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2002年10月31日(木) 裏切り。



空が真っ青で、

雲一つない、いいお天気なのに

空気はひんやりしている、って言うのに

戸惑ってる。




私の生まれ育った街は

雪はたくさん降るし、冬はかなり冷えるところだったけど

そんなときは

空は鉛色だったし、

ずっしりと重く厚い雲があった。


たまに差す太陽の光は、

本当に暖かくてやさしくて

ちょっぴり幸せな気分になれた。


うーん・・・

こう天気が良くてそして寒いって言うのは

なんだか、お日様の裏切りのような気がする。

なんて。





ま、冬なんだから仕方がないんだけどさ。


もう冬に足を突っ込んでるような感じだけど

布団を外に干せるだけ、ありがたいと思わないとね。

















ちょっと、所帯じみた日記だ。うん。


2002年10月30日(水) 小さな子どもじゃあるまいし。



帰る日。




ちょっと早起きするつもりだったのに

今日も少し寝坊した。


居間へ行くと

妹はすでに出勤してて

父さんも朝食を取り終えて、部屋を出ていこうとする瞬間だった。

慌ただしく送り出してしまった。





もっときちんと見送りたかったのにな





今日の私は、ついたとき以上にハイテンションで

ちょっとしたことでものすごく笑えて

何だか、不思議だった。

この家を出ていくとき置いていった鉢植えの世話を

今回はどうしてもしていきたかったから

一人ベランダへ出る。


「あんたが向こうへ行ってからしばらくは

 みんな気にして見ていたんだけど、

 夏の頃は忙しかったこともあって、なかなか世話してやれなくてさ」


母さんが言うとおり、いくつかの鉢は

干からびて可哀想な姿になっていたけど

夏の間休眠するスノードロップの鉢からは

小さな芽が出ていたし

シクラメンは新しい葉をつけていた。

シャコバサボテンも小さな花のつぼみを付けていた。


瀕死のオリヅルランには

水をたっぷりあげたら

しばらくすると生気を戻したようだった。



枯れてしまった葉などを整理して

生き残った小さな命を部屋の中に入れる。




「そろそろ出ないとまずいんじゃない?」


母にそう促されて、帰る準備を始める。



まだしたいことは山ほどあるのに

話したりないことばかりなのに

そんなことを考えるけどなぜか顔は

さっきと同じ笑顔で、

妙なハイテンションもそのままで

テキパキ荷物を積み込んでしまう。




「どこで昼御飯食べることにする?高速乗ってから?」

笑いながらそう言う私に、やすくんは

「こっちで食べていこうよ。おかあさんもいっしょにさ」

なんていう。



高速まで家から1時間半。

その途中にあるパスタ屋さんに入り、3人で昼食をとる。

昨日と変わらない、幸せなひととき。



店を出て、お互いの車に別れて乗る。

「気をつけて」

そう言って母さんが駐車場から見送ってくれた。

最後までハイテンションな私は

「じゃね。よいお年を」

なんてちょっとおどけて、手を振って別れた。















カーブで母さんの車が見えなくなったとき

ものすごい淋しさが胸にこみ上げてきて

涙がドッと溢れてきた。

運転中のやすくんに気づかれないようにと

窓の外を眺めたり、そっと指で涙を拭ったりしても押さえられないくらい

涙がどんどん溢れてきてしまった。

嗚咽を抑えられなくなってしまって、涙は止まらなくて

どうしていいのか分からなくなってしまった。


やすくんは

「無理して元気に別れなくてもいいのに」って

私の頭をポンポンたたく。



   母さんや父さんの前で

   寂しそうな顔をするわけにいかないじゃない


   寂しく毎日を過ごしてると思ったら

   きっと心配しちゃうからさ


   それに、

   私、やすくんといられて幸せなんだから


とは言ってみたものの


これまで張りつめていた気持ちが一気に流れ出したみたいで

涙が全然止まってくれなかった。





2002年10月29日(火) 懐かしの味。


今日だけゆっくり実家で過ごすことが出来る。

っていっても、今朝ついたばかりの私たちで(昨日の日記参照)

