mao&angieの日記
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2002年04月30日(火) 手料理

昼過ぎに杏路さんとチャットするためにネットに入ったら…
彼がいた。お昼休みなのかと思って、聴いて見ると、もう仕事が終わったとの事…
しばしの間、杏路さんとチャットしながら、彼ともチャット…

いつも朝から夜中までとか、仕事をしているし、GWは休みないって言ってたので、昼までで良かったなぁと思いつつ、彼に、明日は早いのか聞いて見た。
早くないといいつつ、7時からだと言う。思わず…
私 「晩御飯作ってあげようかと思ったんだけど…」
彼 「ネタがない?」
私 「ううん、あるけど。我が家に来る?来るんだったら、肉じゃが作れるよ?」
彼 「うぉぉぉ〜〜〜」

てなわけで…4時半くらいにチャットを終えて、6時くらいに、と約束して、食事の支度に取りかかる…
新じゃがで作る肉じゃがと、彼のリクエストで、チキンピカタ、それから新玉葱と若布とホタテ缶で作るサラダと、若布と油揚げの味噌汁。
肉じゃがはあっさり煮たので、味が染みるまでにはいたらないけど、新じゃがが美味しかった。おおむね彼には、美味しいと言ってもらえた(笑)

食事も終え、後片付けもして、お茶を啜ってると…
美味しかったよ。って言いながら…ちゅっ…

どう考えても…私がキスに弱いって知っててやってる気がする…

案の定、誉められて嬉しいし…キスは気持ちいいし…彼の腕の中でず〜〜〜っとキスしてたような気がする…車じゃないし、電気は付いてるし…これで同居人が帰ってくる予定がなかったら、とっくに押し倒され…いや押し倒して…いたかも(爆)

       (真央)


2002年04月26日(金) 10日経って…

あの手術から、もう10日…
よくよく考えたら、妊娠が発覚してから、昨日で一ヶ月だったんだ…

一ヶ月だけの命…

私の中に芽生えた小さな命はあっという間に消えてしまった…
妊娠して、そして流産して、初めて知った気持ちという物もある。
切実に、愛してる人の子供が欲しい、産みたいと思った事。
そして、亡くしてしまって、切なくて哀しかった事…

さすがに、まだ妊娠初期だったので、新生児を見て苦しんだり、落ち込んだりすることはなかったけれど、それでも、子供が欲しいと思い、辛く苦しい戦いをしている人達の気持ちがほんの少しだけ、わかった気がする…

彼と、会話をした時に、「命と言う物は、何か意味を持って産まれてくるのだから、きっとあっ君は、真央の身体の事を知らせに来たんだ。」彼はそう言ってくれた。
私は、「とってもイイコだったよ…だって、痛みも出血もなしに、静かに一人で逝ったのだから…」と…
「自分たちの子だからな。イイコに決まってる。」
彼は少し微笑んで言った…今度こそ、元気な身体で、あっ君を産んであげたい。
彼の腕にあっくんを抱かせてあげたい。

私の願いは、本の些細な事なのかもしれない。けれど、本当は命を産み出すって事はとても大変な事なんだと思う。
それなのに、妊娠は病気じゃないから、保険証が使えない。不妊治療も自己負担だと聞いた。なんだか、納得行かない気がする…
だって、おかしいじゃない?どんなに化学が進歩しても、医療が進歩しても、試験管や培養ポットの中で子供は出来ないんだもの…
それが出来るのは女性だけで、それも時には命がけなのに…
子供が産めない事は、罪悪かのように言われる…産むのが当たり前のように…

おかしいって、思うのは、私がへんなんだろうか?


