通算21回目の伊勢神宮。 大晦日にいろいろとお誘いをうけるが、残念中が全て断ってきている。
いろいろな妄想をする。
もしも紅白に出場しろと言われたら・・・ 断るだろうな、きっと。 紅白の権威的な体質が嫌いとかじゃなくて、単純に伊勢神宮の方が大切だから。
もしも戦争中で、伊勢路に爆弾が落ちそうだったら・・・ それでも行くな、きっと。
もしも右翼精力が拡大して、伊勢神宮が右翼に選挙されたら・・・・ それでも行くな、きっと。
と、しょうもない妄想を延々と繰り返している間に、年は変わるのだった。 きっとこんなことを考えているオイラは幸せ者なんだろうな。
今年も無事一年を終えることが出来ました。 みなさんに感謝です。
子どもをだっこする瞬間にバキっといってから腰の調子が良くないので、ごろ寝マン。 しかし、身体を動かさないからなまったのではないかということにふと気がつき、ボチボチと重力に逆らった姿勢を取ることに務めた。 ちなみにお医者さんでは腰部捻挫といわれてしまった。 40も近づいてくるといろいろあるのね・・・・(泣)
やっと雪が降った。 冬らしい天気。
こうしてたまに降る雪は、何となく嬉しい。 雪は景色を変えてくれるから新鮮な気持ちになれる。
でも降りすぎるとこんな厄介なやつはいない。
程々に降ってほしいな。
2006年12月28日(木) |
TBS「クリスマスの約束2006」 |
ことしもやるんだ。 ってのが最初の正直な感想だ。 というわけで、例によって毎年恒例(になった?)のクリスマスの約束を今年も見るのだった。
今回のテーマは「メッセージ」。 誰かに何かを伝える歌や、その人の存在そのものが「メッセージ」だったり、いろんな形でのメッセージを番組から発信していた。
中でもゲストの斉藤哲夫さんのメッセージは素敵な言葉として胸に響いてきた。
「今まで歌い続けてきてよかった」
この一言がオイラに与える影響は少なからずある。 音楽界に40年間生き続けて来た人の言葉だ。 オイラ自身もこんな風に言えることの一つくらいは作っておきたいと思う。 ただ、 「公務員をやってきてよかった」 という一言だけは、思っていても言葉にはできない。 いろいろな方面から、いろいろな見方をされる職業だけに、実感を一言では済ませられないのだ。 もちろん今は全くこうは思ってない。
小田和正は遂に還暦。 オイラがそこに到達するまでに20年ちょっと。 人生のことをそう考え始めると、実は終わりにことも同時に意識してしまう。 終わるということは、その先はもうないのだ。 何事もそうなのだが、終わる時に良かったと思えるような過ごし方をしていきたい。
「クリスマスの約束2006」をみながら、そんなことを考えてしまったのだった。
公務員は本来ならば明日が仕事納めだが、どういうわけか出先施設は条例上休館日が一日早いのだ。 てなわけで、今日が仕事納め。 2006年の千秋楽ということになった。 前日年賀状印刷で深夜に及び、結局の所ほとんど寝ることなく仕事に行ってしまったので、これがまたつらい。 一日ほとんどボーッと過ごして終わってしまった。 てなわけで、まずはお疲れさんでやんした。
2006年12月26日(火) |
MOVIE「劇場版 どうぶつの森」 |
子どもたちが冬休みで、楽しみにしていた「どうぶつの森」を見に行くことになった。 場所は小牧コロナ。 ちなみにこの小牧コロナ、昨今のシネコンの元祖だと関東版「ぴあ」に書いてあった。 ここが出来た当時はシネコンなんて言葉はなかったので、地元の人もそんな意識はちっともなかったが、どうもそういうことらしい。 さて、老舗コロナ。 老舗は老舗らしく、いろんなことがアナログで素晴らしいと思う。
で、肝心な本編。 DSをやった人には、やり始めた時がフラッシュバックするようなかんじで、はじめてどうぶつの森にふれる人にはかなり親切に説明からはいっていった。 おかげでお話のテンポが緩やかすぎて、途中意識がない。。。。いやあ、まいった。 子どもたちはゲラゲラ笑いながら見ていたのでそれはそれで良かったかなと。 でもって、一番ラストシーンで衝撃のテロップが
「こんどはWiiで会いましょう」
おい!! そんな宣伝かい!!
