梶君の日記は最近せつない。 せつなくなると書くのかもなぁ…と思いつつ、彼氏も見られる環境になった模様で、ちょっと遠慮してしまった(笑) だってさー、悪口しか言えない気分だもん^^;
何はともあれ。 今日の日記は更にクソ固い表現てんこもりです。 こういう文章書いた後ほど、逆に自分が馬鹿っぽいなぁと思うのはどうしてだろうな(´ヘ`;)
恋愛にも力関係は生じるもの。 それが愛情ゆえに留まらず、征服欲とか所有欲とか、いろんな欲が絡み合って微妙に拮抗してしまうんだろう。 愛情があれば思いやれるはずのことでも、相手にそれを要求する者同士だとうまくいかなくなるのも道理かな。
外から見ていると、感じることや見えるものもある。 けれどその中にいると、いろんなものを見失ってしまうのだろう。 ただ、今は思いっきりネガティブ思考を撒き散らしているから、誰の恋愛模様を聞いても「そんなヤツとは別れてしまえ!」と言いたくなってしまうから、何も言わないのがいいんだろうと思う。
自分が変わらなければ…と思うことはある。 けれど、誰かのために変わろう、誰かのために変わらなければ…という部分に、どこか隷属的なものを感じて抵抗がある。 ある程度の年齢になると、意図的に「変わる」というのはなかなかむずかしい。 「変わって欲しい」と言われるということは、今現在の自分と、そして過去の自分を否定することにもなるのではないのか。
恋愛に対しては、いつも対等でいたいと思う。 隷属してでも一緒に居たいかというと、やはりここまで自我が強くなってしまうとそれは限りなく無理だと思ってしまう。 一緒にいるなら、呼吸するように自然に居られる相手がいいと思う。 けれど、自分が好き勝手して相手を傷つけても、自分が「楽」ならそれでいいと言うわけではない。
混じりけのない純粋な思いやりと愛情を前提にした「楽」が大切だと思う。 守りようもない約束をして、自分の都合でそれをやぶったなら、それは自分が悪いと思うし、それをなじられても仕方のないことだと思う。 (相手がそれに不満どころか、失望のあまり涙まで流してしまっているのに、更に無理があるだろうとか諭そうとしたりするのは、人としてどうなんだろう?まずはごめんね、だろう。嘘でもいいから自分もその約束を守ろうと最大限努力はしたんだよと言ってみたらどうなんだ!!)
だから
できない約束はしないのだ。 「約束」に対する考え方が違えば、例えば「浮気」に対する考え方も違ってしまうだろう。
約束を守る気があったかどうか、じゃなく、約束を守ったかどうか。 それが肝心じゃないかと思う。 心の中で思っていてもできないことなんてたくさんある。 というより、思ったからと言ってなかなかそのとおりになんてできない。 それが現実だ。
できない約束はするべきじゃない。
出来なくなることも過分にあると想定するなら、そして実行する気がなかったなら、言葉にできないのではないだろうか。
こうしたいなって思う、とは言えても、約束なんてしたらいけない。 自分という人間がわかっていない人ほど、簡単に、無責任に約束をするんじゃないだろうか。
自分よりずっと年若い恋人が、切実な思いで「口約束」を欲しがったとしても、それこそ「大人の責任」を口にするなら、いいかげんな約束なんてするもんじゃない、と思う。 どんなに年下の恋人が可愛くても、いとしくても。そしてどんなに悲しんでも。 その場限りの約束なんて、結局は悲しい嘘でしかない。
逆に、年若い恋人が「こうする」と宣言したことを、嘘だと…、嘘というよりも「いずれ時が過ぎれば破棄せざるを得ない非現実的な夢」とわかっていても、「うん」と頷くしかなかった悲しさをふと思い出す。
大人の視点と、学生の視点は、それは大きく違う。 大人の視点から見て、それは無理だと思っても、それでもその気持ちが悲しくて愛しくて、ただ沈黙して頷いたことを思い出す。
視点の違って実際は無理だろうと思いながらする大人側からの口約束は、それが叶うと信じて有頂天になってしまう年若い恋人を、大人が思う以上に激しく傷つけるだろうと思う。
その恋人が色んな未来の夢を語ったとして、それが実現可能かどうかは「大人」ならわかるだろう。
そうできたらいいね、と一緒に頷くことはできても。 年齢を重ねて来た者が、まだまだ積み重なっていない者に同じ視点で考えろと言うのは無謀だと思う。 自分が降りて行くことはできても、相手は登ることはできないのだから。 自分が見て来た物を、相手はまだ見てはいないのだから。
