おおみち礼治のてくてく日記
DiaryINDEXpastwill


2003年05月31日(土) ●来ないのー

 ホームページをリニューアルしたのはいいんだけど、誰も来ないっす(^^;。日記も同じ。ウケねらいで書いたらカウント数は増えるかもしれないけれども、ウケようと思ってないからねぇ。
 たまに、狙うことはあるけど、いつもでは続かないんじゃないかと思う。ウケるために生きているわけではないし(笑)。日記というプライベートなものを公開するのは――わしの場合、日々の出来事を記すということもあるけれども、それより、わしはこう考えた(考えている)と知って欲しいからかも知れない。
 怪しいことや説教臭いことを書いているからねぇ、ヒット数が増えないのは仕方がない。でも、せめて顔の見えない日記では、正直になりたいのだ。

 今日は、某会――って、某が多いけれども許してたもれ(笑)。で、その某会の帰りに、その中でも仲のいい人と食事にいったのだが、1時間ほどしてふと店の外を見ると、会の出席者のひとりが――会が終わってすぐに「今日は飲み会があるので」とそそくさと出ていった彼(五十路すぎのオジサンだ)が、若いオネーチャン2名と現れたのである。
 うひゃー、と思いましたね。
 見てはいけないものを見てしまった、と思いましたね。
 わしがいた、店の前のミスドで時間をかけて買い物をしたあと、彼は彼女らと雑踏に消えていきました。こちらには気が付かなかったようです。思わず、ケータイで証拠写真を撮ってしまいました(笑)(笑)。
 今度会ったらからかってみよっと(爆)。


2003年05月29日(木) ●地震と透析について、物思い

 地震がいつ来てもおかしくないということで、身の回りのことを考えてみると……準備らしいことはなにもしていないのだよねぇ。
 1日の中で、もっとも長い時間いる自分の部屋なのだが、ぐらっと来た場合、物が落ちてきたり家具が倒れてきたりということは……いっぱいありすぎ。寝ているときは、まあ、倒れてきそうなものはないけれども、揺れ方によっては19インチのモニターが飛んでくるかも知れないし、本はバサバサ降りかかってきそうだし、出窓にある観葉植物や、ベットの頭のところに置いてあるラジカセも危ない。
 阪神大震災のとき、クローゼットの扉が外れて中身が飛び出してきたとか、25インチのテレビが「飛んできた」とか、いろいろ聞く。理想は、寝室は寝室として、ベットだけで何も置かないのがいいのだろうが、片づけようにも置くところがない。
 寝ているときは、本格的な揺れが来る前の数秒間に机の下に潜り込めるかどうかが勝負かもしれない。机の下は……入れるには入れるけど、やっぱりここにも物がぎっしり。せめてここは片づけておこう。

 危ないのは、透析中に来たらどうするのか、ということだ。透析の機械が台の上に乗っかっているだけなのが気になるけれども、以前、聞いたことがあって、これは「まず大丈夫」という話しだった。それは信じるとして、激しい揺れで、ベットから落ちないだろうか? という不安もある。回路から外れないように、必至につかまるしかない。揺れているときに出来ることは、多分、ない。

 ただ、その時をしのげて、病院の建物も機材も無事だったとしても、断水すると透析はできないからね。そうなったら、自衛隊のヘリに優先的に乗せてもらい、県外の施設に送ってもらうとかなんとか、そういう大げさな(?)話しもあるが、問題は県外に出てからだ。透析が出来る施設には送ってもらっても、病院で生活するわけではないから、宿泊場所は自分で確保しなくてはならない。見知らぬ土地で、どうすりゃええねん、と思うが……どうするんだろうねぇ。まあ、なんとかなるのだろうけれども、いつ帰れるのかも分からず、知らない病院で知らないスタッフに囲まれて透析をするのは、大変なストレスだろう。旅行に来たのだ、くらいに意識を切り替えられるといいのだが。

 ちなみに透析は、通常、週に3日、1回4時間かけて行う。水は、ひとり1回につき120リットルが必要になる。腎友会(透析の患者会)の代表者が、行政に説明――災害時の行政の対応についてのお願いに行ったとき、担当者に、透析の人はそんなに水を飲むんですか? と聞かれたそうだ。
 腎臓の機能が低下し、体の余分な水分や老廃物を排出できなくなると、人工透析を行う。具体的には、血液をダイアライザー(人工腎臓)に通し――膜の内側に血液、外側に成分調整された水(透析液)を流すことで、水や老廃物は外(透析液)、足りない成分は内(血液)へと移動する。そうやって、透析によって腎機能を補うのだが、これに1回120リットルの水(透析液)が必要なのである。
 あまりに無知な担当者氏であったわけだが、東海大地震が懸念される静岡県でさえそうなのだから、おそらく行政に限らず多くの人が同じような認識でしかないだろう。透析が出来ないと命に関わるのだけれど……。

 水と食べ物は2、3日分もあればいいという。これは大丈夫と思うが、火が使えない(かもしれない)ことを考えると、アウトドア用のコンロくらいは用意しておいた方がいいかも知れない。
 が、いずれも生き残った後の話しだ。どうすることもできない揺れをしのげるかどうかは、運――といえばそうかもしれないが、目に見えない働きというものもあるのだろう、と思う。


2003年05月25日(日) ●地磁気が無くなる?