そして、子どもたちは「wiiやりたい!」ということになる。 うーむ、ポケモンより困った映画だ。 でも、子どもたちが楽しんだんだから、ま、いいか。
2006年12月25日(月) |
DVD「歌舞伎名作撰 野田版 研辰の討たれ」 |
クリスマスとは何ら関係ない話題だが・・・
日本の伝統芸能の歌舞伎と、最も新しい演劇の一つ小劇場が融合した舞台。
台本は「せりふの時代」で呼んだけれども、これを歌舞伎俳優たちがどんな風に表現するかがとても興味があった。 あまり出回っていないDVDなので、入手に時間を費やしたが、見てみるとこれはすばらしい。 小劇場の手法を見事に歌舞伎にしてしまっている。 芝居も外連味たっぷり。 四六時中舞台に立っている人たちなので、あまり前だけど、上手いし面白い。 それにやっぱり野田秀樹。 勘九郎が主役のはずなのに、見ているこっちは群集心理が主役に見えてくるし、それをテーマにしている。 これもまたすばらしい。
大枚はたいて東京にいって、見てみたかったなと思う作品の一つだ。
北米航空宇宙防衛司令部が今夜 http://www.noradsanta.org/index.php で、サンタの追跡を行う。 これは1958年から行っているクリスマスイブのイベント。
1955年に「サンタクロースと直接おはなしができる」という広告の電話番号に誤植があり、北米航空宇宙防衛司令部のホットラインに繋がってしまったのが事の始まりらしい。 それ以来、アメリカの最新のレーダーを使いながら、サンタは今ここ!と言う情報をクリスマスイブの夜に限って提供している。 そういえば昨年見た「大停電の夜に」という映画にも、サンタ追跡サイトが登場したっけ。
さて今晩、サンタクロースはどこを移動するのか。 こうご期待。
ちなみに、サンタにプレゼントをもらう人の登録数が60億人を超えているらしく、一人におもちゃを渡しに行く時間は20万〜30万分の1秒というよく分からないほどのミクロな数字のようだ。 だから、子ども達には見えないんだよ〜ん、という説明をしておこう。
ここで、関東で過ごした先週1週間について振り返ってみたりする。
市町村アカデミーは「陸の孤島」「監獄」と形容されている。 何故か? 研修中は外に出ることができないからだ。 急病などよほどのことがない限り、建物の中に監禁(?)され、目の前の課題に取りくむしかない状況が作り出される。 それは1週間程度でお別れする関係性の中だから成立する状況だ。 もう少し時間があったら、どうなっちゃうんだろうと思うと、心配の種が芽生え始めてしまう。 あと2・3日一緒に過ごすと、きっとその人の嫌な部分まで見えてきてしまうんだろう。 だから間に土日を挟んだ1週間という犬種としてはちょっと短いかなと思う日程ゆえの感動がそこにはあるんだろうと思う。 それ以上長く滞在する自治大学などは、必ず外に出られるようになっている。
久しぶりの東京は、やっぱりワンダーランドだった。 異常に高い建物たちは、田舎ものを威圧するに十分すぎる迫力を持っている。 かつてオイラが東京に足を踏み入れた頃は、池袋と新宿にしかなかった高層ビルが、山手線沿線に点在するようになってきた。 特に東京駅から南東側はものすごい勢いで再開発が進んでいる。 巨大な積み木のような街だ。
今回は交通機関で初めて使うものがあったが、同じ地域を結んでいるのにこうもマナーが違うのか、と思うような場面に出くわした。
東京と成田を結ぶ京成電鉄は特に衝撃だった。 禁煙のホームに座り込んで、くだを巻きながらたばこを平気で吹かすおじさん。 電車内で床面にどっかりと腰を下ろして座るおじさん。 お互い対面に座って、車両内に響く声で大学の研究について語りまくる若者。 いろんなマナー違反をわずか30分足らずの間に目撃した。
