日記でもなく、手紙でもなく
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2003年08月31日(日) 迷惑メール

 今日の日経朝刊に、DIONのアドレスからAOLサーバのアドレスへ向けたメールの不着が頻発している、という記事があった。
 DIONはKDDIのサービスだが、KDDIといえばかつては国策国際電話会社のKDDが母体になっているところだ。AOLというのも、世界的に一番ユーザーを抱えている会社なので、かつて国際電話として日本ではトップだった(おそらく今でもトップだと思う)ところからのメールが、AOLアドレスへ届かないというのは、なかなか皮肉なところがある。

 今回は、DIONアドレスから大量の迷惑メール(スパムメール)がAOLユーザーに発信されたようで、AOL側ではDIONからのメールの受信規制を行ったのが原因、という点についても触れられていた。一般ユーザーには、本当に迷惑な話である。

 この迷惑メールを出す輩というのは、本当にタチが悪い存在だ。
 このために、現在無料メールの数が減っていたり、有料化措置をとり始めているところが続々と出てきている。まさに、フツーのインターネット・ユーザーにとっては、一番悪質な敵である。

 以前書いた、Fullmailにしても、スパムメールが出たため、メーラーからのFullmailの送信サーバを利用しての外部アドレスへの送信をできなくする措置が取られている、というお知らせが8月23日に出ている(Webメールは出せるのだが)。

 やはり、なんとかして、この手の悪辣な輩を締め出す方法を考えないといけないだろうし、相当シビアに対処していく必要があるのだろうと思っている。
 早く、悪辣な輩をすぐ特定化できるプログラムというのができないものだろうか、とも思う。できれば、スパムメールを出している時に、全部その送信者へ戻してしまうとか。

 閑話休題。

 ところで、情報通信の世界では、もともとホットラインなどを扱うところとそうでないところによって、やはり通話品質へのこだわりかたというのは基本的に違っていたところがある。戦争になるかならないか、そんな話をしているときに、中断したりノイズがばかばか入ってしまうと、役にも立たない回線になる。

 ただ、電子メールというのは、あちこちのコンピュータを通っていくので、時々それがうまくいかずに届かないことがあるのも事実。
 だからこそ、自分だけに送られた少し重要なメッセージをもらったら、自分が確かに読んだということを伝えたり、その内容を確認した、ということを返信で出すのは、理にかなったことになる。
 最近だと、このような正しいメールを送信する人の数が、スパム・メールの増加とは反対に、少し減ってきたような気がしないでもないのだが。


2003年08月29日(金) レオナルド・ダ・ヴィンチ<糸車の聖母>


 ダヴィンチの絵が盗まれた、という朝日朝刊の記事を、昨日帰りの電車の中で読んでいる人がいた。これは知らなかった。
 今日、あらためてネット上のニュース(読売やロイター)を確認してみると、27日午前(昼前のことらしい)、スコットランド南部の富豪であるバックリー公爵所有の(17世紀に建てられた)ドラムランリグ城に観光客を装った2人の男が入っていき、警備員を制圧、警報装置を解除した後、ホールに飾られていたダヴィンチの<糸車の聖母>を盗み、車で待機していた他の2人の男とともに逃走した、という内容。
 要は、白昼強奪された、ということだ。

 なんとも大胆な泥棒であるし、それだけ警備が手薄だったのか、などとも思ってしまう。
 この作品、公爵自慢のコレクションで、毎年夏と秋に一般公開されてきたという。
 ダ・ヴィンチだもんね、とやはり思ってしまう。残っている完成作品が何しろ少ない人ではある。

 この、<糸車の聖母>だが、1500〜10年の間(1501年という記述が多いようだ)に、フランス国王ルイ12世の側近の依頼を受けて制作された作品と言われているが、約50×36センチのさほど大きくないサイズ。
 幼児キリストが<糸巻き>らしきものを持っているため、「糸車」という形容詞が付いたのかもしれないが、実際には糸「車」などはどこにも描かれていない。

