていますよね。
僕も昔そうでした。
単純に歌うのが苦手な人とか、
あの雰囲気が嫌いな人とか。
そういう友人ってどうしてます?
誘います? 誘いません?

カラオケ苦手でも一緒に行くのはいいよっていう友人、
これサイコーです。
人付き合いのなんたるかを分かっています。
同じ空間にいて拍手なり談笑なりしてくれる、
苦手でもそういう心構えって素晴らしいと思います。

カラオケ苦手だというのに無理矢理誘って
その場の勢いで歌わせようとする友人、
これサイアクです。
はい、僕も前科あります。ゴメンナサイ。
そのせいで彼はもう二度と来なくなります。
こうやって人はまた一つ財産を失っていくんですね。
反省です。


カラオケに行くと困ることがあります。
歌う曲ですね。
最近の邦楽には詳しくないのですよ。
BLUE HEARTS、山崎まさよしならほぼ全部知ってますけど。
あと、好きなのはスピッツとかミッシェル・ガン・エレファントとか。
とにかく選曲に困るので、ところどころ洋楽入れます。
洋楽といっても、バックスとかイン・シンクとか知ってるわけもなく、
EMINEMやSISQOを歌いきれるわけもなく、
古き良き20世紀に逆戻りです。

 STONES・・・冴えません。誰も知りません。
 QUEEN・・・フレディ高すぎです。みんなもあまり知りません。
 ZEPPELIN・・・ロバート・プラント歌うのは困難です。
 MR.BIG・・・これも高いです。

総じて、僕の好きなアーティストはKeyが高い、
僕の声はさほど高くないという結論にブチ当たります。
んで、結局NIRVANAの“BREED”をshoutしてみたり、
U2の“with or without you”をしっとり歌ってみたりするわけです。
Earth, Wind & Fireの“Sepetember”とかも良いですね。

最近はクラプトン(Derek & Dominos)の“Layla”がCMでやたら流れてるので、
イントロしか知らない人々には少しうけますけど、あれも難しい曲ですね。

ただ、“Layla”にしろ、MR.BIGの“Daddy, brother...”にしろ、
いいところはみんな弦ちゃん(昔バンド組んだときのVocal)に持っていかれるんです。
まあ、彼の歌が聴けるだけでもいいんですけどね。みんな惚れ惚れしますって。

弦ちゃんに負けそうなときはホネホネロックです。子門真人の勢いで対抗です。



あー、ユースケとカラオケ行きたいな。
ユースケと言えばOASISだったっけ。
洋楽だけで4時間通したこともあったなぁ。

古き良き、YK4E。


とっさに使えない英語 - 2002年07月22日(月)

これまた土曜日のお話です。

朝、駅に着いて、友人のアパートに向かうために路線バスに乗りました。
知らない土地なので車掌さんにどこの停留所で下りれば良いか聞いていたところ、
後ろから他の女性客が来ました。

車掌さんがどうしました?と聞きます。

女:「ケンチョー・・・マエ?」

おっとっと、こちらの女性、外国の方だったようです。
停留所にいたときは外見だけでは気付きませんでした。
(若い女性は全員チェック済みです。)

車掌さん、全然対処できません。
そこでつい、“Prefecture office?”と言ってしまいました。
彼女の注意が僕に向きます。

ここで車掌さんを「うっかり八兵衛」、外国の女性を「エリザ」としましょう。
他意はありません。黒髪だったのでエリザ・デュシュクが思い浮かんだだけです。

エリザ:「What?」
***:「A prefecture office?」

県庁は正しくは“a prefectural office”です。
まあ、伝わったので良しとしますが、
エリザの意図はちょっと違っていたようです。

エリザ:「No no no... Hirosaka?」
***:「Sorry, I'm just a stranger.」

地図を見せて他の地名を指さしますが、
僕も初めての土地で知ってるわけないので
「見知らぬ土地なのです、ゴメンナサイ。」と答えます。
間違っても“stranger”=「奇妙な人」ではありません。
ただ、“just”ではなく“quite”か“complete”の方が適切だったようです。

エリザの質問が変わります。ここからは会話の意味だけ書きます。

エリザ:「(県庁前で降りるには運賃はいくらですか?)」
***:「だそうです八兵衛、いくらですか?」
八兵衛:「200円です。」
***:「Two hundred yen.」

これは僕にも分かりました。運賃は“fare”です。
八兵衛が直接答えたら爆笑でしたが、うっかりしてました。

エリザ:「(今払えばいいのかしら?)」
***:「No, when you drop out... well... (confused)」

これではいけません。
人間どんなにツラくてもドロップアウトしたらそこで負けです。
安西先生も言ってました。
とっさに慌てふためいて“drop in”(投下する)と
“step out”(外へ出る、降りる)を混同してもいけません。
たった一瞬の判断ミスでダメ人間まっしぐらです。

それでもエリザは僕が言おうとしたことを分かってくれました。

エリザ:「(そう、じゃあ降りるときでいいのね?)」
***:「Yes, yes.」

結局、僕も“YES”しか言えない日本人だったみたいです。
ちなみにこのときの“降りる”は“drop off”、“step off”、“get off”です。
とにかく“off”なのです。

八兵衛:「県庁前、県庁前です。」

エリザの方を見やると降りる準備をしてます。
さすがです。八兵衛の日本語はエリザに届きました。

降りるとき、エリザはビッグ・スマイルで“Thank you very much!”と言ってくれました。
僕もとっさに“じゃぱにーず・えしゃく”で「ゆあ、うぇるかむ♪」と答えます。

