おおみち礼治のてくてく日記
DiaryINDEXpastwill


2004年06月21日(月) ■ネットショップ(7)

■ネットショップ(7)
 某オークションサイトに出品したサプリメントですが、まあ、直接だったわけではないのだけれども、薬事法を遵守してください、と指導が来た。
 あうー。
 いい加減なことは書いてないのですけどね。表現の仕方にまずいところがあったらしい。真面目にやっているのに、重箱の隅をつつくようなことを言われて、正直、弱いものいじめをされているようで、ちょっと不愉快なんですが、まあ、見直そうと思います。最悪の場合どうなるか、ということを考えれば、そうせざるを得ません。もしものことがあれば、メーカーにまで迷惑をかけることになる。自分がそれで快適かどうか想像すれば、感情は別にして、どうすればいいのかは自然と分かります。

 つい先日、ガンに効くという健康食品を販売していた業者が摘発されましたが、これは薬事法そのものがどうこうではなく、その法律を施行する側の都合だとか、そういうものが見え隠れして、ああ、いまの世の中というのはそういうふうに出来ているのだな、と思わされたりもしました。
 ○○に効くという表現は、健康食品には認められていません。が、ちょっと見回せばそんなものは溢れかえっています。その溢れかえっている中で、どうして「それ」だったのかというと、やはり裏側を見ないと分かりません。
 何から何まで法律を遵守しなければ、直ちに捕まって罪を着せられる……わけではもちろんない。もしそうなら、某首相なんて真っ先に捕まっていると思いますけどね。

 話がそれました。
 おそらく、ミソは、使用者からのクレームがない、もしくは、隠されている――お金を渡すなどで、クレームが「表に出てこなければ」、基本的に法的に厳しく対応(処分)されることはない。と、断言して良いものかどうかは分かりませんが。
 クレームが出ているのに、関係省庁が何も対策しないということになれば、これはマスコミの格好のエサニュースになり、責任問題になりますから、はじめてそこで実際的に対応するのですね。捕まった業者の場合、効くと言っているのに効かないじゃないか、というようなクレームだったのかもしれないし、クレーム処理を間違えた結果かも知れない。とにかく、ちくられた、のですな。

 本当にいいものを紹介して、使ってもらって、それで良くなってもらえたら、こんなに良いことはないと思い、様々なことに注意を払って、気持ちを込めて丁寧にやっている、そのことに、一方的にクレームを付けてくるような人は――いるかもしれない。
 だから、見直さなくてはなりません。


2004年06月10日(木) ●ニュースの見方

●ニュースの見方
 たとえば、三菱ふそうのニュースなど典型的だと思うのだけれども、最近の事件・事故のニュースを聞いていると、ほとんど同じパターンのように思える。
 つまり、「このまま放っておいて、ばれたらやばいけど、キチンとやろうとすると大変だし、ま、大丈夫でしょ」という無責任さ、自分自身への無関心。これは、言われる方も言う方も同じですね。事件を起こした人、会社を非難するのは簡単だけれども、重要なのは「では、自分はどうなのか?」という点でありましょう。
 まず、自分の手の届く範囲で、無責任にしている所はないだろうか? とチェックすべき。もし、適当にしている箇所があればしっかり直す。なければないでいい。ニュースから、あんたはどうなの? と問いかけられているのですね。自分のことを棚に上げて、他人のことをとやかくいう権利なんて誰にもありません。
 まあ、他人のことを、馬鹿とかアホとか言ってた方が楽だけどね。自分を見つめることをしたことのない人は大変だ。だが、自分で自分の原因に踏み込んで(認めて)いかない限り、根本的にはどうにもならない。それは感じているはずだ。


2004年06月06日(日) ●虎の尾に花が咲きました●ネットショップ(6)

