おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
トヨタ:「死に近い体験」女性が涙の証言 米公聴会
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100224k0000e020021000c.html 自国の自動車会社が瀕死状態で、トヨタのひとり勝ちは許さないというのが本音。アメリカによるトヨタつぶし。政治のぎくしゃくも反映しているかもしれない。ここでトヨタの力をそいでおかないと、自国の自動車産業が盛り返すチャンスがなくなってしまうという判断。だから、いくらトヨタが誠実に対応しても、あら探しをして貶めるのはあきらか。それが目的なんだから。 だいたい、リコールにしても、その程度と頻度を見極めて、会社のダメージを最小限に抑えようと計算するのは当たり前で、どこでもやっていることだ。あからさまなのはむしろアメリカの方ではないのか。損得勘定オンリーで、心がない。 本気でトヨタはけしからんと思っているのだとしたら、なんと簡単に洗脳されてしまう、表面しか見られない単純な人々なのだろうと呆れかえるほかない。たしかに多少の欠陥はあったのでしょうから、そこは言い訳できませんけどね。この大騒ぎから透けて見える本当の目的から、アメリカの精神性と頭の悪さを見せつけられているようで、気持ち悪くて仕方がない。「恥を知れ」って、言いたくなることはたいてい自分のことなんだよ。
一般論(多数派)の逆説をとりたがるのがB型性格らしい。一般論が必ずしも正しいわけではありませんが、「そうだよなあ」と盛り上がっているところで、まったく逆のことを言い出し、不愉快に思った多数派が論戦を仕掛けても、B型性格は頭がいい(人が多い)ので負けない。
どんなにその論説が正しくても(論破できなくても)感情は別なので、気に入らないものは気に入らないと思う人も多い。だいたいは、そう思いたいだけであって、言葉で(理屈)は後からなんとでも付けられますからね。ただ、いちど「この人はB型性格」と分かってしまえば、だいたいなにを言いだすか分かるので、そんなに気にはならなくなる。 あの人また言ってるよ、というのではなく、こういう見方もありますよと、いわば右側――思想的な意味はなく、質の違いを例えて右側といっているのですけれども――からしか見えなかった物事を、左側から見せてくれる貴重な存在なのだ。だからといって、左側に真実があるわけではない。右側にもない。真ん中の道を理解するための、指標を与えてくれているのである。 自分が思っていることと反対のことを言われるということは、自分が偏っている(中心ではない)ということだ。指標であるところの彼の論説自体に意味はない。であるから、相手にしても仕方がない。理解すべきは、真ん中の道であろうと。
日本の批判体質にはうんざり、これから私は批判しない、と言いたくなる気持ちはわかるけれど、難しいと思う。うんざりするということは、それが気になって仕方がないからだ。気になって仕方がないのは、相手と同じ次元に住んでいるからである。また、「批判しない」と言うこと自体、これまでいかに自分が批判しまくっていたかを現している。
それを突然「批判しません」といったってほとんど無理で、出来た(ように見えた)としても、口に出さなくなるだけで、頭の中では批判が渦巻いていたり、もしくは考えないようにと、ぐっと批判したくなる気持ちを抑え込むくらいだろう。 抑え込むと、圧力を高めることになるから、いつかは噴出する。右(批判する)にぶれたものは左(批判しない)にぶれる。逆も然り。そんなことをしていても、ぜんぜん進歩がない。 なぜ、他人というものが存在するのか分かれば、批判する・しないという二元の世界を離れて自由になることができる。要するに、自他を分けているから二元の世界に迷い込んでしまうのだ。何がどのように見えようが、それは己が見せているのである。
お世話になった人が亡くなればショックだ。
それについて「自分は彼に匹敵するほど意味のあることができるのだろうか」とつぶやいている人がいたのだけれど、意味のあることってなんだろう? 仕事の話しだろうか? だとすると、極端かもしれないが、たとえば植物状態の人は無意味な人生だということになる。だって、仕事をすることができないんですからね。私はいい仕事をして意味のある人生を送ることができました、というのかもしれないが、それは、いい仕事が出来なかったら無意味な人生だと言っているに等しい。そうやってまた、○○でなくてはならないと不自由の元を作る。 仕事云々という狭い了見ではなく、どのようであれ、人として生まれてきた、すべての人に共通する理由があるはずだ。意味がある、というならそこなのではないか。
おおみち礼治
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