東行庵の軒下で

2001年10月29日(月) ジェット機通勤

ほとんど始発バス、始発JRで職場に向かっているのだけれど、最近、寒い!!しか〜も!今日なんて土砂降りの雨です。
ハメハメハは良いなぁ・・・
雨降ったら、お休みだぜ。広い心を持った人々!!



なしかっ!?
おいおい!止まってくれ〜!!バス停に立っているオイラが見えねェってのかい?
こんな時間でも、利用するヒトが居るんだ、通過するなよ〜〜〜
と、吼えながら出勤。


職場に着くと、雨にぬれているヒトは少ない。どうやら河向こうとこちらじゃ、微妙に天気が違うらしい。
「そっちは雨降ってたんだね〜」なんて言葉を頂戴すると、国境を越えて働きに来ているみたいじゃないかぁ!
「そうそう。こっちじゃもう雪がすごくて、水道管破裂しててさ〜行き倒れとかそのへんゴロゴロ〜。送迎用の戦闘機ハリヤーも今日は機嫌が悪かったみたいでサァ〜、警告灯がついたままやったけ、車検も近いんで修理屋に持っていくって言ってた。・・・そうそう・・、車庫の近くの安全モータースに」



給料が入ったと思ったら、出て行くサマは確かにジェット機並みの早さだけど。



2001年10月27日(土) 残り魚・・

「げっ!!何?このでかいサカナ」
クーラーの底に、得体の知れない色のサカナが・・・
「みんなも見たことないって」

サーモンピンクの鯛型の身体。
白と黒の帯が斜めに入っており、うろこにはコバルトブルーの斑紋が光っている。

ちょっと熱帯魚チックなそのサカナに、誰一人として食欲を見出せなかったらしい。

「でも大きいよ!こうやって少し曲げとかな、クーラーからはみ出すもん。やる。」

大きいけどさぁ〜・・・

「船頭が土産にくれたカニもつけてやるけ、持って帰りぃ」

そんなにまでして、手放したいのかっ!?



マサバと、カワハギと、鯛と、アマゾンチック(なんと、クチから上下に4本の牙が出ていたため、イメージ変更になった)なサカナを持って帰った。

「みてよ、この鱗!!足の親指の爪より大きい!!!」
放射能で大きくなってしまったんじゃ・・・というSFのような危惧を少なからず抱いた我がファミリーは、刺身で食らう勇気が出ずに、煮付けにまわすことに決めた。



















「・・・美味い」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・美味すぎる」



皆が思わず無言で食べ進むほど、最高に美味かったのである。
期待されていた鯛より、マサバの刺身より、だんとつに美味であった!!

ネットで調べてみると、ベラの仲間「イラ」と言う名前であることが判明した。
今度からイラ中心に釣って欲しいなぁ・・

因みに、美味だったことを、釣り連中にはふせている。そしたら、また我が家に回ってくるから。






2001年10月22日(月) 久しぶりに。

琴の音が聞こえる。

そういえば母が、琴の弦の張替え&調律をお店に頼んでいたなぁ〜〜。そうか、復活したのか。

琴の音色を聞きながらの入浴・・む〜。まるで、どこかの風流な温泉@露天風呂にマッタリと入っているようだ・・・。

正月が来たみたいだ。



音色の聞こえる部屋の、ふすまを開けてみると、エプロンつけたままの琴奏者・母オードリー(仮名)発見。
久しぶりの正しいチューニングの音階に違和感を感じているらしい。


10年以上、調律も何もしてなかったからネェ〜間違った音で時々弾いてたからネェ・・と、琴の四角い爪をカチカチ言わせながらつぶやいた。

この爪も、安かったから、弾きにくいのよ、滑りすぎて・・・


確かに、先生のところで購入したと言うツメのほうが、変にツルツルしてなくて良いなぁ・・


そう言いつつも、オードリー(仮名)は、久々の雅な時間を堪能していた。


(琴→ツメ→ピック)+久々=アルフィーヒストリー3

ワタシは、ワタシで、10年前のアルフィーのビデオを久々に見て、違和感を感じる・・・ことも無く、ただただ「やっぱ幸チャンかわいい!!」などとあらためてアル中度を増したのであった。
大阪ファイナル・・・行くか!?





