2003年01月31日(金) |
とあるホームレスの死 |
すっと体育館に居座っていたホームレスのおじさんがなくなった。
風呂に入らない、食べ物は盗んで来る、大小は垂れ流す、勤労意欲はない、とまあ大変な人だった。 すぐ近くに兄弟・親戚は住んでいるんだけど、いろいろとトラブルが合って見放されてしまった。 現状だけ見れば同情しそうになるが、そこに至るまでの話を聞くと自業自得でホームレスにならざるをえなかったとしか思えない。
今年に入ってからしばらく体育館から姿を消した。 少し気になったので、昨日いると報告を受けた場所を見に行った。 そこに彼はいた。 意外と元気そうだった。 だけど、今日訃報を聞いた。
公務員としていろいろ考えた。 どこまで生活に介入出来るんだろうか。 もちろん仕事としては法律の範囲内で動くしかない。 さすがにその人の人生を丸ごと引き受けることは出来ない。 でも、何かをしないといけないとも思った。 いろんな手を尽くして自立への道を模索した。 でも結局誰もみとる人がいない状況の中人生を終えてしまうと言うよくない結論を迎えるに至った。
仕事の限界を感じた。
本番は刻一刻と迫って来る。 もうそろそろ「本番まであと一ヶ月」という言葉を使う時期にきた。
今日の稽古も一人の役者に焦点を合わせた稽古を行なって行った。 毎回行なうのは、その役者が最も魅力的に見えなければいけないシーンのイメージ出しと、ダメ出しだ。 今日は今まで自分自身が芝居の基準と考えている役者の一人に対してのものだった。 イメージ出しのキーワードは「全肯定」 普段自分達が住んでる社会で存在が全肯定される場所は家庭ぐらいのものだ。 しかし、劇団と言う場所も考えてみれば存在を全肯定する場所だ。 そうでなくては集団は成り立たないし、限り無くそこに近づいて行きたいと思う。 集団での全肯定は存在そのものに対してなので、個の意見が全肯定されると言う意味ではないのが難しいところである。
2003年01月29日(水) |
最後の晩餐か?&嫁さん大ピンチ |
今年度一杯で職場を止める職員とのお食事会(と敢えて言っておこう)だった。
あいにくこの日は雪、どころではなく猛吹雪! 待ち合わせ場所に出発した時点ではなんてことはなかったのだが、進むにつれてだんだんと雪が吹雪いてきた。 いやあ、とんでもない日になったもんだ。
待ち合わせ場所からお店にいく間もどんどん雪は降り積もるのだった。 この雪がとんでもない事件を巻き起こしていたとは露知らず、彼との話しに花が咲くのだった。
久々に彼とゆっくり話が出来た。 いままでの職場の話や、今後の話し等々。 と書けばカッコがいい話だが、お互い意地っ張りで、片や音楽、片や演劇の人間である。 結局のところそんな話で盛り上がって、実は言おうと思っていたちょっとしんみりとした話は殆どしなかった。 らしくないことは出来ないもんだ。
たぶん、これが彼との職場での最後の晩餐になるんじゃないのかなぁ。
帰りの車に乗り込んだ時ふと気がつくと、忘れていった携帯電話に嫁さんから着信の荒らし。 留守電には弱々しい声が・・・ 只事でなはいと思いつつも外は雪。 ひたすら渋滞の列がのびるのだった。
そして家に帰ると、テンション落とした嫁さんがいた。 話を聞くと仕事の帰りに凍結した坂道で立ち往生して大変なことになったらしい。 最終的には後ろから来た車のお兄ちゃんに車を押してもらって脱出出来たようだ。
そんなピンチの時に談笑し電話にも出られなかったオイラは、ただただ恐縮するばかりだった。
久々に家から一歩も出ないお休み。
DVD見たり、子どもと遊んだり怒ったりしながら、半分以上の時間を寝っ転がりながら怠惰に過ごした。
平日にはなかなか人が集まらない。 集まらないから残念と言うこともあるが、同時に集まらないから出来ることもある。
