ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
二日酔中。 日曜日の二日酔何ざ、屁でもないぐらい。
どんよりと土気色の顔のまま、 欠勤電話をするのが 面倒だから、 会社に行く。
が いかんせん役立たずな 頭と体。
ゆーこさんに 「よく来たね」と 誉められる。
うれしい。
が いかんせんいるだけで 役立たず。
さっき、トイレで思いっきり吐いてきた。 真っ黒い液体が出てきて びっくりしたら、 それは その前に飲んだ 胃薬だった。 腹黒さが 胃液にまで表れたのかと思った。
が いかんせんどうにもこうにも 治まらない。
その後、もう一度吐いてきたら、 今度は 胃液が現れた。 色を見て安心するのは 脳みそが役立たずだから。
会社のお客さん用麦茶が 空になったので、 六甲のおいしい水に変える。 もう あたしのものだから、 行儀悪いが ペットボトルごとがぶ飲み。
まだまだ 二日酔との戦いは続きそうだ。
その後、水を飲んでは吐き、吐いては 水を飲む。 六甲の美味しい水も 2瓶めに。
頭もがんがんして 取り替えたい気分だった。
が、それでも ゆーこさんに昨日の報告を嬉々として喋る。 喋っては 気持ち悪くなり また 吐く。
なるべく外のお使いにでる。 暑さのせいで 汗をかき、アルコールも外へ出す。
弁当を買いに行ったのだが、 どうにもこうにも のどを通らなさそうだったので、
「二日酔いのための弁当」
を特別に作ってもらった。 が、それも箸をちょっと付けただけで ぎぶあっぷ。
昨日、そんなに飲んだっけか?
つらつら 思い出す。 余計なことまで 思い出した。 確か、商店街の会長のコップの中が 日本酒だったので、 さくっと取り上げて 飲んだこととか。 おエライさん達 相手に えらそーなこと言いまくったとか。 ひぇ。
吐くペースが だんだんと開いてきて、 夕方あたりに ようやく顔色もよくなってきたらしい。
どうにも仕事にならないので、とっとと帰ることにした。
今日は 決して 飲まないと誓って。
2002年07月30日(火) |
不本意 but 満足 |
弾けっぷりが 足りないと言われた。 それは 結婚したせいだと。
不本意 である。
それは 自分で犯してしまった 舌災いのせい。 原因が結婚ではない。 もしくは 段取りのせい。 何分押してるか 去年は誰も気にしなかった。 掛けられてもいない プレッシャーが 肩に掛かる。
実は 勝手に?自己嫌悪に陥っていた 昨日。 めぐっちとのメールのやり取りで 今日来てくれるかも!と分った時。 とてつもなく 嬉しかったのだ。
今の自分がどうあれ、自分がこの人!と決めた人に、 そのジャンルのことを 恥じらいもなく見せられることなんて 無いから。
今回のスタッフにも同じことを紹介したのだが、 MCをやるにあたって、めぐっちの色々な経験を綴ったは、 あたしの教本だ。 それをそのまま と言う訳では無いが 上手く言え無いが それに当てはめ も一度考えてみると、 自然で無理ない言葉を言った気がする。
兎に角 ばいばい またあした
今、群馬県S市にいる。無論 仕事だ。 寮の立ち上げで、アパートの鍵を受け取り、布団の搬入が終わったら、すぐに東京に戻る。 問題は、その布団が入る時間。2時間の幅を持たせなくてはいけないほど、混んでるらしい。 時間つぶしの原稿も本も持っては来たのだが、それらをすんなりと鞄から出す器用さは、持ち合わせてはいないらしい。 小遣いと時間の無駄遣いさ加減は、子供の頃から超一級? まあ、そんなことは いいとして、 退屈さを感じないのをよしとする。 初めて携帯から日記をアップするのだが、こんなまどろっこしいこと もうやだ。
**************** 会社には 3時過ぎに戻って4時前には早退。 地元の祭に行く。 バイト時代も含め 10年足らずぐらいか。
無事、祭第1日目終了。 折角の打ち合せ事項をすっとばし、相変わらず、 出たとこ勝負で喋るのは 止しにしたいと 心底思った 1時間前。
シャベリの最中に仕事(職人)からの電話が入り、 一旦ステージを下がって、かけ直すと、 ぐちばっか。 で、MC一個飛ばす始末。 おんどりゃ〜 いつもいると思うな 総務と警察。 つーか、個人の携帯にかけるなよ。 「はいはい あたし、今別の仕事中だから」と つれなく電話をオフにする。 今の会社に満足がいかないんだったら とっとと辞めれ。 で、その福利厚生がいいってとこにいきやがれ。 偉そうなこと言ってる 同じ口で みみっちいこと言うなよな。 しかも あたしに。
とまぁ ぼやいたところで詮無いことで。
この時にしか会わないイベントの出演者達とも 同窓会のような感じで さっき 1日目の打ち上げ終了。 来年、お互いどんな感じに変わっているかが 楽しみ。
明日も会社早退して 祭。 めぐっちを誘ったら 来てくれるかもしれないと言う。 それもまた 楽しみで。
江戸っ子の夏の粋(江戸っ子ではないが)隅田川花火大会を堪能した後、 りゃ!のオフに参加したのだが、 どうも酔いの回りが早く、しかも変に残ってしまって、 さっきまで気持ち悪くて寝てた。
花火は 相変わらず綺麗だったこと。 その音をモへさんに聞かせようとしたら、 「午後4時から飲んだくれてる」 「りゃ!に行ったら また電話してくれ」 と言われたこと。 麦ちゃんは また33回転で 「にごちゃ〜ん ごめんよぉ」 と 何を謝ってるのか分からなかったこと。 KPヘビ商人に至っては、あたしにまでオフレポの催促をしていた。 これはもう、職業病なのだろうか? まぁまぁ。
りゃ!のオフは 二次会のカラオケから参加したのだが、 すでに異様な盛り上がりで、 めぐっちさんは スカートをひらひらさせながら舞い、 るる嬢は 義母殿から解放されたハイテンションを 隅田川の花火に負けないぐらい炸裂させていた。 おやびんは フンドシ姿が相変わらず凛々しく、 お初にお目にかかる あゆさんは 眉間の皺が渋かった。 あの2人は こんなウラ家業をしてそうな怖い人をパシリにさせていたのか! と 改めて畏敬の念を抱く。 さとうやさんとゆうさんを見て、安心したのは、地獄に仏 って感じ。 おゆみさんは 美しい方だった。最後に握手した時の手の冷たさと、 その線の細さで 酔っ払ったあたしの頭の中には「雪の女王」として インプットされたのは、誰も否めないだろう。 ダーマ母さんは とてもかわいらしく、そこの雰囲気に場違いな清楚さを 持っていたような気がするのだが、 それでも居たと言うことは 同じ穴の狢? M君と言う人、最後までシラフっぽくて 最後まで狂乱を冷静に取りまとめようとしていたその姿、 りゃ!の3人が必死扱いて 会計にさせたのも無理はない。 狂乱ではあるものの 全体的に人道には外れてなく、大人っぽい雰囲気があった。 OEOと比べたら どこもそうなのかもしれないが。
たしか、花火屋たっちゃんとTさんも一緒にいたはずなのだが、 いつの間にか居なかった。
あきばちゃんとオニオが最後まで面倒見てくれて、 家が近所?ということで くじらっこさんとあたしたち3人でタクシーに乗って ちゃんと家まで帰ることが出来た。
途中でおやびんたちのタクシーと隣になって 変な顔比べをしたのは ゆめなのか?現実なのか?