2001年10月21日(日) 本当の自分

「ホントウのお前を知っているのは誰なんだ??」って?
そんなの、自分でも分からないのに、ヒトが分かるはず無いよ。

幸せ、不幸せが本人の心の持ちようで変わるように。

でも、自分だけは気づいているのかもしれない。ただ、ヒトに知られるのが怖いだけなのかも。見せたくないだけなのかも。


分かってもらえるヒトに出会えることなんて、少ないから。

わかって許してくれるヒトなんて、皆無に等しいかな。

それでもさ、自分で作った仮面を取ろうって、もがいたりするんだよ。


ときどき思うんだけど、どれか一つの顔に染まってしまえれば、こんなに悩むことなんてないのにねって。










2001年10月20日(土) 弾き語りって、ムズカシイのね〜

仕事のときよりも早く家を出て、東京へ

[東行]の名前をつけてるからか、この2ケ月で4回も東京に行った。


今回は秋葉原のスタジオでのライブだった。

普段あえないから、会う機会のあるうちに・・と、ブッとんでいったのさ。



初対面の方はもちろん、知っている面々が緊張してステージにあがっているのが、新鮮で、ちょっと驚いた。

「STAGE FRIGHT」
そんな言葉を思い出した。

弾き語りって、難しいんだね〜。自分のペースで演れるから、気が楽だろうなぁ・・なんて思っていたのに。

お客にエネルギーをもっていかれそうになる時もある・・って、誰かが言ってたっけ。



ファンのコサートレポートを読むと、よく「OOさんのライブをみて、チカラが湧いてきました」なんてコメントがある。そのアーティストは「ライブをやって、客席からチカラをもらうんだ」なんてコメントしてたりする。

それって、まずステージからチカラを送って、元気になったオーディエンスからチカラが帰ってくるって事なのかなぁ・・・

チカラの奪い合いでなく、チカラのキャッチボール。(←古臭い表現だなぁ)
それが、チャボさんや幸ちゃん達の仕事、なのだなぁ。


それは太古の昔、演じる者と観る者に分かれたときから変わらない、法則みたいなものなのかなぁ。

















2001年10月19日(金) U波???味覚党???

「これ見て、どう思う??」
と、心電図の波形を見せられて、それまで弁当の話で盛り上がっていた室内がし〜〜〜ん・・という音がしそうなくらい静まり返った。

あちゃ〜オイラ??
心電図担当(通称シンデンター)は、あいにくオイラ一人しか居なかった。

問題を投げかけたほうが気を使って「・・い、いや、自分の思い過ごしと思うけど」などとフォローして、「実はこれこれ、あれこれで・・」と意見を述べ始めた。

・・・すごいなぁ・・ドクター並みの観察力だなぁ・・と感じるより、自分もそれでメシくってるんじゃんか!!(パートだけど)と、焦りを感じた。

ちょい・・つうか、めちゃ凹み中。



2001年10月13日(土) 晴れのち時々流星

蜂の王様へ

遠くへ、旅をしようね・・
とっておきの景色をみせてあげるよ。


船に、釣具をつみこんでさ、あの島に渡ろう!
岸壁に腰掛けて、釣り糸をたらそう。釣れるさ。アジや、かわはぎ、ちょっとやっかいなバリ。
いわしだって、釣れるよ。いわしの腹の、青いラインはとっても綺麗なんだから。

潮が止まったら、昼寝中の猫を見て歩こう。島のネコは親戚同士だから、顔が似てるんだよ。

オナカが空いたかい?
これはオニギリって言うんだよ。中にはいってるのは、鰹節?昆布?鮭?
梅干はね、釣りの時には持って来ちゃだめなんだよ。
何故って?
師匠が言ってたんだよ。意味までは、教わってないけどね。


・・・風向きが変わったね。
太陽が西に傾いたね。

迎えの船に乗り込む時は、なんだか足取りが重いね。

・・・わかってるよ。その一言が言えないんだって。

二人の「旅」は、決して「暮らし」にはならないんだって。

でもね、「暮らし」は終わったら続けられないけど、「旅」は終わっても、また新しい旅を始めることが出来るんだよ。

思い出は、いくら増えても重くないから平気だよ。
だから
また、二人で旅をしようね。

たくさんの思い出たちが、果たせない約束を、過ぎ去る時間を嘆いてもさ。














2001年10月10日(水) ライブの次の日

まいった、まいった・・

ホテル(?)の門限に間に会わなくて、怒られたのなんのって!!
(この年になって、怒られてるよあたしゃ〜)

だって、23時だってのよ。門限。
昨日、ライブ終わったの22時30分でしょ?



間にあわないってぇの。




もう、鍵とか閉められちゃっててさ・・・
遅くなるにも程がアル!って






でもね、激しゅう怒られたけど、その後、「お風呂入ってないんでしょ?今からでも入んなさい」って、お風呂に入れてもらったのさ。
ごめんなさい、規則を守れなくて。




ヒトに迷惑かけるくらいなら、少々高くても門限の無いところを探すべきだね、と、反省。










明けて今日。
伝馬町牢屋敷跡(十思公園)を訪た。
延命地蔵の祭られている付近が、処刑場のあったところらしい。
吉田松陰先生終焉の地に手を合わせた。


処刑場跡なのに怖くは無かった。
昨日の夜の渋谷の街のほうが、不気味で、恐ろしかった。




























2001年10月09日(火) チャボさん誕生日おめでとう


一人だけでギター1本で、ステージにあがるって、どんな気分なの?
やっぱり緊張するの??チャボさんでも??
逃げ出してしまいたいときもあるの?
ステージは、場数だっていうけど、そのたびに怖さも増すって
本当なの?
エルビスプレスリーも、本番前は吐き気をもよおして、トイレにこもっていたって。
その恐怖を押してまで、ステージにあがるのは、ステージがチャボさんの居場所だから?




