家族四人で五条川のサクラを見に行った。 綺麗に咲きそろいつつある。 ぽかぽか陽気で家族四人で幸せな時を過ごした。
その後昼寝した。
そしたら風邪引いた・・・・とほほ。
今日の稽古で退団する人がいた。
さみしい限りだ。
2003年03月30日(日) |
磯村由紀子「EXPO MUSIC PARK 2003」 |
ピルグリムの終着点はやはりオアシスだった。
愛知万博のプレイベントで名古屋栄のオアシス21で音楽系のイベントがあった。 そこに磯村由紀子さんと言うキーボディストが出演するので万難を排して見に行った。 実はピルグリムの肝になる場面で磯村さんの楽曲を使用していたのだ。
会場に到着すると、座席は他のアーティスト目当てと思しき女子高生軍団で埋まっていた。 幸い端の方に開いている席を見つけてそこに座る。
オイラが席に着いた時にはSOUND SCHEDULEという3人の若者バンドが演奏中だった。 勢いのあるいいバンドだった。 楽曲は残念ながら巷で流行っているアーティストのいいとこ取りをした感じと、どの曲もサビになるとワンパターンのメロディーとリズムで、この先売れるにはもうちょっと精進しろよと言う感じだった。
そして磯村さんの演奏が始まった。 キーボードとベースのユニットだった。 磯村さんは春を意識したのか卒業式に着る袴をイメージした衣装だった。
こういったイベントにありがちなことだけど、演奏が始まって暫くしてからから最終的にお客さんにむけた音のバランスが決まって行く。 はじめのうち残念ながらベースの音が強すぎてキーボードの音が弱かった。 ドもそれも演奏が進むにつれ徐々に改善して行った。
磯村さんは自分達目当てじゃないお客さん達を相手にしながら、気持ちよく演奏をして行った。 周囲の雑音に全く動じない華麗な演奏だった。 するとだんだん周りの女子高生達も演奏に耳を傾けるようになって行った。 楽曲の良さもさることながら、演奏もよかった。 最後に今回ピルグリムで使用した「風の住む町」を演奏してくれた。 もともと演奏のプログラムに入っていたのかも知れないけど、勝手にオイラのために演奏してくれたのだと思って聞いていた。 この曲には本当に心引かれるものがある。 聞いていると熱いものが込み上げて来る自分がいた。 そんな自分にびっくりした。
「風の住む街」はオイラにとって特別な曲になった。
演奏終了後、磯村さんと少しお話し出来る機会があった。 今回の公演のお礼と、今日の演奏の感想を述べさせてもらった。 公演についてビデオでの鑑賞だったけど、磯村さんからこの上ないお誉めの言葉をいただいた。
オイラにとって幸せな時間が流れた。 このオアシス21での演奏でようやく自分の中でピルグリムが終わったような気がした。 同時にこの演奏でインスピレーションをもらった。 キーワードとしては「開放、そして表現へ」ということだ。 これからの芝居づくりにむけてのテーマだ。 またこれで一歩進んでいける。
ちなみにこの日のライブの模様は31日の深夜25:33-26:58に中京テレビで放映されます。
くやしーーーー!!
2003年03月28日(金) |
おっしゃーーーーー!!!! |
やったー!!
ドラゴンズ開幕戦勝利!!