明日は 地元の祭がある。 会社を早退して、祭に参加する。 あと少し真夏の狂乱が続く。 それが 7月。
2002年07月27日(土) |
オフその後 癒しのそよわーるど 朝 その2 |
今さらながら。 あの日は まだ1ヶ月も経ってないのに、遠い日の夏の思い出になってる感じがする。 飲んだくれて帰った、あたしのところに一通の封筒が届いていた。
そよわーるどで そよさんに撮ってもらった写真達。 たけぞ氏が とてもいきいきと優しげに写っている。 あたしの顔も いつもより角がとれてる感じ。
そんな 魔法の世界が そよさんの世界。
画廊を後にした 我々三人が向かう所は、 神仙沼(しんせんぬま)。 そよさんのそよふぉとにも 度々登場している。
すぐそこ の感覚は、土地土地で全然違う。 いや、北海道だから 違うのか? 20キロぐらいの道のりは ニセコではすぐそこ。 うちだと精々会社まで(1キロ未満)
すぐそこ?の神仙沼まで ドライブ。 道々、そよさんからいろんな話を聞く。
途中で キタキツネに出会う。 野性のキタキツネに 生で出会うのは もちろん初めてだ。 そよさんが 安全のために スピードを落とすと つとと寄ってくる。 「えさはないの。あっちへ行きなさい」 そう言っても あくびをするだけで 一向に動く気配はない。 人に慣れている。 観光客が 寄ってくるキタキツネ可愛さに えさをあげてるらしい。 が、このキツネたち、えらい病気を持っていて、 それが人間に伝染すると どえらいことになるらしいのだ。 キタキツネの分泌物の中に、人間にとって 命取りになる菌がある。 その分泌物が掛かってるとも知らず、木の実などを 人間の子供達が食べてしまうと、現代医学では防ぎ様もない病気になって 死に至るらしい。 保健所や学校や保護者が 口酸っぱく言って聞かせても、 食べたくなったら口に入れる!子供達。 その病気が人間に移るのを恐れて、 ホテルやペンションの人々が 一生懸命キタキツネを追い払っても、 観光客がキタキツネを呼んでしまうらしい。 キタキツネも 苦労してえさを探すより、 簡単にえさが手に入るところを うろうろしているとのこと。 キタキツネを 責めるわけにはいかない。 初めにキタキツネ達の生息領域を荒らしたのは 人間。
自動車事故には たぬきの方が合うらしい。 その習性によるものらしいが。 確かに、昔 ちょいと田舎の現場に行くために、 毎朝6時頃 旧街道を通ると たぬきの屍骸を見かけた。 猫のそれより 多かった。
道間違いをして、途中まで戻り、 ほどなくして 神仙沼に到着。 寒い。真夏なのに 寒い。 気温は 20度ぐらいでは? トレッキング?には ふざけた格好で 遊歩道をずいずい進む。 途中で行き交う人と挨拶を交わす。 木々が 遊歩道に被いかぶさって、寒いけど気持ちのいい空気が 体にまとわりつく。 そよさんは 見知らぬ人の「この植物は?」という問いにも親切に答える。
1キロも歩かないうちに 神仙沼に到着。 なんとも言えない 澄んだばしょ。 ミツガシワが 群生していて、風が吹く度にそよぐ。
そよさんが 時間を忘れてしまうのも、 若林さんが 魅せられて 一瞬を撮るために 一晩明かすのも、 分かる気がする。 踏み込めば パリっと壊れてしまう はかなさと 厳しい寒さに耐える たおやかさを もっている世界。
厳しい自然故に 1年で数ミリほどしか成長しない植物。 それらが魅せる癒しの世界は そよさんが話す声のトーンにかぶさった。
2002年07月26日(金) |
オフその後 癒しのそよわーるど 朝 その1 |
前夜にゆっくりと眠ったせいで、朝の目覚めは爽やかだった。 が、天気の方は いまいち爽やかさには欠けていたが。
朝御飯もとても美味しかった。 普段は 朝食は食べないが、旅行に行くと必ず食べる。 美味しい朝食に箸が進み、朝から満足至極。
そよさんとの待合せ時間まで間があったので、 逗留している Kさんにこの辺のいい散歩道を尋ねたら、 一緒に来てくれると言う。 Kさんは、この3月に東京を離れ、ニセコで森林インストラクターを 生業にして暮そうとしている人だそうだ。 ただ散歩をするには 勿体無いぐらいの案内人である。 寒さに震えながら、自然公園を散策し、 北海道特有の植物、 森林の生態系、植物の名の由来などを とても分かりやすく説明してくれながら散歩をした。 短い時間だったけど、とても堪能出来た。
ペンションに戻ると そよさんがいらっしゃっていた。 あたしたちの車は そのままペンションに置いておいてもらって、 そよさんの車で 出かけることにした。
まずは 双子の木。 それを見たさに ニセコを旅のルートに入れたのだ。 その木は 写真で見たままに、そこにあった。 じゃがいも畑の真ん中に。 とても 雄々しく優しく、仲良さげに。 思っていた以上に 素晴らしい風景だった。 とても嬉しかった。
余談ではあるが、このような畑の真ん中の木を残してもらうのに、 写真家の若林さんは たいそう奔走しているとのこと。 そんなことは 微塵も態度に見せない若林さんの人柄に ニセコの自然のもつ優しさが重なる。
次なる目的地は 前夜画集を拝見した 徳丸さんのギャラリー。 ちょうど展覧会へ出品する絵を選定されていたそうで、 アトリエにも入れさせてもらって、各々の絵についても解説して頂いた。 徳丸さんの絵は、風景画が主なのだが、山だけが とても荒々しく猛々しい。 山登りを実際にされていて、山の厳しさを体験しているからだそうで。 木々や植物は それはそれは 色合いもタッチも繊細。 画集を見ていた時は、その青に惹かれたのだが、 実際を見ると、赤に魅入られた。 今の部屋では 飾ることが出来ないが、 いつかもう少し広い部屋に引っ越すことが出来たら、 どの絵を飾りたいか、ココロの中でいろいろ選んだ。 そよさんとたけぞ氏とで どの絵が好きか を選びあいっこしたのだが、 それぞれが それぞれに 納得出来る絵を選んだ気がする。
お客さんがお見えになり、若林さんもひょっこり顔を出してくれた。 PCで作成した ギャラリーも拝見し終え、 打ち合せにお忙しそうなので、辞去。
そして 次なるそよわーるどに向かったのであった。
2002年07月25日(木) |
オフその後 癒しのそよわーるど 夜 |
そよさんが住む ニセコ。 工事ばかりの道を 1時間半、 両脇にじゃがいも畑、ぽつぽつ見える屋根。 まったく本州では お目にかかることのない 独特の風景。
少し迷って 無事ペンションに着く。 旅の宿「吟渓」は そよさんが紹介して下さった。 他にもいろいろ候補をあげてくださったのだが、 美味しい日本酒があるらしい。 料理が美味しいらしい。 8月のそよおふの会場でもあるらしい。 ということで 好奇心満々で決めた。
みごと 大当たり。
まず、入ってとても気持ちのいい木の香。 やさしくて人懐っこい笑顔が素敵なオーナー御夫妻。 まずは 部屋に案内してもらって、夕食までの間少し休む。
夕食は そよさんとそよさんの写真のセンセの若林さんと御一緒の予定。 この旅を企画する時、そよさんに「お会い出来ますか?」と メールで伺った時、快く夕食と次の日におつき合いいただけると 御返事を頂いたのだった。
そよさんは そよさんだった。 息子さんが書いた絵にそっくりで、 きらきらとした瞳と優しく笑う声。 雰囲気が とても素敵な女性だった。
そして 若林さんは 爽やかで 話し上手で 魅力的。 やはり活き活きしてる。
