speak like a...child

 

 

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受話器の向こうで。 - 2002年06月30日(日)

携帯電話が普及した。
そんなことは誰でも知っている。

僕はいまだにピッチを使っている。
そんなことはどうでもいい。

昨年、高校に教育実習に行ったときは、
優にクラスの8割の生徒が携帯電話を所有していた。
高校に進学して2ヶ月に満たない1年生が、である。

時代が変わってしまったといえばそれまでだ。

僕のころはせいぜい女子がポケベルを持っている程度だった。
今思うとポケベルというのは著しく汎用性に欠き、
逆に自由を縛るものだという気がしてならない。
それでもあのころはコミュニケーションの手段としては画期的で、
メル友という言葉が生まれたのもここからだった。
わずかな半角文字を駆使して恋愛に没頭している人も少なくなかった。
それは幾分盲目的で。
ある意味、今日のネットやメールを介しての恋愛の原型とも言えるだろう。

そしてポケベルほど急速に廃れていったものも珍しい。
単なる時代の繋ぎ役にすぎなかったのだろう。
現在ポケベルを使ってる人間なんてうちの親父以外見たことがない。

さて、話を電話に戻すとする。

昔は家庭に一つの電話だった。
今は個人に一つの携帯電話。

携帯にかけると個人にダイレクトにつながる。
24時間、いつかけてもそれは変わらない。
真夜中だろうがなんだろうが携帯は鳴る。

しかし、家庭の電話(通称イエデン)はそうはいかない。

昔は好きな人に電話をかけるのは一苦労だった。
まず、かけられる時間帯を気にしなきゃならなかったし、
かけても本人が出るとは限らなかった。

最後の数字を押して呼び出し音が鳴る。
もっとも緊張する一瞬。
ご両親が出たら粗相のないように名乗らなきゃいけない。
そして名前を告げて本人に代わってもらわないといけない。
普段は苗字で呼んでるのに、名前を告げるのは違和感だらけで。
いろんな思いを巡らせているうちに電話がつながる。

「はい。」

「あ、あ、あのっ・・・。」

「え? ああ、こんばんは♪ どうしたの?」

本人だ。
たくさん心の準備をしたのに本人が出てしまった。
意表を突かれ、拍子抜けしてしまって。
それでも今度は別の緊張がおそってくる。
結局うまく言葉にならなくて、いつもしどろもどろで。

大した会話もできないけれど、
受話器の向こうに貴方がいるだけで幸せだった。
嬉しくて、楽しくて、少し切なくて、
この至福の時間がいつまでも続けばいいと思ってた。

素朴なドキドキを感じていた子供のころ。
ひどく懐かしい。

無性に貴方の声が聞きたくなった。


当然2番。 - 2002年06月29日(土)

うちの実家の居間には仏壇がある。
広い家ならば仏間などにあるものだが、
うちにはそんな余裕はないし、
薄暗い個室に独りぼっちにさせておくよりは
居間で家族といた方がずっといいと思う。

仏壇の上で弟は3歳とは思えないほど凛々しい眼差しで佇んでいる。
今頃は稀代の美男子になって・・・そこまで言うと兄バカ(?)か。
とにかくいい顔をしている。

彼の存在は僕の人格形成を語る上で、欠くことのできない要素である。
生前の少ない思い出は増幅され鮮明に焼き付いて消えることはないし、
いなくなった後で多方面に与えた影響は良いことも悪いことも全て僕に還元された。

生前のことは以前に少し綴った通りである。
今読み返すと非常に拙いが、そのときの想いで書いたものだし、
修正はしないでとっておく。ただ、さらに深く語ることはない。

今日はその後の出来事とそれにまつわるお話。
そして、彼の話はおそらくこれで最後。


彼が他界した後、葬儀などの慌ただしい日々も過ぎて、
平穏な日常が戻った。どこか空しく虚ろな平穏だった。

しかし、そんなかりそめの平穏もあっさりと打ち破られる。

久々に行った幼稚園はまさにこの世の地獄だった。
長く休んでいた僕に周囲の関心が寄せられる。
好奇心を抑えきれない子供たちの言葉が次々と襲いかかる。
休み時間も。帰る途中も。毎日、毎日。