男30代。 大人としての余裕はどうした。 金持ってる余裕とは違うぞ…と言ってみたり。
彼らの対話を見続けていると、デジャヴーを感じる。 世の年の差のある恋人達の間では繰り返されている悲劇なんだろうかとまで思ってしまう。 どちらかが、自分を捨てていろんなことを諦めなければ続けていけないような、そんな恋愛はいやだなと思う。
相手に捨てさせようとするのも違うと思うし、相手を変えようと思うのもどうなんだろうと疑問に思う。どうしても我慢できない最低限のことさえクリアできたらいいんじゃないか…と思ったけど、どうしても我慢できないことがたくさんあるんだろうか(笑) むずかしい。
自分が年上の立場として、彼の恋人に対しては”ちょっとあんたそれは卑怯じゃないか”と思う部分もかなりあった。 社会人として自立している方に、責任やら色々発生するのは当然だろうと思う。それを背負って持つのが大変なのもわかる。
が。
言い出したの自分じゃん? そこで、約束を違えた自分を正当化するための言い訳に、そんな風に立場の違いなんかを持ち出すのは卑怯じゃない?責任持ちたくないならいいかげんな甘言を吐くな!と、言いたい。
他人の恋人ながらむかついてしまった(梶君視点に偏らないようにしようと思ってもやっぱりその心情を見てしまったからなぁ)。
が、恋人の悪口を言われて楽しい人なんていないだろうし、梶君とこは彼氏さんも見ることができるみたいだし〜。 まぁ、所詮女の戯言と思って鼻で笑うかもしれないけど。
ずっと年下の恋人だからって支配しようとか思ったらいかんでしょー。 彼らは彼らなりにいっぱいいっぱいがんばっているじゃない。自分もそんな時代を通過して来た身なら、包容力っつーもんを見せたらどうなんだぃ。
あぁ、また他人の恋路に苦言を呈する、口うるさいおばさんが一人(笑)
Leaflets of the Rikyu Rat. ↑梶君の日記 偏見等ある方はご遠慮くださいませ〜
2005年02月22日(火) |
理由がありすぎる憂鬱 |
ココロの姉(笑)から、日記更新しろと催促のメールが届いて苦笑い。 日記というものは、一度止めてしまうとなかなか書けないものらしい。と言っても、ちまちま書いてはまとまりきらずにやめてしまったテキストはそれなりにある。
印象に残ってる出来事もけっこうあると思うけれど、「記録」というものへの情熱が薄れているようだ。 書かなかったら書かないで、何が変わるわけでもなし。私の中に残る物はずっと残るし、残らない物はすべからく消えていく。 こうやって漫然と、人生の貴重なんだか無意味なんだかわからない、何分の一かを消費していく。 自分に対して「生きていて楽しい?」と問いかけてしまいそうだ(笑)
私は「誰かのために生きる」ということはしないと思う。 いつだって「自分のために生きる」ことをしていると思う。 だから、他人を大切にしないのだろう。 外面だけはいい顔けど、実際どうでもいいと思っていることが多いんじゃないだろうか。
誰かと関わりたい時期が過ぎてしまったのだろうか。 それとも、体についた黄色い脂肪が、脳までも包み込んでしまったんだろうか。 老いてあまり動かなくなった体で、残った人生をゆっくりと消化している老人たちの中にはまりこんで、自分もまたゆったりと生を消費しているだけなのかもしれない。
憂鬱の原因をひとつひとつ挙げて行ってもキリがない。 同じ状態の人がいたとして、それで何かが変わるわけでなし。
なんてやさぐれ全開(笑)
やっぱブログにでも移行しよっかな。 まずは気合い入れて最近分くらいはアップしよう…。I君ちの顛末とかいろいろあったしなぁ。 ま、そのうちね
なにかしよう。 なにをしよう。 やりたいことをやろう。
何かをしようと思う。 何かをしなければ、と思う。 けれど、動けず。 ただ時間になれば仕事に行き、終われば帰ってくる。 生活にハリがないからだ…と言うご意見もある。 生暖かい真綿に包まれた悪夢の中のような。 けれど、この安穏とした生活こそが、幸せな証拠だったとしたら。 これ以上には幸福にはなれないのだということだったら。
やっぱり悪夢じゃないかと思う。
「空虚」というのは、悲哀でいっぱいになっているとか自棄になっている時よりも怖いものだと思った。 生きたまま死んでいるような気がする。 何か新しいものに出会って、おもしろそうだなぁと思ったとする。 ”やってみようかなぁ”と思っても、すぐ後から”めんどくさ…”という気分が追いかけてきて、結局何もしないまま。 そんなことをあらゆる方面で繰り返している。