4人で食事をしたのだが、 初対面のたけぞ氏も和んでいるのが分かる。 料理もどれもこれも優しくて美味しいし、 オーナーが選んでくれた日本酒もとても美味しかった。
食事が済んだ後は、若林さんの写真のスライド上映会。 ニセコの自然、生きてるもの、はかないもの 大きさを問わず、どれもこれも 愛でて撮影してる感じ。 植物や自然現象の説明もさることながら、 撮影中の苦労話も さらりと話してくれて、 目も耳も その世界に魅せられていた。
若林さんの写真は その山の青が あたしが好きな 東山魁夷 に似ている。 そう言ったら 若林さんも 東山魁夷が好きらしい。 なんだか納得。なんだか嬉しい。
そよさんは メールでは おしゃべりが上手ではない って仰っていたのだが、 そう?と思うほど、いろいろなことを楽しそうに話してくれた。 団欒 というトーンがとても相応しい雰囲気を創りだして。
リビングに置いてある 徳丸滋画伯 の画集を眺めながら、 若林さんと知り合いであること、 テーマが似ていて、それをテレビで取り上げられたこともあること、 そんなこんなを話していたら、 本物を観たくなってきた。 そんな気持ちをいち早く察知してくれた そよさんが 「明日、ギャラリーに行きませんか?」と言ってくれた。 そしたら、若林さんが ぴっぴっぴと携帯で 徳丸さんに電話を掛けてくれて、 「明日、東京から来た知り合いが行くから 宜しくお願いします」と。 うわ〜い。
楽しい時間は あっという間に過ぎて、 そよさんと若林さんは お帰りに。 そよさんとは 明日の朝の時間を約束して、 若林さんには 3人の写真を撮ってもらった。
そんなに日本酒は飲んでいなかったし、 オーナーも「もっとお飲みになりますか?」と勧めて下さったのだが、 ココロが充分に満足していたので、辞退した。
部屋に戻り、早々と寝ることに。
喋るのを止めると そこは耳がいたくなる程の静寂の世界があった。 人工的な音が聞こえない。 耳が壊れてしまったのでは?と思う程、静かな世界だった。 不安な感じはない。夜だから静かなんだと ただそう思う。
「今夜は星が見られないね」と あの写真の満天の星に魅入られたたけぞ氏が、心底残念そうに呟く。
珍しく、たけぞ氏も 音を立てないで寝た。
静かで深いニセコの夜だった。
2002年07月24日(水) |
オフその後 急ぎ足の小樽 |
まずは お詫び。 オフ当日のタイチョウについて、 みにむりんが 暴露してしまったために 御心配して下さった皆様、 どもどもです。 いやあ、今明かしてしまえば、あれも体質が故のコトなのですが、 朝から普段飲んでる薬が効かなくて、いつもの倍飲んでました。 それ故のハイテンション と御考え下さい。 また、バスの発車時刻ギリギリまで 来なかったのも、 おこもりをしてしまった & エレベーターが来なかった ので、決して みにが 遅刻の女王ではないからです。
また、たけぞ氏は 大勢の人に会うと必ず腹を壊します。 多分キンチョーしていたためです。 復活したのは じんちゃんが 名残惜しそうに ゆうさんの部屋を退室した後。 ホント 我が夫ながら そのはずし方はどうよ?
蝦夷出発前は、「みにはうちに無事に辿り着いたのか?」と 御心配の電話&メールを頂き、小江戸組が蝦夷を発った後は 事細かに「東京は暑い」「ひとりぼっちは 寂しい」と 報告電話&メールを頂き、 「あたしって人気者?」と 勘違いしそうなくらいでした。 普段から えばりちらしているせいとも思いますが。 もへちんが「にごちゃん 人気者」って 酔っ払いながら感心してたけど、 あれは もへちんがモへヅだから 誰も恐がってシラフでは電話出来ないからだと 思ったりもした。 河童に尻小玉抜かれるのは 誰だって嫌。
ススキノデビューが 失敗に終り、 家出の決意を固め、たけぞ氏と道央さすらいの旅。 まずは、ススキノで 3億円をもらえると言う 素晴らしい札を買う。 もちろん、3枚。
車を借り、いざ港町へ。 その前に もへちんに 昨日飲み残したビールを引き取ってもらおうと電話をしてみたのだが、 酔っ払ってないと 電話に出てくれないらしい。 しょうがないので、そのまま旅路を急ぐことにした。
取りあえず、裕次郎記念館。 おばちゃんばっかり。 西部警察仕様 爆竹木っ端微塵のソフトクリームってものは無いらしい。 殆どノリとネタのために入場したのだが、 その展示品のきめ細かさは ファンなら涙。だと思う。
オタモイ海岸を見学。 こんなさぶい日なのに、海水浴に興じる北の若人。 でも、岸壁ダイブは気持ち良さそだった。
るみと落ち合う。 相変わらず、るみはるみで、大人で素敵な人だった。
飲んだくれるなら この街でも。 イイ店がたんとあるとのこと。
石造りの建物が立ち並び、雰囲気は独特。 その街並は 映画で観た人も多いと思うが。
街一番 古いパーラーで 昔ながらのアイスクリームを堪能し、 るみとは 再来を約束して いざ ニセコへ。
本当なら 余市のニッカウイスキー工場に寄って、 原酒を飲みたかったのだが、時間が無いので、 次回に。
うにも堪能したかったのだが 次回に。
次回 次回って 全部後回しにしてしまうのもどうかと思われるが、 一人でも来れるところだし。 全部堪能してしまったら 楽しみが無くなりそうだし。 家出の理由が無くなるのは やだし。
いやぁ、でも小樽って 本当によさげなところ。 るみが「日本酒が旨くて、朝までヨッパで寝てても大丈夫な居酒屋がある」って。 それだけでも いい街・小樽。
2002年07月23日(火) |
代打不在日記(モヘジ)。 |
うっほうっほ。 こんにちは、モヘジです。
思い起こせば狂乱の大蝦夷オフを終えた7月21日、 もうほとんどの江戸組は帰路についているというのに、 居残り組と名残の大通公園で外ビール、 その後、ヤケクソのごとく怒涛のビール園襲撃、 おまけにこの人が泊まるというホテルにおしかけて酒を飲み、 それでも足りずに次はこのおきさん夫婦の宿泊先へ行き、 そこで散々大騒ぎをしつつ、 とても仲のよいたけぞ氏とおきさん夫婦が、 出会って1年ほどだという話などをきき、 同行してくれた麦ちゃんと、
「そうかそうか。出会って1年というのは大変楽しくすばらしい時期だ。 私もつきあってるヤギと1年目のころは週に2回は電話していた。 今ではとても考えられないほどのアツアツぶりであったことよ」
「え、モヘちゃん週に2回も電話してたの? うぜえ」
などというまことにヒガミっぽく感じ悪い話をして場を盛り下げ、 やがてもう酒を飲んでるんだか何飲んでるんだかわかんなくなった頃、 大変控えめな言い方をするなら、 「ほどよくべろべろに酔っ払った」おきさんが、 「ほどよくべろべろに酔っ払った字」でメモ用紙に書いた、 自分の日記のIDとパスワードを私に渡して言いました。
「くれぐれもおろしくね」
いや、たぶん「よろしく」って言いたかったんだと思います。 でも、たぶん「ほどよく酔っ払って」いたために、 ついうっかりおろしくしてしまったんだと思います。
しかも、今、手許にあるその時のメモを見ますと、 一度書いたパスワードを「あ、いかんいかん間違えた」という感じで消して、 その下に改めて「そうそう、こっが正しいのよ」という感じで書き直して、 なのにその訂正前と訂正後の二つのパスワードがまったく一緒という、 大変不思議な現象がおきていることが発覚しました。
いやあ、酒って本当にすばらしいですね。