なんて( A )のないヤツらなんだ。

幼心にそう思った。
( A )なんて言葉は知らなかったが、
そういう感情だったことははっきり覚えている。

泣いてしまえば良かったのかもしれない。
最初に泣いてしまえば、毎日続くことはなかっただろう。

でも泣けなかった。
泣き方を忘れていたのか、
泣いちゃいけないと暗に感じていたのか、
それは分からない。

その代わり、僕は愚民どもを嘲るようになる。
愛想笑いにも似つかない嘲笑を浮かべてやり過ごすようになる。

こいつらを片っ端から、
左手でその首根っこを鷲掴みにして、
右手でぶん殴ってやりたい、
たくさん血が出て、泣きわめいて、ひたすら謝るまで。
人の死を穢すヤツなんて死んでしまえばいい。
そんな黒い衝動に駆られるようになった。

何日か経って僕に対する興味も薄れたころ、
僕のまわりには分厚い壁ができていた。

絶対に他人に心をのぞかせてなるものか。

他人に心をのぞかせるとそこから一気に侵略される。
それは痛いことで、つらいことで。
そう感じていた6歳。


最近になって( A )についても考えることがある。

よく初対面に対する他人行儀がきつすぎると言われる。
もっと楽にしていいんだよって言われる。

一方で、気を許してる友人にはついとんでもないことを言ってしまうときがある。
それで誰かを傷つけることも少なくない。

自分はそういうところのバランス感覚が少し歪曲してると思う。
それがちょっと困り事である。

( A )のない行動をとったと気付いたとき、
あの日の自分を傷つけているようでいて、怖い。

黒い衝動が自分の影に見え隠れして。
小さな染みがどんどん拡がり、
いつしか全体が蝕まれてしまいそうで。

それならいっそ自分を殺してしまえばいい。
自分を穢す自分は自分に殺されてしまえばいい。


僕は困惑する。
混沌とした宇宙の中に、
内と外の境界線も見つからないまま、
独り在る。



問題.文中の( A )に当てはまる言葉を次から選べ。(5点)
 1,レガシー
 2,デリカシー
 3,カネカシー
 4,イトヲカシー


Die of Cancer - 2002年06月28日(金)

あれは高校1年のときの英語の授業だったと思う。

「癌って英訳すると何だか分かるヤツいるか?」

「cancer。」

「おお、よく知ってるな。」

「だって、アタシ蟹座だもん。」

一見、脈絡のない発言に教室は唖然としたが、
要するに蟹座と癌は同じ訳語を持つのだ。
なぜかは分からないが。

もし、この一連の会話がもし単語が入れ替わっていたら?

「蟹座って英訳すると何だか分かるヤツいるか?」

「cancer。」

「おお、よく知ってるな。」

「だって、アタシ癌だもん。」

笑えない。
重すぎる。
それこそ唖然とするだろう。
教室で癌宣言などするものではない。

さて、そろそろ自分の死期が近いのではないかと思ってしまう今日この頃である。
明らかにここ数年のオレの体はおかしい。
一時期、まったく風邪をひかなくなったと思えば胃潰瘍だし、
やっと痛みがなくなったかと思えば、久しぶりの風邪は1週間以上も治らない。
相変わらず原因不明の心疾患は月経よりも頻繁にやってくるし、
その度に「生理なの」と宣うのにもいささか飽きた。
静止するパントマイムにはもはや虚しさしか感じられない。

キルケゴールの言う「死に至らしめる絶望」に遭遇する前に
ボクは朽ち果てるのかもしれない。それが少し口惜しい。

現在、東京の中野区に10年来の友人がいる。
死んだらあとのことはよろしくと言っておいたので、
うまくやってくれることだろう。
山のようなCDや貴重な楽器・音響機器の類は適当に分配してくれると嬉しい。


