12/28,29の上京はとても刺激的な日々だった。
東京ミレナリオの異常な賑わい、新装開店した丸ビル。 高層ビル群。 下町の狭い路地。 蜘蛛の巣状の地下鉄。 安い運賃。 高い物価。 東京の町、駅に集まる人々。 人波。
今住んでいるとこでは到底経験することが出来ない、東京の日常を垣間見た。
それは同時に自分の住んでいる場所を見つめ直す作業であるし、自分自身を見つめ直す作業でもある。
違いを認めることでお互いを理解し認めることができる。 分かりあったり手をつなぎあったりする必要はない。 期待が誤解を生む。 誤解は怒りや憎しみにかわっていく。
ただ、お互いの違いを認めあえればいい。
ただそれだけ。
2002年12月30日(月) |
ダイナマイトポップス練習見学 |
三浦鯉登の所属するバンド「ダイナマイトポップス」の練習を初台(オペラシティー付近)にあるスタジオに見学。 このバンドは60,70年代のポップスを演奏するバンドだ。 ポップスと言うとかっこいいが、要は歌謡曲バンドだ。 レパートリーは田原俊彦から北島三郎まで様々だ。 この日は大晦日東京ヒルトンで行なわれるカウントダウンライブの練習。
オイラはバンドの練習を見学するのは初めて。 もちろん過去に自分のバンドをやっていたことはあるがちゃんとスタジオで練習したことはない。 車座になって練習をしていくことに何故か不思議な感じがした。 でも、音楽を作っていく過程でこうやって車座で練習を進めていくことがものすごく大事だと言うことが観ていて分かった。 当然のことながらライブの第一目的は見せることよりも聞かせること。 それをお互いに確認しながら練習を進めていくにはこの方法が一番だ。 そしてオイラ達のような演劇の稽古場と空気の流れも違う。 演劇の稽古場ではクリエイティブな矢印が一方向を向いているのに対して、バンドの場合はただ一点スタジオの中心に向かっている。 みんながアイコンタクトを出来るようになっているのだ。 そこにリーダーが立って練習を進めていくのだ。
いろんな意味でクリエイティブな現場だった。 バンドの面々のアイディアや指摘をリーダーがどんな風に消化していくのかにオイラの興味が注がれた。 エンターテイメントな要求と自分勝手な要求とア−ティスティックな要求とを聞き分け自分の中で消化して言葉にしていくリーダーが時には頼もしく解きには痛々しくも見えたりした。 でも時間のないなかで作り上げていく作業はなかなかの手際で進んでいく。 感心しながら観ていた。
なかなか体験できない現場を体験させてもらった。 そしていろんなインスピレーションをもらった。
2002年12月29日(日) |
三浦鯉登&磯村由紀子プロデュース「Twin Keys plus ?」 |
新感線を観た後、地下鉄千代田線で下北沢へ。 オイラの大学の先輩がプロデュースしたライブ会場へ。
「Twin Keys plus ? 」とは、三浦鯉登&磯村由紀子の二人のキーボードプレーヤーの有人知人関係のセッションだ。
全体の構成としては1部が三浦プロデュース、2部が磯村プロデュースである。
1部はとにかくダラダラ進んだ印象が強い。 出演者も役者さんあり、バンドあり、ソロありとバラエティーに富み過ぎている。 ちょっと欲張りすぎな印象だ。 しかし演奏自体はしっかりしている。 さすがプロだ。 その中でも劉哲志さんの演奏はたまらなくよかったし、胸に来るものがあった。
2部は全体的に締まったちょっとオシャレな演奏会と言う感じだ。 磯村さんがライブ運びが上手いのもあるが、演奏に統一感がしっかりとある。 そして演奏が優しい。 やっと音楽を聞きにきたんだなと思った。
このライブ5時に始まって終演が9時。 さすがに長い。 その前に3時間の芝居を観たオイラに集中力がさすがに続かなかった。
ライブ後は例によって打ち上げ参加。 よくよく考えてみるとこの打ち上げ蒼々たるメンバーが揃っている。 劉哲志と並んでいるおじさんが実は長渕剛のチーフ音響オペレーターだったり、ゲストで出演していた役者さんがレ・ミゼラブルに出演していた人だったり。 いろいろな意味で刺激てきな打ち上げだった。