で、そのような形で私に日記をおろしくしたおきさんは、 そのまま愛しのたけぞ氏と蝦夷の旅にでてしまったので、 律儀な私がこうして代打不在日記を書いていると、 まあそういうワケです。
そんで何書こうかなと一晩悩んだのですが、 3月の大江戸オフをはじめ、 おきさんには本当にいろいろお世話になっているし、 代打日記というのはさりげなく本人を持ち上げなくちゃいかんという話を この前どっかで小耳にはさんだので、そうします。
えーと、みなさまこんにちは、モヘジと申します。 今日は日頃お世話になっているおきさんのかわりに、 この日記をぜひと頼んで無理に書かせてもらっています。
おきさんとは日記が縁で知り合いました。 酒ばかり飲んでいる私を時には姉のようにあたたかく見守り、 時には幼なじみのように楽しく共感し、 時には傍若無人なKPのように夜中に酔っ払って電話をかけてきては、 寝ていた私を叩き起こして、
「どうして夜中なのに電話にでるんですか。 ふつうこの時間に電話をしたら留守電に切り替わるはずなのに、 そしたら私はそこで一発歌をうたうつもりマンマンだったのに、 どうしてそんな寝ぼけた声で電話にでるんですか。 この私の歌いたい気持ちはどうしてくれるんですか。
それより今、酔っ払って自転車に乗って、 しかも電話しているからすごくフラフラしてあぶないんですけど。 何回もよそのカベにぶつかりそうになってんですけど。 これはモヘさん、どうしてくれるんですか。
それからそれから、夜中なのにどうしてこんなに車通りが多いんですか。 しかもみんな信号守ってるってどういうことですか。 赤はとまれで青はすすめですか。そうなんですか。 それは夜中でもそうですか。蝦夷でもそうですか。
歌は歌は歌は、歌っていいですか。 うわっうわっうわっ、あぶなーい。うきききききき。 今、ここで転んだら警察呼ばれますかね。うっほほーい」
と声をかけてくれるような、とっても愉快な人です。
私はそんなおきさんが大好きです。 そんなおきさんと知り合いになれてとっても嬉しいです。 また今度一緒に飲みたいです。
でも、その前に、この日記を彼女の目につかないうちに、 消しちゃった方がいいかなとも思います。 これを読んだらもう二度と遊んでくれなくなっちゃうかもしれないからです。
せっかく訂正前と訂正後のでもなぜか同じパスワードも知ってるので、 ちょっとこれから考えてみます。
そんなわけで、ぼやぼやしてたら彼女が帰ってきちまうので、 唐突ではありますが、みなさん、さようなら。 この日記のことはおきさんには内緒にしといてください。
くれぐれも、おろしくね。
多分、「代筆日記」の件は、ビール園を後にした時、 いろいろあった末頼んだと記憶しています。 どもどもでした。
今後ともおろしくね。
2002年07月22日(月) |
江戸の仇は蝦夷で打つ |
で 返り打ちにあって THE END
そんな感じがした、大蝦夷オフ。
言うだけは タダだから? きっかけだけを作るだけ作って、 段取りは 人任せで、 心配だけは 人一倍して、 3月と7月の2期で 完結した モへオフ。
まあ 始まりがあれば終りがある。
宴は華があるうちに散るのが粋。
モへオフは それまで虐げられてきた「酔っぱ」な輩に 夢と希望を与えて その役割を終えるのだ。
北を向けば そこには明るい星がある。
誕生日が もともと 特別な日 なのは 誰でもそうかもしれない。
年をとる日
というよりも
生まれた日
という感じが強くなったのは 何才からだろう。
一時は 誕生日すら忘れて仕事をして 明け方 へろへろになって家に帰ったら 母親からのメッセージが入っていたなんてことがあったのだが、 ここ数年は きちんと宣伝をし、色々な人に祝って頂いている。 とても嬉しい。
生まれてこなければ この人たちに会うこともなかったし。
生まれてきたから この人たちに出会うことが出来た。
ただただ 生まれてきたことを喜ぶ日。
うまく年を重ねていきたい。味が出るよう。
そう思い始めたのは 何才からだろう。
あたしだけの ハレの日。
その準備をしてくれた人たち。 快く祝ってくれた人たち。
ありがとさん。
今年の誕生日もとても素敵だった。
2002年07月20日(土) |
夏江戸や 仕事恋しや 酔いの後 |
空いたところに ぼそっと。
蝦夷でほうけている間も 仕事ってあるってことで。 いない時に限って いや いないからこそ起こることなのか?
●その1 ゆーこさんの報告 メール編
件名 大事件です!!
本文 こんなことを、お知らせしなければならないなんて・・・・
おきさんの右腕が!体の一部が!といっても過言ではない
○○Cコンピューターが息の根を止めてしまいました。 「オペレーションがみつかりません。」 といったまま、息をひきとりました。
Aさん曰く「ここんところ、一日1台のわりでこの症状がでています。 何処のメーカーと決まっているわけではないんです。」
ERに緊急入院させてもらっていますが、蘇生を願うばかりです。 明朝、連絡をいただくことになっています。
折角の楽しい休暇をビックリでお出迎えしたことをお詫びします。 バックアップ、とってあったかしら〜
遊び疲れて帰ってきて、メールを開いて この結果。
何?!連絡ないのは良い証拠 とばかりにほうけていたのは 間違い?
まぁ 逝ってしまったものはしょうがない。 お陰で 半日 アプリケーションの再インストールに追われた。
●その2 ゆーこさんの報告 甘味編 朝、会社の冷蔵庫の氷をチェックしてる時に気がついた シューアイス。 あたくしが いない間に 印刷屋のK氏が 部下を連れて挨拶に来たらしい。 K氏は ほぼ同い年で、普段からわりと気さくに付合っている。仕事上で。 でも 仕事ができる人でもある。 その日も、近くに来たから ということで立ち寄ったらしい。 で、暑いからということで シューアイスを手土産に。 あたくしがいないから、ゆーこさんが暫し歓談をしていたらしいのだが、 あたくしがいない理由を 「北海道まで宴会をしに行っている」 「去年は 東京で宴会をしていた。東京では しょっちゅうだけど」 「一昨年は 広島に宴会をしに行った」 「宴会をするために 仕事をしている」 「いや 宴会をすることが本業で その片手間にこっちの仕事をしている」 などと まことしとやかに話をしたらしい。 「信じたのよねぇ」なんて 笑って言ってくれてました。 をいをい 総てが間違いだとは言わないが、訂正を入れなかったんかいっ!
ああ、今後どんな顔をして クレームを言えばいいのだろうか。
●かん様 第一声 「宴会は どうだった?」
●専務 第一声 「飲み会は 楽しかった?」
宴会だけじゃないって 5000万回言わなきゃダメなのか?
ススキノデビューを果たせなかったら、 今度は 週末 札幌ススキノに行く と言ったら、 「いってらっしゃ〜い いつ行くの?」 だけ。
いつでもいいみたい。 仕事さえ 終れば。
つーことで、 かなり真剣に考え中。
明日、大蝦夷に、ほぼ8割の目的が飲みに旅行に行くのだが、
だが、
あたくしよりも たけぞ氏の方が わくわくドキドキしている様だ。
●実証その1 今日、昼間 たけぞ氏からきたメール タイトル うきうき♪ 本文 うっきっきー!
札幌に着く前に 東京で壊れそう。 もちろん、壊れたら 留守番。
●実証その2 さっき、また届いた タイトル ルンルン♪ 本文 るるるるー!
一抹の不安がよぎる。
大丈夫か?