 この前、東京に行って来てから疲れがとれないみたいだ。
 今日も、いつものようにいつものコースを散歩してきたんだけど、それだけでだるくなってしまった。
 9月には、またちょっと厳しい稽古があるので、体力をつけておきたい。まあ、出来ることといっても、体力と相談しつつ、散歩の距離を延ばすとかそれくらいだけどね。

 そそ、ホームページをリニューアルしました。
 といっても、シンプルで色気も何もなく、ただ、この日記ページとデザインを一緒にしただけという(^^;。

 テレビをつけたら、地球の地磁気がなくなる!? なんてやっていた。
 すわ、フォトンベルトか! なんて思ったら全然違って、地球内部の核反応(?)が無くなり、地球の磁気が永久に失われるという論文が発表されたという話しだった。
 他の物理学者からは相手にされていないとか、無くなるといっても100年後だとかで、なあんだというような、他人事にされてしまっていたけれども――「CORE」というパニック映画もそうだけど、こういうところから「そうなったら(地磁気が無くなったら)どうなるのか」ということを教えている――暗に示唆しているということはあるように思う。100年後なら他人事だけど、いきなり9年後ですなんて政府が発表したらパニックになるから、いまは、なにそれー? という段階でいいのかも知れない。
 番組で紹介していた映画では、磁気が無くなって方向が分からなくなった鳩が壁に激突したり、スペースシャトルが正確に飛行できなくなったりなんてシーンがあったけれども、それはすでにあるよね。
 実際、帰れない伝書鳩が増えているというし、スペースシャトルの事故もあった。事故は部品の欠陥と言われたけれども、実は映画と同じように、正確に飛んでいたにもかかわらず、フォトンベルトの影響で空間が歪んできているので(?)、計器通りに飛べなくなっていたからだという話しもある。
 他にも、イルカやクジラが浜に打ち上げられたりなんてよく聞くし、タマちゃん――アザラシが日本の川でうろうろしている事自体、これは変だと(いままでと違ってきていると)気が付けないようではいけない。
 わしは別にニューエイジな人ではないし、ガチガチの唯物論者でもない。ただ、事実は事実として認めるしかない。地球は、フォトンベルトに2万6千年周期で入るのだそうだ。ということは、人類はフォトンベルトを経験しているのだよね。大変な変動があるのだろうが、いったいどんなものが見られるのか、どういうことになるのか、貴重な体験ができそうで、楽しみでもある。


2003年05月22日(木) ●火災が原因……か?

 北日本各地で、雲がほとんど出ていないのに空がかすみ、日照時間が減少し、太陽が赤っぽくなるという現象が出ているのだそうだ。
 気象庁はシベリアで発生した火災が原因だといっている。

 一部のニューエイジの人々のだけのものにしてはいけないと思うんだよね。
 フォトン・ベルト。
 NASAは観測しているのだし、地質学的にも確認されていることなんだから――2012年にフォトン・ベルトと呼ばれる光子帯に太陽系が入るのだけど、どれくらいの人が知っていて、この変動について真剣になっているのかわからない。
 確認されている事実として、太陽磁場が20世紀中に2.3倍になり、太陽プラズマは10倍をこえ、活動が4倍に増大しているとか、火星の大気濃度が2倍になっていて極の氷が50%消失しているとか、いろいろあるけど、いずれも、大変動が起きているのは確かだ。
 地球を見ても、これまででは考えられなかったような巨大な台風、ハリケーンが起きているし、水害、干ばつも増え続け、よくわからない感染症――SARSも現れた。身近なところでいうなら、東海大地震の危険度が4になったとか――5になると確実に起こるといわれているから、もう本当に差し迫っている。

 火災が原因なのかもしれない。が、フォトン・ベルトの影響が、そろそろ誰の目にも明かな現象としてあらわれてくる時期だろう、と思うのだ。
 フォトン・ベルトに入ると一時的に地球の自転が止まって、その後、逆回転を始めるとか、他にも、ちょっと常識では測れないことが言われているが、なんにしてもあと9年だ。そんなことが……なんて言っている場合ではない。
 どうなるかなんて分からないけどね。
 あと9年、そうなってそれで結構ですと言えるよう、生きていけますように。