2002年12月28日(土) |
劇団☆新感線「七芒星」 |
今までビデオでしか見たことがなくてもう一つ好きになれなかった劇団☆新感線の本公演を初めて見る。
場所は赤坂ACTシアター。 もともと劇団四季の仮設劇場だったところをそのまま残して今も劇場として使っているところだ。 外観も中も明日にはすぐにバラせそうなそんな雰囲気の小屋だ。 だからこそ空間としては魅力的なのかも知れない。 ちょっと大きめの小屋だけど芝居は見やすい小屋だった。
こりゃまたたまらん芝居を見た、って感じだ。 お話はいたって単純で勧善懲悪の物語り、だれしもが分かる話だ。 劇団☆新感線の今回の公演はほぼフルメンバー。 身体はきれるしギャグもきれる。 音響照明も素晴らしいの一言。 もう何も言うことはない。 エンターテイメントとしてはものすごく高いレベルで成立している。
今回のお話は悪の8人を正義の8人が倒すというそれだけの話しだが、劇団☆新感線として深い深い意味があることを感じた。 悪の8人は高田聖子、古田新をリーダーとするベテラン組。 そして、正義の8人は客演の佐藤アツヒロ、奥菜恵の率いる劇団☆新感線の若手組。 若手対ベテランの構図だ。 若手がベテランを乗越えていくことで劇団☆新感線は変わっていく、というメッセージを内包している芝居だと感じた。
いつか機会があればまた観に行ってみたい劇団だ。
体育館嘱託員の身内の葬儀だった。
初めてみる神式の葬儀。 祝詞をあげる神主さんの言葉は結構わかりやすい。 これが神様に届く言葉かと思うとちょっと威厳がないなあと思ってしまう。
この葬儀を見ながら思うことは、自分の葬儀はどうやってやってもらおうかと言うことだ。 できれば無宗教がいいなあと思うが、無宗教にするとお墓に困ってしまうのできっとダメって言われるんだろうなあ。
なんてことをいろいろ考えたりした。
そういえばこの日記、ついに10000HIT!! これは結構凄いことかもしれない。
皆さんありがとう。
今日職場の嘱託員さんの身内に不幸があった。
いろんな方面に連絡をした。
いつも連絡を取りあってる人や、本当に久しぶりに声を聞く人もいた。
人々はそうやってつながっているんだと思った。
2002年12月25日(水) |
TBS-TV「小田和正/クリスマスの約束2002」 |
昨年に引き続き、小田和正が尊敬するアーティスト達の楽曲を演奏する企画「クリスマスの約束」が放映された。
今年彼をこの企画に突き動かしたものはなんだろうか? このまま、「小田和正が歌う日本のポップス100」見たいになりはしないだろうか。 そんな不安を抱きながらみていた。
でも、見ていくなかでハッキリとわかった。 この企画は彼が音楽と言うものを尋常じゃないレベルで信じていて、それを証明するためにやってるんだと。 そしてその気持ちを確信させるだけの返事が彼の下に届いていた。 番組でも紹介されたMr.Chirdrenの櫻井からの手紙だ。 彼は「この番組を見てつながっている、と確信した」としている。
そういうことなんだ。
次々と演奏されていく曲達は、文字どおり魂のこもった演奏になっている。 各々のアーティストへの尊敬の念に満ちあふれていて、なおかつそのポテンシャルを殺さずに小田自身の物になっている。 それが会場ではなくテレビで見ているオイラにもびしびしと伝わって来る。
またも素敵な音楽番組をみさせてもらった。
メールを開いたら年末に飲もうと思っていた人からお断りが入っていた。 かなり残念だった。
そして今日はクリスマスイブ。 いつもそうだけど、本番日よりも前夜祭の方が盛り上がるのは何故?
うちにはまだサンタクロースがいるので、昨年なりきれなかった(2002/12/24参照)サンタさんになった。 でもいずれ(子ども達の信じている)サンタクロースはいないと言うことに気付くんだろうなあ。
オイラが子どもの頃のサンタクロースはおもちゃと一緒に夢を運んできてくれた。 今の子ども達にとってサンタクロースはおもちゃを運んでくるだけの都合のいい人なんだろうか?