どうにも毎回このシーンの稽古をする度に困っている部分があり、そこんとこのプラン変更と擦り合わせを行なった。 基本的には音の問題だ。 まずは音を聞いて決めて、その後前後の流れを確認して、最終的に出席している役者に代役としてやってもらって、一応腑に落ちる形になった。 でも、もっと上があると思うし、特に芝居のある意味大きな転換するをして行く部分なので、まだまだ模索して行かなくてはと思っている。
本番を行なう場所で稽古を行なう。
本番の場所で稽古を行なうといろんなことが見えて来る。 この日は装置の試験も行なった。 舞台の形と実際の芝居が合わなかったり、装置とアクティングエリアが合わなかったり、そういう発見がまだ時間がある時にできるからとてもいい環境だと思う。 そして昨日に引き続き何人かの役者に焦点を合わせて稽古を行なって行く。
まだまだ地道な詰み重ねだ。
この日からは何人かの役者にターゲットを絞りながら稽古をして行く。
2003年01月24日(金) |
劇団TEN「ヤマトタケル」 |
うちの劇団員が客演する劇団TENの芝居を見に行く。
場所は名東文化小劇場。 最近出来た小屋だ。 でも、基本的に多目的ホールなので、芝居見るにはちょっとつらい場所だ。 客席の傾斜がもっとあったらいいのにと思う。 相変わらず名古屋市はいまいちな劇場を作り続けている。
さて芝居の方は・・・ 先ずは客演した役者は、その責任は十二分に果たしたと思うし、芝居の出来も普通に良かった。 客演のオファーを受けた劇団の代表者としては、まずはやれやれと言ったところだ。
そしてご本体、劇団TENの芝居だが、う〜ん・・・・お互い顔見知りだし、客演でお世話になったし、評価が甘くなってしまうところはあるが、それでも言わねばならぬ。
あの芝居はお客さんの前に出せる状態じゃない。
芝居づくりの途中の段階だ。 上手い下手の問題ではない。 せめて世界観ができあがってから舞台にあがって欲しかった。 ただただ2時間苦痛な時間が続いた。
同時にいつでも自分たちはここまで転げ落ちる可能性がある。 そう警告している芝居だと肝に銘じた。
昨日の市町村合併のことや、来年度事業や体育館の修繕なんかの話をしてたらあっという間に仕事は終わってしまった。
久々の稽古日記。
最近、面識の出来たアーティストの曲を2パターン試してみた。 役者の声に合うか合わないかだ。 一つは胡弓の音、もう一つは尺八の音だ。 曲としては後者が断然いいのだが、役者の声質に合わないのと楽器の醸し出すイメージの違いが、芝居のイメージを変えてしまうところで前者の音にした。 でも、前者の演奏もたまらなく素敵だ。
また、お礼のメールをしておこう。
市町村合併に向けてついにうちの街も具体的に動き出した・・・と、今朝の朝刊に書いてあった。
以外と内部の人間でも新聞に教えられる情報がある。 そしてその情報は必ずしも正確でないことが多い。 でも、今回は「大分」正確な情報のようだ。
オイラ自身も市町村合併に向けて考えなくてはならないことも、具体的に出て来るだろう。
果たして先手を打つべきか、長いものに巻かれるべきか!?
日本で遂にクローン人間が登場する。 それがいいかどうかと言う議論とは別の次元で、果たしてこの先人間の命は何処まで人間の手の中で転がされてしまうのだろう、とちょっと不安になるし、不謹慎だがテクノロジーの進歩に期待もしてしまう。
こんな絵空事だった話が次々と現実の物となる今、人の想像力はだんだん痩せ細って行っているような気がしてならない。 その影響は知らず知らずのうちにオイラ自身も受けているのだろう。 想像力が痩せ細ると、夢が見られなくなって行く。
夢の見られない世の中は・・・・それは想像したくないな。
もちろん夢を見た結果がいいかどうかは別問題だ。 原子力の研究が、結果核兵器を生み出したりした。 軍事目的の通信網の研究がインターネットを生み出した。 そして、クローン人間も・・・
だけど、夢を見ることはとても大切だし、はじめは純粋な気持ちからスタートしているはずだ。 その気持ちを忘れずにいかに保ち続けるかだ。
初心忘るるべからずだ。
貴乃花引退について様々なメディアがそれまでの土俵人生に対する賛辞を送っている。