 資産価値は(記事によっても少し異なるものの)2500万ポンドから3000万ポンド(円換算で46億円から56億円)。
 以前、ルーベンスの絵が競売された記事の記憶もあるが、その時はほとんど5000万ポンドという落札価格。ダヴィンチでこんなものか、というような気にもなるが、たぶんかなり大きさが違うようなところがあるのだろう。
 ただ、情報が不十分でよくわからないのだが、ネットを検索していると「偽作」という文字も出てきており、これは一度確かめたいと思ったところ。ただ、偽作にしては、なにしろよくできている感じがしないでもない。

 もっとも、ダヴィンチの真筆とすれば、もし競売されたら3000万ポンドで済むかどうか。かなり値段はつり上がるような気もするところ。

 ところで、今日のロイター電によると、「富豪の代理人は28日、保険会社が英ポンドで6けたに上る懸賞金をかけたことを明らかにした」とある。6桁といっても、3000万ポンドの1〜2%程度、多くても3%ということになる。
 うまく出てくるのだろうか?
 まさか話題にするために、仕組まれたものではないだろうとは思うのだが。


2003年08月24日(日) グリコのおまけ

 その昔、グリコのおまけは、画期的だった。
 10円のグリコだけではなく、大きい50円のグリコのおまけのほうが、やはりいいものがあったようだ。

 ところで、昨日の日経朝刊に、関東では8月5日から(北海道・東北では6月から)限定発売されている、「タイムスリップグリコ<青春のメロディーチョコレート>」の記事が出ていた。
 懐かしのヒット曲の8cmシングルCDがおまけについて300円。

 太田裕美やアグネス・チャンなどのヒット曲CDが付いている。CD付きで300円なら安いと言えば安い。種類は18種類用意されていて、秋には全国発売されるようだ。
 さすがに結構売れているらしい。
 購入者層を、恐らく子供だけをあてにせず、大人を取りこむ企画にしたのが、たぶん大正解だったのだろう、と思う。

 このおまけ付きチョコの発売で、7月の小型CDの生産額は、前年同月比180%近く(小型CD生産枚数は前年同月比6倍強)に達したらしい。なかなか凄いものだ。


2003年08月23日(土) 暑い......

 先週の土曜日は、一体いつになったら夏になるのだろうと思っていた。
 一週間後の今日は、夏真っ盛りの陽射し。

 午後2時過ぎから外に出て、ほんの10分強歩いただけで、汗がぽとぽと滴ってくる。陽射しだけではなく、湿度もかなり高いようだ。不快指数がそれだけ高くなっている感じ。

 午後6時くらいになって、やっと太陽が雲の陰に隠れ、結構風が出て、日中よりもかなり気持ち良くなる。


2003年08月21日(木) 歌手(?)・浅丘ルリ子の音源、CD化

 以前、キングからCD化され発売された、俳優の歌盤について書いたことがある。この流れで出てきたものかどうかはわからないが、その後、ポリドールから梶芽衣子の編集盤も出た記憶がある。
 その後、勝新太郎の盤もCD化されて、仰天してしまったこともある。

 で、今回は浅丘ルリ子である。結構アヤシイ音源を多々有していると思われるテイチクからの発売。
 なんと、2枚組CD(39曲入り)で、銀座山野の店頭で見ると、CDの左端につけられたタスキ部分には、<歌手デビュー40周年記念企画>の文字が見える。一瞬、女優デビューよりも早かったのだろうか、などとも考えてしまうが、収録曲を見ると、ほとんど知らない曲ばかりだった。(残念ながら、カバー曲やスタンダードなどはないようだった。)
 ただ、僅かに一曲だけだが、「愛の化石」というタイトルは、どこかで見たような、あるいは聞いたようなことがあるのかもしれない、などとも思ったり。

 今回、同時に坂本スミ子の「おスミのラテン・ヒッツ」という盤も、(同じくテイチクから)発売されている。こちらのほうは1枚に25曲しっかりと詰め込んだ感じ。ラテン曲のスタンダードで構成されており、この人のラテンなら悪かろうはずはない、とも思われる。
 浅丘ルリ子はともかくとしても、こちらのほうは一度は聞いてみなければ。

  ***

 考えてみれば、坂本スミ子の盤など、今までずーっと出てこなかった、ような気がする。ひょっとしたら、ソニーのQ盤でアルバムが一枚くらい出ていたかもしれないのだが、ほとんどその記憶がない。
 今年になってやっと、ソニーからこの坂本スミ子のベスト盤が出たのは記憶に新しい。

