モクジ | 今ヨリ、カコへ | 今ヨリ、ミライヘ
今更ながらですが
マイスリー、デビュー(笑)
さすがに、入眠障害が4〜5ヶ月続いたことと
自称・薬の弱さは天下一品な私ですが、
さすがに、ワイパックス0.5mg×2錠でも眠りに落ちなくなってきたことと
さすがに、そろそろやばいな、と思えるようになったことと〜
などがありまして、医者の門戸を叩いて参りました。
もともと、眠剤は苦手。
とにかく薬が残りやすく、
一週間連用すると起き上がれなくなったり、記憶が飛ぶこともあったりしたので、
マイナートランキライザーで対処しきれなくなり、切羽詰まったときのみ、
服用するようにしていました。
そんな経験をしてでも、なぜ眠剤を欲しがるか?
それは……何よりも「良質な睡眠」が第一だからです、心身不調の解決への第一歩はね♪
ドクターも、前回の不眠への処方失敗を心得て下さり
(リフレックス15mgで酷いアレルギー症状が出て一週間寝込んだ)
抗うつ剤で眠らせるという手法は避け、すんなりと眠剤を処方して下さいました。
ということで、マイスリー。
いやぁ、良い薬だと噂は聞いておりましたが……
こりゃ、いいわ!(笑)
すぅーっと自然に落ちて全然残らない、素晴らしい切れ味♪
今までに処方された眠剤とは、全然違う。
これならば、辛いときに頓服として頼れるわん♪
ちなみに、今回頂いてきたのは5mgですが
用心して、半分に割って飲んでます=つまり2.5mg。
それでも、(個人比ですが)比較的強かった入眠障害が改善される私って、一体……(^◇^;)
今回のポスター
ガラス棟からホールAに渡り歩いて行くと……関係者出入口に。
この辺りを歩いていると、「artist」のパスを下げた外人さんとめちゃめちゃすれ違う(笑) 出入り口では出待ちしている方も多い(この写真の反対側にいる)。 アーティストさんも気楽な感じでサインや撮影に応じてくれています。この祭りの特徴よね〜。
チケットを持っている人しか入れないガラス棟。物販のあたり。夜でもこんなに凄い人(笑)
……あ。画像をリサイズするの忘れちゃった、まいいか(笑)
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第二回から参加している、有楽町 国際フォーラムのクラシック音楽祭
「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日」
が、今年も終了しました←
いやぁ〜熱狂した2日間だった(会期は3日です)
<2日>
takatosatopi(カントリー&ジャズ)
屋外広場キオスクステージ、から始まり
http://www.youtube.com/watch?v=Ej7XH7lTpVU
ご機嫌なジャズとカントリー…でいいのかな?
バンジョーうまいよぉ、バンジョーの音、いいよぉ!!!
浅草ジャズコンテストでの演奏曲が、特に良かった〜。
しかし、にこにこと演奏するバンジョーとクラシックギターのお二人に、
良い雰囲気になってるお客に、足を止める人々に、色々と思う。
……笑顔っていいなぁ〜、と(ToT)
そういえば、どこか近くで結婚式があったのだろう。
白ネクタイを外しながら聞いているお兄ちゃんも居ました(^_^)
ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)
よみうりホール
ラヴェル「夜のガスパール」
デュティユー「ピアノ・ソナタ op.1より 第1楽章」
ドビュッシー「前奏曲集 第1巻」より
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=tu8M4WQ0tdk#!
動画はラフマニノフのピアノ協奏曲2番第三楽章ですが(^◇^;)
(これは昨年の大トリ公演でした。感動した!)
いやぁ、ベレちゃんの「夜のガスパール」動画が見つからなかっただけ(笑)
アンコールが2曲もあって!お得感♪
ですが、アンコール曲名が張り出される前に、泣く泣く会場を出てしまいました〜。
次の公演が、やばかったので!!!
(アンコールを聞かずして会場を出る人も多かったなぁ。時間が迫ってたからね)
信号無視はせず、横断歩道からホールC入口まで走る!!!