よく考えてみると、エリザが知りたかったのは「県庁前までいくらか?」ということだけでした。
ですから“prefecture office”や“stranger”なんてのはどうでも良かったのです。
最初に“May I help you?”とでも聞くべきでしたね。

夏の日の、見知らぬ土地での異国の女性との一コマでした。


なんせ、帰国子女でもない僕が生きた英語を話すのは
実に中学校以来でございまして、かなりドキドキでした。
でも、英語で会話をするのは好きなのでなんとかなったと思います。
エリザも訛りがなかったし、僕の発音も分かってくれました。
念ずれば通ず、みたいな。あ、違うか。

とにかくあきらめないでいれば、いつかは意志が通じるもんです。
“drop out”したら負けなのです。
それは全てにおいて言えることですね。


Going Highway - 2002年07月21日(日)

え〜と、この週末もいろいろありました。
いや、いろいろじゃないんですが、
一つだけ派手にやらかしました。

まず、金曜の昼に友人から、
・彼女の信頼を失ってしまって不安させてしまった
・自分のいいところって何だろ?
といった内容のメールが届きました。

コイツはね、すげーいいヤツなんですよ。
そう簡単に彼女を悲しませるわけもないし、
そんなくだらないことをオレに聞くはずもない。
ただ、なんかのすれ違いのせいだったり、
一連の出来事のせいで茫然自失となってるんじゃないか、
そう思いました。

返信のメールは3通に分けて送りました。
(これだからドコモは嫌いです。)
で、さんざん怒鳴りつけたあと、一番最後に、

「殴ってほしけりゃ今すぐにでも飛んでってやるよ。
 でもな、オマエは自分がどうするべきなのか分かってるだろ?
 てめえ、シャキッとしろ、オラ!!」

と書きまして、一応それなりの返事は帰ってきたのですが、
オレの腹の虫が治まらなかったり、ちょっと心配だったりして、
その日の夜行バスに乗って本当に飛んで行ってきました。
典型的A型、優柔不断なオレにしては珍しく即断即決です。
なによりも、怒りの感情剥き出しな自分に初めて会いました。

土曜の朝に着いて、家に行ったらビックリしてました。
当然です。いたずら好きのオレはアポなし上等です。
仙台市から直線にしておよそ400キロ、
初めて歩く街でアパートを探し当て
朝の8時にドアをノック&右ストレート!です。

アホです、オレ。
コイツもアホです。
アホ仲間です。

少しの時間でしたがいろいろ話を聞けて良かったし、
顔を見れただけでもオレはスッキリしました。
電話の向こうでがんばれとしか言えない自分に嫌気がさしていましたが、
それもようやく払拭できた気がします。

今回オレが行ったことが良かったか悪かったかなんて今は分からないけど、
十年くらい経ったら、酒の席での笑い話になってればいいなと思います。
そのときは是非3人で、とも思いましたが、特に言及しませんでした。
そこらへんはアイツらが決める未来です。
納得いくようにやればいいと思います。

んで、夜に寿司をおごらせて、また夜行バスで帰ってきました。
車中泊二日、ほぼ日帰り状態の強行軍です。
いやはや疲れました。異常に暑い日でしたもんね。
次回はちゃんと観光で訪れたいものです。

 友人を殴ったのは初めてで、
 友人に殴られたのも初めてです。
 これが最後であればいいなと思います。

今回に限っては時間に融通の利く学生で良かったなと思いました。


今日は珍しく一人称が“オレ”でしたね。
そんな日もありますって。
多い日もムレませんって。

そういえば昨日、足のサイズを書きましたが、
靴のサイズってメーカーによってまちまちですよね。
だから29だったり27.5だったりもするんです。
身長についても質問ありましたが、



“まぬけ”と“中途半端”よりはバカで良かったと思います。


足は28.5cmです。 - 2002年07月20日(土)

「おばあさんのお口はなんでそんなに大きいの?」
「それはね、おまえを食べてしまうためだよ。」

オオカミは名言を残した。

彼の失敗は咀嚼せずに丸飲みしてしまったことだ。
食べてすぐ寝てしまい、胃で消化もできず、猟師に腹を切り開かれて、
助け出された赤ずきんの代わりに石を詰められ、井戸に落ちて溺死する。
おいおい、猟師さんよ、そこまでしなくてもいいんじゃないかい?って気もする。

オオカミはこうも言う。

「僕の足はなんでこんなに大きいの?」

−それは貴様を踏みつけて動けなくするためだよ。

「僕の手はなんでこんなに大きいの?」

−それは貴様の首根っこを捕まえるためだよ。

「僕は肌はなんでこんなに白いの?」

−それは貴様の返り血が美しく映えるからだよ。


しかし、オオカミは猟師に殺される運命を変えることはできない。
いったい猟師はいつ、どこから現れるのだろう。

アーマライトM16を携え、
スイス銀行に口座を持つ、
そんな猟師に出会いたい。


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赤ずきんの話は時代によって何種類か存在していて、
日本で幼児向けに伝えられているのは赤ずきんが助かる話です。当然。
これは19世紀のグリム童話を基にしているのですが、
以前からフランス民話のよる赤ずきんが伝えられていて、
17世紀末にはシャルル・ペローが伝承を基に赤ずきんを書いています。
しかし、これらはいずれも赤ずきんが助からないお話です。
それどころか赤ずきんがおばあさんの肉を食べてしまう話もあります。
つまり、グリム兄弟が書くまでの百年余りは悲劇的なお話だったのです。