インターネット上には様々な表現がある。 そして、表現をはるかに越えた数の表出がある。
表現は人に作用しようと言う意志が見える。 そして、批判されても何とかしようと言う勇気をもらえる。
表出は誰かに届くことを前提としない分、刃のように時に人を傷つける。 ただただ相手のことを斬り付ける。 包み隠さない気持ちの分だけ痛さは力を増す。
インターネット上にはその使い分けが上手く行かない人たちがいる。 ひょっとしたらオイラがそうかも知れない。 そしてそうならないように自問自答を続ける。
ずっと問い続ける。
それは、自分の関わった芝居が表現であり得ているかと同じように問い続ける。
2003年03月26日(水) |
変わらない、そして変わり続ける |
集団というのは大きな意味で生き物のようだ。 その時々で見せる顔を変えていく。 見せられる顔は同じ集団でも人によって様々だ。
例えば職場での人事異動について思う。 人の入れ替わりでその部署の人間関係が大きく変わる。 そうすると、場合によっては自分自身が変わっていかないとその部署で生きていられなくなってしまう。 それは入っていった人と元々いる人で見え方は大きく違う。 だけど、仕事をしていく上での目的は変わらない。 仕事に向き合う姿勢も変わらない。 だからこそ変わらないで変わり続けることが必要だ。
それはまた劇団もしかりだ。 10数人の小集団は些細なことで変わっていく。 変わっていくことに対応するためには、自分が変わらないことと、そして変わり続けていくことだと思う。
変化そのものを否定すると、その集団は死んでしまう。 そして同時に、構成員である自分も死ぬ。 自分の立場、権限、影響力、様々なものが周りに規定されていく。 そして同時に自分も決めていく。 それは常に変化し続ける。
変わっていけるから変わらないでいける。 変わらないでいるから、変わっていかなければいけない。
変わらない、そして変わり続ける。
春はいろんな異動の季節。
てなわけで、オイラの職場の内示があった。 来年もまた体育館で仕事をすることになったが、職階が一個上がって主査と言う職階になった。
でも、部下なし。 相変わらず職場では一番下のままだ。 30半ばに差し掛かり、あまり健全とは言えないこの人事配置。
・・・このまま雇われ根性だけが養われてしまうのだろうか。 いや、それは避けたいと思うオイラがいる。
そして戦争は続く・・・
来月中旬、友人の結婚のお祝いで歌を歌うこととなり、そんなわけで何年か振りに本格的にギターをさわった。 本格的にとあるが、ものの1時間で練習は挫折。 一度でもブランクを経験したことのある人ならきっと分かると思うのだけど、これがまたたまらなく左手指先が痛い。 昔作ったギタータコがすっかりなくなって弦を押さえる指先がたまらん痛いのだ。 ウーム、あと一ヶ月足らず。 せめて、ギターが弾ける身体にならなければ・・・
そういえばここんとこ、さだまさしの「前夜ー桃花鳥ー」という曲が胸にしみる。
集団づくりは難しい。 当たり前だけど難しい。 本当に難しい。
長い間同じ時間を共有していると、まるで自分と同じ感覚で集団をとらえているんだと安心してしまうことがある。 だけど、安心して何もアプローチしないと、「分かっていないこと」が分かっていないことに気付かずにそのまま通り過ぎてしまって、後で痛い目を見る。 いつも顔をつきあわせてきた人でもそういうことが起こるんだから、そうでない相手とはもっと意識してアプローチをしていかなければならない。
集団づくりは難しい・・・
イラクで人間の盾になっているとあるダンサーに向けたメッセージを掲載したホームページを見た。 彼女はイラクの施設の前で自分のダンスを踊ることで、ミサイル攻撃を辞めさせるためイラクに旅立ったとあった。 そして、人間の盾についてみんなが一斉に目を背ければ、注目しないようになれば人間の盾が人間の盾としての意味を失うので、彼女は戻って来るという論旨で呼びかけが行われていた。
反対に、TBSと契約している人間の盾ツアーに参加しているフリーのキャスターのホームページにはアメリカの同盟国である日本人がもっと沢山イラクに入国すれば、外交的な圧力と共にやがて戦争は沈静化するとあった。
