おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
12年間、1000年以上前に死んだ御大師様のお世話をし、決められた行を成し遂げるのは簡単ではないが、しかし、それでひとりでも仏になれた人間はいるのか?
いるというなら、そこに行こう。 見ている方も、権威にひれ伏し、感心しているだけでは意味がない。 本当に、それがすごい、あるいは素晴らしいと思うのであれば、その道に行けばいいのに、感心してみせるだけで何もしようとしないのは偽善者だからだ。開き直る人もいるが、「偽善とは悪そのもの」と知れば、安易に逃げることはできまい。 最近かどうか知らないけれども、テレビ番組を見ていると、食い物とセックスと金と、それらにまつわるあれやこれやにしか興味のない、動物的に生きている人間が多いように感じられる。むろん、それらは生きてゆくのに必要だが、それそのものが人生の本分ではないということだ。 最後に、「宇宙(真理)を知ろうとする人間の底知れぬ情熱」といった意味のことを言っていたけれども、それこそ人の人たるゆえんであって、動物にはない。せっかく人として生まれてきたのだから、人と世界の存在する意味を探求してこそ万物の霊長といえる。 キミは人か、それとも動物か?
おおみち礼治
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