職場の旅行で大阪へいった。 勤務時間の関係でお昼スタートだったので、この日は行ってご飯を食べるだけと言うことになった。
久しぶりに来た道頓堀の町。 大阪の街のごった煮感と言うかなんでもありの世界は、いつ来ても変わらない。 ご飯までしばらく時間があったので、いろんなところを散歩して回った。 まだまだ平日の夕方と言うのに、ほんと人が多い。 観光の人ばかりでなく、普通に遊びにきている人や外国人なんかも多い。 それから一番目についたのは、どんなお店でも必ず客引きをする人がいる。 直接声をかけたり、マイクでしゃべったりと方法はいろいろだが、こうしないと生き残っていけないんだろうな。 10歩ぐらい歩くと同じ種類の店がすぐあるような感じだからな。
夕食の時間になり、づぼらやふぐをいただく。 実はこうやってフグを食べるのは生まれて初めての経験。 どんなもんかなと、思ったけどほんとおいしかった。 白子だけは一個食べたらもういいやって言う感じだったけど、おいしかった。 しかしフグはフグの癖してどうしてあんな骨が複雑なんだろうな。
夕食後、職場のメンバーはカラオケに消えたがオイラは佐野元春メーリングリストつながりの大阪の友達と会うことにした。 ちなみに彼は昔よく名古屋にやってきていた。 当時名古屋ではメーリングリストのオフ会が盛んだった。 なぜか大阪の彼がちょくちょくやってきていたのだ。 謎はすぐに分かった。 結果だけ言うと、今の奥さんは名古屋のメンバーだった人である。 彼の結婚と同時に名古屋での飲み会の頻度が急に落ちていった。 そんな彼と久々の再会。 元春の話はほとんどせずに(笑)、野球の話ばっかりしてたな。
そして、久々の再会も終わり、さらに道頓堀の街を観察しながら散策した。 時間は12時。 この街は疲れを知らない。 どこぞの政令指定都市とは大違いだ。 とてもにぎやかで甘美な世界がそこにはある。 同じ大都会の東京と違うのは、大阪は一人でいることを許してくれない街だ。 必ず誰かが声をかけてくるし、歩いていてもパーソナルエリアおかまいなしに次々と肩がぶつかっていく。 立ち止まることも許してくれないような街だ。
いろんな意味で刺激になる一日だった。
1月最後の通し稽古。
全体のサイズは長かったけど、これから物語作りをしていく上での土台はしっかりできたと感じた。 うん、いい通し稽古だった。
2005年01月29日(土) |
LIVE「佐野元春/THE SUN TOUR 2004-2005」 |
このツアー二回目の名古屋。 そして、二回目の参加。
うーん、今日は調子が悪かったのかな? 前半からもう一つ本人ののりが悪かったな。 でも、その分バンドがものすごい勢いでがんばった。 聞かせてくれた。 今の日本でこのレベルの演奏はなかなか聴けなってくらいのすばらしい演奏だった。
やっぱり生の本番は不測の事態が生じても、みんなのチームワークで乗り切っていけるって、実感ができた。 そんな感じのライブだった。
「所掌事務の改善と見直しにつて提案しなさい」
これが今の仕事上の課題だ。 漠然としていて取りつく島がないが、それでもこれから町が変わっていくために考えなくてはならない課題だ。
さてこの課題をどう検討していこうかな。 いろんなことを考えるんだけど、最終的には会議の場面でいろんな人たちと話をしながら形にしていくわけだから、自分なりの切り口で挑戦してみようかな。
うーん・・・・
大事なことは何か、もう一度考えてほしいなぁ〜
2005年01月26日(水) |
行財政改革プロジェクト会議&稽古 |
この日も行財政改革プロジェクト会議。 参加者が増えて全体で22名と言う大きなプロジェクトになった。 参加者はいろんな思いを抱えていろんな立場で参加している。 それが垣間見えてまた面白い。 会議の内容についていくことがある意味大変だけど、ここで乗り遅れてしまっては行政マンとしての自分を考えた上で、この先とても大変なことになってしまう。 なんとか、この会議のイニシアチブをとれるところまでがんばっていきたいと思う。