      (真央)


2002年04月24日(水) 久しぶりのデート

一ヶ月以上前にデートして以来…二人っきりで逢うのは本当に久しぶり。
待ち合わせの場所で彼の車に乗りこむ。

新しく出来たラーメン屋さんで食事して、雨が降ったり止んだりの変な天気だったから、ドライブドライブ♪

空港が見える、川辺りの道に車を止めて、取り止めのない会話をする…
狭い軽車両…彼の肩に頭を寄せると、自然と肩に手が廻る。
あんまり久しぶりで、彼の顔がまともに見れなくて、そっと下から見上げてみる…すぐ傍に顔があって…自然と唇が触れ合う…
胸が…きゅんっと苦しくなった…切なくて、でも嬉しくて…

軽いキスが、段々激しくなっていく…シートベルトが外され、シートも倒される…ムードもへったくれもない野球中継が車内に流れているのに、お構いなしだった…
何度も何度もキスをして、彼の胸に頭を当てていると、彼の心臓の音がドックンドックン……
あぁ…私がどきどきしているのと同じくらい、彼もどきどきしてるんだ…
そう思ってもっと嬉しくなった…幸せな気分になった…

二人揃って切なさ1000%くらいだったんだけど…堪えに堪えて…
(何があったか…それは、彼と杏路さんしか…知りません(爆))
それから、これからどうしたいのか、ちょっと彼に聞いて見た。
彼の気持ちが聴けてちょっと安心(笑)そして、彼の口から、「ついて来てほしい」って…
帰りの車の中、あっ君のことを本当に残念がってくれている彼…
かなりのプレッシャーだったらしいけれど、あっ君のことがあったからこそ、
絆が深まった気がする、と言ってくれた。
彼の一言一言が、私の気持ちを嬉しくさせ、軽くさせてくれる。ちゃんと、付いて行くよ。って応えたけれど…
本当に彼を好きになって良かった…実感できた夜だった。


         (真央)


2002年04月20日(土) 新学期の懇談会。

学年の様子、方針などは、どうでもいい。
進路の話は、U先生、も少し解りやすいように語尾をはっきり、
文と文を短めに区切って、欲しい。
修学旅行は、まだまだ、何も決まってなかった。

で、突然PTA会長が現われ出でた。
クラスごとにわかれ、学級役員を決めるにあたって、
昨年度までは、司会を担任がして、役員決めをしてきたが、
今年度からは、保護者で司会して、保護者で決めることに
なったんでよろしく〜、というご説明。

で、私はうける気は全く無かった。
(ヤッテモいいかなは1%くらい)

が、前日、母に、しょうもないことなんだけど、
ムカ!っとくること言われ、反発心から、懇談会に行くことに
した。(ヘンな理由だけど10%)

朝からハングルに出かけて、トンボ帰り。昼食抜き!

担任を見て、第一印象で……(20%くらい)
話を聞いて……(30%くらい、ヤッテもいい)

で、いよいよ決めましょうって、ことになって、やっぱり
お決まりのごとく、
「立候補しませんか?」という問いかけには、全員
……………………………………………………………(しーーーん)

「誰もいないなら、いい」って項目に○つけてる人に
(10人くらいいたが、ほとんど欠席)、一人ずつ、
「いかがですか?」
と、聴いていく。

いぃえぇぇぇ!私はいいですわ〜〜ぁ。
と、いう感じの、私的に、超苦手な奥様(苦笑)が、
断った。
(この人とは絶対にしたくない。ゆえに40%)

で、なんか、私の名も、呼ばれた……。ありり?
してもいい、なんて書いてたっけ?
書かなかったよな。

けど……。息子に、ココ、つけてないけど、もしも、
もしもだけどさ、つけないとイケナイよ、って言われたら、
適当に「2の、誰もいないなら…してもいいよ」ってのを、
○しといて、頼むね!って、言ったような気がする。

律義に先生に聞いて、○をつけてくれたのだろうな。
などと、妄想しつつ、「いえ…出来ません」 
と、答えた。
(出来ることなら、してもいいって人がいるならば、
やっぱり、ヤリたくない…)

「そうですか〜」
って、感じで、追求も再度の懇願もされなかった。
では次の方、どうですか?と、隣の方へ。

その方も、一度、あいまいな、というか、する!とも、
しない!とも、言わないで、悩んでおられるうちに、
「次の方はどうでしょうか〜?」と、うつっていった。

で、それを指摘したりする人がいて……
YESともNOとも、応えてないよ。
と……。

結局、その方は、
「します。」と、言われた。
潔かった。
(50%くらい…ヤッテもいいかもな、に、なった)