死というものは常に生の傍らにあり、対極にあり、
生を価値付ける唯一の存在が死であるという。
それは本当か分からない。
僕は死後を知らないので相対的な評価しか下せないから、
価値判断としては不十分に感じるが、
とりあえずはそう信じるしかないのだろう。

『老衰』という単語を覚えたのは幼稚園のころだった。
7歳にはなっていなかったのでそれは確かだ。
その理由は明日にでも書くとする。

幼心に死ぬということに畏怖を覚え、死ぬなら老衰がいいと思ってた。
寿命を全うしてるわけだし、何より痛くないならそれがいいと思ってた。

思春期の、ペシミズム全盛のころは、どこかでE・ガロワの話を聞いたのか、
華々しい業績を残して、20歳くらいで死ねればいいと思ってたし、
数学を志したときは人生40歳までという制限を意識したこともあった。

最近は少し違う。
ボクは癌で死にたいと思う。

それは、
祖父と同じで、
祖母と同じで、
弟と同じで。

癌に遺伝性はないと言うが、とにかくうちの家系にはついてまわるのだろう。
近年、癌は不治の病ではなくなったらしいが、全体的な死因の中では上位だし、
我が家に限って言えば、入院したころにはまったく為す術がなかった。

祖母の入院のとき、親父たちは癌を告知しなかった。
苦渋の判断だったことは重々承知しているし、
それが正しかったかなんてのは他人にとやかく言われる筋合いはない。
その歴史しか残っていない以上、それが唯一の選択だったのだ。

その後で親父は自分がもしも癌になったら告知するようにと言っていた。
複雑な気分だった。
僕は言うだろうか。
いかにそれが望みだとしても言えるだろうか。
実際にそのときになってみないと分からない。

僕が癌になったとき、誰が僕に告知してくれるだろう?
ありがたいことに友人や先輩の中には医者の卵が何人かいるので、
奥の手として使えないこともないが、
先日、入院している友人の容態を暗に調べてもらったときは
あまり気持ちのいいものではなかった。
おそらく彼にもそれに近いものを背負わせてしまったのだろう。
とうわけで、奥の手は封印する。


なんか暗い話で長くなってしまったが、
書きながら逸見政孝さんの癌宣言の会見を思い出してしまった。


僕はまだ社会に誇れる業績を残していないのでもう少し生きる。
とりあえずはこの風邪を早く治すとする。
明日は飲み会だ。(ォィ)


Sorry, sorry, so sorry? - 2002年06月27日(木)

もう何日か前のことになるんだけど、カメラのフィルムを1本現像しました。
最近はあまり撮る機会がなかったので
何が映っているかはすっかり忘れていたんだけど、
先日訪れた皆瀬村は小安峡(おやすきょう)の大噴湯の写真があったよ。
煙ってばっかりで何がなんだか分かりゃしないんだけどね。

後半は18日のトルコ戦の模様で、家から駅までが映ってた。
スタジアムに着いてからのフィルムはまだカメラの中なんだけど、
大雨で写真どころじゃなかったから、ろくなのが映ってないはず。
だから使える写真はこれしかないんだろうな。
うちの風呂場での「シュンの日の丸頭ができるまで」とか、
駅構内でのサポーターの群れや「ticket please」を掲げるヒトとか。
『必勝』のはちまきをしたトルコ人3人組との写真が一番の記念かな。

自分でフル装備した写真はみんなに見せてるんだけど、
カワイイ♪という感想にかなりいい気になってます。(アホ)
現物はツラがでかいのでこういう写真映りもアリでしょう。

以前、冬物のニットキャップをかぶった写真が女っぽく見えると
言われたことがあるんだけど、今回も女っぽいと言われてしまいました。
キャップをかぶると色の白さが際立つからですかねぇ。
しかも辻元清美に似てるとか言われる始末で。もう旬じゃないっしょ。