稽古の方は役者もたくさん集まり、徐々に中身の濃い稽古になってきたと思う。 こっちのペースもこれからグングンあげていこうと思っている。
みんな、乗り遅れないでね。
この数日布団でくたばりながらCSで流れていたMTVをうつらうつらにずっと観ていた。 しばらくみない間にヒットチャートはすっかり様変わりしていた。 アーティスト名が云々と言う話ではなく、音楽やメッセージの質が、だ。
オイラたちが音楽に傾倒し始めた頃、「取り巻く社会は行くない方向に向かっているけど、俺は俺でがんばっていこう、だからお前もお前の道を進め」という、個人個人が独り立ちをしようと言うメッセージが主流だったように思う。 それが今は、「こんな混沌とした世の中だけど、お互いを認め合っていい方向に進んでいこうぜ」というメッセージに変わってきたと思う。 それは怒りの対象がはっきりしていた以前の状況と、どこに怒りを向けていいのか分からない今との違いなのかな、と思ったりする。
音楽の質については、明らかに変わってきたのはヒップホップが台頭してきたことかな。 (商業的な成功を収めたと言う意味において)ヒップホップは20年前に佐野元春がニューヨークから持ち帰った表現方法だ。 当時は「なんじゃこりゃ?メロディーセンスのかけらもない音楽は・・・」と言う感じだったのが、今となっては「かっこいい」のだ。 もちろん日本語の音楽になっていくための進化をこの20年で遂げたからこうなったと言うことも言えるのだが、アーティスト固有の表現方法だったヒップホップが、今はロックやジャズみたいに誰もが使うフォーマット化されてきたのかなと感じるのだ。 ヒップホップへの傾倒は、乱暴に言うと今までの音楽のフォーマットでは情報量に限界があるからなのかなと、思ってみたりするのだ。
でも、久しぶりにMTVをみてまた音楽が楽しくなってきたなと、そう感じるのだった。
というわけで、やっと社会復帰。 リハビリもかねてナゴヤドームへ。 昨年10月、あれだけににぎわいを見せていたナゴヤドームもオフシーズンになるとすっかり人がいない状態。 「祭りの後」と言った感じだ。 同時にここで、また今年もすばらしいプレーの数々を見せてくれるんだなと思うと、いるだけでワクワクする、そんな場所だ。
そして、稽古に復帰。 この日の稽古は、役者こそ少なかったけど、思った場所が稽古できて成果もそれなりに上がってよかった。 平日はこんな状態が続くと思うけど、できる限り有意義に過ごしていきたい。
てなわけで、今日も一日家で撃沈・・・
発熱で撃沈!! 大事な仕事も吹っ飛ばす・・・・いや、吹っ飛ばせるだけまだましな環境ってことか。
福留今だハンコ押さず・・・
そろそろ周りから八つ裂きにされるぞい。 ここはちょっと我慢して、今年一生懸命活躍してどんとあげてもらえばいいものを・・・と思っているのは俺だけだろうか。
2005年01月20日(木) |
行財政改革プロジェクト会議&稽古 |
昨年町長が代わり、行財政改革を前面に打ち出した政策の一環として、担当者レベルで組織する「行財政改革旗手(プロジェクト)会議」に立候補し、今日がその第一回目の会議となった。 まずは町長の方針説明からスタートした。 町長が町長である姿を初めて目の前にした感じだ。 陸上自衛隊の幹部だった町長は男気のあるジェントルマンな感じだ。 話の内容はこの先非常に厳しい状況に追い込まれようとしているこの町をどう救っていこうかと言う創意工夫にあふれていた。 さて、オイラ自身はどうして行こうかな・・・・少し思いついたところがある。
稽古の方は体調不良や雪の影響で3人しか稽古場にいなかった。 でも、ダンスがいまいちだった役者が少しカッチョよくなったり、段取りもきっちりふまえたりと、なかなか実のある稽古になったと思う。