そう、私も、どっちでもいいやと、思ってしまった。
お腹すいたし…。
タイミングよ過ぎで、もう一度、聴いてくる……
顔に出てたのかなぁぁ。

「あ、いいっすよ。」と、言ってしまったのだ。
「学年部」っての、やります。

学年部長さんは、役員が決まらないと困るので、
もう、引き受ける方がほぼ決まっていたらしい。

なかなか、にくい手回しだなぁ、なんて思いながら…
やっぱり

はぁ………。馬〜っ鹿〜ぁっ・・・・(苦悶)とも
思った。
また、愚痴ることがあったら、聴いてください。ね。

(杏路)


2002年04月19日(金) 痛みと不安と

今朝は朝からずっとお腹が痛くて、出血も多かった。
退院してから、それほどシンドイとか、苦しいとか感じてなかったから、とても不安になった…

しかも、朝から流産を経験された方の日記を読んで、気持ちがシンクロしてしまい、ぽろぽろ泣いていた。
その事を母にいうとこんな時に、そんなの読むから…と言いつつ、自分が流産したときの話しをしてくれた。だからこそ、身体を大事にしなさいと…

母が出かけ、昼間一人になって、痛みと出血に、不安を抱えたまま、ゴロゴロ過ごして、チャットルームに40分くらい、気持ちを書き綴った…
感情が昂ぶって涙が止まらなかった…このまま子供の産めない身体になってしまったら…と想像し、ボロボロ泣いていた…

それから、杏路さんとチャット、やっぱり泣いて、ようやく、あっくんの為になく事が出来た…ほんの一ヶ月だけのお母さんだったけど、本当に産みたかった。

痛みと出血は夜まで続き、八時くらいがピークだった、横になっていたのだけれど、食事のために起き上がったとき、ぬるり〜と股間から何かが出た…

慌ててトイレに行くと…
まるでナマコのような血の塊が…
その後、痛みが段々と収まって行った。出血も少なくなった…
そっか〜ナマコ出るのに痛かったんだ…ヤっとホットした(笑)

自分の身体のことだけど、わからないって不安を増長させる、こんなとき、誰かに優しくされるとほっとするよ。彼の言葉が欲しくなる…
ほんの些細な言葉でも、気にしてくれているって解ると安心する…


          (真央)


2002年04月18日(木) 手術そして退院

4月16日。

いよいよ手術当日、この日は朝から絶食、水分も朝の7時まで。
6時の検温のときに、薬を飲んでおくのを確認し、それからは飲まず食わず…まったく出血も、処置したものが出てくる感じもない。痛みもない。
朝のワイドショーなんかを見ながら、ボケ〜っと時間が経つのを待っている。今日は病室から出てはイケナイのだ。

睡眠が不足がちな為ときどきうつらうつらしながら、バイタルチェックをされる。検温しに来る看護婦さんがえらく若いなぁと思って(女優の高橋某かに似てる可愛い子である)、名札を見たら、看護科とある。
アァ、まだ学生なんだ、そっか、私達は重病人じゃないし、丁度イイかもね、と思って微笑ましかった。一生懸命検温と血圧と脈拍を計る姿が。

割りと早い時間に、手術着に着替えさせられる、着物式で丈が短く、結構あられもない姿になりそうだ。
仕方なくベッドに寝転ぶ、10時前だろうか、止血剤の点滴をさせられるが、なかなか針が入らない(苦笑)ゴメンネ、看護婦さん、お肉一杯で血管見つからなくて…(爆)で、手の甲に近いところ(肉付きの薄い所)で落ち着く(笑)

母も来て、あれやこれや小言を聞きつつ時間を待つ。
彼が4時くらいに来ることも告げる。すると、言いたいことが一杯あるネン。とまたもや息巻いている。半ば諦め状態である…彼が凹まない事を祈る(爆)

やがて12時、ストレッチャーに乗せられ、(その頃下着は取ったまま)点滴をしたまま待つこと30分。運ばれて、手術室へ…
ストレッチャーから、手術室の前室へ入るのも自力でずりずり〜っと動いて乗る。ベルトコンベアみたいなので手術室へまたストレッチャーに乗り換えて、がらごろと運ばれる。どうやら手術着に着替えた先生が点滴のパックを持っている(笑)
手術台に乗っかると、右手に血圧計、左の人差し指に血液中の酸素濃度を計る器具をつけられ、胸には心電図を計るものを着けられる。自分の心臓の音がピッピっと聞こえてくる。
「じゃ、深呼吸をしてくださ〜い」
看護婦さんの声に合わせてす〜は〜す〜は〜…………