確かに彼はよく頑張った。 数字の上でも、残した印象でも大横綱に相応しいと思う。 さすがに最後の優勝の時は涙を流して感動したし、奇跡を見た気がした。 そして同時に彼は終わったと思った。
その後の痛々しい姿が俺の中での貴乃花の印象を悪いものにしてしまった。 7場所連続休場はさすがにまずいのだ。 いくら国技のトップでその地位が守られているからと言っても、一年以上ただ飯食っててはいかんと思う。 どのメディアの論調もその事実について、よく乗越えてきたと賛辞を送るだけで非難したりしない。 もちろんそういう世界だと言うことは重々承知はしているが、それでも余りに・・・・である。 周囲も彼を慰留したかったのだろう。 当時、横審のナベツネ読売オーナーが7場所連続休場を批判していたことを覚えているが、そのとおりだというメディアも少なかった。
どうしても彼がそこに甘えてきたとしか思えないのだ。
膝の怪我を押して優勝を勝ち取ったままで終わっておけば、伝説の大横綱になれたのに、と思うのだ。 甘えが見えてしまったのがどうしても残念で仕方がない。
もちろんそれが彼の望むところではないと言うことも思うのだが、でもなあ、報道のされ方が死んだ人に対する賛辞みたいでどうもなあ・・・と言うところだ。
本日も稽古。
稽古場に多くの役者が来て、活気づいた稽古になった。 一つの場面を集中的にやっていったが、やればやるほどだんだん形になっていく。 ここできちっと形を作っていければ、後の場面はそう問題なくこなしていけると思う。 今回とても大事だと思うことは、その役がどれだけバックボーンを背負って舞台に立てるかと言うことだ。 その部分がしっかりとできていけば、自ずと芝居自体が豊かになって行く。
いろんな課題はあるが、芝居に特効薬はない。 地道に一つ一つ課題をこなしていくしかない。
最近稽古に人が集まらない。
今日も役者スタッフで5人! あれまあどうしましょ? と言ったところ。
どうしようかとちょっと迷いつつ、稽古でこれから踏み込んで行くであろう領域に先行して入って行くことにした。 結果稽古は有意義なものになったし、その後劇団員の一人の家で飲んだが、そこでも有意義な話ができたと思う。
そしてこの結果を明日からの稽古に活かして行こうと思う。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。 もちろん直接の被災者ではないが。
特に印象深かったのがNHKラジオで被災者やそれを気づかう地方の人たちに、切々と語りかける葛西アナウンサーだ。 とにかく落ち着いて行動して欲しい旨を一生懸命伝えていたし、今ある情報を懇切丁寧に分かりやすく、そしてこの報道がパニックの一因にならないように分からないことは分からないとハッキリ言っていたのが印象的だった。 それは、地方で心配するしかないオイラにとってもとても心が落ち着く内容の報道だった。
神戸の街は今でこそ見せ掛けの復興はしたのだけれど、以前の生活は戻って来ない。
今さらながら被災者の御冥福をお祈りします。
そして、今世紀初頭にいつか来るであろう東海大地震に憂慮するのだ。
2003年01月16日(木) |
なかなかきびしいなあ |
来年度の体育事業の打ち合わせを教育長を交えて行う。
今年のいろいろな反省を生かし、来年度につなげていくわけだが、純粋に中身で勝負をしようとしてもそれは紙の上には載ってこない。 口頭で説明していくわけだけども、けんもほろろである。
簡単な話、こと視野ってた教室が中身がいまいちなので、いいとこ取りで全体を縮小して濃いものにしようとしたわけだが、縮小部分の見てくれが気に入らず敢え無く却下。
むむむむ、中身と見てくれと、そして偉いさんの見栄を全部立てようとすると難しいのだ。 やはり来年度もある程度無理して進んでいくしかないんだなあ。 とほほ・・・
久々に仕事に出る。
年があけてもう半月たったと言うのに4日しか仕事してなかったので、なんだか身体がまだ休日気分だ。
来年度に向けていろいろな打ち合わせをした。 やっと仕事も本格的に始動だ!