●虎の尾に花が咲きました
 2、3年前に780円で買ってきた虎の尾(サンセベリア)に花が咲きました。
 はじめてみたのでビックリ。
 買ってきた時は、葉が2、3枚しかない、ちっちゃなものだったのですが、いまじゃ体長(?)70センチ、胴回りは80センチを超える大物に成長いたしました。
 虎の尾は、以前、あるあるで紹介されマイナスイオンを放出するというので一躍有名になり、我が家でもその流れに乗って(^^;購入したのですが、これ、丈夫ですね。
 夏はこまめに水をあげますが、15度を切る冬場は放ってあります。
 で、巨大化(笑)。
 毎年、鉢を大きなものに替えてあげています。

●ネットショップ(6)
 サプリを扱うネットショップを始めて、某オークションサイトに出品してみたのだけれども、全滅。で、諦めきれずに、紹介文をよく練り直して再出品。
 やっと、ひとつ売れました!
 ううっ、苦節48年……(なんだそりゃ)、やっとですよ、本当にやっと。
 でも、目立つところに表示されるようにコストをかけたから、まだ赤字(^^;。この調子で売れてくれるといいんだけどなぁ。いまのところ、小遣いにもならないくらいだからね。当たり前だけど、甘くないっす。思いつく限りのことをやって、やっとちらほらとサイトを見に来てくれるという感じで、まだなかなか売り上げには結びつきません。

 他の最大オークションにも出品しましたが、サプリメントに関しては、あそこはとにかく安いものか、名が通っているものしか売れないようです。
 サプリの世界で、掘り出し物はない、安ければいいというものではない、ということを説明しても、でも高いんでしょ、という感じで見向きもされない。そりゃ、最高品質の原材料を使って、有効成分を壊さないようにコストのかかる製法を採用しているのだから、ある程度の値段が付くのは当然なんだが――それは分かるんだけど、やっぱり安いほうがいい、と言う人ばかりで残念だ。
 定価1万円が5千円! なんて売り方をしているのを見ると、原価いくらなの? と聞きたくなってしまう。消費者にはお得に見えるんでしょうなぁ。
 だけど、それは安物を売るための戦術に過ぎない。

 いまは、偽物が売れて、本物は見向きもされない時代らしい。まあ、いいけどね。本物志向の、本当に良いものが分かる人に買ってもらえればいい。
 そういう人がどれくらいの割合でいるのか分からないのだけれども…。


2004年06月05日(土) ●最近のニュースから

<小6同級生殺害>「どこでも起こり得る」 教育現場に不安
 ネチケットを守りましょう、マナーだから、などと言ったところで、なぜそうしなくてはいけないのか納得させられなければ意味がない。そうでないと、ああ、大人は、また口先だけ、建前だけなんだな、と見抜かれ、あきれられ、やっぱりこいつらは信用ならないという思いを強固にさせてしまう。

 そうしていたらどうなるのか、しなかったらどうなるのか、それで自分が本当に自由か、快適なのかどうか、すっとした気持ちになれるかどうか。徹底的にシミュレーションさせたい。あとは、まあ、これもシミュレーションに含まれるけれど、許すことと謝ること。誰だって聖人じゃあないのだ。
 謝ればすむということではないが、ただ、いまの世の中は、自分が悪いことをしたら謝るのが当然――ということが当然ではなくなり、都合の悪いことがあれば裁判に訴えて、勝てば正義という、自己責任も何もない、言いたい放題、やりたい放題なのが当たり前になってしまった。頭がいいのはいいし、力があるのもいいけれども、中身が下衆では話しにならない。そこのところが忘れ去られ――というより、どうしてそこが大切なのか真に理解されないまま、単なる建前に落ち着いてしまい、表面的なことばかりが追求される世の中の必然的な結果がいまある。そういう世の中まま、このまま進んでいって、果たして人間はやっていけるのでしょうか……?