一番初めに買った、チャボさんのアルバムは「絵」
子猫が時々見せるような、切なさを感じたよ。こんなに繊細なヒトが、一人でステージに立つなんて、と、少し心配した。

(先に「Book」を買っていたら、そんな心配しなかったかも?)

その後、「Great Spirit」に触れたんだ。順番に買わなくてごめんね。
でも、なんだか「砂漠」にひかれて、買ったんだ。
ちから強さに驚いた。ますます好きになったんだよ。

「糧」「荒野で」「いつか笑える日」「慕情」「BlueMoon」・・・


誕生日の主役から、こんなに素敵なプレゼントをもらうなんて。
なのに、ギブソンも、フェンダーも、プレゼント出来なくてごめんね。

アンコールで、ギター型のケーキが出てきたとき、「ケーキ型」といっていたようだけど、ケーキ型のギターのほうが良かったのかなぁ?一年に一回の「Birthday」と、一年に364回の「An Birthday」を祝えるもんね。

チャボさんが最後に歌ったうた。
この前、ベトナムの子供たちが、スクリューに巻き込まれる危険を省みずに、フェリーに手漕ぎボートで近寄り、しがみついて船内に這い上がって、モノを売ってるとこをテレビで見たよ。一家をささえてるんだ。小学生くらいなのに。

「都会に行きたくないの?」という質問に
「都会に行ったら、僕と同じくらいの子がヤクにまみれたり、盗みをやってたりしていたよ。僕は、ここでの仕事があるだけ、幸せだよ」
って答えたんだ。

「自分の仕事を思い浮かべながら、聞いてくれ」ってチャボさん言ったけど、
今、わたしのやってることは、仕事でもなく、労働でもない。
ままごとの延長みたいなものなんだ。

ステージに立つのが「仕事」なんて、凄いことだと思うよ。







来年、わたしがまだ、この「東行庵」の軒下のネコだったら、少しはマシな感想かけてるかなぁ?凄い最悪の文章なんだ。今。書けば書くだけ、自分の気持ちから遠ざかっていってるのがわかる。くやしいなぁ。
何度、文章を書いても、ひとつも自分の気持ちを出しきれたものは無いんだよ。

これ書いたあと、逃げ出しちゃうかも・・・

























































































2001年10月06日(土) 功山寺へ行ってきました!

ことのほか早く、仕事が終わったので、ちょんのちょっくらちょんと、山口県の長府にある、功山寺へ行ってきちゃった。
ごめん・・幕末に興味ない人・・

山門へ続く長い階段を、高杉サンは馬で一気に駆け上がったんだって。
木立が生い茂り、涼しい風が吹き抜けていくこの階段。

彼が挙兵した時は12月15日、夜。長府は大雪に見舞われていた、と当時の記録にある。

深雪に埋まったこの道。澄んだ月が雪を青く照らしていたかもしれない。
青い雪色の炎。静かにそして、確実に鉄をも溶かしてしまう高温の炎。
馬上の高杉サンの胸中だったかもしれない。

「・・・死後に墓前にて芸妓御集め、三絃など御鳴らし御祭りくだされ・・」
少数の兵力を率いて、ここで兵を挙げたとき、彼は遺書らしきものを残した。
26歳だったって。
生涯ただ一度の賭け。死を覚悟しての。

この功山寺の藩内クーデターは成功して、「尊王攘夷」は、「尊王討幕」へカーブを描き、後の明治維新へ続いていく。
しかし彼は「大政奉還」の6ケ月前に、息を引き取ってしまうのだけど。

明治へこの国を繋げた、幕末の志士たち。
今の日本を見て、なんと思うだろう。今の世界を見てなんと思うだろう。

ワタシは今年、30になった。
なのに、未だにフラフラしている。
馬上の高杉さんの目に、怒りと落胆の色が見えた気がした。










2001年10月03日(水) ちょっと、信じられる!?

あたしゃ〜こっそりと、30になっちまったぜぃ!!

占いババァに
「おまえは、30になった晩、満月ロードを通って[おじゃる丸]と交代するのじゃ〜〜〜」なんて予言されてネェだろうなぁ・・・・

今日のお月サマは、とびきりデカイぜ!!


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