その後乗った都電荒川線は別の意味で衝撃だ。 車両内はたくさんの人がつり革を持って立っているにもかかわらず、シートには空席が目立つ。 これはどういう事かと観察してると、駅毎に70をこえたかと思われるお年寄りが乗ってくる。 この人たちが座れるように席を空けていたのだ。 それも、誰が何かを言っているとか、つり広告で啓発しているわけではない。 東京の昔ながらの下町を走る電車ならではの光景だ。 京成→都電と乗ったので、気持ちは穏やかになったが、逆だったら京成でのショックは計り知れなかったであろう。
渋谷、秋葉原、池袋という街を体験した。 それぞれ強烈な個性のある街だったが、こうしたメガロポリスで、「あるコアな部分」を集積するとこんな街ができますよ、と言う見本みたいな街が、秋葉原だった。 名古屋で言うと大須の電気街だが、そんなの目じゃないくらいすごかった。 オタクの量も並半端じゃない。 メイドの数も並半端じゃない。 電気店の規模も並半端じゃない。 何もかもが並半端じゃない街だった。 これはほんとすごかった。 完璧に田舎もののお上りさんと化してしまった。
同時に感じたのは、この町ではいろんなものがものすごい勢いで「消費」されていると感じた。 それは、店頭でプレゼンをしているキャンギャルだったり、駅前でティッシュ配りをしているメイドさんだったり、街角の大型ディスプレイの映像だったり、果てはこの街を訪れた人間の行動までもが「消費」されているような感じだ。 そこに「癒し」はない。 たとえばメイド喫茶に言って癒されたと言う話を研修生から聞くが、その行動自体が「消費」に向かっているから、感動や本当の癒しは存在せず、経験と徒労しか残らない。 人がたくさんいるという、そのことだけで驚異の世界が作り出されるのだ。
またいつかこの不思議な巨大都市東京を見に行きたいと思うのだった(生活はしたくないな・・・・)
2006年12月22日(金) |
DVD「ap bank fes'06」 |
「陸の孤島」で研修してたら知らない間に出ていたDVD。 6800円で3枚組、オイラの好きなアーティスト盛りだくさん。 昨年のDVDよりも、よりフェスの主題にアプローチした作りになっていてそれも好感が持てた。
ライブの映像については、イイトコ取りになってはいるが、どの演奏も素晴らしいし、百花繚乱のフェスにはない、演奏の統一感が心地いい。 しいていえば、ミスチルの演奏がもう一つかなと思ってしまうくらい、Bank bandの演奏は素晴らしかった。 昨年の一押しが浜省だったが、今年の一押しは小田和正、ASKA、桑田圭祐の3人。 これはほんとうに素晴らしい演奏だった。 DVDのくせに、心にぐさっとくる演奏だった。 個人的にはミスチルの収録曲はもっと少なくてもいいから、他のアーティストの収録曲を増やしてほしいと思ってしまった。
二日目の最後に、シークレットトラックでGAKU-MCのダメだしが収録されていたのは笑った。
2006年12月21日(木) |
CD「寺尾聰/Re-Cool Reflections」 |
25年目のReflections。 人生の中で買ったフルアルバムの最初がこのReflectionsだった。 25年ぶりの再開、と言いたいところだったが、これはほぼ「新作」だ。 ビートルズのそれとは全く違って、25年前にレコーディングしたメンバーがそのままリアレンジして新録音をしている。 変わらないのは寺尾聰の歌声だけだ。 しかも今歌っても25年目と変わらない。 25年前はまだ10代前半。 そんな頃によくこんな渋いアルバム買ってたよな、オレ。 今聞いても「大人の世界」に聞こえてしまうオイラがいるのは何故? 素敵な愛聴盤が増えた!
