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■ 思うこと
いままで、たくさんの人に出会ってきた。 出会いの中には、いろいろあって・・・。 喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで・・。 笑って、泣いて・・・。 出会いの分だけ、傷つく事も多くて・・。
基本的に、やがの基本思想は「踏み込ませない・踏み込まない」。 だからこそ、自分で自分の話は、多くを語る・・。 矛盾しているように映るかもしれないけど、やがの中では「防衛策」。 やがの語る『自分』は、「踏み込まれても構わない表」の部分。 先に自分で話してしまう事で「ここまでよ」の区切りをつける。 それ以上は、「立ち入り禁止」の防護壁。
自分は、そうやって「防護壁」をもっているものだから、 他の人にも、踏み込まない。 何も言わない、何もしない、何とも思わない・・。 それが、やがの流儀。
それが・・・最近壊れ始めた・・。 防護壁が、もろくなり始めた・・。
元々、防護壁なんて無理があったのかもしれない。 「自分」を確立する精力が衰え始めた近年。 防護壁の土台にひびが入り始めた・・・。 もう崩壊するのも目に見えてる。
「要されている」ことを実感できなかった子供は、 学校の成績や活動で、「明示的」に優位に立とうとする。 先生から誉めてもらえれば、両親にも誉めてもらえる。 賞状を持って帰れば、誉めてもらえる。 自分が、存在してもいい。 「有償の愛」をここで学んだ・・。 「愛してもらえる」ことを体に染み込ませた。 「怒られる」ことに恐怖を覚える。
そんな子供が大人になると。 「無償の愛」が、わからない。 「愛する」ことが、わからない。 「愛される」ことが、わからない。 傷つかないように、傷つけないように・・と今まで触れられることのなかった 「核」の部分。 今、露呈する。
2002年06月24日(月)
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