日記でもなく、手紙でもなく
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桜の木が並ぶ小学校の校庭沿いの道を通って買い物に行くとき、そのうち2本の桜の木に、花が咲き始めているのを発見。 咲いているとはいえ、各枝についたつぼみのうち、2つ3つ花が開いたという感じだし、残りの多くの木々は、一つも開いていない状況。でも、桜の花が咲いているのが見られるのは嬉しい。来週や再来週の日曜日は、この道を通るのが楽しみになる。
ぐるっと回って、一通り買い物が終わったら、夕立のような、かなり大粒の雨が降り始める。1時間ほどで小ぶりになっておさまるかと思ったら、一晩降り続く。 桜がちょうと咲き誇る頃に、一度にその花びらを落としてしまうような雨が多いのも、なかなか哀しい−−。
桜の花が、恐くなるほど美しく、また同時に、不気味なほど明るい感じの底無しの怖さをもって撮られていたのが、鈴木清順の映画だったような気がする。なにしろそれを見たのがかなり以前のことなので、ストーリーすらあまり記憶の中に残っていないし、キャストも曖昧でしかない。 が、圧倒的な凄みのある桜の花の、そのイメージを思い出させる映画。
私自身が清順の映画で見たと断言できるのが、「チゴイネルワイゼン」と「陽炎座」の2本だけなので、なかなか情けない話ではある。 タイトルの雰囲気からすると、陽炎座ではなかったかと思うが、なにかどちらにも、ぼーっと明るいおぞましいほどの桜の花のイメージが、確実に残っていたりする。
その行方がどうなるか、少しわからなかったものの、燃え残り21トンが無事太平洋に沈んでいったミールではある。 ま、21トンの「ごみ」が沈んでいったわけだが、燃え残りといっても、実際には燃えないようなものに入るとすると、「燃えないごみの海洋への大量投棄」にあたる。
大量の燃えないごみを捨てるぞ、捨てるぞ、といいながら海に捨ててしまうというのは、不法大量投棄にはあたらないものなのか、とか思ったけど、大型貨物船とか石油タンカーなんかでも、沈んでしまえば結果は同じ話だ。 ある意味、ミールなんかより廃棄量は多い。
重油タンカーが事故で沈み、原油が流出するようなイヤーな話より、まだ救われる面もあるか、と思い直す。
東京でも、桜開花宣言が出ました。いよいよ春。 わが家のすぐそばの小さな寺では、やっと梅の花が散り始めているくらいなので、桜が咲くまでにはもう少し時間がかかりそうではありますが......
近くの小学校の校庭の道路沿いに、桜が植えられていて、満開の頃この道を通ると、気持ちまですこし若やぐ感じにしてくれるのは、桜の花がもっている力なのかもしれません。ちょうど桜の花の咲く頃というのは、花曇りの頃とも重なって、薄紅色の花の色彩が、ぼんやりと僅かに曇った空の淡い色の中にうかびあがる、そんな感じが合っているようにも思ったりします。
一陣の風吹けば、あまりにも華麗な花吹雪。 美しさがはかなさを上回る花は、この桜を置いて他にありません。
コンビニでふと見ると、「旨茶」とか「まろ茶」、「花緑茶」など、お茶の新製品が並んでいる。先週だったか「桜茶」というようなペットボトルが置かれていたのを、目の端で見ていたような気がしたのだけれど、今日探してみても見当たらない。売れないとすぐ棚から外されてしまうのがコンビ二なので、売れ方が芳しくなかったのだろうとは思うが。
お茶の新製品が多いというのは、去年キリンの「生茶」で、他社はぐんと差をつけられたという苦い経験がある。捲土重来。今年は、どこがアタマ一つでも抜けるか、なかなか面白いところではある。
お茶といえば、昨日の夜、まあるい形になった「白牡丹」という中国茶を飲んだ。それを一つ小さい急須や湯呑み茶碗にいれて、熱湯を注ぐと、白牡丹のような花(といっても、実際には緑の花びら)のように開くお茶。 見かけは、すこし凝っているが、味はイマイチだった......