言いたいことはよく分かる。 だけど、戦争なんだ。 人が人を殺すことを目的として行われている戦争なんだ。 そんな理性的な対応を戦争開催国はするはずがない。 あそこまでいろんな国にとやかく言われながらも強引に開戦した国の元首が聞くはずがない。
楽しげに踊るダンサーの写真は、とても切ない写真に見えてきた。 人間の盾としてイラクに入国した人達の純粋な気持ちは決して否定できるものではない。 たけど、戦争が終わるのを待ってる家族や友人はきっと想像を超えた耐え難い恐怖や不安と戦っているんだろう。
今は、ただただ彼らの無事を願うしかない。
やっと弥生と同じ休みがとれて久々に家族四人でお出かけだ。 行き先は「レトロ電車館」。 名古屋市交通局の博物館だ。 館内にはところ狭しと路面電車と地下鉄の本物が置かれている。 子ども達にとっては魅力的な空間だ。 傍らには名古屋市交通局の「電車でGO」もどきのゲームがあった。 やると泣けてくるのは、音声やノイズ等の収録される音が普段地下鉄にのってる時のその音なのだ。 CD-ROMの状態で1500円。 やすい! と思ったらウインドウズ版しかなかった。 残念だ。 おいおい、子どもじゃなくてまるでオイラが堪能してるかのような感じになってしまった。 でも、なかなか楽しいところだった。
遂に始まってしまった。
今はただ悲しくて悲しくて仕方がない。
今朝早くから頭上では航空自衛隊が予定外の飛行をしている。 こんな時くらいしか活躍の場がない軍事評論家が興奮して話せば話す程、その姿が滑稽に見える。
こんなせつない日々は早く終わってもらいたい。
2003年03月19日(水) |
開戦前夜・・・・か? |
できることならば、このまま時間が止まって欲しいと、そう願うしかない。
死ぬことに価値なんかないんだから・・・・
朝起きて一発目にはいってきたニュースがこれだった。 こんな発言を支持する国に生きていることが何となく嫌になった。 湾岸戦争の時もそれを感じた。
だけど、できることが何かを考えることよりも、自分の身に火の粉がふりかかって来ないように願っている気持ちの方が大きい。 きっと、バグダッドでは怯えている人たちがたくさんいるんだろう。
そして、日本人6人が「人間の盾」としてバクダッド入りしている。 彼等は今どんな気持ちなんだろうか。 本当に彼等はミサイルの前に立ちはだかることができるんだろうか。 本当は逃げ出したいのじゃないだろうか。
いろいろ考える。 そして堂々回りになる。 混乱する。 人が人を殺すことの意味を考える。 いや、それが無意味であって欲しいと願う。
人が人を殺すってことが一番おろかだと思う。
打ち上げで打上がった翌日はいろいろと残ったものを整理する日だ。 地元の業者さんにお借りしたものや、照明さんにお借りしたもの、劇団の倉庫にさせてもらっているお家に返しに行くもの。 いろんなところを回って結局夜までかかってしまった。
夜は嫁さんと打ち上げするためにお酒を買い込んで帰ったのだが、子どもを風呂に入れて寝かし付けるつもりが一緒に寝てしまった。
昨日のアンケートやいろいろな人の話を聞いた結果、台詞の一部を修正することにした。 また細かい段取りや裏方関係の修正点もできる限りお願いした。
毎回この日に来て思うことは本番の回数をもとこなせればと思う。 本番は芝居を思いっきり成長させてくれる。 お客さんとの対話が芝居を成立させてくれるのだ。 その回数が増えれば増える程、皿洗いの作業が増えるのだ。
この日の芝居はほんの些細な出来事から少し芝居の流れが変わってきた。 そして、舞台上で永遠の時間が流れる出来事もあり完成度は上がったが物語性は薄らいだ芝居になった。
本番は水物だと言うことを改めて思い知らされた今回の芝居だった。 同時に本番は次回への課題も教えてくれるのだった。
出た結果に対しては満足している。 打ち上げはしっかり打ち上がった。
まずは本番初日が終わった。 芝居はやはりお客さんの前に出て成立するものだ。 今までやってきたことをきっちりとやれて、まずは合格点。 この結果には相当満足している。 お客さんのアンケートを見ても、こちらが伝えたいことにしっかり反応してくれてとても嬉しい。 でも、結構ミスもある。 明日はそこを修正して、もっと完成度を上げて行きたい。
遂に第15回公演「ピルグリム」仕込み開始!