また、赤ずきんは後世にいろんな文化を残しています。

おばあさんに化けたオオカミは訪れた赤ずきんに葡萄酒(ワイン)を
もてなすのですが、これは精液の隠喩と言われています。
また、赤い頭巾は処女の象徴とされるようになりました。

オオカミの腹を留めるのにピンを使ったのも実は伏線が張ってあって
非常に象徴的なのですが、これに関してはフランス民話を参照してください。

余談ですが、椎名林檎の『真夜中は純潔』という曲がありました。
僕にとってはスカパラと共演したっていうだけでも興味深い曲だったんですが、
この曲の歌詞の中にも「葡萄酒」がわざわざルビをふって出てきまして、
これも同様の隠喩表現を遣っているものと思われます。
そう考えるとけっこう強烈な描写をしていますね。
初めて聴いたとき、ハッとして歌詞を確認しました。
こういうとこがサラッと出てくるあたりが彼女のすごさなんでしょうね。

あ、そうそう、
時代と共にいくつかの変遷を遂げた赤ずきんですが、
教訓である『かわいい女の子は優しいオオカミに注意しなさいよ』、
こればっかりは変わらないようです。




Open Your I's - 2002年07月19日(金)

男は顔じゃない。面構えだ。ツラガマエ。

そう思うようになったのはいつからだったろう。

以前は自分の外観がひどく不満で、
いつも顔に傷ばかりつけていた。
今もかすかに痕が残っている。

それはそれでいい。
自分の通ってきた道だ。
よく見えるところに刻んでおけば忘れやしないだろう。

目に見えるそれは傷であって傷じゃない。
本当の傷は記憶の奥底に刻まれていて、
決して消えることはない。

でもそれを消そうとは思わない。
十字架を背負う自分に耽美に酔うわけでもない。
かつて[raison d'etre]の根幹に巣くったそれは
もはや浸食とも腐敗とも感じられなくなった。

僕はそれとともにある。
ただそれだけなのだ。

もう一度言うが、男は面構えだ。

霞んだ瞳の奥に青白い刃を抱えてる、
そんな覚悟を秘めているだけでいい。


Blinded by Love - 2002年07月18日(木)

僕にとってネット恋愛はありえない。

自分の危うさを知っているからだ。

ネットを介して見える相手は一部分でしかない。

より深いところも見えるかもしれないが、
それはあくまでもほんの一部分にすぎない。

深遠な部分と浅薄な部分をひっくるめて個人なのだ。

見えない部分を補おうとするあまり、
見えている部分に依存しすぎてしまう。

これは何の解決にもなっていない。

恋は盲目というが、目で見るということ、
とりわけ、見るともなく全体を見るということは
判断のうえで最も有効かつ重要な手法だと思う。

それができないときは待つしかない。

待ちきれなくなって焦るとき、自分は危ういと感じる。

これはネットに限った話ではないが、
とりあえずそんなわけでネット恋愛はありえない。

あくまでも“僕にとって”のお話。


この世は不思議。 - 2002年07月17日(水)

朝起きたらパジャマの

胸ポケットから

ワカメが落ちてきた。

・・・ワカメ?


【不定期休載のお知らせ】 - 2002年07月16日(火)

昨日の日記はやたら長かったですね。
もうちょっとサクッといきたいもんですが、
こういう話になると止まらないんです。
あれでも削減した方なんですよ。(汗)

さてさて、タイトルにもありますが、しばらく更新が滞ります。
本来なら「無期限休載」か「不定期更新」と書くべきなんでしょうけど、
部分的に入れ替えてみました。秋田弁でかっちゃにすると言います。

しばらく山にこもります。
本当です。
山といっても大学のある青葉山ですけど。
そろそろ身辺慌ただしくなってきたのです。

さしあたって今月末に試験があり、
九月初旬と十月下旬にも重要な試験が控えておりますので、
少なくとも九月の試験が終わるまでは忙しいと思われます。

したがって、これまでのような文章は書けなくなるでしょう。
ただ、いつも頭の中では何か考えています。
恋愛や人生や社会のこと。ふとした瞬間に気付くこと。
その一片を書き残したり、日常を端的にまとめるくらいはします。
メールの返事なども遅くなりますが、できるだけ対処したいと思います。
ご容赦くださいませ。

speak like a child...


I was born to ... - 2002年07月15日(月)

昨日はヒマだったので手持ちのCDのリストを作ってみた。
洋楽のアーティストをアルファベット順に並べていく。
まったくもって生産性に乏しい作業だと終わってから気付いた。
おおよそ洋楽150、邦楽60、サントラ30、その他20だったが、
貸し出している分が未知数なので300枚近くあるのだろうか。

今日は音楽の話をしよう。

僕は幸か不幸か1979年に生まれて今日まで生き長らえている。
男には音楽などいらんという厳格(?)な父のもとで、
ピアノを習うことを反対され、演歌以外に音のない生活していたが、
中学のころから流行りの歌謡曲とは一線を画し、洋楽を聴くようになった。
往年の名盤を聴きあさっては学校の先生を捕まえて、音楽談義をしたり、
CDを借りたりしていた。改めて思うと奇特な中学生だったようだ。