そういえば、今日はやたらと森島選手がテレビに出演してましたね。
先日は宮本選手だったし、ファンサービスをまとめてやってるのかな。
たまにメディアに露出して生の声を聞かせるのはいいことだと思います。
欠乏症になると歪曲した偶像を生み出しがちになってしまうので。

一方で、試合期間中にホテルまで押し掛けるファンはどうかしてると思う。
サッカー選手はスタジアムで見るもんだし、
芸能人はブラウン管や映画館で見るもんだ。
プライベートで見かけてもそれは別人。

森島選手の「日本一腰の低いJリーガー」っていう
キャッチフレーズはどうかと思いました。
背の低さと謙虚な性格をかけているんだろうけど、
なんか無意味な気がします。

あと、アン・ジョンファンの奥さん。
ミス・コリアだろうが何だろうが奥さんは奥さんであって、
それ以上でもそれ以下でもないでしょう。
くだらない付加価値がしつこいです。

とにかく日本のマスコミはアホだと思いました。


MYエンピツを初めてみた。 - 2002年06月26日(水)

この日記はエンピツっていうサイトのサービスを利用して書いてるわけでして。
昔はhtmlでペェジ作って書いてたんですが、アップが面倒になってしまって、
いつからかこちらに移行したわけなんです。
その割に全然書いてないじゃんかっていうツッコミは受け付けませんが。

実は近頃ヒトの文章を読むようになりまして。
要するに暇なんでしょというツッコミもやっぱりNGでございます。
んでね、エンピツのサイトには多くのヒトの日記が
いろんなジャンルに分かれて登録されているんです。
投票システムによりランキングなんかもあって、
ランキング上位のおもしろいヒトの日記は本当に内容も興味深いです。
何気ない日常の妙だったり、切実な恋の話だったり。
その手法も読ませる文章、続きが読みたくなるような文章だと思います。

もともと自分では備忘録みたいなつもりで始めたということもあって、
ランキングには参加してなかったし、あまり表立って公開もしてませんでした。
だいたいペシミストなヒトが自己満足な文章書いてるだけでは
読んでる方は一向に楽しくなれるわけはないと。

ただ最近のカウンターのまわりが気になってるので
投票ボタンとMAILボタンを追加してみました。
たぶんオレのサイト以外から見に来てるヒトなんていないだろうけど、
一応ということで。

これで少しは身の入った文章でも書けるように・・・なるかな?


旗艦支援中。 - 2002年06月25日(火)

然したるネタもないので、またつらつらと書いてみようか。

ここのところ雨続きで、思うように外出はできないし、
体調は悪いわ、膝は痛いわでもうさんざんである。

膝と言えば、また剣道をやるようになって2ヶ月くらい経った。
膝の痛みには2種類あって、常時抱える慢性的な痛みと
ドライヴを上げたときなどに高い負荷がかかって発生する瞬間的な痛みだ。
前者はすでに生活の一部なのでもう慣れたものだが、
さすがに雨が降る日は疼く。湿度とか関係あるらしい。
天気予報できるんじゃないかと考えたこともあったが、
あまり精度はよろしくなかった。

後者は耐え難いほどの激痛なのだが、幸か不幸か
最近この痛みを覚えることはない。理由は簡単だ。
稽古不足でドライヴを上げることができないからである。
おそらく昔のようにスロットル全開にしたら
腱と筋繊維がいくつか断裂してしまうことだろう。
そういう意味ではうまい具合に抑えながらやってるし、
やらせてもらってる。

ただ、昔は強かったなどと考えているうちは
いつまで経っても昔を超えることなどできないのだろう。
最近甘っちょろくなったもんだとつくづく感じる。
どこかギラついてた、研ぎ澄まされた刃のような、
あのころの自分はもう記憶の彼方から還らない。