……気が付いたら、もうストレッチャーの上で、先生の「終わりましたよ」
って声が聞え、1度目を開けると病室だった。
あれれ???私深呼吸してたのに?
でも目が開かない。とても眠い。看護婦さんの声が聞え、血圧を計る機械をつけられ、点滴も変えられたようだ。足元がとても寒く、点滴の針が痛い。お腹も痛い。
朦朧としながらもそれらを訴えると、布団が足元に持ってこられ、点滴の腕の下に湯たんぽが添えられた。
お腹痛いし、眠いし、いいやこのまま寝ちゃえと、そのまま眠る。

右腕の血圧計が規則的に測るためずっと眠っていたわけではないけれど、1度は深く眠ったようだった(母談)
目が覚めると、トイレに行きたくなり、ナースコール。
出血の量を見るからナプキンを見せてください、といわれ、そのまま広げたままトイレでまたナースコール。思いの他出血はしていない。
点滴が終わるまで、寝たまま。お腹の痛みは重苦しさに変わっていて、そんなに酷くはなかった。時間にして、2時間くらいだろうか?眠っていたのは。
手術自体はほんの15分くらいで終わったらしい。

麻酔がすっかり覚め、やがて食事が3時過ぎに運ばれてくる。食パン2枚と、サラダとジャムとマーガリン、牛乳一本。とキウィフルーツ。ゆで卵は食べなかった。
食事が済むと着替えてイイといわれたので診察もあるのでまたパジャマ。
彼からメールが入り、30分ほど遅れる、と。丁度診察も先生に急なオペが入って遅くなる事になったので、ボケボケと母と話しながら待っている。

トイレに行こうと立った時。彼が来た。制服姿で(笑)
母に紹介し、ぎこちな〜い空気が流れる…食堂で話しして来るわ。と母が言い出し、私が動けないのをいい事に、直接対決かい?!っと思うも抵抗できずそのまま…彼が苛められていないか心配である…

二十分後…彼が戻ってくる。あまり言葉が見つからない。でも、お互い身体が資本なんだから、無理をしないで治せよ。と言われる。そして二人で順番にクリアして行こう、と…母が結構色んな事を話したらしいが彼の態度は変わらなかった(笑)

それから、ようやく先生の診察。
次の診察予定を決め、諸注意を聞き、着替えて退院していいよとなった。
母は買い物してくるから、と先に出ていき、着替えをした私と、荷物持ち(笑)の彼は後から、出ていく。ちょっとふらふらとした感じではあるが、なんとか、車へと…
母を待っている間に、車の中で、彼に凹まなかった?と聴くと。そんなふうに見える?と。(笑)全然そんなふうには見えなかった。却ってなにくそ〜っと反骨精神が芽生えたらしい(苦笑)二人の間で漠然と話していたことを一つ一つ形にして行こうと…
これから二人でやるべき事が一杯なんだなぁ〜としみじみ思った。


もしも、この日記を見てる人で、同じような経験をするかもしれない人がいたら…そう思って結構詳しく書いたつもり(笑)

でも…本当はちゃんと子供産みたかったな…手術前に、ふっと、自分のお乳がずっと張って硬かったのが、柔らかくなった。その時に、あ…もういないんだ、と本当に実感した。ずっとずっとお腹にいる間、身体が準備していたのが、もうイイんだって、その時に、心も身体も納得した感じだった。


                 (真央)




2002年04月17日(水) 入院

キチンと記録ではないにしても、残しておきたくて、
順を追って行こうと思います。

4月15日。
検診の日、普通に検診に行き、結構人が多くて待たされて、
それでもいつものように内診台へ…
やっぱり赤ちゃんは大きくなっていなくて…
診察室で先生から、詳しい説明を受ける。
先週見たときも、鼓動が動いてるのが見られなくて、今週もう1度念のため、様子を見たとの事。