中学のころはROLLING STONESに明け暮れた。
少ない小遣いの中で月に1枚ずつ買っては聴いていた。
中3の春休み(正確には卒業後)にはライブも見に行った。
生まれて初めてのライブ。ROLLING STONES。東京ドーム。
あのころは無垢で本当に純粋に音楽に親しんでいたように思う。

高校に入ってからも友人には恵まれた。
徐々に洋楽に興味を持ち始める年代でもある。
クラスにSTONESに興味を持つ輩は何人かいたし、
それぞれが自分の好みを持っていた。

高校初期はQUEENを聴いた。
これにはクラス中がはまった。
貸したCDがいつまでもクラス内を彷徨い、いつまで経っても帰ってこなかった。
ビデオを貸したら午後から学校を抜け出して下宿で鑑賞会してるようなヤツらだった。

確かにフレディ・マーキュリーはAVなんかよりもずっと刺激的だったと思う。

話はそれるが、
なんで今の人はQUEENというと“I was born to love you”しか知らないのだろう。
昔CMで流れてた“Don't stop me now”は知らないのか?
サッカー場で歌う“We will rock you”や“We are the champions”は
誰の曲だと思っているんだろう。
僕はTVやCMで気に入った曲が流れると誰の曲か絶対に知りたくなるんだけど。
まあ、いいや。

高校1年の同じクラスにはYMO狂いの筋肉男がいた。
筋トレが趣味だというミタカ(実はIH3位)とはなぜか3年間同じクラスだった。
一度YMOを聴かされたが(無理矢理)、まだあのころは良さが分からなかった。
今はいくらでも貸してほしいと思うのだが。

アツとの出会いも1年だった。
DOORSが好きだった。
彼は突然現れ、そして突然いなくなった。


高校時代はLED ZEPPELINも好きだったし、DEEP PURPLEも聴いた。
かと思えばクラシック(classical)に手を出してみたり。
『音楽的雑食』
僕は自分のことをそう表現する。

音楽に関することで後悔らしきものが二点ある。

まず、一つは我が家には音楽的資料が皆無だったことだ。
聞けば友人たちは親父さんがフォーク好きだったり、
クラシック好きだったり、ジャズ好きだったりしていて、
子供のころからそういうものに触れられる環境にあった。
子供に理解できる音楽かどうかは別としても、我が家よりはマシだと思う。
音楽鑑賞と言えば、旅行するときにカーステレオの
昭和歌謡や演歌に付き合わされるだけだった。
正直、あれは苦痛だった。正直。

もう一点はこれは後悔であり、後悔でない。
僕の生まれる時期に関してだ。

もっと早く生まれたかったなと思うことがある。
STONESにしろ、QUEENにしろ、ZEPPELINにしろ、
全盛期をリアルタイムで聴きたかったし、その姿を見てみたかった。
STONESは老いてなお健在であるところを見せてもらったが、
QUEEN、とりわけフレディ・マーキュリーに関しては悔やむ以外ない。
彼が死んだとき、僕はまだ12歳の日本人だった。ニアミスだった。

もっと早く生まれていれば、今頃は経済力もあって、
聴きたいCDを聴きたいだけ買えたんだろうなぁとも思う。
でも、それは違うかもしれないとも思う。
筋トレ男のYMOでも分かるように自分の感性は絶えず変化している。
生活のいろんな面に影響を受けながら進化と退化を繰り返している。
だから金持ちの自分は金無しの自分と同じ感性を持つとは限らない。

一枚一枚をすり切れるまで聴いた少年時代は少年だけが抱きうる思い出なのだ。
(CDはすり切れることなどないが。ただ、神経質なのでジャケットが割れると落ち込む。)

今に生まれて良かったと思うこともある。
技術の進歩、メディアの充実のおかげで聴きたい曲が聴きたいときに手に入る。
デジタルリマスターで古い音源の音も良くなっている。(厳密にはそうではないが。)
STONESの活躍した1960年代からは比べ物にならないほど世界は変わっている。
楽器や機材だって昔はできなかったことが今はできたりする。(その逆もあるけど。)
それは時として音楽をつまらなくさせる要因にもなっているのだが細かいことは割愛しよう。


つまるところ、僕はこの時代に生きる他ないのだ。
近い将来、就職して自分で稼ぐようになって、給料をCDやライブに注ぎ込んで、
物が満たされて、心が満たされない自分に気付く。そういう道をたどるのだ。

嗚呼、人間はなんと不器用で愚かな生き物なのだろうか。

 そんなときこそROCKだ。
 いや、JAZZだ。
 違うよ、BLUESだよ。

今日も僕はCDを聴いている。
音抜けの悪いスピーカーと友人からもらったサブウーファで。
これを買い替えるとき、僕は再び自分を殺すのだろう。


Going My Way - 2002年07月14日(日)

ジェダイの騎士になりたい今日この頃、
みなさんいかがお過ごしでしょうか。

金曜日は『star wars episode1』をやってましたね。
吹き替えは気に入らないんですけど、つい見てしまいました。

実は[episode1]は3年前に映画館で見ました。
見た日も一緒にいた相手もはっきり覚えております。
なんでこういう細かいことをいつまでも忘れないのか嫌になりますけど。
そういや、続けて『エントラップメント』を見たんでしたっけ。
夏に限らず映画のはしごはするもんじゃないなと思いました。

さてさて、
こうして改めて見てみるといろんなセリフや行動が象徴的ですね。
よくもまあルーカスさんはこんな構想を練っているもんだと思います。
(あ、ジャバ・ザ・ハットが人間じゃなくなってるのは置いといて。)
とにかく、早く[episode2]を見たいものです。