ああ、ラ・フォル・ジュルネで走ったのは久々だなぁ。
(参戦初回でその目に遭い、それからは絶対に連続した公演を取らないようにしてた)
小曽根真&塩谷哲(ホールC)
http://www.youtube.com/watch?v=r56B099Juvs&feature=player_embedded
一般売りでなにげにチャレンジしたら取れてしまった!!という
ラッキーチケット。
小曽根さんを冠にした公演のチケットが取れたのは、初めてざんす。
(何人かのピアニストとクラシックの共演、
急病ピアニストの代打、無料公演などでは拝聴していた)
ジャズピアノをよく知らない私が言うことはなにもなく。
ただただ、素晴らしかった! 音楽って最高!!!と思った一夜だった、と。
血が湧き、血が騒ぐ〜!!すばらしきグルーブ感。
たぶん、私が今まで見たラ・フォル・ジュルネのLIVEの中で
1・2位を争うすばらしさ。会場を去りがたかった〜。
ピアニストが一音弾いたとたん、周りの空気が変わる。
この瞬間が楽しい。そんな2日の2公演。
<3日>
屋外広場キオスクの当日発表アーティストが「渋さ知らズ」であることを
Twitterで知り、愕然。見たかった……
渋さ知らズは、昨年の土砂降りのなかのプレナイトで観ました。かっちょ面白かった!
http://www.youtube.com/watch?v=z4qtSR-lwkw&feature=player_embedded
すっかり出遅れた3日(^◇^;)
観たかった 屋外キオスクでの「The Cherry boys」にももう間に合わない……
と落胆のまま東京駅から地下通路を通り、フォーラムに到着したら。
人だかりと音楽が!
やってる!まだやってる\(^O^)/
予定時間を15分位延長して演奏してくれたおかげで、私も三曲くらい観ることができた〜
こういうご機嫌な音楽は、東京の5月の風が良く似合うのだ! すっげぇ贅沢♪
案の定。演奏終了後。
前に立っていたおねーちゃんたちは
「海外旅行に行って、レストランかなにかで、たまたまこういう演奏に出会っちゃった!という感じだよね、いいよね〜♪」
隣に居たお兄ちゃん達は「今日、一番楽しかった!!!!!!」と上気した声で語り合ってる。
いいぞー、いいぞー(笑)
そうなんだよ、楽しいんだよ、屋外キオスクで聞く、ジャズやカントリーって最高なんだよ!
どんどんハマって欲しい……と思う私。関係者でもないのに(笑)
そのまま、ガラス棟へ(チケットの半券が無いと入れないゾーン)
The Cherry Boys (展示ホール キオスクコンサート)
http://www.lfj.jp/lfj_report/2013/02/post-923.php
先ほど屋外で演奏していた、The Cherry Boysの屋内ライブ(笑)。
早めについたので良い席が空いていたので座って観覧。
さっきと何が違うかといえば、キーボード→グランドピアノになった。
それだけだけど、雰囲気変わるわーん。
しかし、チェリーボーイズの動画を探しのだけれど、どこにもない。残念(涙)
ピアノの兄ちゃんは、他メンバーより断然若い。
指が長い。気がつけば、ほとんどの時間、兄ちゃんの指ばかり観ていた
(私は、ピアノを弾く手フェチ)
ごっきげん♪な足取りでゆるゆるとホールAへ……
シンフォニア・ヴェルソルヴィア、ベレゾフスキー(ピアノ)
・デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」
・ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲
・ラヴェル 「ボレロ」 with ライブドローイング(ヴィルチンスキ)
「魔法使いの弟子」は、言わずと知れた、ディズニーのファンタジアの音楽。
ファンタジアを観ても居ないのに、聞いていると、
青い服のミッキーが魔法を掛けるあの姿が浮かぶのは何故だろう?(笑)
ファンタジックな曲である〜、かわいい♪
そして、左手のためのピアノ協奏曲。
ピアニストは左手だけでしか弾かない。
動画でしか見たことがない、ベレちゃんの左手一本プレイが見て聴ける喜び♪
http://www.youtube.com/watch?v=aQOhB9dPDpc" target=
これはショパンの「革命」だけれど、途中から左手一本になりまする。
すごいよすごいよ、なんだよ、左手一本で協奏曲って!!!