ケイ留流産と診断されました。(お腹の中で死んでしまっているわけです)
で、そのままにしておくわけには行かないので、処置をしますと…
つまり人工中絶と同じ事をするわけですな…

診察が終わったのが12時くらい。で、支度をして戻ってくるのが2時…
今夜は、入院して、子供を産んでない人は子宮口が硬くて開かないので
それを広げる処置をする、と。そして明日、16日の午後手術して、夕方には退院。
そう言う予定を告げられ、大慌てで帰る私…
駐車場で杏路さんと彼と同居人にメールを打ち、車でそのままスーパーへ。
だって、前開きのパジャマなんて持ってない!!
パジャマと、サニタリーショーツと生理用品を買い、ついでにお弁当も買って
家に帰る…

彼に家から電話。思わず涙が零れた…ごめんね…としか言えなくて…
ちゃんと産んであげたかったのに…
泣かなくてイイ、自分たちの都合でこうなったわけじゃないのだからと…
とても嬉しかった…いつもいつも彼の言葉に私は救われている…
彼で良かったと思う…

それから、会社に電話したり、母に電話したりと忙しく、お弁当を食べて、
荷物(パジャマとショーツと生理用品だけ…)を詰めて、たまたま休みで、
家にいた同居人に送ってもらって病院へとんぼ返り…

で…いろいろ書類が有るんだけれど、この中に、人工中絶の同意書というのがあって、これって、相手の署名と捺印がいるんだけれど、
普通平日の昼間に旦那さんの署名が手に入る人って少ないと
思うんだけど…
で…私の場合当然まだ籍も入っていないのだから印鑑なんてあるわけない…
でも、今回は病気と同じだからイイって事にしてもらった。

それから、病室と、病棟を案内され、携帯も使ってイイって事を言われ、
呼び出しされるまで、自由に出来たので、食堂で、珈琲飲んだり、母に電話
したりメール打ったりといろいろやってました。
もちろん、この間に初めて私の妊娠と流産を聞かされて泡を食ってる父にも、電話。流産は仕方ないけど結婚するって言う事には嬉しがってるみたい。(母は渋い顔してるけど、父は浮かれてる…普通逆だろ?)

それから、手術前の処置とやらを受ける事に…
パジャマに着替え、診察室へ。
麻酔なしでやる事でちょっと痛いかもと…
先生は「ちょっとチクっとしますよ〜」
チクっとてのは、ちょっとの間じゃないのか?!
クゥ〜〜〜っと歯を食いしばりたくなるような痛みの中、突っ込まれる海藻。
婦長さんの話しでは、海藻をふやかして広げるそうな。
処置が終わって器具を抜かれると痛みは無くなった。それから2時間食事が運ばれるまでは、絶対安静、といわれ横たわる…

6時20分くらいに、食事が運ばれてきて、起きあがる
(ちょっと早めだったんだけど)で…気付いたの、そこで…お箸がない!
病院って割り箸ってないのよね…しまったわ〜そんなのはじめて入院する人間にわかるわけないって!
慌てて売店へ行って、お箸とコップと、スリッパを買ってきた。
ようやくご飯を食べて、薬を飲む(感染予防の抗生物質)

のんびりテレビを見て、コナンくんのOP辺りで母が来て、彼には文句言ってやると息巻いてる母…
その母に明日の予定なんぞを説明して、それから面会時間が終わったのでそそくさと帰って行く母。
メール三昧の入院、同室の人も同じで入院だったのだけど、彼女は出血と痛みがあって、大変だった。

病室が、暑くてなかなか寝付かれず、2時間置きに目が覚める状態で
翌日を迎える…

長くなったなぁ…取敢えず続きは明日〜かな?