お客さんが来るのが今から楽しみだ。
今朝出勤途中わが町の町長が自転車で出勤する姿をみた。 庶民派町長を演出しているんだと思うのだが・・ウームである。 政治家は微妙な問題を孕んでいる時はそれなりに自分の身を守る方法を考えなければいけないのだけどなあ。
残念ながら、昔程この町も穏やかじゃなくなってきている。 確かに過去の町長も身の危険を感じずにやってきてはいるが、合併問題のような町の根幹を揺るがすような微妙な時期はちょっと考えて欲しいところである。
平日久々に全員揃っての稽古となった。
今までの通し稽古の問題点を修正して行った。 みんな揃うと今まで時間のかかっていた修正点もあっという間になおってしまう。 人のいる稽古がどれほど重要か思い知らされた一日。
明日からの公私に渡る怒濤の一週間に備え休憩。
地元に根ざす中日新聞の取材を受けた。 記者さんが見えた時には役者がいなかったので、稽古風景のおいしい絵が取れなくて申し訳ないと思いつつも、質問事項に答えていった。 とはいってもかしこまった話ではなく、雑談のように話が進んで行った。 オイラが公務員と言うこともあり、市町村合併の話題まで話は及んだ。 市町村合併と劇団の関係性だ。 言ってみればこういった小さい町だからこそ、地域に劇団が育ってきたと言う話だ。 オイラもそれはまさにそう思う。
ある程度役者が揃って、稽古のできる部分から始めて行った。 本役がいて絵になりそうなところをやっていったが、やはり第三者に本番前に見てもらうのはドキドキするものだ。 しかも下らないギャグのシーンを見てもらうと、更にドキドキする。 ・・・うけなかったらどうしよう・・・ でも、記者さんは幸い笑顔だった。 よかったよかった。
2003年03月09日(日) |
劇団夢一座「ハッピー・婆バースデイ」&通し稽古 |
公演一週間前だが、いろいろな何があって劇団夢一座の公演を見に行く。 この劇団はオイラ達が劇団を作った時に同時に出来た扶桑町内のもう一つの劇団だ。 何処が違うかと言えば、劇団員の年齢層とお客さんの年齢層が違う。 夢一座はおじ(い)さんおば(あ)さんとその子どもで構成されている。 お客さんも当然のことながらそういった人たちが中心となる。 オイラ達とは違うお客さんをターゲットにしているので、お互いで来て8年で共倒れせずにやって来れたのかなあ、なんて思う。 劇団を作った当時は、お互い喧嘩別れに近いところがあったのだけど、今ではそんなわだかまりはない。
公演はとある老人ホームを舞台に描かれる人間模様だ。 役者は9人。 お年寄り軍団と老人ホーム職員軍団の年寄りチームと若いチームだ。 そして劇中劇がいくつかあり、そのなかで役者は入れ代わって行く。
年寄チームがさすがだと思うのは、個性が思いっきり前面に出ていて言葉がしっかりと生きている。 かったるくゆっくり話しても気にならない説得力がそこにはある。 反対に若者チームがテンポやリズムはよくても言葉が生きていない。 若い子同士がやってる劇中劇「ロミオとジュリエット」は、さすがに心地よい睡眠薬になってしまった。
お話は彼等の今をしっかりと盛り込んであって、同世代のお客さんにとってみにつまされる話で、とても共感が持てるものだった。 だからといってお涙頂戴で臭く見せるのではなく、心地よい流し方をしていた。 しかし、スタッフワークがイマイチで、もう少し勉強して欲しいとも思った。
この芝居を見たあと稽古場に行く。 今回初めて通し稽古を2回やった。 しかもインターバルを30分しか取らず2回だ。 主目的は本番前なので、芝居そのものを身体に覚えこませることが目的だ。 さすがに体力的につらいところがあったのか、2回目は中だるみが個々の役者にあったり、芝居全体のテンションが落ちたりした。 でも、全体的に物語の形が出来てきた。