ここんとこさすがにいろいろあったので、一日休憩。
をしようかなと思ってたら、役場から電話で仕事の呼び出し。 支出調書が期限までに会計に回ってなかったんだそうな。 とほほと思いながら、その処理に出勤する。
その後は縦になってるより横になってる方が多い怠惰な日々をおくった。
2003年01月13日(月) |
33回目の生誕記念日&DVD「A.I.」 |
昨日葬儀があったばっかりで、翌日誕生日を迎えるのは、なんとも複雑な心境だ。 人は歳を一つ重ねる事に、やはり死に対して一歩近づいたこととなる。
そんな織、DVDで「A.I.」を見た。 見終わった後、暫く混乱したし動揺した。
物語が千年単位の物語だ。 どうしても人の死と誕生について考えてしまう。 そしてその間の生きることに対して考えるのだ。 「A.I.」で、何故?という感じを受ける人もいるかも知れないが、それが率直な感想だ。 もう少し物の見方を素直に見れば、ピノキオのようなおとぎ話なのだが、そうでない部分のストーリーを複雑な思いのまま見てしまう。 もう少し表層にのっかりながら物語にどっぷりと浸りたかったが、どうにもこうにもいろんな思いが頭を巡り、ある意味とても冷静に、そして動揺しながら見た。
とてもせつない物語だった。
一夜あけておじさんの葬儀。
昨日にも増してものすごい人だ。 焼香人数が並みではないので、出棺の時間も30分以上遅れた。 これだけの人たちに愛されたかどうかはおいておいて、葬儀に来る人がこれだけいると言う事実にまずは感動するのだ。
で、さすがにこの日は寂しさがぐっと押し寄せてきた。
同時に死と言うものに対して改めて考えさせられた。
本日おじさんのお通夜。
焼香の列は何処までも続く。 会葬者はこの日500人を超えていた。 つくづくとんでもない人が親戚にいたんだと感じる。
このおじさんは中学の時オイラが行っていた中学の先生をやっていた関係もあり同級生も次々と弔問に訪れた。 最後のお別れをして泣き崩れる子もいたが、オイラはそんなふうには泣けなかった。 何年も前から聞かされてたせいで事前に覚悟も出来てたからかなあ・・・
そして、明日は本葬だ。
2003年01月10日(金) |
TBS-TV「井上陽水/最後のニュース」 |
先日危篤に陥ったおじさんが亡くなった。 とても残念だ。 まずは仮通夜に行ったわけだけど、落ち着いた顔をしていた。
深夜、NEWS23で井上陽水がライブをしていた。 なかでも最後のニュースはしびれた。 えも言われぬパフォーマンスだ。 以前劇団の芝居で井上陽水の最後のニュースをパロったキャラで「陽水さん」というのが出てきたことがあるが、50を越えてのこのパフォーマンスもまだまだイジリ甲斐のある素敵なパフォーマンスだった。 歌のなかで歌われている情景は、オリジナルの物から時代とともに内容が変わってきているけど、そこに込められているメッセージは変わらないし、むしろもっともっと強いものになっていた。 そういう意味では、時代は変わってないんだろうなあと、過ちは何時の時代も繰り替えされると言うことか。
北朝鮮しかり、イラクしかり、アメリカしかり、そしてこの国、日本も・・・
2月にある大会のPRに町内にある学校を転々とする。 当初3時間くらいで回れるだろうと思っていたら、結構時間がかかってしまった。 そして同時に今までなかった変化に気がついた。
今までは、とりあえず仕事の話だけして帰ってきたわけだったが、他に余分な話をしているのだ。 これはいい傾向だと感じた。 簡単な話、相手に請けいられるようになってきたと言うことだ。
そういえば、上司は一回外に出るとなかなか帰ってこない。 体育館のような仕事は机上の仕事よりも、人との交渉や世間話が重要な仕事なのだ。 ここに勤めて3年目。 ようやく上手く回ってきたなか?