             (真央)


2002年04月15日(月) 病院の駐車場から

詳しくは真央ちぃが、16日の日記に書くでしょう。
けれど…、リアルタイムな記録を少し、残しておきます。

おはよ(笑)と、朝、メールを打つ。
早すぎると寝てたら悪いなあと、9時半まで待ってから…。
そうしたら、病院の駐車場待ちと、メールが届いた。
早起きしてたんだね。(笑)

以後、私が送ったメールより…
4/15 12:21 そっか。つらいね。今、家?
4/15 12:27 少しだけ帰った頃電話するよ。気をつけてね。

と、メールを打ちながら、私も涙が……。
帰ったかなあと思ったころ電話する。
彼と電話をしたあとだったらしく、泣き声じゃなかったね。

4/15 13:58 そっか。来たら胸はって話して紹介すればいいよ。
行ってらっしゃい。

真央ちぃは、また病院に逆戻りして、入院。

4/15 14:56 ん、病院?メールいいのかな?彼だけ悪者か〜。
お父さんびっくりしただろうね。きっと解ってくれるよ。

この日、はじめてお父さん、彼の存在も真央ちぃの身体のことも
知りました。(苦笑)

4/15 15:13 明日の夕方退院なんだね。真央ちぃのお父さん、
どんな人?
4/15 15:31 加山雄三タイプか〜、カッコイイんだね(笑)
お母さん、明日来るの?
4/15 15:52 びっくりしちゃうよね。大部屋?夜、彼は来ないの?

話題は、お父さん。今夜、真央ちぃの家にお母さんが泊まるので、
居候さんの話。処置待ちだったようです。

4/15 16:14 真央ちぃの声聴いて、お父さん少しほっとしたんじゃ
ないかな。

明日のための処置をしていたらしく……。

4/15 19:21 たいへんだったね。箸持参なんだ〜。
4/15 19:40 そっか絶食つらいね。
4/15 20:00 なんで?とてもツライけれど傷ついてなんかいない
よね?どうしたものか……。

処置と夕飯を済ませた頃、お母さんが病院に来られたらしく……。

4/15 20:21 真央ちぃの身体のこと考えておさえてくれるといいね…。
4/15 20:38 彼を責めてるの…?やるせない気持ちあるだろうけれど。
4/15 21:01 二人で乗り越えられるよ。がんばれ〜。今夜は終わりに
するね。おやすみ〜。

がんばれ〜。というよりも、ぎゅ〜〜っと強く抱きしめてあげたい…。
彼は、それを出来る人。真央ちぃと共に生きていこうとしている人。
哀しい夜だけど、少しほっとして、また涙がこぼれた……。

遠くから、二人のことを祈る。
あっくん、ずっとずっと、二人を見守っていてあげてね。と…。
                           (杏路)


2002年04月12日(金) 韓国に旅する

真央ちぃの夢に私が出てきたんだよ。
と、携帯にメールが届いた。

真央ちぃと私が『韓国に旅する』夢〜♪(笑)

「友達」が、出てくる夢は
真央ちぃがいい人間関係を築いてる証拠、夢に出てくる友達と
協力関係を保ってるから見れるんだって。
もし、トラブルを抱えてる時は、その夢の友達の表情や態度が
解決のヒントになるそうだよ。

その時の夢、私がなんとハングルを話してる夢だった。

「外国語を話す」人が出てくる夢は
何か意味不明な言葉を話している夢は、暗号にも通じてて
その言葉の様子、パターン、アクセントなんかに、メッセージ
があるんだって。

夢の中の私が発してたメッセージは、何だろうね?
                         (杏路)


2002年04月10日(水) ラブコール

いつもどうり、夕方に仕事が終わったころ、メールを送る。
仕事の合間に彼が返事をくれるのだが、
今日は返事がなかなかこなかった。

また時間が掛かっているのかとサーバーにリクエストしても
メールがなかった。忙しいんだろうと思って、寝ようかな?と思っていると、
携帯が鳴った。

彼からの電話だった。仕事は、早く終わっていたけれど、
上司の誘いで飲み会があったらしい。
新人さんの歓迎会も兼ねていたのだろう。仕事がらみだと酔わないと零す。
今になって酔いが廻って気持ちイイらしい(笑)
彼のお酒はいつも陽気で楽しそう。声を聴いていて私も微笑んでいる。

20そこそこの新人さんとは、話題を合わそうとしてもギャップがあるよ〜
と彼。
上司には、最近は少し様子が変わったようだといわれ女でも出来たか?
との問いに、はい。と素直に応えたらしい(笑)
そのまま結婚してしまえと言われ、さすがに子供も出来ましたとは
言えなかったらしい(爆)言ってしまえば?と突っ込んでおいたけれど(爆)