2006年12月20日(水) |
住民とのコミュニケーション研修千秋楽 |
前日は打ち上げで盛り上がり、かなりの人とおしゃべりしたが、全員分覚えていない。 結局のところお酒が入って、それなりに頑張ってしまうと記憶が飛ぶ。 頼りになるのは交換した名刺。 名刺を眺めながら、一生懸命思い出すことにしよう。
そういえば、早稲田大学演劇科出身の浦安の職員さんに自主研究発表のロールプレイングの姿を見て、「(小劇場演劇の)匂いを感じた。」と話しかけられた。 とっても嬉しかったが、そういえば今回本気でやっちゃったよな、と思って研修で組んだ江別市の職員さんに思いっきりダメだししながら進めていった自分に、何もそこまでしなくてもいいのにと、ちょっと反省してみたが、でも、結果が良かったからいいやと思うのだった。
そしてこの日○暴対策の研修をうけ、めでたく研修修了。
今度みんなで集まる時は、名古屋にしようと、いうことになった(した?)。 というわけで、この別れが今生の別にならないように、数年のうちには一度みんなで集まりたいなと思う。
2006年12月19日(火) |
住民とのコミュニケーション研修5日目 |
この研修の本番である、自主研修の発表日となった。
今回は今までの研修と違い、メンバーがとても前向きに研修に参加しているし、おかげで自分自身もとても前向きに研修に取り組むことが出来たと思う。 割と他力本願な自分をみんなが盛り上げてくれたなと、思うのだった。 自主研修の発表はうちの班の得意なケースをやることが出来て、うれしかったし、楽しんで発表することが出来た。 特に、北海道江別市の職員さんのこの日々の成長には目を見張るものがあり、この発表日に開花しなたって思った。 しかも彼は北海道に生まれ育ちながらのドラゴンズファン。 とても頭の下がる思いだ。 その後この職員さんの嫁さんと、ちょっとテレビ電話で話をさせてもらったが、いい感じの人で、きれいな人だったなあ。
と書くと嫁さんからロケットパンチを受けそうなところだが・・・
夜は研修最終日前夜祭でうち上がったのでした。
2006年12月18日(月) |
住民とのコミュニケーション研修4日目 |
週が明け、研修も後半戦に突入。 この日は「協働」と「ファシリテーション」についての座学と実習。
「協働」については3年前政策課題研究講座で研修を受けた明治大学の教授とまたもご対面になった。 というわけで3年前の話そのまんまだったので、少し意識を失いかけたが、過去の知識の再認識と言うことで何とか瞑想にならずに済んだ。
ファシリテーションといえば今月の頭に研修を受けたばかりだ。 だけど実技中心の愛知県のそれよりも今回は実技と言うよりも座学っぽい内容だった。 いわゆる「住民との協働」を柱にして、住民はこういった傾向にある、といったことを解説していくような内容。
まあ、内容については研修の場で語られたことなので、職場の中を出て行くことはない(というくらいシビアなもの)。 今後の仕事の中で生かしていくとしか言えないかな。
論文の方は何とかメドがついたが、まとめがまだだ。 今晩も明日の自主研究班の発表に向けた会合がある。 それが終わった後に眠い目こすりながらやるだな。
2006年12月17日(日) |
NODA・MAP「ロープ」 |
こちらは前回は「ローリングストーンズ」だったので、21世紀に入って初めての観劇。
言葉の暴力。 しかも無意識の言葉の暴力についての芝居だった。 一つの事柄について語らなかったことやはっきり言わなかったことを拡大解釈した一言だったり、一つの言葉を誤解したときの一言だったりが、人々を徐々に争いに向かわせる。 それが「ロープ」の中を「戦場」にみたてた世界で語られる。 それがいつしか本物のベトナム戦争の話にする変わっていく。
内容もすごいがキャストもすごい。 演出もすごい。 そして舞台のバックにはベトナムのある村で戦争のため亡くなった(であろう)人の名前でびっしりと埋められていた。
メッセージ性も強いが芝居の手法もすばらしい。 回り舞台を上手く使って、相変わらずジャングルジムで子どもが遊んでいるような芝居だ。 これだけのキャストをよくぞこれだけ動かしたよなと言うところに感心するし、藤原竜也は今回所見だが、噂どおりすばらしい役者だった。