そしてホールAだったのでスクリーン付、
スクリーンに映し出される映像の8割以上ピアノを弾く手!
いやぁ、感動。周りも拍手喝采、ブラボー!!!の声も上がる。
そしてボレロ。みんながわくわくと待っていたボレロ。
今回は、ライブドローイングという試みらしい。
アーティストの方が出てきた。
タイトルを水彩パステルだか?で描き、水筆で塗りつぶす……
この辺りまではわくわく。
だが途中で気づく。アバンギャルドでシュールになっていくことに。
はっ!と気づけば、ボレロは中盤。
し、しまった。いつの間にかオーケストラの音量が上がってる!
私、ボレロの演奏を楽しめていない!!
一生懸命オケを見つめ、曲を聞き入るように努力するが、
3スクリーンに描き出される絵が気になってしまう。
そのうち、キャンバスをカッターで切り、紙をめくる……が続く。
ああ、私はボレロを〜(ToT)
ボレロ終了。
キャンバスにはハートが描かれていた。
気づけば。周りも微妙、普通に拍手。
アーティストのおっちゃんは、熊さんみたいな大きな体型で、シャイでかわいかった。
アンコールなし。
(あの状態ではアンコールはむりだわな)
ちなみにホールAのB席は、漏れ聞こえる会話や雰囲気から、
音大生やサークルで音楽をやっていると思われる人が多い。
みな、微妙な雰囲気でぞろぞろと席を立つ。
前にいたお兄ちゃん3人組の一人が
「わかるよ、わかるけど……ああ!ボレロ(もう一度)最初から聴きたい!!」
私はその兄ちゃんに、心から拍手を送りました。
遙か上の3階席から1階までおりる間、沢山のお客さんを観たが。
みな「よかったね!」の言葉も雰囲気もなく、かなり「???」と微妙な感じでした。
絶賛している方も多いけれど、たぶん?な方の方が多かったと思う。
「ボレロ」は音楽だけでドラマチックなのだから、他の味付けは要らないなぁ(^◇^;)
ラ・フォル・ジュルネはお祭りなので何でもあり
演奏が少々まずくても、このお値段だし、参加することに意義がある!的な
お祭りですから、何も言わず楽しむ!が私の信条ですが……
さすがにこのドローイング・ボレロだけは……(^◇^;)
ある意味、全てを持って行っちゃった(笑)
それまでの感動が、「ボレロ聴かなきゃ!集中しなきゃ!ああ〜」の
必死さに負けたというか。
あの回は、順番を逆にして、
ベレちゃんの左手で終わってほしかったなぁ〜
*****-*****
ボレロはこういう風に、参加していく楽器を追いながら、音楽を楽しみたいよぉ〜(ToT)
http://www.youtube.com/watch?v=inipOAGtDX8> (これはN響の演奏)
*****-*****
以上。
つらつらと自分記録として書かせていただきました。
ベレゾフスキー(ピアノ)に惚れたのは、数年前。誰かのピアノ協奏曲。
弾き出したとたん、あまりの軽快なタッチに、ハートを射貫かれました。
(この軽いタッチを好まない人も多いです)
私の好きなピアノの音なのだよね〜。
http://www.youtube.com/watch?v=b3DrJOfqol4
ショパンワルツ 変ニ長調 作品64−1「子犬のワルツ」
こういう小さな曲だと、ベレゾフスキーの軽い音の可愛さが分かる(笑)
(個人的にはショパン「別れの曲」も好き。速弾きのイメージがあるけれど、
静かに歌う曲の音の方が好きだったりする、天の邪鬼な私)
2013年05月05日(日) |
(その3) 苦と執着 |
◇経集(スッタニパータ) 738-739偈(げ) ---
楽(快感)であろうとも 苦(不快感)であろうとも
ふつうであろうとも
自分の内部でも 外側でも
好きとか 嫌いとかの 対象として
感受されたものが 存在しないだけ
楽・苦・ふつうを全て
「これは苦しみだ 偽物だ 変滅するものだ」
と、感受の接触ひとつひとつを 見つめるものは
欲望から離れる
◇経集 742-743偈---
執着によって 存在が発生する
存在するものは 苦を受ける
生まれたものは 死ぬ
これが苦しみの原因
※生まれたものは死ぬ=執着によって生まれた存在は、いつか消える
※熱心にやっている自分=執着=自分の存在感
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以上。
よく知らない私がこんなことを言うのはアレなのですが
今回のお話は、「やさしい仏教哲学」なのかな?