私も彼の話しに笑いながら、茶々を入れながら応える。
そうしたら、一緒に暮したら、こんな馬鹿話も、聞いてくれるんだなぁ。って…
もちろん、私も変な電話取ったらまた話してあげるよ、と言った。
彼の事を聞くのは、彼の一面を見ることが出来て好き。

一緒に暮すという所から、住む所も実は、考えていないようで
考えているんだ、と、お互いの職場から、時間が掛からない所を
探しているようだ。
やっぱり、考えてくれてるんだと思うと嬉しくなった。

今の私は先の事をあれこれ考えてストレス溜めるよりは、あっくんの成長を
一番に考えてあげる事の方がいいのかもしれない。
大まかな事は彼にお任せしてしまおう(笑)

寝る前に40分も話してしまって…興奮したのか、いつもならコテンと
寝てしまうのに、布団の中でなかなか寝着かれなかった。
でも…幸せを感じられた時間だった。

                 (真央)


2002年04月09日(火) 「告白」のその後…。

約1ヶ月半前の告白の後も、2度逢った。
その時は、意識して引きずられないようにした。
コツさえつかめば、なんとか大丈夫。

けど、
「あの人」は私を頼りにしたくもあり、
至極、不可思議でもあるようで……

『なんで愚痴聞いてくれるんだ?』
『なんでオレまでかまってくれるの?』

と、メールが届く。

『………』(無言)
私は、返事を返せない。
一言じゃ、上手く言えない。言いたくない。

しばらくして、また、聴いてきた。


そんなに変かな?
無償のボランティア精神、なんて、ナイんだ。

「あの人」のこと嫌いじゃないし、
なんか放っとけない奴だけど。

やっぱり、真央ちぃが大切な友達だから、かな。

心、乱して欲しくないんだよ。
まだ……。
ふっきれて、いないだろ?

聴いた話をネタにして、バラしたりしない。
そんな気持ち、ないよ。

けど、いっそその方が、キれてしまって

(ほっ…。)

と、するかな?


残酷な、優しさ。
ずっと傍にある、過去。

ユルしてあげるよ。
と、微笑みながら包みこむ。

それも、無いとは言えない。

                    (杏路)


2002年04月08日(月) 3度目の検診

今度はちょっと早めに出かけたおかげで、駐車場でもそれほどまたされず、
検診も待つことなく診察室へと呼ばれて、じゃ、エコーの検査を…

いつもの診察台。
モニター画面に映し出されるお腹の中…
前回より大きい赤ちゃんの袋。
その中に見える殻つきピーナッツ…これが赤ちゃん。
いつもなら簡単に説明されて終わるのに…今回はなんだか長い…
と思っていると先生が、
「赤ちゃんちいさいですね〜」
と…はてな??

再び診察室で、先生の話しを聞く。
2週間経ったわりにあっくんの成長が遅いらしい。
来週もう1度見て、成長していなかったら、流産の可能性もあるらしい・・・

さすがに帰る時の車の中でブルーになった。
こないだ落ち込んだ時に、今なら間に合うとか思ったから、あっくん成長
止めちゃったんじゃないだろうか???とか…
でも、杏路さんや彼に励まされて元気を取り戻せた。

彼は「例え流産しても、真央を好きな気持ちに変わりないから」
そう言ってくれた。

私がどんなに頑張ったってお腹のあっくんを大きくする事は出来ないのだ。
だから、気持ちをゆったりと穏やかに生活するしかないのだ。
後は、あっくんの生命力を信じて、大きくなってねと話しかけるだけ。

まだ見ぬ君を待ってる人がいてくれるんだぞ〜あっくん。大きくなってね!!