結局昼近くまで眠ってしまったので

本当はそんなに時間はなかったのだけど。





母とやすくんと私とで、外食。

4月まで私が住んでいた街まで足を伸ばす。

小さい頃よく連れていってもらった

どこにでもあるような食堂。





御飯とみそ汁と、ほんっと簡単な豆腐の料理。

でもこの豆腐が絶品で、どれだけでも食べられる。

地元の人間にはよく知られた料理だけど

やすくんにとっては初めての経験。

出てきたときはちょっとビックリしたみたいだったけど

食べ始めると「おいしいおいしい」と言って

結局御飯とお豆腐を追加してしまったほど。



「ききはさあ、こんなおいしい物が食べられる所で育ってきたんだね」


なんどもいうが、ほんっとものすごく簡単なその豆腐料理で

ここまで感動してもらうのは何だか恥ずかしいくらいだったけど

そんな風に自分が生まれ育ったところを誉められるのは

自分自身を誉められる以上に嬉しかった。

母さんが、おいしそうに豆腐をたくさん食べたやすくんを

本当に嬉しそうに眺めていたのが印象的だった。







せっかく帰ってきたのに

もう明日には戻らなきゃ行けない事に気づいて

このまま家に戻りたくなくなって

母さんもやすくんも行ったことがないという美術館に

二人を連れていく。


展示されていたガラスたちもすごくきれいだったけど

きっとその時私の味わっていた

「しあわせ」のほうが

数倍美しいだろうな、なんて

ちょっとクサイことを考えてしまった自分が

ちょっと可笑しかった。












しあわせなじかんは



どんどん



過ぎていく。


2002年10月28日(月) 故郷へ。

やすくんの仕事が終わるのを待って

いよいよ、久々に実家に帰る。



出勤前に

「ききの仕事が終わったら、たっぷり昼寝しておいて。

 今回はかなり運転してもらわなきゃいけないと思うんだ」

と言い残していったやすくん。

言われたとおり、仕事を終えて帰る準備をしたら

毛布と枕を出して昼寝に入る。




けど。





荷物の中に足らないモノがあるのに気づいたり

部屋が散らかってるのが妙に気になったり

結局、20分くらいしか眠ることが出来なかった。



思った以上に早く仕事を終えて帰ってきたやすくん。

着替えをしたりしている間に、

わたしが荷物を車に積み込む。


早く

早く


何かが私を急きたててた。


部屋から一番近いインターからではなく

やすくんの実家に一旦寄って

そこから近いインターに向かった。

今回は、私の車の冬用タイヤを積んで帰ってくる。

やすくんの車じゃ入りきらないので

少し大きな車を実家で借りた。

ナビ付きの車。



連日睡眠不足のやすくんは

そこまでたどり着くのもやっとという感じで

高速に入ってすぐ運転を代わる。

首都高の直前までは私の運転。


早く

早く

気持ちだけが先に行ってしまう。

ナビの画面の隅に出てる

「到着予想時刻」を少しでも早めたい。

そんな気持ちもあった。



直前のサービスエリアに入って

運転を交代。

首都高では思わぬ工事渋滞に巻き込まれた。

ナビの「予想時刻」もどんどん遅くなる。


中央道を抜け、いよいよ実家へ。

途中思わぬ降雪もあって

ドキドキしながら運転していたけど、

目の前の山や木々、川、それに道が

懐かしいモノへと変わってきて

ものすごく安心できた。








結局私の家についたのは午前六時。

新聞を取りに家から出てきた祖母とはちあわせしたくらいだ。

やすくんはさすがに疲れて寝てしまったけど

私はその時間ももったいないような気がして

変な興奮状態のまま

迎えてくれた母ととりとめない話を続けた。

部屋を出てきてからここにたどり着くまでの事。

この前帰ってきたときから、今日までのこと。

母は、笑いながら話を聞いてくれたけど

しばらくすると

「あんたも疲れてるんだし、少し眠ったら?」と言った。

疲れてる気がしなかったし、

少しでもたくさんいろんな話をしたかったが

母に言われるとおり布団に潜り込むと、

どうやって寝たか分からないほどすぐ

深い眠りに落ちてしまった。






とうとう帰ってきたよ。

暖かい布団の中で

すごく幸せな気分だった。


2002年10月15日(火) 女の意地。



お皿を一枚割ってしまった。

普段づかいモノだったし昔から使っていた皿だったので

ありゃりゃと思ったけど、

まあ、何でも寿命というモノがあるからなあと

あきらめた。





割れた皿を片づけながら

ここに引っ越してきたときのコトを思い出した。

荷物が届いた数日後、

わざわざ私の母が荷物の片づけに来てくれたときのこと。



やすくんが先輩にもらった巨大な(笑)食器棚に