そういえば、昨日は久々に映画を観てきました。
 『I am sam』
ショーン・ペンが障害者の父を演じております。
以前、『ギター弾きの恋』という作品の彼も好きでしたが、
今作も素晴らしい俳優なのだなぁと思うばかりでした。
内容はみなさんご覧くだされ。ルーシーかわいいです。


実は映画を見ながら途中で考え事をしてしまいました。
こんなことは滅多にありません。いつもは2時間集中しっ放しです。
最近の映画欲が削がれている現状に起因しているのかもしれませんが、
作品に触れていくうちに金曜の夜に電話で話した友人のことを思い出してしまったのです。


君の悩みはだいたい分かりました。
君がまだひっかかっていることにも気付いたけど、
それを口にするのは恐ろしくてできません。
言霊としてこの世に発現した瞬間から
それにとらわれてしまいそうで怖いのです。
その不安定さは君が一番よく知っているはず。

僕らの未来には何が待ちかまえているか分からない。
不安も畏れもたくさんある。
明日も生きていられる保証なんて全然ない。
恐い。それが正直な感情だろう。

でも君は希望を見つけた。
それは時に重荷になるかもしれないし、
全ての苦難をはねのける力になるかもしれない。
全ては君次第。

言いたいことはいろいろあるけど、
君の人生だから君の納得する道を歩んでほしい。
ただ、僕からは激励の言葉を贈る。
おめでとう。

ただ信じて歩こう。
自分の道を。



ところで、
フランク・シナトラ、
シド・ヴィシャス、
chara、
と言ったら何が共通点だと思います?


僕は何と言ってもシドですけどね。


【執事より業務連絡】 - 2002年07月13日(土)

フライング気味に13日の日記を書いてますが、
ちょっと連絡したいことができたので。

近頃、メールが急に減ったなと思ってたんですが、
どうやらメールが届かなくなってる模様です。
今日(12日)先輩に言われて気付きました。
プロバイダーのページに行ってもログインできないので
いくらか原因は考えられるのですが、現在問い合わせ中です。

9日〜12日にかけて僕にメールを送信した方は
アドレスによっては受信できてない可能性がありますので
掲示板か指定のメアドでお問い合わせください。

同時期にエンピツのフォームメールをご利用の方は
明らかに受信できておりません。
せっかくメールをくださったのに申し訳ありません。
この場を借りてお詫び申し上げます。

また、エンピツ関連で僕がメールを差し上げた方も同様に
返信アドレスが使用不可能になっていると思われます。

フォームメールの設定を修正いたしましたので
今後は正常に受信できると思われます。
お手数でなければ改めて送信願います。
本当に申し訳ありません。


あと、■エンピツ姫・エンピツ王子のための『俺色の質問・四十八手』■
なるものをやってみました。脱力感いっぱいで答えてます。


第一球投げましたァッ! - 2002年07月12日(金)

前書き:秋田県人は
どうやらこれは方言らしいのですが、長年染みついたものは今更
変わるわけもなく、時折、友人を混乱させてしまいます。
投棄という同義語の構成を意識すれば、
さほど違和感のある表現ではないと思われます。


では、どうぞ、お読みください。


毎週月曜と木曜は燃えるゴミの日である。
間違って萌えるゴミと変換して、あ、ちょっといいかなと
思ってしまったことは口がさけても言えない。

月曜と木曜、ちょっと寝坊した日は起きてすぐ窓の外から
ゴミ置き場を確認するのが習慣と化している。
ゴミが回収されたかどうか確認するためだ。
前日に置いてくるなり、大家のバケツに入れるなりすればいいのだが、
どうも性分らしく、その日のゴミはその日までためてしまうらしい。
昨年までは週3回の回収だったから一度くらい投げ忘れても
大して影響はないのだが、今年から週2回に減ってしまったため、
一度逃すと一週間分たまることになり、これがけっこうな量になる。

昨日も朝起きたのが10時くらいだったので、
あ、やばいかなと思って窓をのぞいたら
案の定所定の場所には何もなかった。
段ボールやら発砲スチロールやら厄介なゴミが多かったので
早く投げたかったのだが、もうしばらく玄関を占拠するらしい。
まあ、仕方ない。いつものことだ。

そう思ってたら、午後になって、ゴミ収集車の音がした。
音というのは車の音じゃなくて、何か気の抜けたメロディが鳴っているのだ。
なるべくおとなしい曲にしてるようだが、さすがに4年も聞いてると癇に障る。
特に高音がキンキンいっててイヤだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。

あれ? まさかゴミ収集車が来たのかなと思ったが、
一度回収してから巡回していくうちにまた通りがかることは
よくあるし、なにより大雨だったので外に出て見る気もしなかった。

夜、何気なく外に出て驚いた。
ゴミ置き場の位置がずれてやがる!
ゴミ収集の表示が10mほど移動してた。

「チィッ、やられた。」
「シブイねぇ、まったくおたくシブイぜ。」
「ナチスのぉぉぉ、科学力は世界一ィィィィィィ!」
「UUURRRRYYYYYYYY!」

誰かの言葉がこだまする。(んなこたーない)

誰だよ、勝手に移動したの。
今度からこれじゃ窓から見えないじゃねーか。
遠くなった分だけめんどくせーじゃねーか。
オレが夜中に行って貼り替えてこようかな。

陰謀だな、誰かの。(そればっかり)


台風6号 - 2002年07月11日(木)