新しいのが出たから、とMHGに移行して、だけど積極的にがんばるわけでもなくだらだらと毎晩のようにI君とどうでもいい話をしている。
こんな気分なんだよねー…とちょっと漏らしてみたところ 「そりゃー、ビョーキだよ、ビョーキ」 とネトゲ友達のI君は言った。 「ウツって言うビョーキ!」
そうかもしれない。 何もする気が出ない。 何をしても楽しいと感じない。
うちの日記に検索でやってくる人たちは、どのページにひっかかって来るわけ? と思って、自分の過去の日記を見て、そのパワフルさに圧倒された。 まるで他人のように見える。 恋愛していない時も、恋愛している時も、恋を無くして荒れてた時も。 日記を見ていると、その時の気持ちがよみがえってきそうになる。
この頃の自分と比べたら、今の自分はカラカラにしなびた干物だ。 真夏のアスファルトの上で焼けこげたミミズみたい。
今の私には「心」がない。 心が存在していない。 そんな風に感じる、これが「空虚」というものなんだろう。
しんごから、ペットが死んだこととか変な物作ったよとか、メールが来た時も、気の利いた返信もできず。どこか薄汚れたような、それでいて無意味な言葉を返す。 自分で自分がどうしようもない人間だなと思った。
それから数日。 誰からのメールにも、たった1回のみ返信するのみで疲れてしまっている自分。
夜、寝る前に無心になってソリティアをやっている。 できたからといって、なんら達成感があるわけでもなく、できなかったからといって悔しさが残るわけでもない。 気がつけば、2時間くらいやっていることもある。 理由は、強いて言うなら無心になりたいのだろうと思う。 何も考えず、ただ体を疲れさせるためにやっているのかもしれない。
最近右の頬が、勝手にピクピク痙攣するようになった。 「…ストレスだな」と思った。 いや、生活上の不摂生のせいもあるかもしれない。
仕事での不満は言っても言ってもキリがないとは思うけどね。 身内というだけでここまでストレスを溜めなくてはならないものかと、日々思いつつ、短い時間だからと我慢してみている。
世間は広いので、細かいことがイチイチきちっと決まっていなければ気がすまない人間というのはいる。まぁ、そういう人もいるさとちょっと距離を置いて見れば、そんなに害もないかもしれないが、それが実の姉であり、同じ職場で背中あわせに働いているとなると…かなりきつい。 姉がここまで理解に苦しむ性格だったとは、一緒に働くまでは思っていなかった。 おばあちゃんは「ますます親に似てきた」と言い(この場合母親だ)、母親は忙しさと、やりたいことをやっているという楽しさからか、丸みとゆとりを持ってきたのと反比例して、姉はどんどんと頑なになり、マイルールを次々と作成して他人がその枠に入っていないことを許せないと感じるようになっていく。
双子のチビたちが夏休みの時、姉は覚えたてのExcelでやつらの夏休みの予定表を作ってきた。 毎日の午前、午後の学校及び公文の宿題の予定表だった。毎日ぎっしりと書き込まれている。家族一同そろって唖然としたもんだ。
職場においてもその調子だから「性格はおかあさんそっくり」「でもまったく逆方向」「お母さんはアバウトすぎるけど、お姉さんは四角四面だよね」と、影でコメントをいただくわけだ。 そして、ばあちゃん似&父親似のあたくしは「おなじ姉妹でも性格がぜんぜん違うね」と言われるわけだ。 いや、この姉や母がいたからこうなったとも言えるのかもしれない(笑)
相手に合わせる…というか、あまりこだわらないことが多いようだ。 自分が譲れない一線というのは一応あるけれど、マイルールを他人には要求しない。ある意味、どうでもいいというスタンスなのかもしれない。自分の長所も短所もこの「流動性」にあるんじゃないかなと思っている。 「特性」と言った方が聞こえはいいかもなぁ(笑)。
って、えらい固っくるしい内容になったなぁ。 ものすごいタイトルで日記の内容を検索してくださる人が多いもんだから、去年とか一昨年の日記を見て、「いやー、この頃は元気いっぱいだったなぁ」なんてしみじみ思ったもんだ。 こうしてみると、数年の間で自分はまったくかわってないような、でもものすごくかわったような、そんな気がした(笑)
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