私が持ってきた器と、やすくんが使っていた器を片づけていた母。

まだ半分も片づいていないとき

急に「茶碗と箸を買いに行こう」と言いだした。

茶碗と箸だったら私もやすくんも持ってたにもかかわらず。



「茶碗と箸はいつも使うモノだからこそ、

 ちょっと良いのを使っていた方がいい」


そういう母の言葉。

98円とか100円の食器コーナーを通り過ぎて

少し高めの茶碗が並ぶ棚の前で止まる。

母が選ぶ茶碗はどれもステキだったけど

その時の私には茶碗のステキさより

値段の方がちらついてしまって、なかなか手が出ない。


結局、棚にある中から私にも手が出る値段のモノを選んだ。





店から家に帰る車の中で

母が運転する私の方を見て聞いてきた。

「彼が持ってきた器って、伊豆にいるとき使ってたの?」

         「そうだよ」

「あんたが選んで買った物?」

         「ううん。もともとやすくんが持ってたやつ」

「・・・・・・・・・・・」
         「なんで?」



ほんの少しの間が空いて母が口を開く。








「あれ、良い物以外は捨てちゃいなさい」    



「あれ、前の彼女がそろえたんじゃないの?」











突然のその言葉に、どうして良いのか分からなくて

つい笑って誤魔化してしまう。






お揃いの柄が入った色違いのお茶碗と箸。マグカップ。

何枚か揃った器には、あるキャラクターが描かれている。




伊豆に遊びに行き始めた頃、

そう言う細かな部分に気づけば気づくほど

アノヒトの影に目が行って

ブルーになっていたことがあったけど、

物に対するこだわりのないやすくんの性格がだんだん分かってからは

「物に罪はない」と思うことにして使っていた器たち。





「あんまり大した女の人じゃなかったみたいね。

 器も100円均一や何かの景品みたいのばかりだし」

「元カノが使ってたのを使うなんて、イヤじゃない?」


母がそんなことを言うなんて、正直驚いた。

確かに、わたしだってどんな人だっただろうと考えたことがある。

だけど、母みたいに敵対心というか、嫌悪感というか

とにかく、そう言う感情を持ったことはない。

母の言葉があまりにストレート過ぎて戸惑った。




茶碗と箸を買いに行った本当の理由は、これだったんだ。




母の中の女性の部分を見た様な気がした。

私の母としてでなく、女性の先輩として私のことを心配してくれた言葉。














2002年10月14日(月) 一期一会。


仕事を終えたやすくんが

そのまま出かけた。今日はお泊まり。



「一旦荷物をとりに帰るよ。悪いけど、用意しておいて」


やすくんが以前お世話になった人が出張でこちらに来る。

今回はその時のメンバーが集まってのお泊まり飲み会。

前々から分かっていたことだけど、

今夜はひとりぼっちなんだなあと思うと

素直に行ってらっしゃいと言うことが出来なかった。





「なんだよ。そんな顔してたら出かけられないよ」





やすくんの顔を正面から見ることが出来なくて

なんだか涙があふれそうになった。















やすくんは一晩離ればなれになるのを



私が寂しがっていると思ったみたいだけど



それは少し当たっているけどほとんど違う。













・・・・・・・・・・・・・・怖いんです。














ひとりぼっちで夜を過ごすことより

離れてる間に何か起きたらどうしようって。



人の命って何時何が起こるか分からないもの。

笑って出ていったやすくんが

二度と戻ってこないってコトが

100%ないとは言い切れない。



これが最期になりそうで

怖い




・・・・・・・・・・なんていったらきっとやすくんは笑うだろうけど。




だけど、考えずにはいられないんデス。



思い起こしてみたら、

私はやすくんと出会ってからずっと

浮気や別れに対する不安より

いつか訪れる「永遠の別れ」を思うことが多いかもしれない。


何を大げさな、と我ながら笑ってしまうけど

いつ訪れるか分からないからこそ、

共に重ねる瞬間瞬間を

大切にしたいという気持ちを持ち続けられる。






気をつけて。

いってらっしゃい。


2002年10月13日(日) 小さくて大切なモノ



仕事が忙しくて、久しぶりに遅く帰ってきたやすくんが


「なんかさあ、頭が痛いんだよね」


ぽつりと言った。


そう言えば、晩御飯を食べた量がいつもより少ない。

そうやって話す声が、何となく鼻声だったりするし。


「明日も早いから、先にお風呂入ってくる」


そう言って一人、浴室に入っていった。

食器を下げながら、何を用意したらいいかを考える。



冷却シート?