何故かそんな気がする今年のクリスマスイブ。
嫁さんが子どもに
「天皇陛下ってどんな人?」
と聞かれた。
嫁さん大弱り
「王様でもないし、将軍でもないし、象徴って言ってもわかんないし、、、、」
それを相談されたオイラも子どもに説明出来るいい言葉が見つからない。
やっぱり分かりにくんだよな。
もっと分かりやすい世の中になって欲しいな。
ここんとこ疲れてるのか、走ろう会が終わった後で気が抜けてるのかで、もう一つ本調子じゃない。 仕事もなかなか気合いが乗らない。 風呂に入ったらそのまま寝てしまう始末。 そして嫁さんに怒られる。
うーん、いかんいかん、こんな怠惰な生活ではなあ。
てなわけでそんな状態の中で稽古。 だからといって稽古が進まなかったわけでもなく、むしろ順調に進んでいった。 場面つくりもボチボチと進んでいったし、今回の芝居のテーマについてももう一度稽古場で確認をした。
何とか年末の最終の稽古までには、最後の場面まで形を作っていきたいと思う。
2002年12月21日(土) |
土田英生プロデュース「南半球の渦」 |
可児市に生まれた文化創造センターala(アーラ)の開館記念公演の一つ、土田英生プロデュース「南半球の渦」を見に行く。 この劇場、長久手文化の家と同じ設計者だけあって、ロビーにはいると同じ臭いがする。 置いてあるものもみんな同じようなものが多い。
そして劇場内へ。 今回は小劇場(虹のホール)。 虹のホールと言ってもどこにも虹はない。 照明が七色か出し物が七色か、と言うこじつけか。 まるで名古屋市総合体育館レインボーホールのインチキさと同じだ。
それはさておき、この劇場、なかなかいい劇場だ。 300席程度で馬蹄形に近い客席。 どこから見ても芝居がよく見えるし、舞台上の空気をかんじることができる。 天井の高さも程良く高い。 遮光の問題などいろいろありそうだが、芝居を見せるには非常に素晴らしい空間だ。
芝居の方は日本のベンチャー企業がオーストラリアへ慰安旅行に出かけ、日本とオーストラリア、集団の中の個と個等のルールやマナーの違いがテーマ。 作者が所属する集団の中で問題になっていることがテーマになっているような、そんな気がする物語だ。 この芝居、集まっている役者がとにかく素晴らしい。 一週間ほど前に「ぴあ」でメンバーを見て、これは見ないかん、と思わせる役者陣だ。 そして目の前の芝居は、すんなり物語に入っていけるというか、上手いか下手かということを感じさせないくらい洗練されていた。 基本的には力の入らない芝居だけど、役の個性がきれいに分割されていて、人間関係が見えやすく、そのズレを上手く笑いとして消化できている感じで、劇場内は終始笑い声が絶えなかった。 芝居の後半オイラの思いと物語の気持ちがずれてしまい、見てるテンションが落ちてしまったのが残念だけど、また見たいと思える佳作的な作品だった。
2002年12月20日(金) |
扶桑文化会館「ふそうのロビコン150回目そして千秋楽」 |
オイラの勤める扶桑町にある文化会館の玄関ロビーで行なわれているロビーコンサート(略して「ロビコン」)の150回記念公演、そして千秋楽。 この企画は一人の音楽家らしき扶桑町の職員が、クラシック音楽の(世間のイメージとしての)敷居をとっぱらって、誰でもいつでも気軽に音楽にふれあう機会を提供する目的で行なわれる企画だ。 毎回数人の編成で生楽器の演奏が行なわれる。
今日が150回目、そして千秋楽だ。 さらに千秋楽にしてオイラはなんと初めての鑑賞だ。 何故見に行ったかと言えばハッキリとした動機があった。 この企画を作った職員が今年度一杯で退職をする。 その彼の8年間の成果をこの目でちゃんと見ておきたかったからだ。 念のために言っておくが、今まで見に行かなかったのは特に理由はない。
会場に入ってビックリした。 とにかく人、人、人。 わりと広いと思っていた文化会館のロビーにところ狭しと人がひしめきあってる。 人気アーティストのライブハウス公演に来たような感じだ。 もちろんこの千秋楽という特別な日に、当日の新聞報道もあいまっての相乗効果故だとは思うが、とにかく熱気が凄かった。 この光景を見た時に何故だかホッとした。 彼がこれまでやってきたことは、住民の皆さんにはしっかりと肯定されているんだということが確認出来たからだ。
出演者到着の遅れ等で彼のシナリオどおりに進行できなかったことは気の毒だなあと思うのだが、演奏会は滞りなく進んでいった。 そしてフィナーレだ。 フィナーレでは彼が以前から共演しているサックス奏者とのユニットだ。 そして、彼が真剣に演奏するピアノ演奏を聞くのは何年かぶりの2回目だ。 相変わらず優しく繊細なタッチの演奏だ。 そしてサックスのメロディーもとても優しい。 彼の今までのいろんなことや今置かれている境遇を癒してくれるかのような優しい演奏だった。