           (真央)


2002年04月06日(土) 京都でお花見。

新快速が京都に着く。

今日は現地集合。
嵯峨野線に乗り換えて二条駅へ。
そこから、てくてく…、約10分。

二条城の南にある「神泉苑」に到着。
入り口が、南と北にある…(どっちで待つか決めていない)。

入場料がいらないようなので、ぶらぶらと、中を歩き、
両方の門の間を行ったり来たり。

数分して、友達も到着。

「神泉苑」は、平安京の造営にあたり、設けられた苑池で
常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名づけられたそうだ。

御池に法成橋という赤い橋がかかっていて、
真面目な願いごとを一つして橋を渡り、
善女龍王社に御願いすると叶うと言うので、
早速、
神妙な面持ちで、黙したまま、ゆっくりと渡り、お参り。


どうか、………………ように。


それから、御池通りを東に少し歩き、自然食のバイキングが出来る
お店で、お昼ごはんにする。
ちょうど一年前、今日と同じ友達に、連れてきてもらった。

とても気に入ったので、また行きたいと、お願い。
おかわりまでして食べ、話をし、話を聴いた。

彼女の仕事のことや、共通の友達のこと。
私の息子の受験のこと、
外国語(彼女は英会話に挑戦中…)のこと。


3時過ぎに別れて、新快速に乗る。
英語やフランス語(?)が耳に届く。
外国からの観光客。姫路城に行くのだろうか?

「春になったら苺を摘みに」という本を読んでいると、
雨粒が窓を伝った…。

                          (杏路)


2002年04月05日(金) エリア拡大

四月に入ってから、センターで電話を受ける範囲が広くなったせいで、
ものすごく忙しい…
今日も残業要請があって30分居残り…

朝からバンバン電話が入るから、喋り終えて、喉を潤す暇さえない。
と言うか手を伸ばすことすら出来ない状態…
結局8時間半で取った電話が、69本か、71本…どっちにしても我が目を
疑う数字だった。

さすがに疲れてご飯を作る元気もなく、あるもので適当に済ませてしまった。
あっくんごめんね〜たまには私の身体に付いてるもので我慢してくれ(爆)

エリア拡大は、携帯だけで充分だ(爆)
ポリープ出来たら、労災下りるのかなぁ??(爆)

          (真央)


2002年04月04日(木) 大阪に出かける。

昨日、ふらりと。大阪まで出かけた。
中高の頃、親しかった友達と久しぶりに逢うために…。

どんな友人も、コミックランドとまんだらけに誘って
強引に連れてってしまうのだけど、
彼女も、当然のように犠牲者になった。4人めかな〜。

テニプリとHUNTER×HUNTERの新刊を買った。
欲しい!!と、探した新田さんの同人誌(香藤×岩城の本)
どっちにも無かった。残念…(涙)

食事しながら話題になったのは、PTAや息子(どっちも中3)
のこと。
苦手ながら、当たってしまったのでやったPTAの苦労話して、
慰めあった。
あとは受験のこと。彼女は私より、結婚も早くて、
高3の娘さんと中3の息子さんがいるから、体験談も豊富。

彼女は、口数は少ないけれど、話が個性的。
私とちょっと違った視点なので、とても楽しかった。
逢ったあと、届いたメールには、私と逢うのが久しぶりで、
緊張していました…と、書いてた。(爆)

うーーーーん。緊張させてるかなぁ、私って??
                       (杏路)


2002年04月01日(月) これがつわりなのか??

前の晩味噌ラーメンだけ晩御飯を済ませたせいか、
胃がムカムカして夜更けに目が覚めた。
お腹が空くとムカムカするし、痛みを感じたりするから、
取敢えず、オレンジジュースを飲んで見た…甘くてどうにもムカムカが収まらない。
それでも眠かったし、まだ4時前だったのでそのままなんとか眠る。
朝起きて…やっぱりムカムカする…残り物の味噌汁とご飯を少し口にして
洗濯物を洗濯機にお任せして、また布団に逆戻り…

昼過ぎてようやく起きだし、洗濯物を干して、杏路さんと電話して、
ゴロゴロしたままの1日…
まともなご飯を食べてない…夕方買い物して、100%のオレンジジュースと
うどんを買ってきた。後は、好きだったごぼうサラダと、唐揚げ…
唐揚げはふたつで満足したのでちょっとづつ食べることに。サラダを食べたら
満腹感があったので、うどんは後から食べた…
うどんはいつも美味しいのだぁ〜〜
うどん好きの子供はうどん好きなのかもしれないなぁ(爆)

             (真央)


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