 それと前後して、やはり今までCD化にあたり、見向きもされなかったような人の盤が、ぽつぽつと出てきている。
 恐らくその右代表ではないかと思うのが、あのコメットさんをやった九重佑三子。この人の2枚組ベストもソニーから登場。

 コロムビアでは、ヒデとロザンナの「しんぐるこれくしょん」という、これも2枚組の盤が出たばかり。
 ただ、このヒデとロザンナのCDは、以前から1枚だけベスト盤が出ていた記憶がある。本当に有名な曲ばかりだけを収めて、15曲程度しか入っていなかったのではないかと思うが、今回出たCDはコロムビア全シングルのAB面45曲を収録。
 (なお、しんぐるこれくしょんと題された同じシリーズで、伊東ゆかりのコロムビア/DENON時代の録音も2枚組で発売されており、これも貴重な音源。)

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 やはり、CDをコンスタントに購入してくれる人の層が変わってきたところがあるのだろう。年齢層としては、かなり上のほう。
 そうでなければ、このあたりの盤は、お蔵に入ったままに違いない、とも思う。

 ところで、ドイツの通販系再発レーベル<Bear Family>からも、驚くような盤が出た。ザ・ピーナッツのドイツ語で録音された彼女らの歌の再発盤。
 これは私の想像の域を出ないが、<Bear Family>ではカテリーナ・ヴァレンテの再発化を進めていたのだが、その過程の中で、ヴァレンテの歌を取り上げ、ヴァレンテと接点のあった日本のザ・ピーナッツというグループが、掘り起こされてきたものではないか、などと思ったりしている。


2003年08月16日(土) 降り続く雨

 全く、夏はどこへ行ってしまったのか、そんなふうに思わせる日が続いている。
 3日間、よくぞこれだけ雨が降り続くものだと思う。

 幸か不幸か、あまり温度が上がらないため、比較的涼しく過ごせるのはありがたいが、やはりこれだけ冷夏になると、ビールや発泡酒含むアルコール飲料もソフト・ドリンクも、一気に売上が減ってしまうことになる。
 今年取れる米も不味そうな気配。

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 ところで、昨日起こった、NYからカナダに至る広大なエリアで生じた大停電は、なんとか収束し始めている。カナダのほうは、正常に戻るにはまだ少しかかりそうなのだが、NY市ではやっと送電100%に戻ったという。
 高層のホテルだと、戻っても部屋に入れない、エアコンは効かない、ということで、路上に寝た人も多いという。
 
 東京でこんなことは絶対起こらない、という保証も全くない。もし、大停電したら、一体どうなるのだろうか。


2003年08月05日(火) 雷雨

 午後、西の空が真っ暗になり、大粒の雨に変わる。
 夕方の時点で、この大雨のために、JRで運転見合わせがずらっと出てくることになる。

 午後7時を過ぎる頃にやっと小降りに。8時少し前会社を出ると、かなり温度が下がっていた。上着を着ていても良いくらい。

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 夜、友人から電話で、同じクラスだった人の訃報が入る。癌。
 少し切ない気分。


2003年08月04日(月) 削除しました



2003年08月03日(日) 麻生圭子<京都で町家に出会った。>を読みました

 京都の家は、時々「鰻の寝床」に喩えられます。
 もちろん京都の町家づくりのことを指しているのですが、京都の人が、そのような家のことを以前から<町家>などと呼んでいたわけではありません。下降イントネーションで、「うち」とか「いえ」(関東・標準語ではほぼ同じ音程か僅かに上がる)とか言っているだけで、その中には、大店もアパートも、基本的には全て含まれます。
 (他所に住んでいる人から見ると、独特の形態ですが、京都のこのような家に住んでいる人からすると、普通の家。もちろん、かなり古びた感じがするのも事実ですから、今風にもっと住みやすく手を入れている家が大半ですが。)