 ネットもカッターも材料に過ぎません。もし、それが問題だというなら、世の中は凶器に満ちあふれていることになります。エンピツ然り、コンパス然り、筆箱然り。投げつけて当たり所が悪かったら死んでしまう。カッターが自分で勝手に飛んでくるわけではなく、投げつける人間がまずあるのだからね。
 また、それを招いた自分がまずある、ということをこの事件に当てはめるのは、子どもだし酷かも知れないが、しかし、人間が作りだした法律だなんだという前に、そうすればそうなるという法則というものがある。善悪ではないよ。タダの原因と結果。
 子どもを取り巻く大人にしてみたら、子どもをそのようにしてしまった大人がまずあるのだから、何か改めなくてはいけないのだとしたら、子どもがどうの、教育がどうのというより前に、大人自身の態度でありましょう。
 もっというなら、態度を改めるというのではなく、物事の理解を深めることですね。たぶん、それだけでいい。
 たとえば、発したものは返ってくる、というただこのことだけを理解するだけで、世界はだいぶ変わると思うんですけどね。

<年金改革関連法>民主党の「秘策」不発 議事与党ペースで
 いやー、議員さんって大変ねー。(笑)
 って、笑っちゃいけないのかも知れませんけどね。引き延ばし作戦なんて、わしが与党議員だったら、「カーーー!」とか叫んで頭を抱え、発狂してしまうかも知れない。(笑)

 一度完全に解体しなければ、政治は何も変わらないでしょうねぇ。でも、解体といったって、それを拒む勢力――わしに言わせれば業というものがはびこっている以上、できるはずもない。映画のデイ・アフター・トゥモローみたく、国が壊滅するくらいの自然災害でもあって、完全に「それどころではない」状態になり、日本だけでなく世界の人間の意識がひとつにまとまるというようなことになれば、すこしはすっきりするかもしれない。
 それはともかく、秘策といっても、いつもの見せかけの大騒ぎのように思えますねぇ。結局どうにもならないにせよ、反対なんだぞ、というアピールをしないと(しなかったらしなかったで、またそれは批判されるから)いけないということも分かりますが。

「波紋広がり心痛む」皇太子さま、発言を文書で説明へ
 発言の真意をうかがうとかなんとかではなく、宮内庁の各人が、自分の胸に手を当てればいいだけのことだ。いちいち皇太子さまに言わせなくともいいことです。

「パラサイト」景気に悪影響!?第一生命経済研試算 住宅投資落ち込み
 社会人になっても、親にパラサイト(寄生)している人が多い、というお話し。
 わしもそうだからねぇ。
 ちょっと目にとまったのだった。
 ニュースとは何の関係もないのだけれども、いろいろと思い悩むことはあっても、でもやっぱり本当はちょっと違うんだな、と認めても良いかな、と思えるようにはなってきた。
 なんのこっちゃだけど、つまりわしは身体障害者だから――いや、内部障害だから見かけは普通の人なので、普通の人のように働いて、結婚して、勝ち組とか負け組とか、そういう概念の中に飛び込んで競争して勝ち抜かなくてはダメだとか、それにしてはいい歳になって、なにもない自分にもどかしさを感じたりとか、いろいろとね。
 だが、朝起きても、スッキリしない体調なのが当たり前で、体力もない。でも、普通の人たちの中に入り込み、せめて平均かちょっと下くらいでもいいけど、なんとか成績を出して、朝から晩まで普通に仕事をし、エネルギーをかけて何かを成さなくてならない、自分にも出来るはずだ、しなくてはならないのだ、と力んでいた。
 だが、本当に、自分は体調が優れないことが多いし、体力もなく――要するに弱い。社会に出ると、障害について理解してもらうことは困難で、態度の善し悪しに関係なく、弱いお前はダメだ、という目で見られるから避けるようになった。障害を説明するということは、自分で自分のことを、弱いんです、だから出来なくても勘弁してね、と宣言するような気がしていやなのだ。それが仕方ないことは誰よりも承知している。
 何も説明せず、無理をして、頑張って、つっぱってきたが疲れた。弱さをずるさととらえてもだえていたこともある。しかし、その自分の弱さを認めても良いかな、と思えるようになってきたのですよ。認めたからといって、そこに安住するという意味ではないんだけどね。


おおみち礼治 |MAIL

My追加