今日もまたCDを買ってしまった。
5(4+1)枚組\10000というなんとも財布泣かせのもの。
前から予定していたものなので仕方ないが、
先日、予定外の出費があったので今月も苦しい。
あれはまさに予定外だった。凹みの境地に達した。

5枚の内容は良かった。たぶんこれで1ヶ月くらいは過ごせるかと。
だけど、来週も厄介なのが控えているのでまた苦しくなるな。

そういえば、先日の宇多田ヒカルの【DEEP RIVER】、
あれはどうしたものかと。
体調を崩していたせいなのだろうか。
プロデューサーの意向なのだろうか。
あまりにも希薄な内容だったと思う。
ちょっと残念だった。


暇だったので、ふと思い出したように高校の同期の闘病日記を読んだ。
死んでしまった友人は何人かいるが、
本当に死にかけて還ってきたヤツはこいつくらいだろう。
医学生という境遇も手伝ってか、内容が切実で赤裸々でおもしろい。
今は元気だからこそ、おもしろいという発言ができるんだろうな。
また3%を引かないようにオレも遠くで祈ってるわ。


咳もひどいので今日はこれくらいにして寝よう。


祭りのあと。 - 2002年06月19日(水)

今日の仙台は憎らしいほどに晴れています。ええ。
昨日帰ってきてから見た熱戦を伝えるニュースはどこも「後半圧倒していた」とか
「有利に進めていた」といったものでしたが、これがとても不思議でなりません。
テレビで観ていた人は本当にそう思っていたのでしょうか?
我が家はNHKが映らないのでテレビ中継を録画しなかったのですが、
スタジアムで観ている限りでは確かに後半の支配率は上がりましたが、
まったく圧している様子はありませんでした。
特に左サイドは深いところまでボールを進めるのですが、
フィニッシュまで持っていけるといった感じはなく、
ただ攻めあぐねてボールをキープしているだけでした。
また、トップにボールを入れても恐さがないので
トルコは余裕をもって対処していたように思います。
左サイドにしてみればああいった状況を個人技で打破できる
ジョーカーが必要だったはずですし、トップなら十分なポストプレーと、
ある時は自分でシュートにいけるようなそんな選手であるべきでした。
別にサッカーに限った話ではありませんが、
相手に恐怖を与えない攻めは形骸化してしまうものです。

あと、主審のコッリーナさんですが、さすがに世界最高の審判でした。
全てのジャッジが公平で的確だったと思います。
一方でイタリアは大会を通じて審判に泣かされる結果になってしまったようですが、
それを差し引いても韓国の気迫は素晴らしかったと思います。
ポルトガルに続いてイタリアと欧州の強豪を撃破した勢いはどこまで続くのでしょうか。


Exciting in the Rain - 2002年06月18日(火)

行ってきました、ワールドカップ。正確には、
FIFA WORLD CUP TM MATCH NO.55 日本[H1]vsトルコ[C2]。
宮城スタジアムは2年前にキリンカップで日本代表戦を
見て以来2度目で、この日は屋根のないゴール裏。
降りしきる雨の中、ずぶ濡れになって応援してきました。

やっぱり親善試合とは緊張感が違います。
試合前の国歌斉唱は震える思いで歌いました。
午前中に駅で見た日本サポーターの群れ、
トルコサポーターと写真を撮る人々、
『ticket please』の紙を掲げる人々、
いろんなとこでワールドカップを感じましたが、
このスタジアムの雰囲気にかなうものはないですね。

試合内容の方はみなさん御存知の通りです。
残念ながら負けてしまいました。悔しいです。
全力を出したならともかく、チームとしては
まだまだ行けたと思える分だけ歯がゆいです。
ミスをした選手を責めるつもりはありませんが、
ミスをした監督は責めます。意図したことは
分からなくもないですが、プロとして期待に
応えるだけの結果を残せなかった以上は
責められるのは当然のことだと思います。