仲人も勤めてくれた親戚のおじさんが危篤状態になり、稽古に大遅刻。 稽古場到着後昨日決めた音、その他の変更をダイジェスト版で説明した。 ダイジェスト版なので、詳細まで分かってもらえないわけだが、その場面で変更があるよという程度のことは伝わったと思う。
で、一番変更が多い芝居後半のシーンを音楽を流しながらやっていった。 今までついてた音や段取りとはちがって、格段に芝居が引き締まった感じになってきた。 ただ、キーパーソンになる役者が欠席で、そこは代役でやっていたのだが、その役者の声と音がマッチするか、そこが気がかりなところだ。 曲は良くても声と音楽の音質が合わなかったりして喧嘩したりすることがある。
しかし、なにはともあれ修正がいい方向に回っていきそうだ。
2003年01月07日(火) |
演出プラン練り直し・・・・リベンジ! |
昨日のリベンジ! と思ったら、目がさめたのがお昼過ぎ・・・・ さすがに寝すぎだ。
お昼御飯を食べて、ボチボチとやりはじめよう思ったら、山崎、鈴木のトレード!! ま、二人ともこの先出番があるかどうかといわれれば、可能性は低いので他の球団に行った方がいいと思う。 特に山崎はオリックスでどんどん打って欲しい。 鈴木もドラゴンズ捕手の世代交代の波に乗り切れなかったので、この先の出番は他の球団に委ねた方がいいと思う。
と、ショックなニュースに動揺しつつも、プラン練り直しスタート。 いろいろとやって、最後の場面にようやく辿り着いた。 結構苦労はしたが、先日東京に行ったおかげで入手出来た曲が今回のテーマになりそうな予感。
はてさて結果はどう出るやら。
2003年01月06日(月) |
演出プラン練り直し・・・・ |
とおもったら、年末年始の疲れが出たせいか挫けて眠ってしまった。 てなわけで、明日リベンジ!
体育指導委員さん達と新年会。
外は久々の雪で何もかもが生まれ変わったように見える。 そして太陽が降り注ぐと同時に成長して、元の姿になる。
うーむ、なにいってんだかなぁ。
この日で昨年末から15日間休肝日なし。 これだけ毎日のみ続けているのは、人生の中で最長期間だ。 いい加減疲れてきたので、積極的に休肝日を取に行かないといけないなあ、と思いつつ、ついついお酒に手が・・・・てなことやってるとアル中への第一歩。
新年会は普段言葉をあまり交わすことない町長や県会議員も来賓に招いた。 県会議員はもともと同じ職場のちょっと上の先輩なので、「○○センセイ」と呼んだりして茶化したり出来るので何となく嬉しかったりする。 オイラのいろんな不躾な質問に誠意を持って応えてくれる。 そして、いつもギラギラしている。 みているだけで勇気と希望をくれる人だ。 オイラの職業柄これ以上のことは書けないが、とにかく素敵な人だ。
そんな人たちと時間を共有出来ること、そして、そういう職場で今仕事が出来ていること、いろんな偶然に感謝したい。
新年初めての稽古。
ほぼ10日間稽古期間が開いたこともあって、今までやってきたことの思い出し稽古だ。 全体を荒く通していったけど、この時期にしてはまあ何とかこのあたりまで形にできてればOKかなと思うところだ。 いろんな課題点や修正点も見えてきた。
そしてこれから芝居に命を注入していく作業へと入っていく。
いよいよ明日から仕事も劇団も本格始動!
年末年始は日常とは違うところに身を置くことが出来ていろんな意味で刺激も受けたしリフレッシュにもなった。 その分宿題もたまったが・・・(笑)
さあて、あすからボチボチと始めて行こ!
2003年01月02日(木) |
CDS「Mr.Children/HERO」 |
この歌、12/25の小田和正の番組で取り上げられていた。 それまではNTTDocomoの宣伝でちょっと聞いたくらいかな。
で、この曲を小田和正の歌で聞いた時にかなりきた。 この渾沌とした時代に、守るべきものは目の前の手に届くものでいいという、ただそれだけの歌なんだけど、簡単な話ただのラブソングなんだけど、それが妙に胸にしみ入った。
そして、さっそくCDSを聞いてみた。
む、歌は小田和正の方が数段いい(笑) それは歌の消化の仕方が歳を重ねてる分だけ上手いということか。
でも、櫻井のこの等身大な感じがたまらなく今の自分と重なる。 同い年ということもあるのだろうか。 同じ時間を同じスピードで歩いている感じがする。 一緒に会って話をしてもきっと話は合いそうにないんだけど(笑)
最近復活ライブが出来たということで、まずはめでたしめでたし。 早くツアーが出来るまで回復して欲しいものだ。
新年早々たっぷりと初夢を観た。
第三舞台の公演後、鴻上さんに扶桑文化会館で芝居をしてくれるように売り込みをするという夢だった。
正夢なのか、逆夢なのか。 どちらにしても、現実の結果が思い浮かんでしまうところが恐い。 果たして吉と出るのか、凶と出るのか。 乞う御期待!
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