 最近になって、この町家という呼び方をする人も、中には少しいるようです。
 碁盤の目に区切られた町並みで、平屋か二階建ての建物を建てていくとき、土地を最も効率的に使う方法が、結果としてこのような住まいを生み出していった、というような話をどこかで読んだ記憶があります。
 角地はお店のような建物として使われたりすることも多いようですが。

 入り口(間口)が狭くて奥行きがある、という形態を、「鰻」のイメージと重ねているわけです。
 ただ、このような形態の家がほとんど隙間なく並んでいるため、一見すると長屋のようにも見えなくもありませんが、しかしこれは間違いで、京都の街中の家というのは、本来的に(そして現在でも)一戸建ての家であることには変わりません。
 通りからではわかりにくいのですが、屋根の部分を注意して見ていくと、それがよくわかります。

 見せかけが「いかにも」の家というのは、京風ではありません。できるだけ《へりくだって》見せる、そのため間口が狭いわけですが、一見たいしたことなさそうな家と見せながら、奥へ行くと凄い(蔵まであったりする!)というのが京風、というよりも京都そのもののような気がします。

  ***

 東京育ちの麻生圭子さんが、この京都の町家に住みたいと考え、建築をやっているご主人と悪戦苦闘の末、(昔のままの)町家に住むようになった「いきさつ」が書かれているのが、この本です。エッセイというよりも、麻生流ドキュメンタリー。同時に、町家の構造をかなり明瞭に描いているようにも感じます。

 入り口から土間が続き、その土間に面して、手前〜中〜奥の部屋が置かれています。そして、土間は家屋の一番先まで続き、その先には小さな庭があったりする、そんな家のイメージ。従って、入り口から庭の明かりが見えると同時に、家の中にまで通りを引き込んでいる、というのが麻生さんの捉え方。面白い見方だと思いました。

 子供の頃、南禅寺(のすぐ手前のエリア)にあった親戚の家が、まさにこのような町家でした。
 2階へ上がっていく傾斜角60度くらいは十分ある急な階段。通りからは、この家に2階があるというのはあまりわかり難いところも京都です。ただ、この2階というのは、屋根裏に毛が生えたような雰囲気もあり、天井が低いのも特徴です。

 さて、このような町家ですが、京都市内でも、さすがに古臭い、冬は一層寒い、というようなことで、実際にはどんどんその姿を消しています。残っていても、ある場合は倉庫代わりに使われていたり、京都風の遺産相続の少し複雑な権利関係の問題などがあって、一人が「うん」というだけで貸してもらえるような町家というのは、極めて少ないようです。おまけに、麻生さんの希望である、以前のままの町家ではなく、新建材をやたら使って、変な形で手が入ってしまっている町家のほうが圧倒的に多いわけですね。
 貸そうとすると、そのような形で不動産屋が手を入れてしまう....、そのため大家さんとしては、昔のままに戻して使おうとすることはご法度、といことになって、なかなか希望に添うような物件が見つからない、わけです。

 このあたりのやりとりを描いているところは、本当に京都です。笑ってしまうものの、もの悲しいくらい。

  ***

 引越しに際して、新しい床板を、この漆塗りにすることになるのですが、小松(石川県)から漆塗りの職人さんを呼び、漆の塗り方(拭き塗りという方法)を習い、自分たちで漆塗りをやってしまいます。

 この本を読んでいて、知っていたふりをして全く知らなかったのが<漆>についてです。
 漆塗りの箸や椀というのは、何百年も土台の木の部分が腐らないから、それだけ長く使える、ということはよく知っていました。もっとも、硫酸にも溶けない(!)、というのは初めて知りましたが、それでも、まあ認識レベルの違いというような話にして、逃げられないこともありません。

 これはともかく、一番肝心なところは、イメージとして<ニス>を塗るのも、漆を塗るのも、似たような作業だろうと思っていたわけですが、これが全然違う。もちろん、漆というのは、その液が皮膚につくと、かぶれるということくらいは、フツウの人なら誰でも知っていることですけど、もちろんこのことではありません。