それでも出場2度目にしてホスト国としての重責にも耐え、
1位で決勝トーナメント出場という最低限の結果を残してくれました。
予選リーグでの一戦一戦の緊張感が勝利によって解き放たれた瞬間は
何物にも代え難い感動を与えてくれました。
そんな監督・選手・スタッフには感謝の気持ちでいっぱいです。

「ありがとうニッポン、
 ありがとうトルシエ、
 ありがとうダバディ♪」

4年後のドイツを目指してまたがんばりましょう。


HOLIDAY - 2002年06月17日(月)

もしも 君に会わなければ もう少しまともだったのに
もしも 好きにならなければ 幸せに過ごせたのに

朝焼けの風に吹かれて あてもないのに
君を探そう このまま夕暮れまで
Holiday Holiday Holiday

いつかこんな気持ち悪い人 やめようと思う僕でも
なぜか険しくなるほどに すごく元気になるのです

この道は続く あみだをたどるように
君を探そう このまま夕暮れまで
Holiday Holiday Holiday

心の扉を 痛みこらえ開けたよ
古い暖かな部屋に 君を呼ぶまで

もしも 君に会わなければ もうすこしまともだったのに

(spitz / アルバム[隼]より『Holiday』)


サポーターグッズ - 2002年06月16日(日)

火曜日の日本戦に向けて準備中です。
今のところの装備は、
からだ 代表ユニフォーム(旧型)
あたま サポーターキャップ(かなりかわいげ)
くび  タオルマフラー9番(中山のときの)
ってなもんで、「フェイスペインティングしないの?」って
言われたので、街のサッカーショップに行ってみました。

そしたら人だかりのすごいことで、
明らかに普段は縁のないような客層が多いです。
日本戦のおかげで仙台のサッカー熱はますます加熱してるようです。

結局、お手軽なタトゥシールを買ってきました。(* ̄ー ̄*)

大会のほうは決勝トーナメントに入って
ますます熱い試合が繰り広げられてますね。
個人的にはお気に入りのチラベルトとレコバ、
あとポルトガル代表が敗退してしまったので
もはやどこが勝ってもいいです。
日本に関しては「宮城で力尽きる」なんて言われないよう
精一杯応援してこようと思います。

あ、サッカーとは関係ないんだけど、jaw's harp買ってしまった。
先週のライブでちょっとはまってしまって。オレってばミーハー。
友人の家に行ってビヨンビヨン言いながら練習してたら変な目で見られた。


瀕死。 - 2002年06月14日(金)

久々にまともな食事を摂りました。

残りHP:14/708


シタタメル - 2002年06月13日(木)

誰かに伝えようとして文章に認める。
混乱してる頭の中を少しずつほどいていく過程で
徐々に落ち着きを取り戻しながらも
自分の気付かなかった一面が見えてきて
驚き、戸惑い、再び混乱に陥る。

結局、時間ばかり浪費して
わけの分からない内容になった。

・・・。

えいっ、送っちゃえっ!


多 事 so long - 2002年06月11日(火)

The Rolling Stonesの Jumpin' Jack Flash という曲があります。
御存知のとおりトップページのフレーズはこの曲のものであり、
シンプルなリフが弾ける僕の大好きな曲の一つです。
最近この曲がCMでかかるようになりました。
詳しくは忘れたけど車のCMです。
誰かがカヴァーしてるようです。
そういえば、ナイナイサイズのエンディングにも
気だるいカヴァーのJJFが使われていたし、
同じく車のCMでは Satisfaction が使われていました。
Satisfaction に関してはカヴァーなれど、
ギターを弾いてるのはキース・リチャーズ本人で
かなりビックリしました。
とうに盛りを過ぎた彼らですが、まだまだ元気。
ストーンズファンが増えればいいなと思います。

宮城県では夕方に『ショムニ』の再放送をしています。
伊藤俊人さんがとても輝いて見えます。

ワールドカップは連日熱戦を繰り広げていておもしろいです。
最初はサッカーを知ってるヒトだけ盛り上がればいいと思ってたけど、
カメルーンの敗北に涙する中津江村のおばあちゃんや子供たちを見てたら
ちょっとジーンときました。
大会を支えるヒトの力ってのは大切なんだと切に感じました。