この演奏を聞きながらいろんな思いが巡ってきた。 彼が採用されて初めて出勤してきた時のこと。 音楽祭でいろいろあった時のこと。 (今の)夫婦同士で飲んだこと。 芝居を見に来てくれたこと。 ギャグを言って周りを凍らせてくれたこと。 そしてその時々の彼が輝いていたこと。
全ての演奏が終わった後、暫くお客さんを観察していた。 彼の企みに共感してくれた人たちはいったいどんな人たちなんだろうかと興味があったのと、もう一つは、これで終りなんだなと思うとせつなくてたまらなかったから、もう少し同じ空気を吸っていようと。
いろんなことがあっての決断だとは思うが、一番評価されなきゃいけない住民の皆さんにこれだけ評価されたことは誇りに思っていいと思う。
今夜は特別な夜だ。
仕事が終わった後久々の嫁さんとのデート。 とはいっても目的は子ども達のクリスマスプレゼントの買い物におもちゃ屋さんに行く。 このシーズンおもちゃ屋は結構遅くまでやっている。
中にはいるとオイラ達と同じ年代の夫婦が沢山いた。 目的はみんな一緒だ。 中には、もうサンタさんがいない家族連れもいて、子どもと一緒に買い物をしている。
子ども達にどんな風に育ってもらいたいか、そんなことを考えながらおもちゃ選びをしている。 もちろんオイラ達も一緒だ。 子ども達がなにがしたいか、ということと、親が子ども達に何をして欲しいかということでいろいろ考えるのだ。
ちなみに今うちの流行は「PICO」というタッチペンで動作するコンピューターだ。 二人ともそのソフトが欲しいということで、今の年齢よりもちょっと難しめのやつにした。
25日の朝、子ども達が喜ぶ顔がみたいという期待半分不安半分といたっところだ。
久しぶりに携帯電話をリニューアルした。
ちょうど嫁さんが携帯を代えると言うのでついでに変えてみた。 なかなか使い勝手は良さそうだ。 でもいらん機能もたくさんある。
携帯「電話」といいつつも、だんだん携帯「端末」に近づいている。 これから携帯電話はPDAにとって変わろうとするんだろうか。
2003年用の年賀状を印刷した。
しかしこれがまたプリンタが遅いのなんの。 設定がまずいのかもともと遅いプリンタなのか分からないけど、裏面を1枚印刷するのに1分以上かかる。 いつも大体200枚程度印刷するのだけれど、かけ算するととても長い時間プリンタの前に拘束されることになる。 そして表面も印刷すると、更に長い時間プリンタの前にいなければいけないことになる。
結局終わったのが明け方の4時。 毎年のこととは言え泣きそうだ。
そう言えば、今日第三舞台のDVDが届いた。 早速気になる部分を見てみた。
特に今回やる芝居の物を見てみたが、いろんな重いが巡った。 オイラ自身が思っていたこの芝居のイメージとちょっと違うとこもあればドンピシャのところもある。 当然違う人間が演出するわけだから違って当たり前だ。 でも、いろんな部分で影響されることもあるし、やってみたいこともある。 劇団員のいろんな意見もきいてきたし、これから暫く擦り合わせ作業をしなくちゃいけないな。
一日まったりとした仕事の後、稽古に行く。 相変わらずの出席率にややがっくりするも、稽古は順調に進む。 しかし思い描いた進捗状況ではないので、もう少し先に進みたいところではあるが、欠席なんかでおいてきぼりをくう役者ができるだけ少なくなるように歩みを止めたりもする。
稽古後元劇団員の一人と飲む。 会社でいろいろあった結果、退職しキャリアアップのための語学留学をするという話だ。 公務員として働かせてもらっている自分の立場を思うと、なんともやり切れない気持ちになったりもする。 でもそれはそれ、職業を選ぶ時に会社員を選んだ彼と、公務員を選んだ自分との違いだと割切って考えていくしかない。
うちのiMacは気紛れ野郎だ。 こいつは何時も冬のボーナス時期になると謀ったかのように調子が悪くなる。 起動ボタンを押しても立ち上がらないのだ。 「ウオン」という起動音はすれどもモニターに電源が入らない。 コンデンサに電源が不十分なんだろうか? でも、いちど修理に出してみたが、問題なしで帰ってきやがった。 そして、12/10の冬のボーナスの時期が来る。 なんと12/10を境に調子が戻るのだ。 それまで不調だったのが嘘だったかのように。 しっかり立ち上がりやがる。 これは、ボーナス時期に購買意欲をさそうAppleの陰謀なのか?