「モヘジ16才 東京ひとりぼっちの夜は嫌」を こよなく愛する かん様(52歳)。
さっき、新たなコピーが誕生したと ぽろっと伝えたら、 「今度は 何歳だ?」とオトリに喰らいついた鮎の如く反応がいい。 「あ、今は判らないです」 「判ったら 内線で教えてね〜」と地下に潜る。 BBSから探し当て、内線を押す 「判りました!今度は 『モヘジ16歳、温泉ドキドキ大人の夜はイヤ。』 ですっ!!」 「おおおおお〜〜〜!今度は 温泉ドキドキ かぁ〜」と ご満悦。
拍車を掛けてしまった。 絶対。
案の定だった。
ゆーこさん(年令不詳) 「北海道は ビールが美味しいわよ!」(ゆーこさんは飲めない) 「ああ 今頃は ひこーきねっ!」 「ああ 今頃は 温泉ねっ!」 「お天気がいいといいわよね〜♪」 「みにちゃんは 何時にくるの?」 「もう、身体の調子が悪くなったら どうするの! 後は野となれ 山となれなんだから とっとと帰りなさいっ!」 「モヘジさんに よろしくね☆」(会ったことない)
ありがたいんだが、いや 本当にありがたい。 でも、ゆーこさんに託した 副業のマニュアル、 目を通して貰ったのだろうか? 如何せん、ネットもPCも苦手だ と豪語して、 開き直りは ほっけよりうまい。
たった2日間休むだけなんだが、ここにも一抹の不安と言うより、 休み明けの仕事の量が気になる。
さて、家に帰り、まずはビールを飲んで、 これから髷を堪能しつつ、みにとたけぞ氏が来るために 部屋を片付けて、 明日の準備なんかしてみようと思う。
とは言え、 日本円が使えて、そこそこの都会に行くのだから、 無いものは 現地調達。
ああ。髷の時間だ
2002年07月18日(木) |
10000ヒット御礼企画 とはタイトルだけ。 |
気がついてみたら、なんとまぁ。ありがたいことで。 実は、9000を超えた辺りで、何かやろうか とも 考えたりもしてたのだが、 如何せん7月に入ってから、健康診断はあるは、ぱーちーはあるは、 内職はあるは、蝦夷征伐はあるは、 そのために、今残業しまくり千代子さんで、 珍しくとても効率的に仕事してたりもして、 「やればこんなに早く仕事が出来るのね」と 墓穴を掘った感じも否めなくて、 そんなこんなしてるうちに、この状態。
で、今週末、大蝦夷に行くわけなんだが、 みにむりんの遅刻対策として、 前日はうちで合宿を強制したい。 たけぞ氏の許可も貰った。 これで、一番の心配事が無くなった。 あとは野となれ山となれ。
あとは、熊をみるか河童をみるか怪しげな宝をみるか。
そして 目下最大の悩みだったのは、 花火をとるか 清楚をとるか。 現在、清楚にやや軍配が上がり、 途中抜けで参加予定。
さてさて。
おにちゃんが、久しぶりにメールをくれた。 相変わらず、花火と清楚とどっち?!って。 珍しくタイトルを入れてきた 「気分はすでに北海道?」 はい そのとーり。
で、今度は、見ず知らずの人から。 これ、絶対人違い。名前は似たようなものだけど、 あたくし、本名に こ(子) って 接尾語ないから。 言い切り。これ潔し?
こりゃこりゃ
青白ストライプの兄さんが ほぼ定刻通りに荷物の集荷をしにきてくれた。 いろいろ他所からは言われているが、 何故かうちは ネコ系よりもストライプとの方が、相性がいい。 この地域では、うちが結構お得意サンらしく、いろいろ付加サービスも つけてくれてるのだ。 もちろん、クレームはガンガン言う。ここにきてようやく向上。 この関係を簡単に他所には切り替えられない。 これで、ようやく今日の仕事の一区切り。 自称 composer。 何でも包みまっせ とベタなところで。
えっさえっさ。
がつがつデータの入力したいんだけど、 隣では ゆーこさんが 一太郎で悪戦苦闘してて、 独り言なんだけど、それが助けを呼んでいることは、 一日のほとんど、顔を突き合わせ、 最近では つーかーになりつつある状態だから、 判るのだ。 ようやく用紙設定をご理解頂き、 ぱちぱち文字を打込はじめている。 今しばらくは、まいわーくに戻れるか?
うっほうっほ
で、結局データをがつがつ入力出来たのは、 ゆーこさんが懸命に文章を打ち込んでいる時だけで。 その後、印刷設定やら保存やら。 一旦、文章を作ってもらったら、 今度はあたくしが、それに宛名を打ち込んでいかねばならないので、 分かりやすいところに 分かりやすい名前で保存して欲しい という要望に応えるべく、何やら一生懸命名前を付け、 保存をしていたらしいのだが、 「も〜!」という お決まりのお呼び声が聞こえて、 総ての仕事を中断し、保存場所の指定の仕方を教えていた。 で、確認のために、自分の本業用(あたくしは、副業用にもPCを買ってもらっている)で、 件のファイルを呼び出し、自分のPCに保存する作業をしていたら、 「魔法!魔法!」と はしゃがれてしまったため、 そのやり方を説明する羽目になった。
ずんこずんこ
さらに 職人Kさんより 旧盆に田舎に帰るための 給料前借りの電話を受け、 「え?今月給料500万円って計算出てたから いらないでしょ」とか 「今貸しても パチンコでするから ぎりぎりまで貸さない」とか 「で、いくらの御要望で?」 「あ〜それは(ゆーこさん=経理)と直談判だな」とか 散々にからかって 遊んでいたのだが、 Kさんが、とてつもなく真面目に、 「いや、最近前借りはしてないし、仕事頑張ってるし」 「今月は仕事なかったけど、それはサボってた訳でも、 もちろん会社が悪いって言ってる訳でもないのだけど」 などと もうからかって遊んでいてはいけない状態になってきたので、 「あ!今 ゆーこさんから OKサインが出たので、来月にぃ」 と 多少残念ではあるけれど、からかうのを止めにして、 申し込み書類を作った。
よっさよっさ
そんな時に、携帯が 高らかに「ボラーレ」(ジプシーキングス)を奏でた。 しんさんから 大蝦夷渡航の待合せ場所の問い合わせ。 今、携帯以外のメールを受け取れないと言う。 一通りからかって、待合せ場所と時間を口頭で伝える。 年上だろうが、年下だろうが、 一発からかってみないと 本題の用件を伝えないのが あたくしの性分らしい。 しんさんもKさんも 年上。
ありゃありゃ
さて、仕事に戻ろうかと思っていた矢先に、 転送を希望していた荷物が届いた。 送り主は、ぱーちーにも来てくれた ハワイアン一家のけえこちゃん。 お祝の鍋はすでに受け取っていたから ? と思っていたら、 なんとまぁ 誕生日のプレゼントだった。 これがまた、あたくしのためにあるようなバックで、 既に大蝦夷へ行くためのバックは 新たに買い求めていたのだが、 その味わいといい、大きさといい、 またしても 悩みが増えた。 それをゆーこさんやかん様に見せびらかして 仕事そっちのけで モデルポーズまで作っていた。 折よく、お中元の品物分けの日だったので、 その中に、食材屋から貰ったビールの詰め合わせセットと 稲庭うどんをしっかりと入れた。
どっこらしょよっこいしょ
かん様が上がって来たということは 「おじさんは 疲れたから もう帰る」ということ。 件のバックを見せびらかしている時、 「これで札幌に行ったら?」 と ゆーこさんが言ったのを受け、 「お!明日から行くのか?」 と 真顔で聞いてきた。 「もう、500万回ぐらい 20日からって 言いましたっ!」 って あたくしは 5 と言う数字が好きらしい。 「きっと 話をちゃんと聞いてないんだよ」 と 開き直ってきやがるので、 「ああ!もう!!たけぞーと一緒。さすが パパ」 と 応戦するも虚しく、 「おじさんは 汗もかいてさっぱりしたいから 帰る」 と まさに人の話を聞かずに 帰ってしまった。 コトバの行きどころがなく、 すでに仕事を続ける気にもなれず、 これにて 退社。
これこれ
家に帰り、夕飯代わりにビール。 もうすぐ 22時。 洗濯して、部屋を片付けて、シャワーを浴びて、 最近 はまっている 髷小説読んで。 夢うつつで 寝こける。 風が強い。 江戸風鈴が 気ぜわしく鳴ってる。 この間、本屋で「まんが日本昔話」の本を 1冊80円で 5册買った。 小さい頃は、土曜日の19時は この番組がお約束だった。 買ってまだ 読んでない。 これを読みながら寝たら、 大蛇や天狗や狸が 夢の中で 賭場でも開いてくれるだろうか? もちろん ツボ振りは あたし。
ささ 入ります。よごさんす?
だから、未だ不発弾を抱えつつ、ほのかにヨッパなこの現状で、 夕飯のカレーは 半分しか食してないのだから、 上がりラーメンを作って食べるのも、 明日を生きる人間としては当り前の行為だと思われ。
更に その不発弾を夫に伝え、心配している夫に向かって 「大丈夫、アルコール消毒してるから」と言い放った矢先に 「よかよか」と 誉められるのは どう言う了見か?