見終わったとき、正直この芝居がどんな芝居なのかよく分からなかった。 今でもよく分からないが、とにかく圧倒的だった。 台本を買ったので内容に関してはもう一回租借することが出来る。
この芝居についてもう一回時間を作ってよく考えてみようと思う。
2006年12月16日(土) |
演劇集団キャラメルボックス「少年ラヂオ」 |
研修休みの初日、東京に向かう。 2003年名古屋公演以来3年ぶりのキャラメルボックス観劇。 しかも場所はキャラメルの本丸サンシャイン劇場。
池袋駅からどれだけ歩いてもいつまで経っても到着しない感じがするが、本当に遠かった。 劇場に到着したとき、感じたのは800席もある劇場の割りには結構こじんまりした感じがする。 東京にはこうした劇場がたくさんあっていいなあと思う。
お話はちょっとした推理ものだった。 いい感じだったのだが、なんかこう一発どかんと来るものがなかったかな。 劇場の空気がもう一つ動ききらなかった感じだ。 芝居の勘所で微妙にタイミングがずれたり噛んだりしたせいなのかな。 もちろん相変わらず芝居は上手い志しっかり演出されている。 主役の男の子は大砲を撃ちまくっている割りには、心が萎えずに最後まで突っ走っていける心身共に体力を感じる芝居だった。 将来も主役候補。
さわやかな気分になって劇場を出たかったけれど、そこまで後一歩という感じの芝居だった。
2006年12月15日(金) |
住民とのコミュニケーション研修3日目 |
前日に引き続きレポート作成のため、朝早く起きて(しまって)朝日が上がるのと同時くらいに何とか第一稿をかきあげた。 講義が始まるまでの時間眠りについた。
この日の講義はプレゼンテーション。 プレゼンテーションというとPowerPointというイメージだが、実はまるで違う。 今も昔も生身の人間であるプレゼンテーターが熱意を込めて説明をするための手法なのだ。 言ってみれば芝居みたいなもの。
こうした研修を受けさせてもらっている以上は地元に帰ったら、役場の中では最高のプレゼンテーターであり、ファシリテーターになりたいと思う。
2006年12月14日(木) |
住民とのコミュニケーション研修2日目 |
今研修期間中に論文を作成しなくてはならないノルマが課せられている。 そんなわけで、本当なら夜に自主研修として論文作成をしなくてはならないんだけれど、結局飲んで事切れてしまう。 やばい。
やばいという気持ちが寝ている自分を起こしたのか、今朝は年寄りのように4時に起きてしまい、結果そこから論文作成に取りかかることが出来た。 でも、書けば書くほどエッセイみたいでどうも論文見たくかっこいい文章が書けない自分にがっくりし、それでも何とか書いてやると言う野心が戦い・・・というような堂々巡りを繰り返しながら何とか規定の文字数までは到達できた。 しかし、どこからどう読んでも論文と言うよりは、感想文のようなエッセイになってしまっている。 これを論文に直していくことがこれからの作業だ。
研修の方はなかなかこれが、難しいというか、心理学の時には自分のふれたくない過去にふれなくてはならなくて結構落ち込んだり、グループ討議の時には全体のバランスを考えつつも、ちょっと遠慮して発言できない自分がいて、押しの強い人はうらやましいなとか、いろいろ感じたりしながら一日が過ぎていった。
また、明日にはいろんな「気づき」が待っているんだろうと期待しつつ、今晩も論文作成に取り組むのだった。
2006年12月13日(水) |
住民とのコミュニケーション研修初日 |
初日は二日酔いから始まった。 前日の交流会で飲み過ぎたらしく、胃が痛いし吐き気がする。 いったい自分がどうして別途の上で寝ていたかすら記憶がない。 様々な人たちと語ったことは覚えている。 そんなわけで、研修の滑り出しから躓き状態。 昨日テンションあげすぎて失敗したなぁ・・・ といいつつ、レポートも書かなきゃいけないのに今日もグループの仲間と飲むのだった。
2006年12月12日(火) |
住民とのコミュニケーション研修移動日 |
これから20日まで研修のために幕張にむかった。
場所は市町村アカデミー。 ここに来るのは8年ぶりくらいかな? いろんな懐かしい景色を通り過ぎながらここにやってきた。
研修移動日から交流会。 いろんな人やいろんな場所から来た人がいる。 元ナゴヤドーム職員。 地元劇団の主役女優。 姉妹殺人事件で一気に有名になってしまった町の職員。 現在住基ネットの裁判で争っている町の担当者。 北海道人なのに生粋のドラゴンズファン。