2002年12月14日(土) |
弥生の保育園最後の生活発表会 |
来年から小学校に上がる弥生の保育園最後の生活発表会が行われた。 おむすびころりんでおばあさんと語り部の役だ。 本人はネズミの役がやりたかったようだが、おばあさんもかわいくていいと言っていた。 現物もちゃんとかわいいおばあさんになっていた。
昨年も思ったことだが、こういう保育園の劇の場合、指導する先生の情熱やセンスがそのまま子ども達の劇に現れてしまう。 今回弥生の担任の先生はそういう意味で言うと、申し訳ないけどとても一生懸命指導してくれたようには見えない。 それは他のクラスの発表を見てもその差は明らかだ。 と、文句の一つも言いたいところだが、それはそれだ。 これも巡り合わせの一つとあきらめるしかない。 ある意味身内だし。
ただどうしても一つ許せないことはあった。 演目の一つにクリスマスキャンドルサービスがあった。 裸火を子ども達に持たせること事態どうかと言う疑問もあるが、それはそれでその園の方針があってのことだからいいとは思うが、よりによって火を持っている子ども達に向かってクラッカーを発射する先生がいた。 クラッカーのリボンが幸い手元のろうそくの火にかからなかったものの、子どもの頭には引っかかっていた。 もう少し安全について考えて欲しいと思った。 しかも、会場は身動きがとれないほど人がいるのだから。
ひたすら消火器の位置を確認していたのはオイラだけだったのかもしれないが。
最近家族で風邪のキャッチボールをしてしまっていたが、遂に一番弱い秀次に風邪が行ってしまった。 オイラは最近回復傾向と思ったいたら、、、、 あらら、と言った感じだ。
ここ数日で寒暖差が激しい。 最高気温の高い日は本当に穏やかな陽気だが、気温が低くなればなるほど北風も強くなってくる。 となると体感温度も下がっていく。 ある意味悪循環だ。
これだけ激しいとなかなか風邪も治ってくれない。
だんだん暑くなってだんだん寒くなっていってくれればいいのだが、自然はそんな風に都合良くは変化してくれない。 それは風邪の症状と一緒だなあと思う。 だんだん良くなっていってくれればいいのだが、風邪対策をちょっとサボるとあっという間に悪化する。 反対に劇的に快復するときもある。
早く良くなって欲しいものだ。
散髪。
髪の毛を散らすのか。 歌舞伎の舞踊みたいで何かピンとこない。
髪切った。 音だけ聞くと「噛み切った」に間違えられそう。
床屋に行った。
うむ。 これなら腑に落ちる。
てなわけで、床屋にいったら頭がスースーする。 頭にのってる髪の毛は頭を保護してくれてるから、それはそれでとても嬉しい事実。 だけど、ほったらかしにしておくと、だんだんうっとーしくなって来る。 放っとくとひたすら伸び続ける厄介な友達。 ヒゲもそうだ。
首から下はよほどの理由がないと切ったりそったりしないけど、何故かこの二つは切ったりそったりしなければいけない。
ちょうどいいところで止まってくれればいいのに。
だけど、それが生きてる証し。
うーむ、なんとも腑に落ちない結末。 可能性を探るだけで結論を出しているのみ。
結局動機には一切触れられず。 猟奇殺人だろうが恨み辛みだろうが人の行動には必ず動機がある。 しかも人の命を大量に奪う人間だ。 例えば人を殺してみたかったとか、いう快楽殺人もあるが、やはり動機は存在する。
被害に遭った人たちが一番知りたいのはそこだと思う。
「何故自分の命が狙われたのか」
この問題が解決しない限り、事件はいつまでも終わらない。
2002年12月10日(火) |
CD「CHAGE&ASKA/STAMP」 |
CHAGE&ASKAの(初)セルフカバーアルバム これまでにも少しづつこういったリメイクっぽいことはやっていたが、アルバムと言う形で発表されるのは今回が初めてだ。
このアルバム聞きながらズーッと鳥肌がたっていた。 こんなにもパワーがいるのか、ということに恐れ入った。
「SAY YES」の爆発的なヒットにより彼等は地位を手に入れた。 同時に彼等に対する確固たるイメージが出来上がっていた。 何時しかそれが彼等の呪縛になっていた。 今回のアルバムは、その確固たるイメージをぶち壊すアルバムだと感じた。 当人達は様々なインタビューで「面白いと思ったことは全部やった」と話している。 裏を返せば、今まではそれが「できなかった」のだ。 彼等は自由を手に入れる為にこのアルバムを作った。 そう理解している。 そして、そのために行なった作業がこんなにも凄まじいものかと感服する。
もちろんアルバム自体とにかく出来がいい。 素晴らしい。
「SAY YES」の呪縛から解き放たれた今後の彼等がどんな活動をするのか楽しみだ。
昨日今日と二日連続での稽古。
オープニングのダンスのフォーメーションやボチボチと始めた立ち稽古を行なった。 稽古への出席状況がなかなか芳しくない。 同じ場面に出ている役者がすれ違いで稽古に来ることが多く、結果同じ場面を2回ずつやっていくしかない状態だ。 でも、それは社会人劇団の宿命として受け入れてやっていくしかない。