今の自分にとって、とてもためになりました。
そして、
心は体。体が変れば脳も変わる。
ということを再確認した1時間40分だったかも〜。
来月のお話しも楽しみ♪
2013年05月01日(水) |
(その2) unsatisfactory そして not-self |
(前回の続き)
拙いながらも、まとめてみました。
箇条書きにしてしまったので、お話しの雰囲気そのものが伝わりにくと思いますが。
これらのことは、お腹に力が入っていない感じの声で(笑)
淡々と、ほぼ感情を込めずに語られ、お話しが進んでいきました。
なんというか、強制される感じが全くなかったんですよね〜。
それがとても良かった(^o^)
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脳は、
気持ちよいことを・満たされることを求めるように出来ている。
そういう機能のもの。
だが、根本的には"満たす"ことなど出来ない。
満たされてもそれは一瞬、次の瞬間には苦がくる。
どんなに好きなもの、熱中するものがあっても、ずっと同じテンションで好きでは居られない。
飽きる時が必ずくる。
好き、飽き、好きと繰り返す。
うつろいやすいものである。
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自分が
自分の
自分は
自分を
自分に。
強烈な自己中心性
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自分の体が、自分にとっては一番である
(体は認識をする装置。これがないと自分が困るのである)
体の状況が、全てに影響する。
なので、自分の体に起っていることで、機嫌や、考え方や、あれこれがいろいろ変ってくる。
他の人の苦しみそのものを認識することはできない。
体は自分の体であって、
他人の体ではない・他人の体にはなれないのだから。
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同じモノを見ても、自分と人は絶対に同じ見え方にならない。
隣に並べばいい? いや、隣にならんだとしても若干位置はずれる。
全く同じに見たいならば、その人の体を乗っ取り、その人の目の位置で見なければならない。
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人は生きるうえで、
友達と、恋人と、すなわち人と
わかり合いたい、共感・共有したいという希望を持つが、
同じものを見ても、絶対に同じ見え方が出来ないのと同様、
絶対にわかり合うことは出来ない。
絶対に正解はない。
認識は体に閉じ込められている。
故に絶対に、人と完全にわかり合うことは出来ない。孤独である。
だが、いくら完全にわかり合えないとしても、近似値に近づけることは出来る。
誤解を減らすことは、出来る。
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わかり合いたいのに、実際はわかり合えない時間の方が多い。
また、常に気持ちよくなりたいと願うが、実は不快な時間の方が多い。
完璧に欲求していても、絶対できない。
生きている上では、苦痛の時間の方が圧倒的に長いのである。
欲望や執着は強ければ強いほど、
消えるときに激しい断末魔の悲鳴をあげる、苦しみを生む。
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生きるということは、
絶対にクリアできない、イカレたゲーム。
でも、完全にそのゲームから降りることは出来ない。
おりることができないのならば、少しでも苦(苦痛)を減らすようにしていく方がよい。
それには。
追い求めなくなれば、それは欲望ではなくなる。
完璧主義にならない方がよい。
少しだけ力を落とせば、執着が減る、自分の苦痛も減る。
ありのままに受け止める。
そうすれば、余裕が出てきて、
立ち居振る舞いや言葉が、美しくなってくる。
生きていくということは、割に合わないものなのです(苦笑)