いやいや楽しくなりそうだ。
2006年12月11日(月) |
CD「佐野元春/The Essential Cafe Bohemia」 |
20年目の「The Essential Cafe Bohemia」 ナマ佐野元春のはじめはSFM1ツアーだったんだけど、はじめて買った佐野元春のレコー ドはこのアルバムにおさめられているクリスマスタイムインブルーの12インチシングルだった。 たまたまFMの元春レディオショーを聞いていて、その時に初OAされたこの曲を聴いて、翌日気がついたらレコード屋さんでこのシングルを手にしていた自分を思い出した。 ある意味オイラ的な佐野元春の入り口になったこの曲、久しぶりに12インチのオリジナルを聞けて懐かしく嬉しい感じがしました。 20年も昔の作品なので、出来がどうこうということはないけれど、あの時の記憶を追体験するにはもってこいのCDだ。 オイラ的には珠玉の一枚になりそうな予感。
今日休みを取らないと、19連続勤務になる可能性があったので無理矢理休みをねじこんだ。 また明日から休日出勤と出張と研修の嵐。 てなわけで、マンガ喫茶やFFやったりしてダラダラ過ごすのだった。
今日はなんだか職場の雰囲気が良くなかった。 週一回やってくるお局様の機嫌が良くなかったせいなんだろう、きっと。 なんだか周りが気を使っている。 ほんとは気遣いする立場は逆のはずなんだけれど、どういうわけか館長までもがやや遠慮がち。 お局様は「私は不機嫌なのよ」オーラを振りまきまくっている。 まあ、いつものことだから仕方がない、と割り切れるほど周りは付き合いが深くない。 そんなわけで、お局様が帰るまでの間、職場に入らない緊張がずっと走り続けたのだった。
はぁ〜
何となくだけれど思うことがある。
努力すれば報われるって言うけれど、努力しても無駄だって分かることもある。 だけど、努力したことは無駄にはならない。 だって、努力をしなきゃ、努力して無駄だったてことは分からないからだ。
2006年12月07日(木) |
走ろう会アンケート集計 |
走ろう会でアンケートをとった。 1400近くの参加者に対して500近いアンケートが集まった。 これは結構な回収率だと思う。 その一枚一枚をじっくり見ながら集計していくわけだが、だんだん町民の皆様に説教をされているような、そんな気分になってきた。 ああしなさいこうしなさいと言う意見が多い。 しかも、あそこの市町はこうだから、扶桑町もこうしなさいと言う意見ばかり。 やっぱり隣の芝は青く見えるのかな。 「あそこの市町」は目に見えるようにはうまく言ってないし、扶桑町よりも施設は充実していないんだけど、でもよく見えるから仕方がない。 扶桑町もよく見えるようにやっていかないと、というか、よく見えるようにするだけで、きっと変わっていくんだろうなと思う。
あと、若人に「ものが欲しい」「お金が欲しい」が目立ったのが気になったかな。
きみたち、たかだか5キロ走る程度ではたいしたお金にはならないんだよ。
と書いたものの本日は休憩日にしよう。
2006年12月05日(火) |
Front Mission 5開始 |
というわけで、ミッションを遂行することになった。 初めてかな、戦争もののゲームは。 なんだかボードゲームの3D版みたいな感じで、ちょっと考えながら進んでいかないと攻略が難しそうだ。 すべてのミッションを終える頃には、この世界は平和になってるんだろうな、きっと。
休日にも関わらず朝から珍しく買い物や散髪に行き、更には病院に行って鼻のメンテナンスをしてもらった。 意外とアクティブな休日。 アクティブついでに、入院前からやっていたFF9を遂にクリアした。 永遠の闇と言う恐ろしげなモンスターがラスボスだったが、偶然のトランスで勝利。 4人のうち3人が戦闘不能で、一人がHP1という薄氷の勝利だった。 でも勝ちは勝ち。 次はフロントミッションに挑戦してみようかな。
2006年12月03日(日) |
第24回扶桑町走ろう会 |