更に まだ 嫁いで 2ヶ月ぐらいしか たたないのに、 既に舅の過去を握り、小姑と にひにひからかって、 煩がられるのはどうか?
が、きちんと手みやげを欠かさない こすっからしさも持ち合わせてるし。
いや、そうではなく、 お宝時代劇は 2週間たった今でも お宝にみえないぐらい ちゃちい 髷である事の方が 問題。
日光江戸村が悪いのでは無い
雨が降っていないから、自転車で出勤しようと思うのは 無謀野郎?
昨日の電話で、モへさんが「暑い」って言うから 「何度?」って聞いた。 22、23℃は 絶対に暑いうちに入らないと思う。 というよりも、環境って怖い。
腹も反乱を起こしそうなのだけど、 この間貰った薬があるから 大丈夫。
台風も思ったよりあっけなく、過ぎてしまい、 腹の反乱もなく、 バタバタと業務を終え、 りゃのミッションメールを自宅へ転送し、
これから 焼肉食べに、M邸へ。
最近は、ほぼ週一ペース。 昨日のリベンジには もってこい!
2002年07月15日(月) |
この不安な状況の中で |
何が不安かって?そりゃ 腹でんがな。 が、それは週末に襲った腹痛とは違う。 もう、これは冒険野郎というか、ただただ浅ましいと言うのだろうか。 一昨日作ったカレーが、 今日食べたら、大っ嫌いな納豆の味がした上に、 なんだか 粘ついてた。
半分食べて 捨てた。
遅い?
と言う訳で、 その後、悔いを残さぬように、夕張メロン1/2食いをし、 胃を消毒すべく、バーボンをひたすら飲んでる状況。 ああ、どれぐらいで雷がなるのだろう? 今 日本列島を襲いつつある台風より怖い。
そんな不安と恐怖のど真ん中、 あたくしがしたことと言えば、 ・モへさんに電話して、小江戸組の到着予想時間を伝えた。 ・そよさんにメールを書いた。 ・るみにメールを書いた。 ・友情を示すため ○V○ックルを見た。 ・たけぞ氏と電話で話した。 もちろん、薔薇を飲みながら。
るみ と気安く書いてはいるが、 この人は あたくしにとって記念すべき人で、 生まれて初めてチャットで話した人なのである。 一度だけ 東京であった事があるのだが、 まるで初対面だとは思えず、 るみが宿泊しているホテルで、一緒に深夜まで飲んだくれてた。
さて、未だ恐慌は訪れず。 二行上から 小半刻たちましたが、 その間、あたくしがしたことと言えば、
・モヘジ氏との綿密な打ち合わせ
と グラスに氷を足し、バーボンを2杯。 二人が ただただ心配するのは、
みにの遅刻 のみ。
みにに告ぐ。 寝坊したら 置いて行く。 心配なら 前日は うちで合宿。
去年の1日前、日記を始めた。 その一年後、午前8時に腹痛を起こし、 10分トイレと友達になった。が、それは決裂したために、 会社に出掛けた。 その後2時間、腹痛に我が身をよじるがゴトクの腹痛と 脂汗、呻きを体験し、 結婚後、初めて使う保険証をもって、 やぶだけど近所だからという理由で、町医者の診療所に行った。 問診と検温だけ。 仕事があるから ということで、痛み止めの注射を打ってもらった。
が、
パッチ(アルコールが浸してある脱脂綿の絆創膏)は、 打った場所と違うところに貼られたのは ギャグなのだろうか?
注射のせいで、午前中はほとんど役立たず。午後になってようやく なんとか仕事をしてる有り様で、 それでも家に帰らなかったのは 帰る途中が怖かったから。 便意をもよおすとか、急性貧血症になったら、 あたしも困るが、他の人も困るだろう。 倒れるんだったら、知り合いの居るところ。 これは、我が人生における絶対条件。
家に帰って、カラダに優しい食べ物でさくっと食事をすます。 が、胃にモノをいれるとまた痛む。
しょうがないので、カラダを横に。髷を見ながら、だらだらしてた。
痛みも治まり、うとうとしかけてるような、起きてるようなそんな時に、 みにから 飲みのお誘いの電話が入る。 時間は、まだ21時を回ったところ。 普段なら ほいほい出掛けるが、如何せんやぶからは養生を言い渡され、 腹も時限爆弾を抱えてる感じ。 やむなく 断わり、 次に誘ってくれるようお願いした。
さらにだらだら髷を見ていた。
うつつになった時、落としてなかったPCのモニターに人影のようなものが見てた。 「今日がその日なのに!今日なのに!!」と、 頭をふりふり ぶつぶつ呟いてる。 面倒なので、寝た振りをしてたのだが、 「起きてるんだろ?折角祝いに来たのに、それじゃーしょうがないよな。オレは忙しいんだ。もう行かないと!とにかく、よくがんばったよ。じゃあなっ!」と 言うだけ言って、モニターの中に入っていった。 ああ、これがあれなのか・・・と 漠然と感じて、そのまま寝入ったらしい。 その後、朝4時、付けっぱなしの髷では『必殺仕事人』がやっていて、 付けっぱなしのPCは 落とした。 モニターに触ってみたけど、固いだけだった。
とにも かくにも
普段の仕事中のあたしとは違い、 今日のあたしは 電話で意地悪このうえない対応をした。
でも それもこれも
しつこい営業電話と 要領を得ない業者との電話と 口先だけ悪びれて自分では面倒な事なにもしようとしないお客 のせいで 心底疲れたのだ。
元ががらっぱちの電光石火短気野郎。 いつも にこやか懇切丁寧親切事務員 なんて 演じきれる訳がねぇ。
あたしは 女優。
普段は どんな電話でも会社に掛かってきたのなら 懇切丁寧に応対するし、声を荒げないでいうけどね。
あたしは 女優。
二度も三度も同じ説明したくないのよ。 こっちにも 締切り時間があるから。
ということで、ゆーこさんもびっくり 意地悪な御局がごとく 辛辣で口調がきつい応対をした。 平だと思って 甘く見るなよぉ。 現場や段取りを知らないと タカをくくるな。
のほほんと茶飲みがてら勤めてる訳じゃない。
あたしは 女優。
阿修羅になっるのだって お手のもんだから。
電話で怒鳴って 顔は冷笑なんて 朝飯前だから。
あたしが 大人しく電話応対してるうちに 察した方が 利口ってもんよ。
とにもかくにも 営業ならば、きちんと日本語を理解しろ
先日、あきばちょふ&おにお 両氏の御尽力と、 出席者の方々の類い稀なるキャラクターによって、 あたくしてきには 天文学的には少し掛けるものの、 山手線のラッシュ時の乗車人数をはるかに上回る%の 「これがたけぞ氏だ!とくと見やがれ ぱーちー」?の様子については、 色々な方々が日記やBBSに書いて頂いてる通りなので 割愛。
今日は 特に出席者の賛美が多かった衣装についてと、 その他諸々話。
◆衣装 みちえさんの反対があり、親族の食事会には着ていけなかった アオザイコート&帽子。 これは、ベトナムの民族衣装として有名なアオザイの上に羽織るものだそうで、 フォーマルな席で着用するらしい。 帽子は、アオザイコートの共布で作って貰った。(ソレが基本?) 奇数に巻き、巻が多ければ多い程いいらしい。 ただし、あれだけでも 軽いのーみそには 結構重く感じたけど(苦笑)。 もちろん、どちらもオーダーメイドが基本。 ただ、オーダーメイドだけど、価格がリーズナブル。 今回、楽天市場でこれらを見つけ、注文したのが、 亜洲生活というお店。高田馬場にショップがある。 アジアものだと、量ばかりが多くて、雑多な感じがするショップも多いが、 ここは 程よい量で。 アオザイももちろん、既製服からオーダーメイドまで。
中には、最初二次会で着ていた黒のチャイナカラーのシャツ(yoji yamamoto)を着る予定だったのだが、暑かったので、そのまま黒のキャミソール(下着ではない)と、和柄のゴムスカート(安藤ナオちゃん的!一応ゴルチエ)。 ただ中もアオザイなのは あたくし的では無いだろうという事で。
アクセサリーは、ず−っと以前にとても女性らしい方から 誕生日プレゼントとして頂いたモノを身に付けた。 キラキラとした石ではなく、その青と白が あたしらしいとのことで(照)。 ただ、頂いてからこの方、「似合う服を持ってない」という理由で、 宝箱の中で眠っていたものである。 イタリア製とのコト。(ベネチアだったかな?)