暫く前から劇団員一人一人にいろんな話を聞いたり自分の思いを伝えたりする作業を行なっているが、人によって様々だから面白い。 純粋に芝居の話になったり、集団との関わり方の話しになったり、人生論の話しになったり。 それだけ、劇団に対する接し方も多様化しているということだと思う。
時に分かりあったり時に平行線だったり時に対立したりはするけど、そうしていく中で相手のこともよく分かるし、きっと相手もオイラのことを分かってくれてるんだと思う。 やはり人と人との関係はお互い様で成り立っているんだと思う。
そこを自分の問題に目をつぶったり逃げたりすると、結果出て来る言葉は他人の責任になっていく。 そしてコミュニケーションは不能になっていく。 でもそれは甘えだと思う。 相手に問題があるとしたら、それに対して影響を与えている自分にも責任があると感じなければならない。 それが人付き合いだと思う。 役割意識も大切だがそれだけでは割り切れないものもあると最近実感し始めている。
これからもいろんな人と話をしていきたいと思っている。
走ろう会当日。 前日の雨も上がり、グラウンドコンディションが今一だが何とかできる状況になった。 ただ、雨上がりだけあって寒風吹きすさぶ非常に厳しいコンディションとなった。 それにも係わらず2000人程度の参加者が集まってくれて、非常に嬉しいかぎりだ。 競技も滞りなく終わり、ホッとした。
こうやって雨が降ると一瞬にして今までの苦労が水の泡になる大会は、ほんと天気に一喜一憂だ。 今回は前日の予報まで朝まで雨が残る予想だった。 だからこそ、開催できたことそのものの喜びがとても大きい。
やれやれと入った感じだ。
走ろう会の準備を完璧にして、明日の天気に憂慮しながら劇団TENの稽古場へと向かう。 うちの劇団から一人客演するので、一緒に顔出しと稽古へ赴く。
稽古場について一通り自己紹介を終えて、稽古をした。 稽古の具体的状況はネタバレ等差し障りがあるので具体的な状況は省くが、劇団代表のオイラにとっては満足いく結果になった。 周りのTENの役者の反応もまずまずだった。 ただ、やはり名古屋も栄よりも南側は遠いなあと言う感じだ。
しかし、いきなれたTENの稽古場だが客演の役者と顔見せだと思っていくと、それなりの緊張がある。 果たしてうちの役者が通用するのか? みんなに迷惑はかけないだろうか? 受け入れてもらえるのだろうか? その他諸々。 頭で考えていて絶対に大丈夫だという確信があっても、やはり現場では緊張するし不安もつきまとうものだ。
先ずは第1段階が終わってホッとしている。
お互いにとっていい結果に終わりたい。
昨日に引き続き走ろう会準備!
相変わらず天気予報は芳しくない。 そんな状況でテンションが上がらないが、やることはやっておかないといけないのでテント張りやライン引きなどの準備をする。
そう言えば昨日犬山市で野生の猿が目撃された。 それが今日はなんと走ろう会の会場である緑地グラウンド周辺に迷い混んだと言うことだ。 準備をしている傍ら、何度も関係者の車が行き交う。
先日他の場所で猿が女性ばかりを襲う事件があったばかり。 その所為で周囲には緊張感が走っている。
走ろう会当日この猿が何もせずおとなしくしていてくれればいいのだが・・・
昨日雨が降って一日流れた走ろう会の準備。 気温が高くて汗ばむくらいの陽気だ。
スタートゴール地点となる緑地グラウンドに看板立てたりラインを引いたりと、体力的には結構しんどい作業。 今のところ1500人程度の参加が見込まれているが、その人達を安全に誘導できるよういろいろと考えながら位置取りをしていく。 一番もめたのが開会式の指令台の位置だった。 これがなかなか決まらない。 実際の位置にラインひいたりしてシュミレーションしながら検討していったが、位置によって見切れが問題になったり、開会式のスペースがとれなかったりと問題点が出る。 行政のイベントはお客さんが二通りいるのだ。 一つは参加していただく住民の方々。 もう一つはイベントを見に来ていただく来賓の方々だ。 両方をどうやって満足していただくかということに神経を使うのだ。 オイラは基本的に来賓は半分内輪なのでどうでもいいと思っているのだが、そこはお役所。 簡単に蔑ろにはできない。 そこがつらいところ。
てなわけで、一日グラウンドで何やらかんやらとしていたら、事務仕事が何もできなくなってしまった。 明日も準備が続く。
でも天気予報が・・・・(泣)
話は変わるが、今日同僚の一人が退職する事実を知った。 やっと踏ん切りがついたかと思う反面、そう決断せざるを得なくなった環境に胸が痛む。
数日前から胃がムカムカしていた。 これはいろいろなストレスか? と思ったらナニがだんだん緩くなっていった。 ストレスなら酒が進むが飲みたいとも思わなくなっている。 煙草も吸いたくない。 咽も痛くなってきた。
おお−、これは風邪だ。 しかも胃腸に来てるな。 てなわけで、薬服用中。
今週日曜日に年末の大イベント走ろう会だが、予想気温が最低0度、最高でも6度! 寒そ〜〜〜〜う!