やっとこれで幕があきそうな気がしてきた。
遂に本番までのカウントダウンが始まった。
そして、最後の一週間を迎えた。 通し稽古には、今まで欠席していた役者も参加出来て、ブランクはあるものの気持ちの面ではきっちり作ってきたと言うのが分かる芝居を見せてくれた。
これで、本番に向けての準備が整った気がした。
明日はこれまでの総仕上げの通し稽古になる。 この緊張感を楽しんでやっていけたらと思う。
怒濤の日々の予感。
車の6ヶ月点検に行って、髪の毛切って、リフレッシュした・・・・・と思う。
泣いても笑っても後一週間だ。
弥生が6歳になった。 本当に大きく成長したなあと思う。 心も豊かに育ってきている。 大人になってもけがれないで欲しいと思う。 来年から小学生になる。 今よりも一段と世界が広がる。 いい意味で成長して欲しいと思う。 頑張れよ、弥生。
本番前の微調整の稽古に入ってきた。 場面場面で気になるところをピックアップして、役者の意見も聞きつつ修正していった。
実は2週間前から稽古に参加出来ていない役者が一人いる。 正直この時期にこの状況はなかなか辛いものがある。 しかし全てを投げ打って出て来て欲しいと言うことは社会人劇団故言えない状況だ。 仕事が多忙極まりないとのこと。 芝居は約束事としての段取りを守らなければまず第一段階は成立しない。 だから、先日の稽古終了がやってきた彼にイメージトレーニングと今の稽古のリズムを覚えてもらうためにビデオを渡した。 そして後は彼自身が今度稽古に来れる状況の時までに、気持ちを作ってきてもらうことだ。 目の前にいない相手に向かって芝居づくりをして行くにはこうするしかない。 そして、他の面々は今彼がいない状況のなかでカバーをしようと頑張っている。
何ヶ月もかかって形にしてきたんだ。 是が非でも成立させてやる。
昨日、夜、久々に三浦鯉登にあった。 例によっていろんな話をした、が、途中で事切れたようで気がついたら凄い時間になっていた。 寝不足故一日ねたおす。 そして今日は寒い。 というわけで、本日は休憩。
桃の節句ひな祭り。
うちはいつも豪華7段飾りを飾っている。 今年も御多分に漏れず7段飾りをかざった。 しかし、よくよく見てみると、他のお雛様も段の隙間にところ狭しと並べられている。 ミッキーのお雛様、お土産物のお雛様、しまじろうの付録のお雛様、そして弥生が作ったお雛様。 なかなか他ではお目にかかれない光景だ。
そういえば、3/3にお雛様をしまわないと娘の婚期が遅れると言う言い伝えがある。 妹の婚期が遅れたのも密かにその所為ではないかと思うオイラがいた。
公演場所での最終の通し稽古。
通し稽古の出来はとてもよかった。 でも、役者の一人が欠席だった。
9+1=1
これが芝居の答えだ。
こうなって欲しいとただただ願う。
午前中はジュニアスポーツ教室の最終日。 そして、午後は明日のソフトバレーボール大会の準備。 一日てんてこまいだった。
そして夜はラッキーなことに公演場所で通し稽古することが出来た。 しかし、結果は惨澹たるものになってしまった。
こんな時はいろいろと考える。 いままでの自分のアプローチに問題はなかったか。 あの時のあの言葉が形になったのか、ならなかったのか。 今芝居が出来てるこの状況に感謝出来てるんだろうか。 メンバーに感謝しながら芝居が出来てるんだろうか。 見に来てもらっているお客さんに感謝出来てるんだろうか。
もし、ほんとうに気持ちが間違ってなければ、こんな結果にはならないのに。 そう思う。
ほんの一時のできものみたいな、灰汁だしみたいな状況だったらいいのだけど・・・・
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