台風が来る〜♪
景色が変わる〜♪
台風が来る〜♪
記録破りだ〜♪

我が仙台市も昨夜から本日未明にかけて豪雨が続いた模様。
今朝はメールで起こされました。

「土砂崩れで車両通行止めだよ〜(萎え)」

なにぃっ!
そんなに降ったのか。(汗)

僕の学校は青葉山にあります。
その名の通り山の上で、たいがいの学生は車か原付、バスを利用します。
ところが、途中の理学部と工学部への分岐点の手前で土砂崩れがあって、
車両全面通行止めになったらしい。なんて厄介な位置なんだ。
確かに迂回路もあることはあるんだけど、
この雨の中行くのも億劫だし・・・。
つーわけで、午前中は寝潰しました。(当然)

午後には雨も上がり、今朝の豪雨が嘘のようにカラッと晴れ上がりました。
台風の後なんてそんなもんですけどね。
道路の方もどうやら13時くらいに片側通行に復旧されたようで、
冷やかしにちょっと学校行ってきました。

んー、ちょっと土砂多め。
さすがにこれはビビリます。
自然は恐いものですね。


Cats on Mars... - 2002年07月10日(水)

うちの留守番電話は機能していない。

メモリーがいっぱいだからだ。

バカな友人たちのネタがたくさん吹き込まれている。

その数、実に25件。

懐かしくなって久々に聞いてみた。

あの日の思い出は今もここにある。

「ピーッ! サイトーさんだよー♪」

いずれMDに保存しようかと思っている。


【Deneb】 - 2002年07月09日(火)

午後11時。
夜の街を彷徨って結局ここにたどり着く。

「今日のフォーメーションはどれでいく?」
「このさぁ、スウィーパーがさぁ・・・」
「しかしね、やっぱ4−4−2なんだって。」

聞きたいことを聞いて、
言いたいことを言って。
さんざん暴れて飲んで吐いて酔いつぶれて眠った。らしい。

目をさますと僕はベッドの上で、二人の家主が床に転がっていた。
もう一人は帰ったようだ。
言い尽くせぬほどの感謝を胸に帰途に就く。

薄暗い街をひた走りながら僕は思う。
果たして僕は彼らを超えたのだろうか。
今はまだ分からない。
いつか答えが出るとしても
そのころにはおそらく僕はいない。

妙にきれいになった部屋でしばし眠る。
意識の彼方で誰かが笑っている。


くどいようだが今日(昨日)は七夕だった。織女星のベガ(琴座)と
牽牛星のアルタイル(鷲座)、これが俗に言う「織姫と彦星」である。
ここにデネブ(白鳥座)を加えた3つの一等星で夏の大三角が成される。

そんなわけでこの3つは2002年7月7日のお話。
さしずめ今日の【Deneb】は言わば番外編といったところか。



中学受験のとき、こうやって夏の大三角の組み合わせを覚えた。


【Vega】 - 2002年07月08日(月)

短い時間で記憶と思考を総動員して推察する。
おそらく彼女らを遣わせたのは僕だろう。
過去の自分か未来の自分か、それは分からないが、
要するに自分は試されているのだろう。
いつになってもおせっかいなヤツだ。

僕以外の自分なので彼らと呼ぶ。
彼らには二通りの意図を感じてとれる。
いや、もしくはまったくの中立であろうか。
いずれにせよ僕には関係ないのだ。
本当におせっかいなヤツだ。


午後。
今回は道に迷うこともなく貴方は到着。
やっと貴方に会えた。
ずっと会いたかった。

涙の向こうで貴方と出会う。
やっと貴方に会えた。
ずっと会えないかと思っていた。


きつかった日差しはいつの間にか雲に隠れ、
窓の外を生暖かい風が通りすぎる。
時折、小さな雨が落ちてくる。

貴方のぬくもりだけがかすかにこの手に残る。

ふと今日は七夕だったことを思い出した。


【Altair】 - 2002年07月07日(日)

ここのところ、奇妙な偶然が続いている。
oddなのにevenとは数学のパラドクスのようにもとれるが、それはさておき。

先日、かつて恋い焦がれた女性に会った。
全く連絡はとっていなかったし、会うのは卒業式以来だった。
少し感じが変わったようだったと思う。もうあまり思い出せない。

今日は午前中に中学・高校時代に憧れた先輩に会った。
たまたま仙台に来たところを捕まえた。実に一年ぶりの再会。
太陽のような人だった。弾ける笑顔を振りまいて輝いていて。
それはまったく変わっていなかった。嬉しかった。

なぜ今、彼女たちを僕の前に遣わせたのだろう。
いったい誰が。なんのために。
大気とともに漂う、見えざる意図。
僕をどうしようというのだろう。

確かに以前の僕だったら音を立てて揺れていたかもしれない。
『偶然とはときとして残酷である』
はばからずそう言っていたことだろう。

しかし今は違う。

いろんな障壁を取り払って
素をさらけ出せる自分は変わったと思う。
混じりっけなしの純度の高い自分がいる。
自分を守っていたものを取り除いて強くなるというのは
なんとも皮肉に満ちているが、紆余曲折を経て
ここにたどり着いた経験は無駄ではない。
あらゆる犠牲のためにも決して無駄にしない。
こうなるべくしてなったのであり、
これ以外に通る道はなかったのだ。