自分で言うのもなんだけど、
今まで着た着ぐるみから振り袖までのどんなモノよりも似合ってた
と思う。
◆メイク あたくしだけではなく、あきばちょふやぷりんちゃんにも メイクをしてくれたのは、親友で義姉のなぁなさん。 普段のあたくしたちを見知ってる方々には、 その化けっぷりが 好評だったとか?! もちろん、その日までのお肌のメンテナンスに至まで、 事細かな御指導があり(パックぐらいしか守ってなかったが)、 メイクをしてもらっている時も、いろいろアドバイスを頂いたのだ。
◆花 会場を飾り、ブーケを作ってくれたのは、45年会というネット仲間ののぶ。 たっちゃんと、欠席かと思っていたのだが、二次会から参加してくれたかまねこ君が、可愛らしい花束をプレゼントしてくれた。 ここだけの話だが、たっちゃんから貰った花束は その後行方しれず。 今、かまねこ君からもらった花束が、我が家のちゃぶ台を彩ってる。
◆古い友達 仕事でダメかも。と 半分欠席表明をしていた 中学時代の友達T。 奴は、今回の一連のぱーちーの中でも一番古い友達である。 (生で会うのは 2年振り) ○○○ックルのディレクターやってる。その日も撮影だったらしい。 その番組を担当し始めたと報告を貰った時、 「あたし、○川○○子さんのファンなんだ〜!いいなぁ 撮影見学させろ」 とお祝のコトバを述べる前に 言い放ったことを律儀にも覚えていて、 彼女のサイン本をお祝としてくれた。 奴が 出席してくれたのも嬉しかったのだが、 数年前にちょろっと言った事も覚えていてくれたのが とても嬉しかった。 すでに、それぞれのグループで出来上がってて、 「オレ、場違いだから帰るわ」という奴だったのだが、 ナマステしんさんが、お相手して下さって、ホントに有り難かった。 あきばちょふが、「二人で 明日の日本について熱く語り合ってるかのごとく、盛り上がって話をしてるかと思ったら、小学生の頃の話を語り合ってたんだよ(笑)」と 後で教えてくれた。 男たるもの 古きよき時代をも語り合ってこそ 明日の日本を支えていけるのさってことか。
◆納得 みちえさんが 後日「わたしたちの隣のテーブルにいらっしゃってた グループは どこの人たち?」と聞くので、 まさか、「あなたに勝手に渾名をつけて、あなたの夫を大魔人として悪行をさらしている血縁関係絶対お断りのサイト関連の人たち」 とは 言えず。 「ネット」とだけ答えたら、 珍しくその一言で納得した。
◆禁止令 ぶりぞうが、おばあちゃん(みちえさん)に 涙ナガラで訴えたそうだ。 「りょうちゃんはりょうちゃんて名前があるのに、どうしてみんなに ぶりちゃんて 呼ばれるの?」 だもんだから、孫には弱いみちえおばあちゃんから お達しがあった。
以後、りょうちゃんをぶりぞうと言ってはならず。
ぶり、あたしにだって、3つ名前があるんだよ。 それも今になってやっと3つになったんだよ。 あんたは 生まれた時から 2つもあって すごいんだよ。 巷では、HNで2つ名前を持ってる人が大勢いるんだよ。 あんたのおじいちゃんだって 2つ名前があるんだよ。 あんただって、たけぞ氏のこと「たけぞー」って言ってるじゃん。 なんて 言い訳は、5歳児には 通用しないんだと。 ちぇ。
◆やはり集まる 知り合いの方や 雪さんから頂いたワインを始め、 宿泊代ということでうちに泊まった連中から、 今回もまたお酒をたくさん頂いた。
◆哀しき習性? ぱーちーで歌った人、地元商店街の宴会部長。 数日前に、何かやってください と頼んだ時には、 見事断わられたのだ。 でも きっちりアドリブ?で 期待を裏切らないでいてくれた。 彼のファンになった方、今月末の地元の祭では、 もしかしたら あの時よりも熱いパフォーマンスが期待出来るかも。
◆スタッフ 幹事を始め、いろいろの準備や当日のことをしてくれたのは、 普段の飲み仲間「NBHK」の連中。 (NON.さんも引き込んだから。みには遅刻したけど) 最後まで、ワガママを通させてくれて、どうもありがと。 今度、たけぞ氏が お礼に御馳走作るってさ!!
そして、 あたくしは、 北の御方(正妻でも政所でもなく)に たけぞ氏を見せびらかすために、 2週間後、営業し?に蝦夷に行くのだ。
今日は 代筆。 あきばちょふが 家のコになっていて、 週末の正しいおき家の姿(あたくしは 酒を飲んでいて、たけぞ氏が夕飯を作っている)をかもし出している。
これから 内職をするので、代わりに家のコが 日記を書くのだ。 どうぞお楽しみを。
************************** みなみなさま おきちゃん&たけぞ氏の結婚披露パーティに 御参加いただきありがとうごさいました!
今回の幹事の片割れを承りました あきばちょふです。 非常に拙い進行でしたが みなさまお楽しみいただけましたでしょうか???
今回こられなかった方も いろいろ贈り物やメッセージを 頂戴致しました。これもひとえに新郎新婦の人徳であります。
いや〜 ここまで来るのは 正直大変でした! 常にたけぞ氏がいない状況にあり 進められない部分もあり… 引出物が間に合ってホントによかった。 ちなみに私も制作に関わらせて頂きました。 宣伝しときます。次、ご入用の方は是非ご一報を♪
みなさまの心からの祝福を受けるお二人は本当に幸せモノだと つくづく思うのです。うらやましぃ〜〜
何よりも二人の笑顔を見られてこれまでの大変さを報われた気がします♪
そして幹事の私どもにも励ましのおコトバ ありがとうございました。 未だ おき邸にてゴロゴロする あきばちょふでした。 いいかげん帰りますね・・・
************************** さて、いかがでしたでしょうか? あきばちょふは、その後 大蝦夷オフへのチケットの書き込みを手伝わされ、 たけぞ氏が作った ケララカレーとシーザーサラダを食し、 眠眠モードで帰宅しました。
ご苦労様&せんきゅー あきばちょふ。
昨日は ちぎってちぎってちぎりまくりだったのだが、 結局 ちぎっただけで その先に進めず、 眠気には勝てなかったので、寝た。
たけぞ氏には 「2時からの時代劇も見るさ!」なんて 豪語していたのだが。
お陰で 今夜食事に誘われていたのだが、 内職終ってないし、 ぷりんが泊まりに来るっていうのに、部屋散らかってるし で、止むなくキャンセル。
キャンセルはいいのだが、 すでに 発泡酒を500ml飲み終え、2本目に突入しているのは、 許されるのか?