風邪薬?

氷枕?


考えてくうちにどんどんやすくんを重病に仕立てようとしている

自分の思考回路に気づいて思わず笑ってしまった。



結局用意したのは

風邪薬とお湯、それにドリンク。

母が風邪を引いたときに毎回用意してくれたモノ。

風邪のひき初めにはこれが一番効く。



「今日だけは、お風呂から上がったらすぐパジャマ着るんだよ」

と、お風呂から出たらいつも

しばらく下着姿でうろうろする暑がりのやすくんにクギを刺して

寝る準備をする。







不謹慎かもしれないけど

ほんの数ヶ月前は、

電話の向こうで心配しかすることが出来なかった。

早く風邪を治して欲しくてあれこれやすくんにお願いするのに

「大丈夫大丈夫」と聞き流してしまうことに

腹を立てたこともあった。



1年ほど前、体調が悪いのに私の所へやって来たやすくんを

寝ながらではあったけど看病して

結果次の日は眠くなってしまったけど

それでも幸せだったことがある。



一緒にいられるようになって

幸せを実感している毎日。


でも、ふとしたところに

まだまだ自分が気づいていない幸せが転がってる。





ちっちゃなちっちゃな幸せを

砂粒みたいな幸せを

一つ一つ見つけていきながら

一緒に歩いていきたいと思った。


2002年10月11日(金) 10秒チャージ。いや、10分チャージ。




実は今週の初めからパートタイムの仕事を始めた。

内容的には3月までやってた仕事と関わるものだし

環境はよく似ているので

職種的には初めてではあるんだけどなんとかやってる。





ただやっぱり、

自分が生まれ育ったところで働くのと

全く知らない土地で働くのとでは

気を使う場所が微妙に違うというか、

本来の仕事内容以上に、ちょっとした言葉遣いや人間関係で

戸惑うことが多い。




土地独特の冗談混じりの言い回しが

慣れない私には、冗談なのか本気なのか判断できずにいる。

感謝の気持ちを伝えるときも

他の人がやってることと、自分がしてることは全然違うから

こんなんでいいのかな、って思うこともしばしば。

当然、その逆も必ずあると思うと

一つ一つの動き、言葉に神経をつかってしまう。





ま、そんなこといいながら

大きな問題もなく1週間働くことが出来たのは

紛れもなくやすくんのおかげ。


これまでかなりな亭主関白だった(苦笑)やすくんだが、

私が働き初めてから急変。

やすくんの休みの時は家事のいろいろを

私に変わってやってくれる。

私が仕事に行った5日間のうち、

やすくんの休日が4日間もあったので、

今週は何も家事をしていない感じ。ありがとね。




のろけちゃいますが、ほんっと良い旦那さんです。

私にはもったいないです。

だけど、誰にも譲れません(笑)