計算すると、どうも税金を1389円未納しているらしいので、朝一番で税務署へ向かうと、8時20分に到着。
既に書類の受付は行なわれていて、税務署のおっさんは、私の書いた書類をちらちらっと見ただけで、ハンコをポーンとついた。別の階にある、納税の窓口は、機械が動くのが、8時半からなので、あと少し待ってください、と。ほとんど待つこともなく処理してもらえる。 窓口で領収書を見ると、1300円となっていて、百円未満は切り捨てとなっているとのこと。
私の後から、納税しにきたいかにもという雰囲気のオヤジは、なんと数十万円の札束を封筒から出して、支払っていた。化粧を落とした水商売風おねえさんは、数万円支払っていて、なかなか興味深い光景。 そんな今日の朝。
ちかごろ、減りしもの。 おやぢどののゴルフスヰングの練習なぞを、電車のホームにて、傘を振りてしたる様。或ひは銀座クラブの見世の数(経費節減を以って、社用族減少の故?)。 また、百貨店内の美術館、やうやう減りゆきたるもかなし。 百貨店それ自体ちから弱まり、夢は買へぬものと、あらためて泡沫(バブル)崩れここまできたる時の長さ、あるひは短さを、ひとの知るや否や。
翻って、長きに亙るもの。 夜の客待ちタクシーの列。最終電車に乗らむとして、足早に駅に向かふ人の数こそ多ければ、運転手の吸う煙草の煙、同じやうに、夜の空にたちのぼり闇間に消えてゆく数の多きこと、いとむなし。
イタリアでは、「女性の日」にあたるそうです。女性に『黄色のミモザの花』が贈られることになっている、ということが書かれていました。 日本だと、母の日というのは定着してても、女性の日というのはあったか、なかったか.... 記憶の中を探しても、出てこなかったりしますけど。
2001年03月01日(木) |
初めて行ったアメリカで見た<ユニバーサル・スタジオ> |
もう十数年前に、初めてアメリカへ行った研修ツアー時のこと。
たまたまロスで、自由時間が増えてしまい、それならということで、ユニバーサル・スタジオへぜひ行きたいと騒いでいたのが同じメンバーの中にいて、一緒にそこへ行った記憶が蘇りました。
まだ、その頃ですと、今年オープンした日本のユニバーサル・スタジオほど、アトラクションそのものは洗練されてなかったような気もします。トラムというのに乗っかり、スターウォーズのシーンに似たセットで、光線銃を発射され、ETのセットをみたり、水辺では、ジョーズのつくりものが、ぬわーっとあらわれて、驚かされたり−−などなど。
ただ、ユニバーサル・スタジオへ行って、ああ、映画の国だと思ったのが、タレント・スカウトのアトラクションでした。
つくりものの飛行機の一部とか、大きな水槽みたいなものが置かれた屋外ステージ。客席から、出演者を8名ほど募って、そのボロ飛行機に乗って、落ちそうな感じで演技したり、水槽に飛び込むところ(実際には、水槽の後ろのほうに飛んで、飛び込んだように見せるところ)なんかを、ビデオで撮影していくわけです。監督のような役割の人に、ああしてこうしてと言われながら、時間は過ぎていきます。 ここまでは、客席のほうで見てても、さほど面白いわけではありません。
この撮影が終了後、すぐにそのビデオを、ステージに何台もとり付けられたモニターに試写します。 あっ、と驚くのがここで、昔の様々な映画シーンの断片などと、そこで撮影されたものを編集した形で、一つのドタバタ短編映画、サウンド・イフェクト付きで、見られることになります。確かに、決まりきった編集の中で、今ビデオで撮った部分をはめ込んでるだけなのですが、出演者はうまくクローズアップで撮れてたりするし、飛行機から落ちそうになってるシーンもそのように見えるし。
会場にいた人が主役で出演してるような短編。まさに、編集って映画の中で重要で、面白いでしょ、と語りかけてくる感じでした。
大阪のユニバーサル・スタジオのプレ・オープンという記事を見て、そんなことを思い出しました。
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