今は一片の迷いもない。

この偶然に誰かのいたずらを感じながらも、
喜んで受け入れよう。
僕は僕だから。


正午。
体育館を出ると外はひどく暑かった。
強い日差しが照りつけていた。

ふと今日は七夕だということに気付いた。


牛タン♪牛タン♪牛・タン・タン♪ - 2002年07月06日(土)

今日は早めに帰ってきたので
日記を書く余裕ができてしまいました。
が、その前にヒトコト言わせてください。

「酒足んねーぞ、コラァッ!!」

・・・ふう。

さてさてさて。

昨日はと言いますと、
仕事が終わったヨシダさんと飲みに行ってきました。
牛タン(仙台名物)を食って腹ごなしにビリヤード(下手)をして、
バーにちょこっと行った程度です。帰ったのは1時半くらいでしたね。
久々にウィスキーを飲みました。ロックです。
さすがにストレートは控えましたが、ウィスキーはいいですね。
安物でもいいんです。カァーっと熱くなります。たまりません。

いやいやいや。

ヨシダさんについて何か紹介しておきますと、
高校のとき日本史の試験で“白河上皇”を“white river”と綴って、
先生から大目玉を喰らったツワモノです。ろくな紹介じゃないですね。
人生ギャンブルを地で行っていた彼も今では立派な公務員でして、
彼にふさわしくない手堅い選択に同期の非難が轟々です。
また遊びに来てくださいね。公費で。

今日はヨシダさんを見送った後、ジモンと他2名とで飲みに行きました。
この方も牛タンがいいとぬかすので最初は利休に行こうと思ったんですが、
やはり土曜日は長蛇の列でして、結局別の店に行ってきました。
いい店なのでタン焼き、タン刺し、共にうまかったです。
タン刺しに関しては利休がむちゃくちゃうまいのですが、
そのぶんやたらと値が張るので気を付けてください。
ちなみにメニューには載ってません。
そのあと別の店で飲んだのですが、
なにぶんジモンは家業が酒屋のくせに酒に弱く、
もう一人はまた学校に戻って実験するというのであまり飲みませんでした。
ちょっと口惜しい気もしますが、まあ自粛ということで仕方ありません。

え? ジモンについて聞きたい?
とにかくいいヤツです。それくらいです。
あ、高校のころはよく隣だったので僕に勉強を教えてくれました。
授業中分からないところがあれば即座に答えてくれるし、
寝てる間のノートはおかげでバッチリでした。(ォィ)
彼も身近な目標の一人でしたね。結局届きませんでしたが、
おかげさまで僕はかなり伸びました。とても感謝しています。
そういえば、彼女できたらしいじゃないですか。良かったですね。
いつも気苦労ばかり多くて報われないヤツなんで幸せでなによりです。
明日はうちの学校で定期戦らしいので見に行ってこようと思います。


あ、そうそう、全然関係ないんですが、先週の日曜に親が来てたんです。
んで、昨日ヨシダさんが泊まって行ったんで、
久々に炊事なるものをしたんですが、
ちょっと気付いたことがありまして。

なんだって、うちの母ちゃんは、


困ったもんです。(汗)


眩暈 - 2002年07月05日(金)

昨日は久々に夜更かしをしてしまって、寝たのは朝の5時だった。
にも関わらず、11時には起きてしまって、ちょっと疲労感がある。
とりあえず軽めの朝食を摂って、シャワーを浴びて、病院に行ってきた。

昨夜はほとんど咳も出なかったし、熱もなかったようなので、
そろそろ復調の兆しかと思われる。明らかに長すぎるが、
ずっと食欲がないことからすれば、仕方ないのかもしれない。
毎日フラフラで相変わらず栄養の足りない生活が続く。

ここのところ、欠かさず書いてはいるが、
どうやら夜より日中に書く方がよく考えがまとまるらしい。
日中にそんな暇があるというのは考えものなのだが、
夜はどうも落ち着かなくて、具合が悪い。
筆が進まなくて悩んでるよりはチャットやメッセで
とりとめのない会話に興じた方が有意義だ。
いつも夜はそんな感じ。

今日・明日となぜか高校の同期が仙台に来る。
同じ時期にそれぞれ別件で来るというのが奇妙だ。
今日のヤツは社会人1年生で仕事の出張らしく、
明日のは大学5年生で部活の定期戦なんだそうだ。
どうせならまとめて会った方が楽しいのに。

ところで、僕は病み上がってもいないのに、
二日連続で飲みに行くのだろうか。
嗚呼、酒が飲みたい。
いろいろ語りたい。
けれども、ここでまた倒れたらいろんなものが
台無しになってしまう。従って自重する。つもり。


そんなわけで明日は書けないかと思われる。
ご了承くださいませ。
ごきげんよう。


硝煙の香り - 2002年07月04日(木)

君に対する不満はいろいろ感じていたけれど、
すぐに打ち明けることができなかった。
君との距離を測りかねていたせいもある。
でも、僕が大人ぶって変に我慢してしまったのがいけなかったんだろう。
それが最大の過ちだった。

そういう意味では本当の恋人にはなれていなかったのかもしれない。
どこかぎこちなくて、どこか他人行儀で、
お互いの陰をさらけ出すことのなかった二人。

気持ちを溜め込んで、溜め込んで、溜め込んで。
僕は耐えきれなくなって破綻した。
もし、不満をその都度打ち明けていれば、
もっと違った未来があったかもしれないし、
なかったかもしれない。それは分からない。

それに気付くのはずっと後のことで、
その間に僕は愚行を再び繰り返すことになる。


そんな後悔の連続で、僕は生きている。


銃爪 - 2002年07月03日(水)