体調思わしくなく、一日家でゴロゴロする。
一日家でゴロゴロとした。
決して一日中ドラクエをやっていたわけではない。 「冒険と脱出の記録」のプレイ時間が以上に長いが、決して一日中プレステの前にいたわけでもない。
とにかく今日は心身共に休憩だ。
嫁さんの実家の父が検査入院で、一日子守り。 昼間は拓矢と思いっきり昼寝をしてしまった。
稽古は前日の通し稽古で形になっていないシーンをつくっていった。 偶然にも、役者の集まりもそのシーンのために集まったような形になった。 なかなか、少し間が抜けてていいシーンになりそうな感じだ。
役者の集まり具合と時間の絡みで一部飛ばした形で通し稽古を行った。 現段階では、お話を整形していくことより、役者の発想を優先して芝居作りをしている。 もう少しこの状態で役者ここのレベルが上がっていけば、と思っている。
しばらくは気持ち作りよりも先に魅せることを考えていきたいと思う。
昨日の小学校の刃物男の件だが、別の小学校の教頭先生と話す機会があった。 正確には、「近くの中学校で女生徒が襲われた」ということだ。 小学校での伝え方がどうだったのか分からないが、弥生の小学校区では子供も親も小学校に刃物男が現れたことになっている。 刃物男の問題はもちろん大変なことだが、同時に学校の情報伝達の仕方も問題があると思う。 ちょうど、その日の夜に「金八先生」で風評について危惧する職員会議の模様が放送されていた。 また、前日見たDVDには「9.11」のWTC内の崩落寸前の記録映像の中に人々がうわさで流されていく様が映し出されていた。 情報伝達の方法を考えるきっかけがいくつか合ったわけでが、考えるに小学校での先生の児童に対する情報の伝達方法が、悪い意味で中途半端だったのではないかと思う。 弥生は「変な人が校門の近くに出たって先生が言っていた」といい、弥生の友だちは「私は見た」といい、親たちもその言葉に振り回されていく。 一昔前なら笑ってすましてもいい世の中だったが、今はそういう状況ではなくなっている。 情報は出すなら全部出さないといけないと思う。 出さないなら全く出さない。 ちなみに正確な情報を聞いた学校では、子ども達には一切何も伝えず、先生が下校時に何気なく子ども達と一緒に歩いていったようだ。 情報を伝えないのであれば、それが現段階での正解だと思う。 一度流れた風評を消し去るのは簡単なことではないが、正確な情報で不安がなくなっていくのであれば、そんな努力をしていきたい。
と、稽古の話をするつもりだったけど、前段が長くなってしまった。 稽古は後半のクライマックスシーンを詰めていった。 段々見ることの出来るシーンになってきた。 そして、魅せることの出来る役者と、そこまで技量のない役者との差がこの時期に来て見えてきた。 そこをどうまとめていくか。 どうそこあげしていくか。 これからは役者自身の成長だけでなく、演出からも成長を促す物言いをしていく時期にきたのかな。 演出的には大変な時期になってきた。
体調回復まで後一歩。
今日弥生の小学校は先生付き添いで一斉下校となった。 校門付近にナイフを持って自転車に乗った20歳前後の男の人がいたようで。 その後、町内で捕まりそうになった子供もいたようで。
うむむむ・・・田舎だと思ってたこの付近もだんだん治安が悪くなってきた。
子供たちが安心して暮らせる未来をオイラたちは作っていくことができるんだろうか・・
数えきれない痛みのキス、星屑みたいに降ってくる・・・・ではないが、そんな感じだ。
ついに35歳。 中年と呼ばれるカテゴリに突入。 中年太り、中年男、中年おやじ、中年の挑戦等々、今ひとつポジティブになれないイメージの言葉が引っ付いてくる。 しかし、しかしだ。 できるだけポジティブなイメージでこの世代を乗り切って、ポジティブなまま実年や壮年に突入していきたい。 新しい世代観を作り出してみたい。
それが「New Age」!!