早く寝て風邪を治さなきゃ。
2002年12月03日(火) |
衣装探し&劇団TEN見学 |
本日は衣装探しの日。
(役者もやっている)衣装チーフとデートだ。 とは言っても相手は既婚のお姉さんなので胸のトキメキもいまいち(失礼!) そして、せっかく大都会ナゴヤへ行くのに、オイラは無精髭にいつもの格好(汗) でも衣装チーフはしっかりとナゴヤを意識した格好だ。 うーむ、どっから見てもデートには見えない。
以前ニュースステーションで「100円にかける男達」という特集でやっていた長者町問屋街にある(であろう)お店を探しに行く。 車でグルグルと辺りを捜索するが一向に見つからない。 仕方がないので近くの交番で訪ねてみるが、それでも分からずいろいろと訪ねてもらって、ようやくここではないかなと言う場所へ赴く。 若い女性もおばちゃんも結構この店に入っていっている。 ここかな? あれ? 何だか変だぞ? 確かに安くは売っているが桁がちょっと違う。 うーむ、あれがこの店だったのかな? まさかテレビ用に100円にしただけだったのか!? という失望とも絶望とも言えないわけの分からない気持ちのまま店を後にする。
衣装チーフがちょっと小腹が空いたので、ケーキで有名な栄の喫茶店に行く。 何となくデートらしくなってきたぞ! でもやっぱり不似合いなオイラ。
しばらくして以前劇団員の結婚式の時にお会いしたブライダルプロデューサーの経営するお店へと赴く。 栄の一等地にデーンと構える立派なビル全体がこのオーナーの物だ。 きっと太っ腹に違いない。 言ってみたらやっぱり太っ腹だった。(いや、その、体型が。じゃないよ) 次々と目の前に並べられていくドレス。 使われなくなったものや、よーく見ないと分からないような破損のあるものまで、どれでもいいから勝手にもっていっていいよ、ということだったので、今回使うものと、この先使えそうなものをいただくことにした。 しかし、結婚披露宴で女の人が着るドレスがこんなにも重たいものだとは思わなかった。 こんな重量物を背負って平然として披露宴に臨んでいる女性は大したものだ。 でも、ほんとに重たい! 芝居の衣装にするには、役者の多少の忍耐と多少の加工が必要だ。 何はともあれこれだけの衣装を譲っていただいたプロデューサーさんに感謝感謝だ。
その後劇団TENの稽古場見学。 今回うちの劇団に一人客演のオファーがあったので、名古屋に出てきたしちょうど良い機会なので稽古場にお邪魔することにした。 稽古場は以前拝見した通りの活気のある稽古場だった。 うちの劇団とは確実に違うこともいくつかあった。 まだまだ稽古の序盤ということで台詞のこなれていない人が多かったけどやるにはみなぎっているように見えた。 でも同時に、うちの劇団員が客演しても大丈夫だろうか?迷惑をかけないだろうか?見たいなことも気になったりしながら稽古見学をした。 出るであろうシーンの稽古も見せてもらった。 あーこうなるのね、みたいに妙に納得しながら。 稽古終了後、劇団の皆さんに挨拶をさせていただいた。 煮るなり焼くなり好きに遊んでやって下さい、とお願いをした。 劇団TENにとってもうちの劇団にとってもいい意味での人的交流になればいいなあと思っている。
帰りは41号沿いの横綱ラーメンに立ち寄る。 いつもは、人ではなく車が行列を作っているというお店だ。 気合いを入れて大盛りを頼む。 しかし、しかしである。 オイラが歳を取ったせいなのか分からないけど、一口目は美味しかったけど、その後は大したことなかった。 言ってみれば味が濃すぎる。 何だか家の近くのしょうゆラーメンが恋しくなった。 そんな感じだ。
せっかくのデートも(まだ言うか!)ラーメンがイマイチの所為で、せつない締めとなった。 とほほ。
でもいろいろと収穫のある衣装探し&稽古場見学だった。
2002年12月02日(月) |
扉座「いちご畑よ永遠に」 |
毎年扶桑文化会館に公演しに来てくれる扉座の芝居「いちご畑よ永遠に」を観る。 毎回会館さんの好意でチケットをとってもらうのだが、いつもいつもいい席ばかりで嬉しい限りだ。 好意に甘えてばかりもいられないので、できる限りお客さんを増やそうと今回は劇団員以外にも声をかけ、自分の芝居で人を呼ぶくらいの人数は集めることが出来た。 でも、ふたを空けてみれば所々に空席が目立った。 非常に残念だ。