「ねえ、アタシ他の男の人と飲みに行ってもいい?」
「んん、行ってくれば?」

彼女との会話で何より強く記憶に残っている。
おそらくこれが最後の分岐点だった。

そっけない僕の返事に君はひどく悲しい顔をした。
僕の心がもう自分から離れてしまったと邪推し、
あえてそう答えた僕の真意を計ろうとしなかった。

一方で僕はと言えば、その過ちを正そうともせず、
ただ壊れゆく関係を眺めるしかなかった。

そう考えると、心はすでに離れていたのかもしれない。
継続を望むならば、それなりの努力が必要だったはず。
それを怠った僕には明らかに非がある。

お互いに不器用だったと思う。
身勝手で独り善がりで、
悲しい恋だった。


卒業写真 - 2002年07月02日(火)

和泉元彌がテレビ番組に生出演して身長を測ったらしい。
それまでの公称171cmに対し、実際は168.5cmだったとか。
それでも以前測ったときは171センチだったそうな。
なるほど、結婚して芸が未熟だとか言われて、
母親がテレビに露出するようになると
ストレスもたまって身長も縮むのだろう。
仕方ないことだ。
てゆーか、どうでもいいことだ。
身長や年齢のサバ読みくらいでいちいち目くじら立てることもないだろう。

そういや、僕も高校のときは172あったと思ったが、
大学に入ってからは171に減っていたわけで、
面倒なので公称は170ちょいってことにしてる。
寝る子は育つというので最近寝てばかりいるけど、
どうやら成長はすっかり止まったようだ。残念。


さてさて、先日大学の卒業アルバムが届いた。
入学時のアルバムよりも手のこんだ装丁でちょっと重みがある。
高かったわりには僕が全然写っていないと親は憤慨していたが、
僕にしてみれば自分の目に自分が映るというのはおかしな話であって、
たくさんの友人と周囲の光景が写っていればそれでいいのだ。
だいたい4000人もいる卒業生の中で全員を撮れというのは無理な話である。

入学アルバムのときは知り合いなどほとんどいなかったが、今回は違う。
どこを開いても見た顔ばかりだ。友人以外で名前を知らないヤツでも、
どこかですれ違ったとか講義が一緒だったとかで多少記憶している。

アルバム全体では入学時の学科ごとの写真、卒業時の個人写真、
卒業時の学科写真があるので最低でも各人3枚は写ることになる。
その他にも講義や休み時間の風景、各種年間行事など撮られたりするので
人によってはたくさん写っていたりもする。
よく見てみたら僕も2枚ほど講義の様子で写っていた。気付けよ、親。
まあ、1日16時間数学をやっていた時期だったのでそれなりに不精な格好で
写っており、あまり人に気付いてほしくないような様相だったが。

友人を探してみた。
まず、アホ全開のアビに爆笑した。こいつは生来のエンターテナーだと思う。
笑いをとらずにはいられないのだ。2浪バンザイ。卒業オメデトウ。
シュンはやっぱりかっこいい。相変わらず絵になる男だ。
イコちゃんのスナップが3枚もあった。しかもかなり大きめの絵。
かわいいなぁ。さすがに編集する人はいいとこ押さえてる。
イコちゃんとは卒業式で一緒に写真を撮ったけど、
院で東京に行ってしまったからもう会えないのかな。
同じ院に行ったシュンはいつでも会えるんだけど、
イコちゃんは連絡先も知らないし。ちょと残念。

そういえばマッシュが風景に同化しつつさりげなく写っていると言ってた。
いた。こいつだ。
いつものようにヘルメットを後ろにかぶり、図書館前を愛車で快走してる。
HIP HOPのポーズで『出島〜♪』を連呼していたマッシュ、
R286でエアバッグを膨らませたマッシュ、
今年は院試受かるといいな。


数学科。
こうやって写真で見比べてみても、
他学科とは一線を画した存在だったことが伺える。
よくやった、オレ。4年間がんばった。オメデトウ。

数学科の中で一人浮いてるユースケが懐かしくなった。
元気かな。


それが大事 - 2002年07月01日(月)

どうしても聴きたくなって
シングルのCDを注文してみた。
もう10年以上も前の曲。
廃盤になっているかもしれなかったので、
レンタルや中古をあたろうと思ってたが、
ちゃんと入荷したと聞いて驚いた。
昔懐かしい8cmのCDジャケット。
どこか色褪せたレトロな作り。930円。


みんなにせがまれて、
その場の勢いで断りきれなくて、
この曲を歌った君は
とてもかっこよかった。

歌詞のひとつひとつから
君の魂が伝わってくるようで
ジーンとなって泣いた。

勉強もできて、
スポーツも得意で、
みんなから人気があって。
君は僕の身近な目標だった。

いつかどこかで会えたら、
君はまた歌ってくれるだろうか。

なにしてんだよ、
早く元気出せよ、
昔のように陽気に笑い飛ばしてくれるだろうか。


『負けないこと 投げ出さないこと
 逃げ出さないこと 信じ抜くこと
 ダメになりそうなとき それが一番大事

 ここに貴方がいないのが切ないのじゃなくて
 ここに貴方がいないと思うことが切ない

 負けないこと 投げ出さないこと
 逃げ出さないこと 信じ抜くこと
 涙見せてもいいよ それを忘れなければ』

(大事MANブラザーズバンド「それが大事」より抜粋)



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