もうひとつ、1週間やすくんにお世話になったことがある。

毎朝、目を覚ましてから10分間のコト。




朝、

目覚ましがなっても、なかなか起きられない私。

まだ意識がぼんやりしたまま

モゾモゾ動いてやすくんの布団に入る。

やすくんもまだほとんど起きていない状態だろうけど

そんな私を迎えてくれて

背中の方からギュッと抱きしめてくれる。

背中から、お尻から、足から

やすくんの暖かさが伝わってくる。

そしてその暖かさがからだのまん中に届いて

私の力に変わってる気がする。

一日頑張ろうって、思える。




たった10分たらずのことだけど、

私にとっては貴重な充電時間。








ありがとね。





いってきます


2002年10月09日(水) 夢ノ ハナシ

昨日の分も更新しました。
よろしかったらどうぞ。


+++++++++++++++++++






朝。





目が覚めたら


めずらしくやすくんが


自分の布団を抜け出して


私の布団で眠っていた。






・・・・・・・気づかない私も私だけど。






私がやすくんの布団に潜り込むことがよくある。

その逆はこれまで一度もない。



うれしさよりも何だか不思議な感覚があった。



しばらくして目覚ましがなると

やすくんがゆっくり目を開いた。




「・・・おはよ」

一言つぶやくようにいって、辺りを見回して。


「夢かぁ・・・」

と、大きくため息をつく。




どうやら変な夢を見たらしい。

それも、結婚式の夢。

見たことのない場所で

ウエディングドレスを着た私がいて

タキシードを着たやすくんと、もう2人。

新郎が3人いる結婚式だったらしい。


私の隣に立とうとするといつも

別の2人のどちらかが先に立って

やすくんはいつも私の後ろを歩いてて。

1度は、何か別の仕事をしていたらしく入場に間に合わなくて

私の父と一緒に、しかも腕を組んで歩いてたらしい。



「なんか、すごく後味悪い夢だ」

やすくんは少し不安げな顔になって

私の頭を引き寄せる。



「しかもさ、友人代表挨拶で名前呼ばれちゃったんだぜ」

夢の中の出来事なのに、

ため息混じりでそんな話をするやすくんを

とっても可愛いと思った。





やすくんは

滅多なことでは「好き」って言わない。

自分からは尚更。




本当はもっと私を思う気持ちを表してほしいと思ってる。


だからこそ。

夢の中の出来事はやすくんの気持ちの表れだとしたら。

やすくんが私のことを

今まで思っていた以上に

必要としてるんじゃないかな、なんて

ちょっと嬉しかった。




やすくんも私も

お互いをものすごく必要としているのに

そんなこと分かり合ってるつもりだったのに

時々不安になる。


今日はやすくんの番。



大丈夫。

わたしはやすくんが

とっても必要だよ


私の隣にいるのは

いつもやすくんなんだよ



だいすきなんだ。いつも、とっても。

安心して下さい。


2002年10月08日(火) あなただけ。








「私を可愛いと思うことってある?」なんて聞けるのは




あなただけ。




「いつも思ってるよ」と言われて嬉しいのは




あなただけ。




「どんなところ?」なんて恥ずかしくても聞けるのは




あなただけ。




「甘えん坊なところかな」と言われて幸せになれるのは




あなただけ。







弱くてさみしがりやの私を見せられるのは



あなただけ。



強い自分を無理して見せなくても良いと思えるのは



あなただけ。









あなたの前でだけ



心もからだもさらけだせるんだ


2002年10月05日(土) 衝撃。



珍しく真面目に

将来のことについて話し合った。

人生設計って言うやつ。





そんなに遠くない将来

やすくんは今の会社を辞めて家業を継ぐことを決めてる。

「継ぐ」と言うことだけははっきり決まっているけど

それはまだ漠然とした話で

具体的に何年後、とか

そう言うことは全く決まっていない。



安定した収入が入る間に貯金したいね、とか

車もそろそろ買い換え時だよな、とか

だけど、旅行にも行きたいよね、とか

勝手気ままにいろんなことを話しているけど

現実にはそんなに簡単にすべてがかなうはずもなく

積んでは崩し、積んでは崩しの連続。


話の流れでやすくんに聞いた。

「今の職場にいつまでいるつもり?」

やすくんは、ちょっと考えて

「うーんと・・・2ヶ月かも。」






・・・・・・・・・・・・・・・へっ?







あまりにも近すぎて声も出ない。




「・・・・・はぁ?」


「ほら、去年も白浜へ行っただろ?