ここで メロン登場。 甘い香りが 部屋中を包み込み、 なんともまぁ 幸せな気分にさせてくれる。
その香りの中で、 やるべき事は、 このPCから離れ、 部屋を片付け、内職に励む。
だな。
(つづく)
前回から その後。 舎弟るーちゃんに 駆込み寺のごとく 明日のBGMで「この間 あげたサントラとのりのりロック」のCDを 吟味しろ。なーんて 偉そうに言っていた矢先、 北の吹きだまり?のメロンの主から 威勢の良い電話。 酔っぱだった。 彼の地の方、威勢が良い時は 酔っぱ。わかりやすい。 吹きだまりに引き込まれた 33回転の君 と話をしたのだが、 後ろの酔っ払い うるせ〜 うるせぇ。 さすが 仕事をそおっと抜け出して来ただけはある。 その電話も、先方の電池切れで end。 再び るーちゃんと 会話。 取り留めもなく、相変わらず 偉そうな事を偉そうに言った後、 自分が 結構酔っ払ってる事に気がついた。 片付けも内職も 進んでない。
さて どうなることやら。
(つづく のか?)
今日は 思いのほか 早く帰れたので、 旗本退屈男が 見られて 〜♪ だったのに、 その後 楽しみにしてた たか様(と言うらしい)の お命頂戴! が・・・。
みしみし 和紙なぞちぎりながら。 昨日は断酒してたので ビールなぞ ちびちびやりながら。
断酒したかいあって、 身長は伸びてるし、 肝臓は元気だし。 言う事ないって 言われた。 でも 体重も減ってたのに、 体脂肪率が 増えてた。 視力も 右目だけ 着々と落ちてる。 それでも まだ裸眼で充分だし。
まぁ これでまた1年 ゆっくりゆったり 大手を振って 楽しめる。 いろいろなこと。
その前に これ 片付けないと。
そそ、BBS見て 思い出した。 検便て 2日間分ださないといけないんだけど、 結局 1日分の提出。 確か 去年もだ。 で、バリウム飲んだから 下剤貰ったんだけど、 未だ兆し無し。 も一服 飲まねば。
まだ ちぎってます
さっき、たけぞ氏に 御褒美の 時代劇台詞 大見得 頼んだのに 却下された。
いと かなし。
で。9時半頃、うちの電話にかけてきたの 誰だろ?
まだまだ ちぎってます
昨日、飽きた飽きたって 日記に書いた後、 おこりが落ちたように さくさくと宛名を書き、 それぞれに それを貼り、中身を入れて、 今日まるで行商人か 夜逃げ(時間的にいうと朝逃げ)のごとく、 荷物を担いで 自転車にまたがり、出社。
そこまで 出来たのも、 「お宝時代劇」が あまりにもあまりだったから。 とも 思う。 どうもねえ。納得いかんぜよ。 それについては 後日書く機会があったら。 熱く語るには 暑い日でないと。
最近、大魔人の人気が高いらしい。 正確に言うのなら、「怖いもの見たさ」なのだろう。 今週末の大宴会じゃなくて ぱーちーには、 飲み友達見たさに、みちえさんがお忍びで出席するのだが、 大魔人の出席を望む声を ぽつぽつ聞いた。 石になってもいい覚悟でいいなら。 でも 大魔人が出席する宴会に あたしは出る気ないけど。 大魔人のコト、嫌いではないし、尊敬もしてるけど、 今までしでかした 悪業の数々を さらしても、 会ってみたいと思う人の心境が わっからん。 ただ、面白いのが あたくしが大魔人大魔人というせいで、 友達が 大魔人と呼び始めている事。 みちえさんにもゆーこさんにも 大魔人で 誰を指してるのか 大分かり。 本人が知ったら、勘当ものなのだろうか? まぁ、この間 籍は抜けさせて頂いたのだが。
明後日、年に一度の健康診断があるのだが、 思い起こせば 1年前、 その健康診断で 学生時代では 成績表において ついぞ見かける事もカスル事もなかったオールAを取ったのが 日記を書きはじめるきっかけになったのだった。 明日は 酒は呑めないので、 今日は内職も程よいところでとっとと切り上げ、薔薇を堪能してる。 が、楽しんでいつつも、問題を抱えているのだ。
検便で。
もともと、便秘がち というより、 トイレに行くのを 簡単に忘れる。 今日も朝行ったまま、夜まで忘れてた。 水分は コーヒーやお茶で一日1リットルは 必ず取ってるのだが。 (もちろん夜は 1リットルのあるこおるも取っているのだ) 検便セットを持ち歩いていても なんの足しにもならない。 バリウムは 苦ではないのだが、 検便・検尿関係が 毎度毎度苦労する。 昔は 採血と血圧で苦労したのだが、 ここ2年程の贅沢が功を奏し、 難無くクリア出来るようになったのだ。 あとは、身長が縮んでいない事と、 ギリギリで、センターに行ってるんだから、 通り道に 黄色いテープと人形のチョーク跡が ない事を祈るのみ。
「コスプレ時代劇」 あなたは 何を想像します? くの一? はっずれ。 「地獄に落ちて蛆虫になれ」らしい。 〜♪ あ、でも 蕎麦の食べ方、?
ああもう ほっといて。
この間まで、右の鼻穴の通りが悪くて、 鼻息に勢いがなかったのだけど、 知らぬうちに 元の通りに勢いよくなった。
やぎママさんの日記が、最近「学級崩壊」についてのコトを 保護者の立場から語ってる。 ただ 憂いでいる訳ではなく、どう崩壊を食い止め直していこうとしたか が 書かれていて、興味深い。 学級崩壊 には遭遇した事はない。 が、小学校3,4年の頃、いじめにあっていた。 理由は「転校生の癖に生意気」だったかららしいが。 ずーっと後で 知った事では、主犯格の奴の好きっこいじめもあったらしいが、 どんな理由であろうと、どれほどのレベルであろうと、 その傷を払拭するのには 当事者にとって とてつもなく時間がかかる。 その当時、みちえさんには総てを伝え、 もちろん担任の先生にも 自分が置かれている状況を話したが、 いかんせん、短気・喧嘩っ早い性格が災いし、 担任からは 苦情がみちえさんにいくだけだった。
おたくのムスメさんは けんかばかりして困る。
みちえさんは「コドモも喧嘩には 親出るべからず」だったし、 あたしも状況は伝えつつも、みちえさんに出てきて欲しいとは望まなかったので、 時には 生傷だらけで帰り、時には 学校へ行く事を拒否し、 「いつか 近いうちに ここも引っ越すから」と ソレを頼りに我慢していた。 逃げと言えば 逃げだけど。 仲良くしてもらった友達は、余りにもか弱くて 一緒に喧嘩してもらうコトも、 打たれている時、かばってくれるコトも出来なかったのだ。 その子たちは あたしが引っ越してもそこにいるから。
やぎママさんの日記を読んでいて、 忘れたいけど覚えているものの記憶が 鮮明になってきている。 ただ、ここまで年月も状況も変われば ほろ苦い痛みはあるけど、 辛くはない。ただ、その時の自分を 可哀想に思うだけで。 でも それは 過去だし。
ああ、、検便。
ゆーこさんが、NON.さんやさださんの年令を 聞いてきたので、 素直に正直に答えたら、 「同い年にしては ふけてると 思った」って言った。 「でも、一番えばってるのは あたしぃ」と言ったら
納得された。
よいのか わるいのか?
正月でもないのに、宛名書きするのは 飽きた!
こういうことをただ黙々とスケジュールに沿って、 決して溜める事なくこなせる人間は 偉いと思う。
自分で立てたスケジュールは、 16個分の宛名を書いて、それぞれにちゃんと荷を選んで、 って ことを先週中にやっとく。 だったんだよな。 それが週を明けて、今になってもまだ宛名書きが終ってないとは。
飲み会は ちゃんと計画立ててそれを実行できるのだから、 何かどうにかすれば どうでもなるような気がするんだがなぁ。
他には、部屋をちゃんと片付けられるとか、 毎朝きちんと身支度を整えて 出勤できるとか、 締切りをきちんと守って 仕事をこなしてるとか、 きちんと メールの返事を書くとか、 ちゃんと食事するとか。 そういうこと、どうでもきちんとできないもんかねぇ。
そんなことは 今日は考えるのは よしとしておいて、 お宝時代劇、ちとばかり学芸会。 浅いなぁ。浅いよ。お宝ぢゃないよ。 納得できん。
|