もちろん自分自身がこの小屋の建設に関わった分、ここで様々な公演が行なわれてお客さんが喜んでくれること、それだけで仕事をしてよかったと思えるのだが。 だからこそ、一杯になって欲しいと思う。
さて公演の方は、ジョンレノンの生涯を最初の妻シンシアを軸にして進められていく展開だった。 自分自身ジョンレノンに関するいろんな著作物やビデオ、映画なんかを割と観ている方だと思っているので、お話自体はすんなり入ってきた。 むしろ、どんな切り口でどんな思い入れがあって芝居を作っていくのかと言うことに興味があった。 特にシンシアを軸に芝居を進めていく当たりで、オノヨーコをどんな風に描いてどんな位置に置くのだろうかとちょっと心配になっても観た。 それはたぶん、オイラがジョンレノンのことを後追いだから新しい(現在の)事柄を否定されると、困ってしまうと思うところがあったからかも知れないし、むしろジョンレノンがここまで愛されているのは、オノヨーコと出会ってからの活動があったからだと思っているからだ。 でも、その心配も何処ふく風、ジョンとヨーコのことも肯定されていて、そしてそれに苦しむシンシアの姿が印象的だった。 演出・脚本の横内さんが思っているジョンレノン像とオイラの思っているジョンレノン像がずれていないことに(何故だか)安心した。 ジョンレノン自身はカリスマでもなく神様でもなく普通の人間だった。 そしてその普通の人間を普通の人間として描いていくことそのものに意味のある芝居だと思った。 だから、芝居を皆がら「そうだよな、そうだよな」といろんな場面で納得しながら芝居を観ていた。
芝居そのものについては、ジョンレノン役の佐藤さんがだんだんジョンレノンに見えてきた。 後半になればなる程、まわりのビートルズの面々とはレベルの違うリアルさがあった。 シンシア役の山田まりあさんも、期待以上に演技が出来ていたことに吃驚した。 演出的にはいろいろと勉強をさせてもらった。 でも、バンドの生演奏がねらいどころやアイディアは素晴らしいと思ったのだけど、演奏そのものに釈然としないところがあった。
釈然としないといえば、仕方がないこととは言え、イマジンを演奏するシーンのピアノが白くなかったことが残念でならない。 ピアノが出てきたその瞬間どうしても現実に引き戻されてしまった。 きっとオイラ自身が小屋を建設する仕事をしていて、そこで何度も観たピアノが目の前にドーンと現れてしまったからかもしれない。 ここまでいろんな場面を忠実に、そして役作りも風貌までそっくりに作ってきて、イマジンのピアノがそれ?っていう、、、、うーん、ショックだったんだな、それまで素敵な夢を見させてもらってた分。
でも、ぐっとくるシーンや台詞がいつくかあったし、全体的にはいい芝居だったと思う。
公演終了後懇親会があって横内さんとも少しお話をさせてもらって。 でも、緊張の余り、普通芝居の感想をいったりするところを、いきなりイマジンのピアノの話をしてしまった。 それでも、誠意ある対応をしてくれた横内さんに感謝だ。
来年の扶桑公演も楽しみにしている。
稽古前に劇団扉座の「いちご畑よ永遠に」を観た。 この感想はまた明日の日記に書くとしよう。
この日の稽古では苦渋の決断が一つあった。 配役の決まっていた役者の一人が仕事の都合で芝居に出られなくなった。 はじめはそれが確実になるまで結論を先延ばししようと思っていたが、本人が「それは劇団のためによくないから」と言うことで、完全に配役変更を申し出た。 演出のオイラも辛いところだが、そうせざるを得なかった本人が一番辛かったんだと思う。 本人の意志に報いるためにも新しくその役についた役者には頑張って欲しいものだ。
しかしながら、配役変更と言うのは簡単そうで実は難しい。 演出はその人の人となりも計算に入れて配役を考え、そして演出プランを作っていく。 一人でも変わるとほぼ初めからと同然にプランの練り直しをしなければいけないのだ。 特に、作りたかった舞台上での人間関係ががらりと変わってきてしまう。 配役を決定してからプランの練り直しを早急にしなければいけない。 オイラの停滞はそのまま劇団の停滞になるのだから。
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