 たぶん今年もどこかへ行くことになると思うよ」


「私はどこにいるの?」


「一緒に行ければ良いんだけどな・・・

 きき、来週から仕事だろ?」




そう、私は来週から近所にパートの仕事に出る。

契約は半年間。

やすくんがどこか遠くへ出張になってしまっても

ここで一人、暮らしていかなきゃならない。




せっかく一緒に暮らせるようになったのに

また、別々に暮らすことになるかもしれないなんて。

離れてるのが当たり前だった頃は

1ヶ月会えないなんてどうってことなかった。


だけどいまは


1週間どころかたった1日でも

離ればなれになりたくない。









まだ先の話だけどね。











2002年10月04日(金) ほんの一瞬。

今日、やすくんはは会社の送別会。

一人で夕御飯を食べた。




運転手を頼まれていたけど、

そう言うときに限ってお酒が飲みたくなる。

やすくんが作ったお酒。

私たちが出会う前に作った梅酒は

かなりおいしい。


グラスを出して、氷も入れて

あとは注ぐだけだったけど、やっぱりやめた。


かなり辛かったけど。






やすくんからの電話は思ったより早くて

だけど、おまけがついてた。


ホテルにお泊まりする

やすくんの先輩の部屋で飲み直し。

ってか、私は「直す」どころか

お茶専門だったけど。


二人がこうやって飲み直すときは

いつも遅くまで語り合うことが多い。

ほとんどは仕事の話だけど、

ほとんどは私にはわからない話だけど



二人の話を聞いているのは嫌いじゃない。

私が知らないやすくんの顔を見ることができるから。


たまに、超初歩的な質問をして

二人に笑われるけど

そんな瞬間もいい。



「ちょっと、ごめん」

先輩が席を立つ。

直前の話題での笑いがまだ残ってて

二人で顔を見合わせて笑ってた。








酔った勢いなのか

やすくんが急に腕を伸ばしてきて

腕に力を入れて

私のからだを引き寄せた。

そして、

ほんの一瞬のキス。

触れたか触れないかというくらい。













私が欲しかったのは

そう言うこと。


やすくんが私を好きだって言う証が。








深夜遅くまで話をしていたせいで

今日は寝不足だけど

でも今

すごく幸せだよ



2002年10月03日(木) 境界線。



自分の思い・考えを伝えること、って

意外と難しい。

それが、相手に対して

「こうしてほしい」「ああしてほしい」と言うのだったら尚更。






昨日の夜、

やすくんにひとつの言葉をぶつけそうになった。


「やすくんは、私がこっちに来る前と来てからと

 何か生活が変わった?」


って。

その言葉の裏には、

 私はこっちに来てこれまでと全く違う生活をしてるのに

 やすくんは全然変わっていないよね

っていう、私の気持ちが込められている。



言いたくて言いたくてたまらなかったけど、

結局グッと飲み込んでしまった。

やすくんは、ほろ酔い加減で布団を引いて

変な顔をしてる私を少し気にするようだったけど

しばらくすると、寝息を立てて眠ってしまった。



ぶつけようと思ったけど結局ぶつけられなかった想いは

浅い眠りから覚めた後も、まだ胸にくすぶっていて

それをやっぱりやすくんにぶつけた方がいいのかどうか

グルグル頭の中でまわっていた。


やすくんに「何か変わった?」と聞くと言うことは

「あなたは変わってないわよね」と言うことと同じで

変わったかどうかって言うことは

本当はやすくん本人しか分からないことで。

本当のことを知らない私が、一方的に決めつけて話すと言うことは

単なるワガママの押しつけかもしれないし、

だけど、だからってずっと自分の気持ちを

胸に閉じこめているというのも

二人で生きていくこれからのことを考えると

もしかしてよくないことかもしれないわけで。























・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はう。



一人でそんなことを考えていたら

勝手に涙が出てきた。とっても静かに。

どんどん出てきて、頬を伝って

仰向けに寝ている私の耳に

もう少しで入りそうになった。


やすくんは

確かほんの少し前まで眠っていたはずだったのに

耳に入りそうになった私の涙を

そっと指で拭って

「どうしたの?」と

静かに聞いてきた。



涙は

なかなか止まらなかったし

胸の中に閉じこめた気持ちも

ちょっとでも外に出したら、

出さなくても良いところまで一気に出てきそうで怖かったから

結局何も伝えることが出来ずに

一人で静かに泣いてた。



やすくんが私を見る目が

ちょっと寂しげで

もしかしてこうやって

やすくんに話すことも出来ず一人で悩んでいることこそが

ワガママをぶつけることよりも

やすくんを悲しませるんじゃないかと

涙を流しながら

ぼんやりそう思った。







2002年10月02日(水) シアワセノ カタチ


たとえば

怖い夢を見てうなされたとしても

またすぐ安心して眠ることができること



たとえば

頑張って作ってみた食事を

「腹一杯でこれ以上入らないよ」と

すまなさそうに笑ってくれる人がいること



たとえば

二人で過ごせる晩に

テレビを見ながらうたた寝をすること



たとえば

たまに言うわがままに頬を膨らませてみること

そして

可笑しくて笑いあうこと




淋しさを我慢する必要がないこと

触れたいときに触れることができること

聞きたいときに声が聞けること

ぬくもりを感じられること






当たり前のようで

これまで手に入れられなかったもの







それが

私のシアワセ

なのです。


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