2005年07月22日(金) |
邪魔する昨日はいらない |
半端じゃなく難しい事だけど とにかく今を生きるんだ
眠れない夜は その事より 次の日の事が気になる
『おかしい』と 自覚しているので 普段より慎重になるのはいいのだが やはり生き物は眠らなきゃダメなのかと 妙な浮遊感の中で思う
『水』や『食料』や そういう「生きるのに必要なもの」と一緒に 『眠り』もコンビニで売ってれば助かるのになと 曇りガラスの向こうのような脳で思う夜
星の祭りに響くのは トントン手拍子足拍子 闇に金銀振り撒いて シャンシャン太鼓が鳴っている
笛のお手並トトサマ譲り 歌の自慢はカカサマ譲り ピーヒョロ光の跡を追い リリララ隅々降ってくる
昔シャもっと灯りがあった お空はもっと高かった 言われて宙を拝めども あたシャ此処しか知らないワ
今を覚えて いつか語るワ トンシャンピーララ夜の下 金糸銀糸に紅の色 夢の祭りは一夜だけ
(2005/07/12 By SUI)
2005年07月07日(木) |
インフィールドフライ |
一つ一つ取れば、他愛の無い不幸が、 二人三脚で来ると、人生投げたくなる。
■人事を尽くして天命を待つ。嘆くには、それ以前に、やるべきことをやっておかねばいけない。薄っぺらな理屈ばかり達者になって、もっともらしく他人を騙すことは出来ても、自分と天は騙せないということかと思った。■そして、天は在るかと問われれば、自分がいるかと問い返す。そこに自分がいるというなら、そこに天も在るのだと云う。宗教、科学、どのような概念に措いても、マクロコスモスとミクロコスモスは結局イコールなのである。■要は、変えたい現実があっても変わらないのは、心底変えたいと願ってないからだとゆーこと。簡単だ。だが分かっていても動けない者は多く、気付いてさえいない人間は更に多い。
昔、絵を描くのが好きで、小さなスケッチブックを買ってきては、何枚も何枚も、鉛筆で線を描いていきました。細い線の集まりは、やがて一つの形を作り、それが気に入らないとまた線を足し、あるいは消したり、何度も何度も指を動かしました。
今は、絵を描くにしてもマウスや色の出ないペンだったりして、それはそれそれで嫌いではないのですが、あまりに簡単に描けてキレイに消せるので、そこで悩む自分はどこかへ行ってしまったようで淋しいです。
直ぐ思い悩む自分はもてあましているのに、悩んだ軌跡を見るのは嫌いじゃないみたいです。そこを通り抜けた後だからだと思います。
『此処でない何処か』
・・・へ行けば全てが解決するとして 救われるのは、今のお前で無く その何処かへ行ったお前である事に 意見はないのか?
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