ちなみに僕は大会前の予想でポルトガルが優勝すると思ってたんだけど、
アメリカにまさかの敗北。人気ばかり先行してると言われてしまいました。
その後立て直してはいるけど、この先どうなるやら。楽しみ楽しみ♪
フランスに関しては優勝はないと思ってたし、ベスト8がいいところだと
踏んでたけど、予選落ちするとは夢にも思いませんでした。
直前の親善試合で余裕を見せすぎたかな。
ミクーをもっと重用してほしかったけれど、仕方ないですね。
なんにせよ、これ以上ジダンが酷使されなくて済むので負けて良かったと
思ってます。4年前のロナウドのようにならないでほしい。

さて、日本代表のほうは大盛り上がりのようで。
日曜は仙台も繁華街がすごいことになってました。
金曜のチュニジア戦に勝って1位で通過すると
18日に決勝トーナメントの試合で宮城に来ます。
そして僕はそのチケットを持っています。(^m^)
チケットを取った当時は日本戦になったらスゴイなとは思ってましたが、
まさか実現するなんて・・・あ、まだ確定じゃないですね。
そういえば、先日のロシア戦のチケットは30万の値がついたそうな。
友人の分も併せて4枚あるので自分の1枚だけ残して3枚売ったら
100万くらいに・・・友達にタコ殴りにされるな。やめとこ。


ここのところ体調がすぐれません。
食事をとってもすぐ吐いてしまう。
食欲もあったりなかったりで腹だけ空かしてます。
酒は飲めるんですが、満腹になりません。
なにより栄養が足りないし。

前に「僕の平穏はどこにあるか知らない」と書いた気がしますが、
ついにどこにあるか分かりました。
加えて、それに手が届かないことも分かりました。
僕の根本は何も変わっちゃいなかったのです。
あのころのままでした。

嬉しいような、
悲しいような。


「いけんっちゃ!」

久々に叱られました。


FLOWERS - 2002年06月10日(月)

普段思っていることでも

口に出すのとそうでないのとでは まったく異なる

言葉にした瞬間から 僕はその想いに縛られる 囚われる

I want certain words more than a thousand flowers


エジプト - 2002年06月09日(日)

楽しい一日でした♪(^m^)


純愛ラプソディ - 2002年06月07日(金)

明るいだけが取り柄でも
私だって命がけの恋に憧れることがある
ドラマティックな出来事は
起こるはずもないくらいに平凡を生きてきた
あなたとの出逢いの日を境にして
すべてが輝き始めて 想いは募るばかり
愛し方何ひとつ知らないままで
飛び込んだぬくもりは他の誰かのものだけど
タイムカードを押すたびに
ふと感じる物足りなさ いつしか消えてたの

恋の舞台に上がっても
脇役しかもらえなくて セリフはいつでもひとり言
見えぬ鎖につながれた
あなたの心奪うのは ルール違反でしょうか
遅すぎためぐり逢いを 悔やみながら
過去にやきもち焼いたって戻せない 時までは
片づいてゆく仲間達に ため息
どこまでも 主役にはなれない私でもいいの
人をこんなに好きになり
優しさと強さ知ったわ それだけで幸せ

形では愛の深さは測れない
さよならが永遠の絆に変わることもある
二度と会えないふたりでも
胸の中で生き続ける 大好きな微笑み

So, I sing this rhapsody for you
So, I sing this rhapsody for you


[純愛ラプソディ / 竹内まりや]


片道20分。 - 2002年06月01日(土)

泣きそうな貴方を見るのはつらいけれど、
泣きやんだふりをされるのはもっとつらいから、
どんなときでも飛んで行くよ
僕がいらなくなるその日まで



-▼-


 

 

 

 

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