いつまでも変わらない、そして変わり続ける。
体育指導委員会もそこそこに、この日の稽古もいけずじまい。
ノロウイルスとかいうウイルスが蔓延しているらしい。 オイラもそれにかかったかどうかは分からないが、とりあえず胃腸風邪。 のどがちょっとヒリヒリ。 上から下から・・・・(以下略)
ついにドラクエ8、完全にクリア! と思ったら、なんとその先があった。
ちなみに今日は家中休憩モード。
そんなわけで、休憩。
この日の稽古は舞台・照明の打ち合わせをかねた稽古となった。 正確には稽古じゃなくて、今できてる状態を明かり屋さんに観てもらって、同時に演出としてこのシーンはこんな風に作っていきたいと伝え、それで、プランを考えてもらうための打ち合わせのための演技となった。 いいかえるならば、初めて第三者の目に触れたと言えるだろう。 稽古後も舞台の打ち合わせをしたが、最悪演出プランの変更をしなければならない難しところ。 なんとか結果が「吉」と出てほしいと思う。
午前中、子供たち3人を引き連れて名古屋空港に飛行機を観に行った。 2月には中部国際空港が開港する。 何となく飛行機も見納めかなぁ〜なんて思ったりする。
稽古は地震から始まった。 震度は4。 そのとき稽古場にいたのは、4人だがみんな公務員だ。 揺れ始めた瞬間自分たちの身の安全よりも先に、「このまま大きな地震になったら仕事だよな」なんて思ったりもした。 地震が収まってから家に電話したりしたが、みんな何事もなく何よりだった。
稽古は一部台詞を大きく修正して、その場面を作り上げていった。 なかなかカッチョイイシーンとなった。
毎年恒例の体育指導委員新年会だ。
町長や県会議員もそこには顔を見せるという扶桑町のなかではかなり豪勢な(?)飲み会だ。 今回はいつになくいろんな人と話ができてよかった。
しかしいつものことながら毎回へべれけ・・・
いまだ正月休みの様な感覚が残っている。 学校が始まってなくて子ども達が家にいるからかな。 そんなわけで、職場頭にするためにリハビリ中。 土後休みのサラリーマンは明日で休みだけど、オイラの仕事は明日あさってが本番みたいなもの。 この土日でリハビリだ!
あ、別に仕事してないわけじゃないよ。 いまだかつて内くらい一生懸命事務仕事をこなしているのだった。
2005年01月06日(木) |
拓矢生誕一周年記念日 |
とにかくめでたい!
その一言につきる。
この日2005年の初稽古。 だけど気分は正月じゃない。 年が明けてある意味割りと火の車状態。
この日の稽古では劇中に登場するカップルの人間関係の整理をするためにキャラクタに変化を付けてもらった。 先ずは女優の方から行い、その後男優(うーん、こうやって書くとエッチっぽい・・・)とからんでもらって(うわ、更にやばい世界に・・・)、修正(・・・モ、モザイク・・・)をしていった。 本役同士が意図を持ってしっかりからむと思わぬ方向に芝居が変わっていくことがある。 それがいいときもあれば悪いときもある。 この日は、目の前の結果は良くなかったけど、いい方向に動いていく兆候が随分見えてきた。
よかったよかった。
早くみんなそろって稽古がしたいよ〜
拓矢と秀次が風邪っぴき。
ついでに言うと、元々予定してたことも相手が風邪をひいてお流れに。 そんなわけで一日家でうだうだとした。
嫁さんの作ってくれた牛丼がものすごくうまかった。
2005年01月03日(月) |
映画「カンフーハッスル」 |
この監督の前作「少林サッカー」をDVDで観て大絶賛。 そんなわけで、第2弾の「カンフーハッスル」期待を込めて観に行く。
・・・うーん オイラが期待しすぎたせいだろうか、どうももう一つガツンとこないなあ。 面白いは面白いんだけど・・・ ここって言うところでスローモーションやストップモーションになるのが多すぎるのかな。
前作を知らずに観に行っていたら大絶賛になってるであろう一本だった。
親戚回りその他のため、胃腸と肝臓がお疲れ気味。 てなわけで、休憩。
昨年は戦いに心乱される新年を迎えたが、今年は天災に心乱される新年を迎えることになった。 大雨や台風、地震で日本中が傷だらけなのに、それにも増してインド洋沿岸では津波でとにかく大変なことになっている。 さすがに自然界に起こる出来事には人間の力では太刀打ちできない。 なんだか、えも言われぬ無力感を抱えながらこの先過ごしていかなければならないのだろうか。 周りを見渡しても年齢性別問わず快楽や欲望のために命が落とされている。 常識だと思われていたことがだんだん非常識になりつつある。 正直者がだんだん馬鹿を見る世の中になりつつある。 だけどどこかに希望はあるはずだ。 その希望を見つけていかなければうちに生まれた3人の子供たちに語るべき未来がない。 少なくとも子供たちより先に生まれたものとして何かできることはないか、そんなことを考えながらこれから過ごしていこうと思う。
|