 実は、漆というのは、それを塗った後、空気中の酸素が漆の中に含まれる特殊な酵素を活性化させ、ウルシオールというものを硬化させる、つまり生化学的な変質が生じる、ということらしいのです。結果として極めて頑丈な変化を生み出すのですが、気温20℃前後、湿度80%程度の環境でないと、この硬化が生じてこないというところ、知らなかったとはいえ、本当にへえっ!と思ったのでした。
 温度を高くしても、低くしても、あるいは極めて乾燥した(低湿度の)状態では、この硬化が全く促進されず、漆はいつまでたってもベトベトしたまま。ニスやペンキなどと異なるところは、まさにこの部分です。

 もう一つは、土壁について。
 土の壁というと、ひ弱そうで、地震への耐性が小さそうな印象を受けるのですが、この印象も修正したほうが良いのかもしれない、とも思いました。
 例えば新建材などで壁面を作るときには、ボンドでくっつけていくことになります。ところが、当初はしっかりついていても、ボンドの寿命が尽きたときに、壁が剥がれてしまうことになります。
 土壁でも、きちんと手を入れて作られているものは、なかなか落ちてこないようです。
 
  ***

 そんなところ、こんなところ、結構面白く読みました。
 以前、単行本で出ていた時に、この人の<東京育ちの京都案内>を読み、ちょっと面白かったので作者の名前を覚えていたのですが、その後本屋でこの人の本に、なかなか出会うことがありませんでした。
 今回は、文庫の新刊を店頭で眺めていたら、これが平台に積み上げられており、早速買って読んでしまいました。

 もともと、2000年に<東京育ちの京町家暮らし>というタイトルで文芸春秋から出ていたものを、文庫(文春文庫)化するにあたり、「暮らし」について書かれているのはごく僅かで、むしろ町家そのものについて、関心を持って書かれている、ということから、標記の書名に変えた、ということが後書きで触れられています。
 「古民家ひっこし顛末記」という副題も付いていて、こちらもよく分かりますね、読んでみると。


2003年08月01日(金) 歌の聞かせどころを自動的に頭出しする....

 ネット上でCDの検索をすると、しっかりしたサイトでは、曲目一覧はもとより、一部(場合によりほとんど全曲目)30秒程度ながら、そのCDに収録されている曲を聞くことができたりもする。

 問題は、この30秒というところ。一曲あたり、たとえば3〜4分とすると、30秒というのは、その曲の6分の1〜8分の1程度。決して短いとは思わないが、十分楽しめるという長さではない。
 以前も、検索をしてみて、おお、曲が聞ける!と喜んだものの、これがヌカ喜びに終わった。曲の頭の30秒で、サビのところに行き着かずに終わってしまったからだ。いわゆる、ヴァースの部分だけで終わり。

 頭の30秒ということで、ちょっと有名な曲、例えばイヴ・モンタンがフィリップスに録音した<枯葉>という曲のことを考えると、モンタンがぶつぶつと呟いている(この部分にも、本来はメロディがついてはいるが、モンタンはディクションでこの部分をやってしまったから、ぶつぶつ呟いている)ところでオシマイ。
 有名なメロディの(日本語訳詞では)「か〜れ〜は〜(枯葉)よ〜.....」(C'est une chanson−−)という部分は、聞けないから、この部分だけを知っている人は、一体自分が知っている枯葉なのかどうかは、分からないままになるわけだ。

 ま、これはしょうがないのだろうなぁ、などと思っていた。
 サビの部分を選ぶとなると、これはなかなか大変な作業になってしまう。人手で(人の耳で)確認しながら、30秒を切り出す、という作業だから。

 では、30秒だと、いい曲かどうかわからないか、というとそうではないこともよく知っている。
 TVCMだと、15秒か30秒という短い時間なのだけれど、とても印象的な曲をそれで初めて知ったり、CMでその曲が好きになったりしたことがある人はかなり多いはずだ。

 曲の聞かせどころというのがあって、CMの場合はその部分をうまく使っている。

 今日の新聞(日経朝刊15面、中ほどの囲み)に、産業技術総合研究所(後藤真孝氏)が、「コンピュータで楽曲の構成を分析し、さわりの部分を素早く見付けて再生するソフトを開発した」という記事があった。
 性能テストでは、約8割の曲で、適切な頭出しができたという。

 曲の試聴はもとより、携帯の着信メロディを切り出すという使い道がある、ということも書かれていて、これはなるほど、と思ってしまう。


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