そしてイベント週間の最終日扶桑町走ろう会。 1300名を超える参加者があった。 昨日の駅伝チームからも何人かが参加してくれてとても嬉しかった。 このイベントのあと、駅伝スタッフの打ち上げをやってガ、そこではじめて体育協会の会長からお褒めの言葉を頂いた。 7年かかってやっと。 いろんな人を立てようと思って自滅してきた経験を生かして(?)、多少敵を作ったとしても結果が良ければそっちを取ろうと思った結果、結構いい成果がでたので、うまく仕事が回ってきたのではないかと思ったりするのだった。 特に今回の駅伝はいい結果が何よりも力になるのだから。
2006年12月02日(土) |
第1回愛知県市町村対抗駅伝競走大会 |
話を聞いてからほぼ半年。 遂にこの日を迎えることになった。 表向きにはこの駅伝で愛地球博の理念の一部を継承していこうと言う大きなお題目と宿命を背負た駅伝だが、参加する側はそんなことは関係ない。 第1回なので、まずはチームを編成してスタートラインに立つまでが仕事だ。 結果は二の次。 しかし選手はそうは思っていない。 当然のごとく結果を出しにきた。 そういう歯車が今回はうまく回ったのかな。
こういう市町村対抗駅伝は 1、人口の多い順 2、大企業の多い順 3、スタッフのやる気の多い順 の要素で勝敗が決まるといっても過言ではない。
我が扶桑町は、1、2番で遅れをとっているので、3番で勝負するしかない。 うわさ話でも何でもいいけれど「ここの子が早い」と知ればとにかくアポイントを取るようにした。 限られた時間で、結果の出そうな選手を集め、このスタートラインに立てるようにやってきた。
スタートのピストルは神田知事が鳴らしたが(実はナマ知事は今回が初めて!)選手がスタートした瞬間はホッとした。
そして結果は、、、なんと、町村の部で5位入賞! しっかり表彰状を貰い、更には3区で区間賞も入賞した。 10位以内にはなんとか入れるかなと思っていたけれど、ここまで上位に食い込めるとは思っていなかったので、ものすごく嬉しいし、今までの苦労が報われた気がした。 同時に・・・・来年から大変だな。 5位が扶桑町の伝説の記録にならないようにチーム編成をしっかりやらないとな。
今晩はゆっくり眠れるぜ!
2006年12月01日(金) |
ファシリテーション研修千秋楽 |
そして、二日目、研修千秋楽。 千秋楽には打ち上げがつきものだ。 実はこの日翌日に控える愛知駅伝の監督会議が近くのビルであり、そこに呼ばれる可能性が高かったが、そんなことよりも打ち上げが重要なので、駅まで嫁さんに送ってもらい、万全の態勢で研修に臨んだ。
さて研修2日目。 この日の講師は朝から噛みまくり。 これは、準備不足なのか前日飲み過ぎて気合いが入っていないのか分からないが、ちょっと不安な立ち上がり。 オイラはファシリテーション実習で演劇的スキルを求められる場面にとても迷った。 何を迷ったかと言えば、(演劇人としての)本域でやってしまっていいのだろうか、ということだ。 それぞれ与えられたキャラをファシリテーターが制御していくわけだけれど、本域で入っていくと当然周りはつられて上がっていくわけで、同時に研修に参加している人達は、慣れてない分本来の研修の意図とは違う興味で時間を過ごしてしまうことになる。 どうしようかなと迷いながら、とりあえずそこそこのテンションでやってみようと思い、そこそこの小芝居で参加してみた。 しかし、それを何回か続けていくうちに気がついた。 「これはオレの研修だ。」 オイラ自身が本域でやったキャラでファシリテーターとの関係性で初めて見えてくることがある。 といわけで、後半は年上に人に申し訳ないけれど、本域でやって失礼な発言バンバンにやっていった。(カチンときた方々、すんません!) それでおかげで自分自身見えてきたことがたくさんあった。 人の振り見て我が振り直せとはまさにこのことかっていうくらいいろんなことが見えてきた。
そして研修は順調に終わった。 その後、講師の最後に言葉に心動かされた。 その言葉はきっと講師が他でも話す内容だろうからここでは触れないけれど、なかなかいい言葉だった。
千秋楽のセレモニーも終わり、さあ打ち上げだ!と思った瞬間、次々と席を立つ人、人、人・・・あれ?みんな行くって言ったじゃん! てなわけで、仲間内数人で世界の山ちゃんでちょびっと打ち上げるに終わったのだった。
さあ、明日は扶桑町の大勝負。 愛知駅伝だ!
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