2003年05月13日(火) ●会ってきました

 駅で待ち合わせし、ケータイで連絡を取って初顔合わせ。
 そんなに見かけにはこだわらないので――身長と横幅が同じくらいあるとか(笑)、なんか臭ってくるとか(爆)でもないかぎりは大丈夫。まあ、かわいいと思う。子どもの頃から患っていたせいか体格的にとっても小さい。これはしょうがないんだよね。わしもそうだから。
 共通点はいくつかあった。たとえば、実はタメだったとか――つまらないことだけれども、飼っているニャンコが似ているとか、前に乗っていた車が同じ車種だったとか、いろいろ。性格は特徴的といえるものはなく、多分、内向感覚タイプとか粘着気質とかそんな感じだろう。
 某テーマパークまでドライブして、食事したり、おみやげ売り場を物色したり。
 なんというか……彼女はパソコンにもネットにも興味はなく、透析日以外はバイトに出ているらしいんだが、それ以外の日は家にいても何もすることがないので、友達と小旅行に出かけるのが趣味という……いいんだけど、わしとはすれ違いが多いような気がした。話しも、会話というより情報交換に終始してしまった。初めてだから、そんなものかもしれないけれども、正直なところ、これからも積極的にお会いしましょうという気にはならなかった。一回あったきりで結論は出さないけどね。
 お互いにとって良いようになりますように。


2003年05月07日(水) ●不論理――同情について●それどころじゃない

●不論理――同情について
 透析導入前後の頃――大抵の患者が、同情されたくないといっていた。一時期、わたしもそうだった。なにひとつ分かりもしないヤツに、かわいそう、などと言われるのは腹立たしかった。キサマに何が分かるのだ、と詰め寄りたくもなった。
 だが、物事は常に自分を中心に展開しているという理解からすると、同情されるような自分がまずあるのだな。

 知っている人の中に、子どものころ車に轢かれて下半身不随になり、いまも車いすで生活している人がいるけれども、彼に対して、同情なんて気持ちはまったくわかなかった。
 元気すぎて。(笑)
 学生のころも、彼は友達とサッカーボールを(車いすで)けっ飛ばし、歓声というか奇声をあげて、必死にボールを追いかけていた。その姿を見て、誰が障害者などという言葉を思い浮かべただろう。普通の元気な少年そのものだった。

 同情されるのは、障害があるからではなく、相手が無理解だからでもなく、自分が不幸そうな顔をしているからだ。そういう人は、自分の思うようにいかない現実に常に苛立っているから、誰かに噛みつきたくてしょうがない。何か言ってきたら、とにかくそれにケチをつけて、おまえが悪いのだ、分かっていないのだ、低レベルなのだと感情的に噛みつき、罵倒するのが目的というか、そうしたいのであって、相手の言っている内容も自分の言っていることも、実はどうでもいいんだな。考えやポリシーがあるわけでもなんでもない。
 始終そうだから誰も近寄らなくなり、ますます不満が溜まり、不幸になっていくという悪循環から抜け出せない。
 しょうがないじゃないか、と言われそうだが大丈夫。オレは抜けた。
 人間は、自然――絶対的な宇宙の運行法則とでもいうべきもの(話しがデカイが)に沿っているかぎり、幸せになるようにできている。そこからずれては不幸にならざるを得ない。物事は自分を中心に展開している、というのも法則。だから、自分の何がこの事態を招いたのかを理解できれば楽になる。楽になる(サボるとか怠惰という意味ではないよ)ということは正しい――法則に沿っているからだ。そういう、自分の自然な(快の)感覚を通して法則が分かる。
 ○○でなくてはならない、という概念。誰が決めたのだ。そんなものを中心にすべきではない。自分の自然な感覚を忘れてはいかん。既成概念や考えというものを捨てていかないと本来の感覚は現れてこないから頭のいい人ほど難しいのだけれども……。

 ま、わしアホやし。(笑)

●それどころじゃない
 白装束集団。興味ある? 本当に? 近所に来たというので見物に行くヤツもいるようだが、(職業的に仕方なく相手にしないといけない人は省いて)それは対象と同レベルであることをあらわしてしまっている。突然、かの集団が現れたわけではなく、何年も前から存在し、全国を放浪していたのに、いまになって騒がなくてもいいと思うんだけどね。マスコミが大々的に取り上げたからといって、いちいちのっからんでもよろしい。一般的な感覚からいって、怪しいのは怪しいし、オウムという悪例があるから不安になるのも分かるけれども、見えないだけで、あのようなカルトは数えだしたらキリがないほど存在している。あまり気にしない方がよろしかろう。

 見に行くとかだけでなく、逐一報道される情報に魅入ったり、勝手な感想を言っていられるほど、納得いく人生やっていると言えるのかというと……。
 良くなりたいという気持ちがあるから、苦しみもする。だが、それでいい。
 もう、他人のことをとやかく言っている場合じゃない。宇宙規模の変化がせまっている――なんて書くとそれこそコイツもなにかのカルトかと思われかねないのだけれども、事実としてそういうことはあります。知識ではなく、感じている人も多いと思うんだけど。
 その時、じたばたしないで、どのようになっても文句ありません、といえるよう生きていけますように。


おおみち礼治 |MAIL

My追加